日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2012.05.13 Sun
「帝釈道」を追走する~葛飾区内の古道まとめ
ずいぶん前に書いたもので恐縮だが、「旅する『望郷』としての寅さん」という記事の中で、旅先から東京に戻った寅さんが上野駅からどういう経路で柴又の家まで帰ったのかということを問題にしたことがあった。

つまりは、上野から常磐線金町駅経由だったか、はたまた、京成本線高砂駅経由だったかという話。

それとは別として、最近になって、漱石の『彼岸過迄』(1912年作)を読んでいたら、次のような一節に出くわしてはっとした。

「この日彼らは両国から汽車に乗って鴻の台(註:「国府台」)の下まで行って降りた。それから美くしい広い河(註:「江戸川」)に沿って土堤(どて)の上をのそのそ歩いた。敬太郎は久しぶりに晴々した好い気分になって、水だの岡だの帆かけ船だのを見廻した。須永も景色だけは賞めたが、まだこんな吹き晴らしの土堤などを歩く季節じゃないと云って、寒いのに伴れ出した敬太郎を恨んだ。早く歩けば暖たかくなると出張した敬太郎はさっさと歩き始めた。須永は呆れたような顔をして跟(つ)いて来た。二人は柴又の帝釈天の傍まで来て、川甚という家(うち)へ這入って飯を食った。そこで誂らえた鰻の蒲焼が甘たるくて食えないと云って、須永はまた苦い顔をした」(夏目漱石『彼岸過迄』より)

この二人の人物は、「旅する『望郷』としての寅さん」の中で、その経路の選択肢として、私が最初から排除してしまった「国府台」経由で江戸川土手側から柴又帝釈天に入っていることに驚いた。

つまりは、現JRの「両国駅」から総武線に乗って、ほぼ間違いなく市川駅で降りて、国府台まで出た後、土手沿いを北上し、文中には触れられていないが、「市川の渡」か「矢切の渡」を渡って(まだ江戸川に一本も橋は架かっていなかった由)、柴又に入ったことになる(因みに、まだ京成電鉄は存在していなかった)。

帝釈天明治43年
(『彼岸過迄』の頃の帝釈天界隈地図。赤丸が市川駅、黄丸が国府台、青丸が帝釈天。もちろん、江戸川にはまだ橋がかかっていない。明治43年頃)

この小説の人物たちが辿った経路が、当時として、どれほど一般的なものだったのかは分からない。
もしかしたら、柴又に行くついでに、江戸期以来、名所として名高かった国府台も見ておきたいという人も多かったのかもしれない。

国府台
(江戸期の国府台。広重「鴻の台とね川風景」・鴻の台=国府台、とね川=江戸川のこと)

とはいえ、やはり、一番手っ取り早かったのは、上野駅から常磐線で金町駅に出て、京成金町線の前身たる「帝釈人車軌道」で柴又に出るという経路だったにちがいない。

しかし、鉄道が敷設される前の時代は、東京(江戸)方面から柴又帝釈天をお参りするには、1.水戸街道→帝釈道か、2.千葉街道→篠崎街道かのいずれかを徒歩で辿るのが主たる道筋だったであろう。
現在の自転車乗りが、美味しい名店を求めて数十里を走るように、昔の人は、名にしおう各地の神社仏閣を目当てに数十里を歩いたもののだが、江戸期以降、柴又帝釈天もそのひとつであった。

ということで、今更ながらかもしれないが、今回は新宿(にいじゅく)あたりで旧水戸街道から分岐するいわゆる「帝釈道(たいしゃくみち)」を追走してみた。
「帝釈道」というのは、もちろん、柴又の「帝釈天題経寺」(葛飾区柴又七丁目)に参るための古道のこと。

先ず、その経路図を示しておこう。


(「帝釈道(たいしゃくみち)」)

帝釈道(たいしゃくみち)」の西側の出発点は、はっきりしていて、しかも、現在でもそこには明治30年に建立された立派な石の道標が立っている(地図)。

IMG_0402_20120514073838.jpg
(旧水戸街道沿いに建っている「帝釈道」の道標。明治30年建立・地図

IMG_0408.jpg
(道標の指し示す方向は、人間の手の形で象られている)

IMG_0406_20120522135722.jpg
(この石の道標を拵えたのは、亀有村の石工、「森田常作」と彫られている)

先ずは、この道標から南東方向にのびる道を辿ってみよう。

IMG_0407.jpg
(道標から南西方向にのびる道。因みに、左右に横切っている道は、旧水戸街道=陸前浜街道)

すると、すぐに「新金貨物線」の踏切を渡ることになる。

IMG_0411.jpg
(「新金貨物線」の踏切・地図

ここを通過する際は、是非とも、この踏切名に注目してほしい。

IMG_0410.jpg
(踏切名は、「柴又踏切」・地図

何と、「柴又踏切」という踏切名なのである。
この踏切のある地番は、葛飾区新宿(にいじゅく)4丁目で、「柴又」ではないにもかかわらずこの名称が与えられていることこそ、紛れもなく、ここが柴又帝釈天に至る古街道であったことを物語っているのである。

この踏切を渡って100メートルぐらい直進すると、交通量ばかりが多くて味気ない幹線道路(国道6号線)にぶつかるので、それを渡る。

IMG_0412_20120522142308.jpg
(国道6号線を渡る。道の向こう側に見える白い建物は「葛飾区立新宿図書館」)

IMG_0414_20120522142953.jpg
(いかにも旧街道らしくくねっている帝釈道)

やや進むと二股の道が現れるが、ここは左の方に行こう。

IMG_0419.jpg
(二股の道は左へ・地図

この二股の道の右の方は、実は、元々は水路(「小岩用水」)だった所で、ちょっと北側には、申しわけ程度に水路の痕跡が残っている。

IMG_0418.jpg
小岩用水の名残)

また、ここの交差点には、そもそも水路が流れていた頃に架かっていた橋の名残も残されている。

IMG_0417.jpg
(水路が流れていた頃の橋の跡。「長次郎橋」)

ついでだが、この「小岩用水」は、上記地点から南は、ほぼ全線暗渠化されてそのまま道路となっている。
道なりに南下すると、旧江戸川沿いの「前川神社」付近(江戸川区江戸川1丁目・地図)まで辿ることができる。
中川大橋東(国道6号線)あたりから、江戸川下流付近へと直接に抜ける最短ルートでもあり、交通量が多くないので、自転車でも大変走りやすいことも書き添えておこう。

さて、帝釈道をさらに先に進もう。
ここから先は、やや道幅が広くなる。

IMG_0421.jpg
(やや広くなる道幅)

しばらく走っていくと、6差路(地図)に出るがここは、迷うことなく直進すべし。

IMG_0422_20120522172536.jpg
(6差路は直進・地図

6差路を越えると、また道幅は狭くなるが、お陰で、クルマもあまり進入して来ないのかもしれない。

IMG_0423.jpg
(すると、再び、道幅がやや狭くなる)

先ほどの6差路から400メートルほど進むと、今度は、変形5差路(地図)が現れるが、これは左折して大通りに入ればよい。

IMG_0425.jpg
(変形5差路は左折して大通りへ・地図

左折するとすぐに、左に「柴又八幡神社」(境内に6世紀の古墳跡あり)が見えてくる。

IMG_0427.jpg
(「柴又八幡神社」)

すぐに京成金町線の踏切が見えてくるので、そこを渡る。

IMG_0428_20120522175349.jpg
(京成金町線の踏切を渡る)

IMG_0429.jpg
(すぐ右手には、私のお気に入りの「ゑびす家」が見える)

さらに、柴又街道(「柴又帝釈天前」交差点)を渡って、そのまま直進すれば、帝釈天の山門の側面に辿り着く。

IMG_0432_20120522180227.jpg
柴又帝釈天山門)

さらに、そのまま直進して江戸川土手に上がれば、江戸川CRに乗ることもできる。

IMG_0434.jpg
(江戸川CRにも容易に接続)

さて、これまで、葛飾区内の古道・旧道についていくつかの記事を書いてきたが、ここに一枚の地図にまとめておこう。

帝釈道
(青丸が帝釈天。赤線が「帝釈道」、緑線が「旧水戸街道」、黄線が「旧佐倉街道」。明治末期の地図を使用)

これらの古道は、自転車でも走りやすく、しかも、ショートカットするにも重宝な道なので、是非、利用していただきたい。
なお、この地図の範囲より南を通っている「古東海道」については、以下をご参照のこと。
http://danchotei.blog75.fc2.com/blog-entry-320.html

(この項、了)

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行
小さな旅(自転車)    Comment(8)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
Posted by dai
寅さんシリーズは全作見ました、旅立ちのシーンでは、確か高砂方面に向かっていました。
2012.05.13 Sun 20:35 URL [ Edit ]
Posted by kincyan
やはり寅さんは京成電鉄なのかな。駅がしょぼかったのでJRではなさそうな気がしますけど。

daiさんと、例のうどんやで逢いましたよ。奇遇。
2012.05.13 Sun 21:40 URL [ Edit ]
帰りの経路 Posted by 断腸亭
daiさん

寅さんが柴又から旅立つのは、大抵の場合、京成金町線で高砂経由なのは自明なのですが、どういう経路で柴又に「帰って」くるのかという問題です。
私の予想では、上野駅に行く前に、どこかで必ず「飲んで」から向かう筈です・・・。
2012.05.15 Tue 19:16 URL [ Edit ]
「うどんの日」 Posted by 断腸亭
kincyanさん

旅立ちは、京成線ですね。

kincyanさんのブログを読んで、大笑いしてしまいました。
http://blog.livedoor.jp/liveokubo/archives/52014310.html
まさに、「うどんの日」だったんですね。
でも、強烈に関東風なので、kincyanさんのお口に合いましたでしょうか。
2012.05.15 Tue 19:19 URL [ Edit ]
ご無沙汰してます Posted by 職場の部下(ランナー&レスラー)
こんにちは!
先ずは結婚、おめでとうございます。

寅さんに関しては、断腸亭さんほど通な人もなかなかいないですね。
確かに映画では、なんでそっちから来るの?なんでそっちから帰るの?ってシーンがあります。
道を知っている人にとっては永遠のテーマかな。

漱石の引用シーン、これもまた懐かしい話題です。
漱石は主人公を結構歩かせますよね。
昔の人は健脚だったんだなー、と思わされたものです。

房総半島を旅させたりとか。
まるで漱石自身がいろいろなことに考えを巡らせながら歩いていることを想像させます。

私も今は海から離れ、秩父の山々を月に一度ぶらついております。
2012.05.15 Tue 20:39 URL [ Edit ]
歩く文学 Posted by 断腸亭
職場の部下(ランナー&レスラー)さん

コメント、ありがとうございます。

漱石は、食わず嫌いで、これまで読んでなかった作品が結構多くて、最近になって「挽回」しようとしています。

漱石自身、若い頃にほぼ千葉県一周の旅をしていて、そのルートを辿ってみると、途方もなく長距離を「歩いて」います。
こうした経験を作品の中に注ぎ込んだものと思われますが、おっしゃる通り、当時の人は健脚でした(田山花袋などは、特に凄いです)。

明治期の小説は、歩くシーンが多いですね。
もちろん、交通網が貧弱で、歩くしかなかったということはありますが、これによって、文学の肌合いが今と大分違うような気がします。

いずれ、漱石の千葉県一周の旅を自転車で辿ってみるつもりです。

ジョギング紀行に関するお話し、今度、ゆっくりお聞かせ下さい。
また、ブログなどがありましたら、教えて下さい。
2012.05.17 Thu 06:39 URL [ Edit ]
google Posted by 市ちゃん
ご結婚 おめでとうございます。
もうすぐ たけのこの季節。わくわくしています。採れたら
1番にお送りします。6~7月 上京する機会が2回あり、どかで楽しいお話が聞けたら、、。
2012.05.19 Sat 12:10 URL [ Edit ]
竹の子の季節 Posted by 断腸亭
市ちゃん

ご返事、遅くなりました。
そうか、そろそろ竹の子の季節ですね。
市ちゃんが送ってくれる竹の子は絶品なので、楽しみにしております。
東京にいらっしゃる際は、是非ともご一報下さい。
よろしくお願いします。
2012.05.21 Mon 06:09 URL [ Edit ]

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