日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2012.05.23 Wed
柳田国男の「自転車村に入る」(『明治大正史世相篇』)を読む
柳田国男の明治大正史世相篇(1930年)は、大変に面白い本である。
一口で言えば、明治大正期の衣食住に関する日常的な物事の変遷を民俗学的に「記録」しておこうという試みである。
その全体像のいくらかを知るためには、本書の目次を通観するにしくはない。

目次;
1 眼に映ずる世相
  1.新色音論
  2.染物師と禁色
  3.まぼろしを現実に
  4.朝顔の予言
  5.木綿より人絹まで
  6.流行に対する誤解
  7.仕事着の捜索
  8.足袋と下駄
  9.時代の音
2 食物の個人自由
  1.村の香 祭りの香
  2.小鍋立と鍋料理
  3.米大切
  4.魚調理法の変遷
  5.野菜と塩
  6.菓子と砂糖
  7.肉食の新日本式
  8.外で飯食う事
3 家と住心地
  1.弱々しい家屋
  2.小屋と長屋の修錬
  3.障子紙から板ガラス
  4.寝間と木綿夜着
  5.床と座敷
  6.出居の衰微
  7.木の浪費
  8.庭園芸術の発生
4 風光推移
  1.山水と人
  2.都市と旧跡
  3.海の眺め
  4.田園の新色彩
  5.峠から畷へ
  6.武蔵野の鳥
  7.家に属する動物
  8.野獣交渉
5 故郷異郷
  1.村の昂奮
  2.街道の人気
  3.異郷を知る
  4.世間を見る眼
  5.地方抗争
  6.島と五箇山
6 新交通と文化輸送者
  1.人力車の発明
  2.自転車村に入る
  3.汽車の巡礼本位
  4.水路の変化
  5.旅と商業
  6.旅行道の衰頽
7 酒
  1.酒を要する社交
  2.酒屋の酒
  3.濁密地獄
  4.酒無し日
  5.酒と女性
8 恋愛技術の消長
  1.非小笠原流の婚姻
  2.高砂業の沿革
  3.変愛教育の旧機関
  4.仮の契り
  5.心中文学の起こり
9 家永続の願い
  1.家長の拘束
  2.霊魂と土
  3.明治の神道
  4.士族と家移動
  5.職業の分解
  6.家庭愛の成長

この目次に取り上げられた壮大な世界を想起するだけで、私なぞは、何だかワクワクしてくる。
話題は実に広く、衣食住をめぐる具体的な記述のみならず、恋愛の技法や家制度にまで及んでいる。

柳田国男は、その「自序」にて、「毎日われわれの眼前に出ては消える事実のみによって、立派に歴史は書けるものだ」(『柳田国男全集』第26巻、9頁)と豪語している。
これは、やれ秀吉がどうの家康がどうのといった、官製の権力争奪史的歴史観に対する批判であると同時に、「かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためし」(『徒然草』)のない日常的な事象を捉えてこそ、歴史の本質を掴むことができるという宣言でもある。
まさに、「神は細部に宿り給う」という思想の実践であり、これによって、柳田は、明治大正期の「常人」(common people)の暮らしを鮮やかに浮かび上がらせている。

本書が書かれたのは、1930(昭和5)年で、明治62年に当たる。
因みに今年(2012年)は、明治144年。
維新以来の大日本帝国が滅亡したのが明治77年(1945年)。
そういう意味では、今日のわれわれからすれば、柳田がこれを書いたのは、日本近代のおよそ中間地点に当たるということも念頭に置くべきだろう。
そろそろ「昭和平成史世相編」を書き始めてもよい頃かもしれない・・・。

さて、今回は、この本の中の第6章「新交通と文化輸送者」の「2.自転車村に入る」(184頁~)という節を中心に見てみたい。

柳田は、先ず、「1.人力車の発明」(180頁~)の節で、以下のようなことを書いている。
・人力車が西洋の馬車から着想を得て、日本で発明されたこと。
・明治期には、人力車が移動手段として一世を風靡したが、大正期になって、乗合馬車や鉄道の登場によって著しく衰微したこと。
・日本では、牧畜文化が発達していなかったので、意外なことに、人に車を引かせることに抵抗がなかったこと。

なお、人力車については、既に何本か記事を書いたことがあるので、そちらをご参照下されば幸いである。

日本橋
(明治初頭の日本橋絵図。馬車や自転車のほか、いろんなタイプの車輌が意図的に描かれている)

そして、人力車の次に、自転車について書いている。

自転車は最初の内は、移動(実用)手段というよりは、むしろ、娯楽品として、富裕階級の間で愛好された。
当時は、「嗜輪会」などという愛好者団体があったが、『自転車全書』(松居真玄著・1907年刊)などという本格的な自転車の手引き書も出版され始めたという。

自転車全書
(『自転車全書』の復刻版)

このあたりのことは、既に記事にした当時中高生だった志賀直哉の「自転車」という作品がよく伝えているところでもある。

最初に、自転車を「必要品」として用いたのは、「官吏」や「医者弁護士」だったというが、『蝶々夫人』でその後世界的に有名になるオペラ歌手の三浦環(たまき)が学生時代(1900年頃)、自宅から上野の音楽学校(後の芸大)まで自転車で通学したことが非常に話題になって、彼女をモデルにして書かれた新聞連載小説『魔風恋風(まかぜこいかぜ)』が大ベストセラーになった。

「鈴(ベル)の音高く、見(あら)はれたのはすらりとした肩の滑り、デートン色の自転車に海老茶の袴、髪は結流しにして白いリボン清く、着物は矢絣(やがすり)の風通(ふうつう)、袖長ければ風に靡いて、色美しく品高き十八九の令嬢である」(『魔風恋風』より)。

自転車女学生
(自転車に乗る女学生。1903年頃に描かれた絵)

三浦環
(中央の人物が、上野音楽学校生だった頃の三浦環

ちょうどその頃、地方には、自転車の「曲乗り」の巡業が頻繁にやって来たようで、田舎の人にとっては、これが自転車と出会うきっかけだったらしい。

曲乗り
(19世紀末のアメリカの自転車曲芸師。19世紀末から20世紀初頭において、欧米では自転車の曲乗りが大流行したが、これがそのまま日本にも持ち込まれたものと思われる)

しかしながら、しばらくは、自転車は広く普及することなく、柳田の言葉を使えば、「遊民」の娯楽品にとどまっていた。

ところがその後、「国内にも製造が起こり、最初は部分品を(註:海外から)取り寄せて組み上げる職人から、次第に実用向きという工場にまで発展した。それが一方には修繕交換などの業務となって地方にも分散」(184頁)したのであった。

自転車屋明治末期
(明治時代末期頃の自転車屋)

自転車の普及とともに、国産の自転車が現れ始め、各地方の自転車屋組合が主催する県レベルの「自転車大会とか競走会」などが開かれるようになり、次第に自転車も社会的に認知されるようになったようである。
町中でも、自転車を実用品として用いるようになってきた。
その様子を柳田国男は、次のように描き出している。

「町では主として小店員をして、これを利用させることになったのは勘定に合った。商家の見習いは実際は使い走りに日を送っていたので、これが路草を食わぬことになると、入用の人数を半分にすることもできたからである。その他の多くの職業においても、途上に費やして棄てた勤労は皆省かれ、人は遠くへ出て働くことができるようになった」(185頁)。

電話がなかったこの時代、店の丁稚たちの主だった仕事は、細々とした「使い走り」だったのだが、自転車を使わせることによって、労働力の削減に貢献したことや、自転車通勤によって、以前よりも遠い職場に勤めることができるようになったことが指摘されている。

また、これに続いて、驚くべきことに、こうも書かれている。

「日返りの道程が倍にも延びて、旅館の必要がよほど減じて来た」(185頁)と。

つまりは、以前ならば、泊まりで往復する行程も、自転車の登場によって、旅館の利用客が大いに減少するという現象さえ起こったとのことである。
これらは、この当時としては、自転車こそが、陸上を自由に移動する手段としては、最も早い乗り物だったということを念頭に置かなければ理解し得ない事柄である。
やがて、村々でも、女髪結いや産婆も、自転車を利用し始めることになる。

産婆
(自転車に乗って妊婦宅に駆けつける産婆さん。大正時代)

同時に、農村にも自転車がかなり普及しはじめた。
ところが、家から田畑に仕事に出る際には、農具や収穫物を自転車で運ぶことができなかったので、実用には向かなかった。
しかも、当時は「自転車税」が課せられていたため、使わないのに自転車を所有しているのもモッタイナイということで、隣組での自転車の共用が行われた。
「東京四周の平地の多い県などでは、おのおの何万という農民が自転車税を課せられている」(186頁)。
因みに、明治初頭に発足した自転車税が撤廃されるのは、戦後(1958年)になってからであった。

「珍しい事実は日本だけに限って、後車を附けた自転車の盛んになっていることである。これをリーアカーなどと舶来のように考えているが、これもまた一種の人力車に他ならぬのであった」(186頁)。

大量の荷物を積載できないという自転車の弱点は、リアカーという日本独自の発明品によって克服されたということであるが、これは、人力車からの発想であったというところが面白い。

リアカー
(リアカー)

柳田国男は、このリアカーの操縦法について、面白い記述をしている。

「これ(リアカー)も市中に流行ったのは簡単な小形であったが、弘く農村に入ってからは路いっぱいの大ぶりなものになった。この操縦だけは輸入でも伝授でもない。元来人込みの中を器用に通る技能を、よく練習していた国民ではあるが、これでまた新たにむつかしい実験を添えた。走る力と前を行くものの動き方、通れるか曲がれるかの寸法の目分量、ほとんと尻に眼があるかと思うほどの気働きをもって、新たに間を測り程合を考えることなどは、学校以上の重要な教育であった」(187頁)。

自転車にリアカーを取り付けると、まるでトレーラーカーを運転するときと同様の難しさが生じる。
いわゆる前後輪差が出てくるからである。
ところが、昔から狭い道をうまく通り抜けることに長けた日本人ならでは、これを上手に操縦しているというのである。

そして、最後に、柳田はこんな指摘をしている。

「村に自転車が入ってから、若い者がとかく出あるいてこまるということを、こぼしている年寄りは多いようである」(187頁)。

自転車を得た若者は、これまで徒歩では容易に行けなかった町に遊びに行ってしまうという現象である。

これもまた、既に指摘したように、この当時としては、自転車こそが、陸上を自由に移動する手段としては、最も早い乗り物であることの証しである。

かくほどさように、自転車が世間に入ってからは、主として、移動できる範囲が広まることによって、人々の生活に比較的大きな変化をもたらしたことが分かるのである。

(この項、了)

底本;『柳田国男全集』第26巻(筑摩文庫)
参考URL;
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/ordinary/JP/shiryou/shiryou.html

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
自転車    Comment(8)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
颯爽と。 Posted by しゃあ あずなぶる
「自転車に乗る女子学生」って、いいですね。
前傾した姿勢に前を見る顔。「走り抜ける」って様子ですね。
袴が絡まないかと心配ですが、絵を鑑賞するには野暮でしょうか。
2012.05.24 Thu 03:40 URL [ Edit ]
女子学生 Posted by kincyan
私も「女子学生」の絵に惚れました。1903年ごろですと、自転車はとても高価な乗りものだったのでしょうね。浮世絵風と言うべきか現代の漫画風というべきか、なかなか躍動感のある絵です。しゃあさんも私も趣味は同じですな。
2012.05.24 Thu 05:28 URL [ Edit ]
足回りの汚れ Posted by 断腸亭
しゃあさん

ご心配のように、たぶん、右のチェーンリングに、袴の裾は頻繁に絡まったり、油で汚れたりしたと思います。
ただ、当時の人は、未舗装路の道を草履で歩くのが普通だったので、移動中の足回りの汚れは、あまり気にならなかったような気もします。
ですから、家に着くと、先ず足を洗うのが通例でした。
現在のわれわれは、道がよくなって、幸せですね。
2012.05.24 Thu 07:25 URL [ Edit ]
高価だった自転車 Posted by 断腸亭
kincyanさん

そうですね。
錦絵の伝統の中にありますね。
おっしゃるとおり、このあたりが、後の漫画の画風に発展していくのだと思います。

日露戦争前夜の日本。
当時の自転車は、たぶん、150円(現在の150万円)ぐらいだったと思います。
そう考えると、われわれも、フルデュラ仕様の自転車ぐらい買ってもいいような・・・。
2012.05.24 Thu 07:29 URL [ Edit ]
目次おもしろいですね Posted by ワンチャン
断腸亭さん、こんばんは!

本当に目次だけ観ても面白そうですね~

「柳田国男って誰」を解消する為に「柳田国男の◯◯」とか
「柳田◯◯学」とかの解説本を読んでも楽しくなかったです(笑)

予習失敗したので、復習では解説本じゃなくて、柳田国男が書いた本を読んでみようと思います。

2012.05.24 Thu 22:56 URL [ Edit ]
お爺ちゃんの面白い昔語り Posted by 断腸亭
ワンちゃんさん

柳田国男を「学問」として捉えようとした本は、ことごとく、ツマラナイと思った方がいいです。
私は、柳田のよい読者ではありませんが、昔のことをよく知っているお爺ちゃんという感覚で楽しんでいます。
そういう意味では、『明治大正史世相篇』なんかは格好の突破口かもしれません。
どこから読んでもよい本です。
酒を飲みながら、お爺ちゃんの面白い昔語りを拝聴するという姿勢です。
2012.05.25 Fri 10:29 URL [ Edit ]
Posted by 相子
自転車税のことは全く知りませんでした。私は戦時中乗っていましから、祖父が税金を払っていたことになるわけです。チョッと驚きです。
以前もコメントした記憶がありますが、母は町で最初に自転車に乗った女の子でした。そして最初にミシンを持ったのも母でした。
柳田国男と言う字を見ますと、後藤総一郎さんを思い出します。
2012.06.21 Thu 18:39 URL [ Edit ]
自転車税 Posted by 断腸亭
相子さん

コメントに気づかずに、ご返事、遅くなってしまい、申しわけありませんでした。

自転車税の他に、ラジオ税というのもあったようですね。
自転車税が施行されていた頃は、ナンバープレートのようなものを取り付けたとか。

後藤先生とは、あまり接点はありませんでしが、実に豪快な方でした。
早くお亡くなりになったのが悔やまれますね。

最近、ブログを更新できずにすみません。

このところは、お手軽な「掲示板」に身辺雑記を書いています。
http://6119.teacup.com/danchoimage/bbs

また、若者に負けないように、フェイスブックも始めました・・・。
2012.06.25 Mon 04:59 URL [ Edit ]

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