日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2014.10.26 Sun
10月26日(日)「荒川知水資料館」の「荒川放水路工事と通水式」展を見にゆく
10月26日(日)「荒川知水資料館」の「荒川放水路工事と通水式」展を見にゆく

「荒川知水資料館」で、「荒川放水路工事と通水式」という展示会(無料)を開催中であることを知り、行ってきた。

本日の実走経路図(岩淵水門~毛長川ルート~水元公園);


水元公園から荒川までは、いつもの抜け道ルート。

荒川CRからは、そのまま正直に上流に遡れば早いのだが、CRは10分も走っていると飽きてしまうので、千住新橋と千住大橋を渡って、隅田川の右岸筋の一般道に出る。

ちょうど腹が減ったので、町屋の「ときわ食堂」で朝食(ニラレバ定食)。
朝の8時過ぎだというのに、他の客のほとんどは、一杯やっていた。
http://tabelog.com/tokyo/A1324/A132401/13080522/

隅田川右岸域の路地や国道122号線を走り、岩淵水門から隅田川に合流する新河岸川の小さいが立派な橋を渡ると、「荒川知水資料館」である。

企画展では、そのタイトルの通り、「江戸川放水路工事と通水式」に関する展示物が多い。
写真は目新しいものはないが、蒸気機関で動く掘削機の部品などは珍しい物かもしれない。

また、10年余に渡る荒川放水路掘削の指揮をとった人物・青山士(当時、内務省官僚)のことは、初めて知った。
青山士(あおやまあきら)は、パナマ運河開削工事に技官として参加(決して「視察」ではない)。
そこで学んだノウハウを、放水路建設に役立てたのである。

その象徴的な存在が、岩淵水門(通称赤水門・大正13年竣工)である。
竣工の前年、関東大震災に見舞われ、通水間近な土手などが崩壊したにもかかわらず、この重厚な水門だけはびくともしなかった。
ただ、この水門、現代の建造物よりははるかに美しいものの、当時としては、そのデザインはあまり良いとは言えないのではなかろうか。

そもそもは、江戸期以来の度重なる水害に備える必要があったが、江戸期の土木技術では限界があった。
明治期になっても、決定的な打開策はなかったが、明治43年(1910年)の堤防決壊による大洪水が引き金になって、放水路建設の大事業が始まったのであった。
産業革命後の日本であったからこそ、放水路建設が完遂できたのかもしれない。

なんだかんだで、資料館や岩淵水門で2時間ぐらいゆっくりする。
釣り人をぼぉっと眺めたり。
ちょっと昼寝したり。

帰りは、荒川CRを走るも、やはり10分もしないうちに飽きてしまったので、毛長川を追いかけながら水元公園へ。
途中、「大鷲神社」(足立区花畑)で休憩(七五三の参拝客多し)。

水元公園を周遊(以前「ハンナリ」でお知り合いになったブロンプトンの人にばったり。20分ぐらい話し込む)した後、柴又界隈の路地や街道の復習をして、買い物(牛乳、豚肉、キャベツ、ペット茶など)をして帰宅。

夕飯は、我が家定番の「キャベツ鍋」を食べる。

走行距離:69キロ(VIVALOロード)

http://6119.teacup.com/danchoimage/bbs/1380
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2014.10.19 Sun
10月19日(日)初秋の印旛サイクリング
10月19日(日)初秋の印旛サイクリング

新たに自転車デビューした女性音楽家のやまびこさん(葛飾区)を「激励」するための、印旛(千葉県北部)サイクリングに参加した。

京成高砂駅まで自走。
高砂駅→千葉ニュータウン駅(北総線・輪行)。

総勢14名(内訳:ロード8、小径車4、リカンベント2)。
性別内訳:男性10、女性4。
里山道の魔術師たる愚兵衛さん(印西市)の見事なる先導案内。

実走経路図。


14人の隊列が、うっとりするような下総の里山道を、走る、走る、走る。

結縁寺(日本の里山百選)→草深(師戸川筋)→栄福寺(茅葺き)→松虫寺。

松虫寺メモ;
「松虫皇女廟」;
松虫寺にあり。寺門の二王端慶の作。本尊七仏薬師如来、行基僧正作。人皇四十五代聖武天帝天平年中の御建立といふ。薬師堂の後の方に松虫皇女の墳(つか)あり。その側(かたわら)に社あり。里人姫宮と称す。松虫姫は聖武天皇第三の皇女(あるいは宮女とも云伝ふ)癩を病みてここに棄てらる。自らかなしみ此薬師仏を祈りて癒ゆうことを得玉ふ。後帝都に還幸して薨じ給ふ。而して後御骨を当山に安置すといひ伝ふ。(岩波文庫版『利根川図志』209頁)

昼食は、名店「まるみや」(千葉県印西市中根)を貸し切り。
http://tabelog.com/chiba/A1203/A120304/12023286/

牡蠣フライと刺身の定食を食べる(1000円弱)。
素晴らしいコストパフォーマンスに驚嘆。

二番穂の出る田圃。
橙色の柿の実。
自転車談議。
下総台地。
赤とんぼ・・・。

白井駅(北総線)でサイクリング終了。
そして、反省会。

高砂駅から自走帰宅。

とびきりに有意義な秋晴れの一日だった(呑ちゃんも頑張る)。

・均ちゃん(行徳)のこの日のブログもご参照。
http://blog.livedoor.jp/liveokubo/archives/52151416.html#more

・ギブさん(市川)のこの日のブログもご参照。
http://blog.livedoor.jp/gibson1798/archives/51786852.html

・やまびこさん(葛飾区)のこの日のブログもご参照。
http://blog.goo.ne.jp/kaba14_11/e/86d993401c90cd4dea4428504ca393b8

・たすけさん(流山)作成のこの日の動画です(10分以上)。
https://www.youtube.com/watch?v=nuHlSfHTCsw&feature=youtu.be

・呑ちゃん(葛飾区)のこの日のブログもご参照。
http://marichandengana.blog80.fc2.com/blog-entry-717.html

走行距離:38キロ(VIVALOロード)

http://6119.teacup.com/danchoimage/bbs/1374

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2014.10.19 Sun
10月12日(日)房総往還~旧道をゆく調査隊
10月12日(日)房総往還~旧道をゆく

輪友Bさん(鎌ヶ谷)の掛け声で、「房総往還」の旧道を木更津から勝山まで、自転車で南進してみようというサイクリング企画に参加した。

どうして「旧道」なのか。
それは自明である。

砂を噛むような現代の幹線道路を、それが高速で走れるという理由だけで走るのは、さすがにご勘弁願いたい。
そういうサイクリングは、面白くもないし、ただただ忍耐力を鍛えるためだけにノルマをこなしているような情けない気分になるからである・・・。

さて、千葉県の人でもあまり聞き慣れないであろう「房総往還」というのは、その名の通り、下総・上総と房州(いずれも千葉県の旧行政区名)を南北に結ぶ街道である。
市川~八幡~中山~船橋~幕張~千葉~蘇我~浜野~五井~木更津~富津~佐貫~金谷~勝山~岩井~館山。

道筋は、時代によって異なるが、簡単に言えば、千葉県の湾岸沿いを南北に通っている街道のこと。
現在では、いずれ無粋な道ながら、国道14号・国道16号・国道127号がその跡目を継いでいるとも言えよう。

この道の歴史は古く、市川(下総国府)と五井(上総国府)を結ぶ古代街道の存在が分かっている。
この下総街道(千葉街道)こそは、当時の「東海道」でもあったことは、これまでにも何回も書いてきたので、ここでは繰り返すまい・・・。

6時前に家を出発。
総武線市川駅まで自走して、7時前の列車で輪行。
千葉駅で内房線に乗り換えて、木更津駅で下車(8時過ぎ)。

■市川 4番線発
|  総武線快速(千葉行) 23.8km
|  06:52-07:13[21分]
|  972円
◇千葉 9番線着・4番線発 [14分待ち]
|  内房線(君津行) 35.1km
|  07:27-08:08[41分]
|   ↓
■木更津

木更津駅で下車して、自転車を組み立てるや、何と後輪がパンクしていることが判明。
思えば、市川駅まで来る途中で、割れたガラス片が散乱する一帯に遭遇して、避けきれずにその上を通ってしまったのが原因かもしれない。

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(駅到着早々、パンク修理をする私・松戸のグフさん撮影)

出発早々、皆さんに迷惑をかけてしまった。
・・・という割には、パンク修理後も、腹が減ったので、私一人だけが、駅前の立ち食い蕎麦(結構ウマかった)を食って、さらにメンバーをお待たせしてしまう。
ゴメンしてけれ~(なぜか東北弁)。

こうして、予定より30分ほど遅く出発。
内訳は、ロード3(クロモリ2+カーボン1)、小径車2の総勢5名。

先ずは、今回の実走ルートを示しておこう。


(房州往還・木更津→勝山)

現国道を我慢して走らなければならない区間もあるが、旧道に入るとうっとりするような里山道。
とはいえ、これこそがかつては、歴とした「(明治)国道」だったのである。

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(国道127号線とほぼ平行して走る旧道)

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(旧道筋に架かっている明治期建造の橋。現在は、少なくとも自転車では通行不能)

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(旧道筋の柿の樹はたわわに実が成っていた)

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(この道が、古い街道であることを示す、江戸期の馬頭観音の石碑・右)

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(長閑な田舎道だが、ここはもしかしたら、江戸期以来の房総往還だった所。農作業中のお婆さんの話によると、昔は「殿様」の行列が通ったというから、参勤交代の道筋だったのかもしれない)

圧巻だったのは随所にある見上げるような切り通し。
そして、明治から昭和中期までに築かれた隧道(トンネル)。
たとえば、小山野隧道(1936年)(地図)。

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(小山野隧道)

その先には、帝国海軍の地下要塞が築かれた丘陵を、まるで、巨大な鉈(なた)で両断したかのような壮大な切り通しが現れる(地図)。
両側に聳える切り立った崖の間を通る際は、そこはかとない圧迫感を覚えるほどである。
これを見れば、さしもの鎌倉の切り通しも、青ざめるに違いない。

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(切り通し)

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(切り通しのある一帯の地下には、縦横に掘られた海軍の地下要塞が眠っているが、その入り口は封鎖されている)

その後、国道127号から県道256号へ。
新舞子海水浴場から上総湊の崖上の旧道へ。
「住吉神社」脇を通る道が、これがまた面白かった(地図)。

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(「住吉神社」の脇に掘削された切り通し)

せいぜい高さ3メートルぐらいの小山に穿たれたこの切り通しは、たぶん、明治中期以降のもので、現在でも、正式な道として、軽自動車ぐらいなら難なく通ることができる。

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(切り通しを抜けた先の道)

しかし、さらに面白いのは、その横のやや高いところに、もっと昔に穿たれたと思える1メートルぐらいの切り通しがあって、これはもしかしたら、江戸期か明治初期以前のものと思われる。

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(もっと古い時代の小さな切り通し)

既に廃道と化しているが、その古い方の切り通しにつながる道の痕跡らしきものも発見した。

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(廃道となった古道跡)

そして、その小さな切り通しの傍らに、海を遥けく望むことのできる「住吉神社」(創建年代は不明なるもかなり古いお社だと見た)が鎮座する。
巨岩を御神体にしたその神社は、浦賀水道の海原を見晴らかすそうに建造されている。
海の向こうから何ものかが到来するのを持ち受けているかのようである。

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(住吉神社」)

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(住吉神社の御神体たる巨岩)

常々思うことだが、道といい、町並みといい、昔のそれは、現代のものに較べて、はるかに美しく風格がある。
旧道を辿って、各地を自転車で走っていると、世に言う「進歩」とは何なのか考えさせられることが多い。
近代以降の道や町並みは、私に言わせれば、長足なる「退歩」だとしか思えない・・・。

国道127号に出て、昼飯とする。
国道沿いの人気ラーメン屋「鈴屋」へ。
http://tabelog.com/chiba/A1206/A120603/12005369/

幸運なことに、大人気店ながら、ほとんど並ばずに入店。
ワイルドな醤油味のチャーシュー麺(850円)を食べる。
分厚いチャーシューと醤油っぽいスープが特徴。
食いで十分だが、ちょっとくどい気がした。

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(「鈴屋」の店内・メニューあり)

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(チャーシュー麺・850円)

国道127号をやや南進して、旧道筋にある「梅の屋」を通り過ぎてしばらく行った所を左に入る。
すると、内房線の線路にぶつかって、道は消滅するが、自転車を担いで線路を越えると、その向こうに未舗装路の細道(旧道)が続く(写真地図)。

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(内房線の線路を自転車を担いで越えると、未舗装路の旧道が続く)

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(その途中には、こんな穴があった。たぶん、防空壕だと思われるが、普段から、「穴があったら入りたい」と言っていたBさんは、皆の制止を振り切って入り込んでしまった)

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(その道の先には、舗装された急坂が見えてくる)

自転車を押しながら進むと、舗装路の急坂が現れる。
そして、その短い坂を登り切ると、誰しもが感嘆の声を上げることになる。
手彫りの丸トンネル(北側)と、切り通し風な矩形のトンネル(西側)が、それこそ、忽然と出現する感じである(地図)。

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(丸トンネル)

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(矩形のトンネル)

これら二つのトンネルが出会うあたりは、3辻が交わる平場になっている。

北側の丸トンネルを通って反対側に出ると、現・国道127号線(城山隧道付近)が見える。
国道から50メートルぐらいのアプローチを通れば、直接にこの丸トンネルに入ることができる。
丸トンネルの国道側の入り口には、「灯籠坂大師入口」という古めかしいが立派な石標(昭和21年)が立っている。

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(丸トンネルの国道側の「灯籠坂大師入口」の石標)

「灯籠坂大師」については後で触れるが、われわれが通ってきたルート以外に、現・国道127号線側にも、もう一本の旧道が存在したことになりそうだが、その真偽や時代については不明。

さて、西側の矩形のトンネルだが、これが実に不思議な形状をしていて、切り通しと隧道(トンネル)の中間タイプとでも言おうか。
入口から離れて見ると狭いように見えるが、入って行ってみると、結構大きな空間が広がっている(道幅4M・高さ8Mぐらいか)。

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(矩形のトンネル正面)

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(矩形のトンネル正面)

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(矩形のトンネル内部)

バームクーヘンのように地層が鮮明な横縞をなすそのトンネルを抜けると、「灯籠坂大師」の登り口に出る。

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(矩形のトンネルの反対側に抜ける・Bさん撮影)

「灯籠坂大師」。
大師という名が付く以上、弘法大師が開いたことになるのだろうか。
とすれば、かなり古いことになるが、詳細は不明。

矩形のトンネルを抜けると、見上げるような細い石段がある。
せっかくなので、自転車を停めて、お参りをすることにしよう。

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(大師への石段を登る一行)

灯籠の並ぶコンクリートの石段を登り切ると、大師の本堂が現れる。
ここからの景色はなかなかなものである。

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(灯籠坂大師・見晴らしが良い)

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(海の方へと下っていく沢の景色)

しかしながら、この本堂の上にさらに岩盤を穿って作った石段がついており、山の上の方まで行けるようになっていることが分かったので、登ってみることにした。

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(さらに上に登る石段)

この石段少し登ると、小さな切り通しがぽっかりと口を開いているではないか。

IMG_0259_20141023092116ffc.jpg
(小さな切り通し)

その切り通しを抜けると山肌に岨道(そばみち)が続いていた。
かなり藪が迫っている所もあるものの、これは明らかに、いつの頃か、人工的に造営された道である。
しかも、所々に、江戸以前のものとみられる石像などが安置されている。
なるほど、この道こそ、先ほど抜けてきた切り通しトンネルが掘削される以前の古い峠道にちがいない。

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(切り通しを抜けると、さらにその先に道がついていた)

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(山の中の古道)

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(山の中の古道)

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(古道の路傍に安置されていた古い石像)

ということは、どうも、このたかだか標高60メートルほどの丘陵には、少なくとも、歴史的には4つの街道が存在したことが推測できる。

1.一番古いのは、線路を跨ぐ道から、まだ手掘りトンネルができる以前だったので、「灯籠坂大師」の峠越えのルート(江戸時代以前)
2.われわれが線路を跨いで進んだ道から矩形トンネルを抜けるルート(たぶん、明治中期頃か)。
3.現国道127号線とほぼ同じ道筋を取りながら、山の手前で丸トンネルと矩形トンネルを抜けるルート(内房線の上総湊駅 - 浜金谷駅間が開通したのが大正5年であったことなどから大まかに推測するに、明治末期から大正期か)。
4.そして、一番新しい現国道127号線(昭和)。因みに、この国道の一部たる城山隧道(富津市竹岡)の竣工は戦時中の昭和18年。

こう考えると、矩形トンネルの方が、丸トンネルよりも古いことになるが、その矩形トンネルも、最初は小さなものだったのが時代を経るに連れて、馬車やクルマが通れるように、上下左右に掘り増ししたようである。
因みに、3のルートは、現在でも軽自動車ぐらいなら通行可能である。

さて、その後、国道127号線を南進して(所々、短い旧道を辿る)、明鐘岬へ。
明鐘岬については、前稿に詳述したので、ご参照のこと。
http://danchotei.blog75.fc2.com/blog-entry-794.html

ただ、明鐘岬へ行く途中も、旧道探索を怠ったわけではなく、旧道と思われる枝道にも挑んでみたが、もはや廃道になっていて、自転車ではとても進めない場所に突き当たって諦めて国道に引き返したりもした。

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(廃道を探索)

お陰で、こんな素晴らしい場所を見つけることができた(地図)。

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そうこうして、明鐘岬に辿り着いたわれわれだが、今回は、たぶん、明治中期以降の旧道と思われる藪道の「踏破」に挑戦してみることにした(クルマでこの場所に向かっているはずの、越谷のネバさんの姿は見えず)。

Bさんが、先ず、その藪道に決死の斥候に出る(地図)。

「どんな具合ですか?」と私。
「行けます!」とBさん。
「・・・じゃあ、行きましょう」と私。
他のメンバー、無言。

せっかくなので、とにかく行ってみることにした。
藪は背丈を越え、自転車を「押し」ながら進むことすらできなかったので、自転車を持ち上げながら進んだ。

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(藪道と化した旧道入口・左に見える絶壁は鋸山の突端)

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(藪道と化した旧道をこんな感じで進む1)

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(藪道と化した旧道をこんな感じで進む2)

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(前途に呆然として佇む船橋の居間さん)

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(振り返れば、松戸のグフさんの笑顔)

こんな感じで、30メーターほど進んだところで、先導のBさんから「ダメだこりゃ」との一声。
仕方なく、われわれは退却することにした。

Bさんによると、藪が深すぎるばかりではなく、巨岩が道を塞いでいて、とても進めるものではないという。
おそらく、その巨岩は、2011年3月の大地震で、鋸山の絶壁から崩れ落ちたものであろう。
一つの道の「盛衰」を見る思いであった。
われわれは、この素晴らしい企図を、泣く泣く(或いは、喜んで)断念することにした。

こうして、われわれは、国道127号線と浜金谷や保田の浜道をさらに南下したのだが、その途中、気になるところがあってペダルを止める。

前稿で、広重が描いた江戸期の「街道」だと思われる場所を遠くから眺めることができた。

富士三十六景 房州保田海岸
(広重が江戸後期に描いた絵)

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(その絵の場所だと思われる岩場)

そして、当初の目的地である安房勝山に到着したのだが、旅の〆に、「大黒山」(通称、勝山城跡)に登ろうとBさんが提案。
一同は、しぶしぶ喜んで賛成。

「大黒山」は、標高約100メートルで、源頼朝伝説などもあるが、詳細は不明。
麓に自転車を置いて、みんなでえっちらおっちら登る。
苦労して登った甲斐あって、かなりの絶景である。

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(今日は階段上りが多いな・・・)

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(さらに、頂上の天守閣風な展望台に登る)

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(そこからの眺め)

こうして、われわれは、サイクリングを終了して、夕飯を食べるべく、店を探して、勝山の町を走り回る。
魚屋のオヤジなどにも聞いてみるが、時間が早すぎて、どこもまだ開店していない。

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(勝山の魚屋に「聞き込み」をするBさん)

結局、勝山は諦めて、保田まで道を戻る(保田の抜け道でやっとネバさんと邂逅)。
保田駅近くに、おあつらえ向きの寿司屋を発見してそこに入店。
しっかりと、夕食(&反省会)を楽しむ(Bさんのカメラ紛失事件などあったが、即、解決)。
地魚がうまい店で、一同、大満足。

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(カワハギの肝合え。絶品)

店から駅までは50メートルぐらい。
駅前で自転車をバラして輪行。

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(夕闇の保田駅)

鉄道に乗り込むや、私は疲れ果てて爆睡。
その様子を、江東区のイワさんが撮影していた。

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(車中で爆睡中の私・イワさん撮影)

市川駅で降りて、自走で帰宅。
とても疲れたが、これまででも屈指の素晴らしいサイクリングだった。

・Bさん(鎌ヶ谷)のこの日のブログもご参照。
http://blog.livedoor.jp/kyf01405/archives/41336262.html
・nebanebaさん(越谷)のこの日のブログもご参照。
http://nebanebawh.blog75.fc2.com/blog-entry-1728.html

走行距離:74キロ(VIVALOロード)

テーマ:千葉県 - ジャンル:地域情報
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2014.10.18 Sat

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2014.10.08 Wed
10月8日(水) 自転車通勤~不味いけど入ってしまう定食屋・あんまり電波塔が高いので
10月8日(水) 自転車通勤~不味いけど入ってしまう定食屋・あんまり電波塔が高いので

6時前に出発。
半袖の上に長袖のジャージを着る。
寒くなってくると、朝焼けの橙色が濃くなってくる。

隅田川堤で、おにぎりの朝食。

四ッ谷より西に行くと、自転車乗りのマナーが悪い。
逆走、ノーヘル、無謀な信号無視など。
東京における自転車のモラルは、明らかに、西低東高である。

業務。
休む暇もないほど忙しい。
昼食は、サンドイッチを囓る間も惜しい。
10年ほど前から職場の「ゆとり」が少しずつ失われ、忙しくするのが「善」であるという倒錯した雰囲気が出来上がってしまったようである。
元凶は、文科省にあることは分かっていても、金(補助金)のためなら、何でもやります、贅沢は言いません・・・。
いったいどこまで行ってしまうのか、この悪弊。

暗くなって業務終了。
秋の静寂にホッとした気分で自転車に跨がるが、地獄の新宿によって、現実に揺り戻される。

飢餓状態で、新宿の定食屋(水道道路沿い)に飛び込む。
生姜焼き定食を食べる。
普通の店の二倍はある。
あまりウマくはないが、入ってしまう。
もう来ないようにしようと何回思ったか。
でも、すぐに忘れて来てしまう。
本当は、好きなのかもしれない。
そういうことがあるものだ。

隅田川まで来ると、橋という橋に沢山の人が出て、空を見上げている。
何だよ、今更、スカイツリーでもあるまいにと思って、自転車を停めて、うかがってみると、月蝕を眺めているのであった。
私も、自転車から降りて、月蝕を鑑賞する。

自分の視力が弱い上に、東京の街は月を見るには、空気が汚れすぎていて、しかも、街の灯が明るすぎるので、月の姿形は、あまり鮮明には見えない。
それでも、いくつかの橋の上から、安物カメラで撮影してみる。

私としては、枕橋からの月が美しく思えた。
下界を睥睨する業平橋の新電波塔に圧倒されるように、ちょこんとその傍らに、太古と変わらぬ姿を保ちながら佇んでいる月。
♪あんま~り 電波塔が高いので~♪と、炭坑節のメロディを口ずさんでみたりする。

隅田川、荒川、中川。
視界が開ける川筋には、月を眺める人が多く出ていた。

昔の日本人は、よく月を眺めていたものだが、無粋な現代人がこれほどまでに月を熱心に眺めるのは珍しいことではなかろうか。

走行距離:61キロ(ACクロス)

http://6119.teacup.com/danchoimage/bbs/1366

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