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断腸亭日録~自転車日記
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2011.06.18 Sat
荷風「寺じまの記」を追走する6~地蔵坂・向島百花園・入り金
「車は小松嶋(こまつしま)という停留場につく」。

荷風を乗せたバスは、墨堤通りの「大倉別邸前」を通過する。
そして、次に停まったのは「小松嶋」という停留所であったが、この停留所がどのあたりにあったのか、不明である。

墨堤通りを運行する現在の京成タウンバス([有01]浅草線。浅草寿町と亀有駅を結ぶ路線)では、「大倉別邸前」に相当する「墨田堤」の次のバス停は「地蔵坂」(当時も現在も同じ)である(現在の京成バス路線図)。

とすれば、幻の「小松嶋」は、現在の「墨田堤」と「地蔵坂」の中間に位置したことになる。
その「墨田堤」と「地蔵坂」との距離にしてみたところで、わずか300メートルぐらいである。
この中間付近にバス停が設置されていたすれば、あまりにもバス停間の距離が短すぎはしないか・・・。

ところで、この「小松嶋」という停車場の名称は、どうも、現在の白髭橋東詰あたりにあった庭園の小松嶋に由来するものと思われるが、これについては、もう少し後で書くことにしよう。

「次に停車した地蔵阪というのは、むかし百花園や入金(いりきん)へ行く人たちが堤を東側へと降りかける処で、路端に石地蔵が二ツ三ツ立っていたように覚えているが、今見れば、奉納の小さな幟が紅白幾流(いくなが)れともなく立っている。淫祠(いんし)の興隆は時勢の力もこれを阻止することが出来ないと見える」。

「地蔵阪」のバス停は、ほぼ、現在のそれ(「地蔵坂」)と同じ場所にあるが、戦後に於ける墨堤通りの拡幅工事のため、現在よりやや東にあったものと思われる。

それは、このあたりの当時の地図と現在の地図を比較すれば想像がつくであろう。

地蔵坂
(昭和初期の「地蔵阪」[左]と現在の「地蔵坂」[右]の比較地図・赤丸が地蔵阪の入口)

この地図を見ると、現在の広くて真っ直ぐな墨堤通りは、昭和初期には狭くて、所々屈曲していたことが分かる。
とりわけ、地蔵坂通りの入口のあたりは、道路が拡幅されたのに伴って、新道が造られたことも見て取れる。

画像 061
(上掲地図の赤丸のあたり。左が現在の墨堤通り。右が旧道。荷風を乗せたバスが進んだのは、もちろん、右の旧道だったはず。因みに、紅い幟が見えるのが「子育て地蔵」)

IMG_0081_20110618090356.jpg
(この旧道をそのまま200メートルほど進むと、白髭神社の脇を抜けて、新道と合流してしまう。右の杜は、白髭神社)

この場所は、荷風も書いているように、「百花園や入金(いりきん)へ行く人たちが堤を東側へと降りかける処」であった。

画像 062
(現在の地蔵坂通り。毎月4の日は、一年中、縁日が開かれている。まっすぐ進むと東向島3丁目で国道6号線と交差する)

「百花園」というのは、もちろん、現在の「向島百花園」のことで、古来、文人墨客の遊べる地として名高かった。尚、江戸期は、「新梅屋敷」と称していた)。

向島百花園
(現在の「向島百花園」入口)

「入金(いりきん)」というのが何なのか見当が付かなかったが、調べてみると、明治後期から大正初期に百花園の近くにあった有名な料理屋の屋号であることが分かった。
入山きんという女性が始めたシジミ汁を出す茶店であったが、向島で老後の隠遁生活を送っていた榎本武揚がこの店を大層気に入って、頻々と知り合い連中を呼んでは贔屓にしたのをきっかけに大いに繁盛したのだという。

戊辰の内戦時、東軍の司令官(ないしは「蝦夷共和国」総裁)として、五稜郭で西軍に降伏した榎本武揚は、その後の明治政府にも重用されたのだが、退官後は、ここ向島の地で静かな余生を送ったという(足尾鉱毒事件への明治政府の対応を批判して農商務大臣を辞任後、引退)。
近傍の人たちは、時に、隅田堤を馬で逍遙する榎本武揚の姿を見たという。

現在でも、墨堤通り沿いに、正装した榎本武揚像が建っている。

榎本武揚像
(墨堤通りの榎本武揚像)

さて、その「入金(いりきん)」であるが、残念ながら、今はない。
それどころか、荷風が「寺じまの記」を書いた1936(昭和11)年の時点でも既に存在しなかったのである。
ただ、所在地は分かっている。
南葛飾郡寺島村大字寺島1159番地(現墨田区東向島3-16-18付近)。
現在の「墨田区立花園保育園」あたりということになる。

IMG_0115_20110618165920.jpg
(「入金(いりきん)」の跡には、清潔で立派な保育園が建っている)

ところで、この保育園から西にほんの200メートルほど行った所に、有名な「白髭神社」があるが、その境内に、在りし日の「入金(いりきん)」の「縁(よすが)」を見ることができる。

入り金神饌料
(「永代神饌料 向しま 入きん」の石碑と白髭神社正面)

白髭神社の鳥居の近くに、「入金(いりきん)」から神社に捧げられた「神饌料」を銘じる石碑が現在も残っているのである。

さて、先の引用部分でもう一つ、触れておかなくてはならないのは、「地蔵坂」の名の起こりとなった子育て地蔵尊のことである。

「路端に石地蔵が二ツ三ツ立っていたように覚えているが、今見れば、奉納の小さな幟が紅白幾流(いくなが)れともなく立っている」。

この石地蔵は、現在でも同じ場所に残っている。
幟が何本か立っているのもほぼ同じである。

子育て地蔵
(子育て地蔵尊)

子育て地蔵尊については、興味深い伝説もあるようだが、ここでは割愛したい。

さて、今回も、バス停にしてひと駅分しか進むことができなかったが、いよいよ次回は、玉ノ井に到着できそうである。

テーマ:日記 - ジャンル:日記
小さな旅(自転車)    Comment(2)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
楽しんでいます Posted by 相子
永井荷風の「寺じまの記」を読ませて頂きました。懐かしい言葉と丁寧な描写に感心しました。
千代田のある東向島5町目は足袋の「めうがや」があり、数年前までベッチンの足袋を注文しておりました。言問団子も近く、長女の婿も同じ町内で生まれ育ち、ご近所を歩く様な気分です。白髭神社も久し振りに眺めました。やっとお元気なアップです安心しました。
2011.06.19 Sun 16:42 URL [ Edit ]
夕暮れの裏路地 Posted by 断腸亭
相子さん

いろいろご心配をおかけして申し訳ありませんでした。

娘さんのご主人が向島のご出身とのこと、羨ましい限りです。
そういう足袋屋さんがあるというのも、向島らしいですね。
ただ、墨堤通りのかつての雅趣を記憶しているのは、もはや、明治生まれの人ぐらいだと思いますが、一歩路地に入ってみると、昔の風情が少しだけ残っています。
裏路地の、落ち着きのある店構えの料亭に灯がともると、何だか時を遡って異空間に迷いこんだような気分になります。
夕暮れ時がお薦めです。
2011.06.20 Mon 06:03 URL [ Edit ]

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