日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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Author:higedancho
断腸亭髭爺です。
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2008.08.09 Sat
美濃尾張の旅1(名古屋・恵那)
8時半過ぎの新幹線(のぞみ)に乗って東京駅を出発。

IMG_0962.jpg
車内で食べた弁当は、お気に入りの「深川弁当」(850円?)。
家から持参した缶ビールで、無事な旅路を祈願して乾杯。

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荷物を棚に上げて、弁当を食べて、トイレに行って、さて一休みと思う間もなく、名古屋駅に到着。
何と2時間もかからない。
早いなあ~。
江戸時代は、歩行の早い人でも(好天で)8日間もかかったというし、自転車でもまる二日はかかるというのに。

これじゃあ、旅情も何もあったもんじゃない。
昔の旅は、「道中」そのものが花だったが、今は、移動手段が高速化されて、目的地が花になったのである。

その花の目的地、名古屋に到着。
岐阜在住のIさんが改札で待っていてくれる。
今回の旅では、Iさんご夫妻(奥さんのKさん)に大変お世話になってしまった。

早速に、昔の旅人の例に倣って、名古屋に来たら熱田詣でだろうということになって、地下鉄で熱田神宮へ。

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古寂びた鬱蒼たる照葉樹林に囲まれたこの神社は、古墳時代末期の4世紀には既に存在したというのだから、同じ「神宮」でも1915年創建のぽっと出の明治神宮(東京都渋谷区)とはまるで格がちがう。

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社殿は改装中にて、見ることができなかったが、社殿よりもはるかに価値のあるものを、熱田神社では見ることができた。
何と、この聖域に、野生の名古屋コーチンが棲息しているのだ。

IMG_0972.jpg

さすが名古屋。
大きくて立派な名古屋コーチンがこんなところをほっつき歩いているとは!
鶏らしく、鳩と争いながら忙しそうに餌をついばんでいた。
夜は、樹上で暮らしているという(Iさん談)。
美味しそうな「生ける」名古屋コーチンを見ていたら、急にお腹が減ってきたので、名古屋の名物「ひつまぶし(櫃塗し)」を食べに行くことにした。

我々は、神社からほど近い老舗の鰻屋「蓬莱軒」に出向いた。
この店は、そもそもが熱田神社の境内にあったという由緒正しき老舗で、Iさんによれば、「ひつまぶし」はここが一番美味いのだという。

店に行ってみると、まだ昼前だというのに既に長蛇の列。

IMG_0981.jpg

1時間待ちだということなので、とりあえず予約しておいて、しばらく旧東海道を歩いてみることにした。
ただ、そこへ行くためには、化け物のような巨大幹線道路、国道1号線(現在の東海道)を渡らなければならない。

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(国道1号線・前方は京都方面)

戦争のような国道1号線から裏道に入って、少し歩くと旧東海道にぶつかった。

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こちらはかなり牧歌的でややホッとする。
そして目の前には、有名な「七里の渡し」が復元保存されて、一帯が公園化されているではないか。
大名行列の一行も、お伊勢参りの人々も、戊辰戦争や冬の陣・夏の陣の軍勢も、この七里の渡しを渡ったのである。

江戸時代の七里の渡しは、安藤広重が描いている。

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私が撮影した現在の七里の渡し。

IMG_0974.jpg

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灼熱の真昼であったが、ここに立っていると、往古の人々の、旅に弾む嬌声が交錯して聞こえてきそうな錯覚におそわれる。

IMG_0979.jpg
(現代の旅人2名)

さて、いよいよ予約の時間になったので、我々は、「ひつまぶし」を食らうべく、「蓬莱軒」に戻った。

いかにも老舗らしい造りの店の階段を上がると、そこは一面、ひつまぶしを食べる人々。
醤油の焦げるいい香りがして、先ほどの名古屋コーチンの記憶も蘇ってきて、涎が出そうになる。

ビール大瓶2本をぐびぐびやっていると、現れました。
ひつまぶし。

IMG_0984.jpg

もうこれは、ちゃらちゃらと言葉を尽くしてみたところで、虚空を撃つようなもので、とても安易な褒め言葉を連ねる愚を犯してはならない。
ただ一言、ウマイ!と言いたい。

満腹になったところで、われわれは、今日の宿泊地、恵那(岐阜県)に向かった。

恵那駅で迎えを待っていると、今夜お世話になることになっている山荘(あかまんま)主宰?のサイクリンググループが駅に到着した。
約40キロのコースを、それこそ、老若男女が楽しく走るというイベントだそうだ。

IMG_0988.jpg

自転車好きな私は、さっそく数人と話をした。
すごく楽しかった。
私も、一生、自転車に乗り続けようと、この時ふと思った。

恵那駅から県道の山道を登り詰めたところに、山荘「あかまんま」はあった。
近傍に二つの小さな湖のある、森林に囲まれたすっきりとした建築物。

われわれは、夕食前の散歩を楽しんだ。

IMG_0991.jpg

夕食は、自然食メニューの豪華版。

IMG_0998.jpg

腹一杯食べて、バタンキューであった。

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(16世紀、桶狭間の戦いに勝利した信長が熱田神宮に寄進した築地塀)

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本日の走行距離:1キロ[ママチャリ(自宅~金町駅)]
今月の積算走行距離:301キロ
昨年11月以降の積算走行距離:9707キロ
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2008.07.06 Sun
銚子2
7時半起床。

午前中、ホテルを出発して、長崎海岸から外川漁港まで、海岸線を歩く。

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(外川の八百屋さん。車は店内に駐車)

その後、「地球が丸く見える展望台」へ。
「屏風ヶ浦」が霞んで見える。

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銚子電鉄に乗って、銚子駅へ。

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総武本線→京成電鉄と乗り継いで帰宅。

梅雨の時期ながら、好天に恵まれた銚子旅行だった。

帰宅後、水元公園を走る。

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本日の走行距離:7キロ[ルイガノクロスバイク(夜練・水元公園など)+ママチャリ(金町駅復路)]
今月の積算走行距離:215キロ
昨年11月以降の積算走行距離:7630キロ
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2008.07.05 Sat
銚子1
4時起床。

今日から一泊で銚子へ行くことに。
今回は、久々に電車で。

自転車に乗れなくなるので、朝ぼらけの中、朝練をすることに。
水元公園桜土手→江戸川サイクリングロード右岸→柴又公園→水元公園(フジクロスバイク)。

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(江戸川河川敷金町浄水場取水塔)

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(江戸川サイクリングロード右岸)

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(水元公園)

総武本線(普通)で北総ののどかな車窓にうっとりする。
列車の旅もいいものだ。
道に迷う心配もなければ、第一、漕がなくても進むのが良い。

昼前に銚子着。
さっそく、昼食を食べに、銚子の老舗海鮮料理屋「一山いけす」へ。
銚子半島の突先の波打ち際にある大きな活魚料理店だ。

さすが銚子。
刺身盛り合わせは、一切れ一切れが大振りで、しかも新鮮。

IMG_0731.jpg


そして〆は、ウニいくら丼。
こてこて盛りだぁ~。

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その後、犬吠埼灯台へ。

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夕食も豪華版。

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言うことなしの一日だった。

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本日の走行距離:12キロ[フジクロスバイク(朝練・柴又など)+ママチャリ(金町駅往路)]
今月の積算走行距離:208キロ
昨年11月以降の積算走行距離:7623キロ
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2008.06.23 Mon
春象夏記・南イタリア紀行4(物価・水の値段を中心に)
6時半起床。
曇り時々雨。

南イタリア紀行4(物価・水の値段を中心に)

夕べ、30年ぶりぐらいに映画『にがい米』(ジュゼッペ・デ・サンティス監督・1949年)を見た。
今回見直してみると、ずいぶん記憶が間違っていたが、デビューしたてのシルヴァーナ・マンガーノの不思議な艶やかさだけは当時脳裏に焼き付いていた通りであった。


(この作品中のシルヴァーナ・マンガーノのダンスが素晴らしい・ファーストシーンより)

記憶が違っていた点は、実際はイタリア北部の農業地帯の話であるのに勝手に南部を舞台にした作品であると思いこんでいたこと、また、作品のテーマが、てっきり農業労働者の労働争議であると思いこんでいたのだが実際はそうでもなかったことなどである。



詳しい筋書きは、むしろこれから見る人ために書くのを避けるが、この作品の舞台は、田植えの時期になると女性季節労働者が集まってくる北部イタリアの水田地帯である。
この「北部」というのが、実は重要だったのである。


(『にがい米』の田植えシーン・シルヴァーナ・マンガーノの田植え歌あり)

今回の南イタリア旅行でガイドさんから教わったことだが、イタリアでは北部に行くほど米をよく食べ、南部に行くほどよくパスタを食べるということ。
つまりは、簡単に図式化すると、北部は米、南部は麦ということになる。
『にがい米』の舞台が南部だと思いこんでいたいた私は、南イタリアのバス移動中、目をこらして水田を、ひいては、シルヴァーナ・マンガーノの残像を探し求めていたのだが、実際に水田を目撃したのは、本土南部の高速を走っているとき一回きりだった。

確かに、既に書いたとおり、南部では降水量が極端に少なくて、水田を作るほどの水が確保できない。
どう考えても、水田には適していない地域である。
それだけに、この地域では、水が貴重な存在だと言うことになる。

飲食店に入って、「お水下さい」と頼んでタダで出てくる国は、私が体験した限りでは日本と韓国だけだ。
いや、日本では、頼んでもいないのに自動的に水が出てくる。テーブルに着いても、給仕がなかなか来ないと、「水も出てきやしない」と言って怒ったりする。
日韓では、水とお茶は、無料で提供されることになっていて、これは大変に良い伝統ではある。

南イタリアでは、どこでも水は有料である。
店で頼むと、大体、2.5ユーロぐらい(1ユーロはほぼ165円)なので、事情を知らない日本人はぼったくりだと思ってしまうかもしれない(ビールの小瓶は、水と同じぐらいの値段)。
ただ、逆に、ハウスワイン(デキャンタ)は、大抵、水よりも安くて2ユーロ(約330円)ぐらいなので、事情を知らない日本人は、ここは激安食堂かと思ってしまうかもしれない。

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こういう価格設定だと、昼食時でも、いきおい、水にお金を払うぐらいならいっそのことワインを飲もうではないかということになる。お陰で旅行中は、ずいぶん飲みすぎることとなった。

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(レストランの酒棚)

飲みすぎるということで思い出したが、イタリアでは、高速のパーキングエリアにもバール(バー)があって、堂々とビールを飲んでいる運ちゃんがいるのにはびっくりした。また、売店でもビールやワインがずらっと並べられて、悪びれることなく売られていた。

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(高速パーキング内のバール)

飲食店で水が高いのは仕方がないこととしても、小売店のペットボトル入りの水の値段はどうであろうか。観光地や高速の売店でも、水の値段は安くはない。
大体、500ミリペットで1.5ユーロ(約250円)ぐらいが普通で、かなり高い。

それでは、旅人が行くような場所以外の、普通の娑婆の人間が買いに行くような店では水はいくらぐらいするのだろうか。
われわれは、少数ながら、そういう現地の一般の人が買い物をするスーパーのような店にも入ってみた。
やはり、こういう店は驚くほど安くて、ちょっと安心したばかりか、水だけではなく、パスタ類などをしこたま買い込まされることになった。

因みに、シチリアの、日本流に言えば、「激安ショップ」に行ったときにもらったチラシを見てみよう。

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残念ながら、水の値段は出ていないが、この店では何と0.25ユーロ(85円)ぐらいだった。
ついでに、その他の品々についても見ておこう。
まず、日本のホームセンターにも売っているような格安マウンテンバイク(3×6=18速)は、「59.9ユーロ」(約9980円)で、その品質は疑わしいものの、かなり安いと言えよう。
扇風機は、「9.99ユーロ」(約1600円)とかなり安いが、日本のホームセンターでも最近はこのぐらいである。
ほかにも、1リッターのジュースが「0.79ユーロ」、パスタ1キロが「0.44ユーロ」など。
総じて言えば、観光地の価格よりも確かにずっと安いけど、物価の高い日本の量販店やホームセンターとほぼ同じぐらいではないか。

実は、ここにイタリア経済の苦悩がある。
私は、自分自身の家計すら手に追えない経済音痴であるが、畏れ多くも、ガイドさんの説明を拝借しながら以下、少しく書き留めておこう。

イタリアがEUに加盟して、これまでの通貨リラからユーロにかわったのは最近であるが、イタリア、殊にその南部は経済的に脆弱な地域である。そういう状態で経済を統合されると、貧困な地域では物価が跳ね上がってしまう。しかも、これに拍車をかけているのは観光客。
観光地では、既に書いたように何から何まで観光地値段。なので、その周辺からジリジリと物価が上昇して、地元の衣食住に圧迫を与えている。因みに、ガソリンの値段も、日本と同様うなぎ登りで、私が目撃したガソリンスタンドの価格はリッター1.5ユーロだったので、日本より高いことになる。
これは、伝統的に貧しいイタリア南部をさらに貧窮化させることになっているのだが、世界一世界遺産の多い国イタリアでは、どうしても観光に頼る部分が大きい。しかし、そうやって観光に頼れば今度はそれだけ観光客のもたらすインフレが激化するというような悪循環を辿ることにもなる。

さて、映画『にがい米』の女性農場労働者の4週間分の給料は、米40キロであった。
仕事の終わった日、彼女たちは、40キロの米を担いで満員の汽車に乗って故郷に帰る。
何とも不憫な光景だが、この映画が作られた1949年当時の日本人がこの映画を見たら、不憫などと他人事のような感想ではなく、辛い田植え作業に懸命に耐えるイタリアの女性たちに深い共感を覚えるばかりでなく、「やはり、敗戦国はどこも同じなんだ」と思ったに違いない。

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(イタリアで私が吸っていた煙草「ディアナ」、2.5ユーロだった)

連載(既出);
春象夏記・南イタリア紀行1(イタリアの洗濯物)
春象夏記・南イタリア紀行2(イタリアの道)
春象夏記・南イタリア紀行3(イタリアの乗り物)

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本日の走行距離:33キロ[フジクロスバイク(駿河台往復)]
今月の積算走行距離:864キロ
昨年11月以降の積算走行距離:7207キロ
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2008.06.16 Mon
南イタリア紀行3(イタリアの乗り物)続き
さて、昨日の続き。
もう一度、問題の2枚の写真を出しておこう。
特に、ブレーキケーブル(ワイヤー)とスタンドにご注目。

[写真A]
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[写真B]
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そうです。
解答は;

1.日本の多くの自転車と逆で、ブレーキの右レバーが後輪のブレーキを、左レバーが前輪のブレーキを操作するように取り付けられている。
2.スタンドが、日本の多くの自転車と違って、中央のクランクの付近に付いている(センタースタンド)。

です。

1については、大体、日本のように車両が左側通行の国は、右レバー=前輪、左レバー=後輪なのですが、車両が右側通行の国は逆のケースが多いようである。
どっちのがいいのかについては、諸説あり。
自転車のブレーキは、前輪のが効きが良いので、利き手の右に前輪ブレーキレバーをつなぐのが良いという考え方もあるし、咄嗟の場合は、どうしても右手のが先にブレーキレバーを握るので、前輪がロックされて車体がつんのめって危険なので左に前輪ブレーキレバーをつなぐのが良いとする意見がある。
私は、購入したままの普通の状態だが、人によっては、前後をつなぎかえる人もいる。

2については、日本の自転車のスタンドは、ほとんどが後輪軸近辺に取り付けてあるが、南イタリアの自転車は、スタンドそのものがないか、あるとすれば、すべてセンタースタンドだった。
これも、どちらが良いかは意見の別れるところで、例えば、日本の混み合った駐輪場では、車体後部にスタンドがあった方が良い。
しかし、安定性に関しては、重心に近い中央部にスタンドあった方が良いという意見もある。

以上が、クイズの解答である。

南イタリアの自転車の写真を何枚か載せたけど、いずれの自転車もものすごく太い鎖で、路上の構造物に結わえてある。
つまりは、自転車泥棒が大変に多いことを表しているわけで、これも、映画『自転車泥棒』(1948年)以来の大伝統だと言えなくもない。



連載(既出);
春象夏記・南イタリア紀行1(イタリアの洗濯物)
春象夏記・南イタリア紀行2(イタリアの道)
春象夏記・南イタリア紀行3(イタリアの乗り物)

--------------
本日の走行距離:39キロ[ルイガノクロス(駿河台往復)+ママチャリ変速なし(近所用足し)]
今月の積算走行距離:662キロ
昨年11月以降の積算走行距離:7005キロ
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2008.06.15 Sun
春象夏記・南イタリア紀行3(イタリアの乗り物)
春象夏記・南イタリア紀行3(イタリアの乗り物)

イタリアの道の話である。

イタリアの道と言えば、同名のタイトルの映画、すなわち、名匠フェデリコ・フェリーニ監督の傑作『道』(1954年・La strada)を思い出すのは自然なことであろう。
日本でも、年配の世代を中心によく知られている作品だと思う。。
『8 1/2』(1963年)あたりの、前衛的な手法を導入し始めて以降の映画よりも、むしろ、捻(ひね)りの少ないネオ・リアリスモ時代の『道』や『青春群像』(1953年)に愛着を感じる人も多いのではないか。

さらに脱線してしまうけど、私は、国別に分ければ、日本映画の次に好きなのはイタリア映画かもしれない。
特にフェリーニの作品、なかでも古代ローマ時代を舞台にしたファンタジー『サテュリコン』(1969年)や自伝的な作品『アマルコルド』(1973年)は大好きだが、どういうわけか、なかなかレンタルビデオ店に置いてないのが残念である。
その他、印象が強かった映画としてはデ・サンティスの『苦い米』(1949年)、ロッセリーニの『無防備都市』(1946年)、ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』(1969年)、それに鬼才パゾリーニの一連の作品など挙げればきりがない。

フェリーニの『道』は、一種のロードムービーで、旅芸人のザンパノ(アンソニー・クイン)が、途中で拾った口のきけない少女ジェルソミーナを連れて、バイクや車で各地で巡業する話である。最後にその映画を見たのももう随分前のことだけど、ザンパノが巡る道は、何せ1950年代ということもあって、確かそのほとんどが田舎の未舗装路だったように思う。ある時は牧歌的な田園地帯、ある時はうらぶれた廃村のようなところをザンパノのバイクは走り続けていた・・・。
私には、人に見せるべき芸なぞないが、あんな暮らし方ができたらいいなあと思ったものである。



さて、イタリアの道の話に戻ろう。
とは言っても、今回は、イタリアの道そのものよりも、その道の上を走る乗り物の方について旅の記憶をまとめてみたい。

前項で書いたように、イタリアの道はあまり良好とは言えない。
道幅が狭いし、路地は入り組んでいたりするので、走っている車のほとんどが小型の車である。
まあ、日本の軽自動車ぐらいのサイズの車が多い。
一般車の多くは国産(イタリア製)のように見えたが、公共交通機関(バスなど)の車や警察車はドイツ車(ベンツかBMW)が目立った。因みにわれわれが乗っていた大型バスはベンツ製の新型車両だった。

思わず微笑んでしまったのは、昭和30年代に日本の町中を走っていたミゼットのような軽三輪トラックである。
前から見ると、人の顔のように見えて何だかかわいらしい。

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三輪車の次は、二輪車にいってみよう。
『ローマの休日』(1953年)の頃から既に有名なイタリアのスクーター。

スクーター




狭い路地をするすると通り抜けるのにはもってこいのスクーター(バイク)は、南イタリアでもたくさん走っている。
カプリ島などにも、レンタ・スクーターの看板が見えた。
これも『ローマの休日』以来の「伝統」か、二人乗りをしている人が多かった。

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(シチリアの警察の制服は黒だったが、本土では青だったような・・・)

上の写真は、パレルモ(シチリア島の最大都市)の光景だが、ノーヘルメットのバイカーに目をとめることなく楽しそうに談笑しているオートバイ警察隊。
警官隊と言えば、こんな写真も撮った。

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BMWのバイクで颯爽と現れた警官二名。
向かって右は、女性警官である。
二人はこの後、バイクの脇に立って、通りを睥睨していたが、信号無視の車に対してもサングラス越しに睨んでいるだけだった。
女性警官のホルスターに納められていた拳銃は、さすがイタリアで、ベレッタ92(伊ベレッタ社製9ミリ弾の自動拳銃で、10年ほどまえから米軍の正式採用銃となった)であった。

次は、二輪は二輪でも、「原動機無し」の自転車に行ってみよう。
イタリアの道は、敷石が多いせいか、走っている自転車の半分ぐらいは、タイヤが重厚なマウンテンバイク系だった。

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(2,3キロはありそうな頑丈な鎖で結わえ付けられている。24速(3×8)のマウンテンバイク系の自転車)

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(パレルモの子どもたちの自転車。シングルギアだが、タイヤはマウンテンバイク系)

殺人的な交通量にもかかわらず、果敢に車道を自転車で疾走する人もいる。
もちろん、歩道に余裕があれば、歩道をを走っている人もいた。

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ここで、ちょっとクイズ。
以下に、パレルモで撮影した2台の自転車の写真を貼るので、まずご覧いただきたい。
この2枚の写真の自転車だが、実は、日本の自転車と決定的に異なる点が二つある。
さて、それは何であろうか?
すぐに分かる人は、相当自転車に詳しい人かも。

[写真A]
08-05-22_17-43 IMG_0471


[写真B]
08-05-22_17-44 IMG_0474


まず、概要。
[写真A]は、なんとカゴ付ママチャリである。
欧米には、カゴ付ママチャリがないとまことしやかに言われているが、実際には、こうして少数ながら存在する。
フレームは、スカートでも乗れるようなトップチューブが下に下がっているタイプだし、ランプの位置がちょっと普通と違うけど、ちゃんと前輪ダイナモ式で、これも正しくママチャリ式。

[写真B]は、日本で言えば、まあブリヂストンにあたるメーカー、ビアンキ社のクロスバイクである。
21速(3×7)か24速(3×8)なのかは、そのときは確認したのだが忘れてしまった。
シフター(変速操作器)は、シマノ(本社は大阪府堺市)のグリップ式シフター(「リボシフト」)である。

さて、日本でもどこでも見かけそうな2台だが、共通して、日本の自転車と違うところがある。
どこでしょうか?

気を持たせて申し訳ないが、解答は、明日分のブログに回すことにしよう。

連載(既出);
春象夏記・南イタリア紀行1(イタリアの洗濯物)
春象夏記・南イタリア紀行2(イタリアの道)

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本日の走行距離:40キロ[ルイガノクロス(築地往復等)]
今月の積算走行距離:623キロ
昨年11月以降の積算走行距離:6966キロ
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2008.06.14 Sat
春象夏記・南イタリア紀行2(イタリアの道)
春象夏記・南イタリア紀行2(イタリアの道)

1789年のフランス革命の際に、蜂起した市民たちが国軍の砲列に対して、敷石を割って、それをば投石して応戦したことは有名である。
それ以来、例えば、パリ・コミューン(1871年)でも、都市の蜂起では、投石が市民の有力な応戦手段になった。
その欧州はパリ・コミューンの約100年後の、1968年6月(ほぼ明治100年に当たる)には、当時のアジアの最大都市である東京の御茶ノ水でも、学生たちがこの手段(敷石を砕いて作った投石)を用いて機動隊と戦った。
1968年の、いわゆる「カルチェラタン闘争」の模様を中央大学新聞(6月25日号)は以下のように伝えている。
「・・・学生側は竹やりと敷石をこわした投石で応戦したが、(機動隊によって)ジリジリと駿河台下に押された。・・・」。
これがため、学生紛争以後、御茶ノ水界隈では、歩道は敷石ではなくてアスファルトで固められることになったという。

DSC00834.jpg

(駿河台明大通り路上に散乱する投石・左に見える建物は今は無き明治大学記念館1968年頃の写真)

とは言え、現在の御茶ノ水駅西口を出たあたりは、今でも昔ながらの敷石が残っている。
敷石と言っても、30センチ四方の正方形の敷石ではなく、煉瓦ぐらいの大きさの御影石風の敷石である。

イタリアの都市の旧市街地の車道は、今でも、そのほとんどがこの御茶ノ水駅前のような敷石が敷きつめられている。
新市街や幹線道路は、もちろん、アスファルトであるが。

そんな敷石ないしは石畳の車道(下の写真参照)を車で走ると、とにかく乗り心地が悪い。
ゴトゴトと細かい振動が骨に伝わるようで、あれではタイヤの摩耗だって激しいに違いない。

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(ナポリ旧市街の石畳の車道。因みに、ナポリ市内のゴミ収集所はどこもこんな感じ。しかも、奥の路地のように左右びっしりと路駐の列ができている)

それに加えて、この写真のように、路駐が横行し、道の幅と付き方が数百年前と変わっていないので絶えず渋滞を引き起こしている。
路駐の原因は、パーキングの絶望的な不足と、たぶん、自動車を購入する際に日本のような車庫証明を必要としないから、駐車禁止地区にかかわらず野放図に車を路駐させてしまう。一列路駐は当たり前。場所によっては、2列あるいは3列路駐をしていて、中の車が道路に出るのはどう見ても不可能ではないかという事例も目撃した。

石畳と路駐と渋滞と信号無視と歩道に溢れるゴミ。
これが南イタリアの都市(特にナポリ)の悩ましい道路事情である。

従って、徒歩の人間様は、ゴミだらけの歩道をこそこそと歩くしかなく、しかも、青になっても車が止まってくれないので横断歩道もなかなか渡れない(しかも、横断歩道やセンターラインのペイントは殆ど消えかかっている)。

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(最右列の車はすべて路駐車・石畳の車道・そして渋滞。ナポリ)

こんな状況だから、自転車はとても走れたものではなく、南イタリアではほとんど自転車を見かけない。イタリアは、優れた自転車部品や自転車完成車を作ることにかけては世界でも屈指(カンパニョーロ社、コルナゴ社、ビアンキ社など)なのに、この道路事情が一般的な自転車の走行を許さないのである。
もちろん、過酷な登坂コースで有名な世界的なロードバイクレース、「ジロ・デ・イタリア」では、それなりのコース選択がなされているが。

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(アスファルト路と言えども油断はできない。突然、こんな「落とし穴」が現れる。走行中の自転車がはまれば死亡事故にもつながりかねない。パレルモ)

しかし、疋田智『自転車生活の愉しみ』(朝日文庫)のヨーロッパ自転車事情に関するレポートによると、石畳の車道や道幅の狭さは、オランダやドイツの古い都市の旧市街地でも同じであるが、オランダやドイツでは、旧市街地への車の進入を事実上禁止して、歩行者と自転車だけが快適に通行できるような方策が取られているという。南イタリアの都市部の道路状況改善にも、参考になると思われる。

さて、敷石(石畳)路の話に戻ろう。
以上のような劣悪な道路事情を強調してきたが、逆に言えば、古い街路をそのまま残そうとする意志の表れとも考えられる。
実に、この敷石道路は、古代ローマ以来の大伝統なのである。

古代ローマ人は、アルプス以北のガリア(現西ヨーロッパに相当)の地を征服するや、道路と劇場と浴場を拵えた。彼らが模範にした先輩のギリシア人に較べて、特に道路の建設には目を見張るものがあったという。彼らが作った道路というのが、この敷石路だったのである。

そのことは、紀元79年にベスビオ火山の噴火によって壊滅凍結されたポンペイの街路からも十分にうかがえる。とにかく、車道(と言っても馬車が通るのだが)は、ことごとく敷石が敷かれている。因みに、歩道は、江戸時代の街道と同様、土を固めた路面か、例は少なかったがタイル張りである。

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(車道には大きな石の敷石が敷かれている。歩道より20センチ程度低くなっているのは、車道が同時に下水路の役割をはたしていたため。水かさが多いときに道路を渡るための飛び石も見える)

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(写真ではよく分からないが、歩道の所々がタイル敷きになっている)

道路を敷設するということは、即ち、敷石路を作ることであり、これは日本の場合と大違いである。
無論、日本にも敷石路はあったのだが、それは城や神社仏閣などの限られた例だけで、有名な五街道と言えども、その殆どは土を固めた程度の道が多かった。

この理由は案外明白で、日本には馬車がなかったからである。
不思議なことだが、馬はたくさんいても、馬車が日本に現れるのは明治時代以降で、それも、欧米からの輸入である。
しかし、明治以降、馬車が普及し出すと、東京の街にも敷石道路ができはじめた(現在ではアスファルトに作り直されてしまいあまり残っていないが)。

この日本の例からも分かるように、敷石路というのは、「車両」通行のために発達した形式の道路である。
どうして車両が通行するために敷石路が必要かと言えば、それは、轍ができることによる路面の損壊を食い止めることではなかったか。
事実、ポンペイの街路の敷石の上にさえ、くっきりと馬車の轍が刻まれていた。
もし、土の道を頻繁に馬車が往来すれば、あっという間に深々と轍が刻まれてしまい、年がら年中、路面の補修作業をし続けなければならなくなるであろう。

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(多分に観光客向けだが、今でもパレルモの目抜き通りを走る馬車・アスファルト路)

こうして車両専用路として発達してきた石畳の道は、ナポリだけではなく、全ヨーロッパに普及することになったわけである。

しかし、ナポリに限らず、ヨーロッパの古都の旧市街地区は、今でも教会を初めとする歴史遺産的な建築物がひしめき合い、事実上、道路の拡幅工事が不可能な上に、古い教会の前広場がアスファルトでは美観を損ねてしまうだろうから、ある程度の渋滞や路駐(駐車場を作るスペースもない)には、目をつぶらなければならないという現実もあるかもしれない。

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(広場も石畳である)

イタリアのの道については、まだ書きたいことがあるが、次は項目を改めて「自転車」に焦点を当てつつ報告してみたい。

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(教会前広場に止められていた自転車。外装5速で、シフターは昔ながらのダウンチューブ装着式)

連載(既出);
春象夏記・南イタリア紀行1(イタリアの洗濯物)


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本日の走行距離:3キロ[ママチャリ変速なし(近所買い物等)]
今月の積算走行距離:583キロ
昨年11月以降の積算走行距離:6926キロ
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2008.06.13 Fri
春象夏記・南イタリア紀行1(イタリアの洗濯物)
5時起床。
快晴。

春象夏記・南イタリア紀行1(イタリアの洗濯物)

南イタリアの旅に行って、非常に印象的だったのは洗濯物の干し方。
狭い路地などでは、建物と建物の間に洗濯ヒモを渡して、そこにシャツやらジーパンやらが万国旗よろしく干されている。
そんな光景を写真などで見たことのある人も多いと思う。

今回、それをつぶさに観察して、どういう仕掛けになっているか分かって感心した。
あの洗濯ヒモは、厳密に言うと(いや、厳密に言わなくてもそうなのであるが)、ループ状になっていて、両端に滑車が付いており、ヒモをたぐり寄せたりすることができる構造なのである。
以前から、あの洗濯物ヒモの中央部にシャツなど干すにはどうしたらいいのか不思議に思っていたので、これで長年の謎が解けたわけである。

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(遠景に洗濯物あり)

それにしても、どうして通りを渡すようにしてヒモを張るのか。
その理由は簡単で、狭い路地のアパートには、洗濯物を干すような広いスペースのベランダがないからである。

それでは、十分広いベランダのある家屋ではどうかというと、さすがに洗濯ヒモを道路に渡してあるような家は少ないが、日本と違うのは、必ず洗濯ヒモを使っていて、決して物干し竿を使わないという点である。
物干し竿がない?そんな馬鹿な!と思いつつ、バスの車窓から、そして街を歩くときも、とにかくベランダの洗濯物が気になって仕方なかった。
まあ、だいたい千軒ぐらいの家のベランダや庭先を見たと思うけど、結局、物干し竿は一本も目撃することはできなかったのだ!

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(ベランダに干している例・見えにくいがこれも洗濯ヒモを使っている)

洗濯ヒモは、もちろん、日本にもある。
現に、私が東京に出てきた時に住んでいた4畳半のアパートでは、ビニール製の洗濯ヒモを使っていた。
今でも、100円ショップやホームセンターで売られている。
しかし、私が学生時代洗濯ヒモを使っていたのは、物干し竿よりも安かったし、物干し竿をかける場所がなかったりしたからで、物干し竿を使えるような生活に、当時は憧れていたものである。

イタリア旅行中、一緒に旅をした人たち(もちろん日本人)にも、その疑問をぶつけてみたが、みんな、「そうね、なんでなんだろうね、物干し竿使えばいいのに」と首をかしげるばかり。
思い切って、バスの運ちゃんのロベルト(シチリア出身)にWhy don't you Itarian people hang the washing on some bars?(どうして物干し竿に干さないのか?・この通り言ったかどうかは覚えていない)と聞いてみたが、私の英語が不十分だったのか、あるいは、質問の意味が不明だったのか、肩をすくめるだけだった。

そして、つい最近、その謎の一端が解けたような気がしたのだ。

銚子からの帰り道、佐倉のあたりを走っているとき、非常に立派な竹林が風にそよいでサワサワと涼しげな音を立てていた。
それを見て、そうか、竹だよ、イタリアには竹がないからじゃないかなと閃いた。

実は、イタリア旅行中、イタリアに竹がないことが途中から気になりだしていた。
南イタリアで、一番多い樹は、何と言ってもオリーブ、その後の順番は分からないが、レモン、オレンジ、アーモンド、松、糸杉、棕櫚、イチジク、結構多くてびっくりしたのが外来種のビワ(中国南西部原産)、ゴム(中南米原産?)の樹、そうそう、梅(中国原産)も見つけた。
ところが、南九州ぐらい温暖な地なのに、竹がないのである。

オリーブ(カプリ島)
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レモン(シチリア)
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アーモンド(シチリア)
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ビワ(ポンペイ)・背後にあるのは赤松
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ゴム(ポンペイ)
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梅(シチリア)
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オレンジ(シチリア)
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竹は、日本列島では、青森ぐらいが北限で、それ以南ならどこにでもある見慣れた存在であるが、南イタリアにはそれがない。
その理由は、ずばり、降水量の少なさだと思う(あるいは、表土の薄さ)。

たぶん、物干し竿には持ってこいの、軽量強靱で加工しやすい竹が簡単に手に入ってこそ、物干し竿文化が成立しうるのだと思う。
もちろん、現在では、竹製ではなく、スチール製の物干し竿が多くなってきているかもしれないけれど、それはあくまでも、竹の代替物として使っているわけで、竹の物干し竿なくしては成立しようもないものだったはずである(因みに、竹はイネ科の植物である)。

物干し竿が成立すればこそ、副産物として、そこに架ける洗濯ばさみの付いた干し器も発達する。
イタリアでは、この洗濯ばさみの付いた干し器も見かけなかった。

以上は、私の推論である。
この推論が正しければ、物干し竿文化は竹文化圏にこそ成立しうることになるが、さあ、果たしてどうだろうか。

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(日本の竹林・茨城県牛久で撮影)

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今月の積算走行距離:580キロ
昨年11月以降の積算走行距離:6923キロ
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