日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2009.09.14 Mon
屏風ヶ浦の思い出
今日も、夜明けを待って、馬鹿の一つ覚えの如く、屏風ヶ浦まで走る。

IMG_3009.jpg
(朝焼けの屏風ヶ浦)

まだ、県道286号線(愛宕山公園線・旧有料道路)が敷設される以前、屏風ヶ浦上の台地一帯のことを、土地の言葉で「赤ハゲ」と呼んでいた。
多分、剥き出しになった関東ローム層の地表が、潮風で酸化して赤銅色に見えたからではないかと想像する。

地表が剥き出しになっていない所は、細竹類や松などの鬱蒼たる海浜植物が繁っていて、その中を、獣道のような迷路が錯通していた。
小学生であったわれわれにとって、赤ハゲは冒険心を激しくかき立てられる場所て、友人たちとあちこちを探索したものである。

一時、自衛隊の射撃訓練場があったためか、たくさん薬莢が落ちているという噂(たぶん、嘘)が流れて、それを探しによく出かけたものである。
しかし、代わりに見つけた物は、昔このあたりに住んでいた人たちが使っていたと思われる、粘土のおはじきや陶器のかけらだったりした。

凄まじい波の浸食によって現在も後退し続けている屏風ヶ浦は、江戸時代以前には、今よりも4キロから7キロも、海側に陸地が延びていたのである。
かつては、そこにはいくつかの集落もあったので、私が子どもの頃には、まだ、その村はずれに当たるあたりには、家屋が遺跡化して地表に顕れていたのだと思う。

こんなことがあった。
その日、小学生であった私たちは、いつものように、見つかるはずのない自衛隊の薬莢探しに「赤ハゲ」に出かけた。
すると、崖の地層の中から、赤銅色の円筒状(太さ10ミリ、長さ50ミリぐらい)の物体を何本も発見して、かなり興奮した。
薬莢のような金属質ではなくて、固い土のようなものだったので、想像力が「豊か」過ぎるわれわれは、こう考えた。
これは、戦争中、グラマン戦闘機が機銃掃射した弾丸が、地面に着弾して、その後、腐食したものに違いない!
われわれは、それを大切に家に持ち帰って、さっそく翌日に、学校に持って行った。
「理科」に詳しそうな先生に、得意げにそれを見せた。
われわれの推理が正しいことを認めてもらうためである。
プラモデルの空き箱に入れて、大事そうに先生に見せると、先生は、ニコニコしながら、「これは、なんかの植物の根っこだっぺぇ。わっりゃあ(お前たち)、赤ハゲは危ねえがら、行ぐんじゃねえぞ」と言われたのであった・・・。

話は脱線するが、当時のわれわれ銚子の少年たちは、一人残らず、銚子商業高校野球部のファンで、しかも、軍事オタクだった。
少年軍事オタクの憧れの的は、第二次大戦中の戦車(ドイツ軍のキングタイガー[ケーニッヒティーゲル]が一番人気)・戦闘機(何と言っても、零戦)・戦艦(何と言っても、大和)・大小火器[サンダース軍曹が使用していたトンプソンサブマシンガンなど]など。
特に零戦は、われわれの憧れ以上の、それこそ雲の上の存在で、プラモデルで何機作ったか分からない。

たとえば、こんなことがあった。
図画工作の時間に魚市場に写生に出かける。
ところが、われわれが描いた絵はどうかというと、魚市場で働くオジサンたちの上空には、必ず、零戦とグラマンとの空中戦の模様が描いてあった。
犬吠埼を写生に行っても、利根川を写生に行っても、上空には、必ず、零戦が飛んでいるのである。
先生も困り果てたらしく、写生に行く前に、こう釘を刺した。
「零戦を描いた人は、零点にします!」と・・・。

屏風ヶ浦の思い出は尽きないが、あの一帯ががらっと変わったのは、何と言っても、現・県道286号線(愛宕山公園線・旧有料道路)の工事が始まってからである。
愛すべき赤ハゲは、単なる「有料道路」になりはてて、もはや、想像力を刺激する場所では、ほとんどなくなった。
今思えば、東京オリンピックの波紋が、銚子まで押し寄せたということかもしれない。

IMG_3011.jpg
(刑部岬方面を臨む)

走行距離:たぶん7キロぐらい(24インチママチャリ)

思い出    Comment(4)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
空中戦はあったのだ! Posted by しゃあ あずなぶる
ボクは子供の頃、絵の上手な子供でした。
ちょっと自慢で、美術の先生も本格的に勉強する事を薦めました。
ある日、「象」がテーマになりました。ボクは「猿」が描きたかったのに・・・。
全く描く気が起きず、先生に「もっと上手く描ける筈だ」と怒られました。
描きたくないものは、子供は描かないんですね。
イヤイヤでも描いて、さっさと切り上げたかったんです。

逆に描きたい物は描くんですよ。きっと。
小学生の断腸少年の頭上では、激しい空中戦が有ったに違いありません。
流れ弾が中らなくて良かったですね。
2009.09.19 Sat 14:10 URL [ Edit ]
根元的な風景 Posted by 断腸亭髭爺
しゃあさん

子どもは、時空を越えた想像力の眼で、風景を捉えますね。

だから、眼前の現実的風景の中に、ゴジラが暴れていたり、零戦が飛んでいても、不思議ではありません。

今の私も、似たようなもので、眼前の風景の中に、たとえば、縄文の風景を思い浮かべたりしています。

人間にとっての「風景」とは、元来、そういうものなのじゃないかと思っています。
2009.09.21 Mon 09:28 URL [ Edit ]
あの映画のワンシーンが… Posted by 棚倉 樽
「喜びも悲しみも幾年月」で、犬吠埼灯台を米軍機が
攻撃する空撮イメージシーンを思い出しました…。

私は未だに第二次大戦の戦闘機が好きで、月一の新橋
慈恵医大での検査の帰りには、必ずタミヤのプラモデル
ショップに立ち寄ります(笑)。
そして、P51ムスタングにウットリしてしまうのですぅ。
2009.09.26 Sat 00:44 URL [ Edit ]
プラモデル世代 Posted by 断腸亭髭爺
棚倉さん

やっぱりプラモデル世代ですね。

「タミヤ」のプラモデルには、さんざん世話になりました。

私は、戦車が好きで、「四号戦車」と「パンサー」と「キングタイガー」が特にお気に入り。
友だちと、古くなった戦車のプラモデルを持ち寄って、爆竹で破壊するという、マニアックな遊びをやってました。
砲身が縦に裂けたり、砲台が吹っ飛んだり、リアルな破壊シーンに夢中になってました。

今でも、戦車のラジコンを展示してあるのを見ると、つい、欲しくなってしまいます。

因みに、軍事評論家の江畑謙介氏は、私の高校の先輩です。
2009.09.27 Sun 06:53 URL [ Edit ]

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