日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2009.09.01 Tue
大震災の記憶~防災の日に寄せて
北風ふきぬけ 垣根も凍るよ
やがて芽をふく 春まで耐えよと
鳳仙花おまえの 命を祈るよ
(キム・ヒョンジュン作「鳳仙花」より)

「防災の日」に当たる今日は、途中、関東大震災の記憶を留める場所に寄ってみた。

まず、私の通勤路の近くにある、(荒川に架かる)木根川橋の袂(現墨田区)。

画像 077
(荒川サイクリングロード[葛飾区側]から見た木根川橋[一番手前の橋])

1923年9月初め、震災時の流言蜚語に惑わされた自警団(一般の日本人)によって、多数の朝鮮人(女性子どもを含む)が、このあたりの墨田区側の荒川河川敷に追いつめられ、刺殺撲殺された。
そこへ、軍関係の車輌がやって来て、機銃(連発式火器)によって、さらに生き残った朝鮮人を射殺して埋めたという(その後、2度に渡って軍の車輌が遺骨を掘り起こして持ち去った)。

この種の虐殺は、なにもここだけ起こったことではなく、千葉・埼玉・神奈川でも広く行われた

木根川橋の袂の河川敷には、ささやかな慰霊所が設けられている。

画像 078
(木根川橋下の慰霊所)

そこには、朝鮮半島の民族花であるムクゲの樹を取り囲むようにして、鳳仙花の花が植えられている。
私は、9月1日とは限らないが、毎年9月の初めには一度はここにやって来て、一人で手を合わせることにしている(因みに、毎年9月の第一土曜日には、地元の有志の方々によって追悼式が行われている)。

ただ、この話題に触れようとすると、私は、どうしても平静な心が保てない。
気持ちが激しく動揺してしまって、キーボードを打つ手も震えてしまう。
だから、ここでは、あまり感想らしきものを書くことができない。

荒川サイクリングロード右岸を走って、平井大橋のところで土手にあがり、蔵前橋通りに出る。
そのまま蔵前橋通りを西進して、旧中川を越えると、亀戸の町に入る。
その亀戸の街中に、「浄心寺」という小さな寺がある。

画像 091
(亀戸の「浄心寺」)

この寺には、いわゆる「亀戸事件」の犠牲者の慰霊碑が建てられている。

画像 087
(「亀戸事件犠牲者之碑」)

大杉栄・伊藤野枝とその甥(6才)の3名が、震災後のどさくさの中で、憲兵に連行されて虐殺された、いわゆる「甘粕事件」は有名であるが、「亀戸事件」もそれに類する事件である。
大地震の翌々日、労働運動家10名が、警察によって連行されて亀戸警察署内で虐殺された事件である。

画像 089
(「亀戸事件」の碑の説明)

私は、この碑の前でも手を合わせた。

さて、再び蔵前橋通りに戻って、そのままさらに西進すると、やがて、以前の日記にも書いたことのある「東京都慰霊堂」(墨田区横綱町)が見えてくる。

ここは、大震災と東京大空襲の犠牲者を祀ってあるところなので、今日こそ、詣でなければならないような気がした。

震災記念日の今日は、「秋季慰霊大法要」が行われていた。

画像 086
(「秋季慰霊大法要」が行われていた東京都慰霊堂

場外の沿道には、出店まで出ていて、結構賑やかな雰囲気である。

画像 085
(露店も出ている)

さて、この慰霊堂の北の一角に、「関東大震災朝鮮人犠牲者」の追悼碑があって、献花にまじって、マッコリのボトルなどが捧げられていた。

画像 083
(「関東大震災朝鮮人犠牲者」の追悼碑)

この碑の左側には、説明板もあった。

画像 082
(碑の説明)

その冒頭には、こうあった。

「1923年9月発生した関東大震災の混乱のなかで、あやまった策動と流言蜚語のため6千余名にのぼる朝鮮人が尊い命を奪われました・・・」。

この碑の前にも、たくさんの人々が訪れて、かなりの長い間、その前で立ち尽くしていた。

画像 092

私も、この碑の前では、ことさらに深々と頭を垂れて、犠牲者の冥福を祈った。

確かに自然災害は、大変に恐ろしいものではあるが、地震や台風そのものを止めることはできない。
しかし、戦争や、この種の殺人行為は、止めることができるはずだと考えながら、ふと慰霊堂の方に目をやると、地元の子どもたちがおもちゃの鉄砲をたくさんぶら下げて遊んでいた。

画像 084
(慰霊堂の前で戦争ごっこをやっている子どもたち)


注;(『江東区史』中巻より)
「 ・・・余震の続くなか辛うじて業火を逃れた人々は、飢渇にあえぎながら極度の疲労と不安に陥っていた。交通、通信が一切途絶し的確な情報も伝わらない混乱のなかで、さまざまな流言が飛び交い、社会不安はいやが上にも高まった。流言は警視庁の記録によれば「富士山爆発」「大津波襲来」など地震関連のものから、間もなく「社会主義者及び朝鮮人の放火多し」とか「不逞朝鮮人来襲」などその内容は一変した。「朝鮮人数十人門前仲町方面に来襲」「朝鮮人などが爆弾で放火、毒物散布」とか「清澄庭園に毒物投入、魚類多量死」さらに「朝鮮人数百人侵入、強盗、強姦、殺りく」など事実無根の流言に惑わされ、人びとはこれを真に受けて恐れおののいた。
 こうした流言の発生源については、官憲当局が特定の予断に基づいて流したものとする一方、朝鮮人に対する差別意識と偏見による自然発生であるとするなど諸説があって、真相は明らかではないが、新たな恐怖が恐怖を呼んで、人びとは異常な興奮状態に導かれていった。軍隊や警察ばかりでなく、在郷軍人・青年団などを中心に各地区で結成された自警団の民衆までが凶器を携えて「朝鮮人狩り」に奔走する事態となった。この結果、多数の朝鮮人が殺害された。その数は正確には知りえないが、ニ七〇〇余名とも推定六四〇〇余人に上がるとの調査もある。当局は、事件に関する報道を一〇月ニ〇日まで禁止した。 ・・・ 」(『江東区史』中巻)


走行距離:43キロ(フジクロス)

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Comment
Posted by 相子
関東大震災大火災のことは子どものころは何回も耳にしていますが、今日殆ど聞かなくなりました。
同じように第二次大戦のことも段々聞かれなくなって行くのではと心配します。
時代に変化が忍び寄って来ているように感じてなりません。
2009.09.03 Thu 13:42 URL [ Edit ]
震災の話 Posted by やまびこ
88歳の実家の母は震災当時は3歳か4歳。
子ども心に朝鮮人が襲ってくる、という流言蜚語が飛び交ったのを憶えているそうです。
地震の夜は墨田区向島(母の実家の近く)のどこかの原っぱで蚊帳を吊って寝た、とも言っていました。
どうやって原っぱに蚊帳を吊ったのか不思議に思いましたが、近くの紺屋さん(染物屋さん)が染物を干すときの竿を土に突き立ててそこに吊るしたのだそうです。

母は当時の様子を詳しく知っている人に会って話を聞きたいと言いますが、もう母の上の代は生きている人も少なくなって資料館にでも行かなければわかりませんね。

相子さんのおっしゃるように震災や戦災についての記憶が風化しつつある現在、せめて生きているお年寄りの声に耳を傾けて次の世代にそれを伝えていかなければ、と思います。
2009.09.03 Thu 16:08 URL [ Edit ]
続き Posted by やまびこ
男の子のチャンバラごっこ、戦争ごっこ。
男はもともと闘う生き物?なのだけれど、成長過程でちゃんと「ごっこ」と現実の折り合いをきちんとつけるはず。狂った上層部の人握りの人間が子供たちの正しい成長を捻じ曲げてしまうのでしょうかね?
2009.09.03 Thu 16:15 URL [ Edit ]
伝えることの重要性 Posted by 断腸亭髭爺
相子さん

私も同感です。

私の外叔父(故人)は、震災時に6歳で、当時は、神保町に住んでいたそうです。
周りの人たちは、ほとんど、「あそこなら広いから大丈夫だろう」ということで、陸軍被服廠跡に避難したものの、そこに火の手が襲ってたくさんの人が犠牲になったそうです。
私の外叔父の一家も、最初は被服廠跡に避難しようとしましたが、神田川に架かる橋が閉鎖されてしまって行けなかったので、宮城の方へ避難して助かったそうです。
彼は、お酒を飲むと、いつも、この話しをしていました。

家庭料理(お雑煮など)の伝授などと同じように、過去の体験が受け継がれればいいなあと思います。
学校で学ぶ歴史よりずっと「身に付く」と思います。
2009.09.04 Fri 03:12 URL [ Edit ]
女性が重要 Posted by 断腸亭髭爺
やまびこさん

当時銚子に住んでいた私の(母方の)祖父は、余震がひどいので、庭の樹にハンモックを張って寝ていたそうです(子どもながらに、本当かなあ~と思ったものです)。

男性の危なっかしい性癖を正すことができるのは、女性かもしれません。

2009.09.04 Fri 03:36 URL [ Edit ]

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