日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2009.10.24 Sat
常識
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の短編に、あまり知られていない「常識 Common Sense」という小品がある。
実に重い真実を証した傑作だと思う。

Lafcadio_hearn.jpg
(ラフカディオ・ハーン)

今日は、その作品を紹介したい。

こんな話である。

昔、京都の山寺に、教養もあり、徳も積み、仏教徒としてもきわめて信心深い和尚がいた。
近傍の村人からも、たいそう慕われていた。

そんな村人の中に、一人の猟師がいた。
ある日、その猟師が米を持って和尚の所にやって来た。

和尚曰く。

ここ数日、夜になると、普賢菩薩が象に乗ってやってこられるのじゃ。これも、長年に渡る修行と黙想の功徳だと思っている。お前も、今夜は寺に泊まり、普賢菩薩を拝むとよい。

猟師は、そんな尊いお姿を拝めるのなら、是非、拝見したいものだ応える。

だが、果たして、自分のような者に普賢菩薩の姿が見えるものかどうか、やや不審に思い、寺の小坊主に訊ねてみた。
すると、その小坊主も、和尚と一緒に、もう六回も象に乗って現れる荘厳なお姿を見たのだいう。

猟師は、小坊主にも見えるのなら、自分も見てもよいと思い、夜を待つことにする。

堂の廊下に和尚と小坊主が坐し、戸外に向かって、熱心に念仏を唱える。
その背後に、猟師も静かに座る。
夜の静寂の中に、普賢菩薩の到来を待つ。

夜の闇が深まった頃、それはついに現れた。
小さな白い光が現れ、近づくにつれ巨大な光の柱となった。
六本の牙のある雲のように白い巨像に乗った普賢菩薩が、眼前にそびえたったのである。
和尚は、その偉容に手を合わせ、一心不乱に念仏を唱える。

普賢菩薩
(普賢菩薩)

するとその時、どうしたことだろう、和尚の後ろにいた猟師が、弓を取って、すっくと立ち上がり、その普賢菩薩像にねらいを定め、ひょうと弓を引いた。
放たれた矢は、菩薩の胸に深々と突き刺さったのである。
その刹那、雷鳴のような轟が走り、光はすっと消え、深い闇と静寂が残るばかりだった。

当然、和尚は烈火の如く怒った。
お前は何という罰当たりなことをするか。
畏れ多くも、普賢菩薩様に弓を引くとは・・・。

猟師はと言えば、落ち着きはらった様子でこんなふうに応えた。

和尚様、どうか、お気を鎮めて、私の話を聞いてください。
和尚様は、長年修行をお積みになり、お経の研究をなさってこられた方なので、そういう方に普賢菩薩のお姿が見えるのは当然です。
でも、この私は、無学な猟師で、生き物を殺めることを生業とする殺生な身の上。
そんな私に、そもそも、普賢菩薩のお姿が見えるはずはないのです。
なのに、私には、その姿がはっきりと見えた。
ということは、あの見えた物は、偽物にちがいない。何かの化け物であり、きっと禍をもたらすものにちがいないと思って、弓を引いたわけです。

日の出になり、和尚と猟師は、その普賢菩薩が現れたあたりに行ってみた。
血だまりができていて、そこから、点々と血痕が山の中に続いていた。
その血痕を追いかけていくと、猟師の矢に射抜かれた大きな狸の死骸が横たわっていた。

ラフカディオ・ハーンは、最後に、こう結んでいる。

「和尚は学問のある信心深い人だったが、狸にやすやすと騙された。ところが、猟師は無学で不信心な男だったが、しっかりとした常識をもっていた。この生来の才知だけで、危険な迷妄を見破るとともに、それをうち砕くことができたのである」。

エッセイ    Comment(8)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
望むもの。 Posted by しゃあ あずなぶる
和尚も小坊主も「見たいと望んだモノ」を見せて貰った。
猟師は大きな狸という獲物を獲た。
狸は三人の人間を幸せにし、教訓を残した。

ボクのは屁理屈ですね。断腸さんは、どう思われますか?
2009.10.25 Sun 05:05 URL [ Edit ]
解釈自由な寓話 Posted by 断腸亭髭爺
しゃあさん

この作品の場合、著者(ハーン)自身の「教訓」が最後に明記されているので、著者が意図する物語の意味は自明です。

しかし、その「教訓」を抜きにして考えれば、読者は自由に解釈してよいわけです。

たとえば、この物語から、「余計なことをするものではない」という教訓や、「動物を殺してはいけない」という教訓も引き出すことも可能だと思います。

登場人物の誰を中心に見るかによって、「教訓」の座標は大きく変わってくると思います。

たぶん、読む人の数ぶんだけ、解釈があってよいと思います。

2009.10.25 Sun 06:49 URL [ Edit ]
難題です Posted by 相子
常識と言う物差しは何処にあるのでしょうか。ぶれてぶれて毎日を過ごしていますので、何時も定まらないのが私の生活です。
2009.10.25 Sun 17:27 URL [ Edit ]
常識って難しい Posted by 断腸亭髭爺
相子さん

そうなんですね。
常識って難しいです。

英語では「共通感覚 Common sense」という言い方をしますが、現代は、文化が画一化する一方で、個々人の感じ方は多様化しているので、そこにズレが生じているような気がします。
2009.10.26 Mon 23:40 URL [ Edit ]
初めまして Posted by 駒井
中華服について調べていて
上でコメントされている相子先生のページから
飛んできました。

小泉八雲さんの「常識」大変興味を持ちました。
図書館に行って探してみたいと思います。

小泉さんの常識の主題とは少々ずれが
あるかもしれませんが

依然読んだ本の中で
アインシュタインさんが
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う」と言葉を残しているようです。

常識という言葉を使うときの
なんともいえない押し付け感を旨く言い表しているな~と思いました。

情報ありがとうございました。
2009.10.29 Thu 23:35 URL [ Edit ]
「猟師仏を射る事」 Posted by 断腸亭髭爺
駒井さん

はじめまして。
コメント、ありがとうございます。
今後とも、よろしくお願いします。

私が依拠した本は、昭和30年代に出た角川文庫版ですが、たぶん、絶版だと思います。

ラフカディオ・ハーンの「常識」は、実は、『宇治拾遺物語』の中の「猟師仏を射る事」をハーンなりに解釈して、英語で再話した作品なんです。

ですから、細部を除けば、ハーンの作品とそっくりです。

『宇治』では、ハーンの「常識」に当たる言葉を「慮」と表現していますね。

また、本物の普賢菩薩なら、矢に射られることはないはずだとも猟師は言っています。

ネット上に、「猟師仏を射る事」のテキストがありましたので、以下、全文を引用しておきますね。


「猟師仏を射る事」(『宇治拾遺物語』所収)

 昔、愛宕の山に、久しく行ふ聖ありけり。年ごろ行ひて、坊を出づる事なし。西の方に猟師あり。この聖を貴みて、常にはまうでて、物奉りなどしけり。久しく参りざりければ、餌袋に干飯など入れて、まうでたり。
聖悦びて、日ごろのおぼつかなさなど宣ふ。その中に、居寄りて宣ふやうは、「この程いみじく貴き事あり。この年ごろ、他念なく経をたもち奉りてある験やらん、この夜比、普賢菩薩象に乗りて見え給ふ。今宵とどまりて拝み給へ」と言ひければ、この猟師、「世に貴き事にこそ候ふなれ。さらば泊りて拝み奉らん」とてとどまりぬ。
 さて聖の使ふ童のあるに問ふ、「聖宣ふやう、いかなる事ぞや。おのれも、この仏をば拝み参らせたりや」と問へば、童は、「五六度ぞ見奉りて候ふ」といふに、猟師、我も見奉る事もやあるとて、聖の後に、いねもせずして起き居たり。
九月二十日の事なれば、夜も長し。今や今やと待つに、夜半過ぎぬらんと思ふほどに、東の山の嶺より、月の出づるやうに見えて、嶺の嵐もすさまじきに、この坊の内、光さしいりたるようにて明かくなりぬ。見れば、普賢菩薩象に乗りて、やうやうおはして、坊の前に立ち給へり。
 聖泣く泣く拝みて、「いかに、ぬし殿は拝み奉るや」と言ひければ、「いかがは。この童も拝み奉る。をいをい、いみじう貴し」とて、猟師思ふやう、聖は年ごろ経をもたもち読み給へばこそ、その目ばかりに見え給はめ、この童、我が身などは、経の向きたる方も知らぬに、見え給へるは、心得られぬ事なりと、心のうちに思ひて、この事試みてん、これ罪得べき事にあらずと思ひて、尖矢を弓につがひて、聖の拝み入りたる上よりさし越して、弓を強く引きて、ひやうと射たりければ、御胸の程に当るやうにて、火を打ち消つごとくにて、光も失せぬ。谷へとどろめきて、逃げ行く音す。
聖、「これはいかにし給へるぞ」と言ひて、泣き惑ふこと限りなし。男申しけるは、「聖の目にこそ見え給はめ、我が罪深き者の目に見え給へば、試み奉らんと思ひて、射つるなり。実の仏ならば、よも矢は立ち給はじ。されば怪しき物なり」といひけり。
 夜明けて、血をとめて行きて見ければ、一町ばかり行きて、谷の底に大なる狸、胸より尖矢を射通されて、死して伏せりけり。
 聖なれど、無智なれば、かやうに化されけるなり。猟師なれども、慮ありければ、狸を射害し、その化をあらはしけるなり。
2009.10.30 Fri 03:14 URL [ Edit ]
ありがとうごいます Posted by 駒井
何からなにまで
ありがとうございます。
当方、古文には無知なのですが
先生の解説のお蔭で
意味も分かりました。

これからも立ち寄らせていただく事に
なると思います。

よろしく御願いします。

また大きなお怪我をされたご様子。
ご自愛くださいませ。
(ヘルメットについてのご意見については
まさにその通りだと思いました。)

2009.10.30 Fri 21:23 URL [ Edit ]
珠玉の短編 Posted by 断腸亭髭爺
駒井さん

ラフカディオ・ハーンは、短編の名手です。
「珠玉」と称しうるものも多いので、是非、お読みになって下さい。

お陰様で、怪我の方は、もう大丈夫です。
ご心配かけて、すみません。
2009.10.30 Fri 23:25 URL [ Edit ]

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