日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2010.12.11 Sat
葛飾区内の旧水戸街道を自転車で辿る
私に一番縁がある国道と言えば、国道6号線である。
通勤するにせよ、千葉や茨城方面に週末サイクリングに出かけるせよ、結局のところ、大きな意味では、国道6号線筋をちょろちょろと走っているに過ぎない。

とは言え、国道6号線(現水戸街道)は、交通量も多い上に、路肩が狭い区間が多くて、結構自転車泣かせの街道である。
私が知る限り、一番走りにくい区間は、新葛飾橋~四ツ木橋区間で、荒川を越えるとやや走りやすくなり、隅田川を越えるとさらに走りやすくなるというように、不思議なことに、6号線は、都心に近づくほど走りやすくなる傾向があって、これは、国道4号線(現奥州街道)が、荒川よりも都心側に入ると途端に走りにくくなるのとまったく逆である

さて、上で指摘した、国道6号線の最も走りにくい区間というは、まるごと我が葛飾区内の経路にほかならないので、この区間の旧水戸街道を辿れば、それが即ちある種の抜け道ルートになるかもしれない・・・。
そんなことをずいぶん前から考えていたのだが、まあ中川までは辿るのが比較的容易なことながら、中川以西の旧水戸街道については、これまで何回も辿ろうとして失敗してきた。
途中で、どの道が旧水戸街道なのか、現場に行くと分からなくなってしまう。

そこで、今回は、葛飾区で全戸無料配布されている葛飾区の地図に、ルートをきちんと書き込んで、辿ってみることにした(それでも何箇所かで間違っては引き返したが)。

まず、そのルートを地図で示しておこう。


(葛飾区内の旧水戸街道)

こうして、現在の国道6号線と江戸時代までの水戸街道の経路を較べると、中川までは、せいぜい数十メートルしか違わないが、中川を越えてからは、両者の経路は著しく異なることが分かるだろう。
もう一つ気づくことは、旧街道の方が、国道6号線よりも曲折していること。
これは、後でも触れるかもしれないが、江戸期の葛飾区は、湿地帯が多かったので、直線的な道を通すことができなかったものと思われる。

さて、葛飾区内の旧水戸街道という以上、出発点は、かつて金町~松戸の渡しのあった「金町関所」あたりということになろう。

IMG_5324.jpg
(「金町関所跡」。背後に見えるのが江戸川土手。以前に撮影。地図

この石碑があるのは、江戸川堤防の外側だが、江戸期(正確には明治2年)まで運営していた「金町関所」が実際にあった場所は、現在の江戸川堤防の下か河川敷であった(明治末期の江戸川改修のために跡地は消滅)。

江戸川
(江戸川。前方に見える街が旧松戸宿。この写真の、江戸川が左に曲がるあたりに「渡し」が通っていた。葛飾橋より撮影。撮影地点地図

つまり、現在では、河川敷には旧水戸街道に相当する道が存在しないので、私は、江戸川堤防の上の自転車道をしばらく走る。

すると、葛西神社手前の堤防下に次の写真のようなY字路が現れる。
この向かって右へ入る道路が、旧水戸街道の痕跡である。

IMG_0005_20101212085623.jpg
(堤防したのY字路・撮影地点地図

上の写真を撮影した地点の逆方向を見ると、そこは河川敷と江戸川の流れが広がっている。

IMG_0007.jpg
(江戸川河川敷。前方に見える街は松戸)

旧水戸街道は、ちょうどこの写真のアングル上に展開していたはずだが、今は跡形もない。

さて、自転車を担いで、土手の階段を降りて、この道を道なりに少し進むと、左側に葛西神社がすぐに見えてくる。
もちろん、この神社は、当時からここに鎮座していた。

IMG_0008_20101212091226.jpg
(「葛西神社」。12世紀末創建。撮影地点地図

その後、この道を道なりに進むと大通りに合流(地図)。
そのまま走ると、(「金町広小路」交差点あたりで)自然と国道6号線と合流する。
この先しばらく(約400メートル)は、旧水戸街道と現在の国道6号線は同一の経路をとる。

そして、「金町三丁目」交差点のちょっと先を斜め右に入る細い道が現れるが、ここが旧水戸街道との分岐点である(地図・交通量が多くてこの地点の撮影ができなかった)。

この通りに入ると、国道の戦争のような交通量が嘘のように少なくなるので、ほっとするであろう。
この道を道なりに800メートルほど西進すると、かわいらしい踏切が現れる。
これが、金町駅~小岩駅間を結ぶ「新金貨物線」である。

葛飾区内で踏切に出会ったら、そのほとんどが京成線のそれであるが、それが単線の踏切だったら、京成金町線か、この「新金貨物線」である。
しかも両線は、約1キロ強の間隔をもって、平行に走っているので、土地勘のない人には間違いやすいかもしれない。

この踏切名が、ここがかつての旧水戸街道であることを如実に証している。

IMG_0009_20101212155522.jpg
(「新金貨物線」の「浜街道踏切」・撮影地点地図

「浜街道」というのは、明治初期に「陸前浜街道」と命名された街道の略号で、現在の国道6号線の元となった路線。
江戸時代までの水戸街道と岩城街道を合わせて、日本橋~仙台間の街道を総称して「陸前浜街道」と呼ぶようになったようである。

さて、この踏切から100メートルほど進むと、大きな松の木と石碑がたくさん建っている場所が道の右側に現れる。
これまた、ここが旧街道だったことを示す縁(よすが)ではある。

IMG_2074.jpg
道路が拡幅整理された際に、あちこちで居所を失った旧水戸街道筋の石碑類が集められた場所・正面が北。地図

さて、旧水戸街道の道筋は、ここから劇的に屈曲している。
石碑類のある場所から一つ目の信号(三つ角・地図)を直進するのではなく、左折するのだ(ここを直進すれば、すぐに中川橋に出られるが、かつてはこの道は存在しなかった)。
左折して直進すると、国道6号線にぶつかるので、その歩道を右折する(地図)。
するとすぐに信号(「中川大橋東詰」)があるので、そこをまた右折(地図)。
すると、変形二股の道がすぐに眼前に現れるのだが、今度は左折(地図)。

IMG_2637.jpg
(その変形二股道の場所の写真。正面の大通りが国道6号線。撮影地点地図

200メートルぐらい進む(西進)と、道は右折するしかなくなるので、右折(地図)。
そして、さらに300メートルほど進む(北進)すると、信号機(地図)にぶつかるので、ここを左折すれば、中川橋(中川大橋ではない)の東詰に出る。

こんな風に、この場所で街道がコの字型に屈曲しているのは、かつてここに、たぶん中川が形成した三日月湖に由来する沼沢地があったからで、その沼を回避迂回するために道がこのような経路を取らざるを得なかったようである。

さて、中川橋は、かつての「新宿(にいじゅく)の渡し」のあった場所に架かっている橋である。

IMG_2505.jpg
中川橋・正面右の大建築物は亀有アリオ。地図

この橋を渡ると右側に「亀有アリオ」の巨大なビルがある。
200メートルほどで、環七とぶつかるが、そこは直進(地図)。

IMG_0010_20101213015247.jpg
(環七と交わる交差点。ここは直進。地図

ここからしばらく(約400メートル)の旧水戸街道は、商店街や亀有駅の近くとあって、交通量も多くて、多少自転車では走りにくいかもしれないが、葛西用水路との交差点(地図)を過ぎてしまえば、やや走りやすくなる。

IMG_3315.jpg
(葛西用水路と交わる交差点の歩道上にある「旧水戸街道 亀有上宿」の石碑・以前に撮影した写真。撮影地点地図

さて、ここからがやや難しい。
環七との交差点から約1キロほど直進すると、「西亀有3丁目」の交差点が現れる。

IMG_0012_20101213020053.jpg
(「西亀有3丁目」の交差点。地図

この交差点を左折するのではなく、ここは渡って直進する。
10メートルほど直進するとすぐ左側に斜めに入る細い道が現れる(地図)。
この道こそが、旧水戸街道なのである。

IMG_0015_20101213020505.jpg
(旧水戸街道。「西亀有3丁目」の交差点を10メートルほど直進すると左側に斜めに口を開いている。地図

これまで私がいつも間違っていたのは、「西亀有3丁目」の十字路をそのまま「正直に」左折してしまっていたからである。
こここそが、これまで旧水戸街道の追跡を失敗させた、私にとっての最大の「難所」であったのである。

ここをクリアーできれば、あとはそう難しくはない。

この細道を200メートルほど走ると、二股に道が分かれる所にぶつかる(地図)。
ここは右側の道を進むのが正しい。

IMG_0016_20101213022050.jpg
(二股に分かれる道は右側の道を行くべし。地図

この後、道は常磐線をかすめるようにして左回りに湾曲しているが、断固として道なりに進めばよい(地図)。
どうしてこのあたりの旧水戸街道が湾曲していたかと言えば、ここに葛西用水から分流した「西井堀」という水路が通っていたからであろう(現在もその跡が確認できる場所もあるが、暗渠化されてしまい分かりにくい)。
旧街道は、この西井堀の湾曲するのをほぼなぞるように付いている。
明治初期に陸軍調査部の作成した地図を見ると以上のことが分かるのである。

さて、この湾曲した道を走ると、次のような交差点(というか、現場にぶつかった感覚では、むしろT字路)に出る(地図)。
ここは迷わず、右折してほしい。

IMG_0018_20101213023700.jpg
(湾曲した道を進むとこの場所に出る。ここは右折すべし。地図

この後は、至って簡単で、荒川土手にぶつかるまで、断固として、直進すればよい。

直進すると、すぐに都道314号との交差点(「小菅3丁目」・地図)に出るが、迷わず直進。

IMG_0024_20101213024337.jpg
(「小菅3丁目」の交差点。直進すべし。地図。因みにここを左折すると、京成線「堀切菖蒲園駅」や堀切橋に出る)

やがて、前方に高速道路の高架群(小菅ジャンクション)が見えてくる。
そして、回りの大がかりな道路に比して、信じられないほど小さな橋が現れる。
これが、旧水戸街道中唯一の橋である「水戸橋」(地図)である。

IMG_0026.jpg
(綾瀬川に架かる「水戸橋」。西詰から撮影。地図

IMG_0030_20101213030231.jpg
(「水戸橋」。前方に見える巨大建築物は、小菅の東京拘置所)

IMG_0029_20101213030102.jpg
(かなり老朽化した橋。昭和30年完成。東詰)

IMG_0028.jpg
(水戸橋から南側を見ると、小菅ジャンクション)

さて、この水戸橋を渡って、さらに直進すると、前方に荒川の土手が見えてくる。

IMG_0031_20101213030925.jpg
(水戸橋から進行方向を見る)

そして、ついに、葛飾区内の旧水戸街道としては終点の荒川土手にぶつかることになる。

IMG_0032_20101213031006.jpg
(終点の荒川土手。地図

江戸時代には、もちろん、この大正時代に完成した荒川(放水路)は存在しなかったので、この土手を越えて、次の宿場町「千住」まで道が付いていたのだが、現在は水没して跡形もない。

IMG_0033_20101213031506.jpg
(たぶん、この土手の階段の下を旧街道は通っていたはずである)

私は、自転車を担いで、土手の階段を登ってみることにした。

IMG_0034_20101213031638.jpg
(土手の階段を上り詰めた所)

土手の上に上がると、広やかな荒川の流れと河川敷が眩しいばかりに視界に飛び込んでくる。
西方を仰げば、北千住の街が見える。

IMG_0035.jpg
(対岸に見えるのが北千住の街。おそらく、旧水戸街道は、このカメラアングルの方向に付いていたはずである)

南方を仰げば、南千住の街や、その向こうには、墨田の新電波塔も見える。

IMG_0036_20101213032639.jpg
(南千住の街と墨田の新電波塔)

こうして、葛飾区内の旧水戸街道を辿ってみて、亀有のあたりなどは多少自転車では走りにくいものの、少なくとも、国道6号線よりもはるかに走りやすいのは確かである。
これは即ち、江戸川サイクリングロードと荒川サイクリングロードをつなぐ、もう一つの抜け道になりうるような気がした。
また、9キロ弱の道筋だが、国道6号線と旧街道が同一の経路を取るのは、わずか400メートル余りしかなかったのは、意外でもあった。

メモ;
・「水戸橋」は、西側からの一通なので、東側から渡るときは、歩道を走るのがよい。私は、東側から車道に突っ込んで、クルマとぶつかりそうになった。
また、老朽化のため、現在架け替え工事が進行中であった。現在の橋をご覧になりたい方は、早めに訪ねてみることをお勧めする。

(この項、了)

テーマ:関東地域情報(東京 神奈川 埼玉 千葉 茨城 栃木 群馬 山梨) - ジャンル:地域情報
小さな旅(自転車)    Comment(2)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
Posted by やまびこ
>断固として道なりに進めばよい

これ、大事ですよね。
知らない道でも、歩いていると妙な勘みたいのができてきて、こっちの道だ!とわかっちゃうことがある。
(まだ3分の1くらいは間違えるけど^^;)

わたしが都内の道を時には自転車で、時には足で辿り始めたのは、四ツ木と八広側に通っていた「中居掘り」がきっかけでした。(もちろん今は荒川に沈んでしまいましたが)
ひとつの道は、幾層の歴史を経て繋がり曲がり、あるいは消えて、なお掘り起こそうとされる・・面白いですよね。

地図を入れて下さるととてもわかりやすいです。わたいも、入れたいのですが大変そう~。
2010.12.13 Mon 09:13 URL [ Edit ]
お互い、頑張りましょう! Posted by 断腸亭
やまびこさん

やまびこさんの東海道てくてく旅も、ついに、二川宿まで到達して、いよいよ来年中には、京に辿り着けそうですね。
ただ、出発地点までの距離が長くなるので、これからが一番大変かもしれません。

地方の場合、道の数が少ないので、比較的容易に旧道を突き止めることができますが、都内は道がたくさんあるので、どれが旧道なのか分からなくなってしまいます。

やまびこさんのてくてく紀行、少しずつ、読み直しているところです。
http://biko.blog.ocn.ne.jp/kawa/cat10975562/index.html
自分も、いつか、自転車で旧東海道をたどりつつ、全行程を走破してみたいと思っているからです。

またしても、自転車仲間の皆さんと、正月2日に駅伝コースの一部を走ることにしました(平塚あたりまで)。
行きは、国道を走りますが、帰りは、のんびり旧道を探しながら帰ってこようと思っています。

例の旗、またお届けしますね。

2010.12.13 Mon 13:05 URL [ Edit ]

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