日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2008.06.28 Sat
生麦事件を訪ねる
4時半起床。
曇り。
このブログにも書いたことがあるが、私の職場の仲間数名からなる「江戸を歩く会」という同好会がる。
江戸の名残をとどめるような名所旧跡を訪ねては、各所で酒を飲むというただそれだけが目的の他愛ない集まりである。
去年の暮れには、このメンバーで赤穂浪士の討ち入り後の泉岳寺までのルートを歩いてみた。
http://danchotei.blog75.fc2.com/blog-entry-74.html
今日は、幕末の、いわゆる生麦事件の現場および横浜港の歴史を忍ばせる場所を訪ね歩いてみようということになった。

11時に京急生麦駅(神奈川県横浜市鶴見区生麦)に集合ということなのだが、私は例によって自転車(ルイガノTR8)で出かけた。
道順は、実に素直に、6号(水戸街道)→15号(京浜第一)。
途中、きちんと日本橋を渡って東海道に沿って走る。
大事をとって早めに出たのだが、別に何のトラブルもなく、集合時間よりも1時間半も早く生麦駅に到着(所要時間2時間30分)。

所在ないので、15号を数キロ戻ってJR国道駅(鶴見線)に行ってみる。
この駅は、大変に有名らしく、ガイドさん付のグループが何組も来ていた。
駅の名は、まさしく国道(東海道)沿いにあるので、「国道」駅という。

IMG_0666.jpg


駅構内は、レトロなアーケードになっている。

IMG_0668.jpg


IMG_0665.jpg


駅の入口付近で、ガイドさんの声が聞こえたので、私も何喰わぬ顔をして、そのグループに混ざってついていったのだが、ヘルメット姿だったためかうまく溶け込めずに奇異な眼で見られているような気がした。
駅の入口の建物の所に、大戦当時、米軍戦闘機による機銃掃射の弾痕が生々しく残っていた(ガイドさんに言われなければ気づかなかった。ガイドさん、ありがとう!)。

IMG_0667.jpg


駅構内を反対側に抜けると、そこが旧東海道だった。
国道15号とは、ほぼ、平行して走っている。

IMG_0670.jpg


さっそく、この東海道を(大袈裟な言い方だが)「京都方向へ」走ってみることにした。
この街道には、なぜか魚屋が非常に多くて(20軒ぐらいはあったろうか)、わざわざ遠方から魚を買いに来ている人もいたほどである。

IMG_0672.jpg


ほとんど旧街道の縁(よすが)も見当たらない街道をゆっくりと走っていると、突然、「生麦事件発生現場」なるプレートが現れた。

IMG_0674.jpg


何と唐突な!
しかも、このプレートが貼られていたのは、ごく普通の民家の塀で、記念館どころか碑もない(もう少し何とかならないものかなあ・・・)。

ついでに、ここに生麦事件当時の現場の写真があるので、こちらも貼り付けておこう。

0608140013.jpg

(樹の枝の張り方からして、向かって右が南だと推測できるので、江戸方向に向かって撮った写真であろう)

生麦事件。
時は江戸末期の1862年9月。
江戸から京都に向かっていた薩摩藩の大名行列の前に、女性ひとりを含むイギリス人4人が馬で横切った。
以下、事件の詳細は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「生麦事件」の項を引用しておこう。

「・・・薩摩藩士達はイギリス人4人に対し、身振り手振りで下馬し道を譲るように説明したが、イギリス人には意味が通じず、久光の乗る駕籠の近くまで馬を乗り入れてしまう。
 これに怒った奈良原喜左衛門ら一部藩士が斬りかかった。リチャードソンは奈良原に袈裟に斬られて内臓が飛び出るほどの重傷を負った上、逃げる途中で久木村治休にさらに抜き打ちに斬られた。その最期については、現場に遭遇した薩摩藩士海江田信義の証言によると、初太刀を受けて重症を負い逃げていたリチャードソンを追いかけた海江田ら数名の薩摩藩士が、落馬して苦しんでいるリチャードソンの姿を発見し、「もはや助からないであろう」と介錯のつもりで止めをさした、という。のちに、「苦しまない様に介錯をする」という薩摩藩士の心使いが、イギリス側から見れば「苦しんでいる者に手当てをせずに斬り殺した非道な行為」と解釈され、非難されることになった。このように日本とイギリス側の習慣の違いが事件を更に問題化させる事となった・・・」。

何とも後味の悪い事件であるが、結局、これが原因で薩英戦争に発展し、ひいては、幕府の支配力を著しく揺るがせることになる。ある意味では、倒幕運動の引き金になったとも言えよう。

内臓が飛び出るほど深傷を負ったリチャードソン一行は、神奈川に向かって逃げたが、1キロほど走った所でリチャードソンはついに堪えきれずに落馬して動けなくなる。

私も、145年ほど前、リチャードソンが血を流しながら馬で走ったその道を自転車で進んだ。
旧東海道と15号が合流するあたりに、リチャードソンの追悼碑がある。
そこには、ちゃんと石碑が立ち、社も築かれていた。

IMG_0676.jpg


リチャードソンは、この場所で動けなくなり、上記のように、追走してきた薩摩藩士にとどめをさされることになるのだ。
この石碑が建てられた当時の写真も見つかったので、これも貼り付けておこう。

p_03.jpg


こうして、旧街道を自転車で周遊しているうちに、集合時間になったので、生麦駅に向かった。

結局、事前に下見をした私が案内役になって、生麦事件の縁の地を二度も巡るハメになったわけである(一日に二度も行くような場所ではない)。

その後、「江戸を歩く会」は、電車で横浜に出て(私の自転車は生麦駅の駐輪場に停めておいた)、「新聞博物館」や「開港記念館」を訪れたわけだが、疲れてきたので、今日の日記はここまでとしたい。

IMG_0699.jpg


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本日の走行距離:85キロ[ルイガノクロスバイク(京急生麦駅往復)]
今月の積算走行距離:1042キロ
昨年11月以降の積算走行距離:7385キロ
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