日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2008.08.10 Sun
美濃尾張の旅2(木曽路・長良川火祭り)
8月10日(日)

われわれの泊まったロッジ「あかまんま」は、標高約950メートルの所に建っている。
このあたりでは特に高い場所ではないが、それでも関東の筑波山山頂よりも高所であるので、下界よりも6度ぐらいは気温が低く、クーラーのない部屋でも快眠を貪ることができた。

朝食ができるまでの時間、また湖周の森林を散策することにした。
朝の大気は限りなく清涼で、鶯の鳴き声が静かな森に響き渡っている。

IMG_1002.jpg
(森の小道を歩く)

途中、木造の眺望台があって、そこからは、中津川(岐阜県)あたりの山野が一望できる。

IMG_0999.jpg
(向こうに見える山里の中を旧中山道が通っている)

IMG_1001.jpg
(どこかの国の「将軍様」のようなポーズをとって、地形を説明しているのがIさん)

天ぷらにして食べると美味しい「こしあぶら」の樹がいたるところに見つかった。

IMG_1003.jpg
(こしあぶら)

そう、今日これから巡るのは旧中山道の木曽路。
それも、私が大変に私淑する藤村の『夜明け前』(1935年刊)の舞台となった馬籠宿妻籠宿である。

ここでどうしても、『夜明け前』の冒頭を引用してみたくなる。
この最初の数行が、木曽路の地理的な特性を完全に描破し尽くしていると思うからだ。

「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」

「山の中」という古風な表現から始まって、「森林地帯」を「貫く」という近代的な香りのする表現に帰着しているところに、『夜明け前』の時代背景である幕末から維新への変遷が縮図的に凝縮されているようにも読める一節である。

ともあれ、実際に行ってみるとたぶん誰しもが、この「すべて山の中」という表現に頷くことであろう。

IMG_1028.jpg


IMG_1016.jpg
(馬籠宿・こんな斜面のきつい宿場町も珍しいのではないか)

IMG_1023.jpg
(馬籠宿からの眺望)

ついでに、江戸時代の英泉が描いた馬籠の絵。

magome.jpg
『木曽街道 馬籠驛峠ヨリ遠望之図』

馬籠宿は、ちょっと作り込む過ぎているほどよく整備されている。
石畳も綺麗に敷かれて、江戸時代風な建築様式もよく留めている。
観光地として非常に人気が高いのも頷けるところである。

われわれは馬籠宿のちょうど中心あたりにある藤村記念館にも寄った。
宿場の真ん中あたりにあるのは、島崎家が本陣を取り仕切っていたわけなので、当たり前と言えば当たり前。

IMG_1018.jpg
(藤村記念館の門)

作品にも度々出てくる裏の隠居屋敷。

IMG_1019.jpg

さすが本陣。
中庭も広々としている。

IMG_1020.jpg

陽も高くなって腹も減ってきたので、宿場通り沿いの蕎麦屋に入る。
盛り蕎麦と、名物五平餅を注文。

IMG_1022.jpg

IMG_1021.jpg

そして、次に向かったのは妻籠宿。

IMG_1031.jpg

IMG_1035.jpg

木曽路を満喫したわれわれは、Kさん(Iさんの奥さん)の運転する車で長良川沿いの宿泊地「岐阜グランドホテル」に向かった。
われわれの部屋からは、足下には長良川の典雅な流れ、眼前にはその頂上に岐阜城が鎮座する金華山を望むことができた。

IMG_1061.jpg

部屋で小休止してから、今夜長良川河川敷で行われる「手力の火祭り」を見るべく、Iさんの友人のTさんの高級車(ドアが自動開閉)で出かけた。

手力の火祭りというのは、本来は、4月に岐阜市内の「手力雄神社」で行われる火祭りであるが、近年、その観光版が長良川河川敷でも再演されるようになったそうである。

この火祭りの起源は不明だが、既に江戸中期の18世紀には行われていたらしい。
「手力」とは、神社名の「手力雄」神社から来ていることからも分かるように、古事記の、天の岩戸に隠れてしまったアマテラスを引っ張り出したアメノタヂカラオ(天手力雄)に由来するに違いないことから、この火祭りの意味合いは、やはり、他の多くの火祭りと同様、暗い冬から明るい春を呼び出す神事だと考えられる。

既に書いたように、夏に行われる火祭りは、その観光イベント版というわけである。
長良川河川敷はこの祭りを見ようとたくさんの人々がやってきていた。
われわれも、河川敷のコンクリートの階段に陣取って(昼の太陽に照りつけられていたコンクリートはオンドルのように熱かった)、祭りの開始を待った。

IMG_1037.jpg
(夕暮れ時、祭りの開始を待つ)

耳をつんざくような花火の轟きとともに、祭りが始まった。
電飾化されたいくつもの御輿が、列をなして河川敷を練り歩き、神灯を掲げる高い竿の廻りを回り始める。
御輿の担ぎ手足下では、機関銃が炸裂しているように、始終、爆竹が破裂し続ける。
そのうち、御輿の上部からも、火が噴き出す(電飾化だけでなく、御輿には火薬が仕込んであるのだ)。

IMG_1046.jpg
(練り歩く電飾御輿)

いつしか、練り歩く電飾御輿たちは、ご神灯の竿の付近に集結。

IMG_1049.jpg

すると突然、迫撃砲が空気を切り裂くような音がして、神灯をぶら下げてある竿の中央に曳光を引いて花火が着弾し、次々に神灯が点火される。
なるほどと思わせるような仕掛けで、全体としての流れが演劇的で、見ていてとても興奮する。

火祭りのクライマックスは、青年たちが手筒花火を直に手に持って、一斉に炎を噴射させるところである。
長篠の合戦の信長軍の鉄砲隊のように、最前列の者が花火を噴射し、火種が絶えると後ろの列の者が前に出て花火を噴射するという仕掛けである。

IMG_1054.jpg

IMG_1056.jpg

大きな炎の塊が河原を照らし、長良川の川面を照らす。
何だか、夢を見ているような光景だった。

火祭りの興奮に身体も心も火照ったような気分で、われわれは宿に帰り、遅めの夕餉を取ったのであった。


IMG_0997.jpg
ロッジ「あかまんま」の犬を散歩させる呑ちゃん

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本日の走行距離:0キロ
今月の積算走行距離:301キロ
昨年11月以降の積算走行距離:9707キロ
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2008.10.05 Sun 11:08 [ Edit ]

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