日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2011.02.19 Sat
湯島散歩
「湯島」(文京区)という地名は不思議である。
不忍池のある低湿地の方角から見れば、武蔵野台地の突端である湯島は、確かに「シマ」ではあるにしても、「湯」の方が分からない。
実は、古代においては、台地の下から湯が湧きだしていたからだという説もないではないが、あまり信憑性のない語源解釈だと思われる。
ただ、「湯島」というのは、「ゆゆしき」シマという意味で、「急峻な崖」を表すという説もあるが、いずれにしても、不明である。

このところ、この湯島を散策することが多い。
今日も、気心の知れた仲間たちと湯島を散歩することにした。

湯島台の下は、先ほども書いたように、現在でも、不忍池を擁する湿地帯(下谷)で、上代までは、このあたりは、広大な葦原を有する汽水域だったようである。
ところが、巨大な湾を形成するように上野台地が回りこんでいるので、かつては、静かな入り江のような地形だったにちがいない。
私のよく知る地域で他の例をあげれば、隅田川の代わりに江戸川を近くにひかえ、台地が入りくんでいる松戸や市川(ともに千葉県)と似たような地形だったのではないか。
差詰め、上野山は、国府台(こうのだい・市川市)のような相貌であったろう。
因みに、現在の不忍通りは、いわゆる「ハケの道」が巨大進化したものとも言えよう。

われわれは、その台地の造り出す湾岸にあたる、不忍池端の上野水上音楽堂あたりで待ち合わせた。

IMG_0224_20110220092112.jpg
(弥生末期までは海の入り江だった不忍池)

不忍池は、今も昔も、野鳥の宝庫だったようだが、池端を散策していると、人慣れした野鳥たちが餌をもらえると思って寄ってくる。

IMG_0223_20110220093411.jpg
(不忍池の水鳥たち)

のんびりと不忍池を周遊する。
珍しい鳥が現れると、立ち止まっては、鳥類図鑑を開いて、あれは何という鳥なのだろうかと詮索したりもしながら。

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(写真の手前右の海鳥が、なんという鳥なのか、図鑑を見ながら検討中)

池端をさらに歩いていると、「駅伝の碑」なるものを発見。

IMG_0228_20110221070236.jpg
(「駅伝の碑・駅伝の歴史ここに始まる」)

碑の説明を読んでびっくり。
1917(大正6)年に開催された東海道駅伝大会の記念碑で、京都の三条大橋をスタートして、まる3日間かけて、この不忍池端のゴール地点まで走り継いだというのだ。
箱根駅伝が始まったのは、その3年後の1920年なので、見方によっては、この東海道駅伝大会が嚆矢となって、縮小学生版として箱根駅伝が開催されることになったのかもしれない。

われわれは、不忍池の中島にある弁天様でお参りをした後、(江戸時代にはなかった)池の中道を通って、天神下を抜けて湯島中坂を登って、湯島台に上がった。

湯島中坂を登り詰めたところに、「鳥つね」という鳥を食わせる老舗(大正元年創業)がある。
鳥を見た後だから鳥を食べるというわけでもないが、そこで昼飯を食べることにした。
私も、初めて入る店だが、夜は様々な鳥料理を出すが、昼は親子丼のみ。
名店なので、行列ができることが多いようだが、メニューを限定してあるのと、何せ丼物なので出来上がりが早いというせいか、あっという間に客がさばかれて、混んでいても、比較的早く入店して物にありつけると思う。

IMG_0233.jpg
(親子丼。これ以外に、卓上に壺付が置かれていて、こちらは食べ放題。1500円)

親子丼だけで1500円とはちょっと高めであるが、鶏肉も卵も超一流で、火の通し方も絶妙である(超レアの卵のうまさを知っているのは日本人だけかもしれない)。

大満足の昼飯を済ませたわれわれは、いよいよ今日の主たる目的である湯島天神での梅見をする。
土曜日なので、神社内は大混雑で、タコ焼きやイカ焼きやビールも結構売れているようである。

拝殿の背後にある神楽殿では、花笠音頭やかっぽれといった出し物が間断なく賑やかな歌舞音曲を奏でて続けていた。

IMG_0238_20110228075532.jpg
(花笠音頭)

その後、われわれは、上野水上音楽堂前の水の枯れた池で車座になって酒盛りをした後、湯島の陋巷の中に紛れ込んだのであった。
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2011.02.17 Thu
放浪の二日間~湯島天神など
快晴である。
口笛を吹きながら、フジクロスに乗ってかなり早めに出発。

途中、隅田川畔の水戸藩下屋敷跡公園に寄ってみる。
水戸藩縁(ゆかり)の地なので、梅の樹の一本や二本はあるだろうと思ったからである。、

IMG_0185_20110218074449.jpg
水戸藩下屋敷跡公園の梅)

ところがこの公園、桜の樹はたくさんあるのだが、梅の樹はそれこそ数本しかない。
それでも、見事な花を付けている。

IMG_0186.jpg
水戸藩下屋敷跡公園の梅。五分咲きぐらいかな)

何だか煮え切らなような不満足感が残ったので、江戸期以来の梅の名所で、折から梅祭り開催中の「湯島天神」に行ってみることにした。

浅草通りで上野に出て、不忍池沿い湯島に出る。
自転車なので階段が登れないので、湯島中坂から上がって、神社の正面から入る。

IMG_0189_20110218085059.jpg
(湯島天神。見上げるような大銀杏が聳えたっている)

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(湯島天神は、白梅が有名だという)

IMG_0194_20110218112354.jpg
(平日だが、梅祭りと合格祈願が重なって、結構な人出である)

因みに、広重も、湯島天神からの眺望を描いている。

湯しま天神坂上眺望
(広重「湯しま天神坂上眺望」)

湯島天神の女坂の上から北の方角を見た、素晴らしい雪景色である。
下に見えるのは、もちろん、不忍池。

例によって、これと同じアングルから写真を撮ってみた。

IMG_0199_20110218212122.jpg
(断腸亭「湯しま天神坂上眺望」。白いビルが完全に眺望を封殺してしまっている)

あまりの違いに愕然とする思いである。
広重の絵と、私が撮影した写真。
両者の違いこそが、日本の「近代」とは何であったかを、恨めしくも物悲しいほどに表現しているように私には思えてならない・・・。

さて、湯島天神でゆっくりし過ぎた私は、不忍通りをぶっ飛ばして、駿河台の職場に到着。
そして、会議、会議、会議の後、年度末の懇親会、二次会、三次会・・・。
へべれけになってしまった私は、自転車で帰るのが無理になって、同僚に拉致されるようにしてタクシーに押し込まれた。

ところが、私が乗せられたタクシーが辿り着いた先は、何と同僚のマンション(杉並区)だった。
私は、てっきり、葛飾の自宅に向かっているものと思っていたので、その成り行きにいささかびっくりしたが、もう夜も遅くて鉄道は動いていなかったので、観念して、その同僚の家に泊めてもらうことにした。
駿河台に置きっぱなしにした自転車のことが気掛かりだったが、まあ、一晩ぐらいなら大丈夫だろうと思った。
その同僚の家で、風呂に入ったり、再びビールや酒を飲んだりして、バタンキューで夢の中・・・。

翌朝、同僚宅で目を覚ます。
泊めてもらった同僚宅のマンションは、非常にデザインが個性的なのであちこちを見せてもらう。

全体としては、スペイン風かつガウディ風で、豪奢な造りである。

IMG_0205.jpg
(同僚宅マンションのエントランス)

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(同僚宅マンションの中庭)

けっして安ピカではなく、材質もデザインも悪くはないのだが、住居としては、ちょっとごてごてした感じがして、好みが別れるところだろう。
同僚が言うには、近隣の人の中には、ラブホテルと勘違いしている人もいるという・・・(さもあらん)。

コーヒーを飲みながら世間話をして、玄米ご飯と納豆と野菜炒めの朝食をご馳走になって、昼前にお暇する。

今日は、別の同僚の新築完成パーティに招待されているので、しばらく暇を潰した後で、京王電鉄に乗る。
お茶の水まで戻って自転車で行く手もないではないが、また、酒を飲むことになるので、やはり鉄道のがよいと考えたのである。
明大前駅から京王線に乗って、調布駅で相模線に乗り換えて、南大沢駅(八王子市)で降りる。

南大沢駅に来たのは初めてだが、駅の改札を抜けて、地上に出てみてびっくりした。
何という広々とした駅前であろうか。

IMG_0212_20110220060403.jpg
(南大沢駅)

計画的に交差する大通りを仕切るように、いくつかの巨大総合店舗が鎮座している。
バス停も組織的に配置されて、道行く人々までが、事前にインプットされたかのように整然と歩いている(雑踏の不在)。
駅前の絵地図を見て、さらに、びっくり。
まさに完全計画都市である。

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(駅前の絵地図)

歴史を感じさせるようなものは何もなく、ごみごみした路地などはまったく存在しない。
息ができないほどに、隙間なく計画され尽くした街並がただ広がっているばかりで、まるでプラモデルで造られた未来都市のようである。

オレは、こういう街にはとても住めないなぁ・・・などと思いながら煙草を吸っていると、待ち合わせていた同僚たちも駅に到着。
駅前の巨大スーパーで、差し入れのビールや焼酎を買って、タクシーに乗り込む。

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(駅前を縦貫する多摩センター通り)

多摩丘陵を登り詰めたような一角に、その同僚の新居はあった。

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(この度、新築された同僚の新居)

新築なので、まだ周りの風景と馴染んでおらず、まるで、別の場所で拵えておいたものを、ヘリコプターか何かで宙づりにして、今さきほど持ってきたかのようだ。

さっそく家に上がり込む。
落ち着いた内装で、かすかに南欧風。

新居祝いに集まったのは、職場の同僚10名ほど、学生2名、何かの研究のために在日中の身長2メートル以上のハンガリー人1名、終盤になって、さらに、私の知らない外国人の家族2世帯など。
トルコやハンガリーやイタリアの酒をいただきながら、お手製のグリーンカレー、トルコ風トマトシチュー、クスクス、シシカバブ、地中海風サラダなどをご馳走になる(鞄をどこに置いたのか分からなくなったのと、酔っぱらっていたので、この間の写真なし)。

夜も更けて、大分盛り上がって来たものの、帰りの列車がなくなってしまうと困るので、同僚たちとタクシーに分乗して京王電鉄の駅に向かった。

新宿駅で、都営新宿線の最終列車に乗り込んで、ようやくお茶の水に到着。
しかし、外に出てみると、ものすごい雨である。
参ったなあ・・・。

しかし、これ以上、自転車を置きっぱなしにするわけにはいかないので、自転車に乗って帰ることにする。
合羽がないので(お茶の水のコンビニ数軒に寄るも売っていない)、防風衣を着込んで、両国から雨の日通勤ルートを追いかけるが、風雨が激しくて向島あたりで既に全身ずぶぬれになって、身体が冷え切ってしまう。

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(雨の枕橋)

仕方がないので、立石の100円ローソンで簡易合羽を買って、ずぶぬれの衣服の上から着込むが既に遅し。
身体ががくがくと震えだす。
どうにか、我慢しながら、やっと帰宅。

すべての衣服を着替えても、しばらくは、身体の震えが収まらなかった。

東京を東西に行ったり来たりした二日間だったが、東京は、何と広いことかというのが、正直な感想である。

二日間の走行距離:35キロ(フジクロス)

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2011.02.13 Sun
広重の「昌平橋聖堂神田川」に挑む~自転車通勤はやっぱり最高
「雪の翌朝(あした)は乞食の洗濯」というほどに、素晴らしく晴れ渡った朝である。
一昨日と昨日は、雪と雨の急襲で、二日間連続で列車による休日出勤だったので、自転車で通勤できることが大変に嬉しい。

陽のあたりにくい路地は、路面がやや凍結して、タイヤで踏むとシャリシャリと小気味よい音を発する。

3日ぶりに隅田川を見て、軽い感動を覚える。
今日は、心なしか、青々と、ゆったり流れている。

IMG_0145.jpg
(桜橋から隅田川下流を眺める。前方の橋は言問橋。新リュックもなかなか使い勝手が良い)

蔵前橋通りの妻恋坂交差点で不忍通りに左折。
昌平橋で自転車を止める。

今日は、出かける前から広重の「昌平橋聖堂神田川」と同じ構図で写真を撮るつもりでいたので、わざわざ昌平橋経由でここに来たわけである。

IMG_0146_20110214072015.jpg
(昌平橋。昭和3年架橋。高架下の煉瓦が美しい)

昌平橋の上で画集を広げて、広重が描いたと思われるポイントを探すが、どうしても分からない。

昌平橋聖堂神田川
(広重「昌平橋聖堂神田川」。昌平橋から神田川の上流方向を見ている)

難しいのは、向かって左の緑の崖が見当たらないこと。
加えて、現在は、総武線の鉄橋や聖橋や河岸に立ち並ぶビルなどが視界を遮っているので、対岸の湯島聖堂の塀がまったく見えないこと。

いろいろと場所やアングルを変えながら撮影した一枚はこれ。

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(断腸亭「昌平橋聖堂神田川」)

結局、同じ場所だとは到底思えない駄作になってしまった・・・。

仕方がないので、参考までに、淡路坂の方から、対岸の湯島聖堂を撮影した以前の写真を貼っておこう。

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(淡路坂から湯島聖堂を眺める)

湯島聖堂の塀は、広重の描いたものと同じ風情を保っている。

それにしても、お茶の水駅から神田駅まで続く高架下の赤煉瓦積は素晴らしい。

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(万世橋から昌平橋を見る)

たぶん、明治末期から大正期ぐらいに造られたものだろうが、いずれこの界隈から新橋あたりまで延びている高架下の煉瓦路を探索してみたいと思う。

9時半に駿河台の職場に到着。
今日も、一日中、缶詰にされての、地獄の採点業務である。

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(採点室からの眺め。すぐ下の大きな交差点が、三省堂などのある「駿河台下」。大手堀までまっすぐに大通りが延びている。昨日撮影)

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(採点の合間に支給されたおやつ)

それでも、今日で採点もいよいよお仕舞い。
明日から赤ペンを見なくてもすむのが嬉しい。

走行距離:35キロ(フジクロス)

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2011.02.12 Sat
雪の浅草~広重の「浅草金龍山」に挑む
雪である。
いつもなら嬉しがるところなのだが、今日は出勤なので悲しい。
悲しいのは、出勤だからというばかりではなく、雪だと自転車で通勤できないからだ。

一度、雪の降る中を自転車通勤してひどい目にあった。
タイヤがツルツル滑って転倒しそうになるし、手袋に雪が積もってシャーベットのようになって、手が凍傷にかかりそうになった・・・。

仕方なく、夜明け前にママチャリで最寄りの駅(金町駅)まで走って、そこからは鉄道で職場に向かうことにする。
祭日の早朝なので、列車も空いていて、お陰で、車内でゆっくり本(最近全巻揃えた『江戸名所図会』)を読むことができた。

列車を降りると、かなり激しく雪が降りしきっていたが、気温が高いせいか、ほとんど積もっていなかった。
それでも、職場に到着して裏庭を眺めると、一面の雪景色であった。

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(職場の裏庭)

夕前に、長くてつまらない試験監督業務をやっと終えて、鉄道で帰路に着く。

雪の浅草が見たくなったので、渋谷から銀座線に乗り込む。

浅草で下車して地上に上がると、この荒天にもかかわらず、たくさんの人が出ていた。
もっとも、その半分近くは外国人だったが・・・。

雷門のところまで歩いてきて、浅草寺の雪景色を描いた、広重の名画「浅草金龍山」を思い出した。
ちょうど、鞄に広重の画集を持っていたので、門の下の雪のかからない所で画集を開いて見直した。

浅草金龍山
(広重「浅草金龍山」)

手前の門が雷門。
遠景の建築物は、仁王門である。
よ~し、これと同じアングルで写真を撮ってやろう!
私は、人混みの中で、一生懸命、何枚も写真を撮影したが、なかなかうまくいかない。

そんななかでも、比較的よく撮れたのはこの写真。

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(断腸亭「浅草金龍山」)

大提灯と雷門の左の柱を入れようとすると、望遠が使えなくなってしまい、どうしても、仁王門が小さくなってしまう。
しかも、現在は、参道に店が建ち並んでしまっているので、広重の絵のように、広々とした中景を捉えるのは、もはや不可能である。
まあ、広重の絵は、遠近を修正しているので、所詮、同じように写真に収めることはできないのだが・・・。

小さすぎる仁王門に満足できなかった私は、そこまで行ってみたくなる。
仁王門の方へ近寄って行くと、人混みの中から不意に艶やかな芸者さんが現れた。
雪嵐の中に、ぱっと大輪の花が開いたようであった。
私は、とっさにシャッターを切る。

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(傘をさす芸者さんと仁王門)

私は、雪の降る中、遠ざかっていくその芸者さんの姿を見つめながら、いつまでも参道に立ちつくしていた・・・。

走行距離:2キロ(単速ママチャリ)

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2011.02.10 Thu
上野戦争と黒門~新リュックを購入
北西の風強し。
今日もフジクロスに乗って出勤。

ただ、今日は、ちょっと嬉しい。
なぜかといえば、新しいリュックを買ったから。
新しい学用品を買うと、学校に行くのが嬉しいのは、子供の頃と同じである・・・。

これまで、私が使ってきたリュックは、主として2つ。
1.ドイター社製の「スーパーバイク」
2.柴又の縁日で買った、得体の知れない1000円のデイパック。

1は、14+4リッターで950グラム。荷物の多いときや雨の日の通勤、そして長旅に出るときに使用(レインカバー付)。
2は、10リッターで400グラムぐらい。荷物の少ない時に使用。

1は、収納量も多いし、レインカバーなども付いていて便利なのだが、本体が重いので、時として、鶏を割くに牛刀を用いるようなことになる。
2は、小さめで使い勝手が良かったのだが、ついにところどころ綻(ほころ)びが出てきて、いつ壊れるかもしれない。

そういうわけで、今回、2に替わる物を購入したというわけである。


(ドイター社製バックパック「スピードライト10」)

容量は10リッターで、重量は300グラム。
さて、どんな使い心地であろうか・・・。

いつものルートで隅田川筋に出る。
枕橋付近でトイレ休憩。

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(枕橋から北十間川を眺める)

舟が浮かんでいると、なかなか風情があってよい。

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(東武線の柱。蔦が絡まって時代を感じさせる)

駿河台の職場に到着。

業務が済んだので、久しぶりに駿河台で遅めの昼めしを食べていくことにする。
そして、これまた久しぶりの「天丼 いもや」に行ってみるが、まだ順番待ちの列ができていたので、近くのラーメン屋「伊峡」で半チャンラーメン(630円)を食べる。
スープの味は変わらないが、麺が変わったかなぁ・・・。
それにしても、このラーメン屋、私が学生の時からまったく店構えを変えていない。
たぶん、創業40年以上にはなるだろう。

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(お茶の水の学生たちから長らく愛されている中華そばの「伊峡」)

腹が一杯になってちょっと眠たくなったので、近くの錦華公園で一服。
この公園の一角には、現在でも「お茶の水小学校」があるが、その前身は、錦華小学校で、夏目漱石が学んだ学校として名高い。

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錦華公園

眠気が覚めてきたので、帰路に着くことにする。
不忍通りを北上して、上野公園に出る。
広小路口の方から園内に入る。

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(上野公園広小路口)

この写真とほぼ同じアングルで、広重が絵を描いている。

上野山した
(広重「上野山した」)

うっとりするような春の光景である。
広重がこの絵を描いた頃は、平和で穏やかな上野公園だったが、幕末1868年新暦7月4日、まさにこの場所にて、血で血を洗うような激戦が繰り広げられた。
戊辰の内戦に於ける「上野戦争」である。

上野の山に陣取るは、佐幕派の彰義隊(東軍)。
それを攻略せんとする西軍先陣隊の指揮官は、西郷隆盛だった。
この彰義隊と西郷隆盛の皮肉な因縁については、過去のブログにも書いたのでここでは割愛する。

1868年7月4日。
その日は、梅雨の時季で朝から雨が降りしきっていたという。
両軍が寛永寺(現在の上野公園のほぼ全体を寺域とした)の総門にあたる、通称「黒門」で激突した。

その模様を描いた絵を発見したので、ここに貼っておこう。

東台大戦争図
(「東台大戦争図」)

黒い門(「黒門」)を境にして、左側が現在の公園内で、右側が広小路側。
右から左へ西軍が攻め込んでいるところ。

ここにもう一枚、当日の戦闘の模様を描いた絵がある。

東叡山黒門
(東叡山黒門。向かって左が広小路側)

先の絵より前段階の戦闘の模様を描いている。
左奥には、不忍池も見える。
黒門の前の堀(および三枚橋)は、現在は埋め立てられてしまってもはや存在しない。

黒門がどのあたりに建っていたのか、正確な場所は、私には特定できないが、たぶん、次の写真のあたりであったろう。

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(黒門があったと思われるあたり。この写真の左奥あたりか)

黒門が落ちるや、本郷台からの砲撃もあいまって、彰義隊側(東軍)は総崩れになり、奥州街道筋に敗走した。

上野公園広小路口に佇んでそんなことに思いを馳せていたら、実物の「黒門」が見たくなった。
そうなのだ。
かつてここに建っていた「黒門」は、奇跡的にも現存しているのである。

「黒門」はその後、帝国博物館の管轄するところとなったが、1907(明治40)年に、三ノ輪(南千住)の「円通寺」(地図)に移築され、現在は、誰でも見ることができる。

ちょうど、千住経由で帰宅するルート上にあるので、さっそく行ってみることにする。

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(国道4号線沿いにある「円通寺」正面。左奥に黒門が見える)

この寺、今となっては、堂宇などには見るべきものはないが、この黒門を見るために行く価値はある。

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(「黒門」)

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(当時の弾痕が無数に残っている)

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(「黒門」の弾痕。たぶん、薩摩兵が放った銃弾の痕。当時の鉄砲は、口径が大きかったので弾痕径も大きい。)

この「黒門」の内側には、「彰義隊士の墓」があり、今でも彰義隊士たちは黒門を前にして戦っているようである。

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(「黒門」の内側にある「彰義隊士の墓」)

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(「彰義隊士の墓」の説明板)

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(「黒門」と「彰義隊士の墓」の全体像)

こうして私は、千住大橋(隅田川)と千住新橋(荒川)を渡って、帰路に着いたのであった。

そうそう、新しいリュック、背中にきちんとフィットして、なかなかいい感じ。
何よりも、軽量なのがよい。
でも、リュックの真価は、夏場に使ってみないと分からないのだが・・・。

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(ベンチの上のリュック。途中で購入した文庫本10冊と画集1冊が収まっている。荒川河川敷にて)

走行距離:40キロ(フジクロス)

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2011.02.09 Wed
「追想」サイクリング~木場界隈と千住柳町を廻る~リカンベント試乗会・荒川遊園地
この前の土日、江東木場と足立千住界隈を走りまわってみた。
その記録を簡単に書き付けておこう。

2月5日(土)

今日は、水元公園で「リカンベント&トライクの定例試乗会」があるという情報をたすけさんからいただいていたので、興味津々で見学しに行くことに(フジクロス)。

10時半に開催現場に到着。
10台ほどの自転車が展示され、試乗を待っていた。

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(試乗会の自転車)

久しぶりにお会いしたNiKIRIN-isuichiさんに挨拶をする。

今回は、実に様々な車種が展示されていた。

いわゆる、基本型のリカンベント(仰臥乗り自転車)のほかに、トライク(三輪車)や、「逆」リンカンベントとも言うべき「伏臥乗り」自転車まで。

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(トライク)

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(伏臥乗り自転車)

私は、さっそくトライクの一台に乗ってみることにした。
これは、非常に楽しくて、まるでゴーカートに乗っているような気分である。

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(トライクに乗る私。と言っても、脚しか写っていない)

私は、森の小径を子供のようにはしゃぎながらトコトコと走っただけだが、ベテランになると、次の写真のような曲乗りもできるようになるのだ。

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(曲乗り。この方は、このトライクで新宿から公道を走って来られたという)

そして、中には、こんなすごい自転車も。

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(後輪部を風防で被ったリカンベント)

後輪部が風防で被われているので、一見すると、まるでオートバイのような外貌だが、歴としたリカンベントなのである。
しかも、ハンドル部が前後に稼動するので、まるで飛行機の操縦桿のようでカッコイイ・・・。

さて、リカンベントを堪能したところで、試乗会にいらしていた流山の「ジャズの紳」さん(ジャズさん改)と一緒に、木場方面に行ってみることにした。

というのは、ジャズの紳さんが若い頃に木場(門前仲町)に住んでいたことがあるというので、当時の木場の様子を伺いながら、現在と「照合」してみたかったのである。

木根川橋を渡って、京島界隈→鳩の街→東向島の「味の横綱」でタンメンを食べる(87点)→幸田露伴邸跡→(前回のブログに書いた)「大横川親水公園」を抜けて木場公園に到着。

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(墨田区京島の路地)

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幸田露伴邸跡にあった明治期の地図。当然、荒川は載っていない)

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(木場公園にて)

その後、先ずは、「富岡八幡宮」と「深川不動尊」(カルメ焼きときんつばを買う)にお参りをする。

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(ちょっと変わった様式の富岡八幡宮の神殿)

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(深川不動尊)

ジャズの紳さんが言うには、30年ほど前に住んでいた頃の木場とはまったく変わってしまったそうである。
当時は、堀割がたくさんあって、そこに材木が浮いているような光景が広がっていたのだが、そのほとんど全部が埋め立てられて消滅。
しかも、現在は鉄筋のビルが建ち並んでいるが、当時は、黒塀の木造家屋が建ち並んでいたという。
劇的な変貌ぶりに圧倒されながらも、当時、ジャズの紳さんが住んでいた場所を突きとめるべく、われわれは富岡八幡の裏手の路地に潜り込んだ。

行きつ戻りつしながら、ついに、ジャズの紳さんが30年ほど前に住んでいた場所を特定することができた。

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(ジャズの紳さん「旧居跡」)

その後、旧八幡(はちまん)堀跡の遊歩道を走っていると、何やら、古風な鉄橋に出くわす。
自転車を降りて、説明板を読んでみると、この鉄橋こそ、国産第一号の鉄橋だという(明治11年製造)。

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(国産最古の鉄橋「八幡橋」。現在も人道橋として利用されている)

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(「八幡橋」の説明板のところには、人力車のモニュメントがある)

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(橋のネジの頭には菊紋の装飾が施されていた)

この橋は、元々は京橋あたりに架かっていたものを、昭和の初めに現在の地に移設したものだという。

古風な橋に感心しながら先に進むと、水路跡の別の遊歩道が見えたので、その跡を追跡してみることにした。

すると、ジャズの紳さんの自転車から、突然、カチンカチンと異音が出始めたので、止まって調べてみることにした。
どうも、後輪からの異音らしいことは分かったが、車輪の回転に合わせて、その音鳴りは発生しているようだ。
さらに、よく観察してみると、何と後輪のタイヤにねじ釘が見事に突き刺さっていたのである。

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(ねじ釘が突き刺さった後輪タイヤ)

タイヤに刺さったこの釘が、後輪が回転する度に、シートステーに当たって異音を発していたのである。
それにしても「キレイ」に刺さったもので、発見したときには、二人して笑ってしまったほどである。

釘を抜くと、プシューっと音を立てて、タイヤの空気は抜けた。

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(パンク修理中のジャズの紳さん)

パンクも目出度く直ったので、仙台堀→小名木川→荒川→四ツ木橋→葛西用水→中川橋→水元公園で帰路に着いた。

ジャズの紳さんの旧居跡を辿る追想サイクリングは、最後は、パンクという不測の事態に見舞われたものの、江東の水路を廻る楽しくて有意義な体験であった。

走行距離:49キロ(フジクロス)

2月6日(日)

千住界隈を探訪してみたくて、朝からフジクロスで出かける。
西新井橋北詰で、しゃあさんと落ち合う。

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(荒川。対岸は千住)

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(西新井橋と荒川河川敷)

ついでに、木造の頃の西新井橋の写真を見つけたので、ここに貼っておこう。

西新井橋
(昭和29年頃の西新井橋。対岸に見えるは、有名な「お化け煙突」)

西新井橋を渡って、さらに尾竹橋(隅田川)を渡って、町屋に出る。
町屋7丁目付近(地図)は、以前から気になっていた地区なので、その路地に潜り込んでみるが、特にこれといって興味をそそられるようなものなし。
ただ、隅田川右岸沿いの細道を辿ると、千住大橋南詰に出られる面白い道を発見したが、ここでご紹介するには、あと何回か走ってみないことにはその真価は分からない。

町屋をうろうろしていると、鉄道で通勤していた頃によく飲みに来た「ときわ食堂」の前をちょうど通りかかったので、早めの昼飯を食べる(日替わり定食500円)。
この食堂は、朝7時から開店していて、何と、早朝から飲み客で賑わっているのだ。
つまりは、私の大好きなタイプの店である。
久しぶりに来たので、非常に懐かしかった・・・。

千住大橋を渡って、国道4号線の西側の区域に潜り込んでみる。
墨堤通りと荒川と国道4号線が三角形に取り囲むあたり。
このあたりの国道の東側(つまりは旧道側)は、だいたい探索し尽くしたが、西側はまだ車輪を踏み入れたことのない地域だった。
ただ、詳細な地図をもっていないので、かなりあてずっぽうにぐるぐると回ってみた。

詳しいことは、もう何回か走ってみないと書くことはできないが、大変に面白そうな地域であることは間違いない。

6~7間ぐらいの広い通りが東西南北に何本か走っていて、総じて、通りはまっすぐで、墨田の東向島のあたりと違って、分かりやすいような気がする。
しかも、どの通りも昭和の雰囲気を大変によく残していて、まるで、タイムスリップしたようである。

面白いと思ったのは、ここにも、向島(墨田区)と同じ名前の通りがあることだ。
南北に走る「大正通り」(地図)。
東西に走る「いろは通り(ニコニコ通り)」(地図)。

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(大正通り)

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(いろは通り)

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(ニコニコ商店街)

そして、極め付きは、「大門商店街」であろう。
ここは、墨田の「鳩の街」と並んで、かつて隅田川左岸において、赤線地帯として名を馳せたところであるからだ。

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(「大門商店街」。大門とは、花街に冠される地名であることが多い)

このあたりは、駅から徒歩で来て、一度飲み歩いてみなければ分からない地域だと見た。

もしかしたら、顰蹙を買うかもしれないが、そのうち、吉原→鳩の街→千住大門などをめぐる「赤線サイクリング」を企画するつもりである。

さて、われわれは、多少走り疲れたので、お好み焼き屋の「丁子屋」(北千住)でタコ焼きを食べる(ここのタコ焼きは最高!)。

その後、都電「三ノ輪橋」駅から都電沿いに走ってみることにした。

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(都電「三ノ輪橋」駅)

町屋駅までは、線路沿いの道がきちんとついていないが、その先は割合走りやすくて使い勝手のよい道であるような気がした。
さらに走っていると、「荒川遊園地」の案内板が見えたので、しゃあさんに聞いてみると、行ったことがないという。
私も、以前から関心があったのものの、まだ行ったことがなかったので、寄ってみることにする。

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(「荒川遊園地」。入園料200円)

浅草の花屋敷に似たような雰囲気だが、園内の音楽が騒々しくなくて、私には馴染みやすかった。
少なくとも、浦安の、かの張りぼてランドよりは、はるかに素晴らしい(園内は、飲酒喫煙可、食物持ち込み可)。
ただ、来園者の中には、すこぶる奇抜な装束を身にまとった人々が多かったのには驚いたが、自転車服にヘルメット姿のわれわれも、かなり奇抜と言えば奇抜なので、かえって同類のようで安心できた。

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(すこぶる奇抜な装束を身に着けた来園者たち)

園内に、一段と目を引く瀟洒な洋館があったので、ファンタジーを求めてやまないしゃあさんと私は、急き込むように入館してみたら、何のことはない、単なる便所だった。

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(立派な洋館は、便所だった)

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(観覧車もこのぐらいの大きさがちょうど良いと思う)

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(電動のジェットコースターはなくて、こういう人力のカートが走っていたのにも好感がもてた)

同行のしゃあさんは、童心に返って、というか、いつもの童心のままで、牛(ホルシュタイン)と戯れていた。

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(牛と戯れるしゃあさん。「断腸さん、焼肉食いたいですね」と言っているところ。「荒川の 西の畔の遊園で われ腹減りて 牛と戯る」石川電動作)

荒川遊園地」は、今回が初めてだったが、近くに来たときにはまた寄ってみたいと思う。

こうしてわれわれは、荒川の夕陽を背中に受けて、家路に着いたのだった。

本日の走行距離:56キロ(フジクロス)

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2011.02.04 Fri
「迎春」サイクリング~「木場」・「鳩の街通り」など
昨日あたりからにわかに春めいてきた。
そう言えば、今年の場合、昨日の2月3日が旧暦の正月元旦だったわけで、まさに、「迎春」という言葉が息づくようである。

江戸時代までは、ずっと旧暦で正月を祝ってきたのだから、季節を表す言葉も風習も、旧暦の方がおしなべてよく適合しているのは当然である。
われわれは、明治以降に始まった生活や社会の様式を、あたかも昔から存在したものだと思いこんでいるが、実は、長い歴史の中では、明治(近代)以降の方がきわめて異例かつ例外的な現象なのである・・・。

暖かな外気に誘われるように、今日も、自転車に乗って出かける(フジクロス)。
今日の職場は、杉並なので、道草を食うためにかなり余裕をもって出る。

いつもは、荒川を四ツ木橋で渡るが、今日は、「木根川橋」を渡る(木根川橋については以前にもブログで書いたことがある)。

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(前方に見えるは、葛飾ハープ橋。左が綾瀬川で右が荒川)

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(木根川橋から荒川の水面を見つめる。昔の杭が残っていた)

荒川を渡ってから、「八広中央通り」を走る。
この通りは、八広の朝鮮学校の前を抜けて、西南方向に、京島、曳舟、押上を貫く墨田の「下町街道」である。
所によっては、まるで昭和30年代の道路のような風情があって、走っていてなかなか楽しい。

今日は、業平橋から「大横川親水公園」を通って、本所深川界隈を南下してみることする(「大横川親水公園」についても、以前に書いたことがある)。

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(自転車で走ると、ジャングルクルーズ気分になれる大横川親水公園)

ずっと南下すると、大横川は存在し続けるものの、親水「公園」は消滅するので、一般道をしばらく走ると、「木場公園」が現れるので、今度はその中を走る。

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(木場公園)

木場公園は、南北二つの区域に別れている。

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(木場公園園内地図・右が北)

南北を分かつのは、仙台堀であるが、それを跨ぐようにして、公園内の人道橋としては至極豪勢で立派な橋(「木場公園大橋」)が架かっている。

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(立派な木場公園大橋)

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(木場公園大橋からの眺め。下の川が仙台堀)

さっそく深川不動尊と富岡八幡宮を簡単にお参りする。

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(深川不動尊)

富岡八幡宮のHPの表紙写真が面白いので、ここに引用しておこう。
こんなにたくさんの巫女さんが一堂に会している写真は珍しいかもしれない。

富岡八幡宮
(富岡八幡宮HPの表紙写真)

富岡八幡宮には、私の尊敬する伊能忠敬の像がある。
彼は、列島の地図を作る際に、この神社を出発点としたのである(当時忠敬は深川に住んでいた)。

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(富岡八幡宮の伊能忠敬像)

そうこうしている内に、時間が迫ってきてしまったので、永代橋通りから南に一本入った裏路地を通って永代橋を渡る。

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(永代橋通りの裏路地。路地が発達している街は、健全な街だと私は思う)

永代橋→豊海橋→日本橋川に沿い→大手門→紀伊国坂→代官町通り→麹町→新宿通り(甲州街道)→旧玉川水道道路(都道431号角筈和泉町線)で職場に到着。

で、業務終了。

帰りは、ほぼ外堀ルートで、吾妻橋で向島に渡る。

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(地獄の新宿)

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(吾妻橋)

今日は、毎日のようにその近くを通っている「鳩の街商店街」に寄ってみることにする。
というのも、つい最近、ケーブルテレビで『渡り鳥いつ帰る』(永井荷風原作。久松静児監督。1955年製作)を見て、当時の「鳩の街」の風情を探してみたくなったからだ(因みにこの映画、非常に完成度の高い作品である)。

「鳩の街」(墨田区東向島)というのは、玉ノ井にあった娼家街が東京大空襲で焼け出されて、戦後新たに移転してきた街区のことで、いわゆる「赤線」のことである(その昔は、鳩の街「特飲街」と呼ばれていたらしい)。

このあたりは、ことさらに路地が入りくんでいて、通い慣れた荷風先生にして「ラビリンス」(迷路)と言わしめただけあって、この界隈の道を自家薬籠中のものにするには、まあ、百回ほどは通う必要があるかもしれない。

「鳩の街」通りは、ほぼ南北に走る、道幅にして二間ほどの直線路地で、北は墨堤通りの「向島高速道路入口」付近から南にちょっと入ったあたりから、南は国道6号線までの約500メートルの街区である。

この通りの素晴らしさは、まさしく、筆舌に尽くしがたい。
もし時間があったら、この通りに一日中でも、立ちつくしていたいほどである。

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(「鳩の街」北側の入口)

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(「鳩の街」通り1)

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(「鳩の街」通り2)

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(「鳩の街」通り3)

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(「鳩の街」通り4)

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(「鳩の街」通り5)

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(「鳩の街」通り6)

そして、南側の入口(国道6号線側)の写真を貼って、今日の「迎春」サイクリングを終わりにしよう。

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(「鳩の街」通りの南入口)

本日の走行距離:70キロ(フジクロス)

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