日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2010.12.24 Fri
野鳥な一日~水元公園散歩~W・モリスと藤村の鶫
今日も素晴らしい冬晴れである。
部屋の掃除をしなければならいのだが、こんなに天気がよいと、室内でごそごそやっているのはもったいない。
水元公園の方からは、われわれを呼んでいるかのように、小鳥たちが盛んに囀(さえず)りを送ってくる。

呑ちゃんと自転車(6速ママチャリ)で水元公園に出かける。
いつものように、「かわせみの里」に向かうわけだが、途中、森の小径で、度々自転車を止めて、樹上の囀りを眼で追いかける。

今日は幸先良く、二羽の鶫(ツグミ)を確認(撮影)することができた。

IMG_0279.jpg
(鶫)

鶫と言えば、私は、二つのことを連想する。

一つは、19世紀英国の大芸術家ウィリアム・モリスによる、素晴らしいテキスタイル・デザイン「苺泥棒(Strawberry Thief)」 (1883年頃製作)である。

Strawberrythief.jpg
(ウィリアム・モリス「苺泥棒(Strawberry Thief)」)

「苺泥棒(Strawberry Thief)」というタイトルがいかにもユーモラスで、かわいらしい暖かみを感じる。
モリスは、ケルムスコット村(オックスフォード県)の自宅庭にやって来ては、苺を「盗んで」いく鶫の姿から、それを図案化したのだという。

庭にやって来る鶫に対して、モリスがどういう接し方をしていたかを、ある評伝では、いみじくも、次のように伝えている。

「・・・モリスは、ケルムスコットの苺園で鶫がせっせとついばんでいるのを、困ったものだという顔をしながらも嬉しそうに眺めていたもので、『あいつらの首をへし折ってやりたい』と文句を言う庭師にたいして、庭の鳥たちにはいっさい触れてはならないと言い付けた。その触書が食堂に掛けられた。『確かに苺の数よりも鳥の数のほうが多かった』と(娘の)メイ・モリスは言っている。」(フィリップ・ヘンダースン『ウィリアム・モリス伝』晶文社刊、392頁)

もう一つは、島崎藤村の『夜明け前』(20世紀日本小説の最高峰だと私は思う)に出てくる鶫に関する記述。
幕末維新の転換期を途轍もないスケールで描破したこの作品には、度々、野鳥のことが出てくるが、モリスとは違って、食料としての野鳥であり、鶫であるのが興味深い。

やや長い引用になるが、19世紀後期の木曽路の暮らしが濃厚に漂っている(以下、『夜明け前』の「一部上巻」より)。

 「ちょうど鳥屋(とや)のさかりのころで、木曾名物の小鳥でも焼こうと言ってくれるのもそこの主人だ。鳥居峠の鶫は名高い。鶫ばかりでなく、裏山には駒鳥、山郭公の声がきかれる。仏法僧も来て鳴く。ここに住むものは、表の部屋に向こうの鳥の声をきき、裏の部屋にこちらの鳥の声をきく。そうしたことを語り聞かせるのもまたそこの主人だ。・・・
 囲炉裏ばたの方で焼く小鳥の香気は、やがて二人のいる座敷の方まで通って来た。夕飯には、下女が来て広い炬燵板の上を取り片づけ、そこを食卓の代わりとしてくれた。一本つけてくれた銚子、串差しにして皿の上に盛られた鶫、すべては客を扱い慣れた家の主人の心づかいからであった。その時、半蔵は次ぎの間に寛いでいる佐吉を呼んで、
『佐吉、お前もここへお膳を持って来ないか。旅だ。今夜は一杯やれ。』
 この半蔵の『一杯」が佐吉をほほえませた。佐吉は年若ながらに、半蔵よりも飲める口であったから。
『おれは囲炉裏ばたでいただかず。その方が勝手だで。』
 と言って佐吉は引きさがった。
『寿平次さん、わたしはこんな旅に出られたことすら、不思議のような気がする。実に一切から離れますね。」
『もうすこし君は楽な気持ちでもよくはありませんか。まあ、その盃でも乾すさ。』
 若いもの二人は旅の疲れを忘れる程度に盃を重ねた。主人が馳走振りの鶫も食った。焼きたての小鳥の骨をかむ音も互いの耳には楽しかった。」(『夜明け前』「第一部上巻」より)

秋になると、野鳥が美味しい季節であること。
中でも、鶫はご馳走だったこと。
囲炉裏で串焼きにして食べたこと。
しかも、私が好きなのは、「焼きたての小鳥の骨をかむ音も互いの耳には楽しかった」という実質ある最後の一文である。

モリスが鶫を図案化した時代も、藤村が『夜明け前』で設定した時代も、共に19世紀後期で、いわば、両者は、同時代に於ける、鶫の対照的な表現だと言えよう。
すなわち、「食料」としての野鳥と「観賞物」としての野鳥。
もちろん、日本において、野鳥が食料としてのみ扱われていたのでも、イギリスにおいて、野鳥が観賞物としてのみ扱われていたわけではない。
上記藤村の引用の最初の方に出てくるように、「主人」は、鳥料理を振る舞う前に、野鳥の囀りなぞを客に楽しませることを忘れないし、イギリスでは、鶫をはじめとする野鳥を昔からバリバリ食べていたはずである。

野鳥は、太古の昔から、人類の身近な食料であったと同時に、観賞に値する美しい存在であったということであろう。
そこが、野鳥の「人類的」な面白さではないだろうか・・・。

閑話休題。

行きつ戻りつしながら、様々な野鳥を観察しながら、やっとのことで「かわせみの里」に到着(観察した野鳥については、呑ちゃんのこの日のブログをご参照)。

IMG_0334.jpg
(「かわせみの里」の表札)

IMG_0304.jpg
(「かわせみの里」)

カワセミを待っているうちに、大分空腹になってきたので、近所の「ぎゅうやの台所」(葛飾区水元)の弁当を買ってきて、外のベンチで昼食をとる。

IMG_0300.jpg
(「ぎゅうやの台所」の弁当を美味しそうに食べる呑ちゃん)

IMG_0299.jpg
(「ぎゅうやの台所」の弁当。焼きしゃぶ弁当とまかない弁当。とちらも、630円)

その後も、野鳥を求めて、園内を散策。
今日は、たくさんの野鳥を目撃できて大満足であった。

IMG_0337.jpg
(私の6速ママチャリと呑ちゃんの単速ママチャリ。水元公園にて)

走行距離:14キロ(6速ママチャリ)

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小さな旅    Comment(4)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
起こしてしまいましたね。 Posted by しゃあ あずなぶる
断腸さん。マンガを届けた日は、二日酔いだったワケですね。
ゴメリンコ
2010.12.25 Sat 14:51 URL [ Edit ]
しゃあさんは、何も悪くありません Posted by 断腸亭
しゃあさんは、何も悪くありません。
2010.12.25 Sat 16:18 URL [ Edit ]
良いお話です Posted by 相子
モリスのテキスタイル 優しさが溢れておりますね。
夜明け前の描写に当時の文化人の姿が重なります。
良いお話を有難うございました。
2010.12.26 Sun 09:31 URL [ Edit ]
野鳥に疎い世代 Posted by 断腸亭
相子さん

私の世代ぐらいから、野鳥に疎くなるような気がします。
最大の原因は、野鳥を食べなくなったからだと思います。
どうして野鳥を食べなくなったかと言えば、開発によって野山が消滅したため野鳥が減少したので、鶫を初めとする多くの野鳥が捕獲禁止になったから。

かつては、野鳥の美しさを愛でることとそれを食することとが何の矛盾もなく成立していた時代があったということが、私には、非常に魅力的に思えます。


2010.12.27 Mon 07:46 URL [ Edit ]

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