日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
映画の日々 | エッセイ | 思い出 | 身辺雑記 | 日録 |  | 自転車 |  | 小さな旅(自転車) | 小さな旅 | 旅(自転車) | 未分類 | 自転車文学 | 
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
断腸亭日録~自転車日記
≪2017.04  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  2017.06≫
プロフィール

higedancho

Author:higedancho
断腸亭髭爺です。
自転車関係の日記が多いです。
よろしく。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
ブロとも申請フォーム
フリーエリア
ブロとも一覧
--.--.-- --
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告    Top↑

2010.05.16 Sun
イザベラ・バード(『日本未踏地紀行』)の足跡を走る2~房川の渡し・古河・谷中湖
(以下、5月6日と16日の二回、古河・谷中湖周辺に行った日記の「合成」である)

1978(明治11)年の6月10日、イザベラ・バードは千鳥ヶ淵の英国公使館を出発して、奥州・北海道の旅に出た。
道筋に関する具体的な記述はないものの、奥州日光街道を北上したのは間違いない。
千住・草加を経て、最初の宿は粕壁(現・春日部)であった。

そして、二日目は、早朝に粕壁を出発して、栗橋・古河で利根川を渡って、奥州街道から離れて、藤岡を抜けて栃木宿に至ったものと思われる。

粕壁を出発した6月11日のことをイザベラは、以下のように記述している。

「いいお天気の日で、気温は日陰で華氏86度(摂氏30度)でしたが、暑さはひどくありませんでした。正午に利根川に着き、わたしは車夫の刺青の入った肩に負われて浅瀬に入り、・・・平底船で川を渡りました。・・・東京まで蒸気船の定期便がある村で川をもうひとつ船で渡ったあと、あたりはもっと目に快くなりました」(講談社版『日本紀行』上巻131頁)。

話が多少脇に逸れるが、イザベラがやって来た当時の日本の男性は、夏場は、車夫のみならず、ほとんどの労働者が笠とふんどしのみで街中や山野を闊歩している(日本人は、元来、裸でいるのが好きなのである)。
しかも、イザベラが肩に背負ってもらって利根川を渡った車夫のように、当時の成人男性のほとんどが刺青をしていたという。

たとえば、当時の車夫について、次のようにも書いている。

「上半身に着ているものはいつもうしろにはためき、龍や魚を精巧に刺青した背中や胸がむきだしになります。刺青は最近禁止されました[明治5年に禁止されている]が、好まれる装飾であったばかりでなく、傷んでなくなってしまう衣服の代用品でもあったのです」(第9信・同書上巻117頁)。

刺青の風習は、現在はほとんど廃れてしまったが、『魏志倭人伝』の頃(3世紀)の倭人の多くが刺青をしていたことが報告されている。
また、縄文時代の土偶の表面意匠から、列島人のルーツたる縄文人も、ほぼ間違いなく刺青をしていたことが分かっている。
刺青は、中世以降も、西日本よりも東日本のが流行していたようだが、もしかしたら、より縄文的な文化が残存している地域には、かなり後までその風習が根強く残ったということかもしれない。
ついでだが、公衆浴場で刺青を入れた人を排除するのは、違法ではなかろうか・・・。

さて、イザベラに戻ろう。
イザベラが渡ったのは利根川のどのあたりであったのだろうか。
記述からも分かるように、当然、橋は架かっていなかったことは分かるが、どうして2回も川を渡ったのであろうか。

そんなことを考えていたら、いてもたってもいられなくなって、昼前に自転車(フジクロス)で現場あたりに行ってみることにした。

江戸川サイクリングロード右岸を北上して、利根川右岸を遡行する。

IMG_5135.jpg
(利根川と江戸川の分流地点にある関宿城

IMG_5137.jpg
(明治末期に現在の市川橋[国道14号・江戸川]に架かっていた橋梁)

IMG_4994.jpg
(水田では、田植え作業が行われていた)

夏のように日差しが強くて喉が渇く。
途中、土手筋に東屋を発見したのでしばし休憩。

IMG_4995.jpg
(利根川右岸・埼玉県幸手市あたりか?)

さて、前方にやっと「利根川橋」が見えてきた。
これが、現在の奥州日光街道(国道4号線)である。

IMG_4996_20100513060725.jpg
(利根川橋・国道4号線)

旧街道を旅した人々も、この利根川橋のあたりで川を渡ったようである。
事前調査をまったくせずに出かけたので帰ってきてから知ったのだが、ちょうど「房川(ぼうせん)の渡し」があって、そこを渡るのが通例だったという。

そして、2回目(16日)にここを訪れたときに、やっと「房川(ぼうせん)の渡し」の箇所を突きとめることができた(分かりにくい場所だった)。

IMG_5143.jpg
(「房川の渡し」跡)

当時の渡しは、ほぼ、現在の利根川橋(国道4号線)の下を斜めに横切るような形でついていたようである。

IMG_5145.jpg
(「房川の渡し」の航路。説明板の地図。栗橋の関所も隣接していた)

IMG_5146.jpg
(将軍一行が日光参りをするときには、ここに壮大な舟橋が架けられた)

このあたりの利根川は、水量の割には河川幅が広く、流れの中央部には砂州も発生していた。
往古の流れもたぶんこんなふうで、下流域のように堤防内にきっちり収まって流れているのではなく、浅く広やかに流れていたにちがいない(「平底船で渡った」とあることからもそれが分かる)。

イザベラも、ほぼ間違いなく、この渡しを渡ったと思われるが、上記引用のように「車夫の刺青の入った肩に負われて浅瀬に入り、・・・平底船で川を渡ったのは、水嵩の少ない岸辺までは船をつけることができなかったので、船が停泊するところまでは、車夫に背負われたと思われる。

但し、関所も幕営の渡しも、明治2年には廃止されたので、イザベラがここを渡った頃には、関所の施設は既になかったものの、渡しの設備はそのまま利用されていたのだろう。

渡った先は、中田宿である。
ここからイザベラは、人力車ないしは徒歩で、利根川左岸沿いの奥州日光街道を北上し、古河宿で奥州日光街道を北西に外れて、古来有名な古河の渡しを使って渡良瀬川を渡ったようである。

真久良我(まくらが)の 許我(こが)の渡りの 韓楫(からかぢ)の 音高しもな 寝なへ児ゆゑに万葉集・巻14-3555

「古河の渡し」があったのは、現在の三国橋の1キロほど北のあたりだったというが、その場所を突きとめる時間がなかったので、素通りして谷中湖方面に向かう。

IMG_5000.jpg
(渡良瀬川河畔の「古河城本丸址」)

イザベラが、1878年6月11日の午後、古河の渡しを渡って渡良瀬川の右岸(西岸)に出た後に辿った道は、現在は誰も歩くことができない。
谷中湖の湖底に水没してしまったからである。
谷中湖を中心とするいわゆる「渡瀬遊水池」は、明治政府の表向きの口実は洪水対策であったものの、実際には、上流の足尾鉱山の鉱毒を沈殿希釈して下流に流すためのもので、いわば、毒水湖をその起源とする。
この足尾鉱毒事件および、それにまつわる田中正造(たぶん、日本近代史上最高の政治家)の奮闘については、いつかその関連地を訪ねてから日記に書きたい気がしているので、今回はこれ以上触れないことにする。

IMG_5004.jpg
(鉱毒の「濾過池・沈殿池と堆積場」として作られた谷中湖の周辺地図。バードは、この湖の右下[サドルの上]のあたりから斜めに左下の方向に移動したものと思われる)

IMG_5012.jpg
(渡瀬遊水池の湿地帯)

IMG_5003.jpg
(南風に吹かれ、渺々たる谷中湖)

鉱毒を溜めるための遊水池建設で水没した旧谷中村(田中正造は死するまでこの水没せんとする谷中村に住み続ける)のあたりを訪れてみる。

IMG_5014.jpg
(旧谷中村の村役場跡近く)

IMG_5009.jpg
(「遺跡谷中村」の説明板)

IMG_5001.jpg
(谷中湖ではないが、渡良瀬川の土手に建つ田中正造の顕彰碑)

ただし、イザベラが谷中村を通ったわけではなく、上記の如く、湖のもっと南西の辺りを辿って、おそらく、東武線柳生駅あたりで、現在の県道9号線(佐野古河線)に出て、栃木宿への道を急いだものと推測できる。

古河・谷中湖周辺のイザベラ・バードの辿った道としては、中田宿から古河宿の旧街道の探索と、古河の渡しの位置特定ができなかった。
近く、もう一度、古河を訪れて、ゆっくりと探訪したいと思っているが、古河市内を回るだけでたっぷり半日は要するので、次回は往復とも鉄道輪行で行くつもりである。

IMG_4999.jpg
(渡良瀬川土手)

・5月6日
走行距離:84キロ(フジクロス・帰途は新古河駅から五反野駅まで輪行。単独)
・5月16日
走行距離:60キロ(フジクロス・往きは三郷駅から車載輪行→関宿城。帰途は関宿城から車載輪行。with kaccinさん&しゃあさん)

テーマ:関東地域情報(東京 神奈川 埼玉 千葉 茨城 栃木 群馬 山梨) - ジャンル:地域情報
小さな旅(自転車)    Comment(4)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
大変、お世話になりました。 Posted by しゃあ あずなぶる
楽しかったです。
ボクはウェアもゲット、美味い蕎麦も賞味できて良い一日でした。

途中、ヘビに遭遇したのも驚いたなぁ。
そう言えば「マムシ注意」の看板もありましたね。

クルマが少ないのも嬉しいです。
往復車載輪行、付き合います。
2010.05.18 Tue 06:08 URL [ Edit ]
Posted by imba_potter
いよいよ、旅立ちですね。バードだけじゃなくって、田中正造も偲ばれるなど、歴史三昧のポタ、楽しそうです。
2010.05.18 Tue 22:51 URL [ Edit ]
サイクリングロードの生物たち Posted by 断腸亭髭爺
しゃあさん

サイクリングロードの草刈りが始まると、蛇が出てくることがあります。
いつだったか、利根川サイクリングロードを走っていたら、バッタの大群と遭遇して、スプロケとチェーンの間にバッタが挟まってしまったこともあります。

台風の後には、上流から流れ着いたマムシが草むらに潜んでいることもあるようです。

また、車載輪行、お願いします。
2010.05.19 Wed 05:01 URL [ Edit ]
イザベラの辿った道 Posted by 断腸亭髭爺
imba_potterさん

イザベラの辿った道は、当時も今も、いわゆる難所が多いので、走れるかしらという心配もあります。

十三峠(越後米沢街道)の旧道などは、ほとんど登山道のような状態なので、ずっと自転車を引っ張って行くしかないようです。

廃道になって、藪になってしまった道は仕方がないとしても、なるべく、イザベラが辿った通りに走れればと思っています。

また、いろいろと教えて下さい。
2010.05.19 Wed 05:10 URL [ Edit ]

管理者にだけ表示を許可する

Top↑

TrackBack
TrackBackURL
http://danchotei.blog75.fc2.com/tb.php/551-f8266866

Top↑

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。