日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
映画の日々 | エッセイ | 思い出 | 身辺雑記 | 日録 |  | 自転車 |  | 小さな旅(自転車) | 小さな旅 | 旅(自転車) | 未分類 | 自転車文学 | 
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
断腸亭日録~自転車日記
≪2017.10  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  2017.12≫
プロフィール

higedancho

Author:higedancho
断腸亭髭爺です。
自転車関係の日記が多いです。
よろしく。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
ブロとも申請フォーム
フリーエリア
ブロとも一覧
--.--.-- --
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告    Top↑

2009.12.25 Fri
国府台探訪~手児奈霊神堂と弘法寺
午前中は、入浴と洗濯。
昼頃、市川方面に所用ありて、クロスバイクで出かける。

江戸川サイクリングロード右岸から新葛飾橋(国道6号線)を渡って左岸(東岸)を走って、国府台(こうのだい)に出る。
国府台からいつもの道(真間川と平行して東西に通る道・地図)を走る。
時間がたっぷりあったので、道筋の「手児奈霊神堂」に寄ってみることにする。

IMG_3542.jpg
(手児奈霊神堂・千葉県市川市)

ここが、万葉集にも何首も詠われた、名にしおう「真間の手児奈」伝説の発祥地である。
伝説の内容は、このサイトあたりをご参照。
諸説あるものの、この国造(くにのみやつこ)の娘に起こった悲劇、つまりは、この伝説の元となる「事件」があったのは、どうやら、大和政権期の「大化の改新」の直前ぐらい(7世紀前半)のようである。

当時、このあたりは、江戸川の河口付近にあたっていて、広大な湿地帯を形成しており、手児奈が入水自殺できるぐらいの「真間の入り江」が存在していたわけである。

この手児奈霊神堂のすぐ北には、押し寄せるように、下総台地が迫っている。
その台地の上に、大和政権は、下総国の国庁・国分寺・国分尼寺を築くことになる。
つまり、この一帯は、私が普段、通勤やサイクリングで走っている地域(「勝鹿(かつしか)」)の中では、当時の人からすれば、ぶったまげるような「都」が存在していたわけである。

当時、この台地の麓が湿地帯であった名残を唯一とどめているのは、手児奈霊神堂内にある池である。

IMG_3541.jpg
(手児奈霊神堂内の池)

自然堆積や埋め立てによって、今や、湿地帯の痕跡が皆無である中で、この池だけが、当時の風景を想起する縁(よすが)となっているが、どうも、その名残は、江戸時代までは存在していたようである。

そのことが分かるのは、広重の「江戸名所百景」の「「真間の紅葉手古那の社継はし」という絵である。

真間の紅葉手古那の社継はし

まだ、沼のようなものが広がっていることが分かる。
遠くに見える山並みは、方角からして、房総の山々だと思われる(向かって右の山の山容が筑波山に似ているが、筑波山は独立峰だし、第一、方角が違う)。

この絵は、手児奈霊神堂のすぐ上の台地にある古刹「弘法寺(ぐほうじ)」(8世紀創建)から眺めたものだと言われている。

IMG_3545.jpg
(真間山・弘法寺の正面)

私もまだ時間があったので、弘法寺に登ってみることにした。
弘法寺には、石段が築かれているが、自転車を持って上がるわけにはいかない。
正面向かって左側に、側道がついているので、その坂道を上がる。
と言っても、斜度15%以上の超激坂で、34t×25tのロードのギアではとても上がれないので、途中から自転車を降りて押して上がる(マウンテンの22t×34tぐらいなら上がれるかも)。

弘法寺の本堂は、ずいぶん以前に燃えてしまって、現在は、鉄筋コンクリート製の醜い本堂が建っているが、これは、まったく見るに値しない。
しかし、境内の一帯は、その仁王門(正門)を含めて、依然、古風を留めていて、古(いにしえ)の風雅を保持している。

IMG_3552.jpg
(弘法寺の鐘楼)

IMG_3549.jpg
(弘法寺の仁王門)

IMG_3550.jpg
(弘法寺の石段を上から見下ろす)

試しに、広重が絵の構図と同じような場所に立って、写真を撮ってみた。

IMG_3546.jpg
(弘法寺から南の低地を眺める)

木が繁りすぎているので、遠景がよく見えないが、まあ、こんなアングルで描いたものだという雰囲気だけは分かるかもしれない。

こうして私は、真間の住宅街を抜けて、本八幡方面に向かったのであった。

IMG_3554.jpg
(荷風も愛した市川真間の黒松)

走行距離:37キロ(クロスバイク)

小さな旅(自転車)    Comment(2)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
手児奈を知る Posted by 相子
65年前、女学校の1年生の時に初めて万葉集は山部宿禰赤人の「富士の山を望める歌並びに反歌」に触れました。その時に教師は千葉県の人間だから知っておきなさいと手児奈のことを教えて呉れました。それ以来手児奈と真間の入江がインプットされておりました。
2009.12.26 Sat 19:54 URL [ Edit ]
原型的伝説 Posted by 断腸亭髭爺
相子さん

江戸初期に、神田あたりに、お玉ヶ池という、不忍池ほどもある大きな池があったそうです。
その後、埋め立ててしまって、現在は、その片鱗さえ見つけることができませんが、その池も、お玉という茶屋の娘が入水自殺したことから、「お玉ヶ池」という名がついたそうです。
http://isaoyoko.hp.infoseek.co.jp/kenkyakumap/18otamagaike.html

たぶん、全国的にも、類話が多いのではないかと思いますが、手児奈伝説は、その原型みたいなものではないかと睨んでいます。
2009.12.27 Sun 03:11 URL [ Edit ]

管理者にだけ表示を許可する

Top↑

TrackBack
TrackBackURL
http://danchotei.blog75.fc2.com/tb.php/455-6dbeb50b

Top↑

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。