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断腸亭日録~自転車日記
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2011.07.22 Fri
志賀直哉の「自転車」を読む4~ランブラーの仕様について~やっぱり固定ギアじゃなきゃ
志賀直哉は、高校生に上がった頃、中学生時代に乗っていたデイトンを自転車屋(神田錦町)に50円で売って、別の自転車屋(神田美土代町)で新しいランブラーを140円で購入した(いずれも米国製)。
実は、この購入にまつわる心温まるエピソードが、「自転車」という作品のいわば「華」なのだが、ここでは触れない。

この時、そもそも直哉が狙っていた自転車は、ランブラーではなく、新型のクリーヴランド(米国製)という自転車だったが、ランブラーのデザインを一目見て気が変わったのだという。

「横と斜のフレームは黒、縦は朱に塗った、見た眼に美しい車だった。・・・古くなったデイトンより遙かに軽く、乗り心地がよかった」(393頁)。

つまりは、今風に言えば、トップチューブとダウンチューブがブラックで、シートチューブはオレンジのカッコイイ自転車で、前のものより、はるかに乗り味が軽かったということであろう。

因みに、1880年代の世界の自転車業界は、英米がしのぎをけずっていた。
そして、1890年代に、最終的にこの競争に勝利を収めたのは米国で、日本に輸入される米国製自転車の台数も増加して、しかも、日本の自転車乗りに人気があるのも米国製だったようである。

自転車にめざとかった直哉は、このあたりの事情を次のように書いている。

「その頃、日本ではまだ自転車製造が出来ず、主に米国から輸入し、それに英国製のものが幾らかあった。英国製は親切に出来ていて、堅実ではあったが、野暮臭く、それよりも泥除け、歯止めなどない米国製のものが値も廉かったし、私達には喜ばれた」(384頁)。

その頃、つまりは、1890年代後半頃、「日本ではまだ自転車製造が出来ず」というのは、半分は正しいが、半分は間違っている。
「特製」の自転車としては、既に、明治初期から国産のものがあった(1881年の第2回「内国博覧会」には国産自転車が出品)が、大量生産品が出始めるのは、1890年ぐらい(宮田製銃所)で、しかもしばらくは、(「安全型自転車」には欠かせない)チェーンやスポークや(ボールベアリング仕様)ハブの部品類は、欧米からの輸入品であったようである。
また、その生産台数は僅少であったかもしれないが、既に1893(明治26)年には、タイヤ以外のすべての部品を国内で製造できるようになっていた(参照)のも事実である。

さて、その後のくだりの英米の自転車比較も面白い。
英国製=頑丈で品質はよいが格好悪い。
米国製=廉価で格好いい。
というような図式が当時はできあがっていたことが分かる。

米国製が格好いいのは、泥除けや「歯止め」がなかったこととも関係がありそうで、その「歯止め」とは、ブレーキのことに違いない。
泥除けのない自転車が格好いいという風潮は、現在のスポーツ自転車の流行にも通じることなので、これについては説明を要しないかもしれないが、ブレーキ(「歯止め」)の方はどうだろう。

そう言えば、切支丹坂を自転車で下るという「偉業」を成し遂げた直哉少年であったが、それについて書かれた一節では、志賀直哉はその時乗っていた自転車(たぶん、デイトン)には「ブレーキがない」ので、という書き方をしていて、「歯止め」という言葉を使っていない。

つまり、「歯止め」と「ブレーキ」という言葉をはっきり使い分けていることが分かる。

切支丹坂の件で直哉が「ブレーキがない」と書いているのは、戦後(昭和26年)の自転車では当たり前に付いていたキャリパーブレーキやドラムブレーキのことであろう。
つまり、戦後の時点では、「歯止め」と言っても、多くの読者はピンと来ないので「ブレーキ」という言葉を選択したものと思われる。

とすれば、「歯止め」という言葉を使ったのは、当時(19世紀末)の自転車のブレーキという意味合いを出したかったからだと考えられる。
この時点で、自転車に採用されていたブレーキは、主として3種類しかない。

1.ミショー型自転車の頃から存在した初期型のスプーンブレーキ。
2.1887年頃発明されたキャリパーブレーキ(現在でも、ママチャリの前輪やロードバイクで使用)。
3.1898年頃発明されたコースターブレーキ

IMG_0121_20110722130100.jpg
(コースターブレーキ。「自転車文化センター」にて撮影)

ところで、直哉が、ランブラーを購入したのは、1898年かその翌年の1899年である。
3のような新型のブレーキが発明されたからと言って、すぐに大量生産品に導入されたわけではなさそうなこと、および、米国から日本に自転車を運搬する最速の手段はまだ蒸気船による船便しかなく数ヶ月を要したであろうことなどを考え合わせると、ここで言う「歯止め」というのは、1の旧型のスプーンブレーキないしは2のキャリパーブレーキ(ダックブレーキを含む)のことを意味している可能性が高いのではなかろうか。

かくして、新たに購入した直哉の140円のランブラーも、当時の自転車乗りの好みからして、中学時代の愛車デイトンと同様、ノーブレーキの固定ギアだったと推測できる。

さらに、直哉は、当時流行っていた自転車の「曲乗り」にも凝っていたことも、固定ギアの自転車を選択したであろう傍証にもなる(391頁)。

そして「自転車」の最後の段落で、志賀直哉は次のように結んでいる。

「私は自転車に対し、今も、郷愁のようなものを幾らか持っているのか、そこにあればちょっと乗ってみたりもするが、自転車そのものが昔と変わってしまったために乗りにくくもあり、さすがに今は乗って、それを面白いとは感じられなくなった」(399頁)。

「自転車そのものが昔と変わってしまったために乗りにくく」というのは、おそらく、明治末期以降の自転車のほとんどに導入されたフリーホイール仕様(freewheel)の自転車のことを言っているのであろう。

切支丹坂をスキッド制動法でスリリングなひよどり越えをしたり、曲乗りを楽しんでいた志賀直哉にしてみれば、「今」の自転車はそんなに面白いものではなかったのかもしれない。

してみれば、1900年頃に中村春吉が下関で購入したランブラーも、固定ギア仕様だった可能性が高まってくるが、これは状況証拠にすぎない。
春吉については、また、改めて。

参考文献:
「自転車」(ちくま日本文学21巻『志賀直哉』所収、筑摩書房)
佐野祐二『自転車の文化史』(中公文庫、1987年)

承前の記事

(この項、了)

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
自転車文学    Comment(4)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
面白かった Posted by 相子
お髭先生 読んでも知識がありませんから、具体的には良く分かりません。でも面白かったです。参考資料の明治時代の系譜は何となく知って得した気分です。
2011.07.23 Sat 11:07 URL [ Edit ]
明治時代 Posted by 断腸亭
相子さん

いささか論理が混乱しているばかりか、牽強付会でもある駄文を読んでいただいて、ありがとうございます。
自転車のことをちょっと調べてみるだけで、明治時代というのはすごい時代だったことが分かります。
次は、荷風の玉ノ井を片づけなければなりません・・・。
2011.07.24 Sun 07:32 URL [ Edit ]
こんばんは Posted by jacksbeans
志賀直哉の「自転車」、なかなか面白そうですね。ちょっとした自転車練習日記のようなものかと誤解して読まずじまいで来ましたが、これはもう読むべし、ですね。
2011.07.25 Mon 20:29 URL [ Edit ]
面白いですよ Posted by 断腸亭
jacksbeansさん

志賀直哉は、結局、自転車に乗れるようにならなかった漱石とは違って、体育の先生になれるほどの運動神経抜群の青年だったようです。
「自転車」は、作品としても、面白いですよ。
2011.07.25 Mon 21:57 URL [ Edit ]

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