日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2009.07.20 Mon
東京名所図会~向嶋白髭神社・幸田露伴旧居跡
朝の涼しいうちにと思って、ロードバイクに乗って病院へ向かう。

金町駅前の「そばっ子」で、冷やしたぬき蕎麦(280円)を食べて、金町浄水場の裏手から江戸川サイクリングロードに上がる。
南東の風にて、向かい風だったので、市川橋で一般道(蔵前橋通り)に降りる。
日曜の幹線道路は、概して気持ちよく走れる(それにしても、本当にノーヘルの自転車乗りが多くなった。見ているこっちが恐くなる)。
ものすごい追い風で、時速35キロぐらいでぶっ飛ばして、あっという間に本郷の病院に到着。
面会時間(8時から)の前に着いてしまったので、入口付近でオロナミンCを飲んで時間を潰す(「メガネが落ちる」ウマサであった)。

お袋は、相も変わらず、すき焼きが食べたいという話ばかりする。
分からないでもない。
私も、腸炎で入院していたときに、鰹の刺身が食べたくて仕方なかった。
病室の冷蔵庫に、お茶と水を補充して、洗濯物を預かって、明日また来るねぇ~。

隅田川土手は、鉄パイプのバリケードが築かれていて、普段より半間ほど狭いので走りにくい。
来週は、下の一般道(墨堤通り)を走った方がいいかもしれない。

白髭橋を渡って、白髭神社に寄ってみた。
過去にも何回か来たことがあったが、高名な社にしては、どうも、ピンと来ないところがあった。

IMG_2453.jpg
(白髭橋西詰)

IMG_2459.jpg
白髭神社

今回も、あまりピンと来たわけではなかったが、私にとって、新しい発見があった。
この神社は、現在の墨堤通りに面して存在するわけだが、発見というのは、この墨堤通りについてである。

私はこれまで勘違いしていて、首都高下の隅田川土手が、江戸時代に築かれた「堤」だと思っていたが、家に帰って、江戸時代(安政年間)の地図を確認して、それが間違いであることに気づいた。

まず、江戸時代の地図をご覧あれ(クリックで拡大)。

向島絵図
(「隅田川向嶋絵図」)

この地図は、上下(南北)が逆なので、見やすいように天地を逆転させておいた。

左の大きな川が隅田川。
右端の比較的太い川が中川。
これは、一種の絵地図なので、実際の地形がデフォルメされているし、現在なら真ん中あたりに巨大な荒川(放水路)が描かれるべきだが、当時は存在していないので、当然、描かれてはいない。

この地図から現在の土地勘を得るには、左下の「吾妻橋」を確認するといいかもしれない。
南北に流れる隅田川と平行して通る黄色の太い通りが、当時の隅田川の堤防で、ずうっと桜並木に縁取られていることが分かる。
そうなのだ、実は、現在の味気ない「墨堤通り」が、江戸時代に桜の名所として有名だった本来の隅田川土手だったのだ。

つまり、明治以降、墨堤の桜を伐採して一般道路として、その代わりに、川沿いを部分的に埋め立てて、そこに新たに土手堤を築いて、そこに桜を植え直したというわけである。
以前から、明治の初め頃の隅田川土手の古写真を見ては、土手の内側(川側)にも集落が写っていたので、変だなあと思っていたのだが、その謎がこれで解けた。

ついでだが、この地図を見ると、隅田川と中川に挟まれたこの「向嶋」という地域が、どうして「シマ」と名付けられたかよく分かる。
河川に区切られて土地は、実質的にも、やはり、島だったのである。

当時の「シマ」という日本語の語感は、現在と異なる。
現在のわれわれは、大海や大きな湖に隔てられた土地のことをシマというが、古来の日本語では、川や谷によって隔てられた土地のこともシマという言葉で表現した。
だから、どんな山奥に行っても、「シマ」という地名が存在するわけだ。

城や町屋のある隅田川西岸からすれば、隅田川東岸は「向こう島」だったわけであり、その向嶋のなかの、東岸の川筋あたり(「玉の井」を含む地域)を特に「寺島」と呼んだ。
たぶん、神社仏閣が多かったからであろう。

墨堤通りが人工的な土手であったことは、そこに行ってみればすぐに分かる。
道の東側は、1~2メートルほど低くなっている。

IMG_2461.jpg
(自転車が並んでいるところより右が土手)

さて、白髭神社を後にして、帰路につこうと神社の裏手に出ると、何というか、ものすごい迫力のアパートが目の前に現れたので、驚いて自転車を止めた。

IMG_2455.jpg
(向島のアパート)

廃屋ではなく、現役のアパートである。
まるで、つげ義春の漫画の世界に紛れ込んだようだった。

そうそう、今日は、もう一つ行ってみたい場所があった。
前から気になってはいたのだが、なかなか場所が突き止められなかった「幸田露伴旧居跡」である。

今日は、向島百花園の前の地図できちんと確認してから行ってみた。
やはり、分かりやすいとは言えない曲がりくねった路地を行くと、それは現れた。

現れたと言っても、建物はなく、今は、その敷地が児童公園になっていた。

IMG_2462.jpg
(露伴児童公園)

公園の中には、露伴の文学碑が建っている。

IMG_2464.jpg
(露伴の文学碑)

「蝸牛庵」として有名だった露伴邸は、現在は、愛知県犬山の「明治村」に移築されているので、今でも見ることは可能である。
明治村には、そのうち行ってみたいものである。

午後は、水元公園を散策。
夕食は、玄米粥を炊いて、納豆汁とともに食す。

IMG_2466.jpg
(本日の水元公園)

走行距離:54キロ(ロード+6速ママチャリ)

小さな旅(自転車)    Comment(5)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
墨堤の味のないこと分かりました Posted by 相子
有難うございます。また一つ勉強しました。
古いアパートは戦中、戦後の木造モルタル作りでしょうか。
颯爽と若い女性が出てきたら?
昔の話を思いだします。
2009.07.21 Tue 09:58 URL [ Edit ]
管理人のみ閲覧できます Posted by
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2009.07.21 Tue 10:07 [ Edit ]
向島の由来 Posted by ふとかつ
こんばんは。
我が家もよく向島や隅田川のポタリングに出かけるのですが、向島の名前の由来をはじめて知りました。
今までは深く考えずに向「島」と読んでいたのですが、そういうことだったのですね。
幸田露伴の住居跡があることは知りませんでした。
今度ぜひ行ってみたいと思います。
また、色々といい場所を教えてください。
2009.07.22 Wed 01:34 URL [ Edit ]
物語る建物 Posted by 断腸亭髭爺
相子さん

井伏邸には、まだ行ったことがありません。
太宰が、芥川賞をねだりに井伏邸まで押し掛けたという話が面白くて、一度行ってみたいと思います。

あの手のアパートは、私が学生時代にはどこにでもあったものですが、最近は珍しいですね。
家賃はいくらぐらいなんでしょうか。

確かに、「物語」を感じる建造物です。
2009.07.22 Wed 08:16 URL [ Edit ]
京島も面白いですよ Posted by 断腸亭髭爺
ふとかつさん

コメント、ありがとうございます。
幸田露伴邸跡は、ちょっと分かりにくいところにあります。
向島百花園の隣の公園に案内図がありますので、それを手がかりに行かれるとよいと思います。

向島まで足を延ばされたら、ついでに、京島にもいらっしゃるのをお奨めします。
2009.07.22 Wed 08:30 URL [ Edit ]

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