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断腸亭日録~自転車日記
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2011.07.02 Sat
中村春吉『自転車・世界無銭旅行』を読む3~何故、自転車か?
自らの目で世界を「視察」してやるのだという春吉は、さっそくそのための移動手段を考えた。

まず、徒歩はどうか。
たぶん、今も昔も、道中の森羅万象を観察するのに一番優れているのは、何と言っても、徒歩であろうが、いかんせん、荷物の運搬力と速度において劣るので、春吉はこれを採用しなかった(『東海道中膝栗毛』などは、春吉の愛読書だったと思われる)。

次に、馬は如何?
馬は、当時としては、たぶん最も理想的な移動手段であったろうが、春吉は、餌の調達に苦労するだろうと考える(福島中将なるものが馬で世界半周旅行をしたと春吉は述べている)。
馬は、英語でeat like a horse(大食する)という慣用句があるように、案外大食漢で、その辺の草を食べさせておけばよいというものではないらしい。
因みに、英国産業革命期に、馬車鉄道から蒸気機関鉄道へと転換した背景にも、実は馬の餌にかかる大きな負担が原因だったことも今や定説になっている。

さて、では、クルマ(自動車)はどうか。
そうなのだ。当時、クルマは既に存在していたのである。
春吉に言わせれば、クルマは千円以上(現在の1000万ほど)もするので、とても買えたものではないという(因みに、当時、「普通に」世界旅行をする場合、数万円かかったと春吉は書いている)。
まあ、たとえ買えたとしても、奥地での燃料(ガソリン)の調達がほぼ不可能な上に、深山幽谷の小径は通えない。
因みに、内燃機関らしきものは、既に19世紀中頃には発明され、19世紀末には欧米でちらほらと実用化が始まっていたが、20世紀初頭になっても、世の中の主流は、何と言っても蒸気機関だった。
たとえば、春吉の世界旅行のすぐ後に勃発した日露戦争時になっても、バルチック艦隊を撃破したわが連合艦隊の艦船は、石炭を燃料とする蒸気機関であったことからもそれは明らかであろう。

そこで、春吉は自転車に白羽の矢を立てることになる。
自転車は、高価(後で触れるが、たぶん、現在の150万円ぐらい)ではあるが、何とか買える額ではあるし、徒歩・馬・クルマより取り回しがよくて、人力で動くのでさしたる燃料も必要ないというのが、体力には絶対の自信をもっていた春吉の決め手だったのである。
しかも、徒歩には劣るものの、どこにでも行けるし、砂漠や森林地帯や山岳地帯のような道なき道なども自転車なら担いで移動すればよいし、なおかつ、何と言っても、快速である。

当時において、自転車がかなり速度の速い移動手段だったということは、注目しておいて良い。
現在では、自転車は、リアカーに次いで鈍足な「車輌」ではあるが、春吉が世界旅行に出かけた20世紀初頭において、路上を走る交通手段で、たぶん最速なのが自転車であったことも銘記しておくべきであろう(無論、既定の鉄路しか走れない鉄道には劣るが、乗馬や乗合馬車よりも速かった)。

YVGVN.jpg
(旅装の春吉)

そういう理由で、春吉は、移動手段として、自転車を選択することになる。

では、春吉が買った自転車とは、どういうものだったのだろうか。
実は、これがよく分からない。
ただ、特定はできないが、推測することはできるかもしれない。

『自転車・世界無銭旅行』から分かるのは、米国製のランブラーという自転車であることだけ。
春吉がその自転車をいつどこで買ったかも、不明であるが、まあ、順当に推測すれば、購入した場所は、当時住んでいた下関であろう。

では、いつ頃、購入したのか。
これを考えるには、ちょっと回り道をしなければならない。

春吉は、世界旅行を決意してから、「予行演習」として「日本内地の諸方」を自転車で旅行したのだというが、たぶん、前後関係からして、それは世界旅行に出発する年の上半期頃かその前年(1900年か1901年)ということになろう。
因みに、予行演習として春吉が国内ツーリングをした地域というのは、大雑把にしか記されていないが、山口~広島~京都~三重~大阪~愛知~静岡~横浜~東京だったらしい。
つまりは、本番の世界旅行の際にも、春吉は、下関から東京・横浜まで自走しているが、ほぼ、東海道~山陽道全行程を往復する旅だったと考えられる。
下関~東京間は約1000キロなので、往復、2000キロになる。
単純に、1日100キロ走ったとしても、20日間かかる距離である。

しかし、当時の道は、ほとんどすべてが未舗装路だったので、たとえば、現在のロードバイクで走っても、ゆうに1ヶ月以上はかかっただろう。
しかも、この旅は、春吉にとって、自転車の練習だけではなく、広く日本の各地を見聞して、外国に行ったときに、日本のことを質問されてもたちどころに答えられるような知識を身に着けるためのものだったので、走りさえすればよいというブルぺ的なものではない(しかも、春吉の場合は、ツーリング仕様で荷物満載)。
春吉は、途中で、何と茶道や華道や琵琶奏法などの習得にも励んでいる。
また、各地各地で、名所旧跡を訪ねたり、知人と会ったりもしたであろう。
結局、この旅に春吉が要した期間は、約1年間だと言われている。
世界旅行に出発すべく、春吉が下関を出発したのが1901年の11月なので、春吉が自転車を購入したのは、それよりも最低1年以上前の1900年中だった可能性が高いことになる。

以上は、単なる推測に過ぎないが、春吉が米国製ランブラーを購入したのは、下関のあたりであり、しかもそれは1900年中であったろうということ。

ではさて、その米国製ランブラーという自転車がいかなるものであったかということは、これまた難しい問題ではあるが、疲れてきたので、次回にまわすことにする。

表紙
(口絵)

(続く)

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
自転車文学    Comment(2)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
高いなぁ。 Posted by しゃあ あずなぶる
150万円の自転車・・・高い!

一緒に出来ない部分もありますが、ゴルフクラブも高いですよね。
鉄で出来た単純な構造のモノが何故、こんなに高いんでしょう?
2011.07.03 Sun 04:27 URL [ Edit ]
そうですね Posted by 断腸亭
しゃあさん

当時、自転車は、路上を移動する最速の乗り物(しかも、舶来品)だったわけですから、高いのは、まあ当然です。
しかし、逆に考えると、それだけ当時の人は、よく歩いたとも言えますね。
2011.07.03 Sun 08:11 URL [ Edit ]

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