日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2009.07.01 Wed
この3日間~葛飾の古東海道をゆく
6月29日(月)

仕事などが忙しくて、各種「宿題」が山積している。
その締め切りがいろいろと重なって、いつもあたふたしているようで、気分が落ち着かない。
こういう日常のノルマをテキパキとこなすことが、オレはなんて下手くそなんだろうといつも思う。

今日は、やや時間に余裕(30分ほど)を持たせて、フジクロスで出発。
以前から気になっていた、葛飾区内の古東海道を再度検証すべく、知っている人には有名だが、知らない人には無名な「立石祠」(現在の立石の名の起源)に寄ってみた。
これこそが、古東海道の道標代わりになっていたという説があるからだ。

その立石祠は、葛飾区内を蛇行して流れる中川近くにある。
かなり分かりにくい所だが、まあ、葛飾税務署の近くで、地図はココなので、詳しい場所は、この地図をご覧になっていただきたい。

このあたりは、通常の通勤路のすぐ近くなので、何回も通っているのだが、立石祠を実際に訪れるのは、これが初めてである。

今は、何ともかわいそうにと言うべきか、微笑ましくもと言うべきか、児童公園の中にある。

IMG_2373.jpg
(立石祠の入口・小さな児童公園になっている)

さらに近くに寄ってみると、このように大切に囲われている。

IMG_2374.jpg
(立石祠・さらにもう一つ鳥居があって、囲いがめぐらされている)

そして、問題の石だが、地上にちょこっと顔を出すのみである。

IMG_2376.jpg

この石が、一体何なのかということについては、分からないことが多いが、大雑把にまとめると、次のような説がある。

1.旧石器時代のメンヒル(巨石記念物)
2.古墳の石棺
3.古東海道の道標
4.上記2と3の両方

旧石器時代の葛飾は、海中に没していたので、1はかなり疑わしい。
2については、近在には、柴又駅前に古墳があったことがなど知られているので、可能性は高い。
その古墳の石棺などの一部が、いつの頃からか、街道の道標として転用されたという、4の説が、私としては、信頼性があるような気がする。

この石、現在は、地上にちょこんと顔を出しているだけだが、19世紀前半の『江戸名所図会』の絵では、かなり地上に突き出ている。

江戸立石
(『江戸名所図会』の「立石村 立石」)

この絵を見ると、中川の岸辺がすぐ近くに迫っているのが分かる。
今では、立石祠から中川の堤防までは、約150メートルあるが、しかし、もし今のような高い堤防がなければ、自然の岸辺はこのあたりまで及んでもおかしくはないであろう(対岸の何やら煙が登っているあたりは現在の奥戸2丁目ということになる)。
また、当時は、まだ荒川(放水路)も新中川も存在しなかったので、時季によって、中川の水量はかなり増減が激しかったと予想される。

しかし、何だかんだ言ってみたところで私には、真相を突き止める手だてがない。
ネット上で、この立石について、一番詳しく論じている次のページを参照にされたい。
http://homepage3.nifty.com/kofun/futoi/tateishi/index.html

さて、古東海道は、下総国の国府があった市川市の国府台(こうのだい)から江戸川を渡って、現在の北小岩や細田を抜けて(このあたりの道も残っている)、奥戸橋あたりで中川を渡る。
立石が道標の役目を果たしていたとすれば、その傍らを抜けて、現在の「本奥戸橋」あたりから奥戸街道を西進することになる。

IMG_2214.jpg
(写真の正面が本奥戸橋・古東海道は左から正面下に延びる道)

IMG_2215.jpg
(当時は東海道であった、現在の奥戸街道・正面西)

奥戸街道をそのまま進むと平和橋通りと踏切(京成線)にぶつかる。
そこをSの字に渡ると、現在の「まいろーど四ツ木商店街」の東端(C地区)に出る。

IMG_2367.jpg
(まいろーど四ツ木商店街の東端・横切って走るのが平和橋通り)

このまいろーど四ツ木商店街の一部が、当時の古東海道である。
この古風を保った楽しくて懐かしい商店街(結構道が広い)を辿っていくと、こんな二股道にさしかかる。

IMG_2368.jpg
(二股・右の細道が古東海道)

この二股道の右側の道が、古東海道に相当するのだが、前にも書いたとおり、その分かれ目に存在するのが、私の大好きな居酒屋「ゑびす」である(マックス・ヴェーバーの言葉を使えば、私にとっては、居酒屋の「理念型」である)。

この右側の道をそのまま直進するとさらに道は細くなる。
この道幅は、官道に関する記録からすれば、当時のままのような気がする。

IMG_2369.jpg
(さらに細くなる道・画面右手の「杉浦酒店」は日本酒の品揃えが最高)

さらに進むと、国道6号線にぶつかって、道は一度は分断されてしまうが、実は、6号線を渡った向こう(自転車屋があるところ)には、まだ道は続いていて、さらにそのまま直進すると、荒川(放水路)にぶつかって途絶するのである。

IMG_2370.jpg
(国道6号線の向こうにも道が繋がっている)

そうそう、地図をお示しするのを忘れていた。
古東海道の、このあたりの地図は、先達の作成した次の地図が卓越している。

http://kaidouarukitabi.com/map/rekisi/kodaitoukaimap.htm

奥戸から四ツ木あたりまでの古東海道の旅は、ひとまず、これにて終わりとしたい。

走行距離:37キロ(フジクロス)

6月30日(火)

予報によると、雨が降ってもおかしくなかったが、晴れの日通勤用のフジクロスで出かける。
途中、久々に、激安250円弁当を買って、隅田川土手にて食す。

IMG_2378.jpg
(最近はさすがに飽きてきた250円弁当)

一日中、19世紀の鉄道について考える。
だんだん分かってきたぞ・・・。

IMG_2379.jpg
(隅田川土手にて・なぜか、ホームレスの人々が大掃除をしていた)

走行距離:35キロ(フジクロス)

7月1日(水)

仕事が終わらずに、午前2時起床。
やっとのことで終わらせて、5時半にルイガノクロスで出発。
何故か、いつもより道が混んでいる。

霧雨が降るも、カッパを着る要無し。
午後から、多少天気が好転。

午後、本郷の病院へ。
痛め止めを打つのを止めたお袋、傷口が痛むと訴える。
だが、明日から水を飲んでもよいそうな・・・。

IMG_2380.jpg
(早朝の江戸城趾堀端)

夕方帰宅するとくたくたで、飯を作る気力おこらず。
近所のトンカツ屋で大盛りご飯をもりもり食う。

走行距離:60キロ(ルイガノクロス)

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Comment
Posted by やまびこ
立石様はね~、夜あのあたりを通ると石の下から鳴き声が聞こえるんだよ~~・・・・というようないかにもありそうな怪談めいた逸話が、子供たちの間で流行ったことがありました。
で、PTA広報の仕事で写真を撮りに行ったらやはりなんだかそこだけ空気がひんやりしているような気がしたような~(^^;)

立石駅のホーム(青砥方面)の最後部あたりに立石についての立て札がありますね。

2009.07.02 Thu 15:50 URL [ Edit ]
怪談 Posted by 断腸亭髭爺
やまびこさん

なるほど。
古代の謎の遺物と公園の遊具という奇妙な取り合わせは、確かに怪談の一つも出てきそうな雰囲気を作りだしていますね。

どうも、あの立石祠と近くの熊野神社あたりの一帯に古墳があったようです。
たぶん、度重なる中川の氾濫やその後の整地で、今は真っ平らになっていますが。

とすれば、あのあたりは「墓地」ということにもなり、自分の墓を荒らされて、故人が怒っているのかもしれません。

次は、中川より東の道を探査してみます。
2009.07.03 Fri 06:03 URL [ Edit ]

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