日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2009.05.15 Fri
人力車考2~リアカー・駕籠・大八車
本日は、お袋の入院している病院の創立記念日ということで、一日中、一切の診療がない。
「外出許可」が出たというので、お袋と散歩がてら、昼食をとる(中華料理&喫茶店)。

お袋と別れてから、杉並区永福の職場に向かうべく、外堀通り→靖国通り→旧玉川水道道路(都道431号角筈和泉町線)を走る。

最後の旧玉川水道道路(都道431号角筈和泉町線)は、事実上、環七とぶつかって終わる感じで、そのまま直進して環七を渡ることはできない(直進禁止)ので、環七を左折して、国20号(甲州街道)との交差点を渡って迂回しなければならない。
実はこの旧玉川水道道路については、たくさん書きたいことがあるのだが、それはまた後日ということに。

今は、「環七」を引っ張り出したかっただけなのである(すみません)。
大学に通うために、東京に来た最初の頃、私は国鉄「高円寺駅」や西武線「野方駅」あたりの中野区内を転々としていた(引越癖は当時からあったようです)。

今を遡ること30年ほど前の事。
環七の大和陸橋近くにかなり条件のよいアパートを見つけたので、引っ越しすることにした。
敷金・礼金は無しだったので、問題は、引っ越し代。
引っ越し屋を頼めば、翌月からの「経済」が破綻するのは目に見えていたので、ここが思案のしどころとなった。

そこで思いついたのが、高円寺駅から伸びる商店街にある畳屋さんのリアカー。
幸い、引っ越し先は、距離にしてほんの2キロほどだったので、畳屋さんにリアカーを借りて荷物を運べば、多分、三往復ぐらいで済むと思ったわけだ。

さっそく私は、畳屋さんのオジサンに、リアカーを貸してくれるかどうか交渉した。
そのやりとりの詳細は覚えていないが、不思議なほどすんなりと貸してくれたと記憶する。

今考えると、どこの馬の骨か分からないような学生風情に、大事な商売道具をよく貸してくれたものである(若いが故の想像力の欠如の強み。その畳屋さんに心から感謝)。
しかし、どんなお礼をしたのかも、さっぱり思い出せない。
500円ぐらいの借り賃を払ったのかもしれないし、「いや、学生さんだからいいよ、いいよ」という言葉に甘えてしまったのかもしれない・・・。

リアカーで荷物を運ぶルートを事前に検分するに、多少の坂もあるし、しっかりと荷を留めるロープがないので、引き手以外に、後に1人と、予備要員にさらにもう1人が必要と思われたので、学校の友人たちに手伝いを頼んだ。
「サントリーホワイト」(当時の学生には高級酒だった)一本と、魚肉ソーセージ入りモヤシ炒め(もちろん、私の手製)を好きなだけ食わせるという条件だったように思う。
2人いれば十分だったのだが、私の出した「好条件」を聞いて、何と6人ほどが名乗り出て手伝ってくれることになってしまった(その分、モヤシ代などが嵩んだ)。

ホワイト
(懐かしいサントリーホワイト)

引越は、思ったよりも大変だった。
積み方が下手だったので、途中で荷物がずり落ちてしまったり、荷物を積み込みすぎて、引き手の身体が浮き上がってしまったり・・・。

それでも、過剰なる労働力のお陰もあって、引越は無事に済んで、サントリーホワイトと魚肉ソーセージ入りモヤシ炒めの楽しい宴会が明け方まで続いたと記憶する。

これが、私の唯一のリアカー体験であるが、どうしてリアカーのことを思い出したかと言えば、発展史的には、これがいわば、人力車の兄弟に当たるからである。

リヤカー子ども
(リアカーを引く子ども・昭和30年代)

明治3年に人力車が発明されて、東京の街を走り出すや、ほぼ1年間で、それまで交通網を牛耳っていた駕籠(かご)が姿を消して、人力車にその場を譲った。
駕籠かきたちは職を失い、その多くが車夫に転向したにちがいない。
それほどまでに、人力車の登場は画期的だったのだ。

広重「三島 朝霧」
(駕籠・広重「三島 朝霧」)

つまり、人力車は、用途的には、駕籠から発展したものだが、技術的には、大八車から発展したもので、この同じ大八車から少し遅れて出てきたのがリアカーであるという相関関係になる。

大八車
(大八車・明治時代)

リアカーは、その後、人間だけではなく、自転車やバイクがこれを牽引することになり、それが屋台のような移動店舗に発展したことは周知のことである。

走行距離:62キロ(フジクロス)

エッセイ    Comment(6)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
人柄とか人徳とか・・・・。 Posted by しゃあ あずなぶる
引越しの手伝いに6人も集まったのは、断腸さんの人柄ですよ。
こう言うのって天性のモノだと思います。
無理に人気者になろうとすると、媚びたり金品をバラ撒くようになったり。情けない。
不人気になるのは簡単なのにね。
仕事は出来る、付き合いも悪くない。だけど人気が無いって人。居ますよね。
ボクは息子が、そうなんじゃないかと、心配しています。本人も、ちょっと気にしているようです。

引越しの手伝いって、案外楽しいですよね。ボクも学生の時には、随分と手伝いました。
ウチにある2トン車を提供するんですが、「祐ちゃん。サンキュー」だけでした。
まあ、お互い持ちつ持たれつの、貧乏学生でした。でも、楽しかったですよ。
2009.05.16 Sat 12:50 URL [ Edit ]
人望という謎 Posted by 断腸亭髭爺
しゃあさん

まあ、いわゆる「人望」っていうものですかね。

言っておきますが、私には、そんなものはありませんが、私の周りを見るに、人の見ていないところで何をしているかと、そのことを、何というのか、ある種の「余裕」をもっておこなっている人は、人望があるようです。

ただ、人には、それぞれの人間関係の結び方と、独自の「速度」のようなものがあって、皆が同じようにするのは難しくて、一概には言えませんね。

息子さんのことは、そんなに心配しなくてもいいんじゃないでしょうか。
父親のしゃあさんを見ていれば、ちゃんとした人間になると思いますし、案外、既にそうなのかも。
2009.05.17 Sun 03:56 URL [ Edit ]
リヤカーに乗ったこと Posted by 相子
初めてブラジャーをした時、背中が慣れないことに戸惑ったのかオデキが出来ました。町にタクシーなどなく歩くには辛い気分。母がリヤカーに茣蓙を敷き病院に連れて行きました。正座で乗るのは実に難しいのです。
曳く人の力とバランスが要るようで乗るも曳くも神経を使います。

昔々学生の持つ品物は少なく、柳行李一個で済みました。時代は変わり持ち物も増え、軽トラックも出てきて、学生の引っ越しは運送屋に頼むようになりましたがね。それより前は自分で荷物を纏め運ぶのは当たり前でしたね。6人も助っ人が集まるというのはご馳走に釣られたばかりとは思えませんね。人気があった証拠です。
2009.05.17 Sun 09:37 URL [ Edit ]
懐かしいですね Posted by 断腸亭髭爺
相子さん

リアカーに乗せられて青島の街を行く相子さんの姿が見えるようです。

今は亡き(母方の)祖母の話を思い出しました。

讃岐の農家の出身だった祖母(今生きていれば、105歳ぐらいかな)は、全寮制の女学校に上がるとき、多度津の港まで、荷物と一緒に大八車に乗せられたそうです(たぶん、牛に引かせたのだと思います)。
これから家族と離れて暮らすと思うと、悲しくて悲しくてならなかったそうです。

春の田舎道を娘時代の祖母が、大八車に揺られて地平線の中に消えてゆく光景が目に浮かぶようです。

学生時代の私も、着る物は柳行李と同じ大きさのプラスチック製ケース1個に全部収まりました。
テレビはまだ持っていませんでしたが、冷蔵庫と机と書籍と蒲団が、大物と言えばまあ大物でした。
あの日のことが懐かしいです。

今度、機会があったら、あのアパートのあたりに行ってみます。


2009.05.18 Mon 01:22 URL [ Edit ]
リアカーは敗戦後でした Posted by 相子
引き揚げて来た両親はお金もなく、交換する品物もなくて苦労しました。大学に入り女の子の私もブラジャーをする歳になっていました。田舎に帰った時にオデキができました。田舎道をリヤカーに乗せられている姿は考えてもおかしいですね。
2009.05.18 Mon 14:23 URL [ Edit ]
面白い取り合わせ Posted by 断腸亭髭爺
相子さん

そうですか。
内地でのことでしたか。

相子さんにとって、ブラジャーとリアカーは、切っても切れない関係ということになりますでしょうか。

確かに、面白い取り合わせです。
2009.05.19 Tue 05:36 URL [ Edit ]

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