日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2009.12.05 Sat
「お茶の水」異聞
お袋が術後の検診のため、東京にやって来ることに。
今回は、家に一泊してもらうことになってもいるので、本郷の病院へ迎えに行く。

千代田常磐線で、新御茶ノ水駅へ。
長いエスカレーターを登って、新御茶ノ水ビルのフロアに出ると、巨大な彫刻が目を引いた。

お~、これはもしかして、ブールデルの「弓を引くヘラクレス」ではないか。

IMG_3422.jpg
(ブールデル作「弓を引くヘラクレス」・新御茶ノ水ビルの地階フロア)

もちろん、本物である。
ブロンズは、型さえ残っていれば、いくつでも本物が作れるのが良い。
江戸時代の多くの浮世絵が版画であるため、たくさんの本物が存在するのと同じである。
ヘラクレスの身体と弓がしなり、いや、その下の岩までもが一体になって、力動を充填させているようである。

このヘラクレス、気がつけば、ほぼ北東に向かって弓を引いている。
深読みかもしれないが、今でも、徳川幕府にとっての鬼門を意識しているのであろうか・・・。

御茶ノ水橋南詰の交差点の信号を渡って、交番の前に出る。

交番の裏手に、こんな石碑を発見。

IMG_3424.jpg
(「お茶の水」の石碑)

御茶ノ水駅を利用しはじめて、早、30年余、この石碑の存在に気がついたのは、今回が初めてだとは、まことに不覚であった。
傍らには、竹樋から水が滴り落ちているではないか。

IMG_3425.jpg
(これぞ、「お茶ノ水}?)

なるほど、寅さんの台詞の「チョロチョロ流れるお茶の水」(注)というのは、この「お茶の水」から来ているんだな。
見てみると、イメージがぴったりだなあ・・・。

さらに、傍らに1957(昭和32)年に建てられた石碑があった。
ここに「お茶の水」の来歴のあらましが記されているので、以下、全文を写しとってみよう。

聖堂の西比井名水にてお茶の水にもめしあげられたり
神田川掘割の時ふちになりて水際に形残る
享保十四年 江戸川拡張の後川幅を広げられし時 川の中になりて 今その形もなし
(再校 江戸砂子 より)

 慶長の昔、この邊り神田山の麓に高林寺という禅寺があった。ある時 寺の庭より良い水がわき出るので 将軍秀忠公に差し上げたところ お茶に用いられて 大変良い水だとお褒(ほ)めの言葉を戴いた。それから毎日この水を差し上げる様になり この寺を お茶の水高林寺 と呼ばれ、この辺(あた)りをお茶の水と云うようになった。
 其の後、茗渓又小赤壁と稱して文人墨客が風流を楽しむ景勝の地となった。時代の変遷と共に失われ行くその風景を惜しみ心ある人たちがこの碑を建てた。
 お茶の水保勝会 坂内熊治
  高林寺    田中良彰
 昭和三十二年九月九日


なるほど、「お茶の水」という湧水が湧き出ていたのは、江戸の初期だけのことで、以後、どこにも存在しなくなってしまったんだ(現在流れているのは、単なる水道水)。当時は、このあたりには、高林寺というかなり大きな寺があって、湧き水が出ていたのは、その境内だったということ。
さらに、いろいろ調べてみると、実は、この高林寺という寺があったのは、現在チョロチョロ流れている「お茶の水」のある神田川の南岸(千代田区側)ではなく、北岸(文京区側)であったということが分かった。

だが、その詳しい場所については、よく分からない。
私の手元にある、江戸後期の地図には、高林寺は既に跡形もない。
ヒントになるのは、江戸初期の様子を伝える「江戸図屏風」の次の画像である。

高林寺
(神田川左岸[北岸]の川辺にある「お茶の水」と「高林寺」・上が西)

この絵図に上下に流れているのが神田川。
緑に囲まれている大きな寺が高林寺。
その境内から東に下がった川辺に、大切に柵で囲われているのが「お茶の水」である。

上流に木橋が見えるが、たぶん、水道橋のあたりであろう。
実は、この図のちょっと下(東)には、筋違橋(現在の万世橋と昌平橋の間にあった)が見えることから、現在の順天堂病院から水道橋に至る、神田川の崖っぷちになってしまったあたりに、それはあったのではないかと思われる(詳しくは、「江戸図屏風」を拡大してご覧いただきたい・左端)。

また、この絵図を見るに、現在の神田川より、かなり浅いもので、橋もかなり小さいし、馬で流れを渡っている人がいたりする。

神田川は、江戸城外堀として、開幕時より開削が始まっていたが、この絵図の頃は、現在よりも細くて浅いもので、その後、さらに大規模な工事が行われることによって、「お茶の水」の水脈は枯れて、その後の明暦の大火後、高林寺も現在の文京区白山(文京区向丘2丁目)に移設されたのだという。

それにしても、当時の神田山(そもそも一続きになっていた本郷台と駿河台の旧呼称)を深く開削して、その土砂を現在の東京駅付近まで運んで広大な湿地帯を埋め立てるという大工事は、江戸初期に於ける八ッ場ダム工事のように大がかりなものであったろう。
ただ、あれもこれも、江戸城の外堀を作るという城塞防衛上の要請であり、江戸庶民の福祉のためではなかったことだけは確かなことのようである。

IMG_3427.jpg
(神田川・上流をのぞむ・正面のビルが、順天堂病院)

(注)以下、寅さんの啖呵売(たんかばい)の全文。
「四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水くさい、四谷赤坂麹町、チョロチョロ流れるお茶の水、粋なねえちゃん立小便、田へしたもんだよカエルの小便、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし、結構毛だらけ猫はいだらけ」。

走行距離:2キロ(ママチャリ)

小さな旅    Comment(5)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
Posted by 屋根付き橋少年
断腸亭髭爺様
屋根付き橋少年です。先日は吹上小学校の前の(屋根付き橋)の所在教えて下さいまして有難う御座いました。
つきましては(断腸亭髭爺様)ブログをMY HP表紙のリンク欄にリンクさせて頂きましたのでご了承下さい。
尚不都合でしたらご連絡お願い致します。
    2009.12.12  屋根付き橋少年より
2009.12.12 Sat 11:06 URL [ Edit ]
久しぶりです Posted by 相子
御茶ノ水駅の御茶ノ水橋出口に出ますと、交番と道を挟み南角に煙草屋があります。
鞄や傘なども売られていたと思います。昔から看板娘ならぬ看板おじさんが煙草売り場に座っておりました。
確かその方が坂内熊治さんだと思います。(駿河台町内会会長)
2009.12.12 Sat 22:01 URL [ Edit ]
感謝です Posted by 断腸亭髭爺
屋根付き橋少年さん

リンクをしていただくとは、実に光栄なことで、ありがとうございます。
次に、設定等を変更する際には、是非とも、屋根付き橋少年さんのHPもリンクさせて下さい。
今後とも、よろしくお願いします。
2009.12.13 Sun 08:57 URL [ Edit ]
知りませんでした Posted by 断腸亭髭爺
相子さん

それは、知りませんでした。
以前は、あの店で、よく煙草を買いました。
まだ、お元気でいらっしゃるのでしょうか。

若い頃、大分警察にはいじめられたので、最近まで、交番の近くは恐くて行けませんでした。
2009.12.13 Sun 08:59 URL [ Edit ]
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2009.12.13 Sun 23:21 [ Edit ]

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