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断腸亭日録~自転車日記
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2011.06.08 Wed
荷風「寺じまの記」を追走する3~「改正道路」とはオレのことかと水戸街道言い
前回、荷風を乗せた京成バスは、吾妻橋→浅草通り→三ツ目通り→国道6号線と進んで、現在の「向島3丁目交差点」(地図)を左折するところまで書いた。

ここで、国道6号線(現・水戸街道)のことについて、簡単に説明しておかなければならない。
現在では、言問橋から四ツ木橋までの墨田区内の国道6号線を、誰しもが水戸街道だと呼んで憚らないが、荷風の作品の中で、この道路のことを水戸街道だと見なしている人は皆無である。

それもそのはずで、当時の水戸街道、つまり旧水戸街道(ただし、日本橋から千住までは、奥州街道と日光街道と水戸街道は同一路)は、現在の墨田区をまったくかすってもいなかったからである。
向島界隈の人にしてみれば、そもそも水戸街道は、葛飾(新宿)→足立(千住)→台東(浅草)を経由する幹線道のことであったので、もし、国道6号線を指さして、これが水戸街道ですと言えば、おそらく大笑いされたであろう。

しかも、そもそもが、「寺じまの記」の時代(昭和初期)、この道路を国道6号線だと見なしている人さえ皆無である。
墨田区内のこの道路が、国道6号線に指定されるのは、現在の四ツ木橋が架橋された戦後のことだと思われる。

とは言え、大正末期には、現在の国道6号線の道路建設自体は、既に始まっていた。
では、「寺じまの記」の時代(1936年)、この道路のことを、人々は何と呼んでいたのか?
「改正道路」や「電車通り」(この「電車」というのは、路面電車のこと)や「新道路」と呼んでいたようである。
因み、白髭橋東詰から南東に開通した明治通りも、「改正道路」や「新道路」と呼ばれている。
これらの新しい大幹線道路は、関東大震災の復興事業として、あるいは、陸上輸送網の拡大のために、東京のあちこちで建設されていた。

ここに、当時の玉ノ井界隈の地図がある。
1930(昭和5)年頃のもの(左)と1932(昭和7)年以降のもの(右)を並べてみよう。

玉ノ井地図
(地図上の赤丸が、現在の「東向島交差点・地図」)

地図上中央付近の赤丸が、国道6号線と明治通りが交差する、現在の「東向島交差点・地図」に当たる。
左の地図では、東向島までしか完成していない国道6号線は、右の地図では、荒川放水路の土手の所まで完成している(明治通りはもっと早くに完成してることも分かる)。
ただし、現在の四ツ木橋(昭和27年完成)はまだない。

「寺じまの記」の時代は、ほぼ、右の地図に近かったものと思われる(ただし、後述する予定だが、京成線の支線「白髭線」は、1936[昭和11]年1月に廃線)。

これら地図から分かることは、当時は、かなりの突貫工事で新道路が建設されていたこと。
また、従来からの古い道の付き方を完全に無視して、まるで、街を巨大なバリカンで苅るように、道路が建設されていることである。

思えば、「寺じまの記」が書かれた13年前に、向島界隈も、関東大震災の災禍を被った。
しかし、「寺じまの記」が書かれてから9年後には、米軍による東京大空襲によって、墨田区はほぼ丸焼けになってしまう。
そう考えると、荷風の活写した「寺じまの記」は、そういう移ろいのなかのつかの間の幻想のようにも思えるのである。

IMG_0128_20110609002042.jpg
(東京大空襲で丸焼けになった向島。中央の大通りが、国道6号線)

バスは、依然として、「向島3丁目」の交差点を左折中であるが、眠くなってきたので、この続きは次回にして、今夜はここまでとする。

後日注:戦中戦後の一時期、国道6号線、明治通り、目白通りなどを「十三間道路」と呼んでいたという。

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
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