日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2011.07.14 Thu
自転車のお勉強~自転車文化センター再訪1
7月9日(土)

休日出勤である。
何と4週連続。
今期は、3月の奥羽大地震のため、スケジュールがぎちぎちに詰まってしまって、例年の仕事をこなすためには仕方がないのだという・・・。
こちらも「仕方がない」ので、どうせなら寄り道でもして、できるだけ有意義な通勤をしようというものである。

さて、高校生の志賀直哉が乗っていた米国製ランブレーは、ほぼ仕様が推測できる(多分、固定ギア仕様・理由は後日書く予定)が、さて、中村春吉が世界旅行に使用した米国製ランブレーの仕様が依然として不明である。

当時(19世紀末~20世紀初頭)の日本には、「ミショー型」(僅少)も、「オーディナリー型」(少数)も、「安全型」(多数)も入り乱れるように走っていたようだ(それぞれの型の自転車については後に解説)。
直哉も、春吉も、「安全型」で空気タイヤ仕様であることは分かっているが、春吉のランブレーについては、後輪ギアが固定であるかフリーであるかが謎である。
また、直哉は、文脈上、新品で買ったとことが分かるが、春吉は、新品で買ったのか、中古を買ったのかも不明である。
当時は既にフリーギアもコースターブレーキも実用化されていたことは分かっているが、春吉の自転車がそのいずれ(固定 or フリー)であったかを判断する決め手がなくて困り果てている・・・。

そういうわけで、出勤の途中、久々に北の丸公園の「自転車文化センター」に寄ってみることにした。

11時半に杉並の職場に到着しなくてはならないが、自転車文化センターが開館するのは9時半。
開館と同時に入館して、60分ほど見学して職場に向かえば何とか間に合う勘定である。

今日も、昨日に引き続き、ロードバイクで行くことにした(サドルバックを付けたままだし)。

ところが、途中、駿河台の明大通りを下って、駿河台下の交差点で信号待ちをしていたとき、びっくりするような光景に出くわした。
靖国通りを左(東)からものすごいスピードで、一台の青色のピストバイクが走り抜けて行く。
こちらの信号が青になった直後だったので、たぶん、赤信号になってから交差点に飛び込んだのだと思う。
土曜なのでクルマは少なかったが、ちょっと危険な信号無視だなと思って見ていたら、どうしたことか、そのピスト、そのまま渡った先の(三省堂の前の)歩道に走りこんだ。
と、その瞬間、自転車が高く飛び上がったと思うや、約1回転半前転して激しく転倒した。

私は、交差点をゆっくり渡りながら、乗り手のことが心配になって、しばらく様子を見ていたら、二十歳前後の青年(髪を金色に着色)がよろよろと立ち上がった。
ちょうど歩道を歩いていた人に、たぶん「大丈夫ですか」などと声を掛けられ、青年は頭をかきながらにやにやしていた。

その新品のピストには、ブレーキレバーは見えたが、ペダルにはトゥークリップが装着されていなかった。
また、ヘルメットを被っていなかったことなどから判断するに、おそらく、この乗り手は、まだ自転車の恐ろしさを知らない初心者だと推察する。

私が想像するに、高速で歩道に上がった際に、多少バランスを崩し、その上、前方に歩行者の姿が見えたのだが、スキッド(ペダルの逆転制動)ではとても止まりきれず、前のキャリパーブレーキをパニック気味に強引したため、前転(ジャックナイフ)したのではないだろうか?

この手の事故は、ピストだから起こったわけではないが、なぜか、ピスト乗りの人は、ノーヘル率が高いように思われる。
ロードバイクよりもずっと危険なピスト乗りの人がヘルメットも被らずに公道を走るのは、私にとっては、女子高生がスカートの下にステテコのようなものを履いているのと同じぐらい不思議である。

数日前のブログで、志賀直哉少年がノーヘル・ノーブレーキで東京の街を走り回っていたと、ちょっと面白めかして書いてしまったが、当時は、たとえば、二〇三高地を攻略する帝国陸軍の兵隊すら軍帽のみでヘルメットを被っていなかった時代なので、直哉少年がヘルメットを被って自転車に乗るなぞ、考えられないことだったのだ。
しかし、現在では、幼児すらヘルメットを被っている時代。
良い子のピスト乗りは、100年以上前の例を決して真似しないように・・・。

さて、私は、内堀通りから紀伊国坂を上がって、開館時間の9時半ちょうどに自転車文化センター前に到着。
自転車文化センター」に来るのは、これで3回目。
過去の2回は、「現代」の自転車にしか興味がなかったので、展示してある初期型の自転車にはほとんど目もくれずに通り過ぎてしまったが、今回ばかりは、過去の自転車のみをよく観察する気で満々であった。

IMG_0140.jpg
(北の丸公園に到着。ちょっと木陰で休憩)

入館すると、ちゃんと冷房が作動していたので、上着やパンツを引っ張って、身体に冷気を取り込む。

自転車に乗ることは好きだが、自転車の歴史に疎かった私は、最近になって、遅ればせながら猛勉強を始めたところで、やっと少しずつ分かってきたところである。

自転車の歴史は結構複雑だが、以下、「自転車文化センター」の展示物に沿って、簡単にまとめておこう。

まず、自転車の起源と言われるものが登場したのは、今から200年近く前の1818年のドイツに於いてで、ドライス伯爵の考案したドライジーネ型自転車である(これについては、過去の記事「自転車の起源~曲芸の実用化」をご参照)。

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(ドライジーネ型自転車の模造。向かって右が前。車重は約23キロ。「自転車文化センター」にて撮影)

ご覧のように、まだペダルがなくて、両足で地面を蹴って前に進んでいたのだが、ご想像の通り、ドライジーネ型自転車の前身は木馬であった。

IMG_0117_20110714104413.jpg
(自転車の前身だと思われる木馬。「自転車文化センター」にて撮影)

木馬(wooden horse)は、西欧では、いつの頃からか、子供用の玩具として着実に発展していたようたが、古代ギリシャのトロイアの木馬(ホメーロス『イーリアス』)の例もあるように、その起源については、とてもここで簡単に触れることができないほど過去の淵源まで遡らなければならないものであろう。

ミコノスの壺
(紀元前7世紀作製の壺に描かれたトロイアの木馬)

ただ、いわゆる伝統的な玩具たる「揺り木馬」(rocking horse)に車輪が付いたのはいつ頃なのかという問題は、是非とも解明しなければならない事柄なのだが、今の私の手に余る問題だし、加えて、「車輪」の起源とその歴史についても、「自転車の文化史」にとっては触れざるを得ない要因であると思われるが、これについても、只今勉強中にてここに書き表すことは到底できない。

ただ、ここで指摘しておいてよいのは、紀元前から始まった「乗馬」(たぶん、中央アジアが起源)と自転車に乗ることのアナロジー(類似性)である(分かりやすいところでは、サドル=鞍など)。
私見では、もし何世紀にも渡る乗馬という経験がなかったら、人類は、クルマはおろか、自転車も発明できなかったのではないかと睨んでいる・・・。

さて、いささか横道にそれたかもしれないが、次のいわゆる「ミショー型自転車」において、初めて「ペダル(とクランク)」が導入されることとなった(前輪駆動車)。

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(「ミショー型自転車」。これは、1877(明治10)年頃、日本において鍛冶職人によって製造されたもの。「自転車文化センター」にて撮影)

これまでのように足で地面を蹴って進むのではなくて、前輪軸にクランクとペダルを直付けすることで、始めて、乗り手の足が地面か離れることになった(乗馬の「鐙(あぶみ)」からの発想か?明治時代、ペダルを表すのに「鐙」の字を当てていた)。
これの発明者は、ピエール・ミショーというフランス人で、1861年頃のことだと言われている。

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(ペダルを考案した鍛冶職人のピエール・ミショー。「自転車文化センター」にて撮影)

ミショーの息子
(自転車に乗るミショーの息子。1868年)

上の絵からも分かるかもしれないが、「ミショー型自転車(velocipede)」で、もう一つ注目しておかなくてはならないのは、ブレーキ(後輪)の導入である。
このような初期型の自転車ブレーキのことを「スプーンブレーキ」という。
後輪に直接押し付けることで制動する仕組みになっている。

IMG_0124_20110714161856.jpg
(スプーンブレーキ本体。「自転車文化センター」にて撮影)

われわれがその特徴のある形態からよく知っている「オーディナリー型自転車」(ペニーファージングとも、ダルマ自転車とも呼ばれる)というのは、大きな流れの中では、この「ミショー型自転車」の直系ないしは同類だと言える(速度を上げるために前輪が肥大化した。時速20キロ以上で走ることができたという)。

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(「オーディナリー型自転車」。1870年代に登場。英国を中心に普及。「自転車文化センター」にて撮影)

さて、やっとペダルが登場したばかりだが、疲れてきたので、「安全型」など後半は、次回にしよう。
自転車の「お勉強」はまだまだ続く・・・。

参考文献;
佐野祐二『自転車の文化史』(中公文庫、1987年)
岸本孝『自転車の事典』(文園社、2002年)

この日の走行距離:62キロ(ロードバイク)

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
自転車    Comment(2)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
こんにちは Posted by jacksbeans
こんにちは、
わたしのブログにも来ていただき、ありがとうございました。
自転車文化センターは、いちど行ってみたいと思っていたところでした。なにぶん大阪住まいで、東京へは仕事で行くばかりでチャンスがありません。できるなら、ホテルからでも自分で自転車をこいで北の丸公園へ行きたいと、この記事を読ませていただきながら、改めてこころに誓ったところです。今後とも、よろしく。
2011.07.20 Wed 13:26 URL [ Edit ]
私は、「自転車博物館」に行きたいです Posted by 断腸亭
jacksbeansさん

コメント、ありがとうございます。

柳田国男の『明治大正史世相編』という本がありますが、日常の品々がその時代にどんな使われ方をして、どんな意味合いをもっていたのかということに興味を抱いております。
その手がかりとして、映画や文学のなかで、自転車がどのように描かれているかに興味があるわけですが、そういう例を見つける手だてがなくて困っていました。
jacksbeansさんのブログと出会って、びっくりしました。
基本的には、こつこつと集めるしかないという原点に気づかされた思いです。

「自転車文化センター」のある北の丸公園内は、自転車の乗り入れができます。
森の中に羊腸の小径がついていて、奥の方に入り込むと、東京のど真ん中にこんな所があったのかというような幽玄な場所もあります。
是非、いらしてみて下さい。
ご連絡頂ければ、ご案内しますよ。

とかく言う私ですが、堺の「自転車博物館」には、まだ行ったことがないのです(河内には何回か行ったことがあるのですが)。
この夏、自転車を積んで各駅停車(東海道本線)に乗って、所々を走るような感じで、堺まで行けたらなあと夢想しているところです。
2011.07.21 Thu 05:11 URL [ Edit ]

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