日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2009.08.23 Sun
南奥羽ツーリング3~米沢から新庄まで・天童で転倒
5時起床。
快晴で、暑くなりそうな気配である。

洗濯物は、案の定、乾いていない。
洗濯物を乾かす一番確実な方法は、濡れたまま着てしまうことであるが、それが嫌なら、私の場合、リュックの両側にあるメッシュの部分に突っ込んでおくと、走っている間に風を受けるので、多少は乾くのが早い。
今日は暑くなりそうだったので、まだ濡れてはいたが、思い切って身につけてしまった。
かえって冷たくて気持ちがよいが、冬の東北でこの方法をとれば、命を落とす危険もあるので注意・・・。

夕べの調査によって、駅前の立ち食い蕎麦屋は6時半開店だということをつかんでいたので、6時20分にチェックアウト。
ホテルのオバサンにお礼を述べて、駅前に向かう。
たぬき蕎麦を食べる(結構美味しい)。

駅前のコンビニで、最低限の食料(おにぎりなど)とお茶を買って、まずは、上杉神社(米沢城趾)に向かう。

そう言えば、昨日、福島から米沢に入って、「街路の小道具」が一つ変化した。
ここで言う「街路の小道具」というのは、信号機のこと。
私が走った山形県を貫通する国道13号沿いの全ての地域で、信号機は次の写真のようなものである。

IMG_2766.jpg
(米沢市内の「縦型」信号機)

そうなのである。
雪国の信号機は、関東の横の信号機とは違って、縦に並んでいる。
上から、赤・黄・青。
縦型なのは、雪が積もりにくくするためなのだという。
なるほど、帰りに、鳴子峡を越えて、宮城県の平地に入ると、ちゃんと横型の信号機に戻っていた。

さて、上杉神社(米沢城趾)である。
早朝なので人もまばらで、空気が澄み切っている。

IMG_2767.jpg
(上杉神社・内堀に架かる橋の上から)

私は、この神社そのものにはまったく関心がなかったので、あくまでも、米沢城趾として、濠の内を歩いたり、濠の外を自転車で走ったりしてみた。
しかし、結局のところ、米沢城は平城(ひらじろ)だったので、建築物が失われた今となっては、濠を除けば、城跡であることをさして楽しむことはできなかった。
せっかくこの城は一度も戦禍に遭うことなく、無事、明治維新を迎えられたというのに、明治6年、「廃城令」という、実にくだらない法律によって取り壊されたのだ(モッタイナイ話である)。

IMG_2771.jpg
(素晴らしい内堀)

城趾内を散策していると、面白い石碑を発見した。

IMG_2772.jpg
(「米沢牛の恩人 チャールズ・ヘンリー・ダラス」の石碑)

チャールズ・ヘンリー・ダラスは、幕末維新時に日本にやってきた多くのお雇い外国人教師の一人(英国人)で、米沢の学校に赴任した際、牛肉が食べたくて仕方なくて、地元の農耕牛を潰して食べたところ、これが大変美味しくて、横浜まで一頭連れ帰ったという。
原種としての「米沢牛」が既に食用に適していたというのが、私には驚きだった。

またそれよりも、米沢から横浜まで、牛をどんな交通手段で運んだのかも、興味があるが、どこにも書かれていなかった。
牛に引かれて善光寺でもあるまいし、はるばる米沢から横浜までの約350キロ(奥羽山脈越えをともなう)を歩かせたら、やせ細ってスジ肉ばかりになってしまうだろう。
当時、牛を乗せられるような車輌(巨大な大八車)はあったのだろうか。
あるいは、新潟か福島の港まで歩かせて、そこから船で運んだのであろうか・・・。

上杉神社よりも、私は、内堀の外にあった、明治以降の上杉家旧家の方が面白かった。
維新の内戦(戊辰戦争)時、最初は西軍に協力しながらも、途中から奥羽越列藩同盟に加盟した米沢藩は、戦争終盤になって、再度、西軍に付いたという複雑微妙な立場で終戦を迎える。
維新後、結局は減封になったものの、上杉家はうまうまと「華族」となりおおせて、旧城内に豪壮な邸宅を築くことになる(白河藩や会津藩の連中が聞いたら怒るだろうな・・・)。
とは言え、その邸宅は、洋風をまったく衒(てら)うことのない、堂々たる和式建築だった。

IMG_2770.jpg
(旧上杉邸の裏門にて・松の巨木が往時を偲ぶ)

あまりゆっくりとしているわけにはいかないので、上杉邸の(公衆)便所で用を済ませて、街中の旧道の「筋違い」を通って国道13号線に出る。

最上川沿いに自転車道(数キロだが)があること(「置賜自転車道」)はつかんでいたが、舗装状況などがよく分からなかったので、泣く泣く、交通量の多い国道13号線(通称・米沢街道)を北上することにする(地元の人は(特に雪国の場合)、「自転車道」という認識があまりないようで、この言葉を使って聞いても、大抵は首をかしげるだけ。「川沿いの遊歩道」という言葉を使うとよい)。

米沢からの国道13号線(米沢街道)は、赤湯温泉の手前ぐらいまでは比較的平坦でぐんぐんと進むことができるが、その先は、山形市の手前まで10数キロの険しい登り道となる(ほぼ、奥羽本線と平行に走る)。

IMG_2774.jpg
(赤湯から上山に上がる長い峠の始まりである)

今回の旅で覚えたことだが、こういう長い登り坂の場合は、最初からフロントをインナーに入れてしまって、あとはずっとリアのギアを、微妙に変化する傾斜に合わせるようにこまめに変速しながら登っていくほうがよい。
最初はアウターで踏ん張って、堪えきれなくなったらインナーに入れるというのは、良い考えのようだが、実は、数百メートルの坂ならいざ知らず、数キロ以上続く長い坂の場合、かえって疲れてしまうようのだ。
要は、筋力の使い方をなるべく分散させた方がよいのである。

こうして、国道13号の長い坂を登っていると、異様に白い山肌が現れてぎょっとする。
疲れている眼には、一瞬、雪のように見えたが、無論、そんなはずはなくて、よく見ると葡萄畑だった。

IMG_2775.jpg
(山肌を被う葡萄畑)

帰ってきてから調べてみると、ここ山形県南陽市赤湯は、ワイン用葡萄の名産地で、当然、ワイナリーもあるという。
事前に知っていれば、試飲ぐらいしてみたかったものだ。

山形市に入るまでの国道13号線は、たぶん、標高250~300メートルの峠が続くが、上山あたりからの車道は、舗装も良好で路肩も広く、また、場所によっては、幅4メートルぐらいの堂々たる歩道もあって、かなり走りやすくなる。

山形市に入ると、今まで登ってきた300メートルを一気に降りることになり、路面状況が良好なことに加え、ほぼ直線道路なので、20分間ほど、ペダルを漕がずに時速50キロの世界を満喫することができる。

山形市に入ったところで、かなりの空腹を覚えた。
すると、国道13号線沿いに「ラーメン 山岡家」のどでかい、赤地に白抜きの看板が見えた。
関東でも、特に茨城県あたりではよく見かける「ラーメン 山岡家」だが、山形で出会うとは思わなかったので、一瞬目を疑った。
昼前だったが、既に「営業中」だったので、喜んで入店する(私が「口開け」だった)。
「ラーメン 山岡家」(山形青田店)

10時半過ぎぐらいから気温がかなり上昇してきていたので、カウンターに座るなり、店の冷たい水を立て続けに何杯も飲み干す。
こういう時の水は、千金に値する美酒ほどにウマイ!
醤油ラーメン(麺硬め・脂普通)を食べて、地図を見ながら、ゆっくり休憩。

ラーメン屋を後にして、引き続き、国道13号線を走り始める。
山形市内で坂を降りきってしまったので、しばらく北上すると、また緩やかな登り坂が始まる。
結局その登り坂は、その後、20キロ以上続くことになる。

また、日本海側特有のフェーン現象かどうか分からないが、今日はすごく暑い。
コンビニが現れる度に、お茶を買い足さなければならないほどだ。
おまけに、路肩は次第に狭くなり、トラックの交通量も増してきたので、場合によっては歩道走行を強いられるので、さらに疲れる。

山形県総合運動公園」の標識が見えた。
国道13号を走るのが心底嫌になってきたし、昼飯あとの眠気も襲ってきたので、この「運動公園」で大休止することに。

国道を右に折れて、しばらく並木道を走ると、想像していたよりはるかに広大な「山形県総合運動公園」が現れた。
陸上競技場や体育館のほかに、野球・サッカー・ラグビー用の各競技場もあって、しかも、各所に池が配置された遊歩道もある巨大な公園であった。

総合運動公園
(「山形県総合運動公園」の園内地図)

私は、自販機で冷たい飲み物を購入し(体育館内の自販機は10円引き)、木陰のベンチに陣取った(園内自転車乗り入れ可)。
(夕べの飲み残しの焼酎なども収納されている)重いリュックを降ろして、ヒップバッグも外して、ヘルメットと靴を脱いで、ベンチに横たわる。
身体を拘束するものが外れると、涼しくて気持ちがよい。
そのまま30分ほど、すやすやと寝入ってしまった・・・。
風で木の枝がこすれ合う音で目を覚ます。
爽快な気分である。
こうして私は、水道で顔を洗って、再度、国道13号線に戻った。

そして、この直後、私にまったく予期せぬ事態が待っていようとは知らずに、元気を取り戻した私は、国道13号線を快走していた。

国道13号線の「原町」交差点の直前でそれは起こった。
信号が赤になったので、減速しはじめていた。
右方向「山寺」の標識を見ながら、停止しようとしたその時、突然、前輪が縦溝に取られて大きくバランスを失い、頭から前のめりにアスファルト上に転倒した。

私としては、何が起こったのか分からず、すぐに後を振り向いて、クルマがいないことを確認して、とにかく自転車を引きずるようにして、歩道に上がった。
歩道上に座り込んで、痛む場所を一つ一つ確認した。
まず、右足の膝頭に大きな傷が開き、血が流れている。
同じく右ふくらはぎに大根おろしでこすったような擦過傷。
黄色いシャツをきた右肩に血がにじんでる(シャツを脱いでみないと状態が分からない)。
左手の全指に突き指をしたような痛み。
右前頭部に激しい痛み。
ヘルメットを脱ぐと、内部の緩衝材が4センチほど割れていた。
これは大変だと、立ち上がろうとするものの、ふらついてしまってうまく立てない。
軽い脳震盪を起こしているようである。
幸い、後のボトルケージに200CCほどの水が残っていたので、ラグビーの「魔法の水」の要領で、頭にぶっかける。
しばらくすると、ふらつきも治まったので、今度は自転車のダメージを調べる。
右のSTI(ブレーキレバー兼変速レバー)が、内側に大きく折れ曲がっている。
力ずくで元の位置に戻す。

何らかの応急処置をしなければならないと思い、とにかく自転車に乗って、歩道をゆっくり走り出す。
変速やブレーキには異常なし。
幸いなことに、数百メートルで、「道の駅・天童温泉」が現れ、コンビニも隣接している。
私はまず、コンビニで、消毒剤と水(1リットル)を購入し、道の駅に行く。

道の駅・天童温泉」には、大きな足湯施設があって、たくさんの人々が湯に足を漬けて楽しんでいたが、こうして楽しかるべき足湯も、足に怪我をしている今の私にとっては、何の意味もない。

私は、まず、トイレに入って、足の傷口に水をかけた。
冷たい水なので、非常にしみる。
その後、買ってきた消毒剤を大量にぶっかけた(痛さに顔が歪む)。
右肩の傷も、同じようにした。
水道で顔を洗うと、額の右に痛みを感じた。
鏡で見てみると、軽い擦過傷ができていた。
肩の傷はまあいいとして、膝頭の傷には参った。
なにせ、ペダルを漕ぐたびに、伸びたり縮んだりする箇所なので、うまく血が止まるかどうかである。

とにかく、この道の駅で善後策を考えることも含めて、十分休憩することにした。
道の駅の食堂や売店を見て回る。
揚げたての天ぷら蕎麦が美味しそうであるが、行列ができている。
売店では、近隣の農家で採れた野菜などを売っている。
私は、山形名物の「玉コンニャク」(100円)を露店で買って、日陰のベンチに座って休むことに。
地図を開くと、この先、目的地の新庄までは50キロぐらい、途中の尾花沢までは35キロぐらい。
しかも、登り坂基調である。
その時の私の気分では、とてもその日の内に新庄まで走り切る自信はなかった。

東京の呑ちゃんに電話をして、尾花沢の宿をピックアップしておいて欲しいと頼む(但し、無用な心配をかけてしまうので、怪我のことは伝えず)。

膝の血が止まってきたようなので、出発してみることにする。
自転車に跨って漕ぎ出すと、肌が乾いて塞がっていた傷口が開いて、また、血が出てくる。
傷口が紫外線に曝されるとチリチリと痛い感じがするが、消毒になるような気もする・・・。

しばらく走っていると、国道13号線と分岐するように、県道120号が北へ延びていたので、地図で調べてみると、どうも、この県道の方が旧道(羽州街道)らしいことが分かったので、県道の方を進むが、この選択は、間違っていたかもしれない。
路肩も狭いし、クルマも多い。
しかも、一直線の登り坂で、スピードも出ない。
さらに、村上の手前で、渋滞が始まる始末。
旧道を登って行くと、渋滞の原因が判明した。

むらやま徳内まつり」のため、交通規制が敷かれていたのだった。
この祭りは、山形県村山市のをあげての夏祭りであるが、江戸時代の探検家・最上徳内がここの出身であることにあやかって、「徳内」祭りと命名されているらしい。

祭囃子にちょっと励まされながら、私は、旧道から再び、国道13号線に戻った。
ただ、右足と右肩と左手の痛みは引くことがなく、特に右膝の痛みは、ペダルを漕ぐ上での大きな障害になった。
また、左手が痛むので、ブレーキがまともに引けない。
フロントギアも、インナーに落とすことはできても、痛くてアウターに上げることができないので、変速時は、左手でハンドルをしっかりと押さえて、右手でシフトアップした。

尾花沢はもうすぐだが、宿があるだろうかと心配になってきて、携帯メールを見ると、呑ちゃんから調査結果が届いていた。
尾花沢には宿は少ない。新庄ならたくさんあるとのこと。
まあ、そうであろう。

仕方がないので、ここは頑張って、新庄まで走ろうと決意した。
再度走り始めた国道13号線は、これまたすごい坂道であるだけでなく、路面がボコボコでかなり走りにくい。
雪国では、スノータイヤを履くものだから修復がなされてから時間が経った車道は、痛々しいぐらいに荒れている。
それでも、ちゃんとした路肩があるところは、路肩だけは、とてもきれいなアスファルトだったりもする。

IMG_2782.jpg
(国道13号線の路面)

上の写真は、ちゃんとした路肩のある例である。
第一、路肩がなければ、危険で写真なぞ撮ってられないが。
アスファルト部分の路肩は非常にきれいだが、小石の混ぜ込んである車道部分はボソボソ。
路肩がない区間では、自転車も、このボソボソの路上を走らざるを得ず、大変に疲れる。

また、雪国では、路肩部分に小石(砂利)がかなりたくさん落ちている(というより、「積もって」いると言った方がいいかもしれない)。
長い冬の間、雪の中に温存されていた小石が、雪解けの後も、そこに残存し続けるからではないかと思う。
特に、高速時のカーブの際は、要注意で、この小石のために自転車の前輪が横滑りして転倒する危険があるからだ。

それこそ、歯を食いしばりながら、尾花沢の国道13号線を登っていると、農家のスイカ直売所が見えてきた。
軒先では、焼きトウモロコシも売っているようだったので、ちょっと休憩していくことにした。
自転車を乗り付けると、直売所のオバサンが抜けるような明るい声で、出迎えてくれた。
まだ、こちらは何も言っていないのに、とにかく中のテーブルで休んでいけという。
冷たい麦茶を出してくれたので、一気に飲み干す。
焼きトウモロコシ(200円)を注文する。
すぐに出てきた。
ところが、スイカまで出てきた。

IMG_2778.jpg
(焼きトウモロコシとスイカ)

このスイカは?と聞くと、勢いのある山形弁で、「ウチでは、トウキビを頼んでくれた人には、スイカが付くんだぁ」という。
しかも、スイカは「食べ放題」だから、いくらでも「食ってけろ」。
私は、可笑しくて、思わず笑い出してしまった。
オバサンも、一緒に嬉しそうに笑っていた。

スイカに食らいつきながら、「おカアさんの笑顔は最高だね」と私。
すると、自分がいかに農作業が好きか、朝起きて、毎日、畑に出て仕事をすることがどんなに楽しいかを面白おかしく説明してくれた。
彼女のおしゃべりのおもしろさは、山形弁を忠実に再現できないと、うまく伝えることはとてもできないが、私にはその力はない。

自転車で東京から来たと言うと、特にびっくりすることもなく、自分はスイカを「コシャエル(拵える)」ことはできても、自転車には乗れないという。
その対比がまた面白くて、私は大笑い・・・。

ここのスイカ、お世辞ではなくて、私がこれまでの人生の中で食べたスイカで一番美味かった。
あんまり美味かったので、東京の呑ちゃんに送ることにした。
因みに、ここ尾花沢は、スイカの名産地である。

奥山農園
山形県尾花沢市大字五十沢

スイカは、怪我にも健康にも良いから、もっと食べろ、もっと食べろという、熱心な勧めを振り払うように、私は、自転車に跨って出発した。
元気をくれた、スイカ売りのおカアさん、ありがとう!
あんたのことは、一生忘れまい。

IMG_2779.jpg
(元気に手を振ってくれた、尾花沢のスイカ売りのおカアさん)

国道13号線をまた走り始める。
舟形トンネルを抜けると、どうも、分水嶺を越えたらしく、あとは新庄の街まで下り坂基調になった。
そろそろ日没が近くなったようで、風も、ぐっと涼しくなってくる。
その風に、ここ出羽の国では、もう、ススキが揺れていた。

IMG_2780.jpg
(ススキ野)

やっと新庄の街に着いた頃には、あたりは薄暗くなりはじめていた。
小さな城下町新庄では、明日からの「新庄祭り」のため、あちこちで祭りの準備が賑々しく繰り広げられていた。

呑ちゃんから選択してもらった宿泊所リスト(駅の観光案内所は既に閉まっていた)から、一番トップにあった「アーバンホテル新庄」に電話をかけると、幸運にも空き室ありと言うことだったので、喜びいさんでホテルに向かう。
4000円で朝食付(パンとコーヒー)だという(何と安い!)。
フロントに出てきた従業員のお兄さんも大変に親切な人で、自転車も、そのまま、ホテルの会議室に置いておいてよいという。

くたくたで腹ぺこの私は、とにかくチェックインして、部屋で洗濯をしてから、駅前の居酒屋で食事をした。

IMG_2783.jpg
(新庄の居酒屋にて)

シャワーを浴びてベッドに潜り込むと、今日一日のことが走馬燈のように思い出された。
たった一日の出来事とは思えないほど、長い一日だった。

(この項、了)

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Comment
酷いこと Posted by 相子
自転車での転倒。酷いことになりましたね。もう治癒されましたか。

私は女学校の2年生の時、自転車(ママチャリなんてありませんから実用車です)で山道を降りて行く途中転倒しました。
脱臼はすぐに治りましたが、右肘下の擦過傷は砂利で酷いことになり、何とそれは40歳過ぎても消えず、傷跡は転んだ時の痛さより悔しさの方が長く残りました。

旧上杉家はいつか是非見たいものです。高崎経済大学学長をされた故三瀦信吾先生の先祖が鷹山の時の御典医だとご子息の正道先生からお聞きしていました。
2009.09.09 Wed 08:20 URL [ Edit ]
山あり谷あり Posted by 横山
断腸亭さん ツーリングの記事たのしく読んでいます。

 落車も道に迷うのもツーリングの楽しさ、致命的なケガをしないかぎりは。ただ、ロングツーリングの場合は普段23cなら26~28cぐらいがいいんでしょうね。クルマよりも路面が大敵です。
 でもその事故のあとに待っていた出会いの楽しさ。これぞツーリングですね。読んでいるこっちまで嬉しくなりましたよ。行程が多難なほど人との出会いがたのしく、思い出深いものになるんですよね。
2009.09.09 Wed 17:55 URL [ Edit ]
愛おしき傷跡 Posted by 断腸亭髭爺
相子さん

下り坂で転倒して砂利道で肘を擦るなんて、考えただけでも痛そうですね・・・。

私も、過去に自転車で転んでできた傷が2箇所残っています。
小学生の時の後頭部の傷跡(二針縫いました)と中2の時の左肘の擦過傷跡。
今となっては、愛おしい傷跡ですが、特に中学生の時の傷には、苦々しい思い出があります(長くなるので、いずれ書きます)。

米沢は、今回初めて行ったのですが、時間がなくて、ほとんど見ることができませんでした。
旧上杉邸は、確かに見物です。

2009.09.10 Thu 06:26 URL [ Edit ]
悩ましいタイヤの選択 Posted by 断腸亭髭爺
横山さん

読んで下さって、光栄です。

確かにタイヤは悩みの種ですね。
今回は、事前に、同じ銘柄(ルビノプロ)の25Cを用意していたのですが、付け替えるのが面倒で、結局、23Cでの出発となりました。
結果としては、25Cのがよかったかもしれないと思っております(23よりも低空気圧でもOKだし、振動も少なくなって楽。しかも、チューブは23Cと同一でよい)。

とりわけ、雪国の幹線道路は、場所によって実に差が激しいです。
鏡面のように綺麗な道もあれば、本当に舗装したんだろうかというほど荒れている道もあります。

旅の時間は濃密で、一日の出来事が、何日分にも感じます。

2009.09.10 Thu 06:58 URL [ Edit ]
知りませんでした。 Posted by しゃあ あずなぶる
今日、10日になってこの記事を読みました。
転倒、大変でしたね。
スイカおばさんに救われた・・・と、感じました。

永い一日でしたね。
2009.09.10 Thu 14:51 URL [ Edit ]
学びました Posted by 断腸亭髭爺
しゃあさん

転倒による怪我には参りましたが、いろいろと勉強にもなりました。
膝の傷は、まだ完治してなくて、今日、自転車に乗っているときにハンドルにぶつけてしまって、また、傷が開いてしまいました。
2009.09.10 Thu 22:23 URL [ Edit ]

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