日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2007.11.03 Sat
秩父異聞
秩父には、おいそれと足を踏み入れるわけにはいかない。

そう思ったのは、二十歳代の頃だったと思う。
いわゆる「秩父事件」のことを知ったから。

幕末維新の武装権力争奪戦で勝ちを収めた「新政府」が、当時の日本列島に残存した最後の「自由」の息の根を止めた事件。
それが秩父事件だった。

自由を圧殺しようとする新政府との闘争の中で、秩父の農民たちは、水平(平等)的な人間関係の絆を構築していく。
しかし最後には、信州の山奥にまで追討の手は及び、歴史の夢は潰え去ったのである。

そんな秩父事件の重大性に圧倒されて、おいそれと秩父には行くことができなかった。
しんどくて、恥ずかしくて・・・。

しかし、今日、まったくおちゃらけなことながら、物わかりの良くなった私は、秩父に行ってきた。
しかも、バスツアーで。

楽しかった。
ワンカップ

久しぶりに蒸気機関車に乗った。
たぶん、40年ぶりぐらいだろうか。
機関車

あの、石炭の煤の臭いは、少年時代の様々な記憶を呼び起こす。

銚子駅の機関庫。
積み上げられた石炭。
カーブの時に、黒煙を上げてばく進する機関車。
窓から顔を出してそれを見ようとする子供たち。
目に煤が入り、鼻腔は真っ黒になる。
発進するときの車輪の空回りと、その圧倒的な力・・・。

やっぱり、今度はちゃんと勉強してから秩父に来よう!

決起の前夜、農民たちが連歌をものしたという社や堂宇をひとつひとつ訪ねよう。

長瀞ライン下りをしながら、そんなことを思った。
長瀞


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本日の走行距離:2キロ
今月の積算走行距離:73キロ
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Comment
もし? Posted by しゃあ あずなぶる
秩父の農民が逃げおおせていたら どんな風に
なっていたと 思われますか?
2007.11.04 Sun 03:45 URL [ Edit ]
歴史の「もし」 Posted by 断腸亭髭爺
秩父困民党は、逃げおおせるだけでは駄目で、やはり、権力を奪取しなければ、何ともならなかったでしょう。

ご存知のように、明治(維新)のクーデターは、実に複雑怪奇な軌跡を辿りました。
先ずは、「尊皇攘夷」という西欧文化排斥運動から出発しました。
しかし、その「尊皇」という考え方は、当時としては実に突飛だと言わざるを得ないと思います。
権力の座を去ってから約1000年間も眠り続け、もはや、京都文化の象徴(雛人形のような物)に過ぎず、たった5万石の一大名にまで身を落としていた「朝廷」という亡霊の復活を意味したわけですから。
ところが、この突飛な「尊皇」思想が、時代的意味を発揮できたのは、「尊皇」=「反幕」という構図が明確になったからでしょう。

薩長軍は、この「尊皇」を「反幕」のスローガンとして効果的に利用することに、終始、腐心します。
もともと、西欧文化排斥運動だったはずが、いつの間にやら、西欧文化模倣主義(富国強兵)に転じます。
新政府軍は、「錦の御旗」という、今から考えればおもちゃの旗のようなものを権力の正当性の証しだと偽装して、列島全体を巻き込む内戦(戊辰の役)を戦い続け、勝利したわけです。

しかし、幕末維新時にうねりを上げた動きは、これだけではなかった。
ものすごい数の農民一揆がそれで、幕府も新政府も、その弾圧に必死でした。

さて、秩父困民党が権力を奪取できる可能性は、ただの一点にかかっていたと思います。
もし、農民反乱のうねりが、反政府勢力の動きと共闘できれば、或いは、可能だったかもしれません。
反政府勢力というのは、奥羽越列藩同盟軍のことですが、もちろん、当時の士族は、農民を馬鹿にして相手にもしなかったでしょうが、例えば、長岡藩の河井継次郎のような人物が、組織的効率的に奥羽越列藩同盟軍を指揮すれば、全国的に展開する農民反乱軍と共闘し、新政府軍を壊滅できたかもしれません。
或いは、下野後の薩摩軍との共闘もあり得たかもしれませんが、あれも、これも、歴史上の「もし」という前提のむなしさの闇に飲み込まれ、結局実際は、われわれが知るとおり、明治維新からほぼ70年後の1945年、国家が崩壊することでその結末を見ることになりました。
2007.11.04 Sun 19:58 URL [ Edit ]

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