日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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断腸亭髭爺です。
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2009.08.21 Fri
南奥羽ツーリング1~郡山まで・装備など
今回の私の旅は、「東北ツーリング」というのは正確ではないので、「南奥羽」の旅としたい。
私が走った「東北」は、東北6県のうちの南の三県(山形・福島・宮城)だけだからだ。

この三県に加えて、起点の宇都宮(栃木県)から終点の水戸(茨城県)まで、南奥羽を時計回りに一周したことになる。

先ず、一日ごとの経路を大まかに示しておこう。

1.自宅(自走)→上野駅(輪行)→宇都宮駅→郡山泊(走行距離:140キロ)
2.郡山→福島駅(輪行)→米沢泊(走行距離:75キロ)
3.米沢→新庄泊(走行距離:125キロ)
4.(終日合宿・新庄祭り見学)(走行距離:0キロ)
5.(終日合宿・金山町訪問)(走行距離:0キロ)
6.(昼まで合宿)新庄→鳴子温泉泊(走行距離:70キロ)
7.鳴子温泉→多賀城趾→塩釜→仙台泊(走行距離:110キロ)
8.仙台→双葉町(福島県北東部)泊(走行距離:120キロ)
9.双葉町→勿来(福島県いわき市)泊(走行距離:90キロ)
10.勿来→水戸駅(輪行)→松戸駅(自走)→自宅(走行距離:70キロ)

10日間の旅で、走った日は8日(まったく走らなかった日は2日)。
計800キロなので、ちょうど一日平均100キロ走ったことになる。
前半は山の中を走り、後半は海沿いを走ったので、風景も変化に富んでいて楽しい経路だったと思う。

夏場のツーリングなので、総じて南風が基調。
1~3の北上時は、追い風(幹線道路なら時速30キロを維持できた)。
6~9の南下時は、向かい風(とりわけ、海沿いの経路は終始南東の、強い向かい風に悩まされた)。

装備や自転車仕様についても、後で繰り返しにならないように、ここでまとめておこう。

フロントバック(小)サドルバッグ(大)トップチューブバッグとリュック(ドイタースーパーバイク:容量:18+4リットル)に、以下のような装備品を収めた(あくまでも夏場仕様・その他ヒップバッグを使用)。

地図(当該ページをコピーしたもの)30枚
3色ペン
メモ帳
合宿資料
チューブ2
携帯工具セット
チェーン切り
チェーン1リンク
自転車カバー(輪行用)
ビニールテープ1
針金(10センチ)1
バンドエイド1
オロナイン軟膏
方位磁石(キーホルダー式)
方位磁石(ベルと一体式)
カロリーメイト1
携帯空気入れ
単三電池2
合羽(上下)
雨帽子
帽子
メガネ
ヘルメット
指切り手袋
軍手1
レーパン3
半ズボン1
靴下(軍足)3
パンツ2
運動用シャツ3(半袖2・長袖1)
ウィンドブレーカー
900ミリペットボトル1
デジカメ
携帯電話及び充電器
芭蕉『奥のほそみち』(文庫版)

今回は、全泊既存の宿泊施設を利用するつもりだったので、これでも軽装のつもりだが、全部で6キロほどになった。
野宿の場合は、ウインドブレーカーと合羽を着込んで、自転車カバーにくるまって寝るつもりだったが、幸いにその機会はなかった。

次に、自転車仕様。

ロードバイク(フレームとフォークはともにクロモリ)
ギア:フロント50-34t、リア14-25t(9速)
タイヤ:23C(ルビノプロ・出発時9気圧)
ペダル:トゥークリップ
前照灯2・後照灯1(夜走らないつもりでもトンネルを抜ける際は必須)

これまでのツーリングの経験から、これで十分だと考えた。
ただ、体重+車重+装備重量が約100キロを超える場合は、23Cのタイヤは厳しいかもしれない(25Cか28Cが望ましいかも。それ以上太いタイヤはむしろ不要)。
また、連日の山越えを主とするような経路の場合は、やはり、フロントは3枚が望ましいかもしれないが、私の今回の経路では、上記仕様で必要にして十分だった。
空気圧は、まったく乗らない状態で、一月に3気圧ほど下がること(あくまでも私の場合)が分かっていたので、出発時に9気圧入れておけば、何とか10日間ぐらいは大丈夫だと踏んだ。
因みに、今回、パンクは一回だけ(帰路の東海村付近で後輪がパンク)。
私の携帯空気入れでは、せいぜい6気圧までしか入らないが、それでも、長距離のダウンヒルがなければどうにかなりそうである(町に入ったときに、どこかの自転車屋で追加補充すればよい)。

IMG_2776.jpg
(今回の自転車と装備・山形県天童の廃墟化した工場跡にて)

さて、やっと第一目の記録を書くことができる。

第一日目

主発前の数日間は、10日間ほど家を留守にするための準備に明け暮れた。
職場に提出しなければならない書類やら、期間前投票やら。
お陰で、旅そのものの準備が後まわしになってしまい、結局、前夜は深夜1時過ぎまで床につくことができなかった。

3時半起床。
睡眠時間2時間にて、さすがに眠い。
そそくさと身繕いをして、タイヤに空気を充填する(9気圧)。

出発。
言問橋東詰の100円ローソンで、900ミリペットのお茶やサンドイッチやおにぎりを買い込む。
国道6号から浅草通りを経て上野駅へ。
上野駅正面で自転車をバラして、自転車を担いで宇都宮線ホームへ(自転車、重い)。
5:10発(始発)の宇都宮行き普通列車に乗り込む。
宇都宮からの経路を地図で確認しながら、車内で、おにぎりとサンドイッチを食べた後、仮眠。
眠いのだが、興奮していて、うまく寝付けない。

6時51分、宇都宮駅着。
大抵の駅には、そもそも最初に発展する「表」側とその反対側の「裏」側があるものだが、宇都宮駅の場合は、西口が「表」で、東口は「裏」。
裏(東口)の駅前には、バスターミナルしかなくて、立ち食い蕎麦でも食べようかと思っていた期待は裏切られる。
通勤する人々の目を感じながら、自転車を組み立てて、ともかく、国道4号線(現奥州街道・陸羽街道)を目指して走り始める。

このあたりの国道4号線は、鬼怒川の扇状地を這い登るようについている。
その鬼怒川沿いには、部分的にサイクリングロードもあるようだが、今日は距離を稼ぎたいので、国道4号線を北上する。

夏の連泊ツーリングの場合、とにかく、午前中の、まだ涼しくて、交通量も少ない朝のうちに距離を稼ぐのがよいようである。

20キロぐらい北上した矢板あたりから坂道が多くなり始める。

IMG_2723.jpg
(国道4号線・矢板付近)

箒川(那珂川の支流)を渡ったあたり(野崎橋)で、さすがに国道を走るのが嫌になってきた。
走っているというより、クルマに追い立てられて、「走らされて」いるような気分になってきたからだ。

地図を見ると、「野崎」から、道が二つに分岐していることが分かった。
左は国道4号線(奥州陸羽街道)、右は国道461号線(日光北街道)である(「陸羽」街道というのは、日本橋から白河までの奥州街道のことを意味する)。
この国道461号線(日光北街道)をしばらく北東進すれば、旧陸羽街道(県72号)に接続していることが分かったので、飛びつくように、右の道を選択した。

国道461号線を走っていると、左側の小高い丘にこんもりとした森があって、まるで、古墳跡のように見えた。
鳥居もあって、丘上には神社らしき社が築かれていたので、これは古墳に違いないと思って、立ち寄って見ることにした。

IMG_2727.jpg
(古墳跡に築かれたように見える社)

この社の写真は、実はかなりたくさん撮ったのだが、後でメモリーカードが一杯になってしまって、削除してしまったので、写真は上掲一枚しかない。

自転車を止めて、近づいてみると、「西郷神社」とあった。
石碑に記された、決して読みやすくない文字を読んで、びっくりした。
この「西郷」神社の西郷とは、西郷隆盛の弟の西郷従道(じゅうよう)のことで、明治時代に、従道がこのあたりに、「西郷農場」なるものを拓いたというのだ。
何で、薩摩の人間がこんな那須野に農場を所有しているのかと不思議に思いながら、そのまま走り去った。

家に帰ってから調べてみて、やっと事情が分かった
この那須野の地は、明治中期以降、明治維新の権力奪取の功労者たち(旧薩長藩士など)に、優先的に土地が分け与えられて、開拓すれば所有することができたらしい。
現在、この西郷神社のある北側には、かつて、「大山農場」があったそうであるが、その大山とは、大山巌(元帥)のことであり、西郷従道とは同郷の出身であった。
現在でも、このあたりは、その二人の薩摩の出身地名「鍛冶屋」の名を帯びている。
まさしく、西軍(官軍)の将たちに、明治政府から領地が「安堵」されたようなもので、江戸時代の伝統を堂々と受け継いでいたわけである。

さて、国道461号線を分岐点から7キロほど走ると、大田原市(栃木県)の市街地に入る。
所々に、旧宿場町の風情が残る市街地を抜けて、旧陸羽街道(県72号・大田原芦野線)に入ろうとするが、どこを走っているのか分からなくなってしばらく迷走する。

やっとのことで見つけた旧陸羽街道(県72号)は、国道以上に広くて立派な道路でびっくりしたが、数キロも走ると、だんだん狭くなって、いかにも旧道風情の街道になってゆく。

IMG_2732.jpg
(旧陸羽街道・数十キロに渡って、ずっと登り基調)

しばらく走っていると、道の左側に、土饅頭のような小山が見えた。
それは、ちょうどコンビニの隣に位置していたので、飲み物を買いがてら、寄ってみることにしたのだが、わざわざ自転車を降りるまでもなく、すぐに「一里塚」であることが分かった。

IMG_2728.jpg
(旧陸羽街道沿い大田原市中田原付近の一里塚)

こんな完全な形で残っている一里塚を初めて見た。
道の反対側も見てみるが、反対側の一里塚は、影も形もなかった。

北上するにつれ、どんどん旧街道の趣を増してきて、走っていて楽しくなってきたが、同時に、登り坂が険しくなっていく。

IMG_2731.jpg
(旧陸羽街道・次第に坂が険しくなる)

竹林の坂道を登ったかと思えば、小さな集落が現れる。
田園地帯が続いたかと思えば、坂の下に、小さな川の流れが光っていたりする。

IMG_2733.jpg
(旧陸羽街道・サルスベリの花が美しい)

今回の旅では、あちこちに、素晴らしいサルスベリの花を見た。
関東のサルスベリよりも、花の色が濃厚で、しかも、花の付き方が密であるように感じた。

さらに旧街道を進んでいくと、坂の途中に突然、「鍋掛の一里塚」の看板が現れた。
もう鍋掛宿は近いのだ。

IMG_2734.jpg
(旧陸羽街道の鍋掛の一里塚跡)

こうしてやがて、鍋掛の宿場町に入った。
鍋掛宿(現・栃木県黒磯市鍋掛)は、那珂川と合流する地点に位置したこともあり、奥州街道筋では、かなり栄えた宿場町だったようである。

鍋掛の道筋に、「芭蕉の句碑」の看板が見えたので、自転車を止めた。

IMG_2737.jpg
(鍋掛の芭蕉句碑の看板)

そこには、確かに時代を感じさせる、古さびた芭蕉の句碑が立っていた。

IMG_2735.jpg
(芭蕉の句碑)

私には、「馬」という文字が判読できるだけで、何が書いてあるのやらさっぱり分からなかったが、隣に説明板があったので、その写真を撮っておいた。

IMG_2736.jpg
(芭蕉句碑の説明板)

なるほど、この句碑には、

「野を横に 馬牽きむけよ ほとゝぎす ばせを」

と彫ってあるそうで、この句碑は、後年(19世紀初頭)、当地の弟子たちのてによって建立されたということだ。

うん、待てよと思って、リュックから『奥のほそみち』の文庫版を取り出して見ると、確かに、「殺生石・遊行柳」の項にこの句は載っていた(岩波文庫版・20~21頁)。
読んだはずなのに、ちっとも覚えていない。
しばし、自分の不甲斐なさを嘆く(バカバカバカ・・・)。

そう言えば、この句の意味も分からない。
反省の意味をこめて、ここに、岩波文庫版の現代語訳を写しておこう。

「広野を進んで行くと、横の方で時鳥が鋭く鳴いた。馬をその方に引き向けてくれ。風流を愛するお前と共に聞こう」。

文脈上、「広野」というのは那須野だと解釈してよいだろう。
「お前」というのは、芭蕉が乗る馬を牽いている「此口付のおのこ=馬方」のこと。
「風流を愛する」云々という解釈は、句の承前にある「やさしき事」云々という記述から導き出されるものと思われる(「・・・館代より馬にて送らる。此口付のおのこ、短冊得させよと乞。やさしき事を望侍るものかなと、
 野を横に・・・
」)。

かなり腹が減っていたので、是非とも、この鍋掛の街で昼飯を食べたかった。
ところが、「鮎」とか「山女魚」という看板は散見できるも、どういうわけか、店は閉まっていて、結局、一軒も食堂らしきものを見つけることができなかった。

仕方がないので、鍋掛の街を抜けると、すぐに大きな橋が現れる。
那須岳をその源流として、茨城の大洗付近で太平洋に注ぐことになる那珂川に架かる「昭明橋」である。

IMG_2738.jpg
(那珂川に架かる「昭明橋」・陸羽道中)

記録によると、江戸初期には、ここに橋はなくて、江戸中期以降、木橋が架かったそうだが、それまで旅人は、徒歩で那珂川を渡ったという。

橋の真ん中まで行って、川を覗き込んでみた。

IMG_2739.jpg
(昭明橋から那珂川を見下ろす)

ぞくっとするほど素晴らしい光景であった。
これぞ、川である。
まさに、川の原型的な風景である。
流れるほどに、水が大地を清める。
おそらく、このあたりの風景は、江戸時代とさして変わっていないのではないだろうか。
空腹で鳴る腹を押さえながら、私はしばし、那珂川の流れを見つめ続けた・・・。

那珂川を渡ると、道は森林の中を通り抜け、一層険しい坂道が多くなる。
所々に、神秘的な遊水池(沼)が姿を現す。

途中、「夫婦石の一里塚」の看板があった。
写真では分かりにくいかもしれないが、背後の一本樹が植わっている塚が一里塚跡である(「夫婦石」というのは、このあたりの地名)。

IMG_2740.jpg
(「夫婦石の一里塚」)

さらに進んで行くと、急に視界が開ける。
やっと芦野(奥州街道の宿場)の街に入ったのである。
ずっと空腹を我慢していた嗅覚に、醤油の焦げる香ばしい薫りが漂ってきた。
やっと昼食にありつけそうである。

匂いをたぐり寄せるように道を辿っていくと、ありました。
鰻屋が。
この道中、食堂はおろか、コンビニすらなかったので、空腹は極に達していたのだ。

IMG_2742.jpg
(芦野の旧道沿いにある、鰻屋「丁子屋」)

このお店、帰ってから調べてみると、かなり有名な店らしく、創業は江戸時代というのだから、奥州街道のこの場所で、長らく旅人にうなぎを提供してきたわけだ。

丁子屋」(栃木県那須郡那須町芦野)。
かなり大きな店で、旅籠もやっているようだ。

二階に立派なお座敷があったが、私は敢えて、一階土間の食堂のテーブルに着いた。
隣のテーブルには、二人連れの老人が座って、うな重(1,785円)が出てくるのを待っていた。
リュックをおろして、ヘルメットを脱いで、おしぼりで汗を拭く私の姿を、この二人はじっと見ていたふうであった。

「自転車でいらしたんですか?」と若い方の老人から聞かれた。
この二人連れの老人は、実は親子(父と息子)で、那須町から車でうなぎを食べに来ていたのだった。
お父さんは御歳90歳、息子さんは70歳とのこと。
私は、今朝東京を発って、宇都宮から自転車で来たという説明をした。

やせ細ってはいるが矍鑠(かくしゃく)とした90歳のお父さんの方(俳優の宮口精二に似ている)は、よっぽど耳が遠いらしく、こちらの言うことは分からなかったようだが、お銚子を傾けながら、大きな声で私にいろいろと話しかけてきた。
5年間も軍務に服したこと。
宇都宮連隊に属していたこと。
戦中は、ずっと内地勤務だったことなど。
そして、スキーのクロスカントリーの選手だったこと。

宇都宮から水戸まで何回も行軍訓練をした話。
冬場は、雪上訓練の指揮をとったことなどを得意げに話した後、若い頃に「肺」を鍛えたお陰で、現在も丈夫であると、胸を叩きながら何回も力説する。

私は、「はぁー、なるほど」とただ頭を下げて、聞き入るしかなかった。

そうこうしているうちに、やっとうな重ができあがって、その親子のテーブルにも、私のテーブルにも運ばれてきた。
私と、その息子さんの方は、さっそく食べ始めるが、お父さんは、酒ばかり呑んでいて、一向に食べ始める気配がない。

しばらくすると、また、そのお父さんが口を開いた。
ところが、さっきとまったく同じ話をしはじめるのだ。
5年間も軍務に服したこと・・・。
息子さんの方は、「すみませんねえ~」と謝りながら、そろそろお酒はお仕舞いにして、うなぎを食べるように促すが、お父さんは、「便所に行ってくる」と言って席を立つ。
すると、店員が、お銚子2本を親子のテーブルに持ってくる。
お父さんは、便所に行ったふりをして、酒の追加注文をしたようだ。

私は、とにかくうな重をがつがつ食べて、お茶を飲み始めると、そのお父さん・・・。
「ところで、貴様っ!・・・」。
(何と「貴様」ときたもんだ)。
「兵隊には行ったかっ?」。
これには、さすがの私も、椅子から落ちそうになった。

息子さんも、「父さん、ボクだって兵隊に行ってないんだから、この方が行ってるはずはないでしょ」と諫める。

「いや、兵隊には行っておりません」と、すまなそうに私。

お父さんは、何だかがっかりしたような顔をして杯を呷ったが、すっくと立ち上がって、また便所に行ったかと思いきや、新たにお銚子が運ばれてきた。
テーブルには、飲み終わってないお銚子が林立して、とどまるところを知らない。

「父さん、そろそろ帰るよ」と言って息子さんが、勘定をしに行くために座を外す。
すると、お父さん、私に対してまた同じ話を一から繰り返しはじめだした。
宇都宮連隊に属していたこと・・・。
そして、極めつきは、「貴様、兵隊には行ったか?」。

戻ってきた息子さんは、大変申しわけなさそうな顔をして、お詫びのしるしでもなかろうが、白河周辺の地図をくれた。

店先で、別れの挨拶をしている最中も、お父さんは、便所にいくふりをして、またしても酒を注文しようとしていたので、息子さんが肩を掴んで連れ戻す・・・。

いやはや、お陰で、うなぎの味がまったく分からなかったが、お腹だけは一杯になった。

こうして、私は、芦野の街を後にした。
その後、陸羽街道は、その斜度を増しながら、国道294号へと受け継がれる。
進むほどに坂は険しくなって、峠越えという雰囲気になってくる。

そして、峠を登り詰めた所に、「境の明神」が現れた。
ここが、関東と東北を隔てる「境」であると同時に、峠の分水嶺でもある。
標高470メートル。

IMG_2743.jpg
(「境の明神」)

このあたりに白河の関があったという説もある。
意外なことに、実は、白河の関の所在は、諸説あってその場所は不明である。
17世紀に芭蕉が訪れた白河の関は、白河の街のはずれにあったとされるが、その時すでに、関の痕跡は跡形も残っていなかったという。
自転車でここまでやって来た私にしてみれば、行政施設としての関は、確かに白河の街にあったのかもしれないと思うが、地勢的かつ地理的には、この「境の明神」あたりにあったのではないかとというのが実感である。

この分水嶺が、現在でも、栃木と福島(関東と東北)の国境である。

IMG_2744.jpg
(ここから福島県白河市になる)

峠の反対側からこの分水嶺を見ると、なお一層、ここが国境であるような雰囲気が強い。

IMG_2745.jpg
(福島側から国境の峠を見る)

峠を登ってきたので、ここから白河までは、ほぼ下り坂である。

途中、街道筋には、またしても、サルスベリの花がこぼれんばかりに咲き誇っていた。

IMG_2746.jpg
(満開のサルスベリの花)

やっとのことで、白河の街に到着する。
ただ、白河は、一昨年の夏に白河城や南湖公園を初めとするほとんどの見所を既に見てしまっていたので、今回は通過して、郡山へ急ぐことにする。

ただ、白河は、維新の内戦(戊辰戦争)の最大の激戦地だっただけに、街を通り抜ける際に、一種の「筋違い」と思われる曲がり角のところに、戦没者の供養所があったので、そこだけは立ち寄って写真を撮っておいた。

IMG_2747.jpg
(白河の戦死墓)

さて、白河を抜けてからの郡山までの道のりは遠かった。
睡眠不足でもあったし、後半は坂ばかりで体力も大分消耗していた。
疲労困憊で、風景などを楽しむ余裕もなく、ただひたすら、国道4号を走り続けた。
最初の一泊だけは、郡山に宿を予約してあったので、何が何でも郡山まで行かなければならなかったが、でなければ、白河か須賀川に泊まったことだろう。

やっとのことで、郡山に辿り着いた時には、精も根も尽き果てたという感じで、予約してあった「チサンホテル」(楽天ポイント使用にて2800円)に倒れ込むようにチェックイン。

IMG_2753.jpg
(郡山のチサンホテル)

シャワーを浴びたら、やや快復したので、ラーメン居酒屋「平八郎」(なかなか美味かった)で、鰹の刺身やラムのニンニク焼きを食べて、空腹を補った。

IMG_2751.jpg
(郡山のラーメン居酒屋「平八郎」)

IMG_2749.jpg
(ラーメン屋なのに、鰹の刺身がうまかった)

こうして、私は、ホテルに戻って、自転車と並んで、丸太のように眠ったのだった。

IMG_2754.jpg
(相棒の自転車と一緒に寝る)

(この項了)

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Comment
お疲れ様でした。 Posted by nebaneba
higedancho
断腸亭髭爺様
みちのく800km完走おめでとうございます。
おめでとうなのかよく楽しみましたねなのか
10日間ご自分の世界を確保できる生活環境に
憧れます。
詳報期待しております。
2009.09.01 Tue 23:46 URL [ Edit ]
お待ち下さい Posted by 断腸亭髭爺
nebanebaさん

たった10日のこととはいえ、思い出せないことが多くて困っています。

ちょっと時間がかかるかもしれませんが、辛抱強くお待ち下されば幸いです。

STIを操作する両手の中指にマメができました。
2009.09.02 Wed 12:38 URL [ Edit ]
眠れない。 Posted by しゃあ あずなぶる
一大事業でしたね。

ボクは、用意が完璧でも興奮して眠れないでしょう。
とにかく、無事帰還で何よりです。
2009.09.02 Wed 14:06 URL [ Edit ]
不安と興奮 Posted by 断腸亭髭爺
しゃあさん

ありがとうございます。

あらかじめ宿を決めてないと、毎日、不安感がともなうので、より一層、日々「新しい」感じがしました。
それがまた、一層、興奮につながるようです。
2009.09.04 Fri 02:48 URL [ Edit ]

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