日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2009.10.11 Sun
小さな町の大きな出来事・銚子大空襲~ノーマン・メイラーのこと
「2マイルばかりの銚子半島は、日本全体の縮図だった。太平洋にむかって、数百フィートの高さに切り立った、大絶壁があった。まるでエメラルドみたいに完全で、きちんとつくられた豆絵の林、灰色の木と石塊でつくったちっちゃな漁師町、稲田、悲しげな低い小さい丘、魚の臓腑や人糞が鼻をつく、銚子の狭苦しい息もつまりそうな町、ものすごい人だかりの漁港の波止場。なにひとつ無駄にするものはない。土地という土地は、一千年の長きにわたって、まるで爪の手入れみたいによく手入れされていた」。

いきなりの長い引用にて失礼。

これは、アメリカの作家ノーマン・メイラーが書いた長編小説『裸者と死者』(1948年)の一節である。
メイラーは、21歳で米陸軍に入隊、ルソン島のジャングルの中で日本軍と戦い、終戦後、銚子に進駐(銚子の米占領軍司令部は、現在のヤマサ醤油社屋を接収)した(その後、小名浜へ)。

『裸者と死者』は、その体験を生かして書かれた叙事詩的戦争小説巨編である。
学生時代に読んで感動し、その後、全集も買って、随分一生懸命、メイラーの難解な文章と格闘したものである(当時は新潮文庫で3巻本で出ていたが、長らく絶版のまま)。

メイラーの銚子に関する上の描写は、お見事と言うほかない。
東京オリンピック(1964年)ぐらいまでの銚子の雰囲気を、完璧なまでに活写していると言ってよい。

「大絶壁」というのは、もちろん、屏風ヶ浦のことで、わたしの田舎の家からは、徒歩20分ぐらい。

「豆絵の林、灰色の木と石塊でつくったちっちゃな漁師町、稲田、悲しげな低い小さい丘、魚の臓腑や人糞が鼻をつく、銚子の狭苦しい息もつまりそうな町」という描写も、犬若から外川あたりまでの海岸線に沿って点在した漁村の風景を、驚くほど精確に描ききっている。

ところが、その銚子の町だが、メイラーたちが進駐する前の戦争中は、町の規模には不相応な、米軍の激しい空爆にさらされたのである。

1945年3月10日、一夜にして10万人以上の死者をもたらした、いわゆる東京大空襲を皮切りに、銚子市民の災難も始まった。

当時、燈火管制が敷かれていたので、洋上の航空母艦や島々から飛び立った米軍爆撃機は、正確に東京への方角を辿る一番簡単な方法は、夜間でも上空から光って見える利根川沿いに遡上することであった。
利根川を遡り、江戸川をたぐれば、すぐに荒川や隅田川も発見できる。
これらの川の流域には、当時も今も、「庶民」の大住宅街が広がっている。
その全域に、木造住宅を破壊するために特殊開発された焼夷弾を雨霰のように投下して、東京の下町を未曾有の火炎地獄と化さしめるという、無差別攻撃を加えることになる。

そうして、帝都の爆撃がすむと、また、利根川沿いに帰投するのだが、燃料の節約などのために、利根川流域の最後の町である銚子に、余った爆弾を全部落として行くわけだ。
これにより、銚子の市街地は壊滅する。

しかも、のどかな昼下がりに、突然、グラマン戦闘機が飛来し、飯沼観音でお参りしている人をゲーム感覚で銃撃し、多くの民間人も殺された。
米兵士も、長年の従軍生活でむしゃくしゃしていたのであろう。
お遊び的な攻撃も頻繁に繰り返されたという。

幼かりし日を思いて、わが胸は痛む。 
少年たち、学友たち、ともに興ぜし遊戯、
しきりに瞼にうかぶ。 
かつて銚子に祖父母とすごせし日よ。 
われは思う、われは生まれ、そして死す。 
われは生まれ、生き、そしてまた死なんとす。 
今宵 われは思う。 
われは至高の存在、天皇を信ぜず、 
わが偽らぬ心の告白。 
われはまさに死なんとす。われは生まれ、われは死す。 
われは自問す―なぜか? 
われは生まれ、われは死なんとす。 
なぜか? なぜか? そはなにを意味するや?

これは、『裸者と死者』に登場する日本軍将校の遺言詩である。
彼も、ひょっとしたらメイラーも、1945年に銚子に加えられたゲルニカ的無差別爆撃を知らなかったかもしれない。

IMG_2978.jpg
(現在の外川港)

走行距離:0キロ

エッセイ    Comment(8)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
Posted by たすけ
燃料の節約などのために、銚子に余った爆弾を全部落として行くゲルニカ的無差別爆撃...知りませんでした。

屋根の低い外川の漁村集落を訪れる度に、のどかでいいなぁ...なんて能天気で散策していましたが、そんな歴史もあったのですねぇ。
2009.10.11 Sun 08:54 URL [ Edit ]
人種差別が有ったと思う。 Posted by しゃあ あずなぶる
米軍はヨーロッパではやらなかった夜間爆撃を行った。
無差別爆撃を行った。核兵器も使用した。
戦争だから双方に非難される行為は有った筈。
そう思うと東京裁判は一方的です。

始めておいて終わりを宣言する。
それで「ノーベル賞」とは納得出来ないなぁ。
2009.10.11 Sun 11:43 URL [ Edit ]
タイトルに共感 Posted by 相子
過ぎし日と過っての日本。そして戦争。切ない時代でした。
1948年は東京はまだ焼け野原。住む家もなく浮浪者も戦災孤児も上野駅に大勢おりました。
絶対に忘れることは出来ません。
あの時代を生きた一人として戦争反対の意思は変わりません。
2009.10.11 Sun 12:22 URL [ Edit ]
焼失戸数 Posted by 断腸亭髭爺
たすけさん

外川の街は、ほとんど戦禍にはあっていないと思います。
ただ、軍から漁船を徴発されて困ったとは思いますが。

当時の空襲被害状況を見ると、銚子は、焼失戸数5142戸で、千葉県で一番大きな被害を受けた千葉市8904戸に次いで多かったようです。
因みに、帝都に近接する市川市は125戸、船橋市はわずか50戸です。
(無論、東京23区は桁違いもいいとこで、76万戸)。

この数字を見ると、東京で焼け出された荷風が、なぜ市川に「疎開」したのかも分かるような気がします。
2009.10.11 Sun 22:15 URL [ Edit ]
「勝てば官軍」 Posted by 断腸亭髭爺
しゃあさん

戦争というのは、いつだって「勝てば官軍」なんです。
そこが戦争の不条理・馬鹿らしさというもの。
日帝時代の日本も、きわめて差別的かつ一方的なことを他国に押しつけたわけで、考えてみれば、米国と同じ穴のムジナですね。

ノーベル平和賞なぞ、大したものではありません。
自民党の佐藤栄作ですらもらえたわけですから。

でも、今回のノーベル賞授与はよかったと思います。
核の全廃に向けて、オバマは頑張らざるを得なくなったばかりか、核産業でボロ儲けしている連中にも、良い圧力になると思います。

日本に於けるアメリカのマリオネットたちがほざいてきた核の抑止効果という「空念仏」も、唱えにくくなって大変によかったと思います。
2009.10.11 Sun 22:29 URL [ Edit ]
少しずつ「死ぬ」こと Posted by 断腸亭髭爺
相子さん

戦争というのは、直接的な被害にあった人だけでなく、その時代や地域に生きているすべての人が、何というか、少しずつ「死ぬ」ことだと思います。

一度死んでしまったものを本然に復すには、気の遠くなるような努力と労力が必要なるはずです。

だったら、その努力と労力を戦争を起こさないことに向けることが肝要・・・。

昔からそんなことは分かっているはずなんですが。

そうそう、ノーマン・メイラーが、一兵卒として、最初に上陸したのは、確か、館山だったはずです。
2009.10.11 Sun 22:45 URL [ Edit ]
そうでしたか Posted by 相子
敗戦後千葉の館山に米軍が来たのは秋になってからだと思います。その兵の姿を見て驚きました。
未だ米国と戦争をしていなかった夏、中国の青島に米国の太平洋艦隊が避暑に寄港、セーラー達が上陸して来ました。
館山に来た彼らの服装が全く昔と同じ。日本の兵隊の戦争末期の姿は酷いものでした。
負けて当然と感じるのが当たり前でしょう。
2009.10.12 Mon 08:04 URL [ Edit ]
「敗戦」という現実 Posted by 断腸亭髭爺
相子さん

1945年の9月、東京湾内に浮かぶミズーリ号船上での「無条件降伏」調印の写真を見て、私は、同じような感慨を覚えました。

将校でもない、水兵が足をぶらぶらさせながら、調印の様子を見物していますね。

あれこそ、「敗戦」の現実ですね。
2009.10.12 Mon 21:24 URL [ Edit ]

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