日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
映画の日々 | エッセイ | 思い出 | 身辺雑記 | 日録 |  | 自転車 |  | 小さな旅(自転車) | 小さな旅 | 旅(自転車) | 未分類 | 自転車文学 | 
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
断腸亭日録~自転車日記
≪2012.03  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  2012.05≫
プロフィール

higedancho

Author:higedancho
断腸亭髭爺です。
自転車関係の日記が多いです。
よろしく。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
ブロとも申請フォーム
フリーエリア
ブロとも一覧
「 2012年04月 」 の記事一覧
--.--.-- --
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告    Top↑

2012.04.30 Mon
荷風にならいて~真間川を下る
以下、写真及びそのキャプションと註は、私によるものであるあるが、地の文は、すべて、永井荷風が1947(昭和22)年に「葛飾土産」(『永井荷風随筆集(上)』(岩波文庫・275~281頁所収)として執筆したものである。

-------------------

千葉街道(註:国道14号線)の道端に茂っている八幡不知の藪(註:八幡の藪知らず)の前をあるいて行くと、やがて道をよこぎる一条の細流に出会う。

IMG_0142_20120429161841.jpg
(八幡不知の藪)

IMG_0143_20120429161953.jpg
(八幡不知の藪の説明板)

両側の土手には草の中に野菊や露草がその時節には花をさかせている。流の幅は二間くらいはあるであろう。通る人に川の名をきいて見たがわからなかった。しかし真間川(ままがわ)の流の末だということだけは知ることができた。

藪知らず
(江戸期の「八幡不知の藪」界隈。赤丸が「八幡不知の藪」。青丸が「「一条の細流」。黄丸が「葛飾八幡」。黒線が千葉街道=国道14号線)

IMG_0146_20120429162322.jpg
(かつてはその両岸に「野菊や露草がその時節には花をさかせて」いた「一条の細流」跡)

IMG_0144_20120429162240.jpg
(「一条の細流」跡。現在は暗渠になってしまっている)

真間川はむかしの書物には継川ともしるされている。手児奈(てこな)という村の乙女の伝説から今もってその名は人から忘れられていない。

市川の町に来てから折々の散歩に、わたくしは図らず江戸川の水が国府台の麓の水門から導かれて、深く町中に流込んでいるのを見た。それ以来、この流のいずこを過ぎて、いずこに行くものか、その道筋を見きわめたい心になっていた。

IMG_0123_20120429180927.jpg
(江戸川の水門から真間川が始まる・地図

IMG_0122_20120429181201.jpg
(江戸川堤から真間川を眺める)

これは子供の時から覚え初めた奇癖である。何処ということなく、道を歩いてふと小流れに会えば、何のわけとも知らずその源委(げんい)がたずねて見たくなるのだ。来年は七十だというのにこの癖はまだ消え去らず、事に会えば忽ち再発するらしい。雀百まで躍るとかいう諺も思合されて笑うべきかぎりである。
 
かつて東京にいたころ、市内の細流溝渠について知るところの多かったのも、けだしこの習癖のためであろう。これを例すれば植物園門前の細流を見てその源を巣鴨に探り、関口の滝を見ては遠きをいとわず中野を過ぎて井の頭の池に至り、また王子音無川の流の末をたずねては、根岸の藍染川から浅草の山谷堀まで歩みつづけたような事がある。しかしそれはいずれも三十前後の時の戯れで、当時の記憶も今は覚束(おぼつか)なく、ここに識す地名にも誤謬がなければ幸である。
 
真間川の水は堤の下を低く流れて、弘法寺の岡の麓、手児奈の宮のあるあたりに至ると、数町にわたってその堤の上に桜の樹が列植されている。その古幹と樹姿とを見て考えると、真間の桜の樹齢は明治三十年頃われわれが隅田堤に見た桜と同じくらいかと思われる。空襲の頻々たるころ、この老桜が纔(わずか)に災を免れて、年々香雲靉靆(あいたい)として戦争中人を慰めていたことを思えば、また無量の感に打れざるを得ない。しかしこの桜もまた隅田堤のそれと同じく、やがては老い朽ちて薪となることを免れまい。戦敗の世は人挙(こぞ)って米の価を議するにいそがしく、花を保護する暇がないであろう。

IMG_0125_20120429181409.jpg
(真間川に架かる橋から「弘法寺の岡」方向を眺める)

IMG_0128_20120429181633.jpg
弘法寺へ登る石段)

IMG_0127_20120429181931.jpg
(遠景に桜並木が現れる。「手児奈の宮のあるあたりに至ると、数町にわたってその堤の上に桜の樹が列植されている」)

IMG_0140_20120429183923.jpg
(もっと下流には、素晴らしい桜並木が健在である)

IMG_0135_20120430044505.jpg
(真間川の桜並木)

真間の町は東に行くに従って人家は少く松林が多くなり、地勢は次第に卑湿となるにつれて田と畠とがつづきはじめる。丘阜(きゅうふ)に接するあたりの村は諏訪田とよばれ、町に近いあたりは菅野と呼ばれている。真間川の水は菅野から諏訪田につづく水田の間を流れるようになると、ここに初て夏は河骨(こうほね)、秋には蘆(あし)の花を見る全くの野川になっている。堤の上を歩むものも鍬か草籠をかついだ人ばかり。朽ちた丸木橋の下では手拭を冠った女たちがその時々の野菜を洗って車に積んでいる。たまには人が釣をしている。稲の播かれるころには殊に多く白鷺が群をなして、耕された田の中を歩いている。

IMG_0131_20120429182145.jpg
(だが、場所によっては、殺風景な現在の真間川。「河骨」や「蘆の花」も、「鍬か草籠をかついだ人」も、野菜を洗っている「拭を冠った女たち」も、群をなしている「多く白鷺」も、田畑もない)

一時(ひとしきり)、わたくしの仮寓していた家の裏庭からは竹垣一重を隔て、松の林の間から諏訪田の水田を一目に見渡す。朝夕わたくしはその眺望をよろこび見るのみならず、時を定めず杖をひくことにしている。桃や梨を栽培した畠の藪垣、羊の草をはんでいる道のほとり。いずこもわたくしの腰を休めて、時には書を読む処にならざるはない。

IMG_0150_20120430041107.jpg
(有名な市川の黒松)

IMG_0435_20120430042555.jpg
(真間川沿いの黒松)

真間川の水は絶えず東へ東へと流れ、八幡から宮久保という村へとつづくやや広い道路(註:県道51号線)を貫くと、やがて中山の方から流れてくる水(註:大柏川)と合して、この辺では珍しいほど堅固に見える石づくりの堰に遮られて、雨の降って来るような水音を立てている(註:地図)。なお行くことしばらくにして川の流れは京成電車の線路をよこぎるに際して、橋と松林と小商(こあきな)いする人家との配置によって水彩画様の風景をつくっている。

IMG_0137_20120430041543.jpg
(真間川が「八幡から宮久保という村へとつづくやや広い道路を貫く」あたり。宮久保橋・地図

IMG_0138_20120430044620.jpg
(「宮久保村」へと続く幹線道。宮久保橋より)

IMG_0443_20120430044914.jpg
(「中山の方から流れてくる水」と合するあたりからやや下流の橋。八方橋・地図

IMG_0446_20120430050516.jpg
(「川の流れは京成電車の線路をよこぎる」)
 
或日試みた千葉街道の散策に、わたくしは偶然この水の流れに出会ってから、生来好奇の癖はまたしてもその行衛(ゆくえ)とその沿岸の風景とを究めずにはいられないような心持にならせた。
 
流は千葉街道からしきりと東南の方へ迂回して、両岸とも貧しげな人家の散在した陋巷(ろうこう)を過ぎ、省線電車(註:現JR線)の線路をよこぎると、ここに再び田と畠との間を流れる美しい野川になる。しかしその眺望のひろびろしたことは、わたくしが朝夕その仮寓から見る諏訪田の景色のようなものではない。

IMG_0447_20120430050643.jpg
(遠景に見える橋・境橋が「千葉街道(=国道14号線)」・地図

IMG_0450.jpg
(境橋・「千葉街道(=国道14号線)」)

IMG_0448_20120430051036.jpg
(「千葉街道(=国道14号線)」を渡る)

IMG_0449_20120430051144.jpg
(「千葉街道(=国道14号線)」を渡ると、さらに川筋の道が続く)

IMG_0451_20120430051452.jpg
(「省線電車(註:現JR線)の線路をよこぎる」)

水田は低く平に、雲の動く空のはずれまで遮るものなくひろがっている。遥に樹林と人家とが村の形をなして水田のはずれに横たわっているあたりに、灰色の塔の如きものの立っているのが見える。江戸川の水勢を軟らげ暴漲(ぼうちょう)の虞(おそれ)なからしむる放水路の関門(註:「江戸川水門」のこと)であることは、その傍まで行って見なくとも、その形がその事を知らせている。
 
水の流れは水田の唯中を殆ど省線の鉄路と方向を同じくして東へ東へと流れて行く。遠くに見えた放水路の関門は忽ち眼界を去り、農家の低い屋根と高からぬ樹林の途絶えようとしてはまた続いて行くさまは、やがて海辺に近く一条の道路の走っていることを知らせている。畦道をその方に歩いて行く人影のいつか豆ほどに小さくなり、折々飛立つ白鷺の忽ち見えなくなることから考えて、近いようでも海まではかなりの距離があるらしい。

IMG_0452_20120430054706.jpg
(かつてこの一帯は、田圃が広がっていたが、現在は殺風景な住宅街である)

これは堤防の上を歩みながら見る右側の眺望であるが、左側を見れば遠く小工場の建物と烟突のちらばらに立っている間々を、省線の列車が走り、松林と人家とは後方の空を限る高地と共に、船橋の方へとつづいている。高地の下の人家の或処は立て込んだり、或処は少しくまばらになったりしているのは、一ツの町が村になったり再び町になったりすることを知らしているのである。初に見た時、やや遠く雲をついて高地の空に聳えていた無線電信の鉄柱(註:おそらく船橋市行田の「海軍無線電信所船橋送信所」のこと)が、わたくしの歩みを進めるにつれて次第に近く望まれるようになった。玩具のように小さく見える列車が突然駐って、また走り出すのと、そのあたりの人家の殊に込み合っている様子とで、それは中山の駅(註:JR「下総中山駅」)であろうと思われた。
 
水はこの辺に至って、また少しく曲りやや南らしい方向へと流れて行く。今まで掛けてある橋は三、四カ処もあったらしいが、いずれも古びた木橋で、中には板一枚しかわたしてないものもあった。然るにわたくしは突然セメントで築き上げた、しかも欄干さえついているものに行き会ったので、驚いて見れば「やなぎばし」としてあった。真直に中山の町の方から来る道路があって、轍の跡が深く掘り込まれている。子供の手を引いて歩いてくる女連の着物の色と、子供の持っている赤い風船の色とが、冬枯した荒凉たる水田の中に著しく目立って綺麗に見える。小春の日和をよろこび法華経寺へお参りした人たちが柳橋を目あてに、右手に近く見える村の方へと帰って行くのであろう。

IMG_0457_20120430062212.jpg
(前方の橋が「やなぎばし」・地図

IMG_0458_20120430062357.jpg
(現在の「やなぎばし」)

中山法華経寺
(江戸期の中山法華経寺。北向き。「小春の日和をよろこび法華経寺へお参りした人たちが柳橋を目あてに、右手に近く見える村の方へと帰って行くのであろう」)

流の幅は大分ひろく、田舟の朽ちたまま浮んでいるのも二、三艘に及んでいる。一際こんもりと生茂った林の間から寺(註:「妙行寺」)の大きな屋根と納骨堂らしい二層の塔が聳えている。水のながれはやがて西東に走る一条の道路に出てここに再び橋がかけられている。道の両側には生垣をめぐらし倉庫をかまえた農家が立並び、堤には桟橋が掛けられ、小舟が幾艘も繋がれている。

IMG_0461_20120430063156.jpg
(「妙行寺」遠景)

IMG_0464_20120430063345.jpg
(「妙行寺」の「二層の納骨堂」。「一際こんもりと生茂った林の間から寺の大きな屋根と納骨堂らしい二層の塔が聳えている」)

遥に水の行衛を眺めると、来路と同じく水田がひろがっているが、目を遮るものは空のはずれを行く雲より外には何物もない。卑湿の地もほどなく尽きて泥海になるらしいことが、幹を斜にした樹木の姿や、吹きつける風の肌ざわりで推察せられる。
 
たどりたどって尋ねて来た真間川の果ももう遠くはあるまい。
 
鶏の歩いている村の道を、二、三人物食いながら来かかる子供を見て、わたくしは土地の名と海の遠さとを尋ねた。
海まではまだなかなかあるそうである。そしてここは原木(ばらき)といい、あのお寺は妙行寺と呼ばれることを教えられた。

IMG_0469_20120430063648.jpg
(「妙行寺」山門)

IMG_0475_20120430063756.jpg
(「妙行寺」本堂)

IMG_0465_20120430063902.jpg
(「妙行寺」本堂の彫刻は素晴らしい。柴又帝釈天のそれに匹敵す)

寺の太鼓が鳴り出した。初冬の日はもう斜である。
 
わたくしは遂に海を見ず、その日は腑甲斐(ふがい)なく踵(きびす)をかえした。

IMG_0476_20120430064029.jpg
(私も、「腑甲斐なく踵をかえし」て、家路についたのだった。江戸川放水路の「新行徳橋」付近)

-------------------
経路地図;



スポンサーサイト

テーマ:旅先での風景 - ジャンル:旅行
小さな旅(自転車)    Comment(6)   TrackBack(0)   Top↑

2012.04.28 Sat
移りゆく季節を走る~この2週間のサイクリング備忘録1
生来、ものぐさ三年寝太郎気質にて、またまた二週間ばかりの記録が滞ってしまった。

この間、季節は桜から新緑へと変転せり。
以下、過去2週間のサイクリングのことなどを簡潔に振り返っておくことにしよう。

4月15日(日)
チーム東葛たすけさん主催の「真岡鐵道SL撮影ポタと、五行川CRの桜並木サイクリングに参加(ACロードバイク)。

取手駅まで自走(葛飾橋→新坂川→大堀川→手賀沼→県道8号線→国道6号線→大利根橋)。

IMG_0160_20120428080034.jpg
(久々に大利根橋=国道6号線を渡る)

取手駅から関東鉄道常総線にて「下館駅」まで輪行。

IMG_0182_20120428050208.jpg
(関東鉄道常総線で輪行。長閑な2両列車)

IMG_0170_20120428050341.jpg
(車内では車窓の撮影など、子供のように大はしゃぎ)

下館駅で下車。
自転車を組み立て、向かい風の中、勤行川の桜並木土手をずんずん北上。

IMG_0187_20120428051457.jpg
(勤行川の桜堤)

そしていよいよ、真岡鉄道・寺内駅で待機して、蒸気機関車を撮影。

IMG_0201_20120428064322.jpg
(銚子電鉄並みに長閑な真岡鉄道・寺内駅前)

IMG_0195_20120428060418.jpg
(真岡鉄道・寺内駅に迫り来る蒸気機関車)

石炭のにおいが懐かしい。
汽笛の音が、遠い記憶を呼び起こす・・・。

蒸気機関車の記憶は、案外、いくつかの童謡が、その動態をよく伝えている。

♪お山の中行く 汽車ぽっぽ
♪ぽっぽ ぽっぽ 黒い煙を出し
♪しゅしゅしゅしゅ 白い湯気ふいて
♪機関車と機関車が 前引き 後押し
♪なんだ坂 こんな坂
♪なんだ坂 こんな坂
♪トンネル鉄橋 ぽっぽ ぽっぽ
♪トンネル鉄橋 しゅしゅしゅしゅ
♪トンネル鉄橋 トンネル鉄橋
♪トンネル トンネル
♪トン トン トンと のぼり行く
(作詞作曲:本居長世「汽車ぽっぽ」より)

IMG_0198_20120428060712.jpg
(煙を吐きながら、桜花に目もくれず走り去る蒸気機関車)

その後、小貝川沿いを南下する。

IMG_0206_20120428064828.jpg
(途中休憩。居並ぶ自転車たち)

そして辿り着きたるは、蕎麦屋の「萬吉禎」(茨城県筑西市井出蛯沢)。
古農家を改造したお店で、長屋門も庭も風情がある。

IMG_0212_20120428070101.jpg
(「萬吉禎」の長屋門)

IMG_0216_20120428070222.jpg
(「萬吉禎」の庭と母屋)

IMG_0220_20120428070408.jpg
(「萬吉禎」の母屋室内)

IMG_0223_20120428070501.jpg
(「萬吉禎」の料理。これ以外に蕎麦が付いてくる)

目も鼻も五臓六腑も満足したわれわれは、さらに小貝川を南下する。
筑波の峰からは、蟻の行列のようなわれわれが見えたにちがいない。
また、われわれの方からも、変幻する筑波の山容を望むことができた。

IMG_0225_20120428071435.jpg
(桜に筑波)

IMG_0226_20120428071554.jpg
(菜の花に筑波)

こうしてわれわれは、向かい風の中、たすけさんの楽しくも確実な先導で、下妻駅に到着。

IMG_0233_20120428071715.jpg
(関東鉄道常総線・下妻駅。発車時刻の迫る中、輪行の準備をする)

私は、常総線→常磐線を乗り継いで、松戸駅まで輪行。
松戸駅から自転車に乗って帰宅。

お土産に買った石下の「くろさわ」の焼き鶏が、リュックの中でいつまでも暖かかった。

この日の走行距離:105キロ

4月20日(金)
ハンス・ホールベック再訪~「布施街道」のことなど

1週間ほど前に行った守谷(茨城県)の「ハンス・ホールベック」で昼食を取りたかったのと、呑ちゃんが自家製ピクルスを作るので具材となる野菜類の買いだし(「かしわで」)をしたかったので、この日も、朝から北方に向かって走る(ACロードバイク)。

道筋は前回とほぼ同じだが、今回は、経路を多少とも研究してみた。
結局、水元からだと、葛飾橋を渡って、新坂川沿いを北上して豊四季を抜け、大堀川に取り付いた後は、新利根大橋まで、次のようなルートを行くのが、距離の短さと快適さの双方が理想的な交点を結ぶようである。
以下は、その大堀川から新利根大橋までの経路図。



ついでだが、上掲地図上の「布施入口」(地図)から利根川河岸(「七里ヶ渡し跡」)までの経路は、旧水戸街道の脇往還たる「布施街道」に当たる。
布施街道」は、水戸街道の根戸から分岐して、土浦付近で水戸街道と再合流する。
この道は、実に、流山を追われた新撰組(土方歳三など)が宇都宮を目指した道でもある。

布施街道」の「布施」は、もちろん、「布施弁天」に由来するが、土方歳三らが一時的に陣を構えたのも、この「布施弁天・東海寺」であった。

今日は、時間合わせのためもあって、この「布施弁天・東海寺」に寄ってみることにした。

IMG_0275_20120428134828.jpg
(「布施弁天・東海寺」の山門)

山門に通じる階段を登り切って、境内に入り、あたりを見回せば、何故に新撰組一党がここに仮の陣を築きたくなったかがよく分かろうというもの。

IMG_0278_20120428135757.jpg
(「布施弁天・東海寺」境内。鐘楼の造作が個性的)

IMG_0279_20120428135517.jpg
(「布施弁天・東海寺」から東方向を望む)

この寺は、利根川河川敷を見下ろす舌状台地の突端に造営されている。
おそらく、古来、城を築くに絶好の立地であったにちがいない。
水運の要である利根川が一望に見渡せるし、渡し場も掌握できるだろう。

布施弁天・東海寺」一帯は、胸のすくような爽快な地勢で、自分がそこに居ること自体が、何というか、とても気持ちがよい。
また、面白くも何ともない新道の県道47号線に較べて、旧道(=布施街道)は、その旧道らしい、いかにも官能的なくねり方といい、古風を保った長屋門を備えた農家や路傍に佇む石像群といい、日光付近の例幣使街道沿いのように、間違いなく、この先に「何か」があるという期待を抱かせる道で、自転車で走っていてもわくわくしてくる「快道」でもある。
この道は、私の中では、紛れもなく、街道100選に入るものである。

寄り道が長くなったが、こうして私は、開店時間ちょうどに「ハンス・ホールベック」に到着した。

IMG_0284_20120429074547.jpg
(「ハンス・ホールベック」)

IMG_0289_20120429074752.jpg
(「ハンス・ホールベック」ではガーリックペッパーステーキ定食を食べる)

その後、「かしわで」に寄って、野菜類を買って、流山橋→大場川経由で帰宅したのであった。

走行距離:70キロ

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
小さな旅(自転車)    Comment(4)   TrackBack(0)   Top↑

2012.04.14 Sat
葛飾区の旧佐倉街道を走る~「絵図から見たいちかわ展」
市川歴史博物館」で、特別企画として開催中の「絵図から見たいちかわ」展(江戸明治期の市川絵図・地図資料を展示)を見に行くことにした。

IMG_0151_20120414111123.jpg
(「絵図から見たいちかわ」展のポスター。5月27日まで。入館料無料)

水元から「市川歴史博物館」(市川市堀之内)に行くには、葛飾橋を渡って、松戸を南東へと抜けるのが一番近いのだが、この日は、せっかく市川まで出るのだから、かねてより気になっていた葛飾区内の「旧・佐倉街道を辿ってみたくて、ちょっと大回りをすることにした。

江戸期以降、日本橋から東北方向に走っている街道としては、もちろん、奥州街道がいわば「本道」だが、千住宿で水戸街道が分岐する(さらに、宇都宮で日光街道が分岐)。
その水戸街道だが、亀有宿で中川を渡ってから、新宿(にいじゅく・葛飾区)で、さらに佐倉街道帝釈道が分岐する。
その分岐点は、現在の「中川大橋東」(国道6号線・地図)の交差点付近である。

IMG_0255_20120419203633.jpg
(旧水戸街道沿いに建っている「帝釈道」の道標。明治30年建立)

佐倉街道は、そもそもは、将軍を含めた幕府の要人や大名(参勤交代など)が江戸佐倉間を往来するための道であったが、江戸中期以降、民衆の間で成田山参りが盛んになってからは、佐倉から成田への直結道と化したため、むしろ、「成田街道」と呼ばれることが多くなった。

ただ、明治期になって、佐倉藩が解体され「佐倉県」となってからも、第一軍管区東京鎮台の歩兵第2連隊が置かれるなど、千葉県では、佐倉は要衝の地であり続けたため、佐倉街道も主要幹線道の座を維持していたが、多分、戦後になって、国道6号線の東向島~四つ木間が開通したことによって、葛飾区内を通る佐倉街道は幹線道路の座から生活道路に転落したものと思われる(これと同時に葛飾区内の荒川→亀有間の旧水戸街道もその存在を忘れられた)。

さて、今回は、水戸街道から分岐するところから「市川関所跡」までをご紹介しよう。
というより、市川から先の佐倉街道は、船橋付近までは千葉街道(現国道14号線)と同一なので、わざわざ取り上げてみる必要もないのだが・・・。

なお、このルートは、中川から市川橋(江戸川)へ抜ける、自転車でも走りやすい最短ルートでもあることも書き添えておこう。

まず、経路地図を示しておこう。


(佐倉街道。水戸街道からの分岐点から市川関所まで)

先ずは、国道6号線沿いの「中川大橋東」交差点の旧佐倉街道西端入口から入ってみよう。

IMG_0100_20120414181840.jpg
(「中川大橋東」クルマが止まっている正面の道が旧佐倉街道入口。南に向かって撮影・地図

IMG_0101_20120419165226.jpg
(旧佐倉街道に入る。いかにも旧道らしくわずかに道がくねっている。一通路につき、走行注意)

500メーターぐらい道なりに南進すると、道幅が急に広くなる十字路(地図)が現れる。
そこを左折する。

IMG_0260_20120419172333.jpg
(道幅が広がる十字路で左折。角に小さな蕎麦屋あり・地図

IMG_0261_20120419203006.jpg
(その十字路を左折すると比較的大きな通りにぶつかるが、そこを右折する・地図

ここの曲がり角をクリアーできれば、あとは道なりに進めばよい。
すぐに「新金貨物線」の踏切が見えてくる(地図)ので、そこを渡る。

IMG_0102_20120419205312.jpg
(「新金貨物線」の踏切を渡る)

IMG_0263.jpg
(踏切を渡ると、3差路が現れるが、ここは真ん中の道を直進)

踏切を渡って300メートルぐらい進むと、左側に、大きくはないが、なかなか風格のある寺が現れる。
祟福寺」(葛飾区高砂7丁目)である。

IMG_0104_20120420040529.jpg
(佐倉街道筋の「祟福寺」)

祟福寺」がここに建立されたのは、つい最近の1928(昭和3)年のことだが、元々は、日本橋浜町に建立されたのが「明暦の大火」(1657年)で焼失したため浅草に移転し、さらに関東大震災で被災して当地に移転して現在に至る。

かくほどさように新しい寺ではあるが、その鐘楼は一見の価値がある。

IMG_0106_20120420041102.jpg
祟福寺の鐘楼)

この祟福寺から400メートルぐらいさらに道なりに進むと信号機のある交差点(「高砂8」・地図)に出る。

IMG_0107_20120420042520.jpg
(「高砂8」の交差点・地図

この交差点の一角には、おむすびやお総菜で有名な老舗「伊勢屋」がある。

IMG_0264_20120420042733.jpg
(「伊勢屋」)

ここのおにぎりは種類も多くて大変に美味しいので、自転車乗りなら、3つぐらい買っておいて、後で江戸川堤で食べるのもよかろう。
因みに、この交差点を左折して道なりにしばらく走れば、柴又帝釈天に至る。

さて、佐倉街道を辿るわれわれは、ここも断固として、道なりに直進しよう!
しばらく走ると、京成金町線の踏切が現れるので、それを渡ると、右側には「京成自動車学校」、左側には「葛飾区立桜道中学校」が見えてくる。

この「桜道」中学校という校名(1948年に命名)は、明らかに、「佐倉道(さくらみち)」をもじったものだが、この中学校を過ぎたあたりから、図ったかのように素晴らしい桜並木が現れる。

IMG_0108_20120420062930.jpg
(桜道に変貌する佐倉道)

IMG_0109_20120420064553.jpg
(「さくらみち」界隈の地図板)

IMG_0113_20120420183222.jpg
(「親水さくらかいどう」=旧佐倉街道の石碑)

IMG_0112_20120420183339.jpg
(「親水さくらかいどう」の説明板)

IMG_0111_20120420182953.jpg
(「親水さくらかいどう」の「さくら」は、もちろん、桜と佐倉を掛けているのであろう)

この「親水さくらかいどう」と称する事実上の旧佐倉街道(最近、よく聞く言い回しを使ってみました)は、さらに北総線高架をくぐって、柴又街道を渡り、江戸川土手(右岸)とぶつかって終わる(地図。因みに、柴又街道を渡って少し進んだところで、葛飾区から江戸川区に入る。このあたりの区境は何故か入りくんでいるのだ)。

IMG_0114_20120421053024.jpg
(江戸川土手にぶつかる・地図

ところで、その少し手前の右手に、ちょっと風流な門のようなものが建っていて、立派な石垣が見えるが、これが「上小岩親水緑道」の入口である。

IMG_0116_20120421054554.jpg
(「上小岩親水緑道」の入口)

この「上小岩親水緑道」(江戸川区)は、南北約1キロにわたる遊歩道で、夏の散策には適しているし、自転車も通行可なのだが、狭くて走りにくいのでお勧めできない(なお、江戸川区内には、この種の親水緑道が多いことも書き添えておこう)。

IMG_0117_20120421060355.jpg
(「上小岩親水緑道」入口付近)

IMG_0119_20120421060519.jpg
(「上小岩親水緑道」)

さて、往時の佐倉街道は、この先は、現在の江戸川土手のあたりを通っていたのだが、土手の改修工事のため消滅してしまっている。
徒歩者なら、近くの階段を使って土手に上がればよいのだが、自転車だと大変なので、ここでは、自転車でも走りやすい疑似佐倉街道(「佐倉街道」と私が称する事実上の普通の道)をご紹介しよう。

江戸川土手に寄って行くと、次の写真のような3叉の道が現れる。
この真ん中の道を道なりにどんどん走って行こう。

IMG_0265_20120421062949.jpg
(3叉の道。真ん中の道を道なりに)

この道は、江戸川土手下を走る道で、見上げると交通量の比較的多い車道(「篠崎街道」)が見える。

IMG_0267_20120421063140.jpg
(土手下の道。向かい風の強い日なぞは、江戸川CRよりも快適)

この土手下の道をしばらく走ると、土手上の篠崎街道が内陸方向に曲がり込んでくるものだから、「唐泉寺」(江戸川区北小岩・地図)のところで土手下の道も逸れてしまう。

IMG_0268_20120427173223.jpg
(向かって右手に見えるのが「唐泉寺」)

そこで、「唐泉寺」を通り過ぎて一つ目の路地を左折する。

IMG_0269_20120427173258.jpg
(「唐泉寺」を通り過ぎて一つ目の路地を左折。自転車のオジサンがいる道に入る・地図

IMG_0270_20120427173445.jpg
(すると再び土手下の道が復活)

こうして、さらに土手道を1キロほど直進すると、京成線の鉄橋の手前に土手に上がるスロープが見えてくるので、このスロープを登る。

IMG_0272_20120427172957.jpg
(土手に上がるスロープを登る・地図

IMG_0273_20120427173038.jpg
(土手の上に登ったところ。川の向こう岸に見える緑が国府台)

あとは、市川橋(国道14号線)を渡って、右岸を土手沿いに少し走れば、今回の終点である「市川関所跡」が見えてくる。

IMG_0121_20120427172409.jpg
(「市川関所跡」。小岩側を望む。前面に見える鉄橋は京成線)

この市川の関所は、「市川の渡し」があった場所である。
江戸と下総を往来するためには、必ずどこかで江戸川を渡らなければならないわけだが、この渡しの歴史は大変に古く、上代の「古東海道」の頃には既に設置されていた可能性がある。
しかも、この渡しは、現在の「市川橋」の前身である「江戸川橋」が1905(明治38)年に架橋されるまでは、実に千数百年の長きに渡って現役であり続けたわけである(この架橋もまた、葛飾区内の佐倉街道衰亡の一因でもある)。

市川関所
(江戸期の「市川の渡し」。手前が小岩側で向こう岸が市川側)

さて、こうして私は、「絵図から見たいちかわ」展(江戸明治期の市川絵図・地図資料を展示)に行ったわけだが、それについては、ここでは詳述するに能わず。

地図や歴史の好きな人にとっては興味深い展示会だが、そうでない人には面白くも何ともないであろうとだけ書いておこう。

IMG_0152_20120427165639.jpg
(「絵図から見たいちかわ」展)

この日の走行距離:45キロ

この項、了。

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
小さな旅(自転車)    Comment(8)   TrackBack(0)   Top↑

2012.04.13 Fri
ドイツ料理店「ハンス・ホールベック」(守谷)に脱帽~買い出しサイクリング紀行
朝起きて、今晩は玄米飯にしようと思った。
我が家では、1週間に1度ぐらいは玄米飯を食べることにしている。
健康のためということもあるが、玄米飯が好きだということもある(もちろん、白米も好きだけど)。
ただ、夕飯に玄米を食べるためには、炊飯よりもかなり事前に水に漬けておかなければならないので、今の時季だと、午前中に「仕込み」をしなくてはならないのである。
因みに、米を水に漬けておくことを、東北では、米を「潤(うるか)す」という。
何と美しい言葉であろうか・・・。

米びつ代わりのペットボトルを見ると、玄米は1合にも満たなかった。
これは買い出しに行かなければ・・・。

ここで、ある考えが浮かんだ。
かしわで」(柏市)に行くついでに、かねてより訪れてみたかった「ハンス・ホールベック」(茨城県守谷)に寄ってみようではないか。
ハンス・ホールベック」と言えば、何と言っても、自転車仲間のGibsonさん。
Gibsonさんの記事を読む度に行ってみようと思い焦がれつつ、なかなかその機会がなかったのが、ついにその好機が到来したというわけである。

水元から葛飾橋を渡って、松戸の新坂川筋を北上。
豊四季を抜けて、大堀川に取り付く。

IMG_0083_20120413024810.jpg
(富士川沿いの長閑な風景だが、すごい風だった)

IMG_0085_20120413025026.jpg
(大堀川沿いの桜並木)

国道6号の手前で一般道に降りて、県道7号→県道47号で新大利根橋を渡って、イオンの所を左折して、常総ふれあい道路を直進。
北西からの強風で、橋を渡るのに難儀したが、どうにか無事に辿り着く。

IMG_0088_20120413025236.jpg
(新大利根橋から利根川を見下ろす。利根川も、このあたりまで来ると、江戸川ぐらいの川幅しかない。久しぶりのACロードバイク)

「OPEN」という掲示を見て、意気揚々と入店すると、食事は11時半からだという。
10時からオープンしていたのは、ソーセージやハムの売店だけだったのだ。

IMG_0092_20120413025701.jpg
(見るも美しい売店のソーセージやハム)

仕方がないので、近所の「ジョイフルホンダ」で暇つぶしをすることに。

IMG_0089_20120413030049.jpg
(広大な敷地をもつ「ジョイフルホンダ」の自転車店。あまりに広いので、自転車置き場かと思った。大した自転車は置いていなかったが、ママチャリ類はかなり安いと見た)

IMG_0090_20120413030458.jpg
(酒類売場。激安)

酒類売場では、特に今季新発売のビール類が大変安かったが、後で米も買わなければならないので今回は諦める。
作業服売場で、5足350円という破格の安さの軍足だけを購入。

開店10分前に再度入店。
Gibsonさんがお勧めのローストポークを注文しようとしたが、今日の昼定食リストにはなかったので、「ジャーマンステーキ(豚)」の定食を注文する。

IMG_0091_20120413045052.jpg
(まるで、それこそドイツに来たかのような落ち着いた店内)

店内の内装・装飾・調度類は、ファミリーレストランによくあるような張りぼて安ピカではなくて、実質感のあるもので揃えられているので、とても落ち着いた気分になれる。

メニューやパンフレット類を読んでいると、まず、前菜のカスラーとザワークラウトの盛り合わせが運ばれてきた。

IMG_0094_20120414032512.jpg
(前菜のカスラーとザワークラウトの盛り合わせ)

カスラーというのは、一種のハムなのだが、ベーコンとも全然違う風味で、見た目から想像するよりもずっとさっぱりした味わいである。
また、付け合わせのザワークラウト(キャベツの漬物)との相性も抜群で、できれば、ビールとともに、あと10皿ぐらい食べたいほどである。
カスラー、いったい、どうやって拵えるのだろうか・・・?

次に出てきたのは、スープ。

IMG_0095_20120414033659.jpg
(コンソメスープ・肉団子入)

前菜の後にスープが出てくるということは、ビールを飲むことを前提に組み立てられたコースである。
ただ、守谷は、葛飾区から鉄道で来るのは面倒くさすぎるので、わざわざ飲みに来ることはないだろうなあ・・・。

それにしても、西欧料理のコースは、どうしてスープが先に出てくるのだろうか。
私としては、スープは、メインと一緒に出てきて欲しい気がする。
いや、できれば、前菜やサラダも、全部一緒に持ってきて欲しいと思う。

そう言えば、トロント(カナダ)の日本食レストラン(超高級)に行った時には本当に面食らった。
最初に出てきたのが、何と味噌汁で、味噌汁を飲み終わるまで次が出てこないので、仕方なく、味噌汁を酒のつまみにせざるを得なかった・・・。

さて、そんなことを考えていると、いよいよメインが出てきた。

IMG_0096_20120414035850.jpg
(メインのジャーマンステーキ。ライス付)

豚肉のステーキとソーセージ1本とジャガ芋炒めとブロッコリー。
このステーキがウマイ!
どんな味付けをしているのか見当もつかない。
明らかに、醤油は使っていない。
香草などをうまく調合したタレに漬け込んでから焼くのだと思う。
ソーセージももちろん本格的なもので、一口囓れば、口の中がパラダイスになる。
ジャガ芋がシャキッと炒められているのも気に入った。
これで、1000円とはかなり安いと言わざるを得ない。

この店は、手賀沼・利根川・小貝川あたりのサイクリングと掛け合わせて、これからも度々来ることにしよう(近くに「ジョイフルホンダ」もあるしね)。
ソーセージやハムをお土産に買って、店を出る。

IMG_0093_20120414041717.jpg
(ステーキ類も、テイクアウトできる)

帰路、「かしわで」に寄って、玄米2キロ、大根、カブ、ニンジンなどを買って、流山橋→大場川(三郷)経由で帰宅する。

IMG_0097_20120414041153.jpg
(江戸川堤の菜の花ロード。このあたりで南西の風に変わった)

IMG_0098_20120414041329.jpg
(三郷公園。アウター46tはやはり走りやすい)

走行距離:68キロ(ACロードバイク)

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
小さな旅(自転車)    Comment(16)   TrackBack(0)   Top↑

2012.04.10 Tue
世の中に絶えて桜のなかりせば・・・ポタ備忘録
年度末と年度初めは、何だか忙しい。
だからと言って何かをしているわけでもなく、気持ちだけが急いてしまって、ただ春の嵐に翻弄される花びらのように、あちこちを漂っているようである。

このところ、ブログを書くことができずに、随分たまってしまったが、全部書くには多すぎて、何も書かないのはモッタイナイので、ここに備忘録風に書き留めておこう。

・3月某日

「ハンナリサイクリング倶楽部」の「鮨食いねえポタ」に参加。
流山の「角上魚類」まで買い出しに行って、ついでに鮨を買って、菜の花の咲く江戸川河川敷で食すというもの。

NEC_0215.jpg
(鮨を買って、近くの公園で食す)

その後、たすけさんのご案内で、流山の「カフェ&ギャラリーのANTIGUA(アンティグア)」(「アルテグラ」ではありません)にお邪魔する。

店の造りと雰囲気の素晴らしさに溜息が出る。

NEC_0225.jpg
(「カフェ&ギャラリーのANTIGUA(アンティグア)」)

これからも、何回も立ち寄りたいお店である。

・3月某日


押入の自転車部品を大整理する。

IMG_0220_20120410065234.jpg
(先ず、押入からすべての段ボール箱を出す)

そして、複数の段ボールに分類収納する。

IMG_0221_20120410065405.jpg
(クランクセット、スプロケ関係部品の箱)

IMG_0222_20120410065539.jpg
(タイヤチューブ関係の箱)

整理の過程で、長らく見つからなかった小部品も発見された。
丸一日かかってしまった。
でもこれで、部品を探すのがかなり楽になったはずである。

・3月某日

自転車文化センター」主催の「春を先取り!ポタリング」に参加。
神宮外苑~パレスサイクリング~勝鬨橋~お台場~水上バス~神宮外苑。
お台場から日の出桟橋までは水上バスで渡ったのが新鮮であった。

IMG_0384_20120409095916.jpg
(途中、水上バスで移動)

都心をポタリングする際のノウハウも学ぶことができて、楽しくも実り多い一日だった。

IMG_0386.jpg
(走行上の諸注意や準備体操のやり方も学んだ)

IMG_0354.jpg
(東京サイクリング協会の重鎮の皆さんもご参加)

・3月某日

「ハンナリサイクリング倶楽部」のミニサイクリングに参加。
千住→町屋(「ときわ食堂」)→東大(三四郎池・学食)→「向島百花園」(梅花)。

ときわ食堂」は、10年以上前からの、私の大のお気に入り。

何と朝7時開店なのである!
なのに、朝から一人宴会をやっているオジサン多数というのも、私にとっては桃源郷のような食堂である。

鉄道通勤時代は昼夜日参したものだが、自転車通勤を始めてから、経路上、とんと行かなくなっていた。
久しぶりの訪問。

IMG_0414.jpg
(京成線沿いにある「ときわ食堂」)

IMG_0463_20120409105856.jpg
(店内。朝から一人宴会をやっている愛すべきオジサンたち)

IMG_0415.jpg
(店先の古風なウインドウ)

IMG_0413.jpg
(「刺身定食」550円。刺身は、マグロ、カンパチ、しめ鯖、白魚、ホタテ。アサリの味噌汁のほか、切り干し大根と竹の子煮とお新香2種が付いてくる)

因みに、この翌日にも、「ときわ食堂」で朝食を食べた。

IMG_0464.jpg
(「豚丼定食」500円。アサリの味噌汁のほか、おから、竹の子煮、バナナが付いてきた)

その後、谷中を抜けて、本郷の東大へ。

IMG_0422.jpg
(途中、「弥生式土器発掘ゆかりの地」の石碑の前を通った・文京区弥生2丁目11)

旧加賀藩邸の跡地に開校した東大構内には、多くの自然が残っているが、その白眉は、何と言っても「三四郎池」だろう。

IMG_0428.jpg
(武蔵野台地の東端に突き出す舌状台地。その台地に切れ込んだ谷に鎮座する「三四郎池」)

もし、大学用地として接収されなければ、東京の他の水路や池と同様、池を取り囲む森林は完全に伐採され住宅地となり、池は埋められて道路になっていただろう。

IMG_0431_20120410072258.jpg
(構内の早咲きの桜では、メジロが蜜を求めて飛び回っていた)

支払った税金のいくらかを取り戻すために、学食でラーメン(350円)とソフトクリーム(150円)を食べて、帰路に着く。

IMG_0437_20120410072516.jpg
(東大の学食)

IMG_0442.jpg
(途中、やっと梅花見ができた。「向島百花園」)


・4月某日

チーム東葛いくさん主催の「鎌ヶ谷うどんとその先の懐かしきものたち」サイクリングに参加。
手賀沼→野馬土手→鎌ヶ谷のうどん屋→市川の田園地帯→「昭和の杜博物館」(松戸市紙敷)。

道の魔術師のようないくさんの先導。
里山の細道を縫うようなルートを走っている内に、何だか別の時空に迷い込んでしまったような不思議な気持ちになった。

NEC_0299.jpg
(道の魔術師・いくさんが案内してくれる道は、どこか懐かしい)

NEC_0291.jpg
(野馬土手探訪)

NEC_0293.jpg
(狐に化かされているかのように、林間に忽然と現れたる鎌ヶ谷のうどん屋)

野趣と雅が同調したような店内には、薪ストーブが焚かれ、囲炉裏が切られていた。

NEC_0297.jpg
(囲炉裏には鉄瓶ひとつ)

NEC_0298.jpg
(讃岐系というよりは、九州系のうどんかな。ウマイ!)

その後、さらに時空をワープして、「昭和の杜博物館」へ。
不思議さと驚きに幻惑されるばかり。

NEC_0307.jpg
(原付自転車)

こんなマジカルミステリーツアーを企画してくれたいくさんには、心から感謝。

なお、この日の全貌とそのルートに関しては、東葛人さんの以下の頁をご参照。
http://blog.livedoor.jp/toukatsujin/archives/52844906.html

NEC_0229.jpg
(江戸川)

♪青空見たら 綿のような雲が
♪悲しみをのせて とんでいった
♪いたずらがすぎて 叱られて泣いた
♪子供の頃を思い出した・・・
(武満徹「小さな空」より)


・4月某日

夜桜を楽しむ。

IMG_0008_20120411035920.jpg
(向島・隅田川堤)

IMG_0010_20120411040035.jpg
(向島・隅田川堤)

IMG_0013_20120411040252.jpg
(水元桜土手)

IMG_0018_20120411040356.jpg
(水元桜土手・「ハンナリ」のバルコニーより)

IMG_0019_20120411040514.jpg
(そして、「ハンナリ」で「桜ビール」を飲む)


・4月某日

「ハンナリ・サイクリング倶楽部」の「春の湾岸サイクリング」(daiさん主催)に参加する。

「水元公園」→江戸川サイクリングロード→「葛西親水四季の道」→「新中島親水公園」→「葛西臨海公園」→荒川河口橋→夢の島「第5福竜丸」見学→「お台場海浜公園」(昼食)→豊洲→「晴海トリトン」(ワイズロード)→隅田川堤の桜並木→水元「ハンナリ」。

子供連れのサイクリストに同行したことはあったが、犬連れの方とご一緒するのは今回が初めてのことだった(ロッソービアンキさん)。

IMG_0041_20120411041804.jpg
(犬連れサイクリストのロッソービアンキさん)

IMG_0051_20120411041943.jpg
(ペット用のリュックに犬を「収納」して、こんな感じでサイクリング。犬のカブ君、はしゃぐ)

IMG_0052_20120411042208.jpg
(犬連れOKで、景色も良かったが、味はNGのお台場の食堂でランチ)

IMG_0065_20120411042416.jpg
(カブ君は千両役者だった。お台場にて)

IMG_0077_20120411042548.jpg
(隅田川堤の桜を見る)

IMG_0069_20120411042715.jpg
(向島の芸者組合の露店は大盛況)

IMG_0075_20120411042909.jpg
(今年は、みんな、春が待ち遠しかったのか、隅田川堤は、ものすごい人出で、自転車を押して歩くことさえままならなかった。)

桜の下を走り継いだ、まさに春爛漫のサイクリングであった。

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
小さな旅(自転車)    Comment(22)   TrackBack(0)   Top↑

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。