日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2009.08.15 Sat
8月15日だから
敗戦記念日が(新暦の)盆と重なっているのは、単なる偶然に過ぎないのだけど、実際は重なっているものだから、この8月15日は毎年、先祖の霊魂を送迎するという伝統的な習俗に加えて、戦没者の霊魂を「全国」的に慰霊する日にもなっている。

歴史に「もし」を挟み込むことはできないが、もっと早い段階で、仮にミッドウェイの敗北やサイパン陥落や沖縄戦敗北といった太平洋戦争のそれぞれのターニングポイントで降伏していれば、敗戦記念日は別の日になっただろうし、さらなる数百万人の無駄死には避けられたであろう。

またもし、8月15日に降伏せずに、本土決戦をしていれば、さらに数百万人の犠牲者も出ることになったのは必至だが、敗戦記念日はクリスマスぐらいになったかもしれない(米軍の九十九里上陸作戦が実行されれば、銚子に住んでいた当時女学生であった私のお袋あたりは婦女子決死挺身隊か何かに組み入れられて、飯岡の浜辺で万歳突撃をやらされて、今のこの私も存在しなかったかもしれない)。

だが、少なくとも、あの戦争で、より幸せになった人は、アジアでは、かの統帥権の保持者も含めて、一人もいなかったことだけは確かである。

そんな8月15日は、反省すべき事が多すぎて、慰霊すべき霊が多すぎて、毎年、複雑な心境になる。

本郷の病院へ(フジクロス)。
大気は清涼だが、日差しは強い(東北東風)。
昨日から点滴がはずれて、お袋は元気で闊達になった。
まだ、お腹から二本の管が出ているが、食事(ご飯はおかゆだけど)を食べても戻すことがなくなった。
餃子が食べたい、合羽橋に行ってみたい、土いじりがしたい・・・。

暗い病院から外に出ると、突き刺さるような紫外線が降り注いでいる。
8月15日なので、「千鳥ケ淵戦没者墓苑」に行くことにする。

本郷から駿河台下へ降(くだ)って(この坂を降るのは爽快至極)、内堀通りまで出ると、警察官がうようよしている。

警察官がたくさんいるお陰で、クルマも法定速度を遵守して、信号の見切り発車もないので、実に安全に走れるのはいいのだが、警官たちもぴりぴりしていているようだ。

平河門のあたりから、紀伊国坂をえっちらおっちら登っていると、路傍の若い警官が、「自転車は道の真ん中を走らないで下さい!」と大声で注意してきやがった。
上り坂の途中で自転車を止めると、エネルギーの莫大な損失にもなるし危険でもあるので、そのまま走りながら、「オレは、この車線を走ってんのっ!」と路面の(「内堀通り」という)表示を指さしながら走り去る。

紀伊国坂は、登り詰めたところで首都高の入口と分岐するので、左車線を走っていると、首都高の入口に出てしまうため、どうしても、途中で右車線に入らなければならないのであって、私は決して「真ん中」を走っているのではない・・・。

千鳥ヶ淵に出る。
私の大好きな江戸城趾の濠端は、濃厚な緑に被われている。

IMG_2677.jpg
(千鳥ヶ淵)

千鳥ケ淵戦没者墓苑」は、千鳥ヶ淵を見下ろす高台にある。
普段は閑散としている墓苑だが、さすがに、8月15日とあって、慰霊に訪れる人の数は多い(私服警官の数も多いが)。

IMG_2674.jpg
(入口の石碑)

宗教施設ではないので、鳥居もなけれな山門もない。
そういう意味では味気ない。
ましてや、参道のようなものもなければ、露店もないし、参拝後にご苦労様の一杯を飲ませるような出店もない。

入口から道なりに進んでいくと、大きな東屋が見えてくる。

IMG_2669.jpg
(墓苑の中心施設)

近づいて行くと、祭壇に当たる「納骨室」が安置されていて、たくさんの献花がなされている。

IMG_2670.jpg
(献花・各政党の花束もある)

わたしも、ヘルメットを脱いで、祭壇の前で手を合わせる。

「こんな馬鹿馬鹿しい戦争のために、命を落とさざるを得なかったこと、さぞかし無念でありましょう。心底ご同情申し上げます。今後、こういうことを二度と引き起こさないように、私も非力ながら、自分なりに頑張ってみます。また、私や、私の知人たちや、私の娘たちが、将来慰霊される側にならないことを願ってやみません・・・」。

慰霊を済ませた私は、苑内を歩いてみる。
緑豊かな墓苑である。

IMG_2673.jpg
(立派な藤棚があった)

また、「戦没者一覧図」なるプレートもあって、ご高齢の方々が熱心に見ていた。

IMG_2672.jpg
(「戦没者一覧図」)

こうして、私は「千鳥ケ淵戦没者墓苑」を後にして、紀伊国坂を降下滑走(爽快至極)し、靖国通りから京葉道路を経て、両国橋を渡る。

今日のもう一つの目的地は、「東京都慰霊堂」(墨田区横綱町)である。

ここの存在は、あまり知られていないようだが、簡単に言えば、関東大震災(1923年)と東京大空襲(1945年)の被災者を慰霊するための施設である。
関東大震災時に夥しい犠牲者を出した陸軍被服廠跡に創建された。

以前から、トイレ休憩のために何回も訪れたことがあるが、今日は、8月15日なので、施設の内部も見学することにする。

仏閣であれば、本堂に相当する慰霊堂が目に飛び込んでくる。

IMG_2678.jpg
(中心的な慰霊施設)

まるで巨大な銭湯のようで、私には、趣味がよいとは思えない建築物である。
過分な重厚さだけを誇示しようとしたかの、「威圧」ばかりが前に出っ張っている巨大文鎮のようである。
いったい誰が設計したのか、家に帰って調べてみたら、私の大嫌いな築地本願寺本堂のそれと同じ人(建築界ではじめて文化勲章を受章)であったので、さもあらんと思った。

建物の皮相性はさておいて、内部には、震災戦災の写真や献花台がある。

IMG_2682.jpg
(写真が展示されている)

その写真の一枚は、壮絶な米軍空爆の被災シーンを記録している。

IMG_2681.jpg
(東京大空襲の災禍)

慰霊堂のある、横綱町公園の一角には、「復興記念館」もある。

IMG_2683.jpg
(「復興記念館」)

内部には、主として、震災時の遺物が多く展示されている。
撮影禁止なのだが、こっそりと撮った写真を一枚。

IMG_2684.jpg
(大震災により「被災」した自転車)

この自転車は、火災による猛風で吹き飛ばされ、樹に引っかかっていたそうである。

関東大震災による被害は実に甚大なもので、『ウィキペディア百科事典』には、次のように記載されている。

「190万人が被災、14万人余が死亡あるいは行方不明になったとされる(・・・近年の学界の定説では、死者・行方不明者は10万5000人余と見積もられるようになった)。建物被害においては全壊が10万9千余棟、全焼が21万2千余棟である。地震の揺れによる建物倒壊などの圧死があるものの、強風を伴なった火災による死傷者が多くを占めた。津波の発生による被害は太平洋沿岸の相模湾沿岸部と房総半島沿岸部で発生し、高さ10m以上の津波が記録された。山崩れや崖崩れ、それに伴なう土石流による家屋の流失・埋没の被害は神奈川県の山間部から西部下流域にかけて発生した」。

死者・行方不明者の数こそ、東京大空襲のそれとほぼ同じだが、津波や崖崩れといった広域な被害をもたらしたという点では、東京大空襲の被害をはるかに上回るかもしれない。

加えて、関東大震災では、どさくさに紛れるようにして、各地で朝鮮人虐殺が行われ、また、社会主義者(大杉栄など)の不当連行・死刑などの、近代国家の首都で起こったとは思えないような事件も数々存在していて、それらを看過することはできないが、これについては、9月1日の日記に書くことにしよう。

夜は、呑ちゃんと最近評判の、中国人のおばちゃんがやっている「金町餃子」を食べにいく。

IMG_2685.jpg
(「金町餃子」の水餃子と焼餃子)

安くて美味しい餃子に舌鼓を打つ。
餃子が食べたいと言っていたお袋も、いつか連れてこようと思う。
また、私の中の名店が一つ加わったようである。

走行距離:48キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

(この項了)

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Comment
片手落ち。 Posted by しゃあ あずなぶる
核兵器の使用、一般市民を標的した空襲。
人道に対する罪は連合国側にも有った筈。
日本側の毒ガス兵器製造・使用の罪や徴用工への補償
(日本人・外国人問わず)。ちゃんとして欲しい。
国力が50年くらい前に後退してもいいから
キチンと正した方が良いのでは?
日本人の気質がグズグズになって来たのはその所為?
2009.08.16 Sun 14:33 URL [ Edit ]
戦争について Posted by じて通マン
祖母や死んだ祖父は戦争を経験していますが
東京大空襲後の東京を横断下話や戦場の悲惨な話は
たぶん1度か2度くらいしか聞いたことがありません。
私には遠い過去の話のように感じてしまいます。
しかも隣の国の核武装や、
遠くの内戦の続く国々の不毛な争いは
現在進行中であるにもかかわらず
対岸の火事です。自覚が足りず恥ずかしいですが、
これが私の正直な戦争への感覚です。
人が人を殺めることは
国同士の争いや仇打ちよりも尊いことで
世界共通の感覚であると信じたいです。
そんな甘ちゃんな私にできることは
過去にとらわれない感覚を大切にすることです。
無知であることを逆手に取れば、
過去にとらわれない人ということになり
こんな人がふえれば
戦争のばかばかしさや卑劣さが先に立ち
政治の手段としての戦争を推し進める人を牽制できないかしら?
むしろ悲惨さを知らないがゆえに愚かな争いを繰り返すのでしょうか?
2009.08.16 Sun 16:24 URL [ Edit ]
それぞれの8月15日 Posted by nebaneba
父は満州からの帰還兵
露西亜兵に追われて命からがらの昭和21年生還
戦争体験は一切語らず72歳で他界いたしました。
語れない心の痛手があったであろうと
私は今推測しております。
それが父が唯一私に伝えた戦争体験です。
2009.08.17 Mon 09:32 URL [ Edit ]
きちんとしなければ・・・ Posted by 断腸亭髭爺
しゃあさん

戦後も、「勝てば官軍」の原理が強国(米ソ)の行動規範になったように思います。

そのお陰で、米ソの蛮行をきちんと批判できないでいますが、どうしてかと言えば、日露戦争後の日本も、実はもとをただせば同じ原理(帝国主義)でやってきた同じ穴のムジナからだと思います(目くそが鼻くそを批判するのは難しい)。

迷惑千万な戦争に巻き込まれた名も無き民衆からすれば、巨大暴力団どうしの抗争による「とばっちり」を受けたということではないでしょうか。 「勝てば官軍」の原理は、次々と戦争の連鎖を生起させて、留まるところを知りません。 これを止めることができるのは、いつでも、今生きている人々だと思います。 ただ、日本の大都市への無差別爆撃や核爆弾投下の影には、歴然たる人種差別が潜んでいると思います。

PS.「片手落ち」という表現は、使わない方がいいようです。
2009.08.17 Mon 10:11 URL [ Edit ]
等身大の歴史 Posted by 断腸亭髭爺
じて通マンさん

「戦争を知らない」われわれにとっての強みは、まさに、「知らない」ことにあると思います。

知らないからこそ、知りたいと思うかもしれないし、また、知らないからこそ、当時の、「時局」からあらかじめ解放されているわけなので、無用なこだわりを持たずに済むからです。

歴史は、そんな風にして、多くの人々の心の中を「転がり」ながら形成されていくわけで、決定的な方法があるのではないと思います。

自分の等身大の生き方と並べて考えてみるのが、正しくもあり、得策でもあるんじゃないでしょうか。
2009.08.17 Mon 10:26 URL [ Edit ]
聞いてみたいこと Posted by 断腸亭髭爺
nebanebaさん

お父様も、さぞかし、ご苦労をなさったものと拝察致します。

1927(昭和2)年生まれの私の父は、祖父の「命令」で、10代で志願して入隊したそうです。
すぐに終戦になってしまったので、「戦闘」に出た経験はありませんでしたが、兵営では、非常にむごい扱いを受けたらしくて、私には、そのときの体験を話すことなく他界しました。

私の母方の叔父(大正末期生まれ)は、学徒で招集されて、南京周辺の攻略に従軍しました(戦中、死亡通知が届くも、戦後、ひょっこりと生還)。
お袋の話しによると、兄は、帰ってきたばかりの頃は、(略奪した)腕時計が肘まで何個もはまるほどだった話しを得意げに話していたそうですが、ある時からパタッと話さなくなったそうです。
私は、その叔父が好きなので、今の内にいろんな話しを伺うべく、ゆっくりと訪ねてみるつもりです。
2009.08.17 Mon 10:39 URL [ Edit ]
いろいろと経験しました Posted by 相子
日本の国策で中国に派遣された父とかの地で過ごし、日本に帰国してからは虐めに合い、米軍艦載機から狙われ機銃掃射から逃げ、艦砲射撃から助かり、食糧難を生き抜き。
とにかく国策と戦争に翻弄されたということでしょう。

沖縄や長崎、また広島で戦争の悲惨な姿を知りますと、どこにこの怒りをぶつければいいのか。

日露戦争でおごり、神州不滅などと思いこまされた庶民。
戦争の記憶は徐々に薄くなって行くとも、どこかで語られ続けて行かなければと思うことです。

関東大震災の前には大きな地震がよく起きていたと母から聞いておりました。
最近の地震はとても気になります。寺田寅彦の言葉と言われている警句を思い出しますが
現代では様々な対策も講じられていますが油断はできませんね。

大震災の記録写真を掲載した表紙の赤い「関東大震災・大火災」という本が祖父の元にありましたが、いつの間にか見当たらなくなりました。
記録を見なくなりますと、実態を忘れてしまいます。
2009.08.17 Mon 11:00 URL [ Edit ]
これだけは言いたい。 Posted by しゃあ あずなぶる
焼き餃子<水餃子   ボクの「好み」です。
水餃子のあるお店って、あまり無いような・・・。
ピータンもあるといいな。

ダメ表現なんですね。知らなかった。
2009.08.17 Mon 14:16 URL [ Edit ]
溜息 Posted by 断腸亭髭爺
相子さん

実に様々な体験をなされたのですね。
読み上げるだけで、溜息が出そうです。

NHKハイビジョンで連日放映されていた、戦争に関する特集番組を見ていると、やはり、同じように溜息が出ます。

20世紀中に戦争に費やした莫大なエネルギーを、今世紀は、マシなことに使ってくれるように願うのみです。
2009.08.17 Mon 23:19 URL [ Edit ]
是非に Posted by 断腸亭髭爺
しゃあさん

金町餃子、今度是非、ご一緒しましょう。
豚足や豚耳もおいしいですよ。
2009.08.17 Mon 23:21 URL [ Edit ]

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