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断腸亭日録~自転車日記
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2014.12.21 Sun
『鹿島紀行』で芭蕉が辿ったルートについて
『鹿島紀行』で芭蕉が辿ったルートについて

貞享四(1687)年の秋、松尾芭蕉は、門人曽良(そら)と宗波(そは)を伴って、鹿島の月を見るために、深川の芭蕉庵を旅立った。
それをまとめた小さな本が、『鹿島紀行』(寛政2(1690)年)として、今日に伝わっている。

文庫本でも、たった6頁の小品であるので、夕べ、枕元で読んだ。
芭蕉が鹿島まで辿ったルートが鮮やかに思い起こされた。

そのルートはほぼ、こんなものだったに違いない。



『鹿島紀行』を読み終えて眠りにつく。
するとさっそく、利根川サイクリングロードのような所を自転車で走っている夢を見た。
芭蕉の一行を私は自転車で追い抜く。
だが、しばらく走ると、また、芭蕉が前にいる。
何回追い抜いても、芭蕉は私の前に現れたのであった・・・。

芭蕉が辿ったルートは、『鹿島紀行』の中に大雑把に書き込まれている。

「ふねにのりて、行德(ぎやうとく)といふところにいたる」。

深川(東京都江東区)の庵から芭蕉たちは船に乗る。
小名木川から旧中川を経由して(当時は、もちろん、荒川は存在しない)、新川に入り、江戸川に出る。
江戸川をやや遡って、行徳(千葉県市川市)に上陸。

行徳に上陸した芭蕉は、徒歩(かち)で、八幡(千葉県市川市)に出る(県道6号線)。
八幡からは、千葉街道(現国道14号線)を東進して、現在の鬼越2丁目の所から左折して木下街道(県道59号線)を北東進。
「ひろき野」と芭蕉が表現している「かまがい(=鎌ヶ谷)の原」まで来ると、前方に筑波の山が見えてきたと書いている。

そして、日没の頃、利根川舟運の拠点たる布佐(ふさ・千葉県我孫子市)にようやく到着。

一行は、布佐で一泊する。
布佐では、網代(あじろ)という鮭漁の仕掛けを目撃したと書いている。
鮭漁をする漁師の家に泊めてもらうことになるが、「よるのやどなまぐさし」とある。

布佐まで芭蕉が辿ったルートは、当時としては、江戸から鹿島神宮参りをする者の定番である。
木下街道は、江戸期には、銚子の海産物を行徳に運ぶための道であったと同時に、別名「かしま道」と言われたほどである。

「月くまなくはれけるまゝに、夜舟(よぶね)さしくだしてかしまにいたる」。

夜が明ける前に船に乗って布佐を出発。
月が煌々と川面を照らす、気持ちの良い利根川下りである。

こうして、芭蕉を乗せた船は、利根川を下って、常陸利根川を経て、北浦に入ったに違いない。

やうやく鹿島(茨城県鹿嶋市)に到着した芭蕉だが、その日は、残念なことに、「ひるよりあめしきりにふりて、月見るべくもあらず」。
仕方なく、鹿島の根本寺に一泊する。

すると、明け方になって、雲間から仲秋の月がぽっかりと姿を現した。
しかしながら、晴れたり降ったりという天気だったらしい。
「月のひかり、雨の音、たゞあはれなるけしきのみむねにみちて、いふべきことの葉もなし」とその感動を綴っている。

月はやし梢は雨を持(もち)ながら(芭蕉)

ここで、『鹿島紀行』は終わっており、帰路のことについは触れていない。

さて、この芭蕉の鹿島までのルートを自転車で走ってみたいという酔狂が起き上がってこないでもないが、木下街道(県道59号線)が自転車にとって地獄道であることを思うとやはり躊躇してしまう。

また、ご馳走を食べるためなら鹿島まで走ってもよいが、ただ月を見るためというのは、ちょっとご勘弁願いたい。
そういう私だからこそ、永遠に芭蕉を「追い抜く」ことができないのも道理なのである。

参考;
松尾芭蕉『鹿島紀行』全文

 らく(洛)の貞室(ていしつ)、須磨のうらの月見にゆきて、「松陰(まつかげ)や月は三五(さんご)や中納言」といひけむ、狂夫(きやうふ)のむかしもなつかしきまゝに、このあきかしまの山の月見んと、おもひたつ事あり。ともなふ人ふたり、浪客(らうかく)の士ひとり、ひとりは水雲(すゐうん)の僧。僧はからすのごとくなる墨のころもに、三衣(さんえ)の袋をえりにうちかけ、出山(しゆつざん)の尊像をづしにあがめ入(いれ)テうしろに背負(せおひ)、柱杖(ちゆうぢやう)ひきならして、無門(むもん)の関(くわん)もさは(障)るものなく、あめつちに独歩していでぬ。いまひとりは僧にもあらず、俗にもあらず、鳥鼠(てうそ)の間(かん)に名をかうぶりの、とりなきしまにもわたりぬべく、門(かど)よりふねにのりて、行德(ぎやうとく)といふところにいたる。ふねをあがれば、馬にものらず、ほそはぎのちからをためさんと、かちよりぞゆく。
 
 甲斐のくによりある人の得させたる、檜もてつくれる笠を、をのをのいたゞきよそひて、やはたといふ里をすぐれば、かまがいの原といふ所、ひろき野あり。秦甸(しんでん)の一千里とかや、めもはるかにみわたさるゝ。つくば山(やま)むかふに高く、二峯ならびたてり。かのもろこしに双劔(さうけん)のみねありときこえしは、廬山の一隅也。
  ゆきは不レ申先(まづ)むらさきのつくばかな
  
と詠(ながめ)しは、我(わが)門人嵐雪が句也。すべてこの山は、やまとたけの尊の言葉をつたえ<へ>て、連歌する人のはじめにも名付(なづけ)たり。和歌なくばあるべからず、句なくばすぐべからず。まことに愛すべき山のすがたなりけらし。

 萩は錦を地にしけらんやうにて、ためなかが長櫃(ながびつ)に折入(をりいれ)て、みやこのつとにもたせけるも、風流にくからず。きちかう・をみなへし・かるかや・尾花みだれあひて、さをしかのつまこひわたる、いとあはれ也。野の駒、ところえがほにむれありく、またあはれなり。
 
 日既に暮(くれ)かゝるほどに、利根川のほとり、ふさといふ所につく。此(この)川にて鮭の網代(あじろ)といふものをたくみて、武江(ぶかう)の市(いち)にひさぐもの有(あり)。よひのほど、其(その)漁家(ぎよか)に入(いり)てやすらふ。よるのやどなまぐさし。月くまなくはれけるまゝに、夜舟(よぶね)さしくだしてかしまにいたる。
 
 ひるよりあめしきりにふりて、月見るべくもあらず。ふもとに根本寺(こんぽんじ)のさきの和尚、今は世をのがれて、此(この)所におはしけるといふを聞(きゝ)て、尋入(たづねいり)てふしぬ。すこぶる人をして深省(しんせい)を發せしむと吟じけむ、しばらく清淨の心をうるににたり。あかつきのそらいさゝかはれけるを、和尚起し驚シ侍れば、人々起出(おきいで)ぬ。月のひかり、雨の音、たゞあはれなるけしきのみむねにみちて、いふべきことの葉もなし。はるばると月みにきたるかひなきこそほゐ<い>なきわざなれ。かの何がしの女すら、郭公(ほとゝぎす)の歌得(え)よまでかへりわづらひしも、我(わが)ためにはよき荷擔(かたん)の人ならむかし。

                     和 尚
  お<を>りおりにかはらぬ空の月かげも
    ちゞのながめは雲のまにまに

  月はやし梢は雨を持(もち)ながら     桃 靑(=芭蕉)
  寺に寐てまこと顔なる月見哉       同
  雨に寝て竹起(おき)かへるつきみかな  ソ ラ
  月さびし堂の軒端(のきば)の雨しづく  宗 波
   神 前
  此(この)松の実ばへ<え>せし代や神の秋  桃 靑 
  むぐはゞや石のおましの苔の露  宗 は
  膝折ルやかしこまり鳴(なく)鹿の聲   ソ ラ
   田 家
  かりかけし田づらのつる(鶴)や里の秋  桃 靑
  夜田かり(刈)に我やとはれん里の月   宗 波
  賤(しづ)の子やいねすりかけて月をみる  桃 靑
  いもの葉や月待(まつ)里の燒(やけ)ばたけ タウセイ
   野
  もゝひきや一花摺(ひとはなずり)の萩ごろも ソ ラ
  はなの秋草に喰(くひ)あく野馬哉  同
  萩原や一(ひと)よはやどせ山のいぬ  桃 靑
   歸路自準(じじゆん)に宿(しゆく)ス
   塒(ねぐら)せよわらほす宿の友すゞめ   主 人
   あきをこめたるくねの指杉(さしすぎ)    客
  月見んと汐引(しほひき)のぼる船とめて  ソ ラ

   貞享丁卯(ていばう)仲秋末五日



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Comment
芭蕉紀行 Posted by kincyan
このルートは、嵐山光三郎氏の「芭蕉紀行」読み、気になって走ってみたことがあります。その時は鹿島神宮まで行き、南の風に乗って霞ヶ浦の東を通り石岡まで行きました。昼飯は佐原でカツ丼を食べました。句を読んだ根本寺を見つけるのが大変だったのを覚えています。
2014.12.22 Mon 23:38 URL [ Edit ]
両神社を結ぶ道 Posted by 断腸亭
均ちゃん、ご返事、遅くなりました。

さすが均ちゃん、このルートを走行済みですね。
ただ、県道59号は、あまり走りたくない道路ですね。
でも、鹿島神宮には行ってみたいと思います。

鹿島神宮は、銚子から近かったので、中学生の頃、自転車で行ったことがありますが、当時は神社そのものには関心がありませんでした。

香取神宮と鹿島神宮は、兄弟神社でもあるので、両者をつなぐ古道があったはずだと思います。
といっても、ほとんど航路だったでしょうが。
それを自転車で辿ってみたいと思います。
2014.12.25 Thu 05:55 URL [ Edit ]

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