日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
映画の日々 | エッセイ | 思い出 | 身辺雑記 | 日録 |  | 自転車 |  | 小さな旅(自転車) | 小さな旅 | 旅(自転車) | 未分類 | 自転車文学 | 
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
断腸亭日録~自転車日記
≪2011.08  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  2011.10≫
プロフィール

higedancho

Author:higedancho
断腸亭髭爺です。
自転車関係の日記が多いです。
よろしく。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
ブロとも申請フォーム
フリーエリア
ブロとも一覧
「 2011年09月 」 の記事一覧
--.--.-- --
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告    Top↑

2011.09.29 Thu
市川史跡逍遙サイクリング~「ひさご亭」(市川大野)のタンメンはやっぱり最高!
先週土曜の「市川・赤煉瓦倉庫見学サイクリング」をきっかけに、市川の史跡への興味がにわかに蘇った。
とりわけ、下総台地を擁する市川は全国的にも縄文遺跡(貝塚)の宝庫である。
しかも、上代になると、市川は、現在の「首都圏」に当たる地域の、まさに行政的な中心地(国府・国分寺・国分尼寺が置かれた)にもなった・・・。

秋らしい爽やかな天気に誘われて、私は9時過ぎに自転車(フジクロス)に飛び乗った。

行き先は、もちろん、市川方面。
いくつかの史跡を行き当たりばったりに「梯子」してから、つい最近、dadashinさんのブログ記事を拝見して久しぶりに思い出した「ひさご亭」で昼飯(タンメン+餃子)を食べるというかなり大雑把な計画・・・。

水元桜土手から江戸川CR右岸を走って、新葛飾橋(国道6号線)を渡る。
新葛飾橋を矢切側に渡りきって一般道に出たところで、すれ違いざまに自転車の人から声を掛けられる。
「断腸さん!」。
自転車を止めて振り返ると、印旛の愚兵衛さんだった。
サイクリングロードのような排他的一本道ならよくこういうことがあるのだが、一般道ではなかなかないことだ。
「まったくもって、奇遇ですねえ・・・」とお互いに驚く。

聞けば、これから渋谷まで行くという。
あれまあ、印旛からはるばる渋谷まで自転車で行くとは、何と奇特な人であることかと唖然としていると、とんだ「しぶや」違いで、若者たちが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するという渋谷ではなく、自転車乗りのオジサンたちの憧れの的だというお花茶屋(葛飾区)の自転車屋「しぶや」(小径車専門店)であることが分かった。

しばらく、自転車に跨りながら、立ち話ならぬ「跨り」話をしているうちに、歴史好きな愚兵衛さんも私に同行してくれるという(今考えればすまないことをしたかもしれない。愚兵衛さん、ゴメンナサイ)。
さっそく連れだって走り出す。

ちなみに、今日走ったルート地図はほぼ次のようなもの。



先ず最初に立ち寄ったのは、「下総国分尼寺跡」。

IMG_0443.jpg
(「下総国分尼寺跡」)

奈良朝以降の上代、畿内の中央政権は、地方に対する統治文化政策として、国庁・国分寺・国分尼寺の三点セットを設置したのだが、「下総国」(いわゆる北総が中心だが、現在の茨城・埼玉・東京の一部を含む広大な領域だった)では、市川の台地上にこれらの中心施設を築いたのである。

これまでにも、私は、各地の国庁・国分寺・国分尼寺跡を訪ねたことがあるが、それらが設置されている場所の立地条件はよく似ている。
大概、近くの河川が自然の要害になるような台地の上にある。
平地を見渡せるそんなに高くはない台地上に築かれている場合が多い。
まさに、権力が、その地方を睥睨しているようである。
もちろん、国庁は軍隊も擁していたので、いざとなれば、鎮圧部隊の基地として機能しやすい場所に設置されたのだと思う。

従って、この国分尼寺の近辺は、上代に由来する史跡も多いようである。
このあたりを散策するのに便利そうな地図があったので撮影しておいた。

IMG_0446_20110930155201.jpg
(下総国分寺界隈の散策地図)

当然、尼寺の近くには、国分寺がある。

IMG_0451_20110930161428.jpg
(「下総国分寺」の仁王門)

IMG_0448_20110930162020.jpg
(現在は墓地になってしまっている「下総国分寺」の「講堂跡」。礎石は残っている)

さて、次に目指すは、縄文遺跡の「曽谷貝塚」(地図)。

IMG_0452_20110930163917.jpg
(「曽谷貝塚」で、4000年前に思いを馳せる愚兵衛さん)

そうそう、今度の日曜日(9日)、この貝塚で「曽谷縄文まつり」というイベントをやるという。
貝塚周辺には、既にそれを知らせる幟が立っていたが、ポスターを発見したので、ここに掲載しておこう。

IMG_0270_20111001041013.jpg
(10月9日(日)「曽谷・縄文まつり」のポスター)

昼までに帰宅しなくてはならない愚兵衛さんとは、この後、市川大野駅まで一緒に走ってお別れする。

私も相当腹が減っていたので、そのまますぐに「ひさご亭」に急行するも、12時開店でまだ50分以上もあったので、そこから比較的近い「美濃輪台遺跡」(地図)に行ってみることにした。

私は、市川「大野」を横切って走る。
この「大野」(大柏谷)の地は、かつては広大な湿地帯を成していたのだが、それより以前の縄文期には、遠浅で汽水の内海であった。
縄文人は、この内海を取り囲む台地上に住居を築き、海では魚介類を採集し、森では猪や鹿を狩って暮らしを立てた。
ために、台地の縁では、あちこちに大小の貝塚が形成された(堀之内貝塚姥山貝塚、曽谷貝塚など)。

IMG_0271_20110915065556.jpg
(「市川市の縄文貝塚分布図」。市川歴史博物館の展示図を撮影)

弥生期以降になると、海が後退して湿地となって水田に変貌する。
市川では、なぜか弥生期の痕跡は少ないが、古墳時代になると、かつて縄文人が暮らしていた台地に、新に渡来系の人々も住み始めて、湿地帯は徐々に水田に変わっていったものと思われる。

IMG_0454_20111001050824.jpg
(「美濃輪台遺跡」B地点。炉穴跡が発見されたという)

IMG_0455_20111001051055.jpg
(「美濃輪台遺跡」から台地の下を眺める。この下は、かつては、内海に続く葦原のような湿地だったのではないか。現在は住宅地になっているが、昭和30年代までは水田だった)

IMG_0456.jpg
(現在でも、大野には湿地が残っている。「大柏川第一調節池緑地」)

IMG_0457_20111001061656.jpg
(野には、ススキが群生していた)

こうして、店が開店する12時少し前に、再び、「ひさご亭」(市川大野駅から約1キロ)に到着。
既に、7~8人が開店を待って行列を作っている。

IMG_0459_20111001052740.jpg
(「ひさご亭」の店構え。食べ終わってから撮影したもの)

IMG_0458.jpg
(タンメンと半餃子)

ここのタンメンは、シャキシャキのモヤシが一杯で、スープは実にあっさり。
太めの黄色い麺が、そのスープと実に良くマッチしている。
また、餃子は、お稲荷さんぐらいの大きさなので、ラーメンを食べるときは、半餃子(3個)がお勧め。
フルの餃子(6個)は、ビールがないと食べ切れません!

一心不乱にタンメンと餃子を食べる。
苦しいほどに、お腹がパンパンになる。

タンメンと言えば、東向島の「味の横綱」のそれ(モヤシが富士山になっている!)も大変にウマイのだが、ひさご亭のがあっさりしていて私の好みである。

さて、満腹になると眠たくなる。
姥山貝塚も寄りたかったが、またの機会にしよう。

私は、宮久保あたりの台地縁の道を辿って、再び、国府台の台地に登る。

IMG_0385.jpg
真間山弘法寺・ぐほうじへと登る階段。この下も、縄文期は汽水の海だった)

IMG_0461_20111001061255.jpg
(下総台地の下がかつては湿地帯ないしは汽水海だったことを物語る「真間の継ぎ橋」)

IMG_0460_20111001065659.jpg
(そしてその、万葉期都人のアイドル的存在だった「真間の手児奈」を祀った手児奈霊堂。「葛飾の 真間の手児奈が ありしかば 真間のおすいに 波もとどろに」)

IMG_0384.jpg
(国府台上の森の中)

こうして、水元公園に到着。
公園のベンチで地図を開いて、走ったルートを検証していると、公園の一角に人が集まっていて騒がしい。
何だろうと行ってみると、曼珠沙華の花畑が広がっていた。

IMG_0465.jpg
(水元公園の曼珠沙華)

IMG_0466.jpg
(水元公園の曼珠沙華2)

私は、しばし、その変奇で妖しい美しさに見入っていた・・・。

この日の走行距離:40キロ(獲得標高:96メートル)
スポンサーサイト

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
小さな旅(自転車)    Comment(8)   TrackBack(0)   Top↑

2011.09.28 Wed
自転車事故のことを思い出した日
これは冗談ではなくて、最近とみに記憶力の衰えを感じる。
昔のことはよく覚えているのだが、最近のことをすぐに忘れてしまう。
ただ、すぐに忘れてしまうお陰で、毎日が「新鮮」に感じられるという利点もないではないが、すこぶる危機感を覚えたので、もっとこまめに日記(備忘録)を付けようと思った。

ただしかし、なかなか詳しく書く時間(と内容と勇気)がないので、日々の短い記録は、断腸亭「日報」(お手軽な掲示板形式)に付けることにした。
長めの記事は、従来通り、この「日録」に書くことにしたい・・・。
ちなみに、直近の9月24日~27日までの記事は、「日報」の方をご覧になっていただきたい(名称が紛らわしくてすみません)。

さて、1週間前の台風の水曜日と打って変わって、今日は落ち着いた天候であった。
昼前からは、秋晴れという言葉が出るような気持ちの良い一日。

6時に家を出る(フジクロス)。
ちょっと寒いぐらいで、途中で防風衣を着込む。
東向島の100円ローソンでサンドイッチを買って、隅田川河畔の土手で朝食。

IMG_0430.jpg
(隅田川土手で朝食。桜の葉が大分少なくなった)

因みに、今日のルートはこれ(往復ともほぼ同じ)。

夕べ、飲みすぎたせいか、今日はちょっと足が重い。
駿河台を抜けて、外濠の土手上の道を西進。

IMG_0431.jpg
牛込御門=牛込見附跡の石垣・地図

IMG_0432.jpg
(いつもの法大前の公衆便所で休憩。便所の裏手の外濠公園遊歩道。自転車進入禁止・地図

四ッ谷から新宿通り(国道20号線)を走る。
今日は、心なしか、クルマが少ないような・・・。

いつもいらいらする「四ッ谷4丁目」の交差点に至る。
ここは、かつて、内藤新宿への出入りを監視する関所「四谷大木戸」が置かれていた場所である。
伝統なのか、現在でも、四六時中機動隊車輌が止まっていて、警察官がうようよしているので不快である。

IMG_0433.jpg
(「四ッ谷4丁目」の交差点。かつての「四谷大木戸」付近・地図

四ッ谷大木戸
(「江戸名所図会」に描かれた「四谷大木戸」)

職場到着。

(労働時間が経過する)

そして、業務終了!
万歳!

自転車に跨って、帰路に着く。

帰りも、法大前の公衆便所で休憩。

IMG_0435.jpg
(日光がさしていて美しい)

空腹を覚えたので、駿河台下の「天丼・いもや」に入るべく、道端に自転車を止めていると、すぐ側に、オレンジの「Masi Speciale」が置いてあった。

IMG_0437.jpg
(Masi Speciale)

IMG_0438.jpg
(Masi Speciale。違う角度から)

実車を見るのは初めて。
旧ティアグラ組でホイールはR500。
装備類から推察するに、この持ち主(多分、私よりちょっと若い人じゃないかな)は、通勤車としてフル活用しているようだ。
う~ん、なかなか良い!
想像していたよりパイプが太くて精悍な感じかな。
私は、自転車のブランド云々にはほとんどまったくと言ってよいほど興味がないが、何故か、Masiのクロモリ車には引かれる。
ただし、この車種は、完成車販売しかないのが本当に残念。
フレーム売りがあれば飛びつきたいところなのだが・・・。

天丼を食べて、不忍通りを走る。
すると、「妻恋坂」の交差点の角に、ビアンキのクロモリクロスバイクが変な形で駐輪されていた。

IMG_0439.jpg
(「妻恋坂」の交差点のガードレールの車道側にくくりつけられていたビアンキ。奇しくも「ビアンキ・コンセプトストア」のすぐ近くでもある)

私は、信号待ちの間、お~、良い自転車だなあと細部に目を光らせる。
5速でダブルレバーでスレッドステム。
かなりクラシカルな旧車だなあ・・・。
ところが、前輪を見ると、大きく歪んでいるではないか(サドルにも大きな傷あり)。
ブレーキを開放しても、走れないほどである。
どうしたんだろう。
多分、事故車ではないだろうか。
お気の毒に、この持ち主は、この交差点で事故を起こして、もしかしたら救急車で病院に運ばれたのかもしれない。
私も、2年前に事故をしたとき、自転車(フジクロス)が走れないほど壊れてしまって、しばらく現場近くの交番にあずかってもらっていたことを思い出して、胸が痛む思いがした。
多分、この自転車の持ち主は、私と同年代かちょっと上かもしれない。
ご無事でおられると良いのだが・・・。

その後は、ビアンキの痛々しい姿が気になって、何だか楽しく走れなくなってしまった。

気分転換を図るために、隅田公園の水戸藩庭園跡で一服。

IMG_0440.jpg
(隅田公園の水戸藩庭園跡)

最近記憶力が衰えつつある私ではあるが、事故後、奇跡的に復活したフジクロスを眺めながら、その時の痛手を思い出していた・・・。

走行距離:60キロ(フジクロス)

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
小さな旅(自転車)    Comment(6)   TrackBack(0)   Top↑

2011.09.23 Fri
大変だった台風の日の自転車通勤~および、翌日江戸川筋と国府台の惨状など
雨の中を自転車で走るのが好きな人はいない。
もちろん、自転車に限らず、徒歩だって、バイクだって、鉄道だって、クルマだって、雨の日は移動するのが億劫なのは同じであろう。

台風15号が関東に到来しつつあった水曜の早朝、私は、いやいやながら出かける準備をしていた。
通勤の際、普段は、面倒なのでほとんど平服のまま自転車に乗って行ってしまうのだが、合羽を着込む場合は蒸れるので、下に自転車服を着る。
だから、職場で着る平服一式をリュックに別に詰めてわざわざ持って行かなければならない。
その他に、靴がぐちょぐちょになるのは必至なので、替えの靴下や手袋(帰路用)、さらには、ヘルメットの下に被る雨帽(100円ショップ製だが)などを用意する(職場で履く靴はロッカーに常備)。
だから、雨の日は、どうしても、重装備となる。

しかも、雨の日は通勤時間がかかるので、いつもより早めに出なければならない。
路面は濡れているし、視界も悪いのでスピードが出せないし、雨の日に限ってクルマの交通量も多いし、さらに、職場に着いてからも、始業までに、濡れた合羽や靴を干したり、着替えをしたりする時間も必要だからである。

玄関の外に出て、雨の日用の自転車(ルイガノクロス・参照)に跨る。
風は大したことはないが、雨がすごい。
10分もしないうちに、靴の中は金魚鉢のようになって、私の足は、その靴の中でちゃぷちゃぷと気だるい音を立てている。

四ツ木橋を渡った時、う~ん、やっぱり、台風の場合は、普通の雨とは違うと感じる。
頬に雨が当たると痛いのである。
水滴のショットガンを連発被弾しているような感じ。

「四ツ木橋南」交差点からは、「雨の日通勤ルート」に寄るべく、当然の如く右折。

ちなみに、この日の勤務先は、杉並区永福。
途中、上記「雨の日通勤ルート」を介したものの、全体の基本ルート地図は、これをご参照。

隅田川筋の首都高下まで来て、疲れてしまって休憩。

IMG_0362.jpg
(「屋根付き」の首都高下で、携えてきた缶コーヒーを飲みながら休憩)

駿河台付近で、一端、雨が小降りになる。
外濠沿いの台地を登って、法大前の公衆便所で休憩。
雨中走行は、大変に疲れやすい。

IMG_0363.jpg
(法大前の公衆便所で休憩)

四ッ谷を過ぎあたりからまた激しい雨が降ってきたが、どうにか無事に走り抜いて杉並区永福の職場に到着。
いつもより、40分近く余計にかかった。
着替えをし、濡れた物などをエモンカケなどに干して、コーヒーを飲んで、煙草を吸って、どうにか始業に間に合う。

午前中の業務が終了して、昼休みになったのだが、台風接近のため、午後からの業務は全部中止になったという。
構内放送でも「すみやかに帰宅するように」とのお達しである。
接近することは、昨日から分かっていたのだから、朝から終日休みにしてしまえばよかったものを・・・。
担当事務に電話をして、事情を聞くと、交通機関が乱れる恐れがあるのだという。
交通機関がどんなに乱れても、私は自転車なので全然関係ないが、それよりも、朝からまともな物を食っていないので、腹が減って耐えられない。
いつもの店に電話をして出前を頼もうとするが、台風なので今日だけは勘弁してくれと断られてしまった。

仕方がないので、帰ろうとするが、外を見るとものすごい雨である。
今出れば、またすぐに濡れ鼠になってしまう。
でも、インターネットのナウキャストで調べてみたら、巨大な台風雲がもくもくと接近中で、今出ても、もう少し後に出ても同じであることが分かったので、売店でサンドイッチを買って食べる。

少し腹もおさまったので、身支度をする。
合羽や靴は、当然、まだ乾いていない。
ずぶぬれの靴に足を通すことほど不快なことはない。
完全武装姿で廊下を歩いていると、同僚とすれ違う。
「ま、まさか、今日も自転車ですか?気をつけて下さい」と言われる。
「はい、電車が止まると嫌なので、今日だけは自転車で来ました」と嘯(うそぶ)く。

走り出してすぐ、建物のビル風に車体がよろけ、豪雨が合羽に当たって、ものすごい音を発する。
これは半端ではないぞ。
とにかくすごい雨で、前がよく見えない。
まるで、黒澤映画の雨みたいだ。

新宿は、いつも地獄なのだが、今日は、ことさらに地獄だった。
ビル風がすごい。
背後から突風が来たかと思えば、次は前から、そして、横からと絶えず風向きが変わるので、常にハンドルを強固に保持していなくてはならないし(そのため上半身が疲労する)、クルマの交通量もいつもより多くて、車間を擦り抜けながら走るのが一苦労。

しかも、雨の日は、街路全体が途轍もなく「うるさい」。
クルマのタイヤと路面の摩擦音は、幹線道路はいつもうるさいのだが、路面が濡れていると、さらに数倍うるさくなる。
道路全体がうるさいため、後ろからのクルマの接近の具合がつかめないので、しょっちゅう、後方確認をしながら進まなければならない(困ったことに、雨の日は、路駐も多いのだ)。

やっと駿河台まで辿り着いて、疲れてもきたし、再び腹も減ったので、立ち食い蕎麦屋に入る。
合羽姿だと、普通の店に入るのが億劫なので、どうしても、立ち食い系になる。
暖かいたぬき蕎麦(290円)を啜る。
ものすごくウマイ!

蕎麦屋から出ると、ほんの15分間ぐらいだったのに、さらに雨風が凶暴化したようだ。
街のあちこちから、パトカーや救急車のサイレンの音が聞こえてくる。
駿河台を下って城東までくれば交通量も少なくなるが、低地なので、所々に大きな水溜まりができている。
最初のうちは、ペダルから足をはずして、両足を上げるようにして水溜まりの中を走っていたが、そうか、既に靴がずぶぬれであることを思い出して、そんな無駄なことをしなくなった。

一番怖かったのは橋。
体勢を15度ぐらい傾けるような感じで進まないと横からの強風に対処できない。
でも、途中で、さっと風向きが変わったりするので、よろけて倒れそうになる。

IMG_0364.jpg
(厩橋の近くの首都高下で休憩・このあたり、典型的な「カミソリ堤防」である)

こうして私は、四ツ木橋、中川大橋などの難関を突破しながら、やっとのことで家に辿り着いた。
何から何までずぶぬれで、玄関で素っ裸になる必要があった。
疲労困憊!

着替えをして、もう水を見るのはたくさんだったのでシャワーは浴びずに、ソファーで一息ついて、焼酎を飲んでいると、呑ちゃんからメール。
電車が全部止まってしまって帰れないという。
やはり、すごい台風だったのだと改めて自覚した。

そして、翌日。
台風一過で、素晴らしい日和になった。

夕べ、呑ちゃんは、結局、大手町から6時間ぐらいかかって帰宅
それを考えれば、自転車は楽なものだと思う。

私は休みだったので、買い物等のため、朝から自転車(フジクロス)で市川方面に出かけた。

予想はしていたものの、台風の傷跡が至る所に残っていた。
以下、それらを簡単に、写真にて紹介しておこう。

IMG_0369.jpg
(江戸川にすっかり呑み込まれてしまったゴルフ場・矢切付近)

IMG_0370.jpg
(途中から折れてしまったゴルフ場の立木。しかも幹は水没している)

IMG_0374.jpg
(折れて階段を塞ぐ樹・国府台)

IMG_0375.jpg
(水没する江戸川サイクリングロード)

昔から「地震・雷・火事・親父」と言われてきたが、昨今は、音(おん)は合わないが、「地震・原発・台風・津波」こそが本当に恐ろしいものであると思い知った。

水曜日の走行距離:60キロ(獲得標高:45メートル)
木曜日の走行距離:47キロ(獲得標高:不明)

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
小さな旅(自転車)    Comment(15)   TrackBack(0)   Top↑

2011.09.17 Sat
甲信ツーリング3~御坂峠を越える~太宰治「富嶽百景」のことなど
二日目(続き)
承前記事

意を決して、旧道「御坂みち」を上り始める。
くねくねと蛇行しながら山の斜面を這い登っていくような林道で、同じ甲州の「笹子峠」と雰囲気がよく似ている。

IMG_0073_20110917060631.jpg
(「御坂みち」)

10分に一回ぐらい、思い出したようにクルマが坂を登ってきて、私を追い越していく。
近くに渓流が流れているのか、絶えず水がせせらぐ音がして、山林のどこかで四十雀や鶯が歌声を競っている。
それ以外は、あたりは森閑として静まりかえり、私の耳に届くのは、自分の息づかいとチェーンとギアの摩擦音のみ。

IMG_0067_20110917061121.jpg
(「御坂みち」)

途中、木々の切れ間から、富士がぬっと顔を現して、私を驚かせる。
夕べの食堂のオバサンが「朝の8時頃になったら富士が見えますよ」と言っていた通りである。

IMG_0068_20110917062616.jpg
(「御坂みち」から見えた富士)

大きなカーブの所で休憩していたら、あろうことか、私は急に便意を催した。
我慢をすれば我慢できないこともなかったが、こういう場所で脱糞するのも乙かもしれないと思って、クルマのエンジン音が聞こえてこないことを確認して、道路脇の茂みに潜り込んだ・・・。

こうして、久しぶりの野糞に、身も心も大満足。
茂みから這い出すと、クルマが近づいて来る気配がしたので、私はそそくさと身を正して、ヘルメットを被り直した。
すると、私が掻き分けた藪の向こうには、実に見事な富士が見えたのである。
急いでカメラを取りだして撮影した。

IMG_0072_20110917162058.jpg
(脱糞後の富士)

脱糞と富士はよく似合う
私は、心底、そう思って、勝手に感動した。

御坂みちを登るのはべらぼうに楽しい。
いつまでも、この坂が終わらずに、ずっと続いて欲しいとさえ思った。
ペダルを漕ぐ私の足は、疲れることを喜んでいるが如くである。

そうしてしばらく登っていくと、「追分」風な三辻に出た。
山の中を走るとき、こういう場所は要注意で、間違えると大変なことになるので、その辺りに立っている標識や地図を、方位磁石と照らし合わせてつぶさに検討する。

IMG_0074_20110917164802.jpg
(御坂みちの三辻・地図

ここを左に行くのが本道(御坂みち)で、右に行くと、さらに道が分岐して、河口湖に通じる「林道・西川新倉線」と「三ッ峠山」への登山道に通じていることが分かった。

話は遡るが、1938(昭和13)年の初秋、御坂峠の「天下茶屋」に滞在していた太宰治は、井伏鱒二とともに、この追分の右の道を辿って、「三ッ峠山」の山頂を目指している。

このくだりは大変に面白いので、ちょっと長くなるが、太宰の「富嶽百景」から引用したくなる。

・・・或る晴れた午後、私たちは三ツ峠へのぼつた。三ツ峠、海抜千七百米。御坂峠より、少し高い。急坂を這ふやうにしてよぢ登り、一時間ほどにして三ツ峠頂上に達する。蔦かづら掻きわけて、細い山路、這ふやうにしてよぢ登る私の姿は、決して見よいものではなかつた。井伏氏は、ちやんと登山服着て居られて、軽快の姿であつたが、私には登山服の持ち合せがなく、ドテラ姿であつた。茶屋のドテラは短く、私の毛臑は、一尺以上も露出して、しかもそれに茶屋の老爺から借りたゴム底の地下足袋をはいたので、われながらむさ苦しく、少し工夫して、角帯をしめ、茶屋の壁にかかつてゐた古い麦藁帽をかぶつてみたのであるが、いよいよ変で、井伏氏は、人のなりふりを決して軽蔑しない人であるが、このときだけは流石に少し、気の毒さうな顔をして、男は、しかし、身なりなんか気にしないはうがいい、と小声で呟いて私をいたはつてくれたのを、私は忘れない。とかくして頂上についたのであるが、急に濃い霧が吹き流れて来て、頂上のパノラマ台といふ、断崖の縁に立つてみても、いつかうに眺望がきかない。何も見えない。井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆつくり煙草を吸ひながら、放屁なされた。いかにも、つまらなさうであつた。・・・(新潮文庫版、57-8頁)

いかにも太宰らしい書きっぷりで、私は若い頃、むしろ太宰治のこういう文章が嫌いだったのだが、今は楽しく読むことができる。
ちゃんと登山服を着た井伏が安定した足取りで登っていくのに対して、みっともないどてら姿で峠をよじ登る自分を存分に戯画化しておいて、最後に、師匠井伏に「放屁」させることで、ストンと落とす・・・。

太宰と井伏がこの三辻の右の道を上がっていったのは、たぶん、1938(昭和13)年の9月初旬のことなので、ちょうど73年前の今頃のことである。
初秋とは言え、まだ暑かったにちがいない。
太宰治29歳、井伏鱒二40歳。
登山服姿の井伏鱒二の背中を、どてら姿で懸命に追いかけていく太宰治の後ろ姿が見えるようである。

さて、それから間もなくして、私も御坂峠(標高1300メートル)に辿り着いた。
麓の河口湖から、約500メートルを登ったことになる。

IMG_0081_20110918010715.jpg
(御坂峠。右に見えるのが「天下茶屋」。奥に旧「御坂隧道(トンネル)」が見える)

「天下茶屋」は、想像していたよりも昔の風情を残しているようで、なかなか趣がある。
私は、前方の「天下茶屋」にばかり気を取られていたので、左側に展開する富士の山容にはしばらく気がつかなかったが、ふりさけみれば、度肝を抜くような富士山の風景がそこにあった。

IMG_0082_20110918011622.jpg
(御坂峠から眺めた富士山)

御坂峠からの富士山の景色の面白さは、河口湖を抱くような手前の山の稜線が、逆さ富士のような効果を醸し出していることではないだろうか。

IMG_0080_20110918023737.jpg
(手間の稜線が逆さ富士を形作っている)

これはまさに、風呂屋の富士山の理念型だと言ってよい。
この、あまりにも「完璧」に過ぎる富士山像に、太宰治は噛みついたのである。

私は、あまり好かなかつた。好かないばかりか、軽蔑さへした。あまりに、おあつらひむきの富士である。まんなかに富士があつて、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひつそり蹲つて湖を抱きかかへるやうにしてゐる。私は、ひとめ見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文どほりの景色で、私は、恥づかしくてならなかつた。(新潮文庫版、57頁)

今、こうして改めてこの文章を読むと、何だかんだ言っても、太宰治はスゴイ奴だと思わざるをえない。
言葉の運びが絶妙で、諧謔と自省がフーガのように微妙に交錯しているようだ。
「軽蔑」するだけならありふれたことだが、「狼狽し、顔を赤らめ」「恥づかしくてならなかつた」と書かせるところが真骨頂である。

これはまた、伝統的な富士山の描き方に対する痛烈な批判であると同時に、自己の中にも存在する既製の富士山像に対する辛辣な揶揄でもある。

思えば、広重にしても北斎にしても、また、万葉期の「田子の浦にうち出でてみれば白妙のふじのたかねに雪はふりつつ」(山辺赤人)にしても、古来、富士はすべて「遠景」にある崇高なる存在として捉えられてきた。
それが世俗的に収斂された範型が、「風呂屋のペンキ画」であり「芝居の書割」である。

初秋から雪の降り出す11月の半ばまで「天下茶屋」で富士と対峙し続けた太宰の出した結論は、「富士には、月見草がよく似合う」だった。

三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。(新潮文庫版、69頁)

文芸史上初めてかどうかは分からないが(もしかしたら、一茶あたりが既にやっているかもしれない)、太宰は、遠景の富士に対して、同等の存在感を持つものとして、近景の月見草をぶつけたのである・・・。

さて、私が想像したとおり、件の「天下茶屋」は開店しておらず、冷たい飲み物が飲みたくて走り寄った自販機も故障中だったが、73年前、太宰が茶屋から見た風景はどんなだったかを知りたくて、茶屋の軒先から富士山を狙って撮影してみた。

IMG_0083_20110918023308.jpg
(茶屋の方から富士を眺める)

IMG_0087_20110918085947.jpg
(昭和初期に作られた旧「御坂隧道(トンネル)」)

御坂峠で写真を撮ったり、富士山を眺めたりしていると、数組の登山服姿の人がやって来たので、挨拶をして話をする。
聞けば、昭和初期に「御坂隧道(トンネル)」ができる前のさらに古い道(現在は登山道になっている)を登るのだという(途中に、戦国期に北条軍が築いた城跡があるとのこと)。
自転車でも通えますかと質問すると、私の靴(普通の運動靴)を見て、稀に担いで登られる方もいますが、やめておいた方がいいでしょうとのこと。
また、麓で甲府側「通行止」の看板が出ていたことについても訊いてみた。
台風12号の影響で、河口湖側も昨日まで通行止だったこと、甲府側は、大概、道が荒れているもので、冬場は全面通行止になるという。
今日の通行止の区間については、行ってみなければ分からないけど、自転車なら大丈夫でしょうとの返事をもらって、私もやや安心する。

「天下茶屋」は「商い」を始める兆候もなかったので、私は、暗いトンネルを抜けて、甲府側に下ることにする。
今日は、防風衣を着るほど涼しくはないので、服装はそのまま。
ブレーキの効きと車輪の固定を点検して、降り始める。
降り始めてすぐに、この先「通行止」のバリケードがあったが、自転車なので、簡単に擦り抜ける。

この先は完全通行止なので、対向車は皆無だと分かっていたので、ヘアピンカーブも思い切り速度を維持したまま降り始める。
クルマが来ないのはいいのだが、路上の落下物が多い。
落ち葉、枝、クルミの実など。
また、こちらは北向き斜面なので、雨も降っていないのに路面が濡れていて、それに落ち葉が絡むと滑りやすくなることがある。

IMG_0088_20110920035459.jpg
(大きな岩の側で休憩)

IMG_0089_20110920035617.jpg
(森の奥の方からせせらぎの気配がしたので降りてみると、水量の増した渓流が森林の中を流れていた)

さらに降って行くと、路肩に一台の工事関係車輌が止まっていて、私の姿を見るや、ヘルメット姿の人が飛び降りてきて、私を制止した。
とうとう来たか。
私は自転車を止めて、びくびくしながら、その人が何を言い出すかを待っていた。
ところが、その人は、ちっとも怒ってなくて、「この先で、作業をしているので、気をつけて行って下さい」とだけ注意した。

よかった!
これはいわば、通行許可証をもらったようなものである。
私は、肩の荷が下りたような気がして、喜んで降って行った。

結局、この先で、斜面側が多少崩れて、ブルドーザーで工事をしていた所があったが、さしたる道路崩壊もなかった。
何だか、肩すかしを食ったような格好である。

こうしてめでたく、私は旧道を降って、国道137号線との合流地点に辿り着いた。

IMG_0091_20110920044745.jpg
(国道137号線[左]と旧道[右]の合流地点。旧道側は完全封鎖されていた)

さて、この日の稿がずいぶん長くなってしまったので、後は、写真をつないで記録するに留めよう。

IMG_0092_20110920045531.jpg
(国道137号線[=鎌倉往還]を下る)

IMG_0094_20110920045710.jpg
(国道137号線沿い。八ヶ岳連峰が見えてくる)

IMG_0097_20110920045900.jpg
(「笛吹ライン」(県道34号)は狭くて走りにくい道だが、沿線にたくさんの葡萄園がある。ワインと葡萄を送る)

IMG_0098_20110920050113.jpg
(ほぼ全線に渡って、自転車では走りにくい国道20号線)

IMG_0100_20110920050254.jpg
(国道20号線の交通量の多さと暑さに辟易として、釜無川筋に出て、「信玄堤」を見学する)

IMG_0106_20110920050623.jpg
牛頭島公園まで走った所で時間切れとなり、穴山駅まで引き返し、茅野駅まで輪行することにする)

IMG_0107_20110920051711.jpg
(無人駅の穴山駅から輪行。このあたりの国道20号線から中央本線の駅に行くには、ものすごい激坂を上がらなければならないので注意)

IMG_0111_20110920051930.jpg
(茅野駅下車。ここから下諏訪の宿まで自走)

IMG_0116_20110920052108.jpg
(下諏訪のチサンホテルに到着。洗濯・入浴後、ガストで夕食後、就寝)

この日の走行距離(茅野駅→宿を含む):77キロ(獲得標高:780メートル)

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
旅(自転車)    Comment(16)   TrackBack(0)   Top↑

2011.09.16 Fri
甲信ツーリング2~御坂峠を越える~「通行止」の看板に愕然
二日目(9月7日)

5時過ぎに宿で目を覚ます。
身支度をして、6時半に出発。
富士山頂には雲がかかっているが、高原らしい清涼な大気である。

先ずは、河口湖まで降りて、湖のぐるりを走ってみる。
最後にここに来たのは10年ぐらい前だろうか。
その時は、風の強い日で、帽子を押さえながら湖畔の遊歩道を歩いたことを思い出した。
人間の記憶は、多分に場所と結びついているものなので、その場所に立ってみないと蘇らない記憶があるものである。

IMG_0056_20110915180130.jpg
(河口湖畔。前方に見える橋は河口湖大橋)

湖畔で地図を広げて、今日の路程を確認する。
今日の宿は、下諏訪に取ってある。
だから、甲州から信州に抜けなければならないが、このためには、どこかで必ず山越えをしなければならない。
富士五湖から縦に抜けるルートは、主として3つある。

1.河口湖から国道137号線→県道708号線で御坂(みさか)峠を越える(旧鎌倉往還)
2.精進湖から国道558号線→県道113号線(精進ブルーライン)
3.富士五湖周回道で本栖湖まで出て、国道300号線で身延線沿いに出て、富士川を遡る。

いずれも、笛吹市あたりに出るのは同じだが、私が選択した道は、1の「御坂峠」(旧鎌倉往還)である。
理由は、はっきりしていて、トンネルが少ないということである。

トンネルというのは、何と言ってもこの世で一番つまらない道だし、幹線道クラスのトンネルを抜けるのは、自転車にとっては命がけであるからだ。
もちろん、トンネルのある付近には、大概、トンネルが作られる以前までに使っていた峠越えの旧道があるものだが、現在は廃道も同然で、草木に被われてしまって、自転車での走行がままならない道も多く、現場に行ってみないことには分からないのである(ただし、トレッキングには適している)。
まあ、当然と言えば当然だが、一般的な法則としては、古い道ほどトンネルは少ないということになる。

先ずは、その河口湖から甲州街道中穴山付近までの地図を示しておこう。



河口湖大橋を渡る。
全長500メートル。
マイカーブームが本格化した1971年に完成し、2005年までは有料道路だったそうである。

IMG_0060_20110916082150.jpg
(河口湖大橋から)

IMG_0058_20110916082749.jpg
(河口湖大橋から。背後の富士山は、雲がかかっていて山容は拝めず)

そう言えば、まだ朝飯を食べていなかったので、峠越えの前に、コンビニに寄って、暖かいおでんを食べる。
大分気温が低くて、出がけから防風衣を着ていたぐらいである。

こうして私は、国道137号線を上り始めるが、朝の出勤時とあり、かなりの交通量である。
富士五湖近辺の人の中には、甲府方面に通勤している人も多いのかもしれない。

IMG_0063_20110916083430.jpg
(国道137号線の待機所で休憩。交通量の多さに辟易)

IMG_0061_20110916083550.jpg
(しかし、そこからは、雲間から富士が透かし見えた)

しばらく登っていくと、新道(国道137号)と旧道(県道708号)との分岐点にやって来る。

IMG_0064_20110916094821.jpg
(新道・直進と旧道・右折との分岐点の手前)

ここまで来れば、安心である。
ほとんどのクルマは、早いがつまらない国道のトンネルの方に流れて行くはずなので、旧道を行く私は、風景を楽しみながらのんびりと坂を登っていけばよいのである。

そう思いながら、目の前に現れた一枚の看板に私は愕然とする。

IMG_0065_20110916213346.jpg
(旧道通行止を知らせる看板)

つまりは、山頂(御坂峠)までは行けるが、甲府側に下る道が通行止だというのだ。
困った!
私の場合、もちろん、御坂峠に行くのも目的なのだが、それと同じぐらい、峠を越えて、あちら側に行く必要があるのだ。
どうしよう。
私は、国道のトンネルの様子を探ってみることにした。
交通量が多くて写真を撮ることはできなかったが、申しわけ程度の歩道しかない恐ろしげなトンネルで、しかも、距離も3キロもあるではないか。
ぽっかりと開いた悪魔の黒い口。
このトンネルを通れば、10%ぐらいの確率で事故にあい、この旅が終わるか、あるいは、人生までもが終わりになりそうな気がした。
いっそのこと、もう一度河口湖まで降りて、別のルートで山越えをすることにしようか。
でも、そちらのトンネルの状況も分かったものではない・・・。

考えてばかりいても仕方がないので、旧道の入口まで行ってみた。

IMG_0066_20110916214711.jpg
(旧道「御坂みち」の登り口。「本日 天下茶屋商い中です」の看板あり)

「本日 天下茶屋商い中です」という何事もなかったかのような看板。
「天下茶屋」というのは、ご存知の方も多いかと思うが、太宰治の「富嶽百景」(1939年作)にも出てくる、昔から御坂峠に鎮座する有名な茶屋のことである。
ただ、「天下茶屋」が本日営業しているということと、先の通行止の看板は矛盾しない。
看板にも、ちゃんと山頂(=御坂峠=「天下茶屋」)までは「行ける」と書いてある。
しかしというか、しかもというか、「本日 天下茶屋商い中です」の看板自体、どう見ても常設的なもので、「本日」取り付けたとは考えにくいので、もしかしたら、「天下茶屋」も商いをやっていない可能性すらあるだろう・・・。

私はしばし考えた末に、決行するべしと決断した。
もし、道路が崩壊していたとしても、自転車なら通れるかもしれない。
もし通れなかったら、自転車を担いで山の中を迂回しよう。
そしてもし、工事関係者の人にそれさえも制止されたら、「私は、苦労して峠を越えてきたのです。今、ここを通してもらえなければ、親の死に目に会えないことになるんです」というような浪花節風な言い訳をして、材木なりなんなりで橋を拵えてもらっても断じて通してもらおう!
そう考えると、嘘のように、実にすっきりとした気分になった。
「腹をくくる」というのはこういうことかしらん。

(次の記事に続く)

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
旅(自転車)    Comment(4)   TrackBack(0)   Top↑

2011.09.14 Wed
「大町梨街道」に梨を買いに行く~松戸市川自転車紀行
(「甲信ツーリング」続編はちょっとお休み)

梨の時季である。
梨は、西瓜と並んで大好きな果物なので、市川の通称「大町梨街道」(国道464号線)に買い出しに行くことにする(フジクロス)。

登坂訓練も意識して、できるだけ坂の多いルートを選択して走ってみることにする。
先ずは、走った経路地図を示しておこう。



久しぶりに葛飾橋を渡る。
何だか江戸川が懐かしい。
コンビニでサンドイッチを買い、「戸定が丘歴史公園」で朝食にしよう。

IMG_0252.jpg
(園内は自転車乗り入れ禁止なので、ちゃんと駐輪場に停めましょう)

IMG_0245_20110914164044.jpg
(古風を保つ「戸定が丘歴史公園」の門)

IMG_0249_20110914164230.jpg
(門からの眺め。たぶん、標高23メートルぐらいだろうか)

IMG_0246_20110914165221.jpg
(趣のある園内。入園は無料。紅葉の時季が最高)

IMG_0247_20110914165428.jpg
(竹林の前の東屋でサンドイッチを食べるが蚊の猛襲をくらう)

IMG_0248_20110914165344.jpg
(裏手の遊歩道を歩いてみるが、ここでも蚊の猛襲に・・・)

蚊の猛襲から逃げるように、公園を後にする。
さらなる登坂を求めて、「千葉大園芸学部」のキャンパス内を走る(とは言っても、せいぜい標高25メートルぐらい)。

国道6号線をくぐって、公設卸売市場「松戸南部市場」の場内を横切って、「和名ケ谷(わながたに)スポーツセンター」の高台を越えて、松戸の田園地帯たる和名ケ谷に降り、紙敷を抜け、松飛台駅から大町方面に向かって、「大町梨街道」に到着。

IMG_0256.jpg
(「大町梨街道」たる国道464号線。古風を保った神社や梨農家直売店が建ち並ぶ)

この国道464号線は、千葉県の国道の中でも、自転車で走るには最悪の部類に属するが、「大町梨街道」のあたりに関しては、クルマの交通量さえ少なければ、緑も多くて古い家並みも残っているのでなかなかの風情がある。

このあたりの松戸・市川の下総台地一帯は、広大な梨畑が占めていて、とりわけ今の時季になると、梨狩りや梨の直売(かなり安い)が行われることでも有名である。

私も、一軒の直売所の前に自転車を止める。
何種類かの梨を試食した後(すごく美味しい)、「あきづき」(3個で500円)、「豊水」(8個で500円)を購入し、リュックにしまい込む。

IMG_0253_20110915043731.jpg
(梨の直売所)

梨を収めたリュックはずっしりと重いが、重い荷物を携えて走らなければならないツーリングの練習になるので、私は、普段から、なるべく購入した米・味噌・醤油などを背負って走ることを心がけている。

さて、目的は果たしたので、帰路に着くことにする。

「梨街道」から「市川動植物園」に至る細道に潜り込む。

IMG_0258_20110915045311.jpg
(「市川動植物園」に至る細道。ここも紅葉の時季が素晴らしい・地図

この道の西側は梨園(梨農家)が多く、東側は「大町自然観察園」の紅葉狩りの名所「紅葉山」に当たる。

IMG_0257.jpg
(梨御殿)

IMG_0260.jpg
(「大町自然観察園」の紅葉狩りの名所「紅葉山」が見える)

陽が高くなり暑くなって喉が渇いてきたので、市川動植物園駐車場脇の東屋(私のお気に入りの場所)で休憩をする。
こういう所で飲む缶コーヒーは、殊更にウマイのである。

IMG_0261_20110915051551.jpg
(市川動植物園駐車場脇の東屋で休憩。藤棚が日陰を作っているので涼しい。トイレ・ゴミ箱・自販機・灰皿あり)

さて、一服できたので、再び自転車に跨る。
このあたりには、梨園の中を縦横に細い農道が通っていて、そこを走ると結構楽しい(私はこれをば、勝手に「梨みち」と称している)。

IMG_0262_20110915053725.jpg
(「梨みち」)

IMG_0264_20110915053819.jpg
(「梨みち」)

市川大野駅付近に出て、谷津の道を辿り、宮久保を抜ける。

IMG_0266.jpg
(市川大野付近の栗園では、道路側に落下した栗を拾う)

IMG_0287.jpg
(拾った栗は、もちろん、帰宅してから茹であげて食べた。すごく美味!、これまた秋の味覚である)

IMG_0267_20110915054810.jpg
(市川大野の谷津の道。この道筋に数年前まであった藁葺き屋根の家はなくなっていた。残念・地図

宮久保から曽谷を通って、お気に入りの「市川考古博物館」に寄ってみることにする。

IMG_0268_20110915055436.jpg
(「市川考古博物館」に至る激坂。と言っても、25メートルぐらいだが)

IMG_0269.jpg
(「市川考古博物館」。無料なので、休憩するのに良い。ぶら下がっている鯨の骨は、現在の総武線あたりから掘り出された物)

IMG_0271_20110915065556.jpg
(縄文期の市川の地図。ちょうど、総武線のあたりは長細い砂州だったんだあ)

この博物館の建っている台地そのものが、まるごと、縄文期の居住地域&貝塚(「堀之内貝塚」)だったのだが、その台地から周辺を見渡すことができる。

IMG_0272_20110915070027.jpg
(台地からの眺め。下に見える平地は、縄文期には全部海だった。長閑な内海で、いろんな魚介類を捕獲することができただろう)

また、この貝塚台地一帯の森林の中には、気持ちの良い遊歩道が付いていて、散策するのに大変適している。
至る所が貝塚なので、当時の貝殻や土器片も拾うことができる。
余り人がいないことをいいことに、私は、強引に自転車を乗り入れてみたが、やはり、マウンテンじゃないと無理だった。

IMG_0276.jpg
(未舗装のトレッキング道は、やはりサイクリングには適していなかった)

IMG_0274.jpg
(森の中で休憩。意外なことに、蚊がいなかったので助かる)

こうして私は、「小塚山公園」脇の激坂を登り・・・、

IMG_0278_20110915073315.jpg
(「小塚山公園」脇の激坂)

じゅん菜池緑地」の脇を通って・・・、

IMG_0282.jpg
(「じゅん菜池緑地」)

国府台のハケの道を通って、帰宅したのであった。

IMG_0285.jpg
(国府台のハケの道)

この日の走行距離:42キロ(獲得標高:133メートル)

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
小さな旅(自転車)    Comment(6)   TrackBack(0)   Top↑

2011.09.13 Tue
甲信ツーリング1~富士山5合目に挑むが挫折
1日目(9月6日)

初日の行程には出がけまで悩む。
当初は、大月駅まで輪行して、河口湖経由で富士山に登る計画だったが、これだと、5合目まで登れたとして、獲得標高が1900メートルにもなってしまい、自分には無理そうに思えた(しかも、大月駅から河口湖までは、走りにくそうな国道である)ので、河口湖駅まで輪行することにする。
河口湖駅からなら獲得標高は1400メートル程度なので(過去には1日に獲得標高1600メートルなら走ったことがあるし)、何とか登れるかもしれないと思ったのである。
(参考までに、葛飾区から国道6号線→国道356号という利根川沿いのルートで銚子まで走った場合の獲得標高(上り)は132メートルで、距離は116キロである)。

おあつらえ向きのダイヤが見つかった。
中央線が富士急に乗り入れている便があって、これならば、乗り換え1回で河口湖まで行ける。

東京 06:34発 - 河口湖 09:26着
乗り換え回数:1回
所要時間:2時間52分
料金:2,560円

●東京
|  6:34発
|    JR中央線(中央特快)[高尾行]58分
|  7:32着
○高尾(東京)
|  7:47発
|    JR中央本線(普通)[河口湖行]39分
↓大月
|    富士急行(普通)[河口湖行]51分
| △9:26着
■河口湖

東京駅までは自走。
平日6時過ぎの東京駅は、既に乗降客が多いが、始発便なので輪行でも問題はない。
しかも、中央線の車輌は、中程に、必ず車椅子のスペースがあるのが心強い。

IMG_0019_20110913050753.jpg
(東京駅ホーム。車椅子車輌の前で陣取る)

高尾駅で乗り換え(1・2番線ホームの改札の近くにトイレ有り)。

IMG_0022_20110913053643.jpg
(高尾駅ホームの巨大な天狗頭像)

例によって、地図と車窓の風景を見比べているうちに爆睡。
気がついてみると、河口湖駅に着いていた。

IMG_0023_20110913055115.jpg
(河口湖駅頭で、自転車を組み立て中)

因みに、今回使用した自転車は、ロードバイク。
フレームとフォークは鉄製(クロモリ)。
2×9速(F:50-34t、R:14-28t)。
ホイールについては、ツーリングの際には、やや重いけど頑丈だと思われるシマノWH-RS20を使用することにしている。
装備品;リュック(18リッター)、フロントバック(4.5リッター)、サドルバッグ大(約2リッター)、ヒップバッグ(約1リッター)、トップチューブバッグ、ボトルケージ2、前照灯2、後照灯1、スピードメーター。

IMG_0231_20110913055609.jpg
(今回の自転車と装備品一式。斑尾高原にて撮影)

さて、自転車を組み立てた私は、河口湖駅で周辺地図をかき集めて、富士スバルラインを目指して走り始める。

この日に走ったルート地図を示しておこう。
と言っても、単純すぎて余り面白くないかもしれない。



朝からおにぎりとサンドイッチしか食べてないのでやや空腹を覚えたが、生憎、まだ店はどこも開いておらず、仕方なく、そのまま富士スバルラインに向かうことにする。

IMG_0026_20110913071917.jpg
(県道707号を上り始める。ちょうど、山頂がぽっかり姿を現した)

一直線に登る坂がず~っと続く。
鬱蒼たる樹海を巨大なバリカンで刈り上げたような道で、たまに前方に富士の山容が見え隠れするが、遠景はまるで見えない。

IMG_0029_20110913160008.jpg
(一直線の登り坂。動物の飛び出し注意の標識が至る所に立っていた)

IMG_0034_20110913160115.jpg
(道の両側は、鬱蒼たる樹海が広がっている)

富士スバルラインは、有料道路なので、料金所があるはずなのだが、なかなか現れない。
料金所(1087m)の所に到着したときには、既に息も絶え絶えで、こんなことで5合目まで登れるだろうかと心配になる。

料金所で200円(往復分)を支払う(因みに、普通車は2000円。料金表)。
徒歩者は無料のようなので、樹海を回り込んで自転車をどこかに隠しておけばタダになるが、樹海に迷って遭難する恐れがあるので、とてもお勧めできない。

IMG_0030_20110913161209.jpg
(200円の通行券。無駄にならなければよいが・・・)

スバルラインの道は、はっきり言ってつまらない。
全然視界が開けないので、いつ見ても同じ光景(樹海)が展開するだけで、精神的にも倦怠感が襲ってくる。
直線道の斜度が厳しい上に、今走っている所が、先ほど走った所であるような錯覚が常につきまとう。
連峰を縦走するような道は、風景が多彩で走っていて楽しいのだが、富士山のような巨大な独立峰の場合、その広大な裾野を登ることになるので、どうしても風景が単調になるのかもしれない。

気温は低い(20度ぐらい)が、容赦ない上り坂のため、汗がだらだらと流れ出す。
それでも、不意に坂が心持ちなだらかになったかと思うや、忽然と休憩所(「P」)が現れた。

IMG_0031_20110914075826.jpg
(「1合目下駐車場トイレ」。標高1294m)

腹が減っていたので何か食べる物を売っていればと期待したが、自販機すらなくて、あるのは立派なトイレのみ。
1合目「下」駐車場トイレということは、この少し先に「1合目」があるということか。

34t×28tでぜいぜいと登っていくと、ついに「1合目」の看板が現れた。

IMG_0032_20110914081213.jpg
(「1合目」。1405メートル)

この「1合目」は、河口湖からの標高差約600メートル弱なので、ほぼ筑波登山(つつじヶ丘)の獲得標高に等しい。
そう言えば、疲れ方も、筑波と同じぐらいかな。
とは言え、看板の英語の表記にあるように、ここはまだ「ファースト・ステップ」に過ぎないのである(何故か、受験の参考書のことを思い出す)。

ここからも頑張って、「2合目」「3合目」と上り続ける。
平日なので、交通量は多くはないが、たまにクルマやバイクが轟音を唸らせて駆け上がっていく。
風景は相変わらずで、道の両側は、自殺願望を駆り立てるかのような樹海、樹海、樹海。

IMG_0033_20110914082859.jpg
(路側帯が狭いので、休憩は樹海の縁で取るしかない)

IMG_0036_20110914083224.jpg
(「2合目」。1596メートル)

IMG_0037_20110914083448.jpg
(樹海の樹に自生したキノコ。空腹だったので、美味しそうに見えた)

「2合目」から100メートルほど上がると、何となく明るくなって、視界が開け始める。
嬉しくなってペダルを回す速度も上がる。
すると、目の前に休憩所が現れる。
「樹海台駐車場」(標高1615メートル。トイレ有り。自販機と売店はなし)である。

IMG_0046_20110914092156.jpg
(「樹海台駐車場」からの眺め)

IMG_0039_20110914092609.jpg
(「樹海台駐車場」からの遠望。下に見えるのは、本栖湖であろうか)

IMG_0038_20110914092328.jpg
(「樹海台駐車場」からは、富士の山頂も見えた)

ずっと樹海地獄の中を走ってきた私としては、目の前のパノラマ的な眺望を前に、やっと溜飲が下がったような思いだった。

写真を撮っていると、一台のクルマから女性(30歳代ぐらいかな)が降りてきて、突然、私に話しかけてきた。
「よく頑張りましたね~。すごいですね~」。
聞けば、韓国から観光で来たのだという。
私も片言の韓国語で話そうとするが、彼女の方がはるかに日本語が上手かったので、すぐに日本語だけの会話となる。
彼女(ソウル在住)も、自転車(ロード)乗りで、済州島(チェジュド)一周サイクリングなどを度々やっているのだという。
春先に、済州島の降り坂で大転倒(ジャックナイフ)をやらかして、しばらく自転車に乗っていないのだという。
私も、済州島には何回か行ったことがあるので、しばし、話が弾む。
韓国の公道は、見るからに自転車には地獄道(右側通行だし)だが、済州島なら走っても楽しいだろうな・・・。

「樹海台駐車場」で気分転換ができた私は、また、心機一転、坂道を上り始めた。
標高1700メートルを過ぎたあたりからだろうか、樹海が薄くなってきて、心持ち視界が開けてきたようだ。

IMG_0044_20110914110807.jpg
(標高1700メートルあたりから視界が開け始める)

「樹海台駐車場」からしばらく登ったところで、やっと「3合目」の看板が姿を現す。

IMG_0045_20110914111601.jpg
(「3合目」。標高1786メートル)

この「3合目」からが大変だった。
休憩しても、だんだんと足が回復しにくくなってくる。
心肺力にはまだ多少余裕があっても、足に力が入らないというか、一向に言うことをきかなくなる。
なるほど、これが、世の自転車乗りの言う「足が売り切れる」という現象なのか。
仕方がないので、漕ぐ・押す・休むを繰り返しながら、さらに上り続ける。

気がついてみれば、麓から携えてきた1リットルのお茶も空っぽになっているし、かなり空腹感を覚えもした。
もしかしたら、軽いハンガーノック状態だったのかもしれない。
補給食料を何も持たずに上がってきたのは、我ながら、大変な不覚をとったものである。

下の方からたまに見かけた標識に目がとまった。
これまでは気にもかけなかったが、疲れてくると、こういう物に何らかの手がかりを見出そうとするものである。

IMG_0043_20110914111029.jpg
(途中の標識)

なるほど、これは「麓の始点から19キロ地点で、斜度7度、標高1870メートル」を意味するのだと納得する。

そして、ついに限界がやってくる。
これ以上無理をすれば、明日以降の旅に支障をきたすのではないかという恐れを感じるようになってきた。
標高2020メートル地点の看板まで来たとき、今日はここまでと見切りをつけることを決心した。

IMG_0045_20110914111601.jpg
(標高2020メートル地点。ここで登るのを断念する)

後で分かったことだが、2045メートルの「4合目」までは、わずか25メートルであった。

さて、防風衣を着込んだ私は、さっそく山を降り始めるが、寒くて仕方がなくなり、合羽のズボンを履いて、手袋も重ねることにした。
とにかく凄まじい降り坂で、ハンドルの振動で手が痺れてくる。
下ハンを掴んでブレーキレバーを引く手も、途中で何度もつりそうになる。

麓に降り立った私は、予約してあった河口湖のホテルに急行。
入浴と洗濯を済ませて、隣接する食堂にすべり込んで、馬のモツ煮込みでビールと焼酎を呷った。

IMG_0048_20110914112548.jpg
(私の好みのタイプの食堂。「土浦食堂」だったかな?)

疲労困憊で、自転車を宿の部屋(4F・エレベーターが極小)まで持って上がる気力もなく、ベッドの上で焼酎のグラスをもったまま寝込んでしまったようである。

IMG_0054_20110914112925.jpg
(宿の裏手の野外に自転車カバーを掛けて駐輪。100円ショップカバー輪行法は、こういう時にも応用がきくものだ)

この日の走行距離:67キロ(獲得標高:1187メートル)

一日目了。

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
旅(自転車)    Comment(6)   TrackBack(0)   Top↑

2011.09.04 Sun
甲信ツーリングの予定ルート~富士山→松本→野尻湖→野沢温泉
9月の初めから甲信地方へツーリングに出かけるつもりだが、台風が到来してしまったために、なかなか出かけられずに悶々としている。
今回は、初っ端に富士山(5合目まで)に登る予定なので、ある程度天候がよくないと眺望が期待できない。
当初は9月3日出発予定だったが、3~5日の甲信の天気予報を見るとずっと雨。
今のところ、6日(火)早朝の出発にせざるを得ない。

仕方がないので、せめてもの慰めとして、往きの予想ルートの地図を描いてみた。
今回は、子供の頃から行ってみたかった野尻湖(旧石器時代の遺跡や化石)に寄るのが楽しみ。
それから、松本城もじっくりと見学したいと思う。

今回は中央本線大月駅が始点。
往路前半:大月駅→富士みち(国道137号)→河口湖→富士スバルライン(5合目)→河口湖→御坂みち旧道(国道137号・県道708号・御坂峠越え)→県道304号→笛吹ライン(県道34号)→県道311号→勝沼・甲州バイパス(国道20号)→武田橋北詰交差点から・釜無川CR・穴山橋まで→国道20号線(「上三吹」「台ヶ原下」などで旧道入る)→諏訪湖→国道20号線(途中、中山道)・塩尻→国道19号線(西街道・北進)→松本(城)



往路後半:松本→国道19号線→「木戸」で国道403号線(北東進)・矢越トンネルの次の分岐は旧道を→(姥捨付近)県道340号線→平和橋を渡って千曲川沿いに北上して、「篠ノ井橋南」で国道18号線と合流→(千曲川を渡ってから)「篠ノ井橋北詰」より県道335号・県道77号・県道372号→国道18号線→(「北尾張部」で)県道372号・北進・県道368号・県道399号→「浅野」で国道18号線(北西進)→野尻湖→県道504号→県道96号→「古海」で県道97号→「中央橋」で国道117号(飯山バイパス)→「大関橋西」で橋(千曲川)を渡る→「関沢」で県道38号→野沢温泉



往路の距離:383キロ
往路の獲得標高:5592メートル


ちょっと坂が厳しそうだが、頑張らねば。
尚、帰路ルートについては、まだまったく考えていない。

IMG_0008_20110904133249.jpg

付記

旅の道中、一日一回は、下記BBSに写真付きの途中経過を寄せます。
「断腸亭日報」
http://6119.teacup.com/danchoimage/bbs
では、行って参ります。

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
旅(自転車)    Comment(13)   TrackBack(0)   Top↑

2011.09.03 Sat
単速ママチャリのクランクセットをロード仕様に交換~自転車部品の互換性~マレー作戦の「銀輪部隊」
自転車がなぜかくのごとく安価で、かくのごとく広汎に普及するようになったかということを考える場合、その要(かなめ)となるのは、部品類の豊かな互換性ではないかと思う。

たとえば、ここに2台の自転車があるとする。

1.ホームセンターで購入したごく普通の27インチママチャリ(価格:8000円)
2.シマノのロード系最高峰の部品セット、デュラエースを装備したロードバイク(価格:30万円)

まさに、対極に位置するような2台の自転車だが、案外、互換性は高いのである。
何の工夫もせずに、そのままポン着けで互換性があるのは・・・、

・ペダル
・ブレーキシュー
・ブレーキワイヤー
・サドル
・クランクセット及びBB(ほぼ無条件で交換可であるが、チェーンの長さと太さは適合したものに要交換)

規格などに僅かな差違があるものの、やや工夫をすれば互換性があるものは・・・、

・ハンドル(ロードのステムが、オーバーサイズではなく、従来の1インチであるのが条件)
・シートポスト(ロードのシートチューブ内径が、オーバーサイズではなく、従来の1インチであるのが条件)
・前輪(ママチャリが27インチならば、ほぼ700Cと互換)
・ブレーキレバー(引き量はほぼ同一だが、ハンドルに取り付けるのに要工夫)
・ブレーキ本体(前輪に関しては、ママチャリが27インチならば、ボルト式と枕頭式の違いを克服すれば可)
・チェーン(太さは違えど、ピッチは同一)

後輪周り(変速機などを含む)は、リアエンド幅の違いや、単速と複速の違いによる機構の差違などがあるため、互換性を持たせるのは不可能ないしは、かなりの加工や工夫を要することになるだろう。

逆に、互換性が絶望的なのは、それぞれの車輪(ホイール)のタイヤとチューブで、これはむしろサイズの問題なので致し方ない。

たとえば、1941年暮れのマレー作戦において、帝国陸軍をして1万2千台の自転車部隊(「銀輪部隊」)をもって迅速な侵攻を可能(約1100キロ)にしたのも、この部品の互換性なしには考えにくい。
日本軍は、その自転車のほとんどを現地徴発したが、侵攻地が英領であったためと、現地徴発した自転車のほとんどが日本製であったため、英規格で同一の部品は現地でも容易に入手可能であったわけである・・・。

自転車部隊
(日本軍の「銀輪部隊」。自転車の車重は20キロ弱、その他装備類の重量は約36キロだったという)

さて、この私も、自転車部品の互換性のお陰で、楽しい自転車生活を楽しんでいる一人である。

その一例として、春先のことだが、ママチャリのクランクセットをロードのそれに交換してみた。

ママチャリのクランクセット交換の際、一番骨が折れるのは、付いているものを外す工程である。
まず、チェーンカバーを外すにも、BBにねじ込まれているので、大変である。
また、今回のBBの右ワンは、専用工具もなかったので、このブログの記事の方法を参考にして、やっとのことで外した。

コッタレス抜きでクランクを外す。

IMG_0024_20110613031859.jpg
(コッタレス抜きで外されたクランク。重厚な鉄製で、クランク長は160ミリだった)

IMG_0023 (79)
(悪戦苦闘の末に外れたBB)

シマノのソラのBBとクランクセット(ダブル仕様・110ミリ)を装着(装着は簡単)。
このママチャリのギアは、32tだったので、新たなクランクには34tギア(新105)を付ける。
ただし、ファイブピンがダブル用で長すぎるので、外側にもう一枚34t(ティアグラ)を装着。

画像 040
(ロード用のダブルのクランクだと、内側のギアでチェーンラインが合う)

画像 041
(上から見たところ。チェーンはシングル用に交換)

画像 042
(全姿)

画像 044
(外した左クランクは、ベランダの発泡スチロールケースの蓋が飛ばされないための文鎮として転用。右クランクは廃棄)

こうして、ロード用クランクセットを装備したママチャリが完成。
断然、走り心地が良くなって、ご満悦の私であった・・・。

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
自転車    Comment(9)   TrackBack(0)   Top↑

2011.09.01 Thu
豚タンと鶏の塩釜焼きを作る~6速ママチャリのクランクセット交換~お花茶屋の由来など
私と同じ葛飾区にお住まいの彦次郎さんのブログ(「都会で実践スローライフ」)を愛読している。
近所で採集した野草や荒川で釣った魚類をを料理して食したり、都会の中の小さな自然を観察したりという日々のスケッチで、大変に楽しい。
特に私が好きなのは、採集食材にせよ、購入食材にせよ、彦次郎さんのなせる微笑ましくも大胆な料理の数々である。

今朝(8月31日)も、私は、彦次郎さんのブログの「豚タンの塩釜蒸し」を読んで、さっそく晩飯のおかずにしようと考えた。

ただ、豚のタンは近所のスーパーでいつも売っているとは限らないので、確実に入手できるはずの「肉のハナマサ」(お花茶屋店)まで買い出しに行くことにした。
近いので、今日は6速ママチャリを利用。

6速ママチャリと言えば、春先にさらなる改造を施した。
これまでも、RDを交換したり、サドルやブレーキを交換したりしてきたが、今回はいよいよクランクセットを交換した。

IMG_0041 (130)
(6速ママチャリ。近所の買い物や水元公園散歩に大活躍。もちろんフレームは、男気の?ハイテンション鋼!)

標準で付いてきたクランクセットは、44tのアルミギア(アームもアルミ製)だったが、これがとんでもない粗悪品で、しばらく乗っているうちに撓(たわ)んできて、2~3ミリ振れてしまった。
気持ちが悪いので、押入にストックされていたロード用のクランクセットに交換することにした。

ところが、BBを外すために、2種類の専用工具を買うはめになった。

IMG_0001_20110901072637.jpg
(やっと外れたBB。右上の二本のレンチが購入した工具。外したカップ&コーン式BBとこれから取り付けるカートリッジ式BB)

BBを開けてみてびっくりしたのは、BB内に、緩衝用プチプチビニールの切れ端が残っていたことである(グリースはちゃんと充填されていたが、右ワンのツカミは既になめていた)。
聞きしにまさる中国製の恐ろしさである。
ただ、カップ&コーンのベアリングもワンも品質はそれほど悪くなくて、ちゃんとメンテすれば、10年ぐらいは使えるのではないか。

空っぽになったBBシェルに、購入時にフジクロスに付いていた四角テーパー式のカートリッジBBとクランクセット(フジバイク製130ミリのロード用トリプル仕様)を装着した。
ギアは、内側にシマノのソラ(トリプル)から外した39t(9速用)を、チェーンガードとして外側に42t(8速用)を取り付けて、内側の押さえとして、シートチューブにチェーンウォッチャーを装着(スプロケは6速だが、チェーンは9速用を使用)。
以後、かなり走ってみたが、チェーン落ちはなし、変速性能きわめて良好。

IMG_0048_20110901074719.jpg
(交換されたクランクセット。内側から、チェーンウォッチャー、39tギア、42tギア)

IMG_0049 (154)
(交換されたクランクセット。反対側から見たところ)

ロード用のクランクセットは、Qファクターが小さいので、力導のロスが少なくて、ペダルを廻しやすい。
また、クランクアームもギアも剛性が増したので、漕いでいてすこぶる気持ちがよい。
実は、この勢いで、単速ママチャリのクランクセットも交換したが、それについてはまた別の機会に書くことにしよう。
自転車乗りの皆さんも、使わなくなったクランクセットの一つや二つ、押入にころがっていることと思うが、モッタイナイのでママチャリに装着してみてはどうだろうか?
走りが断然変わります!(かなりの軽量化にもなる)

さて、話が逸れたが、6速ママチャリでお花茶屋の「肉のハナマサ」を目指す。
旧水戸街道に出て、中川橋を渡る。

IMG_0188_20110901081617.jpg
(旧水戸街道中、中川橋。明治中期までは、ここに新宿[にいじゅく]の渡しがあった)

旧水戸街道と環七が交わる交差点(「亀有2」の交差点・地図)からは、南西に走るこの細道(地図)に入ると、お花茶屋方面に行くには早いし、走りやすい。
この細道は、すぐに「亀有さくら通り」(ルート地図)という緑道につながっているので、この緑道を利用すれば、葛西用水路への接続も容易である。

IMG_0189_20110901083302.jpg
(夏でも涼しい「亀有さくら通り」)

こうして、お花茶屋の「肉のハナマサ」に到着。

IMG_0192_20110901084455.jpg
(お花茶屋の「肉のハナマサ」)

またしても、横道に逸れてしまうが、この「お花茶屋(おはなぢゃや)」という楽しげな地名は、江戸中期のあるエピソードに由来する。

鷹狩りのために、現在のお花茶屋付近を通り過ぎた吉宗(8代将軍)が、にわかに腹痛を起こして、路傍の茶屋で休憩することにした。
その茶屋の「お花」という娘による熱心な手当に感動した吉宗が、この地を「お花茶屋」と名付けたという。
勝手に地名を押し付けられてはたまったものではないが、この場合は、ネーミングに妙があるので勘弁してやりたい気分になる。
しかし、これがたとえば「吉宗茶屋」だったりしたら絶対に許せないだろう・・・。

それにしても、鷹狩りの吉宗が、旧水戸街道ではなく、葛西用水路沿いにやって来たというのはちょっと意外である。
たぶん、吉宗一行は、城から奥州日光街道を北上し、まだ吾妻橋は存在しなかったので、千住大橋を渡ったものと思われる。
とすれば、小菅の「御殿」(現在の「小菅拘置所」)で一泊(ないしは、昼飯大休止)。
その後、どうして旧水戸街道ではなくて、わざわざ迂回して葛西用水路沿いに出たのか?(次に目指すは、青戸の御殿だったはず。だとすれば、旧水戸街道中新宿の渡しの手前から中川沿いに南下するのが便利なはずなのだが)。
これについては、今後の課題としたい・・・。

いずれにせよ、お花茶屋という名称は、いたずらな改名がなされずに、現在でも住所名や駅名となっているのは、非常に喜ばしいことだと思う。

IMG_0201.jpg
(京成本線「お花茶屋駅」)

ついでだが、お花茶屋では一押しの「東邦酒場」。
かつて、堀切に住んでいたいた頃は日参(レバ刺し最高)。

IMG_0203.jpg
(お花茶屋の至宝たる「東邦酒場」)

さて、「肉のハナマサ」に来ると、私は、大抵、錯乱状態に陥る。
肉塊を見ると、興奮状態になる私は、クリスマス前の買い物では、食べきれないほどの食材を買ってしまう傾向があるので、今回は、入店前に深呼吸をして、平静を確保するを努めんとす。

でも、こういう光景や、

IMG_0195.jpg
(豚肉の塊)

こういう光景や、

IMG_0193_20110901093342.jpg
(牛肉の塊)

こういう光景を見せられると、錯乱状態の一歩手前になる。

IMG_0194_20110901093455.jpg
(魚類)

しかし、ここはぐっと堪えて、必要だと思われる物だけを厳選購入。

IMG_0198_20110901094013.jpg
(豚タン4本、鶏1羽、ニンニク、豆の缶詰、ベトナムのカップラーメンなど)

豚タンは、1本売りがなかったので、4本パックを買ってしまった(モツ焼き屋が開けるほどである)。
また、どうせだからと、鶏の塩釜焼きも同時に作ることにした。
さらに、近所のスーパーで、塩1.5キロも購入。

帰宅して、さっそく仕込みに入る。
鶏と豚タン(鍋の大きささからして、今回は1本のみ)を自然解凍。

IMG_0205_20110901110906.jpg
(自然解凍されつつある鶏。これで500円だった)

IMG_0206_20110901111009.jpg
(自然解凍されつつある豚タン。同時に表面に塩を擦り込んで血抜きを)

1キロの塩に、卵2個分の卵白を混ぜて、粘土状になるまでかきまわす。
解凍がすんだ鶏と豚タンに、これぞとばかりにフォークを突き立てて味がしみこみやすくする。
「復讐するは我にあり!」という気分で、ぶすぶすと突き刺すと気持ちがよい。
香り付けのために、鶏の腹の中には、ニンニクやニンジンなどの端野菜を詰め込んでおいた。

押入からダッジオーブンを出してきて、500グラムの塩を敷きつめ、その上に、上記粘土状になった塩をコーティングして安置。

IMG_0207_20110901112101.jpg
(ダッジオーブンの中で塩まぶしになった鶏と豚タン)

約1時間熱して、約30分余熱でむらす。
蓋を取って、周りの「塩釜」を割る。

IMG_0211.jpg
(塩釜を割ると、香しい肉塊が出現)

IMG_0209_20110901112647.jpg
(出来上がった豚タンをスライス)

IMG_0212_20110901112744.jpg
(出来上がった鶏。塩から取り外す際に、片方の後ろ足を損壊)

付け合わせは、サラダとアスパラのバター炒め。

IMG_0208_20110901112929.jpg
(アスパラのバター炒め)

これをば、赤ワインのソーダ割り(夏場のイタリア人御用達)とビールで食した。

これは、いわば、極上の魔術ではなかろうか。
とりわけ、豚タンは、驚異的なうまさである。
塩加減もちょうどよいし、中心部はまるで上等のレバーペーストのようなねっとりとした食感である。
塩で分厚くコーティングされた状態で熱せられると、余分な血と脂が良い具合に浸出してしまうのか、普通にローストするよりも、はるかに上品な味わいになる。
これは、私にとって大発見であった。
豚タンについては、まとめて何本も拵えておいて冷凍保存しておけばよい。
解凍して、酒の肴によし、おかずによし、短冊に切って野菜と炒めるもよし、分厚く切ってシチューに仕立てるもよし。

なお、私の場合は、ダッジオーブンを使用したが、蓋付きのフライパンか土鍋でもまったく問題ないように思う。

ただ、夏場は台所はおろか全部屋が熱せられて暑いので、冬になったら、また作るつもり。
部屋も暖かくなるし、懐にも大変優しい料理であると得心した。

彦次郎さん、ありがとう!

本日の走行距離:14キロ(6速ママチャリ)

テーマ:料理 - ジャンル:趣味・実用
小さな旅(自転車)    Comment(12)   TrackBack(0)   Top↑

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。