日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2013.04.20 Sat
4月13日「春のマツムシコーヒーでリラックスしませんか」サイクリングに参加~偉大なる淫祠としての「魂生神社」~松虫寺異聞
この2年ばかり恒例化しつつある「マツムシコーヒーでリラックスしませんか in spring」のサイクリング企画(印西市のフリーさん主催)に参加。
前回の記録を辿ると、去年の初秋に参加したことが思い出された。
あの時は、松虫寺で皆さんとお別れして、銚子に向かったのだった・・・。

集合場所の布佐駅近くのコンビニまでは、家から約35キロ。
余裕をもって、2時間半前に出発。
葛飾橋→松戸→農免農道→手賀沼。
40分前に到着。

NEC_0843.jpg
(途中の農免農道)

定刻の9時前には、総勢14名が集合。
自転車種の内訳は、ロード10、小径車2、クロス1、マウンテン1。
いずれも、下総国葛飾郡(旧行政区)からの参加者である。
到着と同時に、おにぎりやサンドイッチを食べながら、楽しい自転車談議に花が咲く。

NEC_0849.jpg
(真っ赤に統一されたバイクフライデイ。折りたたんでいるところ)

NEC_0846.jpg
(レストアされたロードマン)

NEC_0857.jpg
(ズッロのクロモリロード。別名「青い淑女」、故に「ちかんに注意!」)

14台の自転車が、長閑な田圃の畦道や、川筋の道を走る。
あちこちからカエルや鶯の鳴き声が聞こえ、燕が見事な空中旋回を演ずるのを見る。

本日の(大まかな)ルートは、布佐駅近くのコンビニ→利根川CR→将監川沿い→長門川沿い→長門川水門→大鷲神社(魂生大明神)→松虫寺(「マツムシコーヒー」)→印旛沼→佐倉ふるさと広場(可動風車とチューリップ畑)→八千代道の駅(以上、約53キロ)。

NEC_0853.jpg
(長門川)

NEC_0854.jpg
(長門川が利根川に流れ込む所)

最初に訪れたのは、大鷲神社(魂生大明神)
私にとっては、初めての場所である。

NEC_0855.jpg
大鷲神社(魂生大明神)

説明板等によれば、現在の大鷲神社本殿(木彫が素晴らしい)は、江戸後期(1831年)の建造らしいが、神社そのものの起源はよく分からない。

ただ、大鷲神社及びその周辺には、魂生神社(魂生大明神)、御嶽神社、麗峰神社、鷲の杜稲荷、聖徳太子堂などが祀られていて、まるで習俗的信仰の百貨店のような聖域で、大鷲神社そのものはこれらを代表する「看板名」のような感じがしないでもない。

大鷲(おおわし)神社という名称にしても、明治の中頃に改名されたもので、それまでは、「鷲宮(鷲賀岡神社)」と称していたという。
大鷲(=鳥)系神社なので、そもそもの祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)であろうか。
案の定、当神社では、酉(とり)の市も行われているという。

また、説明板によると、江戸初期、春日局(明智光秀の妹にして、第三代将軍家光の乳母)による「崇敬が非常に厚く、竹千代君が三代将軍となったとき、そのことを祝い、将軍の船の舳先に魔除けとして飾ってあった金の大鷲を将軍より願い受けて奉納」したのだという。

それにしても、春日局がどうして、よりによって下総の片田舎にある大鷲神社を尊崇することになったのか?
真相は不明だが、春日局が「崇敬」していたのは、看板の鷲宮ではなく、同じ敷地内にあった「魂生(コンセイ)神社」の方ではなかったか。

「魂生神社」の社には、複数の巨大な男根像を中心に大小様々な男根像が祀られていて、初めて訪れた者は、その異様に圧倒されるであろう。

NEC_0856.jpg
(魂生神社に祀られている男根像)

説明書きにはこうある。

「五穀豊穣、縁結び、子授け、安産、夫婦和合の神で、当杜の魂生神は高さ二・五メートル、周囲二・三メートルの石造りの男根が鎮座しており、日本一の大きさです。
一千年もの昔から、庶民に素朴な性信仰がおこり、男根神、女陰神に心をこめて崇拝されて来ました。
産むは生むに通じることから農家は豊作を祈願し、商家は繁栄を祈願する。
また子宝に恵まれない男女は特に灼な霊験を口づてに、多数の参拝者が全国から訪れております」。

もちろん、これは私の推測に過ぎないが、もしかして春日局は、大奥に出入りする誰かから、下総の魂生神の噂を聞き知って、自分が目をかけた家光にも世継ぎができるように、将軍職に就けるように祈願したのではなかろうか。

さて、その「魂生(コンセイ)神」であるが、物の本によると、普通は「金精」様(コンセイサマ)という字を当てられることが多いが、金勢、金清、金生、魂生、根性、根精様などとも書かれ、別称には、かなまら様、お駒様、道鏡様、しゃくじん、男石様など、地方によりさまざまな呼称をもつそうで、男根像(女陰像を伴うこともあり)をご神体として祀るのが共通点である。

関東のわれわれにとってよく知られているのは、栃木と群馬県境に存する金精(こんせい)峠の「金精神社」である。

「金精様」は、主として関東から東北地方に多数存在し、説明板では「一千年もの昔から」としているが、「金精様」の起源は、それよりもはるかに古く、たぶん、縄文中期(5千年)ぐらい前まで遡ることができるであろう。

いわゆる「石棒」と称される男根像は、縄文時代の環状列石(ストーンサークル)の中心部や峠からよく発見される。
これまでにも、大小様々な夥しい数の石棒が発掘されている(あるいは、地上に露出している)。

石棒
2メートル以上ある縄文時代の石棒。縄文時代の石棒としては最大。長野県佐久市

また、こうした男根像は、しばしば峠に存することから、地域によっては、道祖神と同一視されている例もある。

たぶん、様々な例があるだろうが、後世の人々に発見された男根像は、里人から子授けや安産の神として祀られ、また、地域によっては、新たに木製の男根像が作られたり、祠(ほこら)が設けられたのであろう。

こうした男根崇拝の祠は、すでに述べたように、関東以北から東北地方に多い。
それは、縄文遺跡が同地域に多いこととぴったりと符合する。

実は、江戸時代までは、もっと多くの男根像があちこちにあったらしいが、明治初期の「淫祠邪教を戒める法令」によって、「淫猥」であるとして、撤去されたり、破壊されてしまったものも多い(「淫祠」については、過去のこの記事をご参照)。

明治時代というのは、実に不思議な時代である。
廃刀令や断髪令や廃城令などというヒステリックな法令は、武士社会の痕跡を抹殺したいという動機からすれば、まあ、分からないでもでもない(しかし、その割には、明治以降の軍人や政治家は、一生懸命になって、自分の行為や言説を武士らしく見せかけようと腐心している・・・)。

だた、多くの民衆が長らく当たり前のこととして行ってきたことを禁止する滑稽な法令も多い。
男女混浴禁止令を出したり、刺青を禁止したり、裸で外を歩くことを禁止したり。
男女混浴も、刺青も、褌(ふんどし)いっちょうで出歩くことも、誰も淫猥だとも、恥ずかしいとも、不快だとも思っていないのに、まったくもって大きなお世話なことに、「欧米的価値観」なるものに迎合するために、これら一連の滑稽な法令を乱発した。
このことは逆に、明治政府の高官たちが、かなり「淫猥」な連中であったことを示しているようにも思える。

先祖伝来の遺物を「淫猥」だと決めつけて壊すなんて、「文化人」のすることとは到底思えない・・・。
明治「政府」の文化レベルがいかに低劣なものであったかということを示す一例ではある。

ちなみに、私はここで、男根を象った「子孫繁栄の飴」なるものを購入した・・・。

われわれは、「大鷲神社」を後にして、またしても、里山のくねくね道を行く。
文化的に非常に価値の高い物を見学すると、嬉しくなって、ペダルを漕ぐ足も軽い。

次の立ち寄り処は、古刹「松虫寺」(印西市)とそれに隣接する「マツムシコーヒー」である。

松虫寺」に来るのは、たぶんこれで5回目ぐらいだろうか。
ただ、これまでは、きちんと勉強したことがなかったので、今回こそはと思って、事前に『利根川図志』の該当箇所を読んでから現地を見学した。

NEC_0862.jpg
(「松虫寺」。正面に見えるのが仁王門。いかにも古刹の雰囲気が漂っている)

さて、その「松虫寺」であるが、江戸末期に出版された『利根川図志』には、「松虫皇女廟」について、こんな短い記述が載っている(残念なことに挿絵はなし)。

「松虫皇女廟」;
松虫寺にあり。寺門の二王端慶の作。本尊七仏薬師如来、行基僧正作。人皇四十五代聖武天帝天平年中の御建立といふ。薬師堂の後の方に松虫皇女の墳(つか)あり。その側(かたわら)に社あり。里人姫宮と称す。松虫姫は聖武天皇第三の皇女(あるいは宮女とも云伝ふ)癩を病みてここに棄てらる。自らかなしみ此薬師仏を祈りて癒ゆうことを得玉ふ。後帝都に還幸して薨じ給ふ。而して後御骨を当山に安置すといひ伝ふ。
(岩波文庫版『利根川図志』209頁)

この記述が本当だとすれば、これまた、非常に古い寺である。
東大寺の大仏建立の頃なので、8世紀中頃の創建ということになる。

しかし、もっと興味深いのは、その由来の方である。
つまりは、聖武天皇の皇女である松虫姫(不破内親王)が、癩(ハンセン)病にかかったので、都からこの地に連れてこられ捨てられた。
途方に暮れた松虫姫は、薬師如来に祈願した甲斐あって、病が治る。
松虫姫は、その後、めでたく都(たぶん、奈良)に帰って、生涯をまっとうする。
そういうわけで、この寺にその遺骨を分骨した。
現在の薬師堂の後に松虫姫の墓と社がある、というもの。

金網があってよく見えないが、この記述によれば、仁王門の金剛力士は端慶の作である。

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(仁王像・「寺門の二王端慶の作」)

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(門前の大樹)

松虫姫が治癒を願って祈願した薬師堂も健在。
ただし、現在の建物は、1718(享保3)年の建造である。

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(薬師堂)

利根川図志にあるとおり、「薬師堂の後」には、「社」と「墳(つか)」がある。

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(「社」・松虫姫神社)

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(松虫皇女之御廟・松虫姫の墓)

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(松虫皇女之御廟の石碑)

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(松虫皇女之御廟の塚。塚には、大木が根をおろしている)

さて、松虫姫の話に戻ろう。
いったい、彼女の話は、われわれに何を伝えようとしているのであろうか。

ハンセン病人だった松虫姫は、気の毒なことに、都から追放されて、遠く下総の寺に棄てられてしまう。
これは、後世になってもなお続くことになる、ハンセン病患者の「隔離」政策の初期の例かもしれない。
皇室の人間(内親王)に対してすら、この種の処置が取られていたということでもある。

しかしながら、松虫寺の薬師如来には、もしかして、かねてより評判があって、意図的にここ松虫に棄てられたのかもしれない。
そう考えるとすると、薬師如来にたいして懸命に祈りを捧げれば、松虫姫のように、病が快癒するのだという教えを含んでいることになる。

あるいは、伝染病の蔓延や政治的な緊張などのために何度も遷都を繰り返した聖武天皇の時代の不安を反映しているのかもしれない。

NEC_0859.jpg
(なお、松虫寺周辺には、史跡などを廻る散策路もある)

松虫寺見学の後は、お楽しみの「マツムシコーヒー」でランチ(私はカレーを注文したが、クラブサンドやピザも美味しそうだった)。
イギリス風庭園の中にあるこの店のことは、以前にも書いたことがあるので、ここでは割愛する。

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(イギリス風庭園の中にある「マツムシコーヒー」)

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(「マツムシコーヒー」)

その後、印旛沼CR(「山田休憩所」で休憩)を走って、「佐倉ふるさと広場」に向かう。
ちょうどチューリップ祭りの開催中にて、広々とした野に一面、チューリップが咲き誇っていた。
なお、ここの風車は、ダミーではなく、折からの強風に、勢いよくクルクルと回っていた。
どうせなら、これで発電もすればよいのにと思った。

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(広大なチューリップ畑と可動風車)

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(露店も多数出展。たくさんの人が来ていた)

こうして、八千代の道の駅まで走って解散。

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(ちょっと腹が減ったので、八千代の道の駅で焼き牡蠣を食べる)

帰路は、船橋のemoさんの先導で、市川組のお二人と一緒に走った。
emoさんのルートは、独創的かつ合理的でいつも驚かされるが、実際走ってみると、細かい道も多くて捕捉するのが結構大変である。
また、emoさんは、走行速度が速いので、私なぞはついて行くのがやっと・・・。
emoさんには、曽谷貝塚(市川市)まで送っていただいた。

江戸川まで出ると、ちょうど夕陽が地平線に落ちようとしていた。

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(江戸川の夕陽)

それにしても、北総、それも印旛沼界隈は歴史の宝庫である。
大分、道も覚えてきたので、今後ともじっくりと探訪してみたいと思う。

NEC_0852.jpg

走行距離:126キロ(VIVALOロード)

テーマ:千葉県 - ジャンル:地域情報
小さな旅(自転車)    Comment(10)   Top↑

Comment
Posted by フリー
先日は当方の拙いポタリングに参加いただきありがとうございました。
皆さんに楽しんでいただけるように努力しているつもりですが、今回も退屈なコースになってしまったようで・・(笑)。
2013.04.27 Sat 00:15 URL [ Edit ]
魂生神の奥深さ Posted by 断腸亭
フリーさん

いやいや、大変に楽しいサイクリングでした。

1週間も前に書き始めた今回のブログ記事ですが、魂生神社のことを調べてるうちに、なかなかその先を書くのが難しくなってしまって難渋しています。
これ、とても奥が深いです。

あの界隈には、太古からの時層が分厚く堆積している文化遺産が多いですね。
2013.04.27 Sat 09:27 URL [ Edit ]
Posted by フリー
>あの界隈には、太古からの時層が分厚く堆積している文化遺産が多いですね。
確かに古い遺跡が結構ありまして、旧本埜村滝の龍水寺裏畑から旧石器時代の打製石器などが600点ほど発掘されています。この旧石器時代の人々は印旛沼ほとりに生息していたナウマン象を狩猟していたのではないかと考えられているようです。

また、私の住所は安食卜杭というのですが、卜は占うの意、つまり遠方まで見通せる葦原に杭を立て僧侶や神官がその年の収穫高を占った地だと。いずれにしろ印旛沼に面して、悪霊、病魔が出入りする村境だったことには違いないようです。

上記に挙げたものはほんの一例ですがそのような運命共同体の残照が、この地域をして近代的な開発をかたくなに拒み続けているのではないかと考えています。
2013.04.27 Sat 12:46 URL [ Edit ]
旧石器時代人の狩場 Posted by 断腸亭
フリーさん

一昨年の夏、野尻湖に行ってきました。
http://6119.teacup.com/danchoimage/bbs/248
http://6119.teacup.com/danchoimage/bbs/249
野尻湖は標高はかなり高い場所ですが、旧石器時代の印旛沼界隈は、自然景観が多少似ていたかもしれません。

印旛沼界隈は、今でこそ真っ平らですが、旧石器時代は、多摩丘陵界隈のような地形だったと思います。
草原を好むナウマン象たちは、水場に集まり、それを人間が狩る・・・。

タイムマシンがあったら、2万年前に飛んでいきたい気分です。
2013.04.28 Sun 11:17 URL [ Edit ]
桑納川 Posted by emo
この日は、日没が迫っていたので急ぎました。
最近ここを通って帰るときは、日没との戦い(か、真っ暗)が多いです。この道は急いで走るともったいないですね。
2013.04.30 Tue 22:24 URL [ Edit ]
重層的 Posted by kincyam
神社というのは便利な装置ですね。過去のイベントを封じ込めています。文字が伝わる以前から、神社に準じたものがこの地にあったのかもしれません。あのおみやげは、もう食べてしまわれたでしょうか^^。
2013.05.01 Wed 12:08 URL [ Edit ]
魅力的な道 Posted by 断腸亭
emoさん

当日は、帰路のご案内、ありがとうございました。
私はいつも、桑納川の途中から上の台地に上がってしまうので、桑納川のその先まで南西に下るのは初めてでした。
高根木戸あたりに出たときには、思わず、驚きの奇声を発してしまったほどです。

確かに、日没に急かされていなければ、あのあたりは、ゆっくりと走ると楽しい所ですね。

曽谷貝塚に出たときには、本当に懐かしくて、しばし、時間が10数年前に戻ったような気がしました。

emoさんのページの経路図を参考に、道を覚えるように努めます。
2013.05.01 Wed 14:37 URL [ Edit ]
時空の旅 Posted by 断腸亭
kincyanさん

神社などを改築する際に、地面を掘ってみると、その下から古墳時代や弥生時代の遺物が出てくることが多いですね。
しかも、その下からは、さらに、縄文の遺物が出てくることもあります(これは稀ですが)。

当たり前のことなのか、不思議なことなのか、「特別な場所(聖地)」というのは、いつの時代の人も、同じように感じるものなのかもしれません。

眼前に広がる風景の中に、過去の膨大な歴史を読み込むことは、もうひとつの旅の始まりのように感じます。
そういう意味では、自転車での旅は、果てしなく続いていることになりますね。
2013.05.01 Wed 14:46 URL [ Edit ]
Posted by はるかぜ
当日「利根川図志」を持参していた断腸亭さん。
その意味が判りました。
ますますこの本の深さを知る事となり
手元にある喜びを感じます。
しかし、そこに留まらず詳細を調べ上げられたこの日記。
さすが断腸亭さん!と、唸らせて頂きました。
僕の単なるサイクリング日記とは大違い(笑)

断腸亭さんリクエストの「肉だけ大盛りカレー」
まさか本当に作ってくれるとは…
マツムシコーヒーのオーナーさん、粋ですね。
食べられなくて残念だったでしょうが…(^_^;)
誰が食べたんだろう?
2013.05.02 Thu 22:18 URL [ Edit ]
馴染んで知る Posted by 断腸亭
はるかぜさん

ありがとうございます。

自転車(サイクリング)で移動できる範囲は、日常においては、結局のところ、限られてしまいます。
ですから、同じ場所に何回も行くことになります。

ですが、それは、決してツマラナイことではなくて、人間と同じように、何回も会っているうちに、あるいは、何回も一緒に「飲んで」いるうちに、その人の良さがだんだん滲み出るように分かってくることがあります。
それと同じように、同じ場所を何度も訪れていると、もっと深いところを知りたいという欲求が芽生えてきます。

今回の松虫寺がそうでした。
そういう意味では、昔の花街と同じで、一見(いちげん)さんはまだまだで、とことん「通い詰め」なければなりませんね。

「肉だけ大盛りカレー」という途方もない注文を真に受けてくれたマツムシコーヒーは、やはり、睨んだ通り、大した店ですね。
2013.05.03 Fri 19:36 URL [ Edit ]

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