日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2014.10.19 Sun
10月12日(日)房総往還~旧道をゆく調査隊
10月12日(日)房総往還~旧道をゆく

輪友Bさん(鎌ヶ谷)の掛け声で、「房総往還」の旧道を木更津から勝山まで、自転車で南進してみようというサイクリング企画に参加した。

どうして「旧道」なのか。
それは自明である。

砂を噛むような現代の幹線道路を、それが高速で走れるという理由だけで走るのは、さすがにご勘弁願いたい。
そういうサイクリングは、面白くもないし、ただただ忍耐力を鍛えるためだけにノルマをこなしているような情けない気分になるからである・・・。

さて、千葉県の人でもあまり聞き慣れないであろう「房総往還」というのは、その名の通り、下総・上総と房州(いずれも千葉県の旧行政区名)を南北に結ぶ街道である。
市川~八幡~中山~船橋~幕張~千葉~蘇我~浜野~五井~木更津~富津~佐貫~金谷~勝山~岩井~館山。

道筋は、時代によって異なるが、簡単に言えば、千葉県の湾岸沿いを南北に通っている街道のこと。
現在では、いずれ無粋な道ながら、国道14号・国道16号・国道127号がその跡目を継いでいるとも言えよう。

この道の歴史は古く、市川(下総国府)と五井(上総国府)を結ぶ古代街道の存在が分かっている。
この下総街道(千葉街道)こそは、当時の「東海道」でもあったことは、これまでにも何回も書いてきたので、ここでは繰り返すまい・・・。

6時前に家を出発。
総武線市川駅まで自走して、7時前の列車で輪行。
千葉駅で内房線に乗り換えて、木更津駅で下車(8時過ぎ)。

■市川 4番線発
|  総武線快速(千葉行) 23.8km
|  06:52-07:13[21分]
|  972円
◇千葉 9番線着・4番線発 [14分待ち]
|  内房線(君津行) 35.1km
|  07:27-08:08[41分]
|   ↓
■木更津

木更津駅で下車して、自転車を組み立てるや、何と後輪がパンクしていることが判明。
思えば、市川駅まで来る途中で、割れたガラス片が散乱する一帯に遭遇して、避けきれずにその上を通ってしまったのが原因かもしれない。

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(駅到着早々、パンク修理をする私・松戸のグフさん撮影)

出発早々、皆さんに迷惑をかけてしまった。
・・・という割には、パンク修理後も、腹が減ったので、私一人だけが、駅前の立ち食い蕎麦(結構ウマかった)を食って、さらにメンバーをお待たせしてしまう。
ゴメンしてけれ~(なぜか東北弁)。

こうして、予定より30分ほど遅く出発。
内訳は、ロード3(クロモリ2+カーボン1)、小径車2の総勢5名。

先ずは、今回の実走ルートを示しておこう。


(房州往還・木更津→勝山)

現国道を我慢して走らなければならない区間もあるが、旧道に入るとうっとりするような里山道。
とはいえ、これこそがかつては、歴とした「(明治)国道」だったのである。

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(国道127号線とほぼ平行して走る旧道)

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(旧道筋に架かっている明治期建造の橋。現在は、少なくとも自転車では通行不能)

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(旧道筋の柿の樹はたわわに実が成っていた)

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(この道が、古い街道であることを示す、江戸期の馬頭観音の石碑・右)

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(長閑な田舎道だが、ここはもしかしたら、江戸期以来の房総往還だった所。農作業中のお婆さんの話によると、昔は「殿様」の行列が通ったというから、参勤交代の道筋だったのかもしれない)

圧巻だったのは随所にある見上げるような切り通し。
そして、明治から昭和中期までに築かれた隧道(トンネル)。
たとえば、小山野隧道(1936年)(地図)。

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(小山野隧道)

その先には、帝国海軍の地下要塞が築かれた丘陵を、まるで、巨大な鉈(なた)で両断したかのような壮大な切り通しが現れる(地図)。
両側に聳える切り立った崖の間を通る際は、そこはかとない圧迫感を覚えるほどである。
これを見れば、さしもの鎌倉の切り通しも、青ざめるに違いない。

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(切り通し)

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(切り通しのある一帯の地下には、縦横に掘られた海軍の地下要塞が眠っているが、その入り口は封鎖されている)

その後、国道127号から県道256号へ。
新舞子海水浴場から上総湊の崖上の旧道へ。
「住吉神社」脇を通る道が、これがまた面白かった(地図)。

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(「住吉神社」の脇に掘削された切り通し)

せいぜい高さ3メートルぐらいの小山に穿たれたこの切り通しは、たぶん、明治中期以降のもので、現在でも、正式な道として、軽自動車ぐらいなら難なく通ることができる。

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(切り通しを抜けた先の道)

しかし、さらに面白いのは、その横のやや高いところに、もっと昔に穿たれたと思える1メートルぐらいの切り通しがあって、これはもしかしたら、江戸期か明治初期以前のものと思われる。

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(もっと古い時代の小さな切り通し)

既に廃道と化しているが、その古い方の切り通しにつながる道の痕跡らしきものも発見した。

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(廃道となった古道跡)

そして、その小さな切り通しの傍らに、海を遥けく望むことのできる「住吉神社」(創建年代は不明なるもかなり古いお社だと見た)が鎮座する。
巨岩を御神体にしたその神社は、浦賀水道の海原を見晴らかすそうに建造されている。
海の向こうから何ものかが到来するのを持ち受けているかのようである。

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(住吉神社」)

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(住吉神社の御神体たる巨岩)

常々思うことだが、道といい、町並みといい、昔のそれは、現代のものに較べて、はるかに美しく風格がある。
旧道を辿って、各地を自転車で走っていると、世に言う「進歩」とは何なのか考えさせられることが多い。
近代以降の道や町並みは、私に言わせれば、長足なる「退歩」だとしか思えない・・・。

国道127号に出て、昼飯とする。
国道沿いの人気ラーメン屋「鈴屋」へ。
http://tabelog.com/chiba/A1206/A120603/12005369/

幸運なことに、大人気店ながら、ほとんど並ばずに入店。
ワイルドな醤油味のチャーシュー麺(850円)を食べる。
分厚いチャーシューと醤油っぽいスープが特徴。
食いで十分だが、ちょっとくどい気がした。

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(「鈴屋」の店内・メニューあり)

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(チャーシュー麺・850円)

国道127号をやや南進して、旧道筋にある「梅の屋」を通り過ぎてしばらく行った所を左に入る。
すると、内房線の線路にぶつかって、道は消滅するが、自転車を担いで線路を越えると、その向こうに未舗装路の細道(旧道)が続く(写真地図)。

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(内房線の線路を自転車を担いで越えると、未舗装路の旧道が続く)

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(その途中には、こんな穴があった。たぶん、防空壕だと思われるが、普段から、「穴があったら入りたい」と言っていたBさんは、皆の制止を振り切って入り込んでしまった)

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(その道の先には、舗装された急坂が見えてくる)

自転車を押しながら進むと、舗装路の急坂が現れる。
そして、その短い坂を登り切ると、誰しもが感嘆の声を上げることになる。
手彫りの丸トンネル(北側)と、切り通し風な矩形のトンネル(西側)が、それこそ、忽然と出現する感じである(地図)。

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(丸トンネル)

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(矩形のトンネル)

これら二つのトンネルが出会うあたりは、3辻が交わる平場になっている。

北側の丸トンネルを通って反対側に出ると、現・国道127号線(城山隧道付近)が見える。
国道から50メートルぐらいのアプローチを通れば、直接にこの丸トンネルに入ることができる。
丸トンネルの国道側の入り口には、「灯籠坂大師入口」という古めかしいが立派な石標(昭和21年)が立っている。

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(丸トンネルの国道側の「灯籠坂大師入口」の石標)

「灯籠坂大師」については後で触れるが、われわれが通ってきたルート以外に、現・国道127号線側にも、もう一本の旧道が存在したことになりそうだが、その真偽や時代については不明。

さて、西側の矩形のトンネルだが、これが実に不思議な形状をしていて、切り通しと隧道(トンネル)の中間タイプとでも言おうか。
入口から離れて見ると狭いように見えるが、入って行ってみると、結構大きな空間が広がっている(道幅4M・高さ8Mぐらいか)。

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(矩形のトンネル正面)

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(矩形のトンネル正面)

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(矩形のトンネル内部)

バームクーヘンのように地層が鮮明な横縞をなすそのトンネルを抜けると、「灯籠坂大師」の登り口に出る。

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(矩形のトンネルの反対側に抜ける・Bさん撮影)

「灯籠坂大師」。
大師という名が付く以上、弘法大師が開いたことになるのだろうか。
とすれば、かなり古いことになるが、詳細は不明。

矩形のトンネルを抜けると、見上げるような細い石段がある。
せっかくなので、自転車を停めて、お参りをすることにしよう。

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(大師への石段を登る一行)

灯籠の並ぶコンクリートの石段を登り切ると、大師の本堂が現れる。
ここからの景色はなかなかなものである。

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(灯籠坂大師・見晴らしが良い)

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(海の方へと下っていく沢の景色)

しかしながら、この本堂の上にさらに岩盤を穿って作った石段がついており、山の上の方まで行けるようになっていることが分かったので、登ってみることにした。

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(さらに上に登る石段)

この石段少し登ると、小さな切り通しがぽっかりと口を開いているではないか。

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(小さな切り通し)

その切り通しを抜けると山肌に岨道(そばみち)が続いていた。
かなり藪が迫っている所もあるものの、これは明らかに、いつの頃か、人工的に造営された道である。
しかも、所々に、江戸以前のものとみられる石像などが安置されている。
なるほど、この道こそ、先ほど抜けてきた切り通しトンネルが掘削される以前の古い峠道にちがいない。

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(切り通しを抜けると、さらにその先に道がついていた)

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(山の中の古道)

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(山の中の古道)

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(古道の路傍に安置されていた古い石像)

ということは、どうも、このたかだか標高60メートルほどの丘陵には、少なくとも、歴史的には4つの街道が存在したことが推測できる。

1.一番古いのは、線路を跨ぐ道から、まだ手掘りトンネルができる以前だったので、「灯籠坂大師」の峠越えのルート(江戸時代以前)
2.われわれが線路を跨いで進んだ道から矩形トンネルを抜けるルート(たぶん、明治中期頃か)。
3.現国道127号線とほぼ同じ道筋を取りながら、山の手前で丸トンネルと矩形トンネルを抜けるルート(内房線の上総湊駅 - 浜金谷駅間が開通したのが大正5年であったことなどから大まかに推測するに、明治末期から大正期か)。
4.そして、一番新しい現国道127号線(昭和)。因みに、この国道の一部たる城山隧道(富津市竹岡)の竣工は戦時中の昭和18年。

こう考えると、矩形トンネルの方が、丸トンネルよりも古いことになるが、その矩形トンネルも、最初は小さなものだったのが時代を経るに連れて、馬車やクルマが通れるように、上下左右に掘り増ししたようである。
因みに、3のルートは、現在でも軽自動車ぐらいなら通行可能である。

さて、その後、国道127号線を南進して(所々、短い旧道を辿る)、明鐘岬へ。
明鐘岬については、前稿に詳述したので、ご参照のこと。
http://danchotei.blog75.fc2.com/blog-entry-794.html

ただ、明鐘岬へ行く途中も、旧道探索を怠ったわけではなく、旧道と思われる枝道にも挑んでみたが、もはや廃道になっていて、自転車ではとても進めない場所に突き当たって諦めて国道に引き返したりもした。

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(廃道を探索)

お陰で、こんな素晴らしい場所を見つけることができた(地図)。

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そうこうして、明鐘岬に辿り着いたわれわれだが、今回は、たぶん、明治中期以降の旧道と思われる藪道の「踏破」に挑戦してみることにした(クルマでこの場所に向かっているはずの、越谷のネバさんの姿は見えず)。

Bさんが、先ず、その藪道に決死の斥候に出る(地図)。

「どんな具合ですか?」と私。
「行けます!」とBさん。
「・・・じゃあ、行きましょう」と私。
他のメンバー、無言。

せっかくなので、とにかく行ってみることにした。
藪は背丈を越え、自転車を「押し」ながら進むことすらできなかったので、自転車を持ち上げながら進んだ。

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(藪道と化した旧道入口・左に見える絶壁は鋸山の突端)

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(藪道と化した旧道をこんな感じで進む1)

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(藪道と化した旧道をこんな感じで進む2)

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(前途に呆然として佇む船橋の居間さん)

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(振り返れば、松戸のグフさんの笑顔)

こんな感じで、30メーターほど進んだところで、先導のBさんから「ダメだこりゃ」との一声。
仕方なく、われわれは退却することにした。

Bさんによると、藪が深すぎるばかりではなく、巨岩が道を塞いでいて、とても進めるものではないという。
おそらく、その巨岩は、2011年3月の大地震で、鋸山の絶壁から崩れ落ちたものであろう。
一つの道の「盛衰」を見る思いであった。
われわれは、この素晴らしい企図を、泣く泣く(或いは、喜んで)断念することにした。

こうして、われわれは、国道127号線と浜金谷や保田の浜道をさらに南下したのだが、その途中、気になるところがあってペダルを止める。

前稿で、広重が描いた江戸期の「街道」だと思われる場所を遠くから眺めることができた。

富士三十六景 房州保田海岸
(広重が江戸後期に描いた絵)

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(その絵の場所だと思われる岩場)

そして、当初の目的地である安房勝山に到着したのだが、旅の〆に、「大黒山」(通称、勝山城跡)に登ろうとBさんが提案。
一同は、しぶしぶ喜んで賛成。

「大黒山」は、標高約100メートルで、源頼朝伝説などもあるが、詳細は不明。
麓に自転車を置いて、みんなでえっちらおっちら登る。
苦労して登った甲斐あって、かなりの絶景である。

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(今日は階段上りが多いな・・・)

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(さらに、頂上の天守閣風な展望台に登る)

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(そこからの眺め)

こうして、われわれは、サイクリングを終了して、夕飯を食べるべく、店を探して、勝山の町を走り回る。
魚屋のオヤジなどにも聞いてみるが、時間が早すぎて、どこもまだ開店していない。

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(勝山の魚屋に「聞き込み」をするBさん)

結局、勝山は諦めて、保田まで道を戻る(保田の抜け道でやっとネバさんと邂逅)。
保田駅近くに、おあつらえ向きの寿司屋を発見してそこに入店。
しっかりと、夕食(&反省会)を楽しむ(Bさんのカメラ紛失事件などあったが、即、解決)。
地魚がうまい店で、一同、大満足。

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(カワハギの肝合え。絶品)

店から駅までは50メートルぐらい。
駅前で自転車をバラして輪行。

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(夕闇の保田駅)

鉄道に乗り込むや、私は疲れ果てて爆睡。
その様子を、江東区のイワさんが撮影していた。

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(車中で爆睡中の私・イワさん撮影)

市川駅で降りて、自走で帰宅。
とても疲れたが、これまででも屈指の素晴らしいサイクリングだった。

・Bさん(鎌ヶ谷)のこの日のブログもご参照。
http://blog.livedoor.jp/kyf01405/archives/41336262.html
・nebanebaさん(越谷)のこの日のブログもご参照。
http://nebanebawh.blog75.fc2.com/blog-entry-1728.html

走行距離:74キロ(VIVALOロード)

テーマ:千葉県 - ジャンル:地域情報
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Comment
Posted by B
昨日、ジャズさんを案内してあの不思議なトンネルの奥の灯篭坂大師へ登って来ました。 上る前に、古老(おばあさん)が輪飾りをお大師様に上げるとかで大師の坂の下で一息いれてましたので、お話を少ししました。 やはり、大師の奥の切通しが明治以前の古道のようですね。 また、古老の話とは違いますが、切通しの奥の山道に安置されている石仏や石像、一体は、〇〇〇霊位とあるので墓石? で、これを建立した人の事か、向かって右の側面に武州秩父〇と有りました。 ここで行き倒れの縁者が建立したものか・・・あるいは別の意図のものか。 大きな石碑が一つあり、裏にははっきりと深く彫製された文字があり、文政は分かりましたが後は不明。 つまり、知識なく読めず(^^; 以上ご報告。
2014.12.29 Mon 09:56 URL [ Edit ]
ちんぷん漢文 Posted by 断腸亭
また、行かれたんですね。

そうなんです。
われわれは、どうも、古典の力量、特に漢文が満足に読めないので、昔の石碑などを見ても悔しい思いをしますね。

漱石や乃木希典の漢詩は素晴らしいと言われても、残念ながら、よく分からないです。

明治時代までは、陸軍士官候補生の試験すら、試験科目は漢文のみです。

いわゆる「国漢」という科目が、すべての学問の基本だったようです。
ぎりぎり、大正年間生まれの人までは、この伝統に浴しているようです。

ただ、「国漢」というのは、中国語とはまた別のもので、漢文ができたからと言って、中国語がしゃべれるわけではない。
漢文のテキストである四書五経などは、古代中国語なので、しゃべれても仕方がないからです。
ヨーロッパにおけるギリシャ語やラテン語の学習と似ていますね。

せめて、簡単な漢文ぐらいなら、白文で読めるようになりたいものです。

今度、同僚の古典の先生に、どうしたら読めるようになるか訊いてみることにしましょう。
2014.12.29 Mon 10:15 URL [ Edit ]

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