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断腸亭日録~自転車日記
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2011.07.16 Sat
自転車のお勉強~自転車文化センター再訪3(自転車進化論の試み)
人類の進化の歴史は、大まかに言えば、「猿人」(アウストラロピテクスなど)→「原人」(北京原人など)→「旧人」(ネアンデルタール人など)→「新人」(ホモサピエンス)というプロセスを辿ってきたと言われている。

「安全型自転車」は、まさに、現代の自転車の直接的な先祖にあたるので、人類史上のホモサピエンス(約25万年前)に相当すると言えよう。
だとすれば、それ以前の「猿人」「原人」「旧人」それぞれの段階に相当するのは、どのタイプの自転車であろうか。

私が考えるに、「猿人」段階は、古代の戦車、馬車、牛車、荷車、人力車などの、「並列」車輪構造をもったペダルのない車輌で、これの淵源は、ピラミッドなどを運ぶための「コロ」に辿り着くだろう。
車輌の歴史の中では、明らかに、「並列」二輪から四輪以上までの車輌は、原始的な段階で、二つの車輪が「縦列」に並んだ瞬間、新たな段階に入ることになる。
だから、自転車進化論的な視点から言えば、クルマ(自動車)の方が、原始的な車輌(乗り物)ということになる(四足歩行動物のが、二足歩行動物よりも原始的なのとやや似ている)。

車輪がまだ、「並列」に並んでいた原初の時代の車輌としては、古代の戦車(chariot)などがその一例だと考えることができると思う。

戦車ピテクス
(古代の戦車[古代エジプト]=アウストラロピテクス)

その後、19世紀の初め、二つの車輪が初めて「縦列」に並んだ段階が、人類史で言えば、「原人」段階に相当し、車輪付の木馬やドライジーネ型自転車がこれに相当するだろう。
しかし、この段階では、まだ、足で地面を蹴って進むだけで、まだペダル&クランクはない。

北京ジーネ

(ドライジーネ=北京原人)

ペダル&クランクが導入された「ミショー型」や「オーディナリー型」が、差詰め「旧人」に当たる。
前輪駆動で車輪直結型のペダル&クランクで、まだ、チェーンを介する後輪駆動ではない。

ミショーデルタール
(「ミショー型」=ネアンデタール人)

そして、「安全型」の自転車こそ、現在の自転車につながるホモ・サピエンスだと言えるのではなかろうか。

セイフティサピエンス
(「安全型」=ホモ・サピエンス。人間の方は、あまり進歩していないようだ)

では、現在の「道路」(線路ではない)を走っているほかの車輌はどうなるか?

まず、オートバイ。
オートバイは、車輪が「縦列」に並んでいること、チェーンを擁していることでは、かなり高等な種だと言えるが、ペダルがないのは大変に残念である(その意味では、初期型の原付自転車はいい線を行っていた)。
しかも、オートバイは、せっかく足で地面を蹴れば進むものを、内燃機関など余計な物を積み込んでしまったお陰で過度に重量化したので、わざわざ化石燃料まで燃焼させなければ走ることができないという点では、ドライジーネより退化した不便な乗り物だと言えよう。
そういう意味では、高等なサルほどということになる。
まあ、チンパンジーかゴリラぐらいだろうか。

では、クルマは?
ペダルもないし、車輪が並列に並んでいることから、少なくとも、猿人以下である。
化石燃料を使うこと、きわめて車体が重いこと、高価であることなど、数え切れないほどの負の要素を考え合わせれば、古代の戦車以下ということになろう。
となれば、サル以下で、ネズミからサルに進化する過程にある生物(ハイエナかアライグマぐらい)といったところだろうか。

われわれは、(この列島では)80年間あまり、クルマを中心に価値観をで組み立てることに腐心してきたわけだが、それは、クルマ進化論的(クルマ中心主義的)な観点から物事を見たときにだけ一時的に成立する考え方で、自転車や徒歩や逆立ち歩きやウサギ跳びなどを中心に考えた場合、クルマという乗り物は、かなり退化した生ける「化石」(ちゃんと化石燃料を使っている)のような移動手段のように見えてくる。

ちなみに、乗り物ではないが、私は原発についても、同じように考えている。
何も今回の事故で初めて判明したわけではないが、電気を発電する仕組み(機械)としては、原発ほど、莫大なコストがかかり、人々の暮らしを脅かし、森羅万象を恐怖のどん底に突き落とすものはないという意味では、もはや、生物進化論の過程には置き換えられないぐらい破滅的かつ原始的な存在だと言える(強いて言えば、バクテリア以前)。
原発を前にしては、「命あっての物種」という、終末論的な言葉すら思い出させられるほどである。

さて今回は、ちょっと脇道に逸れたが、次回は、「安全型自転車」の細部的発展について、たとえば、ブレーキや変速機などの仕組みについて書くつもりである。

(続く)

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
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