日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2011.06.12 Sun
荷風「寺じまの記」を追走する5~大倉別邸「喜翁閣」を船橋港に訪ねる
前回の最後に出てきた「大倉別邸前」というバス停は、残念ながら、今はない。
かつて、大倉別邸があったらしい場所には、不細工な倉庫が寒々しく建っているだけ。
その前には、「墨田堤」というバス停(京成)が今はある(地図)。

画像 055
(当時の「大倉別邸前」のあたりには、「墨田堤」というバス停がある。墨堤通り)

画像 057
(かつての別邸跡には、殺風景な倉庫が建っている)

しかし、そのバス停の背後に、小さな説明板が発見された。

画像 054
(「大倉喜八郎別邸跡」の説明板)

ところどころ文字が消えかけているところがあって、読みにくいが、さして重要なことが記されているわけではない。
要は、この場所に、大倉喜八郎という人の「蔵春閣」という別荘があったということ。
大倉喜八郎という人は、幕末明治期に戦争でボロ儲けした財閥の祖(ホテル・オークラの「大倉」である)で、人間として、特に意を払うに値するような人物ではない。
ただ、最後の下りに、その別荘は、「船橋のららぽーとに移築されている」とあったのには、声を上げそうになるぐらいびっくりした。

この墨堤通り沿いに昔の縁を忍べるものはほとんどない。
しいて言えば、後で触れることになる「白髭神社」と「子育て地蔵尊」ぐらいなもので、その昔には桜並木があった美しい堤には、大倉財閥の息のかかった某ビール会社の倉庫などが、まるで枯れ木も山の賑わいと言わんばかりに建ち並んでいるだけである。
そんななか、当時を忍ばせるような建築物が、移築保存されていようとは驚きである。

と同時に、私は、そう言えば、船橋ららぽーと近くの駐車場の近くに、重厚な木造建築物がそそり立っていたのを思い出して、あっ、あれか!と思い至った。

数日後、さっそく私は、所用で千葉に出かけるついでに、移築されているという大倉別邸を見るために、船橋港に寄ってみることにした(フジクロス)。
ただ、その別荘の名称だが、どんなに調べてみても、「蔵春閣」ではなく「喜翁閣」というらしいのだ。
まあ、名前はどうでもよい・・・。

水元桜土手→江戸川サイクリングロード→真間川→京葉道路沿いの道を走って、船橋ららぽーとに到着。
船橋の港自体は多少とも趣があるものの、ここに来ると、いつも溜息が出そうになる。
わざわざ金をかけてまで、何というつまらない施設を拵えたことであろうか。
浦安ディズニーランド風な安ピカ張りぼてで、殺伐とした空しさが辺り一面に漂っている。

我らは空ろな人間
我らは剥製の人間
藁(わら)の詰まった頭をもたれかけあいながら
風に吹かれる干草のように
地下室の床、壊れたガラスの上を走るねずみの足音のように
囁き交わす乾いた言葉に意味はなく・・・
(T・S・エリオット)

船橋港まで来れば、それはすぐに見つけられるであろう(地図)。
ホテルの近代的鉄筋コンクリートビルの傍らに、いかにも場違い風に見えるのが、かつては隅田川の畔に建っていた大倉別邸「喜翁閣」である。

画像 001
(船橋ららぽーとに移築された、大倉別邸の一部「喜翁閣」の遠景)

近づいて見ると、破風や構えの形状は江戸時代のそれを受け継いでいるが、明治後期特有の威容を感じさせる建築様式である。

画像 002
(「喜翁閣」近景1)

画像 003
(「喜翁閣」近景2。一部庭園も復元されている)

自転車を引っ張りながら、ぐるりを廻ってみたが、この建築物に関する説明板のようなものは一切見つからなかった。
現在これを所有するホテル(隣接)の施設として、貸し切り宴会などで利用されているようで、普段は閉め切られていて、内部を見学することはできないようだ。

1936(昭和11)年、荷風が京成バスで「大倉別邸前」を通り過ぎたとき、まだこの建物は墨堤通り沿いにあったわけだが、荷風も書いているように、「もう別荘らしい門構もなく、また堤には一本の桜もない」状態で、既にして、往時の墨堤の風情はなくなりつつあったようである。

さて、荷風を乗せたバスは、まだ墨堤通りを北上中であるが、今夜はここまでとしておこう。

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
小さな旅(自転車)    Comment(4)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
懐かしの「ららぽーと」 Posted by しゃあ あずなぶる
嫁様とデートしました。
岳父曰く「貧乏人のデートスポット」だとか。
なんだかズバリです。
買い物はせず、ただブラブラするだけですからね。
2011.06.14 Tue 04:31 URL [ Edit ]
船橋港 Posted by 断腸亭
しゃあさん

若者は、同時代の毒をちゃんと吸っておくべきです。
でないと、後でだまされますから。
奥さんとららぽーとに行っておいたのはよかったと思います。

小さな漁船が係留してある船橋港の入りくんだ入り江を散策してみるもいいですよ。
ワンカップとスルメがあれば、なおよろしい。

ただ、船橋港の目と鼻の先にこんな場所もあります。
今度、自転車で行ってみませんか?
http://www.yatsuhigata.jp/index.html
2011.06.14 Tue 08:03 URL [ Edit ]
Posted by dadashin
断腸亭さんいい企画楽しませていただいております。
船橋の喜翁閣ってそいう建物だったのですね。
現地には何も表示がないもので?でした。


2011.06.19 Sun 08:49 URL [ Edit ]
喜翁閣の行く末 Posted by 断腸亭
dadashinさん

書き込み、ありがとうございます。

喜翁閣は、三井ガーデンホテル船橋ららぽーとの「迎賓館」という役割を担っていたようですが、このホテル自体が、今年の秋をもって営業を停止するそうです。
その後、喜翁閣はどうなってしまうのでしょうか。
今、時めいている新電波塔の麓あたりに移築することでそもそもの故郷である「墨堤」に戻すか、あるいは、犬山の明治村に移築されればまだよいのですが、取り壊して瓦礫になってしまうとすれば大変に惜しいことですね。
2011.06.20 Mon 05:46 URL [ Edit ]

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