日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。 | ||
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断腸亭日録~自転車日記
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| HOME | 2013.03.20 Wed自転車、ときどき読書~『利根川図志』における安政大地震の記録と利根川の風向きについて
「3月19日(火)自転車、ときどき読書~『利根川図志』における安政大地震の記録と利根川の風向きについて」
今日は、まるで、絵本の中に描かれてもよさそうな春爛漫な一日であった。 桜の蕾はほころんで、ヒヨドリが嬉々として花から花へと戯れ、柳は黄緑色の芽を吹いて風にその枝をそよがせ、森林全体が暖かさに身を膨らませているようであった。 ![]() (水元公園桜土手の桜並木) ![]() (日当たりの良いところの桜木は既に大分開花していた) どこに行くという当てもなく、ぶらりと自転車に乗って出かけた(ACクロス)。 水元公園をそぞろ走る。 ![]() (木蓮は、今が満開である) 桜の樹の下に来れば、桜を眺め、水辺に水鳥がいれば、ただそれを漫然と観察する。 暖かい春の微風が頬を撫でる。 ![]() (早咲きの桜も、今が満開) 家から持って来たのは、一冊の岩波文庫。 私の愛読書のひとつ、赤松宗旦の『利根川図志』(1858[安政5]年)である。 公園のベンチに座って、本を取り出すと、風でパラパラとページがめくれる。 風が読めと命じた箇所から読み始めよう・・・。 『利根川図志』は、安政の大地震の直後にまとめられた、旅行指南的地誌書のようなものであるが、まだ各地に生々しくのこる震災の傷跡のこともきちんと記録している。 ![]() (『利根川図志』全六巻) ![]() (現在も茨城県利根町に残る赤松宗旦旧居・去年の5月に撮影) たとえば、手賀沼の項では、某氏がものしたという「手賀沼北辺紀行」(安政2年)なる書物から長々しい引用をしているが、これが面白い。 「手賀沼北辺紀行」は、大地震以降、心が落ち着かず、来訪してくる客もいないので、所在なくなって、ぶらりと「下総の布川」あたりに行ってみたくなって舟に乗るところから始まる(岩波文庫版170頁より)。 本所の「崩れたる家」を横目で眺めながら、小名木川に舟を浮かべ、新川筋では、銚子あたりから届いたらしい魚を買い求めて優雅に酒をのんだりする閑人ぶり。 江戸川に出て、妙見島の脇を通って、国府台を眺めながら松戸に至る。 ![]() (広重の「名所江戸百景鴻の台とね川風景」。「鴻の台」とは国府台のこと。「とね川」とは江戸川のこと) ところが、この松戸にしてからが、「家崩れて人も失せぬ」という壊滅状態(172頁)。 小金あたりでも、倒壊している寺院を目撃。 そして、注目すべきこととして、利根川筋では、2年前の3月11日の大震災と同様の被害を受けていたことを記録している。 「我孫子より布佐までは三里十町あり。こたびの地震に布佐も布川も家損ねたり。そは皆井を掘るにも地下の柔なる処なりと、げに江戸にても家の甚(いた)く壊(やぶ)れたるは、古川の跡、若(もしく)は蘆場を築き固めたる処とおぼし・・・」(175頁) 安政の大地震は、東京湾北部を震源とする、いわゆる首都直下型大地震であったのだが、今回の大地震と同様、川辺を埋め立てたり、地盤が弱いところで大きな被害が出たこと指摘してる。 思えば、既に江戸期から府辺では、大規模な埋め立て工事が行われていたので、その分、家屋倒壊の被害も大きかったのであろう。 因みに、今回の地震による利根川流域の被害状況については、過去のブログ記事をご笑覧のこと。 これは、今後とも教訓になるなあ・・・。 ![]() (「安政二年江戸大地震火事場の図」) そんなことを考えていたら、急に空腹を覚えたので、ベンチから起きあがって、ペットボトルのお茶を一飲み。 自転車に跨る。 何かドカンとしたものが食いたくなったので、三郷のトンカツ屋「林や」に行ってみることにした。 公園の近くなので、5分ぐらいで着いてしまう。 ところがこれが、定休日にてやっていないときたもんだ。 う~ん、どうしよう。 そうだ、この先に結構美味しいラーメン屋があったはず。 街道沿いに自転車を走らせると、黄色い看板が見えてきた。 そうそう、ここだ、「飛天」(三郷市戸ヶ崎)だ。 このラーメン屋に来るのは、これが3度目。 確か、自転車仲間から教えてもらって来てみたら、案外うまかったのだ。 パンチの効いた背脂系だが、どこか、溌剌たる味わいがするので飽きない。 腹が減っていたので、一心不乱にガツガツと食う・・・。 ![]() (「飛天」のラーメン・750円) 腹も落ち着いたので、また、水元公園に戻って、読書の続きを。 今度は、バーベキュー広場の東屋に陣取って、本を開く。 すると、また風がパラパラとページをめくる。 なになに・・・。 おー、利根川の風と天候の関係が書いてあるぞ。 自転車乗りにとって、風は実に気になるところ。 そう言えば、ちょうど今週末、自転車仲間と利根川筋を走る予定なので、これはしっかりと読んでおこう。 赤松宗旦の『利根川図志』の面白さは、利根川流域の旅行ガイドブックにとどまらず、流域をひとつの文化圏として捉え、地形や産物まで記していることである。 上代の『風土記』に似たような動機を内包している。 この点において、『江戸名所図会』(1836年)とは決定的に異なる。 出版年は、たった20年ほどしか違わないが、『江戸名所図会』が太平楽の江戸を描いたとすれば、赤松宗旦の『利根川図志』は、大地震と黒船来航を体験した人間のリアルな視点によって利根川を活写しているのである。 「舟人の最も慎む所は天候にして、就中(なかんづく)暴風(はやて)を前知するにあり」(56頁) う~ん、なるほど。 当時は、自転車乗りは存在しなかったので、一番、風を心配しなくてはならないのは、船乗りであったろう。 流域の人びとにとって、利根川がもたらす恩恵は、そこで獲れる豊富な魚、田畑を潤す用水、そして舟運であったはずである。 帆掛け船(高瀬舟)を操る船乗りにとって、一番気になったのは、天候、なかんずく、(風力を含む)風向きであったであろう。 その先を読み進めるが、何せ、現代人には読みにくい文語であるし、食後でもあるので、私は東屋のベンチに横になったまま、1時間ほども寝込んでしまった。 春の微風を受けながらの午睡は、実に気持ちよく、あ~、生きてて良かったと思えるほど。 目覚めた私は、気分も爽快になって、次のくだりを何回も繰り返し読んで、その意味を解読しようとした。 「黒雲急に起こるはその方より暴風(はやて)来たる徴(ちょう)なり。暁に黒雲奇峯を為すは、その峯に風行くなり。南東風(いなさ)は晴にて、北西風(ならい)は雨なり。然れども時節に因りて差(たがい)あり。 日光山よく晴たるは北西風なり(北西風叉ヤマデという。日光山より出づるの義なり)。曇りたるは雨徴なり。 筑波山よく晴たるは北東風なり(筑波オロシともいう)。雨日は晴徴とす。 富士山に黒雲あれば西南風なり(これをフジカタという。南西風はフジミナミという)。曇天に富士山のみ晴たるも西南風なり。 鳥飛下るに必風に向かう。是を以て風の方向を知る。 魚高く跳ねるは雨、低きは晴なり。 耳痒きは晴の徴なり。 星の光揺(うご)くは大風の徴なり」(56頁) ちょっと頭がこんがらかりそうになったので、何遍も読み直した結果、次のような現代文に訳してみることにした。 1.にわかに黒雲が生じれば、それは嵐の前触れである。夜明けに積乱雲が現れる場合は、その積乱雲の方角に風が吹くものだ。その風が(南)南東の場合は晴になり、(北)北西の場合は雨になる。とはいえ、時節によって例外もある。 2.日光山のあたりが晴れていれば、(北)北西の風。逆に日光山のあたりが曇っていれば、雨の前兆である。 3.筑波山のあたりが晴れていれば、(北)北東の風。逆に筑波山のあたりが雨の場合は、晴れる前兆である。 4.富士山に黒雲がかかっていれば、西南(西)の風。利根川流域が曇天にもかかわらず、富士山のあたりがよく晴れていれば、西南(西)の風が吹く。 5.鳥は降下する際に、必ず風上の方を向く。これによって、風向きを知ることができる。 6.川面から魚が高く跳ねる日は雨、あまり高く跳ねない日は晴である。 7.耳が痒くなるのは、晴れる前兆である。 8.星が明滅して見えるのは、嵐の前兆である。 マスコミによる天気予報がなかった時代、人びとは、周りに展開するあらゆる自然現象とこれまでの経験から、懸命に天候を予想したはずである。 とりわけ、風や波と格闘しなければならない船乗りは、これに対して、人並みはずれて敏感であったであろう。 2,3,4は、それぞれ、日光山(男体山)と筑波山と富士山という、利根川流域から望むことできる代表的な三山を目安にしているのが興味深い。 利根川下流域からすれば、日光山は北西に、筑波山は北に、富士山は南西に、それぞれ位置する。 これら遠景の山の風景を指標にして、天候や風向きを予想するというのは、実に理に適ったことだと思われる。 ![]() (『利根川図志』の挿絵。順風(西風)を受けて快走する高瀬舟。左遠景に見えるは筑波山。) それで思い出されるのは、江戸時代の風景画である。 関東を舞台に描かれた風景画には、ほとんどの場合、この三山のどれかが描き込まれている。 それは、これらの山が遠景に控えていると構図として美しいという美的な効果を狙ったのは言うまでもないが、これら三山の見え方から、江戸時代の人びと(というか、江戸期以前のあらゆる時代の人びと)は、天候を占っていたわけで、それほど、重要な存在だったにちがいない。 ![]() (広重の「隅田川水神の森真崎」。遠景に筑波山の山容が描かれている。現在の南千住付近からの構図) 天気予報が出されるようになると、われわれは、観光地の絵葉書的風景には興味を持つが、都心に富士山を覆い隠すような醜いビルが建っても、儲けのためなら仕方がないだろうとあきらめてしまうことになる・・・。 それから、赤松宗旦は、「南西」の風と「西南」の風を使い分けているので、「南西」の場合は「南南西」、「西南」の場合は「西南西」と解するのがよいかもしれないので、「西南(西)」のような書き方をしておいた。 さて、私が意外に感じたのは、「5.鳥は降下する際に、必ず風上の方を向く。これによって、風向きを知ることができる」というもの。 つまり、鳥は、向かい風を受ける方向に降下着地(ないしは着水)するということ。 鳥にこういう習性があるとは知らなかった。 私は、また、自転車に跨って、今度は水鳥たちがよく見えるベンチに移動した。 しばらく鳥たちの行動を観察。 因みに、やや強い南風が吹いていた。 水面には、鴨類やカモメがいたが、面白いことに、着水する時は、たとえそれまで飛んでいた方向が違っても、必ずと言ってよいほど向かい風を受ける方へと頭を向けるのである。 それだけではない。 飛び立つ時もそうで、必ず、逆風に向かって飛翔するのである。 さらに、水面に浮いているときも、群全体が、風の方の向かって頭を向けている。 ![]() (群全体が風上に頭を向けている鴨類。水元公園にて) さらに面白いのは、電線にとまっている鳥も、風の吹く方を向いている。 なるほど、「風見鶏」か。 風見鶏(風向計)は、鳥類が風に向かって姿勢をとることから、その名称と意匠が発想された計器であることを、この歳になって初めて知ったのだった。 私は、赤松宗旦の『利根川図志』を膝の上にのせて、いつまでも、水鳥たちを眺めながら、近代人というものは、過去の人間たちからすれば相当に無能になってしまったものだと考えていた。 追記; ・千葉県の気象と風向きについては、銚子地方気象台の次のサイトが参考になる。 http://www.jma-net.go.jp/choshi/menu/bousai/met_character.shtml ・利根川流域の風予報を知るためには、次のサイトが大変便利である。 http://weather.excite.co.jp/spot/zp-2878510/ 走行距離:27キロ(ACクロス)
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Posted by はるかぜ
>風が読めと命じた箇所から読み始めよう・・・。
なんとも素晴らしい! このような時間の流れに身を委ねてみたいものです。 「利根川図志」とても興味あります。 さっそくネットで探す事としますかね…(^^)
2013.03.20 Wed 08:12 URL [ Edit ]
図だけじゃないんですねー Posted by ワンチャン
断腸亭さん、こんばんは!
風 Posted by kincyan
「利根川図志」には安政の大地震の記録も記されてるんですね。布佐のあたりは2年前の被害と同じ様な被害状況だったなんて、、ちょっと複雑な気分ですね。 いつも図だけを見て楽しんでましたが、、ちゃんと読まないといけないと考えなおしました。僕も探さないと(笑) 今日はのんびりされたんですね。私も家人と上野の桜を見て来ました。もう結構咲いているので3月中に
鳥と風と飛行機と Posted by B
盛りはすぎるのでしょうね。 風の件、私は大いに気にするところですが、現在は文明の利器があり風を読めるのでありがたい話です。 昔の方々は、こういう天気・風の読み方は必要な知識だったんですね。 断腸亭さん
自転車と読書 Posted by 断腸亭
ついつい聞き惚れてしまう、じゃなく、読み入ってしまいます。 考察がとても面白いです。 古人の『風を読む』も正にその通りだったのでしょうね。 また、そうした伝えは東京湾の漁師の間にも霞ヶ浦の漁師にも、山武のお百姓の間にもあったんでしょうね。 なるほどね~ ところで、一番最後の、『鳥と風向き』へぇ~っと、思わず納得してしまいました。 真に僭越な事ですが、ラジコン飛行機も断腸亭さんの、その文章の通りにしないと離着陸は難しいし、事故します。 無論、強風下での駐機も電線の鳥と全く同じです。 何にしても、自然の真理は同一と言う事でしょうか。 はるかぜさん
挿絵だけでも十分楽しめます Posted by 断腸亭
自転車に乗るようになってから、読書の時間が減ってしまいました(電車通勤時は、貴重な読書時間だった)。 夏と冬は、暑かったり寒かったりして、なかなかこういうことはできませんが、春と秋には、この手の楽しみ方ができますね。 とまれ、自転車の楽しみ方は多彩で、人それぞれ、季節まちまちであるということ。 懐の広い世界だと思います。 ワンちゃんさん
昔の船乗りの知識と技術 Posted by 断腸亭
『利根川図志』は、「図志」というだけあって、挿絵の担っている役割は大変に大きいので、挿絵だけでも十分楽しめます。 興味のある挿絵のあたりの本文を拾い読みするのがよいかと。 ただ、読み下し文なしの漢文のままの箇所があるので、戦前に教育を受けた人はすらすら読めるかもしれませんが、現代のわれわれにはちょっと読みにくいところも。 現代人でも読みやすい新訂版が待たれるところです。 それにしても、われわれの先輩が書いた日本語も読めないのに、馬鹿みたいに英語、英語と騒いでいる昨今の風潮には、深い疑念を感じます。 kincyanさん
飛行機との類似性 Posted by 断腸亭
上野公園の桜は、なんだかんだ言っても、よいものですね。 桜をめぐる列島人の特異性がよく分かります。 谷中墓地での花見なぞ、民俗学的に見ても珍しいのではないかと思います。 なにしろ、遺族でもない人びとが墓地で宴会をするわけですから・・・。 自転車にとって、風向きは重要ですね。 ただ、自転車旅行の場合は、基本的に、風向きを選ぶことはできません。 ですから、風向きに対応したコース取りを臨機応変にできるかどうかにかかっています。 熟知した地域ならこれは容易ですが、旅先では難しい。 普段から「訓練」を積んで、そういう対応ができるようになりたいと思ってはいますが、これがなかなか難しい・・・。 昔の船乗りの知識と技術のなかには、もしかしたら、そのヒントがあるかもしれません。 Bさん
Posted by IWA
実に興味深いご指摘、ありがとうございました・ 実は、私も、飛行機のことを連想していました。 力学的なことはよく分かりませんが、鳥類をモデルとして考案された飛行機にも、鳥の場合と同じことが言えるのではないかと。 世の中には、帆付自転車を考案した例もありますが、簡便折りたたみ式の帆を備えた自転車というのもありではないかと思います。 変速レバーの隣には、帆の向きを操作するレバーがあるような自転車。 少なくとも、これが実現されれば、横風を推進力として活用することもできるかもしれません。 夢は膨らみます。 自転車の可能性は大きいと感じてます。 ぜいたくで有意義な時間を過ごされていますね。
昔の人にとっては天気、風向きは文字通り死活問題であったため 真剣さが全く異なるのですね。 鳥の向きも面白いです。魚の走流性と同様に鳥にも走風性があるのですね。からだが流線型をしているため 風上に向いているときが最も安定しているわけで 着地/着水という最も危険な状況において 安定するように風上をむくのですね。昔の人はそれを理解していて 現代であれば気象風船をとばして計測するようなことも 鳥の向きをみることによって理解していたのかもしれません。文明が進み、科学が進むと 人間としての危機感がなくなってしまい、第六感なども退化していると思います。生命力そのものも弱くなってきているかもしれません。組織/社会として役割分担がすすみすぎると結果として個人では自立できなくなってしまいます。その状況で組織/社会の秩序がくずれるとどうなるか?恐ろしいです。中国の過激な行動をみていると???
2013.03.21 Thu 14:52 URL [ Edit ]
Posted by 相子
先生お久しぶりです。とても内容のある記事を読ませて頂きました。利根町の事も興味深く読ませて頂きました。
伊能忠敬や間宮林蔵も利根町から遠くない所だったのですね。 矢張り利根川の存在が如何に大きいかが分かりますね。 祖父が船を持っていたこともあり、いなさとかならいとか良く耳にしました。 中国の漓江で水の上に浮かぶ木の枝に並ぶ鵜は、どの枝の鵜も全部同じ方向を向いて並んでいました。その時初めて風に向かっていると知りました。とても印象に残っています。 一日ゆっくりなされて良かったですね。 私は先週から風邪で、家に来る生徒だけにし、自分の稽古事は全てキャンセルし、時間が少しありましたので、今回改めて拝見できました。
2013.03.21 Thu 17:36 URL [ Edit ]
近代人の倒錯的思考 Posted by 断腸亭
IWAさん
柳田国男と赤松宗旦 Posted by 断腸亭
いちいち同感です。 溜息が出るくらい・・・。 現代人は、「利器」に頼りすぎているので、裸一貫で放り出されたとき、実に脆弱な存在ですね。 近代以降、利器の発展のためには、人間の本性(=自然)を犠牲にしてもよいという風潮が横行しはじめました。 そろそろ、そんなやり方は止めにして、人間の本性を守るためには、時として、利器を犠牲にしなくてはならないという考え方や行動の仕方が必要になってきたのではないかと思います。 いずれにせよ、われわれは、一時的に「自然」を預かっているに過ぎません。 将来の人間のことをもっと正直に考えなければならないと思います。 相子さん
いつもご無沙汰ですみません。 駄文を熱心に読んで下さって、ありがとうございます。 ご祖父のお話し、実に興味深いですねえ。 「いなさ」も「ならい」も、東北から九州まで太平洋沿岸全体で使われているようです。 ということは、かなり古い言葉、もしかしたら、縄文語まで遡れるかもしれません。 少年期の柳田国男は、利根町で育ちました。 その際に蔵で出会ったのが『利根川図志』なんです。 この本が、彼の民俗学の出発点になったようです。 ですから、岩波文庫版の校訂と解題は、柳田国男の手になるものです。 いずれ、柳田国男と赤松宗旦との関係についても書いてみたいと思っています。 お風邪のとのこと、ご自愛下さい。 | HOME | | |
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