日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2012.03.27 Tue
フジクロスで銚子行~トラブル続出の旅
いくつかの用事があって、3月22日から二泊三日で銚子に里帰りした。
その用事というのは・・・、

1.墓参り
2.3月中旬の銚子東方沖地震(震度5弱)で被ったという実家の破損を確認する
3.置き場所が無くなってきたフジクロスを銚子に運ぶ

というもの。

以前は通勤車の主力として活躍してきたフジクロス(アルミフレーム・クロモリフォーク・9速仕様)だが、だんだん置き場所がなくなってきたこと、銚子にもママチャリ以外の自転車を常備いておきたかったことなどから、今回は、ついでにフジクロスに乗って銚子に行ってしまおうと考えたわけである(もちろん、帰りは鉄道)。

朝、早めに起きて、フジクロスを「銚子置き自転車」に改造する。

先ず、長らく使っていなかった標準のホイールを引っ張り出してきてタイヤを交換(この数年は、ずっとシマノのWH-R500+ルビノプロ3の23Cを使用していた)。
前輪のリムテープが大分古びてきていたので、これもついでに交換。

IMG_0334_20120327070741.jpg
(リムテープを交換。ヴィットリア製)

タイヤも、銚子でバリバリ未舗装路を走れるように、太めの28Cタイヤ(パナのツーキニスト)を付けることに。

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価格:2,390円(税込、送料別)


(重いけど、確かにパンクには強いパナのツーキニスト)

銚子には工具がないので、チェーンも新品に交換。
買い物車としても活躍できるように、ずっと押入に眠っていた荷台を付ける。

NEC_0236.jpg
(荷台を装着。ギザロ製だったかな)

また、銚子には、英式空気入れしかないので、小型フロアーポンプも取り付ける。

NEC_0237.jpg
(パナの小型フロアーポンプ。英米仏兼用)

ペダルに関しては、本当は、銚子では私以外の人が乗るかもしれないので、フラットペダルの方がよいのかもしれないが、さすがに銚子までフラットペダルで走るのは厳しいのでトゥークリップをハーフクリップに交換するに留めた。

その他は、基本的にいくつかの部品のグレードダウンを図る。

NEC_0235.jpg
(RDを旧105からソラに交換。チェーンも新品に交換)

また、左クランクを旧105からソラに交換。

NEC_0231.jpg
(全体画像。まるでマウンテンのような姿になった。途中の手賀沼付近にて)

さて、このような換装に時間がかかってしまったため、出発は、9時過ぎになってしまい、多少焦りながら出発。

葛飾橋→松戸紙敷→松飛台→五香十字路→手賀農免農道→木下。

やはり、重量級の標準ホイールと28Cタイヤの組み合わせだと、足回りが重くて全然走らない。
とりわけ、7~8万クラスのクロスバイクや9~10万クラスのロードバイクの完成車に付いてくるホイールは、大体において、前後で3キロ近い重量があるので走りも重い。
たとえば、これをシマノの一番安い(前後で1万円ぐらい)完組ホイールWH-R500に交換して、タイヤ(とチューブ)を23Cにするだけで、格段に軽い走りになるものである。
軽い走りに慣れてしまっていた私は、こうしてホイールを標準仕様に戻してみると、その差が実によく分かる。
逆に言えば、最近の私は随分楽をしていたわけである。


(この世には、度肝を抜かれるほど高価なホイールもあるが、コストパフォーマンス的には、多分、世界でも屈指のシマノWH-R501。まあ、できれば、もうワンランク上の、エアロスポーク仕様のWH-RS20ならなお良いのだが・・・)

さて、木下まで来て、利根川土手を見上げると、案の定、工事中で、サイクリングロードは通行止めになっていた。

仕方がないので、ここはきっぱりと諦めて、将監川~長門川沿いに走って、長門水門の所で利根川CRに復帰する。
将監川~長門川沿いのルートは、川辺の集落に古風な面影があって、かえって利根川CRよりも走っていて楽しいかもしれない。

ところで、松戸を抜けたあたりから、後ろのブレーキ付近からシュッシュッという、かすかにブレーキシューとリムが触れるような異音に気づく。
何度も自転車を止めて、後輪を空回りさせてみるが、異音の原因は判明せず。
利根川まで来て、やはり気になって仕方がないので、土手沿いの公園に自転車を止めて、本格的な原因究明をすることに。
今度はすぐに判明。
後ろブレーキ(Vブレーキ)の右側のブレーキシューとリムが明らかに接触している。
そういえば、途中から随分ペダルを重く感じたものだ。
ただ、前述のように、ホイールやタイヤが重くなったせいかと思っていたが、やはり変だなあと思ったのは、坂を降りる時だった。
坂を下る際は、重い自転車の方が有利なはずなのに、速度の伸びがやたらに悪いのである。
工具を出して、後ろブレーキの片効き状態を改善すべく、調整ネジを回すが、全然反応しない。
左側の調整ネジもいじってみたり、ブレーキシューの上下位置を調整してもたりしたが、やはり、調整の幅域では、依然、ブレーキシューとリムは接触したままである。
そんなこんないじっていたら、地面にチャリンと落下する物体あり。
何だろうと思って見てみると、ブレーキのスプリングであった。
そうなのである、後ろブレーキの右スプリングが折れてしまったのであった。

NEC_0233.jpg
(折れて脱落した後ろブレーキの右スプリング)

なるほど、スプリングの金属疲労によって、レバーを戻しても、シューとリムは接触したままの状態になっていたのだ。
しかも、家を出た時は大丈夫だったのが、だんだんスプリングの疲労が極に達して、ついに折れたわけである。
これではもう直すことはできないので、ちょっと怖いけど、後ろのブレーキを開放状態にして走ることにした(第一のトラブル)。

順番は前後するが、この日、「発作橋」で一枚目の写真を撮ろうとしたら、何と電池切れ。
なので、出かけてからの写真はすべて、携帯電話で撮影したもの(第二のトラブル)。

さて、長門水門から常総大橋までは、順調に利根川CRを走ったものの、「江口百貨店」(左岸)の所から通行止め区間が始まった。
そして結局、銚子まで、十数回も迂回を強いられることになったのである(第三のトラブル)。

NEC_0234.jpg
(春の兆し。利根川土手)

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津宮鳥居河岸

基本的には、左岸(北岸)は狭くて怖い県道11号線を、右岸(南岸)は交通量の多い国道356号線を走ることになるのだが、今回ばかりは、前ブレーキのみでの走行だったので、ちょっと怖かった。
前ブレーキのみで急ブレーキをかけるようなことになれば、ジャックナイフ(前転転倒)をやらかしかねないからである。

また、佐原から東の利根川CRのズタズタぶりは尋常ではなくて、ブレーキさえ正常ならば、利根川CRは諦めて、一般道を走り継ぐという選択をしたことであろう。

NEC_0243.jpg
(利根川CR)

とりわけ、佐原から東の右岸CRは、ほとんど壊滅状態で、迂回すること10回以上。
最初の内は、かなり手前に通行止めの案内と迂回路地図などがあったが、仕舞には、何の前触れもなく、突然、通行止めの標識が現れて四苦八苦する。

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(迂回路があっても、何キロも未舗装路を走らされた)

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(突然現れる通行止め)

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(しかし、下の迂回路は、地震の際の亀裂が生々しい)

NEC_0249.jpg
(しかも、その迂回路辿って行くと、道が消滅していた)

そんなこんなで、未舗装路を走ったり、自転車を押して畦道を進んだり、自転車を担いで土手を上ったり降りたりしていたものだから、銚子の手前で日が暮れ始める始末。

しかも、生憎、フジクロスのライトは取り外してしまい、他の自転車に取り付けてしまったため、ライトが付いていない状態。
いくらなんでも暗くなる前には到着できるだろうと踏んでいたからである。

NEC_0245.jpg
(ライトを取り外してしまったフジクロス。申しわけ程度にリフレクターが付いているのみ)

銚子市に入った時点で既に5時を過ぎてしまった。
辺りはどんどん暗くなり始めて、銚子駅あたりでほぼ真っ暗。
田舎の街道は街灯がないので、やや怖い思いをした。
でも、走行距離は128キロで、案外短かったが、何だか恐ろしく疲れた。
自転車で銚子に来たのは、たぶん、これで20回目ぐらいだが、最初にママチャリで来たときに次いで大変だった。

実家に到着すると、お袋が刺身を用意して待っていてくれた。
私は、刺身をアテに焼酎を呷り、9時にはとっぷりと夢の中にいた。

NEC_0250.jpg
(夕飯の刺身)

夏に向かうこれからの季節、自転車で銚子方面に出かける人も多くなると思うが、はっきり言って、利根川CRを当てにすることはできないと断言してもよい。
これまで、利根川CRに頼り切っていたので、CRと併走する茨城県側の県道11号並びに千葉県側の国道356号の迂回ルートの研究が疎かであったことを思い知らされた。
国道356号は、場所によって、非常に走りやすい区間と走りにくい区間があって、その落差が大きいので、その点をカバーした経路を開拓する必要があるであろう。

二日目

今日の天気は昼前から雨ということだったので、朝から自転車で出かける。
先ずは、本来ならば、昨日済ませるべきだった墓参りに行く。

親父の墓のある宝満寺は、銚子台地の中腹の斜面沿いに展開する。
桜並木が有名で、銚子でも屈指の桜の見所であるが、まだ、桜花はまだ一輪も開花していないが、あちこちに点在する梅花は満開である。

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(宝満寺。梅花が咲く。遠景に見えるのが本堂)

親父の墓前にて、結婚などの報告をする。

今年3月の銚子東方沖の地震で、新たに倒れた墓石もあった。

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(今年3月の銚子東方沖の地震で倒れた墓石)

お袋に言わせれば、去年の3月11日の揺れよりも激しくて、事実、洋ダンス転倒、ママチャリ転倒、石油ポリタンク転倒、食器棚のグラスが落下して割れるなどの被害を被ったという。
洋ダンスが転倒したのには驚いたが、今後も危険なので、下に煉瓦を入れて倒れにくいように修繕した。
また、石油ポリタンクが転倒した際に、石油がこぼれたために、物置部屋が石油臭くなっていた。

さて、墓参りを済ませた私は、雨雲の到来と競争するように、銚子半島を巡ってみることにした。

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(銚子名物の春キャベツ畑)

突然思いついて、高校生の時以来久しぶりの「小畑池」に寄ってみた。

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(ちょっと神秘的な「小畑池」)

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(銚子の心霊スポット的な「小畑ノ石尊様」)

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(「君ヶ浜」)

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(犬吠埼灯台)

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(犬吠埼より太平洋を望む)

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(長崎海岸にて)

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(映画『津軽じょんがら節』に出てきそうな海浜の風景)

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(私の原型的な風景が展開する屏風ヶ浦)

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(屏風ヶ浦には、プレジャーボートが打ち上げられていた)

もっと走りたかったが、天気予報通り、空から雨が落ちてきたので、早々と退散して、お袋と一緒にラーメンを食べたのであった。

走行距離;
一日目:128キロ
二日目:20キロ
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2012.03.21 Wed
「砂町銀座探訪サイクリング~水路の旅」(ハンナリ・サイクリング倶楽部)
今日(20日)は、「ハンナリ・サイクリング倶楽部」主催の「砂町銀座探訪サイクリング~水路の旅」である。
ブログやフェイスブックで聞きつけた20余名が参加することとあいなった。
自転車の内訳は、数が多すぎて数えることはできなかったが、ロード6割、クロス2割、ママチャリ1割、小径車1割といったところか。

計画されていた旅程は以下。
水元公園→青戸・立石・四つ木→木根川橋→荒川サイクリングロード→小名木川→「仙台堀川公園」→「旧大石家住宅」(トイレ休憩)→「砂町文化センター」→砂町銀座(昼食・買い出し)→「東京大空襲・戦災資料センター」→「中川船番所資料館」→帰路(往路とほぼ同じ)→立石路地探訪→水元公園。

経路図は、実際の行程とはやや異なるが、ほぼ以下の通りであった。



9時、「ハンナリ」前に集合・出発。

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(水元公園桜土手沿いの「ハンナリ」前に集合。さっそく自転車談議が始まっている)

今回のテーマは、目的地としては、砂町銀座であったが、その行程を水路や水路跡を辿ることであったので、葛飾区内では、敢えて、「上下之割用水」跡や(「葛西用水」から分流した方の「東井堀」跡(=「かわばたコミュニティ通り」)、江東区内でも、(旧)中川沿いや小名木川沿いや「仙台堀川公園」や「横十間川親水公園」を選んで走った。
また、水路沿いや水路跡にできた道は、自転車でも走りやすい場合が多いということもある。

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(「木根川橋」近くの荒川土手で自己紹介)

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(荒川堤を快走)

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(「仙台堀川公園」の紅梅)

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(「旧大石家住宅」訪問)

20台以上の自転車を連ねて走ると、可笑しいほどの大迫力で、1回の青信号ではとても全員が渡りきれず、必ずと言ってよいほど、2回待ちになる。
そこが面白くもあり、楽しくもあった。

砂町文化センター」に全員の自転車を止めて、さて、「砂町銀座」を探訪だ!

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(今日も賑わう「砂町銀座」)

そして、お目当ての、開店したばかりの「銀座ホール」になだれ込む。
幸い店は空いていたが、われわれが大挙して入店したためにほぼ満席状態になる。

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(各自各様の物を注文して、わいわいがやがや食べているところ)

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(私が注文したのは、チャーハンと餃子。鳥団子入りスープ付)

昼食後、約1時間の自由行動。
各自、三々五々、銀ブラを楽しみながら、焼き鳥を囓ったり、試食品をつまんだり・・・。

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(大人気だった、丸八通り近くのモツ焼き屋「竹沢商店」)

私も、モツ焼き、キムチ、殻付き牡蠣、黒糖、わさび菜、煮卵などを買い込む。

次に向かったのは、「東京大空襲・戦災資料センター」。

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(東京大空襲の説明に聞き入るメンバーたち)

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(展示されている焼夷弾を見るメンバーたち)

現代史のお勉強の後は、近世史のお勉強ということで、次なるは「「中川船番所資料館」を訪問。

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(江戸期の中川船番所の原寸復元が見物)

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(中川を見渡せる展望室もあり)

その後、立石探訪ということで、仲見世や飲み屋街を見学。

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(立石の飲屋街)

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(立石「證願寺」の、実に個性的な狛犬)

こうして、水元公園に無事帰還して解散。

帰宅後の夕食は、もちろん、「砂町銀座」買い込んだ食材をぶちまけた。

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(キムチ2種、モツ焼き、煮卵)

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(殻付牡蠣は、生で。すごくミルキーでうまかった。これで、何と300円)

ご参加の皆さん、お彼岸の楽しい一日、どうもありがとうございました。

関連リンク集
・RossoBianchiさん(市川)
http://rosso.funfunlabo.com/trail_log/under100km/2667.html
・kincyanさん(市川)
http://blog.livedoor.jp/liveokubo/archives/52003290.html#more
・dadashinさん(市川)
http://sasa06.blog92.fc2.com/blog-entry-529.html
・Gibsonさん(市川)
http://blog.livedoor.jp/gibson1798/archives/51655687.html
・joypapaさん(柏)
http://jitensha1000.blog16.fc2.com/blog-entry-270.html
・みずえさん(葛飾区)
http://ameblo.jp/4seasonscafehannari/entry-11198457135.html
・あきさん(市川)
http://blog.goo.ne.jp/akino-sora-ao/e/d9de82a3305757046215391a9fd10e77
・しんちゃん(三郷)
http://matango7777.blog89.fc2.com/blog-entry-235.html
・ユキムンさん
http://ameblo.jp/yukimncat/entry-11199320012.html
・ひろさん(葛飾区)
http://hirorion.kameari.net/?eid=1520397

走行距離:たぶん、42キロぐらい(FUNAKUBOロード)

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
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2012.03.20 Tue
手賀沼買い出しサイクリング
白米や野菜類の買い出しするために、手賀沼方面に行くことにした(ACクロス)。
ものすごい北風で、水元公園内を流れる川(「小合溜」)の水面(みなも)は、海のように白波立っていた。

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(強風に波立つ「小合溜」)

今日は、久しぶりに、松戸市を貫流する新坂川を遡る東葛人さんから教わったルートで手賀沼に向かう。

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(いつも長閑な富士川)

この富士川という小河川は、私が大好きな川で、四季を通じて懐かしい趣がある。
一見、川辺には、まだ春が訪れていないようであるが、ただ、春の気配は、踏みしめる大地の下から感ずることができるような気がした。

冬枯れの野に立つと
踏みしめた枯れ草の下の
たんぽぽやはこべやよもぎの
命を秘めた大地のぬくもりが
足の下から伝わってくる・・・。
(宗秋月「遺言」より)


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(何かと役立ちそうな「富士川周辺案内地図」)

大堀川に取り付いて、手賀沼に到着。

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(手賀沼大橋より)

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(久しぶりに手賀沼北岸をとぼとぼ。沖合には、合羽が3匹)

昼時にて、腹が減ったので、先ずは飯!
今日は、私には珍しくあらかじめ、はるかぜさんから教えてもらったレストラン「コ・ビアン」(我孫子駅近く)に行ってみることに決めていた。

手賀沼から坂を登って、「コ・ビアン」に到着。
大きなお店でちょっとびっくり。
ドイツ風というか何というか、立派な店構えである。

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(予想していたよりはるかに立派な店構え)

はるかぜさんのブログで多少の前知識はあったものの、店に入るなり、黒板のメニューを見て、改めてびっくり。

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(驚愕の安さ。「チキンカツ定食」290円など。まるで、昭和50年代の学生街の食堂の値段である)

290円の定食にも引かれたが、今日のところは奮発して、800円の「日替わり定食」を注文。
落ち着いた店内。
武蔵野夫人ならぬ手賀沼夫人が、静かに談笑しながら、ナイフとフォークを動かしている。
水元男児の私はといえば、ひとりぼっちだし、全席禁煙でもあるので、所在なく、ただ水ばかりを飲んでいた。

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(店内も落ち着いた西洋風)

そして、私の前に「日替わり定食」が運ばれて来た。

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(「日替わり定食」。ハンバーグ+チキンソテー+ホタテフライの盛り合わせ)

う~ん、なかなかうまそうではある。
ただ、写真では分かりにくいかもしれないが、やや量が少ないような・・・。
美味しい。
確かに塩分抑えめの上品な味わいであるが、案の定、量が少ない。
恥ずかしながら、空腹なこともあって、ほんの2分ぐらいで食べ終わってしまう。
自転車乗りなら、もうワンセット注文したいところではある。
これなら、「チキンカツ定食」290円を二つ頼んだ方がよかったかもとちょっと後悔・・・。
でも、一応、お腹が落ち着いたので良しとしよう。

我孫子の台地をくねくねと西進。
そう言えば、このあたりに、「武者小路実篤屋敷跡」があったはずだと思い出す。
随分以前に来た切りで、地図も持っていなかったので、何となくそれと思われる方向に進むが、袋小路だらけで難渋を極める。
あれこれ紆余曲折の末、やっとのことで辿り着くことができた。

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(「武者小路実篤屋敷跡」。我孫子市船戸)

大正期、ここ我孫子には、志賀直哉、柳宗悦、バ-ナ-ド・リ-チなども居を定めて、新たな文化運動の発信地となったいたのだが、武者小路実篤は、その中心的な人物であったことは間違いない。
志賀直哉を含めたご近所の「文化人」は、度々、ここ「武者小路実篤屋敷跡」で、各種の交流をもったのであろう。

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(手賀沼を一望する台地の上に築かれていた「武者小路実篤屋敷跡」)

武者小路邸
(後列中央の男性3人。左から、武者小路実篤、柳宗悦、志賀直哉。1917年、我孫子にて)

武者小路実篤屋敷跡」から我孫子台地を降りる。
ここの坂道が素晴らしい。

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(手賀沼から台地を上がる坂道)

因みに、志賀直哉旧居から、ここまでは2キロ強。
あるいは、一升瓶を下げた下駄履きの志賀直哉が、この坂を登ってきたこともあったかもしれない。

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(手賀沼沿いの梅林を見上げていたら、ちょうど、メジロがやって来たので、懸命に撮影)

さて、あまりゆっくりしていると、夕飯の支度が間に合わなくなる。
急いで手賀沼に降りたって、大堀川沿いに農産物直売所「かしわで」へ。
米4キロと野菜類2キロほどを買い込む。

流山で江戸川沿いに出て、以前、たすけさんから教わった和菓子の「清水屋」で最中などを買う。

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(創業110年の「清水屋」店内)

清水屋」の女将さんと、しばし、昔の店前の街道の話しをする。
たすけさんのブログを読んでいたので、実に話しが弾んで、とても楽しい一時となった。

因みに110年前と言えば、中高生の志賀直哉が、東京の街を自転車で走り回っていた頃だなあ・・・。
私は、そんなことを考えながら、順風に押されながら、江戸川サイクリングロードを南下した。

走行距離:65キロ(ACクロスバイク)

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
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2012.03.17 Sat
「砂町銀座」再訪~水路の旅
駿河台まで行く用事があったので、ついでにちょっと大回りして、「砂町銀座」を中心とする江東区内を走ってみた(ACクロス)。

いつもの通勤路で青戸・立石・四つ木を抜けて荒川に出る。

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(荒川土手・「東四ツ木避難橋」の所。業平橋の新電波塔も見える)

荒川と綾瀬川を仕切るこの中土手からの風景はなかなかよい。

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(左が綾瀬川、右が荒川。遠景に葛飾名物?「ハープ橋」が見える。ハープ橋のちょっと先の「上平井水門」で、綾瀬川と中川が合流する)

「木根川橋」を渡って隅田川の堤を南下(およそ90年前にこの橋の袂で起こった事件については、過去の記事をご参照)。

大島小松川公園」で土手を上がって、「旧中川」(墨田区)を下る。
この旧中川というのは、荒川(放水路)が大正昭和期に開削されるまでは、葛飾区内を流れる中川とつながっていた一本の川で、江戸期には、重要な舟運流通路であった。

ついでながら、この「旧中川」という名称に一言。
たぶん、「旧」としたのは、近年に開削された「新中川」(「中川放水路」・葛飾区高砂から分流)に対しての「旧」という意味合いだろうが、墨田区と江東区を流れる中川は、その流路も含めて、昔も今も「中川」に変わりはないので、「旧」を冠するのはすこぶるおかしいと思う。

さらについでに言えば、行徳あたりから分流する江戸川の呼び名もおかしい。
「旧江戸川」こそが、本来の江戸川なのに、新たに開削された方を「江戸川」と称している。
「旧江戸川」→「江戸川」とし、新たに開削された方は、「江戸川放水路」(ないしは「新」江戸川)とすべきである。

さらについでながら、現在「荒川」と称している川も、本来の荒川とはまったく別の川なので、「荒川放水路」(ないしは「新荒川」)とすべきではないか・・・。
近年における、この種の地名等(東上線「業平橋駅」を「東京スカイツリー駅」に改変するなど)の改称によって、その歴史性が剥奪されることはきわめて憂慮すべき問題だと思う。

さて、本筋に戻ろう。
この旧中川筋には、ここがかつては要衝の地であったことを示す「中川船番所資料館」がある。

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(番所風な東屋。旧中川土手)

江戸期には、ちょうどこのあたりに、一種の「番所」(舟運の関所)があったのである。

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(「中川船番所資料館」)

今回は時間がなかったので、去年の4月に入館したときに撮影した写真を一枚ご覧いただくに留める。

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(江戸期の「番所」の原寸復元。「中川船番所資料館」の展示)

中川番所
(江戸期に描かれた「中川番所」)

江戸期の舟が通ったのと同じように、私は中川から小名木川に入り、少しだけ小名木川を遡って、「仙台堀川公園」に左折する(小名木川筋の車道は、自転車では大変に走りにくいことを書き添えておこう)。

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(江戸期の水路を公園化した「仙台堀川公園」)

前回は、自転車を置く場所に困ったので、今日は、「砂町銀座」の真ん中あたりにある「砂町文化センター」に南方から狙いすますように直行した。

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(「砂町文化センター」)

「砂町銀座」の通りには、特にスタンドの付いていない自転車を止めるのは困難を極めるので、このセンター内に駐輪することをお勧めしたい(公衆便所と喫煙所あり。但し、ゴミ箱は無し)。

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(「砂町文化センター」の梅の樹)

自転車を置いて清々した気分の私は、さっそく徒歩で「砂町銀座」に繰り出すことにする。
今日は平日なので空いているかと思いきや、さにあらず。
魚勝」という魚屋の特売セールがあったらしく、長蛇の列が道を塞いでいた。

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(「魚勝」の特売セールに並ぶ買い物客)

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(魚の数より多いのではないかと思えるほどの「魚勝」のお客さん)

しかし、私は魚屋には目もくれず、先日も行った「銀座ホール」を目指す。
店に入るなり、女将さんが「あらっ、今日はお一人ですか?」。
どうも、もう顔を覚えられてしまったようだ。
何の特徴のない私の顔を、たった一回で覚えるとは大したもんだ。

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(「あらっ、今日はお一人ですか?」と店の女将さん)

今日は、是非とも、麺類を試してみたかった。
麺類といっても、この店は、蕎麦もうどんもラーメンもあるので困ってしまうのだが、先ずは、普通の「ラーメン」を注文してみることにした。

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(ラーメン。500円)

う~ん、いかにも昔ながらの醤油ラーメンである。
硬めのチャーシューとシナチク。
お麩が入っているのが変わっている。

そしてこれが大変にウマイ!
すっきりした醤油味で、縮れた細麺もしこしこである。
いじりすぎた最近のラーメンに飽きた舌には、むしろ、斬新なぐらいである。
たぶん、ラーメン類は、他のメニューも美味しいにちがいないと確信する。

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(店内に貼ってあった昔の写真)

お腹が満たされた私は、銀ブラを始める。
そして、前回目星をつけておいた焼鳥屋で、お土産用に12串ほど購入(ほとんどが1本75円)。

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(焼き鳥の焼き売り店。私の前に並ぶ作業服の男性は、何と150本も買っていた。職場で宴会をやるらしい)

お土産用に買ったものの、我慢しきれずに、「砂町文化センター」敷地内の公園のベンチで、手羽先焼き1本を囓る。

さて、そろそろと立ち上がって、文化センターの前に近づいてみると、館内2階に「石田波郷記念館」が開設されていることが分かったので、ちょっとだけ覗いていくことにする。

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(「石田波郷記念館」)

1913(大正2)年、伊予松山(正岡子規と同郷)に生まれた石田波郷は、上京して、明治大学文芸学科に入学(後中退)。
俳句文学活動に専念する中、1946年以降、江東区(北砂町1-805)に転居。
焼け跡を「焦土諷詠」として、多くの俳句を作る。

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(石田波郷「はこべらや 焦土の色の 雀ども」)

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(「百方の 焼けて年逝く 小名木川」)

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(昔の写真と俳句のコラージュ)

「砂町銀座」にいらしたら、是非とも、この「石田波郷記念館」にも立ち寄られるとよいと思う。

さて、だんだん時間がなくなってきたので、自転車に跨って、「砂町文化センター」を後にする。
再度、「仙台堀川公園」に戻って、途中で「横十間川親水公園」で右折北上する。

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(「仙台堀川公園」から「横十間川親水公園」に曲がるあたり)

500メートルほど北上すると、「横十間川親水公園」は小名木川と交差するのだが、その場所にクローバー橋という十字橋が架かっていて、絶えず自転車が行き来している。

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(面白い形をしたクローバー橋

私はここで南に引き返して、「岩井橋」(清洲橋通り)で川筋から上がって、「東京大空襲・戦災資料センター」の場所も確認しておくことにした。

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(「東京大空襲・戦災資料センター」)

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(「東京大空襲・戦災資料センター」前のオブジェ)

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(4月8日まで「東方社写真部が記録したアメリカ軍の無差別爆撃」展を開催中)

今回は、入館する時間がなかったが、館内の展示等に関しては、以前に訪れた際に書いた記事をご参照のこと。

こうして私は、再び、「仙台堀川公園」を西進して、駿河台に向かったのであった。

追伸;20日の「砂町銀座~水路の旅」サイクリングの経路図(案)です。
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=18dd0d72b67229e826e4644ed65736f7
ご笑覧下さい。

走行距離:61キロ(ACクロス+ルイガノクロス)

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2012.03.14 Wed
「砂町銀座」サイクリング~江東デルタに咲いた昭和の華
まだまだ寒い局面もあるとはいえ、だいぶ春めいてきたのは確かなようで、麗らかな春の日差しが照りつけるサイクリングロードなどを走っていると、うっとりとして微睡(まどろ)みたくなってくる。

さて、先日は、前から気になっていた「砂町銀座」に行ってきた(FUNAKUBOロード)。

砂町(現・江東区)は、戦争中に私のお袋が住んでいた街だが、そもそもが東京の中でも一番の低地帯(江東デルタ地区)なので、ちょっと雨が降ると、床下まで浸水することが多かったと、お袋も述懐している。

東京の低湿地
(東京・低地帯等高図。江東区あたりが一番の低地である)

その後、米軍(を主体とする連合軍)による帝都空爆が激しくなったので、お袋の一家は銚子に疎開することになったのだが、下町を狙い撃ちした、1945年3月の米軍の大空襲によって、ご多分に漏れず、砂町界隈も、ぺんぺん草も生えないような焼け野原になってしまったのである。
もし銚子に疎開しなければ、お袋も、この私も、存在しなかったことであろう。
砂町(現・北砂)にある「東京大空襲・戦災資料センター」は、その惨事の「記憶」を後世に伝えるべく有志によって設立された施設で、砂町を訪れる人は、必ず足を運んでもらいたいと心から願う次第である(ご参照:2年前の記事「東京大空襲の記憶~焦土と化した下町」)。

さて、話しを戻そう。
水元公園から出発し、久しぶりに江戸川サイクリングロードを南下して、葛西臨海公園で休憩。

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(途中のポニー広場では、巨大な道産子と遭遇してびっくり。江戸川河川敷にて)

葛西臨海公園に来るのは久しぶり。
海辺育ちの私は、海を見ると、それだけで元気になるような・・・。

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(久しぶりの葛西臨海公園。菜の花畑が満開だった)

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(daiさんのレイダック[右]と私のFUNAKUBO)

「荒川河口橋」を渡ってしばし絶景を楽しむ。

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(「荒川河口橋」からの絶景。自転車3台)

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(もう一枚。これから向かう江東区を一望)

江東区に渡ってからは、適当に幹線道路を走って、「仙台堀川公園」にとりつく。

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(「仙台堀川公園」。川筋に遊歩道がついている。自転車走行可)

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(「仙台堀川公園」と「横十間川親水公園」の絵地図)

途中、トイレ休憩がてら、仙台堀川沿いの「旧大石家住宅」に立ち寄る。

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(「旧大石家住宅」)

過去にも何回か訪れたことがあるが、今回は、地元のボランティアの方が懇切丁寧に説明して下さったので、殊更に面白かった。

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(囲炉裏端に座しておられるのがわれわれにいろいろと説明をして下さったボランティアの方。元大工さん)

この家屋は、幕末頃の建造物で、当時の砂村で、海苔の養殖を手がけていた大石家の住宅を移築した物。
江戸期は、海苔製造業は、数軒の老舗問屋の独占状態だったのが、明治期になって、砂町辺りの干潟での養殖が認可されたとのこと。

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(土間に展示されていた海苔養殖の道具類)

さて、いよいよ空腹も極に達したので、今日の目的地「砂町銀座」に向かった。

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(「砂町銀座」の入口。丸八通り側)

砂町銀座」は、戦前をその起源とするが、なにしろ甚大な戦禍を被ったので、大発展したのは戦後(昭和30~40年代)のこと。
丸八通りと明治通りの間の東西約700メートルの商店街。
そこには、犇(ひし)めくように小売店が並び立つ。
魚屋、八百屋、洋服屋、各種食堂、酒屋、そして、鰻や焼き鳥やおでんをはじめとする、ありとあらゆるお総菜屋さんが道行く者たちの食欲を掻き立てる(店舗マップ)。

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(まるで縁日のように、買い物客でごった返す「砂町銀座」)

自転車に乗ったまま通行するのは不可能なので、われわれは、自転車を引いて歩いたが、これも失敗だった。
あまりの人出に、自転車を引いて歩くのもままならず、しかも、店先に自転車を止めることはほとんど不可能なので、仕舞には、自転車が邪魔になってくる。
なので、丸八通りか明治通り沿いに自転車を駐めて散策するのが正解である。

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(苺大福を買うために、無理矢理に自転車を駐めてはみたが・・・)

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(飛ぶように売れていたうまそうなおでん屋さん。おでん屋は、他にも数軒あった)

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(涎が出そうな焼鳥屋さん)

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(別の焼鳥屋さん)

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(しつこいようだが、また別の焼鳥屋さん。買えなかったので、未練が残る。石を投げれば、おでん屋と焼鳥屋に当たると言えるぐらい多い)

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(さらにまた別の焼鳥屋さん。しつこさのだめ押し。未練たらたら・・・)

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(タコ焼き屋さん。店先のカウンターで酎ハイなどが飲めるのがよい)

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(お総菜屋さん。私はここで、500万個売ったという実績のある煮卵5個を購入。210円也)

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(なぜか「飴餅(シャオピン)」の露店も数軒あった)

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(懐かしい店構えの酒屋さん。ここでワンカップや缶ビールを買って、焼き鳥を食べながらそぞろ歩き・・・という場合は、鉄道で来るように!)

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(八百屋さん)

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(漬物屋さん)

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(雑貨屋さん)

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(洋服屋さん)

日本語の「店(みせ)」の語源は、「見せる」という動詞に由来するが、ここ「砂町銀座」に立ち並ぶ店は、商品が全部「見える」ように、転がり出そうな勢いで道に向かって陳列されている。
商店街というよりも市場に近い(ソウルの南大門市場などを思い出す)。
新宿や渋谷の街を歩いていても、ちっとも面白くないどころか、むしろ苦痛ですらあって、「骨折り損の草臥れ儲け」だが、ここは、そこに「居る」こと自体が、至福の時をもたらしてくれる場である。

思い返せば、砂町一帯は、そもそもが工場地帯と住宅地とがせめぎ合っていた土地柄であったが、近年、工場が移転することで、大々的な再開発が行われた。
そのために、周辺は、消毒され尽くしたような、近未来的な集合住宅街と大型店舗類が増殖することになってしまったが、ここ「砂町銀座」は、いわば、そこから逃れて来たかのような「健全なる歴史性」が濃縮されているようである。
そういう意味では、ここは、殺伐たる砂町の「オアシス」であるが、それであるがゆえに、地域の人々は、夕食のおかずのみならず、失われてしまった何かを求めて、買い物籠をぶら下げてここにやって来るのである。

前回の記事で、「谷中銀座」のことに触れたが、砂町銀座と比較すると、さしもの「谷中銀座」も蒼ざめるほどである。
やはり、徹底的に地元主義に根ざした商店街の魅力は、三ノ輪の商店街などもそうだが、計り知れないものがある。

さて、商店街に並んでいるお総菜の芳香に食欲を刺激されっぱなしだったわれわれは、やっとのことで、昼飯にありつける段になった。
辿り着きたるは、その名ぞ「銀座ホール」(創業70年)。

かなり苦労して横の路地に自転車を駐めた後、店に入ってびっくりしたのは、中央カウンターの卓上が、風呂屋のようなタイルばりだったこと。

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(タイルばりの中央カウンター)

店のあちこちには、メニューの他に、ユーモアの効いた注意書きが貼ってある。

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(店内)

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(店内)

「ついに登場、レバニラ炒め」はまだ良いとして、写真には映ってないが、「携帯メール禁止 写メール可」とか「携帯電話 使用可」というような、どうしたら良いのか迷ってしまうような注意書きもある。
ランチタイムは、禁煙だが、その他の時間帯は「全面喫煙可」というのも、私のような、「ある種の葉(ハーブ)を燃やしてその薫煙を吸引すること」を好む御仁にはありがたい。

さて、メニューは?

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(メニュー)

ラーメンや焼きそばから丼物や定食類まで、力量のある食堂らしく実に幅広い。
もちろん、酒類も置いてある。

私が頼んだのは、「元祖・純レバ丼」(750円)と一品で「ハムカツ」(300円)。

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(「元祖・純レバ丼」。名称がまた良い)

小さく切ったレバーをレアーで甘辛く炒めたものがご飯にかかっている丼で、レバーがプリプリしていて面白い食感である。
私は、丼を持ち上げて、わさわさと口に頬張りながら食べる。
ハムカツも、香ばしくてジューシーで、大変に美味しかった(揚げ物全般がうまそうだった)。
他の客が食べていたチャーハンや焼きそばやラーメンも美味しそうだったが、一度にそんなに食べられないのが残念。
通勤の際にも、ちょっと大回りして、何度も来ることにしようと決意して、帰路に着く。

荒川サイクリングロード→木根川橋→四つ木・立石。

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(荒川河川敷では、お約束の自転車談議)

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(daiさんのご案内で、立石路地ツアー)

水元公園に戻ってから、「ハンナリ」へ。
ママさんを交えて、20日の件を相談。
ママチャリの参加者もいることだし、距離は谷中と同じぐらいながら、より走りやすいルートを取れる「砂町銀座」へと行き先を変更することにする。

今回の戦利品。

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(苺大福と煮卵)

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(アサリ。これで200円)

で、夕食は、ボンゴーレ・スパゲッティと煮卵という変な取り合わせ。

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(ボンゴーレ・スパゲッティと煮卵)

というわけで、前の記事でお知らせした3月20日(火・祝)の「ハンナリ・サイクリング倶楽部」のサイクリングは行き先を「砂町銀座」に変更することにしました。

3月20日(火・祝)「砂町銀座探訪~水路の旅」
集合時間場所:9時「ハンナリ」前
ドタ参・途中参加・途中離脱可

詳細後日

この日の走行距離:58キロ(FUNAKUBOロード)

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2012.03.09 Fri
「谷根千」めぐり~結界の風景
ハンナリ・サイクリング倶楽部」のbebeさん(別名、しんちゃん)と二人で、いわゆる「谷根千」探索サイクリングに行ってきた(ACクロスバイク)。

因みに、「谷根千」というのは、谷中・根津・千駄木一帯およびその界隈の略号である。

谷中墓地で有名な「谷中」という地名は、たぶん、台地と低地の中間に位置する「低台地」という意味で、谷中から東に向かって降りていくと、案の定、「下谷(したや)」という地名がある(東京の地名では、「谷」は「や」と読むことが多い)。
「根津」という地名も、おそらく、「根=尾根」、「津=入り込んだ谷」という意味であろう。

ことほどさように、「谷根千」は、武蔵野台地(もしくは本郷台地)東端とその眼下に広がる低湿地帯(「野」)とがせめぎ合う地形の上に展開している。

台地(や斜面林)の下を縁取るように付いた道のことを、関東では「ハケの道」と言うことがある。
「ハケ」というのは、水ハケのハケのことで、台地からしみでた水を受け止めるための水路をそこに掘ったりする。
この台地を縁取るように掘られた水路は、たとえば、築城する際には内濠の役割を果たすことにもなるのだが、水路を掘ったその土を積み上げることによって、その水路沿いに細長い「乾地」が出来上がる。
その細長い乾地がハケの道である・・・。

昌平橋から北に向かって走る不忍通りは、私が想像するに、武蔵野台地東端に形成された、いわば「巨大化したハケの道」で、件の「谷根千」は、まさに、この不忍通り沿いに展開している。
面白い地形なので、江戸期以来、景勝地として知られるところでもある。

東京地形図
(東京東部地形図。南北に流れる太い川が隅田川。黄色が武蔵野台地。水色が低地で、縄文期にはほぼ海だったところ。真ん中上のぽつんとある円形の水地が不忍池)

不忍通りは、武蔵野台地(もしくは本郷台地)東端を縁取るハケの道であるが、このあたりの地形を面白くしているのは、すぐ東には、飛鳥山まで続く上野台地が控えており、全体としては、谷を形成していることである。
江戸期以来、このあたりを景勝地としていたのは、まさに、この凹凸のある地形ゆえであるが、そのため、「谷根千」を東西に抜けようとすると、必ず、坂を上り下りしなければならない(と言っても、せいぜいが標高20メートルぐらいだが)。
だから、この界隈には、有名な坂も数多い。
たとえば、今や実際に富士山を見ることができる唯一の「富士見坂」(地図)などは、上野台地の側から、谷筋に降りる道である。

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(上野台地へ登る「三浦坂」。あまり有名ではないこの坂の途中には、猫グッズで知られる「ねんねこ屋」があるが、その店を真剣に覗き込むしんちゃんの姿も写っている)

江戸明治期から、「谷根千」界隈が人々から好まれたのには、実は、現在とはまったく違う理由もある。
明治の終わり頃までは、このあたりが江戸という巨大な町の北辺だったからである。
当時は、上野の山の向こうは、田園地帯が広がっていた。
台地からは、長閑な田園が見渡せる絶景ポイントが多かったためでもある。

たとえば、江戸期には、谷中(やなか)のちょっと北の「道灌山」(現「西日暮里公園」・地図)からは、こんな風景を眺めることができた。

道灌山
(広重の「道灌山」。「山」と言っても、標高わずか20メートルぐらい。現在ではこの崖のすぐ下に「西日暮里駅」がある)

つでに、もう一枚。

道灌山虫聞之図
(広重「道灌山虫聞之図」。遠景に連なる人家は、奥州日光街道筋の千住宿あたりであろうか)

明治の終わり頃になっても、「谷根千」より先は、長閑な田園地帯だったことは、たとえば、漱石の『三四郎』(1908[明治41]年作)の次のくだりを読んでもよく分かる。

 ・・・ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂の上から、左へ折れて千駄木林町の広い通りへ出た。秋晴れといって、このごろは東京の空もいなかのように深く見える。こういう空の下に生きていると思うだけでも頭ははっきりする。そのうえ、野へ出れば申し分はない。気がのびのびして魂が大空ほどの大きさになる。それでいてからだ総体がしまってくる。だらしのない春ののどかさとは違う。三四郎は左右の生垣をながめながら、生まれてはじめての東京の秋をかぎつつやって来た。(中略)
 谷中と千駄木が谷で出会うと、いちばん低い所に小川が流れている。この小川を沿うて、町を左へ切れるとすぐ野に出る。川はまっすぐに北へ通っている。三四郎は東京へ来てから何べんもこの小川の向こう側を歩いて、何べんこっち側を歩いたかよく覚えている。美禰子の立っている所は、この小川が、ちょうど谷中の町を横切って根津へ抜ける石橋のそばである。
「もう一町ばかり歩けますか」と美禰子に聞いてみた。
「歩きます」
 二人はすぐ石橋を渡って、左へ折れた。人の家の路地のような所を十間ほど行き尽して、門の手前から板橋をこちら側へ渡り返して、しばらく川の縁を上ると、もう人は通らない。広い野である。・・・(夏目漱石『三四郎』)


引用の後半は、三四郎が美禰子(実に魅力的な女性である)と二人で、当時、団子坂下で有名だった菊人形を見た後で、散歩するシーンである。
九州から東京に出てきたばかりの三四郎は、大都市東京が、「谷中と千駄木が谷で出会う」小川に架かった「石橋」の所で、ぷっつりと切れるように消滅して、菫や蓮華の花の咲く田園地帯に変貌する様を見て、心が癒されるような解放感を抱いている。
この「小川」というのは、現在は暗渠化され通称「へび道」と呼ばれる藍染川のことである(因みに、文中の「石橋」があったのは、多分、ここ)。

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(藍染川を暗渠化して作られた道。「へび道」の延長線上にある「夜店通り」)

現在の「谷中銀座」あたりの細い路地が通る町屋は、当時は、田畑が広がっていたことがわかる。

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(「谷中銀座」では、メンチカツを食べた)

ともあれ、明治期までの「谷根千」は、町と野がせめぎ合う「辺境」であったのだが、現在では、いわば、都心と下町がせめぎ合う「結界」と言えるかもしれない。

千駄木団子坂花屋敷
(広重「千駄木団子坂花屋敷」)

このような地形を巧みに利用した例としては、「根津神社」を挙げることができる。

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(「根津神社」表門。ちょうど赤穂浪士討ち入りの元禄の頃、現在の地に造営された)

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(「根津神社」。左手の斜面が本郷台地で、ツツジの「森」になっている)

根津神社」は、ツツジの名所でもあるが、本郷台地の斜面にツツジを植えることによって、余り広くはない境内に、水墨画的な雄大さを持たせている。

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(ツツジ山に登る千本鳥居)

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(ツツジ山の下の池)

境内を散策したわれわれは、根津神社の前のかりんとう屋(「焼かりんとう本舗」)さんで、かりんとうを試食。
油で揚げない製法のかりんとうは、大変に美味しかった。

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(かわいらしい「焼かりんとう本舗」の店舗)

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(かりんとうを試食)

その後、われわれは、ギアをインナーローにして、台地を登ったり降りたりして、「谷中墓地」などに立ち寄った。

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(谷中の路地巡りは楽しい)

上野台地の尾根道沿いに上野公園まで出て、「東京芸術大学」構内(食堂と美術館)を探索する予定だったが、入試期間中にて入構制限がかけられていて入れなかった。

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(入構制限中の東京芸術大学)

仕方がないので、上野公園内の大道芸を見たり、不忍池で休憩したりした後、思いついて、上野の「ワイズロード」に寄ってみることにする。

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(ワイズロードで私の目を引いたのは、赤茶色のクロモリロードだったが、残念ながら、フォークがカーボンだった)

私は何も買わなかったが、自転車に嵌りつつある同行のしんちゃんはいろいろ買っていたようである。

こうして、浅草で一休みした後、立石の自転車屋「あさひ」に寄って、水元公園へまっしぐら。

時間が早かったので、「ハンナリ」でコーヒーを飲むことに・・・。
荷を解いて、コーヒーに口をつけようとしたところで、Gibsonさんが入ってきた。
奇遇ではあるが、最近、「ハンナリ」に行くと、誰がしか知り合いと遭遇することが多くて、これもまた、ここを訪れる一つの楽しみになってきた。

聞けば、手賀沼あたりを走ってこられたとのこと。
Gibsonさんと、手賀沼の美味しい店のこと、リュックのこと、確定申告のことなどを話す。

谷根千」は、大変に魅力的な地域だが、路地が狭く、店が小規模で、自転車を置く場所も少なく、坂も多いので、自転車で巡るにはあまり適していない。
なので、拠点になるところ(神社仏閣など)に自転車を止めておいて、徒歩でゆっくりと散策するのがよいと思う。
また、このあたりは、美味しそうな弁当屋さんが非常に多いので、気候が穏和な季節なら、弁当とお茶を買って、根津神社境内で食すのもよいだろう(ただし、弁当屋が日祭日にやっているかどうか、要調査)。

来たる20日に、今度は「ハンナリ・サイクリング倶楽部」の皆さんと「谷根千」めぐりをする予定。
それまでに、ややこしい路地を習得しておかなければ・・・。

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(本日使用した自転車・事故から復活を遂げたACクロスバイク)

走行距離:50キロ(ACクロス+ルイガノクロス)

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2012.03.05 Mon
「ウェルカム自転車」が収斂した日~皆さんに感謝!
今日(3月3日)のことは、何だか書きにくい。
どうも、「照れ」が先に立ってしまって、言葉が見つからない感じである。

ご存知の方はご存知ながら、本日、このブログでも度々登場する呑ちゃんと結婚式をあげたことをここにご報告申し上げたい。
出会って8年目の結婚である。

昼間の結婚式も、夜のごく内輪の披露パーティも、私の愛する地元葛飾(金町と水元)で行った。

式にまつわる一切合切は、ほとんど呑ちゃんが仕切ってくれて、披露パーティを含むほとんど一切合切は、自転車仲間にして畏友のたすけさん(と「ハンナリ」のママさん)に仕切っていただいたお陰で、私は、当日式場の前に「ウェルカム自転車」として展示するためのFUNAKUBOとささやかなる引き出物のチェーン・キーホルダー製作に心血を注ぐことができた。

ウェルカム自転車
(ウェルカム自転車のFUNAKUBOjoypapaさん撮影)

式は、金町駅南口の教会「セントマリーチャーチ(つまりは聖マリア教会)」で行った。
私はキリスト教徒ではないが、今回、初めて体験したキリスト教式の婚礼の儀は、なかなか素晴らしいと思った。
たとえば神式だと、式には親戚縁者しか参加できないが、キリスト教式だと、それこそ通りすがりの人も含めて、誰でも参加できるのが良いし、服装にも頓着がない。
しかも、何よりも素晴らしいのは、儀礼行為や各種のパフォーマンス(指輪の交換・接吻・神父の言葉・音曲など)そのものが多分に演劇的で、新郎新婦を含む参加者が一番楽しめる形式なのではないかと思った。

婚礼の儀
(キリスト教式の婚礼の儀。ステインドグラスが神々しい!joypapaさん撮影)

キリスト教式の婚礼の儀が現在のような形式になったのは、いつ頃のことなのか、私は寡聞にして知らないが、多分、そのたくましい布教精神が背景にあったのではないだろうか。
神式や仏式の儀礼には、ほとんど、布教精神を感じないが、たった12人の砂漠の民から出発したキリスト教は、その後、ヨーロッパに浸透していく過程で、そもそもが演劇的志向の強い文化様式だった古代ローマ帝国内に根を下ろすために、次第にその性格を強めていったものと思われる。
やはり、たくましい布教精神を備えている、もう一つの砂漠の民の宗教イスラム教の婚礼の儀も、かなり演劇性の強いものではないかと、勝手に想像している。

式が終了した後、参列者からの花びら(本来は米なのだが)のシャワーを浴びながら、階段を降りるなどいう演出も、なかなかよく考えられている。

フラワーシャワー
(フラワーシャワー。joypapaさん撮影)

そう言えば、ビートルズの有名な"Eleanor Rigby"(1966年作)の歌詞にこんな一節がある。

♪Eleanor Rigby picks up the rice
in the church where a wedding has been...♪

(エリナーリグビーは、結婚式が終わったばかりの教会で米を拾う・・・)

貧乏で身寄りのない老婆エリナーリグビーは、誰かの結婚式の後、ライスシャワーで撒かれた米を拾い集めていたというわけである(もちろん、それを食べるために)。

その後、教会の前庭で、シャンペンなどのドリンク類が参列者に振る舞われ、新郎新婦が参列者と歓談をする。

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(参列下さった皆さんと前庭で乾杯!)

今回は、このブログにもよく登場する自転車仲間が多数参加してくれて、私は、感激のあまり、泣きそうになる。

自転車仲間
(自転車仲間と。joypapaさん撮影。皆さん、本当にありがとう!許可なく、お顔を出してしまい、すみません)

皆さんとお別れした後は、教会施設内で親戚縁者での会食。
その場では、呑ちゃんの歌声も披露された。
私は、真っ昼間からお酒をたくさん飲めてご機嫌至極・・・。

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(親戚の会食では、呑ちゃんの歌声も)

その後、いったん帰宅して、夜の披露宴会場(「ハンナリ」)に向かう。
と言っても、自宅から200メートルぐらいだけど。
ハンナリ」は、雰囲気も料理も、そして何よりも、自転車仲間でもあるママ(みずえ)さんのお人柄が晴れやかで素晴らしく、店の店長と間違えられそうなぐらいしょっちゅう顔を出しているお店だが、今回も、この手の饗宴は、是非ともここでやりたいと貸し切りをお願いした次第。

夜の饗宴には、北は北海道、南は九州から、友人たちが駆けつけてくれ、おまけに、芸達者が多かったものだから、飲めや歌えやの大騒ぎになって、多少、ご近所に迷惑をかけたかもしれないが、進行役たすけさんの芸術的なまでに見事な切り盛りのお陰で、そこにいる全員が実に楽しい時間を過ごすことができたと思う。

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(前菜セット)

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(飲めや歌えやのハンナリ店内)

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(朝鮮の横笛・テグム演奏家のトルさん。飯田橋「紀吉亭」の店長でもあります)

矢野さん
(網走から駆けつけてくれた、マンドリンを演奏するギタリストの矢野敏広さん。やまびこさん撮影)

カヤグム
(朝鮮琴・カヤグム演奏家のスジャさん。やまびこさん撮影)

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(ウクレレを弾きながらハワイアンを歌う福岡のBAJAさん)

歌舞音曲以外にも、出で立ちに趣向を凝らした参加者もいた(約2名)。

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(「目立ってはいけない」という訳の分からない理由から、「透明人間」に扮しているつもりのしゃあさんだが、実際には「ミイラ男」と呼ばれていた)

そして、昼間のキリスト教とバランスをとろうとして、イスラム風の出で立ちの私。

イスラム風
(イスラム風な私。やまびこさん撮影)

こうして、最後には、多少どんちゃん騒ぎ風になったような気がするが、私自身、なかりへべれけになって、しかも、金町駅前の2次会でもまた飲んだので、あまり詳細は覚えていない。

この度は、皆さんから身に余る過大な祝福をいただいて、感謝の言葉も見つからない。
でも、それに応えるべく、工夫と努力と協力を凝らして、二人して懸命に生きていく所存なので、今後とも、変わらぬ叱咤激励を賜りたい。
皆さんには、この場をお借りして、深く御礼を申し上げたい。

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*関係リンク集
・xiaoxiongさん
http://blog.livedoor.jp/xiaoxiong/archives/6816311.html
・たすけさん
http://sazaepc-tasuke.seesaa.net/article/255890805.html
・kincyanさん
http://blog.livedoor.jp/liveokubo/archives/51999835.html
・ワンちゃんさん
http://blog.livedoor.jp/won_chan/archives/51927853.html
・tatsuo1さん
http://tatsuo.air-nifty.com/tatsuo1/2012/03/congratulations.html
・やまびこさん
http://biko.blog.ocn.ne.jp/kawa/2012/03/post_a478.html
http://biko.blog.ocn.ne.jp/kawa/2012/03/post_2c13.html
・dadashinさん
http://sasa06.blog92.fc2.com/blog-entry-520.html
・東葛人さん
http://blog.livedoor.jp/toukatsujin/archives/52835626.html
・NOBさん
http://nobnojitensyablog.blog.so-net.ne.jp/2012-03-03
・ハンナリのみずえさん
http://ameblo.jp/4seasonscafehannari/entry-11183434252.html
・葛飾デルタ同盟
http://hidebbs.net/bbs/k-delta?sw=7
・呑ちゃん
http://marichandengana.blog80.fc2.com/blog-entry-492.html

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2012.03.03 Sat
廃物チェーンで、キーホルダーを作ろう!
自転車というのは、要するに、複数の部品の寄せ集めなので、自転車を組み立てるというのは、これらの部品を然るべき箇所に適切に装着することを意味する。
ただその個々の部品はと言えば、自分ではとても作ることができないので、出来合いの「製品」を利用するしかない。
自転車の部品のすべてを作ることのできる人は、たぶん、世界広しと言えども、一人も存在しないのではなかろうか。

たとえば、ハブやヘッドセットやBBに内蔵されているボールベアリングを拵えなさいと言われても、大概の人は、途方に暮れるしかないであろう。
チェーンを作ってみなさいと言われも、どうすることもできないだろう。
RDやFDに至っては、端から降参するしかない。
まあ、ハンドルなら、もしかして、ホームセンターで径が適合したパイプを買ってくれば、フラットハンドルぐらいなら作れるかもしれないが・・・。

かくほどさように、自転車の部品というのは、きわめて高度な工業技術の上に成立しているのである。
まさしく、産業革命後に製作可能になった「機械」であることは明らかである。

料理の分野と比較するとき、自転車が孕んでいる高度な近代性は、一層顕著となる。
たとえば、肉じゃがを拵えるとする。
肉じゃがの「部品」たる材料も、何年か家庭菜園の勉強をすれば、ジャガ芋やニンジンやタマネギやコンニャクすらも作れるようになるだろう。醤油や酒だって、何回かチャレンジすれば、まがいなりにも、近いものを作れそうな気がする。
ハードルの高そうな鍋にしたって、こつこつと縄文土器製作講座の類に通って、その製造技術を体得することはできそうである(豚肉に関しては、猟を習って、猪肉で済ますことにして)。
こうして、奮闘努力をすれば、たぶん、5年後ぐらいには、本来的な意味での「自家製」肉じゃがを拵えることが可能かもしれない・・・。

それに引き替え、自転車に関しては、5年ではとても無理で、フレームのパイプ自体を製作することすら可能かどうか・・・(鋳造と冶金を修めなければならいだろうし)。

さて、前置きが長くなった。
自転車の部品の中で、一番摩耗度が激しいのはチェーン。
そのチェーンを交換した後、古いチェーンはどうしておられるだろうか。
たぶん、捨てるしかない。
でも、モッタイナイ。
でも、捨てるしかない・・・。

長年(と言っても5年ぐらい)、この問題に悩み続けた私は、ついに、廃物チェーンの再利用法を考えついたので、ここに書き留めておこう。

まず、使い古しのチェーンは、大変に、キタナイ!
なので、カッターナイフで底の部分を切り取ったペットボトルにチェーンを入れて、洗浄スプレー(大量)でキレイにする。
汚れが頑固な場合は、何回もこれを繰り返すしかない。

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(洗浄スプレーでチェーンを洗う)

キレイになったら、ボロ切れでよく拭いて、チェーン切りで3コマ(6リンク)ずつカットする。

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(チェーン切りで6リンクずつ切る)

切った6リンクを丸く合わせると、こんな6角形↓ができる。

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(6リンクのチェーン)

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(6リンクごとに切断されたチェーンとキーリング)

そして、6リンクの合わさった穴にキーリングを通せば、チェーン・キーホルダーの出来上がり!

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(チェーン・キーホルダー完成)

キーリングは、通販で探せば1個1~2円ぐらいで買うことができる。
ロード用のチェーンなら、一本のチェーンで17個ぐらい作ることができる。
私は、調子に乗って、34個も作ってしまった。
こんなにたくさんの鍵を持っていないので、使い道が難しいが、人に上げれば、喜ばれる(or 迷惑がられる)かもしれない・・・。

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(このように展示すれば、宝飾品のようにも見えるかも)

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2012.03.01 Thu
WレバーのFUNAKUBOに乗って~都心初走行(湯島天神の梅花など)
クロモリロードのFUNAKUBOは、まだ、100キロそこそこしか乗ってない。
水元公園の周辺を試乗がてらちょろちょろと走っただけ。
というのも、Wレバーで都心を走るのがちょっと怖かったからである。
それでも、自分としては、一応、練走も済んだので、いよいよ、この自転車で通勤してみることにした。

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(クロモリロードのFUNAKUBO

私は、月平均約1000キロ(プラスマイナス100キロ)ぐらい走るが、その7~8割は通勤である。
なので、通勤で使えない自転車は、私にとって、それこそ、無用の長物になってしまう。
だからといって、Wレバー仕様であることを、通勤に使えない理由にはできない。
というのも、25年ぐらい前までは、ツール・ド・フランスだって、ジロ・デ・イタリアだって、日本一周だって、通勤通学だって、ロードやスポルティフやランドナーなら、全員が、おしなべてWレバーで走り回っていたわけで、「使えない」とすれば、それは自転車側のせいではなく、明らかに、乗り手側のせいだからである。

今日は、暖かかった。
自転車に乗っていても、居眠りをしていまいそうな陽気である。

久しぶりに、隅田川堤にて、激安250円弁当を食べる。
久々に食べると、大変美味しいような気がする。

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(長らく、寒くて食べられなかった「野外」弁当を、隅田川堤で食べる。焼肉弁当250円!)

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(枕橋近くで、食後のコーヒータイム)

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(北十間川の舟だまり。枕橋より)

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(蔦の絡まる東武線高架。風景壊しの新電波塔も写ってしまった)

駿河台の職場に到着。
往路では、Wレバーの使い心地、未だしっくり来ず・・・。

職場では、年度末〆のいくつかの書類を提出して、いくつかの野暮用をこなして退散。

Wレバーの変速は、当然のことながら、眼で確認しないでもできなければならないので、自転車に跨って、ハンドルとレバーとの距離を手に覚えさせる。
ブラケット位置からレバーまでを手を行ったり来たりさせ、その後、下ハンからレバーまでも同じことを30回ぐらい繰り返す。
まず、右手で右レバー、次いで、左手で左レバー。
この練習で分かったことは、レバーは、指で操作するのではなく、レバーの支点を含めて手全体で包み込むように操作するような意識で動かすとうまくいくということ。
そんな意識を持ちつつ、駿河台を下って、不忍通りを走る。

とにかく、指ではなく、手で
この意識があると、比較的円滑に変速行為を行うことができる。

走りながら変速するのにちょっと難しいのは、ペダルを漕ぐ足とのタイミングである。
変速するためにダウンチューブに降りる手と、ペダルを漕ぐ足がぶつかりそうになってしまう。
ぶつかりそうになると、足が不自然に開くので、体勢がふらつく。
なるほど、これは、縄跳びのタイミングなんだと思う。
足を下に踏み込んで、下死点に至る途中で、手を延ばすようにすればいいんだ!

湯島天神の手前まで来たとき、不思議なことに、高校生の頃の感覚が不意に蘇ってきた。
そうか、こうすればいいんだ。
私の手が、40年前の記憶を呼び覚ます。

私は、有頂天になって、湯島天神への坂を登る。
左手で39tに降ろして、右手で27tに降ろす・・・。

そして到着した湯島天神。

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(湯島天神前のガードレールに自転車を駐輪)

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(梅祭りたけなわの湯島天神)

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(湯島天神の白梅)

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(湯島天神の紅梅)

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(湯島天神名物の合格祈願の絵馬)

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(湯島天神男坂)

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(湯島天神境内では、猿回しも行われていた)

昼飯を食べていなかった私は、突然、空腹感に襲われて、引きつけられるようにタコ焼きの露店へ。
境内のベンチに腰掛け、余り咲いていない梅の花を見ながら、タコ焼きをハフハフする。

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(タコ焼きを食べる)

タコ焼きを食べながら、梅花のことを考える。
梅と桜と。
この春を代表する二つの花は、どこか雰囲気が違う。

永井荷風は、梅花を愛でるには、中国古典の素養が必須だと説いていたが、私には、そんな教養は皆無。
ただ、梅と桜をめぐるイメージの差異は、私にも、何となく分かる。
かつてニーチェは、『悲劇の誕生』の中で、アポローン的なるものとディオニューソス的なるものとの対立構造を図式化して論じたが、差詰め、梅=アポローン的桜=ディオニューソス的なのではないかと夢想する。
梅は静的で、桜は動的。
梅は観念で、桜は情念。
梅は禅的な集中で、桜はスサノオ的な錯乱・・・。
そんなことを考えながら、あまりうまくなかったタコ焼きを食す。
急いで食べたので、唇にちょっと火傷しちゃった。

再び自転車に跨り、湯島の台地を馳せ下って、不忍池に降り立つ。
坂を下る際は、Wレバーを何段も上げる。
そうなのだ。
Wレバーは、一挙に何段も上げたり下ろしたりできるのが、STIレバーよりも優れているのである。

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(一面の蓮が冬枯れている不忍池)

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(上野水上音楽堂脇の滝)

上野の山に登る。
39t×23t。

坂を登っている途中に、新たなることに気づく。
Wレバーの場合、コンパクトクランク(50t-34t)よりも、ノーマルクランク(50~53t-39t)の方が使いやすいということに。

私が所有している他の2台のロードは、いずれも、STIレバーのコンパクトクランク仕様である。
コンパクトクランクは、アウター/インナーの歯数差が16tである。
他方、FUNAKUBOのクランクセットの場合は、50t-39tで、歯数差11t。
ノーマルクランクからコンパクトクランクに換えたことのある人は、アウターとインナーの差が大きくなって、使いにくいと感じたことはないだろうか。
私も、そうだった。
34tは、坂を登る際は大変にありがたいのだが、いきなり16t差もあるインナーに落とすと、ペダルが空回りするような、一種の断絶感を覚えたものである。

そこで、STIレバーでコンパクトクランクの場合、皆さんがやっていることとして、前後の変速機を同時に操作するという技法。
たとえば、スプロケ12-25tだとして、だらだら坂を登ってきて、アウター×23tからさらにギアを軽くしたい時、そのままインナー34tに落とすのではなく、左右のSTIレバーを同時に操作して、右は21tに上げるのである。
こうすれば、フロント16tの落差をやや解消できるというわけである。
アウターにシフトアップするときも同様で、右レバーでアウターへの変速をしながら、同時に後ろは1段ロー側に落とす。

ところが、Wレバーの場合、この左右同時の変速が、レバーの動く方向が逆なので、不可能ではないにしても、非常に困難である。
なので、Wレバーの場合は、ノーマルクランクか、あるいは、コンパクトクランク(110ミリ仕様)だとしても、アウターとインナーの歯数差が小さな46t-34tのクランクセットを使う方が適っているように思う。

不忍池から上野の山へ登ってみる。
39t×27tでも、山岳地帯は私には無理だが、武蔵野台地や下総台地ならどうにかなりそうである。
また、都心を走るなら、ノーマルクランクの方が使いやすいのではないかと感じた。
商店街や路地を走るときは、39t。
幹線道路では、50t。
信号でのストップ&ゴーでは、フロント変速を使うことにする。
このようにすれば、走りやすい。

上野山では、大道芸をやっていた。
いきなり、石膏男現る!

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(石膏男の大道芸)

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(石膏男の大道芸。背後の子供の、びっくりしたような顔が面白い)

こうして私は、上野の山を下って、金杉通りを北上。
Wレバーの操作にも大分慣れてきたぞ。
根岸5丁目あたりから、三ノ輪の路地に潜り込む。

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(都電「三ノ輪橋駅」)

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(三ノ輪の商店街)

その後、千住大橋→国道4号(千住新橋)→千住→綾瀬→飯塚橋で帰宅。

Wレバーの感覚が掴めたような気がして、大変に嬉しい一日だった。

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(荒川堤にて)

走行距離:38キロ(FUNAKUBO)

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