日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2009.07.30 Thu
東京名所図会~御茶ノ水橋
いつもコメントを寄せて下さる相子さんから、御茶ノ水橋に関する、実に啓発的な情報(是非、ご一読下さい)を教えていただいた。

ほぼ毎日のように通り過ぎる「御茶ノ水橋」だが、これまでと違った橋のように感じられて、今日は、いつもよりつぶさに観察してみようと思う。

IMG_2087.jpg
(御茶ノ水橋)

灼熱の陽光がふりそそぐなか、フジクロスに乗って出発。
あぢぃ~~。
走っているときは風が発生するからよいが、信号などで停車すると、まるで身体の中で石炭が燃えているように暑い。
身体中から汗がほとばしり出るのが分かる。

暑くて仕方がないので、国道6号から「いろは通り」に逃げ込む。
広い道は日陰が少ないが、細い道は日陰が多いし、こんな日は、早めに隅田川に取り付いて、首都高下の屋根付きの道(普段は雨除けルートだが)を走るに限ると考えたからだ。

大正通りから墨堤通りに出る。
いつも気になっていた「レストラン・カタヤマ」(この界隈では有名なステーキ屋)の前を通ると、珍しいことに、入店待ちの行列ができていない。
たぶん、南向きの店舗は、陽光がぎらぎらと照りつけるので、さすがに行列を作る気にはなれないのだろう。

今日は、隅田公園の木陰で250円激安弁当を食べるという計画だったが、これはチャンスかもしれないと思って、さっそく店先に自転車を止めて入店してみる。
すぐにお姉さんが、店の奥のテーブルに案内してくれる。
幸運なことに、一席だけ空いていたのである。

この店のメニューはまるで書籍のように分厚いが、半分以上は、肉に関する説明などのいわゆる「能書き」が占める。
メニュー構成も複雑で、何を頼んでよいものやら分からなかったので、周りの人が食べていた「ステーキ定食」(1100円)を注文してみた。
ビールかワインを飲みたかったけど、後でだるくなるので、ここはぐっと我慢。
店内に立ちこめる肉を焼く香ばしい薫りに包まれて、冷たい水(この店の水はウマイです)で喉を潤しながら20分ほど待っていると、熱々の鉄板に盛られたステーキが届けられた。

ステーキ定食
(ステーキ定食・写真を撮り忘れたので、店のHPから無断借用)

この店は、肉のカットの仕方がよい。
面積は小さいが、分厚く切ってあるのがよい。
レアを注文したので、ナイフを入れると、まるで牛のタタキのように、中は真っ赤である(私好み)。
これほどのレアで出せるということは、よっぽど肉質に自信がないとできないことである。
ぼわっとしたソースの味が多少私の好みではなかったが、かなり美味しくいただいた(というか、一心不乱に喰った)。
76点。

大満足して、冷房で涼しかった店内から外に出ると、まるで、熱いおしぼりを全身に投げつけられたかのように暑い!

白髭橋に出て、首都高下の日陰を走る。
う~ん、日陰は快適である。

IMG_2523.jpg
(日陰が嬉しい首都高下の道)

昌平坂を登り詰めたところに、御茶ノ水橋はある。
これは、明治以来同じである。

IMG_2530.jpg
(御茶ノ水橋のプレート)

IMG_2526.jpg
(「昭和6年5月完成」)

この御影石?に刻まれた風雨の痕跡に、私は胸を打たれた。
何百回もこの橋を渡りながら、こうしてしげしげとこの橋のディテール(細部)を注視するのは初めてのことである。

「昭和6年5月完成」ということは、この橋は、戦前・戦中・戦後の、この界隈の生き証人であり、世紀が変わった今も、ここにその重厚な姿を保持しているわけである。

昭和6(1931)年と言えば、大震災による大混乱も何とかおさまったかわりに、いわゆる一連の満州事変(柳条湖事件)が勃発した年でもある。

軍部による「統帥権」の拡大解釈、というか、「悪用」が恥も外聞もなく行われ始めた記念すべき年で、いささか横道に逸れるかもしれないが、この統帥権の悪用こそが、結局は、1945年に「日本帝国」をば滅亡せしめた大きな(自滅)要因となったわけである(この統帥権の悪用さえなかったら、日本帝国はあと10年ぐらいは持ちこたえたかもしれない)。

因みに、神田川のこの場所に最初に橋が架けられたのは、明治23(1890)年のことである(薩摩の内戦も今や遠く、自由民権運動も弾圧されて、富国強兵が本格化した頃)。
当時の写真も残っている。

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(1890年に架橋された初代「御茶ノ水橋」・たぶん下流方向をのぞんだもの)

もう一枚、見つかった。
これはたぶん大正年間の震災直前ぐらいの写真ではないだろうか。

2DC6C0A1-3394-CB4C-03DF-D298E51096B6.jpg
(初代「御茶ノ水橋」・現在の文京区側から撮影されたものと思われる)

二枚目の写真に写っている街並みは、1923年の大震災によってほとんど壊滅したわけだが、時を同じくして、初代「御茶ノ水橋」も大破することになった。

震災によって壊れてしまった橋に替わって架けられたのが現在の御茶ノ水橋で、そういう意味では、震災からの復興の象徴的な存在だったのであろう(因みに、やや下流に架かっている優美な聖橋は昭和2[1927]年に完成し現在に至る)。

さて、相子さんに教えていただいたことに、やっと触れることができる。

東京の下町を標的にした米軍による大規模な空爆(たぶん、人類史上最も残虐な作戦の一つ)によって焼け出された人々の数は夥しいものであったろう。
御茶ノ水橋の北詰の土手沿い(現在の文京区側)には、そんな人々がバラックを建てて暮らしていたという。
そういう状況を舞台にして書かれたのが、獅子文六の『自由学校』という作品だった・・・。

獅子文六の『自由学校』はまだ読んでいないが、私が不思議に思ったのは、神田川の土手はかなり急峻だと思っていたので、あんな所にあばら屋を建てて生活できるものだろうかという点だった。

今日は、自転車を止めて、橋桁の下のあたりがどうなっているのかをよく観察してみた。
それで、驚いた。
文京区側の御茶ノ水橋の下は、遠くから見ると崖にへばり付くように鬱蒼と樹木が繁っているのでかなり急峻には見えるが、実際はそうでもないという事が分かったのである。

IMG_2529.jpg
(下流側の橋桁を覗き込む)

IMG_2531.jpg
(上流側の橋桁を覗き込む)

さらに驚いたことに、かなり平らな部分があるということ。
しかも、かなり広い。
これならば、特に橋の真下なら雨もしのげるし、北斜面にて日当たりも良いので、居を構えるのには適しているかもしれない(おまけに、景色も良い)。
私は、60年ほど前、ここに掘っ立て小屋を建てて生活している人々が見えるような気がした。

さらに上流沿いに100メートルほど歩いたところに、公衆便所と喫煙所があるのだが、そこにフェンスの扉があって、崖の下に出られるようになっているではないか。
ただし、フェンスには鍵がかけられて、常時「立入禁止」になっているのだが。

IMG_2536.jpg
(河岸に降りるための入口)

というのとは、崖つたいに道がついているはずだと雑木林をすかしつつ覗き込みながら、戻って見ると、予想通り、ちゃんと道が付いてた。
しかも、立派な「遊歩道」である。

IMG_2535.jpg
(神田川土手の「遊歩道」)

たぶん、この遊歩道は、開放されてはおらず、土手や森林の管理をする人たちが使用するためのものであろうが、是非とも、開放してほしいものである。
東京の新名所になることは間違いないと思う。

こうして私がちょっとばかり御茶ノ水橋のことを調べたところで、何が分かったわけではない。
ただ、いつも見慣れた物をわれわれは軽んずる傾向があるが、やや違った観点から見直してみると、まったく想像もしていなかった側面が見えてくるということである。
このことは、毎日同じ道を走っていても、ある日突然、意外な発見があるのと似ていて、自転車を乗り始めて尚更、私がつくづく感じることでもある。

御茶ノ水橋については、これからも調査を続けたい。
まずは、獅子文六の『自由学校』を読むことから始めよう。

IMG_2534.jpg
(御茶ノ水橋)

(この項了)

走行距離:36キロ(フジクロス)

小さな旅(自転車)    Comment(4)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
私も気が付きませんでした Posted by 相子
現在の御茶の水橋が昭和6年に掛けられたと言うこと。
将に断腸亭さんの仰せの通り、知りませんでした。私の生まれた年です。
1948年頃の順天堂大学病院や東京医科歯科大病院は木造でした。今や立派なビルですね。
感無量と言いましょうか。若き日の思い出が次々湧き上がって来ます。
2009.07.31 Fri 23:48 URL [ Edit ]
カタヤマいいですね。 Posted by ふとかつ
こんばんは。
ステーキのカタヤマには、我が家もポタリングの最中に立ち寄ったことがあります。とっても美味しかったです。記事を読んでいると、また行きたくなってしまいました。
首都高速の下の道は、日焼け嫌いの私にとっては非常に助かります。
古いお茶の水橋の写真も素敵ですね。
2009.08.01 Sat 01:39 URL [ Edit ]
いろんな発見 Posted by 断腸亭髭爺
相子さん

お陰様で、いろんな発見がありました。

震災から空襲までの20年余りは、日本にとって、本当に試練の時代だったのだということがひしひしと分かってきました。

いずれ、お袋が入院している順天堂病院をテーマにしたみたいと思っています。

ありがとうございました。
2009.08.02 Sun 04:26 URL [ Edit ]
カタヤマ Posted by 断腸亭髭爺
ふとかつさん

カタヤマは美味しいのですが、混んでいるのが玉に瑕。
「地元客が多い=自転車か徒歩の客=お酒も飲む=時間がかかる」ので、行列を作っている時は入る決意がつきません。

信州に行かれてたんですねえ。
あのあたり、もしかしたら、この夏に自転車で走ることになるかもしれないので、じっくり読ませていただいて、溜息をついてました。
坂が多そうで・・・。

2009.08.02 Sun 04:33 URL [ Edit ]

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