日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
映画の日々 | エッセイ | 思い出 | 身辺雑記 | 日録 |  | 自転車 |  | 小さな旅(自転車) | 小さな旅 | 旅(自転車) | 未分類 | 自転車文学 | 
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
断腸亭日録~自転車日記
≪2017.04  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  2017.06≫
プロフィール

higedancho

Author:higedancho
断腸亭髭爺です。
自転車関係の日記が多いです。
よろしく。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
ブロとも申請フォーム
フリーエリア
ブロとも一覧
--.--.-- --
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告    Top↑

2013.04.18 Thu
断ち切られた新学期~71年前の今日の出来事
「断ち切られた新学期~71年前の今日の出来事」

微睡みを誘うような風薫る春の日。
私は、以前から気になっていたことがあって、自転車で近所の「葛飾区教育資料館」に出かけた(ACクロス)。

水元公園のポプラ並木を自転車で走りながら、たぶん、あの日も、こんな長閑な春の一日だったことだろうと思う。
ただし、午前中までは・・・。

「あの日」というのは、ちょうど71年前の今日のことである。

1942年4月18日(土)。
東京市南葛飾郡水元村の水元国民学校、昼過ぎ。
土曜日なので半ドンである。
午前中の授業も済んで、教室の掃除も終えて、いよいよ帰宅しようという嬉しい時間帯。

新学期を迎えたばかりの校庭の桜の花も大方散ってしまい、小学生と言えども、そろそろ、夏野菜の植え付けや田植えの準備を手伝わなければならない時節。
当時の水元は、現在の印旛沼周辺の田園のような風景であっただろう。
土手道の柳には、黄緑色の新芽が芽吹いている。
木立からは鶯の素っ頓狂な囀(さえず)り。
水を入れたばかりの田圃からはカエルの長閑な鳴き声。

春の週末をどんな風に過ごそうかと思うだけで、子どもたちの胸は高鳴り、声は大きく、足は速くなった。

日本列島は、その後の地獄のような命運をいまだ知ることなく、真珠湾やマレー半島各地での連戦戦勝に沸きかえっていたことであろう・・・。

1942年4月18日(土)の未明、太平洋上の米空母ホーネットから16機のB-25(ミッチェル爆撃機)が日本列島に向けて飛び立った。
16機は、それぞれの進路をとりつつ、東京、川崎、横須賀、名古屋、神戸の各都市を攻撃して、そのまま日本海へと離脱して中国大陸に逃れるという、どう考えても無謀ともいえる作戦を決行した。
各機に積まれた燃料は片道分のみで、しかも護衛機なしという、いわば決死覚悟の作戦。
これこそが、米軍による最初の日本本土空襲であった。
この決死隊を指揮したドーリットル中佐の名をとって「ドーリットル空襲(Doolittle Raid)」と呼ばれる作戦である。
真珠湾奇襲攻撃から約4ヶ月後の出来事・・・。

B-25_on_the_deck_of_USS_Hornet_during_Doolittle_Raid.jpg
(空母で出撃を待つB-25)

「みなさん、さようなら!」という声を限りに、教室から子どもたちが駆け足で春の日溜まりに飛び出してくる。
すると突然、上空にB-25の爆音が轟き、校舎から散会したばかりの子どもたちを狙って12.7ミリ機関銃が炸裂した。

子どもたちは、茂みに逃げ込んだり、校舎に駆け込んだりした。
窓ガラスや壁を貫通して、学校の廊下にも、12.7ミリ弾15発が着弾。
そのうちの1発が、国民小学校高等科1年生(現在の中学1年生に相当)の石出巳之助君(13歳)を背後からその胴体を撃ち抜いた。
12.7ミリ機関砲は、対物兵器としてはさほどの威力を持たないが、子どもの人体に命中すれば五体がちぎれるほどの破壊力をもつ。
ほぼ、即死であった。

12.7
(石出巳之助君を射殺したB-25の12.7ミリ機関砲。コクピット前に4連。その他にも75ミリ砲も装備)

葛飾区教育資料館」(地図・入館無料)は、復元移築された水元国民学校の校舎(大正末期建造)をそのまま利用している。

NEC_0903.jpg
(復元移築された水元国民学校の校舎。ご多分に漏れず、現在の多くの校舎よりも、はるかに美しい)

NEC_0906.jpg
(原寸大の人形を用いて、昔の教室の様子を再現。これがなかなかよくできている。明治大正期ぐらいの教室風景だろうか)

この資料館に、今回、私の目的だった、石出巳之助君に関する数点の展示品もある。

NEC_0907.jpg
(石出巳之助君の遺影)

NEC_0908.jpg
(旧校舎廊下に残された弾痕と12.7ミリ弾)

葛飾区教育資料館」を出た私は、眩(まばゆ)いばかりの春の碧空を見上げた。

そうだ、せっかく(命日)なので、石出巳之助君のお墓にもお参りをしに行こうではないか。

石出巳之助君が眠っているのは、「法林寺」という寺である。
幸いにも、資料館には、水元界隈の各種地図も数多く展示されているので、すぐに場所は分かった。
小学校から自転車で5分ほどである。

法林寺」(葛飾区西水元6-14-18)。
小さな寺だが、何と天正3(1575)年創建という古刹である。
墓地には、江戸時代以来の代々の墓石も多く見ることができる。

IMG_1016_20130418164052.jpg
(「法林寺」)

しばらく墓の中を歩き回った挙げ句に、石出巳之助君の墓を見つけることができた。

IMG_1014_20130418164105.jpg
(石出巳之助君の墓。戒名「悲運銃撃善士」)

「悲運銃撃善士」という戒名には、いささか、複雑な気持ちがする。

IMG_1015_20130418164100.jpg
(命日の昭和一七年四月一八日が刻まれている)

もし、現在生きていれば、私のお袋の年齢に近い84歳ということになる。

私は、墓前でヘルメットを脱いで手を合わせる。

悲運銃撃善士さん、いや、石出巳之助君、さぞかし無念であったことでしょう。
君の死が、軍部による戦意高揚のために利用されたことも含めて、実に悲運なことだと存じます。
同じ地元の人間として、このようなことが二度と起こらないよう、心底、祈念します。

この日の米軍の急襲は、後の東京大空襲などに較べれば、非常に規模の小さなものだったのだが、数々の問題を指摘することもできる。
多数の無差別攻撃があったからである。
機銃掃射をするほどの低空飛行であった以上、相手が民間人(しかも子ども)であったことは、当然分かったはずである。
別の場所では、日本軍機だと思って手を振った小学生に対しても、B-25は機銃掃射を加えている。

規模の小さな、最初の日本本土空襲ではあったが、その後の大空襲や原爆投下、そして、ベトナム戦争における残酷な空爆(枯れ葉剤投下など)、あるいは、イラク戦争に至るまでの米軍の伝統的「お家芸」とも言える「無差別爆撃」という特徴も既に見てとることができる。
そういう意味では、その後「空飛ぶ死神」と称されることになる米軍による大量殺戮の「実践訓練」が開始された記念すべき日だったとも言える。

他方の日本軍も、まともな迎撃ができずに終わった。
情けないことに味方軍機と誤認する事例が多く、何とか迎撃に飛び立った九七式戦闘機はB-25の速度に振り切られ、配備中の高射砲はことごとく命中しなかった(日本の陸海軍兵士は、虚しくも、三八式歩兵小銃を空に向けて撃つばかりであった)。
期せずして、日本の防空体制が穴だらけであることが判明したわけだが、この点に関しては、ついに敗戦の日まで克服することができなかったのである。
因みに、この攻防について、大日本帝国大本営は、「敵9機を撃墜、我方の損害は軽微なる模様」なる嘘八百の発表で茶を濁すことで日本国民を完全に愚弄し、かつ、欺いた。

その後の展開を知っている現在のわれわれにとっては、まさに、誰にとっても「悲運」としか言いようのない一日だった。

本日の走行距離:15キロ(ACクロス)

テーマ:東京 - ジャンル:地域情報
小さな旅(自転車)    Comment(6)   Top↑

Comment
Posted by IWA
「悲運銃撃善士」とはあまりにもストレートな表現ですね。おそらく苦しむこともなく一瞬にして天国にいかれたことがせめてもの慰みでしょう。このような不幸なことを何回も経験しているのに いまだに戦争がなくなることはなく、北●●にいたっては戦争をちらつかせておどすことにより、お金をせびろうとしているわけです。
軍事兵器をビジネスにしている人々もいます。一説にはダイアナ妃は地雷絶滅に力をいれていたために 事故にみせかけて暗殺されたとも言われています。
我々はものすごく微妙なバランスの中で生きているというか 生かされているということですね。犠牲になった「悲運銃撃善士」さんも 学習能力がないと天国であきれていることでしょう。我々にできることは良識をもって悪いこといは悪いと毅然とした態度で臨むことでしょうか?
2013.04.18 Thu 18:49 URL [ Edit ]
戦争の準備 Posted by 断腸亭
IWAさん

戦争が勃発するのは突然のことのように見えますが、比較的長い準備期間がないと、実際は起こりえません。
ところが、この「準備」期間というのが曲者で、多くの場合、「平和」やら「安定」やら「危機管理」という名目で行われますが、実際には戦争をする準備をしているに過ぎません。

北朝鮮のやっていることは実に滑稽ですが、北朝鮮の核保有を非難している米国は、1万2千発の核弾頭ミサイルを保有しているのですから、まるで説得力がありませんね(しかも、米国は、過去に核兵器を使用した実績もあります)。

われわれ一市民としては、いたずらに戦意を掻き立てられることなく、また、軍拡競争に荷担することなく、たとえば、71年前に東京の辺境である水元村で起こった「小さな」出来事などを原点に考えていかなければならないと思っています。
2013.04.19 Fri 05:22 URL [ Edit ]
Posted by はるかぜ
短編小説のような書き出しに没頭しながら
泣かせてもらいました。
そして考えさせられました。

最初に浮かんだのは
先日起こったボストンでの爆破テロで犠牲になった
8歳の男の子でした。

何の怨恨もない殺戮行為。
無差別テロとは、戦争となんら変わりがない。
逆に「国」では無く
個人(小団体)的思想による事だと考えると
卑劣さは受け入れがたいもの。
憎悪の気持ちが溢れてきます。

そんな思いの中
自分自身の何ていうことのない日々の幸せに改めて「感謝」し
石出巳之助君のお墓参りをされた断腸亭さんの気持ちに
心の波風が凪ぎいている今です。

機会があれば「その場所」へご案内下さい。


2013.04.20 Sat 21:55 URL [ Edit ]
テロの連鎖 Posted by 断腸亭
はるかぜさん

ご返事、遅くなってしまい、申し訳なく。

ビンラディンが、米軍特殊部隊によって急襲暗殺されたときに、その模様を米国の閣僚たちがビデオ「観戦」をしながら祝ったということがありましたが、こんなことをしている連中がいるからテロの連鎖は断ち切れないのだと思います。
戦争やテロのような暴力行為は、どうしても、怨恨を産み出してしまいますから・・・。

「葛飾区教育資料館」は、この石出君の資料以外にも、古地図や明治以降の教科書のコレクションが見物です。
公園のすぐ近くなので、あまり時間をかけずに閲覧することもできます。
機会があれば、是非、ご案内したいです。

2013.04.25 Thu 07:01 URL [ Edit ]
Posted by 相子
先生今日は
この空襲が葛飾と言うことで私はある事実を確認出来ました。
明大に勤めていた女性の家は東京で最初の空襲で被害を受けたと言っておりました。
彼女の家は金町で、川甚の親戚です。そして天皇からお見舞い金が来たと言っておりました。
東京で最初の空襲って話しておりましたから、このことですね。有難うございました。
2013.05.02 Thu 17:26 URL [ Edit ]
下賜金 Posted by 断腸亭
相子さん

コメント、ありがとうございます。

そうですか。
当時、金町にお住まいのお知り合いがいらっしゃいましたか。

東京を空襲したB25は、鹿島棚付近から入ったので、東京の北東の端に位置する葛飾区が、東京としては、最初に空襲を受けることになったのだと思います。

下賜金が出たとは驚きました。
まだ、ある意味で「悠長」な時代だったのかもしれません。
東京大空襲の際に、全戸に下賜金を出していたら、国庫が枯渇するどころの話ではなかったでしょうから・・・。

B25の搭乗兵たちも、最初の内は、田圃ばかりでびっくりしたと思います。
2013.05.02 Thu 19:35 URL [ Edit ]

管理者にだけ表示を許可する

Top↑

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。