日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2009.05.04 Mon
道路名異論!・東京名所図会~高輪・清正公縁日・目黒のトンカツ
国道20号線(甲州街道相当)のことを、半蔵門(ないしは日本橋)~新宿区間だけ「新宿通り」という別名を持つことは既に書いた。
なるほど、江戸四宿のひとつである「(内藤)新宿」を尊重して、日本橋から新宿のことを特に「新宿」通りと名付けたのか、と一応は納得する。

では、同じように、国道17号線(中山道相当)も、日本橋と板橋(江戸四宿のひとつ)の間は、「板橋」通りという名称であるに違いないと思いきや、そんな通りは存在しない。

実際は、何とも複雑なことに、国道17号線は、(外側から順に)板橋~文京区白山付近では「白山通り」となり、神田明神あたりで「本郷通り」となり、万世橋あたりから「中央通り」になる。

しかも、一時「本郷通り」だった通りは、そのまま素直に南に直進すると、「日比谷通り」になり、日比谷通りをそのまま走っていると、いつの間にやら国道15号線になる。

えっ?、じゃあ、「中央通り」はどうなっちゃったのよと思いきや、実はこれが国15号線の「嫡子」となって、いつの間にやら「祖父」からの傍系(日比谷通り)と混血して(なんだと、近親相姦じゃないか、これでは!)、ちゃっかり国道15号線となりおおせてしまう。

ところが、この国道15号線も、旧東海道をほぼなぞっているいるので、国道15号線こそがが実は東海道相当だと思って走っていると、横浜の手前あたりで15号は突然消滅して、それ以西は、国道1号線が(その地位を「簒奪」して)大阪までずっとのびている。
(こうして見ると、まるで、壮絶な権力闘争を続けてきた天皇家の歴史のようだ)。

出世魚じゃあるまいし、いい加減にしてくれという気分になってくる。

同じく国道4号線(日光奥州街道相当)は、都心に入ると「昭和」通りになり、国道6号線(水戸街道相当)も、都心に入ると「江戸」通りに変貌する。
なるほど、「昭和」「江戸」とあるんだから、「明治」通りというのは?と思いきや、これまたカメレオンのように変化する複数の道路の総称(環状線)でしかないという。
ここまでくると、次に「大正」通りは?と質問する気にもなれない。

お手上げである。
ことほどさように、都内の道路の名称の付け方には、何の原則もないのである。

私は、官公省庁名のくだらない組織名変更と同様、道路の名称もチャラチャラいじらないでほしいと思う。
たとえば、国道6号線は、もし名前を付けたいのだったら、全線これ、「水戸」街道でよい!
そうすれば、よけいな看板を作る膨大な費用(税金)も節約できるし、第一、分かりやすい。

因みに、「JR」という恐ろしくえげつない名称も、元の「国鉄」に戻してほしいものである。
JRというのは、Japan Railwayの略で、「日本国鉄道」という意味なのだから、略して「国鉄」でいいじゃないか。
まあ、しかし、今さら元に戻せばもっと費用がかかるので、百歩譲って、これには目をつぶろう・・・。

さて、前置きが長くなった。

今日は、桜田通り沿いの高輪・白金界隈を大変楽しく散策した。
桜田通りというのは、実は、国道1号線のことで、桜田門を起点にしているので、そういう名称なのである。

(えっ、そりゃあ、おかしいじゃないか?じゃあ、半蔵門を起点にしている「新宿通り」はどうして「半蔵門通り」と言わないんだよ?それに1号線ってのは東海道のことなはずで、だけどさっきは、15号がそうだったような・・・などという質問はしないように。
上で述べたように、名称の付け方は「デタラメ」であるというのが、むしろ「原則」なのだから)。

この日は、午後に高輪台駅に集合ということだったので、例によって、私だけ自転車(フジクロス)で出かける。

黄金週間中とあって、道ががらがら。
いつもは迂回して裏道に入るようなところでも、それがかえってもどかしいほど幹線道路が空いている。
国6号から内堀通りに入り、件の「桜田通り(国1号)」の起点たる桜田門に、まず、到着。

IMG_2025.jpg
(左手の小さな門が桜田門)

約150年ほど前の雪の朝、自邸から城に向かって籠で「通勤」中の井伊直弼が、水戸藩士および薩摩藩士数名によって暗殺されたのは、この門の前にのびる現在の桜田通りの路上である(桜田門外の変)。

IMG_2026.jpg
(桜田門の正面から始まる桜田通り)

また、俗に「桜田門」と言えば、現在は警察権力の中枢たる警視庁の「本丸」所在地のことで、周辺は警察官の密度がたぶん日本一高く、石を投げれば警察官に当たるほどである(しかし、本当に石を投げると逮捕されるので注意)。

実は先月、桜田門内のどこかで私はカメラを紛失したのだが、その旨桜田門の交番に届けた30分後には、私の携帯電話が鳴り、カメラが発見されたので回収されたしとの連絡が入った。
すごい!
さすが、警察のメッカだけのことはある。
若い頃にはさんざんいじめられた警察だが、このときばかりは、心から感謝した(対応もきわめて親切)。

さて、高輪に向かうべく、私は桜田通りを走り始めるが、すぐに赤煉瓦の美しい建物に眼を惹かれて自転車を止めて写真撮影。

IMG_2027.jpg
(法務省赤煉瓦棟)

さらに進むと、「横浜 32キロ」の標識の向こうに、日本の「悪の巣窟」たる霞ヶ関のビル群が見えてくる。
なるほど、桜田通りというのは権力中枢の道なんだなあということが実感される。
いっそのこと、正直に「権力通り」という名にすればよい。

IMG_2028.jpg
(悪の巣窟・霞ヶ関)

さて、桜田通りは、いったんは下り坂になり、その後急な上り坂になる。
慶應義塾のところで大きく右に折れ曲がって、三田を経て、高輪台、白金台と続く。

三田の古名は「御田」というだけあって土地が低いが、その後は、「台」を冠する地名が二つ続くことからも分かるように、二つの長い坂を登ることになる。

私は、五反田駅の近くに自転車を止めて、待ち合わせ場所の高輪台まで戻るべく歩いた。
五反田も「田」を冠する地名なので、低い谷になっていて、そこから高輪「台」までは当然上り坂であるが、この道は歩いていて何故か気持ちがよい。
何故気持ちがよいのか、自分でもよくわからないが(交通量が少なかったからかもしれない)。

高輪台駅出口で、呑ちゃんたちと落ち合って、さて散策の始まりだ。

先ず、大通りと平行して走る通りを歩いてみる。
なんとも懐かしい建物が見えた。
昔、私の田舎にあった映画館を思い出したりする(ビー玉を取るため、割られたラムネの瓶が散乱していたっけ)。

IMG_2033.jpg
(高輪消防署・東京オリンピック宣伝の幕がなければもっと良かったのだが)

立派に古風を保った寺もあった(このあたり旧街道沿いだったためか寺社が多い)。

IMG_2036.jpg

しかも、このお寺の狛犬がユーモラスで個性的だった。

IMG_2037.jpg

私に似ていると呑ちゃんは言う。
う~ん、そう言われてみれば、そうかもしれないような気がしてくる。

こうやって、ああだこうだと言いながら散策をするのはすごく楽しい。

坂を登るにつれ、縁日の雰囲気が漂ってくる。
商店街の食堂でも、店先で焼き物だの揚げ物だの売っている。

桜田通りを東西に横切るようにして、かなり大規模かつ本格的な、清正公(覚林寺)の縁日が繰り広げられていた。

IMG_2038.jpg
(清正公の縁日)

清正公というのは、加藤清正のことで、以前この地に肥後藩の屋敷があったことから、清正を祀る寺が建立されたらしいが、まあ、そんなことはどうでもよい。
この縁日では、バライエティに富んだ露店の数々はもちろん、昔ながらの「金魚すくい」や「型抜き」などの露店も出ている。
実に懐かしい縁日である。

IMG_2044.jpg
(楽しい縁日)

IMG_2041.jpg
(昔懐かしい金魚すくい)

一番面白かったのは、「アナゴ釣り」である。

切れやすい釣り糸の付いた細くて短い竿で、アナゴを釣り上げる(引っかけ釣り)遊戯である。

IMG_2039.jpg
(アナゴ釣り)

IMG_2040.jpg
(アナゴ釣りのオジサン・いい感じです)

この縁日は、毎年この時期に行われるという。
また来年も来てみたいと思う。

縁日を存分に楽しんだわれわれは、目黒通りを下って、夕食をを取るべく、目黒駅に出る。
今日は、以前から食べたかったトンカツ屋の「とんき」に行こうというのだ。

ところで、目黒と言えば、昔からサンマで有名だが、別に目黒でサンマが獲れるはずはなく、落語の中で殿様が食べたサンマは、ほぼ間違いなく、銚子のサンマであるわけで、われわれは何も、目黒のサンマに操を立てる筋合いはない。

ただ、殿様(将軍)にサンマを出したと言われる「茶屋」を、広重が素晴らしい絵に残している。

爺が茶屋
(名所江戸百景「目黒爺々が茶屋」)

この「爺々が茶屋」が、どこにあったのかということは、ほぼ特定できるようだ。
詳しくは、以下のページを参照にされたい。
http://kkubota.cool.ne.jp/chayazaka.htm
今回はその場所を訪ねることができなかったが、不肖・断腸亭髭爺としては、我が事のように気になる一件なので、次回は是非とも訪れてみたい。

さて、目黒のトンカツである。

IMG_2046.jpg
(とんき・ケレンミのない店構え)

IMG_2045.jpg
(広々として、しかも職人の厳しさが飛び交う厨房)

そして、ロースカツ定食。

IMG_2047.jpg
(とんきのロースカツ定食)

いやぁ~、これぞまさしく芸術品だ!
これまで食べた中で、最高のトンカツだった。

こうしてわれわれは、縁日の賑わいとトンカツの旨さを反芻しながら帰路についたのである。

(了)

走行距離:54キロ(フジクロス)

小さな旅(自転車)    Comment(5)   TrackBack(0)   Top↑

Comment
似ています。 Posted by しゃあ あずなぶる
呑ちゃん。ナイス!座布団三枚。
2009.05.10 Sun 10:13 URL [ Edit ]
田舎も都会も同じになっちゃった Posted by 相子
今や至る所に中央通りがあり、ビルが建ち、同じ品物がスーパーやコンビニに並び、日本は何処に行っても同じになったようですね。1960年頃、東京に出て来た新入生にバスで東京案内を何回かしました。高速1号線を走り羽田に向かう風景に学生が歓声を上げて喜びました。
浅草からアサヒビール吾妻橋工場の見学と試飲。今思うに未成年者も居た筈。冷汗が出ます。
今そんな企画をしたら誰も参加をしないでしょうね。
行政の効率優先かしら。町村の名前も詰まらなくなってしまいましたね。
2009.05.10 Sun 22:17 URL [ Edit ]
後出しトンカツ Posted by 相子
清正公縁日の後がつづきになっていましたので、トンカツを見ずしてコメントをし早まりました。
立派なローストンカツと見事な厨房に拍手です。
2009.05.10 Sun 22:25 URL [ Edit ]
変わった狛犬でしょ Posted by 断腸亭髭爺
しゃあさん

やっぱりしゃあさんもそう思いますか。
あれ、ちょっと変わった狛犬でしょ。

私の同僚に、狛犬の研究家がいるので、今度見てもらいますね。
もちろん、私の顔ではなくて、狛犬の写真を。



2009.05.10 Sun 23:54 URL [ Edit ]
変えないことが新しいこともある Posted by 断腸亭髭爺
相子さん

おっしゃる通りだと思います。
地名というのは、そこに刻まれた歴史の一部なので、行政が勝手に変えるのは許されないことです。

また、変えるにしても、たとえば、田無を「西東京」にするなぞ言語道断!です(この分だと、私の暮らしている葛飾も、そのうち「北」東京市にされかねない)。

そうそう、以前は支給されていた和泉のクラス「会合費」も、対象が未成年であるという理由で、数年前からカットされました。
2009.05.11 Mon 00:08 URL [ Edit ]

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