日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2011.08.11 Thu
清里サイクリング1~日本交通変遷史の教材としての甲州街道
八ヶ岳ツーリングと言いたいところだが、今回は、とてもツーリングなどと言える代物ではなかった。
職務上の合宿にかこつけて、行き帰りの一部と、合宿中の空いている時間を自転車でちょろちょろと走るだけの結果となってしまった(3日間で走った総距離は、たった115キロである)。

今回は、広い意味では「自転車通勤」に過ぎないとも言える。
一種の職場たる合宿所まで、自宅から(輪行を交えて)自転車で走っただけなのだから。

まず、3日間の移動をまとめておこう。

1日目:水元自宅(自走)→東京駅(輪行)中央本線→長坂駅(自走)清里高原ライン→合宿所
2日目:(朝)合宿所→野辺山駅(日本一標高の高いJRの駅)→合宿所、(午後)合宿所→清泉寮→合宿所
3日目:合宿所→清里駅→八ヶ岳公園サイクリングロード→八ヶ岳高原ライン→小淵沢駅(輪行)→御茶ノ水駅(自走)→自宅水元

1日目;

往きに関しては、最初から甲府よりも先まで鉄道輪行することに決めていた。
というのも、一昨年の春、大月駅まで輪行して大月から笹子峠を越えて小淵沢まで走ったことがあるし、また、合宿所への集合時間が15時だったので、そんなに長い距離は走れないと考えていたからである。

朝まだき、ウキウキしながら自転車(ロードバイク)に跨る。
合宿に行くことは、一種の職務なので、本来なら、あまりめでたい出来事ではないはずなのだが、こうして自転車で出かけられるというだけで、私は嬉しくて仕方がない。
そう考えると、現在の私にとって、自転車はきわめて大きな存在で、大袈裟に言えば「生命線」だと言ってもよい。

いつもの通勤路を辿って、これまたいつもの隅田川土手でおにぎりを頬張る。

IMG_0001_20110811070732.jpg
(隅田川土手で朝食。かなり早朝なのに、ジョギングをしている人がたくさんいた)

東京駅八重洲口で、輪行すべく、自転車をバラす。
ちょっと早く着きすぎたので、ホームで待機。

IMG_0002.jpg
(東京駅ホームで列車の入線を待つ私の自転車)

今回私が利用した鉄道のダイヤ。

東京 06:07発 - 長坂 10:11着
所要時間:4時間04分
料金:2,940円

●東京
|  6:07発
|    JR中央線(中央特快)[高尾行]58分
|  7:05着
○高尾(東京)
|  7:26発
|    JR中央本線(普通)[小淵沢行]2時間45分
|  10:11着
■長坂

もちろん、すべて普通列車の利用である。
特急列車だと、速すぎて、風景が楽しめないからである。
高尾までの約1時間は、風景も見慣れたものでつまらないので、ずっと眠っていた。

高尾駅で乗り換え。
高尾駅は、ホームにトイレや自販機があるので、乗り換えには適している(ただし、1番線の付き方が変則的なので注意)。

小淵沢行の列車(6両編成・車椅子スペースなし)に乗り換える。
同じ車輌に乗り合わせた小径車(ダホン)の人と話をする。
聞けば、勝沼で降りて、笛吹川→富士川(街道)を下るのだという。
なるほど、良いルートだなあ。
私も同行したくなるが、今回ばかりはそうはいかない・・・。

IMG_0005_20110811211226.jpg
(高尾駅発~小淵沢駅行の中央本線車内)

高尾から笹子までの甲州街道筋の車窓は、日本交通変遷史の教材を見るようで大変に楽しい。
東から相模川~桂川~笹子川が形成する深い谷に沿うようにして、新旧甲州街道と中央本線(旧甲武線)と中央高速道路が通っている。
そもそも、日本における初期(明治期)の鉄道は、大概、旧来の街道に沿って敷設された。
江戸期までの幹線ルートが、明治期になってもなお政治経済の幹線ルートであり続けたという事実を度外視したとしても、これは当然の話で、鉄道建設のための莫大な資材と労働力は、旧街道か、旧街道に沿って流れる河川によって運搬せざるを得なかったからである。
しかし、鉄道からの風景を眺めていると、視界から、併走する甲州街道(国道20号線)が消え去る区間がある。
鉄道が、トンネルに入ってしまうからであるが、こういう区間は、トンネルによって視界が遮られるということだけではなくて、事実、鉄道と甲州街道がかなり違ったルートをとっている箇所なのである(たとえば、大垂水峠、笹子峠あたりなど)。
はたして、なぜであろうか?

明治期に低地国家の英国(なにしろ1000メートル以上の山が三つしかない)から学んだ鉄道技術では、日本の山岳地に鉄路を敷設し、そこに蒸気機関車を走らせることができなかったので、そういう箇所は、旧街道に沿うような峠越えの鉄路敷設を断念して、トンネルを掘ることでこれを解決しようとした。
トンネルを通せば、空気も悪いし、景色も見えず、誰にとってもつまらないルートを造り出すことになるのは必定だが、速く目的地に辿り着けさえすればよいという近代人特有の欲望は満たすことができた。
この考え方が、戦後1960年代以降の高速道路(クルマの専用道)にも生かされることになったので、鉄道のトンネルの隣りに仲良く併走するように高速道路が築かれることになる。
その結果、高速道路も、観光絵葉書によくあるような遠景パノラマしか見えない実に不細工な道路空間を作りだすことになった。
こうして、道中を楽しむ旅から、目的地を目指すだけのつまらない旅が誕生した。
これはまた、不快な道中を我慢してでもなるべく速く到着できた方がよいという感受性(スピード狂)をも産みだした(飛行機などその最たる例であろう)。
中央本線の車窓からの風景を、地図に照らし合わながら眺めていると、以上のようなことが手に取るように感じられるのである。

IMG_0003_20110811220530.jpg
(勝沼あたりの車窓からの眺め。一面の葡萄畑)

そんなことを考えながら、車窓を眺めているうちに、いよいよ長坂駅に到着した。
輪行で駅に着いたときはいつもそうなのだが、やっとこれから自転車に乗れると思うと、身体中に嬉しさがこみ上げてくる。

長坂駅の標高は、約720メートル。
清里の合宿所のそれは、約1390メートル。
つまりは、東京から列車で約700メートル登ってきて、これから自転車で約700メートルを登る勘定である。

駅前で自転車を組み立てて、案内所で何種類かの観光地図を入手する。

経路は至って単純で、駅前の県道32号線を東進して、清里高原ライン(県道28号線・6年前までは有料道路だった)を登るだけである。

清里が本格的に開墾開発されたのは戦後のことなので、信玄の棒道ではないが、ここの幹線道のほとんどが、当初からクルマで交通することを念頭に置いて建設されているので、山肌を一直線に登るようについているので、自転車にとっては非常に厳しい道が多い。
清里高原ラインなぞは、そもそもが有料道路として建設されたので、とりわけその傾向が強い。

私は初めから、32t×28t(今回のために作ったスプロケ)で、トコトコと登り始めた。

IMG_0008_20110811220441.jpg
(清里高原ライン)

清里では、ほとんどの幹線道に、片側には比較的走りやすい歩道&自転車道が付いている。
私の場合、登りは歩道を、降りは車道を走ることが多かった。

走っていると、目の前に、朝鮮語が並記されている変わった記念碑が現れた。

IMG_0007_20110811221549.jpg
(浅川兄弟生誕地の記念碑)

知らなかった。
浅川巧は、ここの出身だったんだ。
私は、若い頃、柳宗悦に私淑しており、特にその朝鮮の民衆文化に関する著作から多くのことを教わった。
誰もが、朝鮮人とその文化をひどくさげすんでいた日帝時代に、柳宗悦は、きわめて理知的かつ情感的に朝鮮の文化を評価した。
その柳宗悦に、朝鮮の民芸の素晴らしさを気づかせるきっかけとなったのが、浅川巧である。
私はヘルメットを脱ぎ、記念碑に一礼して、再び坂を登り始めた。

(続く)

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
旅(自転車)    Comment(8)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
富士川 Posted by kincyan
私は自転車で信州甲府地域に行ったことがないので、旅行記が新鮮です。断腸亭さんのコースもさることながら、ダホンの方がおっしゃっていた勝沼から富士川を下るコースというのも魅力的ですね。今調べたら、ほとんど下りのコースで約95km。今度試してみようと思います。
2011.08.12 Fri 04:16 URL [ Edit ]
夢、ふくらみて・・・ Posted by 断腸亭
kincyanさん

やっぱりそう思いましたか。
いずれ、自転車で畿内方面に行きたいのですが、勝沼で降りて、富士川を下って、旧東海道を辿る。
自ずと箱根峠を回避できる・・・。
富士川街道(国道52号)は、まだ旧道も生きているようなので、きっとダイナミックな景色も楽しめると思います。

また、日帰りなら、笹子駅まで輪行。
旧道笹子峠を越えて、勝沼でたらふくワインを飲んで、勝沼ぶどう郷駅から輪行で帰るというのもいいですね。

あるいは、富士川から東下コースで、逆から箱根峠を越えるという旅も面白い。
東海道をただ辿るより、立体的なツーリングができますね。
2011.08.12 Fri 08:36 URL [ Edit ]
Posted by フリー
私も10数年前に、柳宗悦はよく読んでいました。
民芸という言葉が、彼の意思とは裏腹に、観光地のお土産物屋に勝手に流用されるという残念な状況が昔はありましたね。生活に密着した手作りで、実用的な道具の中に、美を求めるというのが民芸運動であり、お土産になるような軟弱なものは民芸ではないはず。

イ―ムズの椅子をちゃんと評価していた柳。今だと、ブロンプトンを絶賛するでしょうね。

ちなみに、宗悦の長男である柳宗理のエレファント・スツールをずっと愛用しています。
2011.08.16 Tue 11:00 URL [ Edit ]
柳宗悦はもっと読まれるべきですね Posted by 断腸亭
フリーさん

最近は、柳宗悦の著作も、文庫化されましたが、当時は、春秋社の全集を買わなければ読めなかったので、学生の身にはちょっと大変でした。
私は、ウィリアム・モリスから柳宗悦に入り、朝鮮の民衆文化から出た感じです。
宗教的な著作は、あまりピンと来ませんでしたが、今読めば、分かるかもしれません。
2011.08.17 Wed 06:46 URL [ Edit ]
Posted by フリー
そうそう、春秋社ね。懐かしい。今でも、岩波から出た文庫と春秋社の全集が3~4冊ずつ位あるかな。私はウィリアム・モリスは全然読んでないんですよね。系統だった読書というのが苦手で(笑)。

でも、柳宗悦のおかげで、李朝時代の陶磁器や民画の素晴らしさを知りました。貧乏な私には、その当時李朝の白磁なんて高価なものはとても手が出ず、もっぱら、庶民的な「堅手」と呼ばれる白磁の出来そこない(しかも欠片)や、民画の切れっぱしを集めていた時期がありました。
2011.08.17 Wed 10:32 URL [ Edit ]
宗悦ポタ Posted by 断腸亭
フリーさん

ご存知のように、柳宗悦は、一時、我孫子に住んでいましたね。
今度、宗悦ポタをやりましょうか。
できるかなあ?
2011.08.18 Thu 06:04 URL [ Edit ]
Posted by フリー
我孫子の白樺文学館、旧志賀直哉邸は行ったことありますけど。この企画は柳宗悦の思想をそれとなく伝えることが肝要かな。

今は、安価な工業製品が溢れかえり、翌日には捨てられている時代ですが、地方の流行遅れの意匠で、高価な(しかし、頑丈な)手作り製品を、一生どころか何代にもわたって、大事に修理を施して使い続けていくという、ものとの長い接し方。江戸時代以来の日本人の美徳ですが、民芸運動の目指したところでもあります。


われわれは自分の道具を大切にする自転車乗りですので、この価値観は共有出来そうな気がします。

都内だと、日本民芸館や、本物の民芸品店「備後屋」見学(買い物)は必須ですね。ただし、自転車が必要な企画かどうかはわかりません(笑)。
2011.08.18 Thu 11:52 URL [ Edit ]
「楽しい労働」 Posted by 断腸亭
フリーさん

ウィリアム・モリスの、楽しくない労働は機械化してもよいが、楽しい労働は決して機械化してはならないというテーゼの中から出てきたのが、「手仕事」の重要性だと思います。
この考え方を敷衍させると、自転車は、まさに「楽しい労働」の部類に入ると思います。

手賀沼と駒場を同時にカバーするサイクリングは無理なので、やはり、白樺派でくくって、手賀沼周辺で一つ、駒場周辺で一つですね。
2011.08.19 Fri 08:42 URL [ Edit ]

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