日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2011.07.07 Thu
志賀直哉の「自転車」を読む3~「切支丹坂」の怪
3.「切支丹坂」異聞

永井荷風の『日和下駄(ひよりげた)』(1915[大正4]年刊)は、言ってみれば、極上の「江戸東京散歩案内」といったところだろうか。
今では、軽便な文庫本として刊行されている(『永井荷風随筆集』上巻所収、岩波文庫)ので、サイクリングやウォーキングの友として懐中に忍ばせておけば、思いがけずも、荷風と時間とによって醸成された江戸東京の風景に近づくことができるというものである。

日和下駄挿絵
(荷風『日和下駄』の自筆原稿・挿絵)

さて、学習院の学生であった志賀直哉が、19世紀末に自転車で「ひよどり越え」をしたという「切支丹坂」であるが、小石川(現・文京区春日2-20-25)で生まれた荷風も、もちろん、『日和下駄』のかなで言及している。

「私の生れた小石川には崖が沢山あった。第一に思い出すのは茗荷谷の小径から仰ぎ見る左右の崖で、一方にはその名さへ気味の悪い切支丹坂が斜(ななめ)に開けそれと向い合っては名前を忘れてしまったが山道のような細い道が小日向台町(こびなただいまち)の裏へと攀登(よじのぼ)っている。今はこの左右の崖も大方は趣のない積み方をした当世風の石垣となり、竹薮も樹木も伐払(きりはら)われて、全く以前の薄暗い物凄さを失ってしまった」(『永井荷風随筆集』上巻、岩波文庫、85頁)。

かつて(明治期)の切支丹坂の雰囲気は、まさに「道幅が一間半ほどしかなく、しかも両側の屋敷の大木が鬱蒼と繁り、昼でも薄暗い坂」だったという志賀直哉の記述とも一致しているが、荷風が指摘しているように、大正期には既に「竹薮も樹木も伐払われて」「以前の薄暗い物凄さ」は失われてしまっていたというのだから、現在の切支丹坂も、まったくつまらない坂道になってしまっている可能性が高いものの、とにかく、地図を調べて、現場に行ってみることにした。

ちょうどその日は、中野の方南町で職務上の会合がある日だったので、その途中に寄ってみることにした(フジクロス)。
とても暑い日だった。

厩橋の交差点から春日通りを西進する。
春日通りというのは、隅田川から御徒町・本郷・後楽園・小石川あたりを抜けて、大塚池袋方面に至るなかなか便利な幹線道路ではあるが、台地を貫いて通っているので、何というか、無用に坂が多いような気がして、普段はあまり使わない。
改めて地図を見てみると、切通坂、真砂坂、富坂などが連なっている。
富坂などは、かなり迫力のある坂で、墨東から東京西部に楽に抜けるには、台東区あたりからは別の道を利用した方がよいと思う。

春日通りを「茗台中学校前」の交差点で左折する(地図)。

IMG_0029_20110707164413.jpg
(春日通りを左折したところの住居表示街区案内板)

南西にのびる道を辿って行くと、急激に道は狭くなって、突然、眼前にものすごい坂が現れた。
坂というよりは、ほとんど崖で、その存在を知らずに猛スピードで走り込めば、転落しないとも限らない。

IMG_0032_20110707165022.jpg
(突然眼前に現れた激坂)

これが切支丹坂かと思って、ふとあたりを見ると、坂を登り切った所に「庚申坂」という案内板が建っているではないか。

IMG_0031_20110707165216.jpg
(「庚申坂」の案内板)

案内板の説明を読んでみたが、書かれていることの意味が今ひとつよく分からなかった。
でもまあ、少なくとも、これは「切支丹坂」ではないから構わないという気持ちで、乗ったままではとても無理なので、自転車を引きながら恐る恐る坂を下る。

「庚申坂」を下りきると、トンネルが現れる。

IMG_0035_20110707170006.jpg
(「庚申坂」を降りきると前にはトンネルが現れた)

坂下から改めて坂を見上げる。
それにしても、すごい坂だなあ・・・。

IMG_0033_20110707170556.jpg
(「庚申坂」を坂下から見上げる)

持ってきた地図を開いて、「切支丹坂」の位置を確認する。
なるほど、このトンネルは、丸ノ内線の下をくぐっていて、このトンネルを抜けた先が「切支丹坂」であることが分かったので、自転車に跨って、トンネルを進んだ。

IMG_0034_20110707170936.jpg

トンネルを抜けるとすぐに急坂が現れた。
どこにも表示板のようなものは見当たらないが、地図によると、これが間違いなく「切支丹坂」である。

IMG_0036_20110707171125.jpg
(「切支丹坂」。坂下より)

多少急ではあるが、短いので、自転車でも比較的簡単に登ることができる(ママチャリでも、立ち漕ぎをすれば登坂可能)。
降りるのは、至極簡単だと言える。
しかも、直哉や荷風が書いていたような気味悪さは微塵もなくて、長閑な住宅に囲まれて、どこからともなく、香しいクチナシの花の香りが漂っていた。

IMG_0037_20110707171410.jpg
(「切支丹坂」。坂上から)

最初の「庚申坂」には度肝を抜かれたが、「切支丹坂」の雰囲気は、あまりにも凡庸で、多少がっかりしながら、私はその場を後にした。

中野の方南町での用事を済ませ私は、帰宅すると、さっそくこのブログを書くべく、この記事で既に引用した荷風(『日和下駄』)の記述などから「切支丹坂」について、地図と照らし合わせながらいろいろと調べ始めた。
ところが、どうもしっくりと来ない点がある。

荷風の記述によると、小石川台側の坂が「切支丹坂」で、「それと向い合っては名前を忘れてしまったが山道のような細い道が小日向台町」にのびているとある。
このあたりの地形を略記すると、ほぼ南北に「茗荷谷」という深い谷が走っていて、現在はそこに丸ノ内線が走っているのだが、その東側が小石川台地、西側が小日向台地ということになる。

ということは、荷風に従えば、小石川台地側の坂が「切支丹坂」ということになるのだが、私の実地調査によれば、この小石川側の坂はどうしても「庚申坂」でなければならないのである。

さすがの荷風も何らかの勘違いをして、誤記したのか?
でも、荷風のような地元の人間が、そんな単純なミスを犯すだろうか?

さらに、ネット上をいろいろと調査した結果、やっと謎が解けた。

決め手になったのは、松本崇男という方の「切支丹坂考」という論文であった。

切支丹坂の所在についての力作論考で、そのあらましを跡づけることことさえ煩雑に過ぎるので、ここでは省略するが、結論から言えば、荷風が「切支丹坂」と呼んでいたのは、現在の「庚申坂」に相当する
また、明治時代の多くの文人たち(漱石など)も、現在の「庚申坂」のことを「切支丹坂」と呼んでいたということである。
ということは、志賀直哉が「切支丹坂」と呼んでいたのも、ほぼ間違いなく、現在の「庚申坂」のことだと断言してもよかろう

しかも、私がよく理解できなかった「庚申坂」の説明板の意図するところも、これで分かったことになる。
それにしても人騒がせな話しで、文京区教育委員会も、説明板の最後に、「ただし、明治時代には、多くの人々がこの坂を切支丹坂だと見なしていた」というぐらいの但し書きを加えてもよいところではないか。

つまり、現場の写真で、これまで私が「庚申坂」と書いてきた坂こそが、「実際には」、「切支丹坂」だったことになる。
現在は、階段がついてしまっているが、当時は未舗装路の坂だったにちがいない。
志賀直哉は、道幅は1間半ほどと書いていたが、ほぼ一致する。
最初から分かっていれば、志賀直哉の真似をして、あの坂を自転車で下ってみるんだったと考えなくもないが、あの坂を自転車で下った直哉少年に、改めて、敬意の念を覚えざるを得ない。

(続く)

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
自転車文学    Comment(4)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
井上政重 Posted by 横山
断腸亭さん

 切支丹坂の探訪、お疲れ様でした。私も大目付井上政重を調べたさいに、切支丹坂を探したことがあります。どうやら何度も区画整理(屋敷の建て替え)がおこなわれ、旧道はなくなっている様子だと結論していました。
 庚申坂が誤伝されたのは、切支丹坂という伝承が印象深かったためではないでしょうか。おそらく、切支丹坂は井上政重の役宅(たぶん中屋敷)を切支丹屋敷として、その周囲の坂を総称したものと思われます。江戸期の坂は「紀尾井坂」など、あくまでも人々が呼称した通称であって、複数あっても不思議ではない。
 その切支丹屋敷ですが、政重は切支丹だったと伝えられていますが、たしかな史料はありません(切支丹大名蒲生氏郷の被官説もありますが、井上氏は早い時期から徳川家の旗本です)。島原の乱の鎮圧後に「宗門改方」に任命されます。西国の苛烈な改宗方法ではなく、宣教師たちも自分の屋敷に軟禁して改宗させたと伝承されていますが、屋敷自体が刑場だったという説も。また一説には、女牢という色仕掛けで改宗(破戒)させたとか。遠藤周作の『沈黙』にも登場する人物です。
2011.07.08 Fri 13:57 URL [ Edit ]
転ばぬ先の杖 Posted by 断腸亭
横山さん

井上政重という人のことは、まったく知りませんでした。
「キリスト教徒」というと、全然怖くありませんが、「切支丹」というと途端に怖いですね。

今後、坂のことで困らないように(「坂で」転ばぬ先の杖?)、今日さっそく、横関英一『江戸の坂 東京の坂(全)』(ちくま学芸文庫)を買ってきました。
これによると、いわゆる、正真正銘の「切支丹坂」は、今は消滅して存在しないようです。

おっしゃるとおり、同じ名前の坂はたくさんありますね。
ランダムにその本の索引を開いても、切通坂6、暗闇坂12、富士見坂に至っては数えるのも面倒なぐらい。
坂の名前は、固有の地名というよりは、「谷」だとか「崎」のような、坂の地形とその特性を表すニックネームのようです。
2011.07.08 Fri 20:05 URL [ Edit ]
お疲れ様でした。 Posted by しゃあ あずなぶる
大変、重要な調査だったと思います。
2011.07.09 Sat 05:41 URL [ Edit ]
小石川の坂 Posted by 断腸亭
しゃあさん

今度、小石川の坂を登ってみませんか?
電動の威力を見せつけましょう!
2011.07.09 Sat 22:01 URL [ Edit ]

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