日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2011.01.30 Sun
「本懐!サイクリング~赤穂浪士引き揚げルートを走る」~雪を降らせた男たち
いよいよ「本懐!サイクリング~赤穂浪士引き揚げルートを走る」の当日を迎えた。
きりりと寒い冬の朝である。

この度、「本懐」を遂げるべく参集するは、十一士。
いずれも健脚(剣客)たるを誇る強者(つわもの)ばかり。

隠密に事を運ぶために、われわれは、二派に分隊した。
水元隊と両国隊である。

「水元隊」は、江戸川筋に潜伏せし者たち八士。
たすけ流山之守、dai左右衛門、ジャズ之紳、フリー比須戸衛門、kaccin之丞松戸之守、103霊諾之守、テガ手賀之守、断腸亭水元之守。

「両国隊」は、荒川筋に潜伏せし者たち三士。
しゃああずなぶる電動之守、nebaneba越谷之守、bunaibu衛門。

即ち、江戸川筋と荒川筋から二手に分かれて敵地に侵攻することで、敵方防備布陣をば攪乱し、願わくば、是を挟撃せんとする作戦なり。

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(合流前、水元隊は、隅田川に架かる桜橋で小休止。墨田の新電波塔を見て、「あれぞ武州浅草の凌雲閣なりや」と感心する浪士あれども、元禄期の人間にて、しばらく誰も応えられず、一浪士しゃしゃり出でて申す。「下総は浦安のディズニーランドならん」・・・)

而(しこう)して、二隊各(おのおの)の道を辿りて、一同会したるは、両国駅西口公衆便所前(内訳:ロード7、クロス3、ピスト1)。
大理石造りにて、飛矢流弾から我身を防ぐべからん由(よし)にて。

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(両国)

・・・とここまで書いて、文語調は疲れるので、現代口語文に戻す。

午前中は、隅田川左岸の両国深川界隈を廻った。

・隅田川左岸(午前)
両国駅(「両国駅西口公衆便所」・集合場所地図)→「スポーツサイクルいちかわ」→「吉良邸」→「回向院」→「両国橋」東詰跡→「一之橋」→「御舟蔵(幕府の艦船蔵)」跡→「芭蕉記念館」(入館せずに庭だけを見る)→「芭蕉庵史跡展望公園」(及び「そら庵」)→「芭蕉稲荷神社」→「イーストリバーサイクル」(森下)→「深川めし本家 みや古」で昼食→「赤穂浪士休息の地」→「永代橋」。

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(「スポーツサイクルいちかわ」。店頭に飾られたオーディナリーが目を引いた。廃盤部品多数。お茶、ご馳走様でした)

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(吉良邸跡に展示されていた絵。討ち入り後、両国橋を渡らんとして拒否される四十七士の絵図)

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(引き揚げ時、赤穂浪士が最初に渡った「一之橋」。古佐倉道筋に当たる堅川に架かる)

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「御舟蔵(幕府の艦船蔵)」跡

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(「芭蕉庵史跡展望公園」より隅田川下流を眺める)

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(芭蕉庵跡にある「芭蕉稲荷神社」)

芭蕉庵
(ありし日の芭蕉庵。「江戸名所図会」より)

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(森下の「イーストリバーサイクル」。展示商品の自転車とわれわれの自転車がたくさん並んでいる)

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(「イーストリバーサイクル」。この自転車屋は、私にとって非常に魅力的だった。あと10分長くいたら、クロモリバイクを購入していたかも・・・)

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(深川の材木屋。懐かしい風景)

そして、空腹を覚えたところで、芭蕉庵近くの「深川めし本家 みや古」で昼食とあいなった。

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(「深川めし本家 みや古」。なかなか乙な店内の雰囲気)

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(深川めしセット・1500円。これ以外に、お酒を頼まなくても先付けが出る。秋田杉のわっぱに炊き込みが盛ってある。当日は、写真を取り忘れたので、先週、下見に伺った際に撮影した写真)

いつかこの店で、本懐グループで一杯やれたらどんなにかよいだろうという声しきり・・・。

酒に未練の一行は、褌を締め直して、再び、自転車に跨って出発。

赤穂浪士の歩いたルートに戻って、江戸時代以来の名所「萬年橋」を渡る。

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(小名木川の河口に架かる「萬年橋」)

北斎の萬年橋
(北斎の描いた萬年橋。江戸期には、真正面に富士が見えたが、現在は不細工なビル群が見えるのみ)

深川万年橋・広重
(広重の描いた萬年橋。亀は萬年ということなのか。ここにも、遠景に富士。かつての萬年橋は、富士の見える名所だったのである)

隅田川右岸(午後)
→江戸期の永代橋跡→「豊海橋」→「越前堀児童公園」→「高橋」→「鐵砲州稲荷神社」→「浅野内匠頭邸跡」→「築地本願寺」→「築地場外市場」→「銀座」→「新橋」→旧東海道の裏道→「浅野内匠頭切腹跡」(「切腹最中の新正堂」)→旧東海道の裏道→「金杉橋」→旧東海道(=現国道15号線)→「高輪大木戸跡」→「泉岳寺」(赤穂浪士の墓)→「旧細川邸跡の大石内蔵助切腹の地」

「赤穂浪士休息の地」に立ち寄った後、永代橋を渡って、隅田川右岸に出る。
江戸期の永代橋は、現在よりも150メートルほど上流に架かっていたので、先ずは、昔の永代橋が架かっていたあたりに寄る。

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(右岸の「旧永代橋跡」から現在の永代橋を眺める。手前の、隅田川に流れ込んでいる川が日本橋川)

永代橋全図
(広重が描いた永代橋。右岸からの鳥瞰図)

「豊海橋」(日本橋川)を渡り直して、「越前堀児童公園」、「高橋」、「鐵砲州稲荷神社」を経て、「浅野内匠頭邸跡」へ。

現在の新川地区(中央区)から八丁堀を渡る「高橋」は、ほぼ当時の所に架かっているが、八丁堀から鉄砲洲に架かる「稲荷橋」は埋め立てられてしまって存在せず、今や、「稲荷橋跡」という小さな石柱が建っているのみなので、当時の風景にいささかなりと近いと思われる広重の絵を貼っておこう。

鉄砲洲稲荷橋湊神社
(広重の「鉄砲洲稲荷橋湊神社」。中央の小さな橋が「稲荷橋」。赤穂浪士たちは、この橋を向かって右から左の方へ渡ったことになる)

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(浅野内匠頭邸跡」・赤穂藩邸の石碑)

その10メートル西には、「芥川龍之介生誕の地」の説明板もある。

IMG_0079_20110131213350.jpg
(「芥川龍之介生誕の地」の説明板。以前に撮影したもの)

こうして、われわれは、今は存在しない築地川跡を追いかけて、築地(西)本願寺の山門跡付近(現在の築地場外市場あたり)を進んで、新橋の交差点から、東海道の裏道を南進した。

現在の築地本願寺は珍妙なものになってしまったが、かつては大伽藍がそびえ、寺域も、現在の築地場外
市場付近まで広がっていた。

やはり広重が、隅田川左岸の(現在の)月島あたりから築地界隈の遠望を描いているので、それも、貼っておこう。

築地門跡
(広重「鉄砲洲築地門跡(もんぜき)」。大きな瓦屋根が築地本願寺)

途中、浅野内匠頭が切腹したあたり(旧一ノ関藩邸)にある「切腹最中の新正堂」に寄ってみるも、日曜日にて休店・・・。
幹事の私は、残念で、今にも切腹したい気持ちになったが、しゃああずなぶる電動之守勘吉などに説得され思い留まる。

気を取り直して、再度、東海道の一本東の道を南進する。
赤穂浪士たちは、金杉橋の手前までこの裏道を進んだが、その道も金杉橋で途切れてしまったので、金杉橋を渡ることになった。

われわれも、金杉橋を渡って、東海道に出る。
金杉橋袂の児童公園でトイレ休憩。

金杉橋芝浦
(広重「金杉橋芝浦」。遠く遠景に見えるのが築地辺り。西本願寺の大屋根が見える)

東海道(現在の国道15号線と同じ経路)をひたすら南進。
日曜とはいえ、やはり大幹線道路にてクルマは多い。
道筋の「高輪大木戸跡」(元禄期にはまだなかった)をちょっとだけ見学した後、いよいよ最終目的地の「泉岳寺」に乗り込んだ。

ついでだが、現在の東海道筋の高輪付近は、現在からはとても想像できないが、すぐ東に海が広がっていた。
赤穂浪士たちも、金杉橋を過ぎたあたりから、晴れ渡った朝日に照り映える海を見ながら泉岳寺に向かったはずである。

高輪うしまち
(広重「高輪うしまち」。現在の泉岳寺駅付近)

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(泉岳寺山門。松がすごい)

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(浅野内匠頭がこの上で切腹したという「血染めの石」。新橋からここまで運ぶのは大変だったろうなあ)

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(泉岳寺に着いてから吉良の首を洗ったという井戸)

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(赤穂浪士引き揚げ時隊列図。やはり、米沢藩上杉家の攻撃に備えて、戦闘態勢の隊列である)

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(四十七士の墓)

われわれは、四十七士の墓をお参りして、門前の茶屋で甘酒を啜って帰路に着く。

・帰路
「泉岳寺」→二本榎通り→国道1号線→愛宕通り→内堀通り(パレスサイクリング)→「平将門首塚」→旧奥州日光街道→「柳橋」→両国橋を渡って両国駅へ。

二本榎通りを下って国道1号線に出たあたりで、ちらほらと舞い散る白いものあり。
何だろうと空を見上げると、雪である。
みんなで感動しながら、愛宕通りを走る。
時間がなくなってしまったので、「江戸城趾・松の廊下跡」の見学はなしにした。

その代わりに、先日、江戸東京博物館に行った時に撮影してきた「松の廊下」のジオラマの写真とその事件の模様を描いた絵をここに貼っておこう。

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(「松の廊下」。江戸東京博物館の江戸城ジオラマより)

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(松の廊下の刃傷事件の絵図)

その後、「日本橋」(北詰)でトイレ休憩。

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(日本橋)

現在の日本橋は、あまりにも風情が欠落しているので、江戸時代の日本橋の絵を貼っておこう。

日本橋雪晴
(広重「日本橋雪晴」。北詰から見たところ)

その後、「平将門首塚」に立ち寄って、旧奥州日光街道を辿りつつ、浅草橋を渡って、神田川河口の「柳橋」を見る。

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(柳橋)

柳橋から両国橋を見る・北斎
(北斎の描いた柳橋。向こうに見える大きな橋は、もちろん、両国橋)

こうしてわれわれは、両国橋を渡って、出発点の両国駅の便所に戻った。

気がついてみると、雪は既にやんでいた。

本懐を遂げた男たちの顔には、満足感(と空腹感)が漂っているようであった。

両ごく回向院元柳橋
(広重「両ごく回向院元柳橋」。回向院から対岸の柳橋方面を描いたもの)

今回、ご参加下さった皆さん、寒い中、ご苦労様でした。
フリーさんを初めとする皆さんのご協力で、楽しく有意義なサイクリングになりました。
本懐を遂げたわれわれとしては、今後「市中引き回しの上獄門」となることがあっても、それは本望というべきでしょう。
ありがとうございました。

注:経路図については・・・、
http://danchotei.blog75.fc2.com/blog-entry-593.html
http://danchotei.blog75.fc2.com/blog-entry-599.html
をご参照のこと。

走行距離:59キロ(フジクロス)

後日補遺:「本懐!サイクリング」ブログリンク集

・nebanebaさん(堂々たる全三巻。ダイナミックな写真)
http://nebanebawh.blog75.fc2.com/blog-entry-922.html
http://nebanebawh.blog75.fc2.com/blog-entry-923.html
http://nebanebawh.blog75.fc2.com/blog-entry-924.html

・103さん(暖かなユーモア。焼酎の湯割りが五臓六腑にしみわたる)
http://103bicycle.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-777e.html

・たすけさん(続編も続々とか・・・)
http://sazaepc-tasuke.seesaa.net/category/4211491-1.htm

・bunaibuさん
http://bunaibu2008.cocolog-nifty.com/arekore/2011/02/post-c1aa.html
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2011.01.28 Fri
この5日間の日録~「四ッ谷見附から上野公園までの抜け道ルート」など
この5日間(月~金)のことを手抜き簡略版にて書き留めておこう。

1月24日(月)

フジクロスで出勤。
いつもの隅田川土手で休憩。

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(隅田川土手にて)

対岸の「今戸」付近の写真を撮る。

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(対岸は「今戸」)

江戸後期に広重が、この写真を撮影した場所より100メートルほど下流から、こんな絵を描いている。

東都名所 真土山之図
(「東都名所 真土山之図」。山谷堀の河口には今戸橋が見える)

「真土山」というのは、「待乳(まつち)山」のこと。
浅草近辺に古来存在する低い台地で、その上には「待乳山聖天」がある。
広重の絵では、高々と添え立つように見える待乳山だが、今では、高いビルに隠れてまったく見えなくなっている。

同じ広重の描いた雪景色の今戸橋と待乳山の絵もある。

今戸橋真乳山
(「今戸橋真乳山」)

待乳山は、吉原に通うため(だけでもなかったんだろうが)の「日本堤」を築くために削られて小さくなってしまったとも言われている。

よし原日本堤
(広重「よし原日本堤」)

帰路、久しぶりに雨に降られる。
大した降りではなかったので、ウィンドブレーカーで凌ぐことができた。

本日の走行距離:38キロ(フジクロス)

1月25日(火)

フジクロスで出勤。
昨日、お湿りがあったせいか、空気が柔らかい感じがする。

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(隅田川土手にて。人道橋の「桜橋」)

帰りに、神田川筋を下って、柳橋に寄る。

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(柳橋の袂の船宿「小松屋」)

その後、両国橋を渡って、森下の自転車屋「イーストリバーサイクル」に行ってみるが、本日休店にて残念!

本日の走行距離:43キロ(フジクロス)

1月26日(水)

早朝に出発(フジクロス)

いつもの堀端の小公園で休憩。
今日は、気温が低い割には、濠に氷が張っていない。

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(堀端の小公園にて)

帰路は、以前によく使っていた四ッ谷駅あたりから上野に抜けるルートを走ってみる。
何となく「面倒くさい」経路のような気がして、最近は使っていなかったが、今回走ってみて、なかなか良いルートかもしれないと見直す。

地図を描いてみた。


(自転車の抜け道ルート~四ッ谷見附から上野公園まで(駿河台登坂回避))

四ッ谷駅から外堀の内側沿いの道を辿るルートで、交通量も少ないし、景色が良いのがありがたい。
その反面、幹線道路ではないので、そんなにスピードを出せないところが「面倒くさい」と感じさせていたわけだが、気が急(せ)いている出勤時ではなくて、復路として走れば、のんびりできて、かえって良いかもしれない(ただし、桜の頃は人で一杯になる)。

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(「東京中華学校」脇のこんな細道に入って、あとは道なりに。地図

やがて、「市ヶ谷駅」の交差点に出るので、道を斜めに渡って、「市ヶ谷プラザ」の裏の道(地図)に入って、道なりに進む。

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(「新見附」交差点付近。地図

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(左の堀堤の上には、気持ちの良い遊歩道が通っているが、自転車は通行禁止)

自転車を降りて、新見附橋を歩いてみる。
この橋からの外堀の眺めは、江戸期の風景画家たちが好みそうな絶景である。

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(新見附橋から外堀を眺める。右には、中央線が見える。中央線は、ハケの道に敷設した路線であることが分かる)

水道橋駅まで来たら、外堀沿いの道は駿河台を登る(あまり楽しくない)急坂(「皀角(さいかち)坂」)になるので、私は、「小栗坂」から駿河台下に抜ける道(「錦華通り」・地図)を南下する。

駿河台は、本郷台地の南の末端で、舌状台地を形成しているので、南に回り込んで昌平橋あたりに出てしまえば、ほとんど登坂を回避できるのである(この地形図を見ると、そのことがよく分かる。舌先を切断しているのが神田川)。

昌平橋→不忍通りで湯島。

久しぶりに、不忍池を散策する。

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(私の大好きなホール、上野水上音楽堂)

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(不忍池。二棟の醜いビルが邪魔)

因みに、ほぼ同じアングルから広重が描いた「不忍池」。

不忍池
(広重「不忍池」)

こうして、千住経由で帰路に着いたのであった。

本日の走行距離:64キロ(フジクロス)

1月27日(木)

白米が底をついたので、いつものように「かしわで」(柏市)に買い出しに出かける(フジクロス)。

往路:水元→葛飾橋→松戸(和名ヶ谷・紙敷)→五香→大津川筋→手賀沼→大堀川→「かしわで」。

途中で、腹が減ったので、「松戸南部市場」でラーメンを食べる(62点)。

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(「松戸南部市場」)

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(春木川冬景)

このところ、都心ばかり走っていたので、広々とした田園風景の中を走るのは、大変に気持ちがよい。
何と言っても、クルマに追い立てられて走らなくてもいいので、全然、疲れ方が違う。

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(手賀沼到着)

やっぱり手賀沼はいいなあ~。

手賀沼から大堀川沿いの道を走っていると、交差点で、ロードバイクに乗った人から声を掛けられる。
何と「三連勝(シクロウネ)」のクロモリにトゥークリップという昔ながらの自転車乗り(駆動系とホイールは現行品だが)のようだ。
大分年長の方とお見受けしたが、聞いてびっくり。
78歳だという。
毎日、手賀沼周辺を30キロ走り、ロードレースにも参戦しておられるそうだ。
年に何回か、日帰りで銚子往復もなさるという。
「私も、50代の頃なら、どんなに走っても大丈夫だったんですがね、最近はダメですなあ」と言って笑っておられた。
すごい人である。
しばらく併走しながらお話しをして別れる。
果たして私は、78歳になっても自転車に乗り続けることができるだろうか。
いや、先ずはその前に、その歳まで元気に生きながらえなければならないけど・・・。

「かしわで」で買い出しを済ませる。

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(買い出しした品々)

こうして私は、「かしわで」→流山橋→江戸川サイクリングロード→大場川→水元公園という道筋で帰ってきた。

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(リュックに満載した買い出し品。水元公園にて)

家に着いて、着替えをしていると、印旛の愚兵衛さんから電話。
いま、堀切(葛飾区)で飲んでいるから来ないかという・・・。

30分後、私は、堀切菖蒲園駅近くの「哈爾濱餃子(ハルビンギョウザ)」のカウンターで餃子をつまみながら、愚兵衛さんと紹興酒で乾杯していた。
以前、私は堀切に住んでいたので、この店にはよく来たものだ。
少なくとも、葛飾では一番ウマイ餃子を出す店である。
ハルピンから日本に移住した年配のご夫婦が、ここに店を開いて13年。
小さい店(カウンター6席のみ)ながら、地元の人々に支持されて頑張っておられる。
こちらも、見上げたものである。

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(今や、堀切の顔と言ってもよい「哈爾濱餃子(ハルビンギョウザ)」)

酒を酌み交わしながら愚兵衛さんとしゃべっていると、次々にサイクリングの計画が湧き出してきて、今年もたくさん一緒に走りましょうということになった。
楽しみである。

本日の走行距離:67キロ(フジクロス)

*1月28日(金)の日録については、呑ちゃんが詳しく書いてくれたので、そちらに任せることにした。

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2011.01.23 Sun
「江戸市中引き回しルート」の試走~千住大橋から上野広小路までの抜け道ルートなど
今日は、昨日の日記に書いた「江戸市中引き回しルート」の試走をすべく、隣人のDAI'Sさんと一緒に、7時半頃出発(フジクロス)。

DAI'Sさんのロードバイクは、以前から少しだけ仕様変更したという。
いつもながら、その美しさは相当なもので、見ているだけでほれぼれとしてしまう。

IMG_0224_20110124110857.jpg
(手前がDAI'Sさんのロード。ちなみにその向こう側にあるのが私の自転車。自転車同士も、持ち主と同様、隣り合っている)

「水元公園から荒川への抜け道ルート」を辿って、千住新橋北詰でしゃあさんと合流。

途中、荒川土手からは、富士の山容を望むことができたが、ここまでの道のりが寒かった!

千住新橋を渡って、旧奥州・日光街道を抜けて、北千住駅西口の「名代・富士そば」でうどんを啜る。
お陰でやっと身体が温かくなってきた。

北千住の駅頭で、真っ白なピストバイクをいじっている人が見えたので、誰だろうと思って近寄ってみると、フリーさんだった。
フリーさんは、てっきり今日も、ブロンプトンで来るものと思っていたので、ややびっくりする。
聞いてみれば、昨日購入したばかりのピストだという。

IMG_0225.jpg
(フリーさんの真っ白なピストバイク。その向こう側の赤いのがしゃあさんの自転車。紅白が並んで、めでたい、めでたい)

旧道を追いかけて、千住大橋北詰の西側のテラス(地図)に寄る。
ここは、江戸時代以来の船着き場がある場所で、芭蕉が奥州に旅立つ際に、深川の自宅から千住まで舟で遡航してきたときに上陸した地点とされている。

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(堤防の壁面に描かれた巨大な壁画)

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(千住「大橋」の下には、さらに小さな橋があって、冗談ではなくて、本当に千住「小橋」と言う)

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(現在でも、船着き場として利用されている)

千住大橋から上野までは、私がよく利用する抜け道ルートを走る。
ついでなので、ここで地図を描いておこう。


(「自転車の抜け道ルート~千住大橋から上野広小路まで」)

千住大橋以南の国道4号線はかなりの地獄街道なので、自転車で走るのが一苦労であるが、上記のルートを走れば、すこぶる快適である。
千住大橋南詰の袂から細道をほぼ道なりに南進すればよい。
羊腸の小径とも称すべきこのくねくね道は、たぶん、このあたりがまだ田畑だったころから存在した農道だったのではないか。
途中で、都電荒川線「三ノ輪橋駅」の横も通る。
時間があれば、下町情緒濃厚な三ノ輪の商店街を散策するのもよかろう。
この細道は、基本的には、国道4号線と平行に走っているが、「東日暮里1東」の交差点(地図)あたりから次第に西の方に逸れてしまうので、このあたりで、一本南を通る「金杉通り」に乗り換えるのがよい(因みに、この細道を道なりにまっすぐ走れば日暮里駅に通ずる)。
金杉通りは、都心の幹線道路であるにもかかわらず、路肩も広いし、街並みに潤いと品格があって、走っていてとても気持ちがよい。
この金杉通りをそのまま道なりに走れば、自然と上野の山にぶつかるので、あとは、上野公園の中をのんびりと走れば、上野広小路が見えてくる・・・。

さて、「江戸市中引き回しルート」であるが、今回は、都合上、上野広小路を出発点にして、反時計回りに追跡してみることにした。
しかも、来週日曜の「本懐!サイクリング」の道と重複する箇所は避けるという趣旨なので、一応、全体の3分の2ぐらいに当たる「芝公園」付近までを目標とした。

われわれの辿ったルートを文章化すると以下のようになるが、これは読むためのものではなくて、単なるメモだと認識せられたし。

不忍通りの一本南の道を西進→不忍通りを突っ切って1ブロック先の変形十字路を左折→100メートルほど南進して、春日通りを右折→800メートルほど西進して「本郷三」で左折して本郷通りへ→200メートルほど南進して、一つ目の信号の十字路(右にりそな銀行)で右折→500メートル西進(途中大通りを横断)して白山通り(都道301)で左折→「水道橋」で右折して、外堀通り(都道405)を西南進→「神楽坂下」(「飯田橋」で右折→神楽坂を登り、「神楽坂上」を通過して、200メートルほど行ったところ(十字路)を左折→200メートルほど南西進して左折→100メートル南進して大久保通り(都道433・「牛込神楽坂駅」)で右折→200メートルあまり西進して「牛込北町」で左折→ほぼ道なりに南進して外堀通りにぶつかって右折→外堀通りをそのまま進んで、市ヶ谷で左分岐して、四ッ谷を抜けて、前方に「安全ビル」が見える所で、反時計回りに迂回して青山通り(246)にぶつかって左折→200メートル東進して、巨大な交差点の一本手前の道を右折して800メートルほど南進して信号の分岐を左に→さらに400メートルほど道なりに南東進して六本木通りを横断→「ファミマ」と「赤坂協和ビル」の間の道を200メートルほど東進して「米国大使館前」を右折→600メートルほど東進して「虎ノ門3丁目」で右折(1号線)→1号線をそのまま道なりに、「赤羽橋」まで南進・・・。

上野から神楽坂あたりまでは、かなり細かい道を縫うようにして進む。
今から考えると、どうしてこんな道を「引き回した」のだろうか、疑問を感じてしまうほどである。

しかしながら、今回はいちいち立ち寄らなかったが、このルート上には江戸府中内の名所旧跡が多く、もしかしたら、今で言えば、はとバスコースのようなものだったのかもしれない。
重罪人を引き回すのは、もちろん、そこに見せしめ的な意味合いがあったのは確かであるが、この引き回しにぞろぞろとくっついて歩いていけば、自ずとお江戸名所旧跡廻りができる。
引き回しという「イベント」には、幕府への畏怖を植え込むと同時に、祝祭的な物見遊山というイメージがあったように思う。

いずれ日が長くなったら、「サイクリング・江戸市中引き回しルートを走る」を企画するつもりであるが、その際は、江戸時代の「はとバスコース」を辿るサイクリングのようなものにしたいと思った。

われわれは、芝公園付近で休憩し、ゆっくりと自転車談議に花を咲かす。

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(東京タワー。港区役所前から臨む)

そして、昼食は、日比谷公園内の「松本楼」でランチセットを食べた(美味しかったけど、量が物足りない)。

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(「松本楼」)

その後、秋葉原で久しぶりに歩行者天国が開催されているというので、行ってみることにした。

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(秋葉原の歩行者天国)

ものすごい人出に驚いた。
われわれは、自転車を押しながら、蔵前橋通りまで歩く。

その後、昌平橋通りのビアンキの直営店に立ち寄った後、中央通りをそのまま北進して、自転車部品店「上野アサゾー」に行く。
新105の34tチェーンリング(通販では何故か売っていない)と金色のバーテープを購入・・・。

帰ってきてから、肝心要の「牢屋敷」(小伝馬町)に寄るのをすっかり忘れていたことに気づく。

明日にでも、行ってみることにしようか・・・。

走行距離:59キロ(フジクロス)

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2011.01.21 Fri
「江戸市中引き回しルート」とタイヤ交換
時代劇を見ていると、大岡越前あたりが、「市中引き回しの上、獄門とする」などと高らかに刑を宣告するシーンが出てくる。
江戸市中を引き回された後に死刑というのは、江戸期には、どうも最高刑で、単独の切腹や打ち首よりも重い刑罰であったらしい。

先日、職場の仲間と神田で飲んでいたとき、同僚の一人が、その「江戸市中引き回しルート」を以前学生と歩いたことがあるという話をした。
全部で30キロ近くもあるので、結局半分ぐらいで日が暮れてしまって、後は、飲み屋を何軒も「引き回される」(つまりは、梯子する)羽目になったという。

なるほど、徒歩で30キロだと大変だが、自転車なら簡単である。

私は、帰宅すると、さっそく「江戸市中引き回しルート」を調べ始めた。

そして、先達が作った地図を発見したので、ここに掲載しておこう。


(「江戸市中引き回しルート」)

出発点は、小伝馬町の「牢屋敷」(終点も同じ)。
ここから江戸城の外郭(府中)を右回りに一周するルートであることが分かる。

東西南北で言えば・・・、

東は、八丁堀。
西は、四ッ谷見附。
南は、三田。
北は、浅草。

まだ、当時の「東京」は、現在と較べてとても小さかったことが分かるし、いわゆる江戸四宿(内藤新宿、板橋、千住、品川)は、「江戸市中」という概念の外にあったことも分かる。

さっそく、都心の交通量が少ない明日の日曜あたりに試走して、たとえば桜の頃に、他のメンバーと一緒に走ってみたいものである。

閑話休題。

フジクロスの後輪タイヤが大分摩耗してきたので、交換する。

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(交換前)

ヴィットリアのルビノプロ2の赤を使用していたが、気分転換にルビノプロ3の黄色にしてみた(23C)。
ルビノプロの2と3の違いは、TPIが120から150に上がって耐パンク性が向上したことと、5グラムほど軽量化したことらしい。


(ヴィットリア RUBINO PRO 3)


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(交換後)

新旧のタイヤを並べて、摩耗の具合を検証。
旧タイヤは、大分摩耗して、トレッドが角張ってきているが、まだ、500キロぐらいは使えそうな気がする。
ただ、タイヤをケチると事故につながるので、私は早めに交換することにしている。
まだ使えそうな古タイヤは、まさかの時のために、職場のロッカーに保管しておくことにしよう。

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(左:旧、右:新)

前輪は、もうしばらく大丈夫そうなので、来月になったら交換しよう。
それまでは、前輪赤、後輪黄と、前後のタイヤの色が不統一になるが、性能とは関係がないのでよしとしよう。

走行距離:11キロ(6速ママチャリ)

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2011.01.19 Wed
杉並から泉岳寺まで走る~「本懐!サイクリング」の帰路ルートの下調べ
夜明け前に家を出る(フジクロス)。
今日は、風もほとんど吹いてないし、気温もやや高いような気がした。
冬の早朝なので、寒いことは寒いが、走っていて気持ちがよい。

いつもの濠端の小公園で休憩。
今朝は、濠の氷が先週よりも厚く張っているようである。

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(内濠には氷が張っていた)

これからジョギングを始めようと濠端で着替えをしていた高校生の一団が、戯れに、濠に向かって石を投げていた。
氷に石が当たると穴が空いて、ぶくぶくと水が噴き出すのが面白い。
ところが、ちょうど通りかかった警察官に注意されることになった。
何と言って叱っているのか聞こえなかったが、「オイこら、世が世なら・・・」などと宣(のたま)わっていたのかもしれない。
私もどさくさに紛れて、一石を投じてやろうかと思っていたところだったので、やらなくてよかったと思う。

いつものように、紀伊国坂を登る。

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(紀伊国坂より平川濠を眺める)

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(紀伊国坂)

その後は、例によって、地獄の新宿を抜けて職場に到着。
慌ただしい午前中の業務を終えて、昼過ぎに放免となる。

天気も良いし、これから自転車で帰宅すると思うだけでわくわくしてくる。
こんな気分の日は、いつもと違った経路を走りたくなるものだ。

『携帯マップ・東京23区ガイド』(ダイソー製)を見ながらしばらく考えた末に、できるだけこれまで走ったことのないルートを辿って、泉岳寺まで行ってみようと思い付く。
実は、今月30日の「本懐!サイクリング」の泉岳寺発両国までの帰路ルートを決めかねていたので、泉岳寺からは、その下調べも兼ねて走ってみようと考えたのである。

さっそくマップファンのルート検索で経路を調べてみた。
その結果の地図はこれ(クリックすると経路図が出る)。

確かに、これまであまり走ったことのないルートだが、私の苦手な世田谷区と渋谷区を通り抜ける経路なので、ちょっと気が重い。
でもまあ、新しい道を覚えられるので行ってみよう!

井の頭通りは、もう何年も前から拡幅工事をやっていたが、まだ終わっていない。
お陰で、相変わらず、非常に走りにくい。
「大山」交差点で右折南下して、駒場公園や東大を右に見ながら東進。

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(地図を確認するために東大構内で休憩。立派な桜並木があった)

このあたり(駒場)は、結構走りやすいが、山手通り(環状6号線)に出るや、途端に走りにくくなる。
東京の環状線は、環七を筆頭に、ほとんどが地獄街道である。

環状1号線 内堀通り
環状2号線 外堀通り
環状3号線 外苑東通り
環状4号線 外苑西通り
環状5号線 明治通り
環状6号線 山手通り
環七
環八

この中で、1と2はまあ走りやすいが、あとはこの世から消えてほしいぐらいである。

神泉あたりで、旧山手通りに分岐。
代官山を通って恵比寿駅を抜ける。
このあたりは、交通量が多いばかりか、町並みに潤いがない。
建物も浅薄な張りぼて風でつまらなくて、渋谷区らしく、歩行者のマナーが非常に悪い。
私は、急に葛飾や墨田が懐かしくなって、早く帰りたいと感じ始める。

「渋谷橋」で明治通りに出る。
腹が減ったので、「渋谷橋」の交差点の食堂で「漬け鮪丼」をかきこむ。

このあたりは、明治通りと平行して、渋谷川が谷を形成している。
渋谷という地名の「谷」とは、この渋谷川のことなのである。
私は、明治通りから外れて、川沿いに走ってみることにした。

坂を下って、渋谷川を目の前にして、私は愕然とした。
これが川か!

IMG_0124_20110120090744.jpg
(渋谷川)

これが、「春の小川」(唱歌)で歌われた渋谷川なのか。
まるでホルマリン漬けにされた川のようである。
もし、私が川に生まれ変わることがあっても、渋谷川だけは御免である。

東京23区内の自転車の走りやすさに関して言えば、私の経験では、東西軸では東ほど走りやすく、南北軸では北ほど走りやすいような気がする。

渋谷区は、概して走りにくいのだが、その要因の一つは、道の作り方が、何というか、「非人間的」で、全体として、ひどく荒(すさ)んだ感じがするためではないだろうか。
荒んでいるというのは、舗装状態が悪いとか、汚いという意味ではなくて、道路の作りがあまりにもクルマ中心にできているという意味である。

たとえば、今日通った道筋では、「天現寺橋」の交差点がそれである。

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(「天現寺橋」の交差点。地図

自転車は、交差点の角から渡ることができずに、少し道を戻って、横断しなければならないし、歩行者が渡るための横断歩道はなくて、すべて、歩道橋を上り下りしなくてはならない。
かつてのソウルがそうであったが、これでは、お年寄りは大変に困ってしまうだろう・・・。

しばらく、喧噪の明治通りを走って、「古川橋」で右折して、「魚らん坂」(地図・高輪台)を登る。
かなり頑張り甲斐のある坂である。
このあたりに来ると、町並みに人間らしさが出てきて、私は、やっと機嫌がよくなってくる。
そして、高輪台を登り切って、伊皿子坂を舞い降りると、目的地の「泉岳寺」が現れた。
たった10キロあまりしかなかったのに、30キロも走ったほどに疲れた。

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(本日の泉岳寺)

泉岳寺で一服して、トイレに行って、さっそく帰ることにする。
30日当日は、往きは、赤穂浪士のルートを辿るわけなので、隅田川筋から国道15号という経路。
だから、帰りは、別のルートじゃないとつまらない。

そんなことを考えながら、結局、ほぼ次のようなルートで両国まで走ってみた。


(泉岳寺から両国までのルート)

先ず、伊皿子坂を中腹まで登って、高輪台を南北に通る抜け道で慶大前まで降りて、1号線(桜田通り)に出る。
1号線を「赤羽橋」」まで走って、都道301号線で右に分岐。
増上寺と東京タワーと愛宕山を見ながら直進。

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(東京タワー)

やがて、右側に日比谷公園が現れたかと思えば、目の前には、祝田橋。
祝田橋を渡れば、内堀通りである。

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(江戸城趾内濠)

当日は、パレス・サイクリングの開催日なので、そのまま内堀通りのど真ん中を疾走して、大手門。

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(江戸城趾「西ノ丸下」跡付近)

大手門で自転車を降りて、城趾内の松の廊下跡や本丸址などを徒歩で見学。
平川門から出て(浅野公は捕縛後、平川門から出されたので)、大手門の前に置いてある自転車まで戻って、再び、自転車に跨る。
行きがけの駄賃で、平将門の首塚をちょこっと覗いた後、江戸期以降の道の原点である♪お江戸日本橋♪を見学。
日本橋から両国までは、せっかくなので、浅草橋までは、旧奥州・日光街道のルートを辿ることにする(同時に抜け道ルートにもなっている)。
浅草橋から神田川沿いに進んで、今でも風情のある柳橋(神田川河口)を見た後、両国橋を渡って、両国駅へ。

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(神田川の第一の橋「柳橋」)

大体、以上のようなルートを叩き台にして、当日は走ってみたいと思う。

走行距離:75キロ(フジクロス)

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2011.01.17 Mon
駒形堂異聞
北西の強風。
寒し。

今日も、性懲りもなく、隅田川筋を探訪するために、たっぷり余裕をもって出かける(フジクロス)。

いつものように、駒形橋西詰(地図)を通りかかったので、そこの「駒形橋際公衆便所」で用を足そうと止まる。
隅田川沿いは、公衆便所の数が多くて実に助かるのだが、ここの便所は古くさい煉瓦造りで、小さくて、ほどほどに汚いのが私の好みである。

公衆便所と言えば、以前、銚子駅の便所に入ったとき、私はおかしな勘違いをしてしまい、後で一人で苦笑することになった。
銚子駅のそのトイレでは、日がな一日、繰り返し繰り返し、同じアナウンスが流れている。
「右が男子おトイレ、左が女子おトイレ、中央が多機能おトイレです・・・」。
しかも、そのアナウンスの女性の音声が、電子的に作られたようなものなので、どこかたどたどしい感じで、何回も聞かされるとイライラしてくる。
それはともかく、「多機能おトイレ」という日本語が、最初、私には「滝のトイレ」と聞こえて、いったいどんなトイレだろうだろうかと、その後、ずっと考えていた。
滝のようなものが流れていて、その上で「する」のかなあだの、水を流すと、滝のように上から水が落ちてくるような仕掛けになっているのかなあだの、いろいろ思い悩んだ挙げ句に、ついに、意を決して、件の「滝のトイレ」に入ってみたら、何のことはない、よくあるような、車椅子でも入れるトイレのことだった。

この手のトイレに、「多機能」という形容語を冠するのは、おかしいと私は思う。
そもそもがトイレは、まあ、「化粧室」と言ったりすることからも分かるように、用を足す以外にも、身繕いをしたり、着替えをしたりする場所(私は、自転車服→平服に着替える目的でよく使う)である。
たとえば、宿泊や宴会ができるトイレだったら、多機能トイレと言えるが、現状の「多機能おトイレ」には相応しくない形容語ではないか。

それで思い出したが、以前からおかしい、おかしいと思い続けているのは、「同時多発テロ」という言葉。
「多発」というからには、普通は、数十箇所以上で発生するような場合を言うのだと私は思うのだが、この場合、蓋を開けてみれば、たった3箇所のことでしかなかった。
これはまさしく、白髪三千丈的な誇張表現で、本来ならば、鳥インフルエンザや口蹄疫の発生のような現象に使うべき表現で、明らかに誤用だと思う。

ついでだが、ずいぶん以前から、虫ずの走る表現がある。
「国際的」という表現。
この言葉自体は、internationalという英語の訳語として、かなりの名訳だと思うし、古い歴史を持つものなのだが、最近は、半分ぐらいが誤用ではないかと思う。
国際的、国際的と書いてあるから、一体どういう意味なのか煎じ詰めてみると、単に「アメリカ的」という意味に過ぎない場合が実に多い。
だったら、最初から「アメリカ的」と書くべきではないだろうか。
internationalの訳語としては、古くは、「万国的」と訳される場合が多かったようであるが、これもかなりの名訳だと思う。
つまり、国際的という言葉は、「一国的」の反対語なので、単に「アメリカ的」ということを意味するのに「国際的」と表現すれば、白黒が逆さまになってしまうことになる。
私は、internationalの本来の意味を忘れないために、できるだけ、「万国的」という言葉を使うように心がけている・・・。

便所の話から大分逸れてしまった。

実は、便所の話をしたかったのでもなくて、その便所の前にある「駒形堂」の話をしたかったのである。

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(「駒形堂」)

「駒形」と言えば、同名のどじょう料理店で有名だが、そもそもがかなり昔から存在する、このあたりの町名に由来する。

上記にリンクを貼ったページによると、推古朝(7世紀前半)の頃、隅田川で漁労中、ある漁師の網に一体の小さな仏像(約5.5センチ)がかかった。
その仏像が「上陸」した地点が、駒形町のこのあたりの岸辺であったということらしい。
この小さな仏像が、現在でも、浅草寺のご本尊(完全未公開)なのであるが、浅草寺が本堂などを備えて現在のような形を成したのは10世紀半ばで、その際に、同時に駒形堂が建立されたという。
そういう意味では、駒形堂こそ、浅草寺の始源地であることになる。

但し、駒形堂は、昔から現在の地にあったわけではなく、1923年(関東大震災)までは、浅草通りの反対側にあった。
つまりはこのあたりである。
しかも、『江戸名所図会』(江戸後期刊)によれば、元禄期までは、この地に浅草寺の「総門」があって、ここから、たぶん、現在の雷門あたりまで桜並木があったと記されている。

北斎の駒形堂
(北斎の描いた駒形堂。当然、既に「総門」は存在しない)

つまりは、浅草寺の参道は、この駒形橋西詰から始まっていたわけである。
そういう眼で地図を眺め返すと、確かに浅草寺本堂と宝蔵門(仁王門)と雷門の直線上に、駒形橋西詰があることが分かる(多くの神社仏閣と同様、南南西を向いている)。

とすれば、元禄期後に失われた「総門」は、このあたりに建っていたのではなかろうか。
ただ、度重なる洪水や火災や震災や護岸工事によって、発掘しても、総門の柱跡などが発見される見込みはまずないであろう。

そんな悲観を吐露せざるを得ないのは、駒形堂の敷地内の隅にぽつんと立っている石碑がそれを物語っているように思うからである。

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(浅草観音「戒殺碑」)

この石碑の傍らには、次のような解説板が付されていた。

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(「戒殺碑」の説明板)

この石碑に書かれている内容は、駒形を中心とするこの一帯の隅田川流域での漁業を禁止(戒殺)したということらしい。
そして、この石碑は、1927(昭和2)年、工事中に、激しく損壊された状態で偶然地中から発見され、それを修復したのだという(もちろん、通りの反対側の地からであろう)。

この激しい損壊状態は、たぶん、地震によるものと思われる(関東大震災や安政の大地震など)。
文字が欠落しているところもある。

思えば、この地は、度重なる天変地異をくぐってきた。
一番最近のそれは、米軍による無差別爆撃(1945年)。
浅草寺もほぼ丸焼けになった。

駒形堂の前に立つと、そんな歴史の有為転変を痛感せざるをえない。

走行距離:49キロ(フジクロス)

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2011.01.16 Sun
東京の雪に寄せて
朝起きて窓を開けると雪が降りしきっていたのでびっくりする。
玄関のドアから外に出てみると、強い北西の風に雪が舞っていて、北側のベランダに置いてある自転車のサドルにうっすらと雪が積もっていた。

今日は、奇しくも、旧暦の12月13日に当たる。
約300年前の元禄15年12月13日(旧暦)も、東京は雪だった。
赤穂浪士が討ち入りを行ったのは、翌12月14日未明だったのだが、この時点では既に雪はすっかりやんで、空は晴れ渡っていた(満月の夜だった)という(映画などで討ち入りの当日に雪が降っているように演出されているのは後世に於ける脚色)。

日中に雪が降って夜になって晴れたということは、放射冷却現象のため、江戸の街は凍てつくように寒かったに違いない。
槍先に掲げられた吉良の首は、零下の中、6時間近くも外気温に曝されていたわけで、泉岳寺に着いた頃には、ほぼカチンコチンの冷凍状態になっていたのではなかろうか。

余談だが、東京に於ける大事件は、何故か、雪の日が多い。
桜田門外の変(安政7年旧暦3月3日)
二・二六事件(1936年)
いずれも、暗殺がらみの血なまぐさい事件で、白雪に飛び散る鮮血のイメージがつきまとう・・・。

去年は、2月中に何回か雪の日があって、2月2日に雪が降った際には、喜び勇んで水元公園に写真を撮りにいった日記が残っている

雪国の人には笑われるかもしれないが、雪とは縁がない地域で育った人間は、雪が珍しいので、雪が降ると嬉しいのである。

今日も、公園に行ってみようと思って、簡単な朝食を食べて、着替えをしているうちに、あら不思議、雪はすっかりやんでしまって、青空が見えてきたではないか。

私は急いで6速ママチャリに飛び乗って、水元公園に出かけた。

しかしながら、うっすらと地表を被っただけの雪は、陽光に照らされて、みるみる消滅しつつあった。

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(水元公園の雪)

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(陽がさしている水元公園。対岸は三郷公園)

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(水元公園から流れ出る水路沿い)

そして、これは面白い光景だなあと思って撮影した写真。
杭の陰になった部分の雪だけが、解けずに棒状に残っている。

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(面白い残り方をしている雪)

たった30分ぐらい、自転車で水元公園のあちこちを廻っているだけで、身体が冷え切ってしまったので、家に帰って鍋焼きうどんを拵えて食べる。

午後からは、フジクロスに乗って、あちこちを散策。

水元公園→三郷界隈→お花茶屋など。

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(三郷の水路沿いには、早咲きの梅の花が咲いていた)

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(水元の乗馬教室の練習模様を見学)

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(葛西用水路にて。葛飾区)

夕飯は、牛肉をしこたま買い込んで、ビーフシチューを拵えて食べた。

走行距離:36キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

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2011.01.14 Fri
「本懐!サイクリング~赤穂浪士引き揚げルートを走る」のご案内~RDの分解掃除
映画(1950年代の日本映画『大阪の宿』)を見ながら、年末に交換した際に取り外しておいた2機のRD(後変速機)の分解掃除をする。

IMG_0064_20110114065057.jpg
(左が分解掃除を済ませた旧アルテのRD。右が分解掃除中のソラのRD。プラスドライバーと六角レンチでばらせるのはここまで)

2機のRDの次の「嫁入り先」は既に決まっている。
旧アルテのRDは、ACクロスバイク。
ソラのRDは、6速ママチャリ。

分解したRDの組み立ての際に、注意すべき点は以下。

・シマノ社製の場合(実は、他社のRDはいじったことがない)、2個のプーリーにはそれぞれ互換性がないので、ガイドプーリーとテンションプーリーを間違えずに取り付けよう。ガイドプーリーには、その旨の刻印があるのでそれを目印に。

・ワイヤー固定部分のワッシャー(と言うのかな?)の向きを間違えないように。

・調整ボルトを外すと、プレートが本体に寄ってしまって、組み立てるときにプーリーのボルトを入れにくいので、先に調整ボルトを取り付けて、H(ハイ)側のネジをある程度締め込んでやると作業しやすい。

・大変に振動の激しい部分なので、ネジが抜けないように、ネジ山にグリスを塗ってやることを忘れずに。

慣れないうちは、できれば、作業前に、前後左右上下から6枚ぐらいの現状写真を撮っておくとよい。

閑話休題。

さて、今日も、フリーさんと計画中の「本懐!サイクリング~赤穂浪士引き揚げルートを走る」の下調べに行ってきた。
ちょっと怪しいところもあるが、まあ、大体は道を把握できたかな?・・・。

そこで、せっかくなので、他にも志士を募ることにした。

以下、当日の詳細。

期日については、1月30日(日)とする。

元禄15年の旧暦12月14日は、その年の新暦1月30日に当たる。
ところが、今年の旧暦12月14日は、実は新暦1月17日に当たるので、本当は、17日(月)に「血行」すべきだが、月曜日だと、誰も参加できないので、1月30日(日)とさせていただく。

集合時間は、午前10時
とする。

本当は、午前2時頃とすべきだが、早すぎて誰も来られそうにないので、午前10時とする。

集合場所は、両国駅西口近くの公衆便所前付近とする。

特に意味はないが、寒いので、「近い」と見た。

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(集合場所:両国駅西口近くの大理石の「両国駅西口公衆便所」・地図。背後が両国駅西口)

以下、まとめ。

「本懐サイクリング~赤穂浪士引き揚げルートを走る」へのご案内
集結期日時間:1月30日(日)午前10時
集合場所:両国駅西口近くの公衆便所付近(地図)。解散場所も同じ。
ルート:赤穂浪士たちが吉良上野介を討ち取ってから泉岳寺までのルートを辿る(経路地図)。それ以外に、時間が許せば、江戸城趾内の「松の廊下跡」も訪ねる。加えて、フリーさんお薦めの自転車店(森下)も訪問する。
予想走行距離:40キロぐらい。
備考:赤穂浪士縁(ゆかり)の史跡を訪ねるサイクリングなので、しょっちゅう、あちこちで止まることになる。
昼食:検討中

ご参加の方は、このブログのコメントにその旨を書き込んで下されば幸いです(「チーム東葛のBBS」にもお知らせを出しました。そちらの方へご返信下さっても結構です)。

では、よろしくお願いします。

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(隅田川を見つめる芭蕉像)

本日の走行距離:58キロ(フジクロス)

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2011.01.13 Thu
私の自転車通勤ルート~葛飾区水元から千代田区駿河台および杉並区永福まで
東京周辺の寒さなぞ、地球レベルで見れば大したことはないのだが、年を越すと、やはり、寒さが身に染みる。
特に、早朝の自転車通勤は、場合によっては苦行である。

どこが寒いと言えば、手が寒い。
試しに去年買っておいたオートバイ用の分厚い手袋を嵌めて出かけてみたが、案外防寒性能が低いどころか、やはり、指先が嵩張ってしまい、シフター(変速操作レバー)を扱いにくい。
仕方がないので、いつも使ってるダイソーのフリース手袋(100円)を二枚重ねにして、しかもなお、同じダイソーの手袋の5指の部分を切った物を上から重ねて嵌める(つまり、手の甲の部分は3枚重ねになる)。
現在のところ、手の防寒対策としては、これが私のベストである。
どうも、厚い手袋1枚よりも、薄い手袋を重ね嵌めした方が良いようである。

因みに、私は、100円手袋だからと言って、使い捨てにはしない(少年時代、明治生まれの祖母に育てられたので、物を大切にする気風だけは染みこんでいるのかも)。
冬中使い込んで、何回も洗濯してくたくたになった手袋は、春先に5指をハサミで切って、夏季に指ぬき手袋として活用する。
しかも、指ぬき手袋としてもボロボロになってしまったら、今度は自転車整備用の手袋として使い込んでからゴミ箱に捨てるのである。

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(ダイソーの100円手袋。下は、ハサミで5指を切ったもの。生意気?にも、ちゃんと滑り止めがついている)

さて、この数日間については、特に書くことがない。
ただ普通に自転車通勤をしただけだからだ。
給与生活者の通勤というのは、そもそもがルーティーン行為なので、忠実に日記につけても、毎日ほぼ同じ内容になってしまうのが辛いところである。

そこで今日は、そのルーティーンと化した私の通勤ルートをルートラボで描いてみることにした。
但し、通勤ルートと言っても、その日の気分や天候や、目先の信号機が青か赤かで違って来るので、決して毎日同じではないが、一番利用するルートに絞って地図を辿ってみよう。

1.神田駿河台の職場へのルート

先ずは、地図をご覧になっていただこう。


(通勤ルート1~葛飾区水元から神田駿河台まで)

葛飾区から神田駿河台への道は、煎じ詰めれば、国道6号線をどう回避して、裏道を通っていくかにかかっているのだが、「四ツ木橋南」交差点(地図)から「向島消防署前」までは、四ツ木橋を下った余勢(重力)を殺したくないので6号を激走するのが、合理的でもあるし、気持ちが良くもある。

ただし、雨の日や夏の暑い日には、以前にまとめた「雨の日通勤ルート」に取り付くべく、「四ツ木橋南」交差点からは以下のルートを走ることが多い。


(四ツ木橋南から白髭橋まで)

このルートは、墨田区向島の迷路地区(永井荷風の世界)を「いろは通り」→「大正通り」と走り継いでいくもので、自転車乗りの間では結構有名なので、ご存知の方も多いと思う。

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(蔵前橋通りと国道4号が交わる交差点「台東1」・地図

2.杉並区永福までの通勤ルート

さて、次は、私のもう一つの職場(杉並区永福)へのルートである。
この行程は、どうしても、都心のど真ん中を横断する経路にならざるを得ないので、交通量の多さと武蔵野台地の上りを完全に回避するのは不可能なのだが、そんな中でも、時間を犠牲にすることなく(何せ、遅刻は許されないので)、できるだけ走りやすいと思われるルートを選んでみた。

ただし、上記1のルートと途中までは同じなので、区切りの良い蔵前1丁目(台東区・地図)付近からの地図を描いておこう。


(通勤ルート2~蔵前1丁目から杉並区永福まで)

駿河台より西に行くには、どこかで必ず武蔵野台地を登らせられる(最高標高は43メートル)。
他にも、靖国通りや外堀通りや青山通り(国道246号)あたりを経由するルートがないではないが、私は、上記ルートが好きで、一番頻繁に利用する。
自転車で走るルートとは、所詮、その人の好みによって大きく左右するものなのである。

ただ、私は、自転車通勤を始めてたった4年ぐらいにすぎない。
長年続けておられる先達の皆さんなら、もっと快適かつ迅速なルートをご存知かもしれない。
是非、いろいろな経路案をちょうだいしたいと思う。

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(冬の内堀)

走行距離;
1月10日(月):2キロ(6速ママチャリ)
1月11日(火):36キロ(フジクロス)
1月12日(水):66キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

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2011.01.09 Sun
二日間の記~赤穂浪士の引き揚げルート検証・クランクとBB交換など
1月8日(土)

昨日、ケーブルTVで、久しぶりに『スパルタカス』(S・キューブリク監督・1960年)を観る。
間違いなく、私の映画ベスト10に入る作品である。
いろいろとやらなければならないことがあったので、ちょっとだけ観ようと思ってテレビの前に座ったら、結局、全編観てしまった(多分、今回で20回目ぐらいかな)。
何と言っても、ドルトン・トランボ(50年代に赤狩りで干された作家・『ジョニーは戦場に行った』で有名)の寸鉄人を殺すが如き脚本と、主演のカーク・ダグラスのひたむきな演技には大きく心を揺さぶられる。


(映画『スパルタカス』)

3年前の6月、イタリア南部(長靴のつま先あたり)を旅したとき、バスで海岸線を廻りながら、その車窓から、約2千年前にスパルタカス率いる大叛乱軍が野山に展開する姿を、私は懸命に追い求めていた。

いつか、時間をたっぷり取って、スパルタカスの行軍ルートを自転車で走ってみたいと思う・・・。

さて、今年の初出勤は、休日出勤となった。

今月中(日程は未定)に予定している「赤穂浪士の引き揚げルートを自転車で辿る」の下調べのため、やや早めに家を出る(フジクロス)。

赤穂浪士の引き揚げルートについては、実は、4年前の暮れに、職場の同僚と歩いたことがあるが、途中で、酒盛りをしてしまったりして、あまりよく覚えていない。

約300年前の元禄期に隅田川左岸で起こったこの事件はあまりにも有名なので、当日赤穂浪士たちが歩んだ道筋については、奇跡的と言ってよいほど細かく分かっているとは言え、新たに調べてみると、細部に於いて、見解が分かれるところがあって、なかなかそのルートを確定できずに、前の晩に、6時間ほどかけてやっとのことで再構成して地図に描いてみた。


(赤穂浪士・引き揚げルート)

たぶん、この地図も、どこか必ず間違っていると思う。

難しいのは、永代橋を渡ってから現在の新橋駅あたりまでの区域。

・当時の永代橋は、現在より約150メートル上流(日本橋川左岸)に架かっていたために、現在彼らのルートと辿ろうとすると、不自然なことに、永代橋を渡ってから、日本橋川河口に架かる豊海橋(地図)を逆方向から渡って、また、渡り直さねばならない。

・現在の中央区新川付近および赤穂藩邸があった現在の聖路加病院付近は、堀割が埋め立てられるか暗渠化してしまったので、当時の道が消滅している場所がある。

・江戸後期の地図は、誰でも簡単に入手できるが、元禄期のこの辺りの地図が入手困難なために、細かい確認ができない。

隅田川筋を走って、両国に至る。

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(吉良邸跡・地図

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(討ち取った吉良の首を洗ったという「首洗い井戸」)

ここからしばらく隅田川左岸を走って、永代橋を渡る。

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(永代橋から隅田川下流を眺める)

しかし、永代橋を渡ったところで、時間切れとなってしまったので、永代通りで大手町に出て、いつもの堀端の小公園で休憩。

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(内堀には氷が張っていた)

その後は、いつもの通り、新宿通り(甲州街道)で新宿を抜けて、杉並区永福の職場に向かったのである。

また、時間を見つけて、「赤穂浪士の引き揚げルート」を走ってみることにしよう。

走行距離:66キロ(フジクロス)

1月9日(日)

フジクロスのクランクセットおよびBBを交換することにする。
フジクロスに現在着いているクランクセットとBBを外して、近いうちに、そのままそっくり、6速ママチャリに移植するするつもりだからだ。

日記によると、フジクロスのクランク周りを前回いじったのは、去年の6月だった。

今日やるべき交換は以下(旧→新)。
新部品は、いずれも、年末の大掃除の賜(たまもの)と言うべく、押入から「発掘」されたもので、過去において、他の自転車で使用済みの物。

右クランク    ソラ→旧105
左クランク    ソラ→ティアグラ
BB        ティアグラ→旧105
アウターギア板  ソラ→ティアグラ
インナーギア板  ティアグラ→旧105
(インナー&アウターのギア板は、いずれも、PCD110ミリの34t)

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(交換前の現状写真)

先ず、クランクが装着された状態のがやりやすいので、両ペダルを外してしまう。
その後、左クランクを外してから右クランクを抜く。
次に、BBを外す。

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(外したBB・ティアグラ。96グラム)

そして、右クランクに到着してあったギア板2枚を外す。

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(外した右クランク・ソラ110ミリ。417グラム)

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(外したギア板。インナー側・ティアグラ110ミリ34t。アルミ製。34グラム)

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(外したギア板。アウター側・ソラ110ミリ34t。鉄製。75グラム)

外したBBは、概算1万キロぐらい使ったものだが、特にガタもないし、ママチャリに移植するのに問題はなさそうである。
ティアグラの34tは、たった1万キロ足らずしか使っていないのに、かなり歯先が丸くなっていた。
現行のシマノのアルミ板は案外弱いような気がした。
アルミ製のギア板と鉄製のギア板の重量差の大きさに驚く(それぞれ34グラムと75グラム)。
なお、外側に使っていた鉄製のそれは、チェーンガードとしてのみ機能していたため、当然のことながら、まったく減っていない(このギア板をママチャリの主力ギアとして使うつもり)。

クランクセットとBBを外したので、BBシェル内を洗浄スプレーとオイルスプレーを使って、念入りに掃除する。
雨の日も走ったにしては、BBシェル内は案外キレイであった。

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(BBシェル内をキレイにしているところ)

さて、これから取り付ける部品を見てみよう。

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(まだ未使用の旧105のクランクセット)

このクランクセットから二枚のギア板を外す。

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(ギア板を外された旧105の右クランク・110ミリ。405グラム)

ソラとの差はわずか12グラム。旧105のクランクセットは左クランクが軽量なので購入に値するのだが右クランクは重い(但し、新105のクランクは左右とも軽量である)。

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(旧105・110ミリの34tギア板。36グラム)

ティアグラのそれよりも2グラム重いが、ティアグラの歯先がすり減っていたためと思われる。
ということは、ティアグラと旧105のアルミ板は、色は違えども、同種のアルミ合金である可能性が高い。

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(旧105BB。97グラム)

こうして、BBシェル内にオイルスプレーを念入りに吹き付けた後、グリスをたっぷり塗って、BBを嵌め込んで、クランクセットを取り付けた。

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(交換後のクランク周り)

これら一連の部品交換によって、約50グラムほどの軽量化になった。
外された部品たちは、近く、6速ママチャリに取り付けられて、第2の人生を送ることを待つことになる。

因みに、私の傍らでは、お隣のダイさんが、小径車のパンク修理に勤しんでいたので、北側のベランダはまるで自転車屋状態であった。

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(お隣のダイさんも、パンク修理中)

そうこうするうちに、ちょうど昼頃に、しゃあさんが足立から自転車に乗って訪ねてきた。
ちょうど、白米が底をついたので、一緒に「かしわで」(柏市)まで買い出しに行くことにする(フジクロス)。

お腹がぺこぺこだったので、三郷のラーメン屋「遊麺」で昼食を食べる。
ここのラーメンは、すっきりとした味で、大変に美味しいのである(78点・以前の呑ちゃんのブログ参照)。
私は、餃子ライス付ラーメンセットを食べる(因みに、ここのラーメン屋の店主は自転車乗りです)。

大堀川で、鮭の遡上を見ようとしたが、もう時期が遅かったようである。

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(大堀川沿いにて)

その後、「かしわで」で買い物をして帰宅した。

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(買い出しした物)

走行距離:43キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

この項、了。

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2011.01.03 Mon
行く年来る年~「なんちゃって箱根駅伝サイクリング」や初詣など
年末年始というのは、その人によって、決まった過ごし方(習慣)のようなものがあるものだが、仕事などの義務とは違って、それをこなすのが結構楽しかったりする。

ここ数年、私の年末年始の過ごし方の定番としては・・・(この度、実行済みは、それ以外は ×)、

1.年末に自転車で銚子に行く ×
2.年末に西新井大師の「ミートショップセキヤ」のローストビーフを買いに行く
3.除夜の鐘が鳴る頃に、近所の葛飾水元の「南蔵院(しばられ地蔵)」および「香取神社(水元)」に初詣に行く
4.元旦に早稲田の「穴八幡宮」に初詣に行く
5.柴又帝釈天に初詣に行く

・・・などが挙げられる。

今年の年末はやや忙しくて、1は実行できなかった。
2~5は、既に実行した。

そして、新たに、(毎年の恒例になるかどうかは分からないが・・・)今年は、「なんちゃって箱根駅伝サイクリング」という、ちょっと面白い企図が加わって、それも実行した。

来年になって、去年の今頃何をしていたのかを振り返る縁(よすが)になりそうなので、この4日間(12月31日~1月3日)を簡単に記録しておこう。

12月31日(金・大晦日)

午前中は、玄関先で昨日交換したRD(旧105)のさらなる変速調整(フジクロス)。
その後、水元公園で試乗しながら調整を追い込む。
止まった状態でどんなに完璧に変速調整しても、走ってみると、変速がもたつくことがある。
その場合、RD本体のワイヤー絞り込みのつまみを4分の1回転ぐらい反時計回りに絞ってやると、大抵の場合、ドンピシャになる。
走っているときは、チェーンに猛烈なテンションがかかるため、チェーンが大きい方のギアに登っていく際のRDの横動きが阻害されるので、結果として、静止状態よりワイヤーを張った方が円滑に作動するという理屈なのではないか・・・(なお、ワイヤーが新品だと、走っている尻からワイヤーが伸び出すので、最初のうちは、何回も絞りつまみを絞って調整し続けることが肝要である)。

その後、年末恒例の「ミートショップセキヤ」(足立の西新井大師)へ向かう(ロードバイク)。

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(荒川土手にて。右手に見えるは千住新橋・現奥州街道)

先ずは、西新井大師にお参りする。
今夜の初詣客の殺到に備えて、あちこちで準備作業が行われていた。

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(西新井大師南門)

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(南門より本堂を眺める)

界隈には、師走大晦日の忙しさと賑わいが溢れていて、歩いているとものすごく楽しい。

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(「ミートショップセキヤ」の店構え。大正10年創業。環七に入る手前で、クルマの交通量が多くて、歩道から斜めに撮影)

店先に自転車を止めていると、店内からセキヤ先輩(学校の先輩)が出てきて、笑顔で迎えてくれた。
先輩のお顔は、多少無精髭を帯びている。
年末の忙しさの中、髭を剃る暇もないものと拝察。

店内には、「アドマチック天国」他のTV番組で取り上げられた際の写真も飾られている。

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(店内の展示物)

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(ローストビーフ。100グラム730円)

決して贔屓目に言うのではなく、ここのローストビーフは、私に言わせれば、世界一美味しい
イギリスで食べた最高級のローストビーフすら、ここの自家製ローストビーフには負ける。
但し、大変に人気があるので、大晦日は要予約(普段は予約しなくても大丈夫)。
もちろん、コロッケや焼き豚も絶品だが、大晦日は揚げ物はやっていない。

先輩としばらく談笑して、「良いお年を」のご挨拶を交わして店を後にする。

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(帰路、綾瀬の公園で休憩)

帰宅後、呑ちゃんと水元公園を散策。

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(水元公園へ。6速ママチャリ)

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(ハクセキレイを発見)

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(水元公園内バードサンクチュアリで「アウトドアライフ」を送る野生の鶏)

夕ご飯は、ローストビーフや七面鳥のハムや自家製のナムルや糠漬けをつまみに一杯。

除夜の鐘が鳴り出す前に、お隣のダイさんも誘って、近所の神社仏閣に初詣に出かける。

南蔵院(しばられ地蔵)」では、大晦日の夜に、これまで願掛けのために多くの参拝者が縛った細縄を全部解いてお焚きあげにする。

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(普段は、このように緊縛状態の地蔵様)

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(それが大晦日には、全部取り外されて、地蔵様の「裸身像」を見ることができる)

外した願掛け縄は、焚きあげるために、境内の中央に集められる。

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(集められた縄。まるで、巨大なざる蕎麦のようだ)

古式音曲(おんぎょく)の流れる中、住職によって火が点けられて、大きな炎が上がる。

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(しめ縄に火が点され、大きな炎が上がる)

こうして、「南蔵院(しばられ地蔵)」の除夜の鐘が鳴り始めるのを聞きながら、われわれは、次の初詣をするために「香取神社(水元)」に徒歩で向かう。

この「香取神社(水元)」が、われわれの町内の鎮守様である。

ここでは、お参りを済ませると、全員に(無料で)御神酒と味噌田楽が振る舞われる。
これを巨大な篝火の前で食すのが楽しみなのである。

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(お参りをする人々)

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(御神酒と味噌田楽が振る舞われる)

二つの初詣を済ませたわれわれは、何だかさっぱりした気持ちで帰宅。
呑ちゃんと新年の杯を交わしたのであった。
今年も良い年でありますように・・・。

走行距離:28キロ(フジクロス+ロード+6速ママチャリ)

1月1日(土・元旦)

元旦は、ここ数年、身内の人々と「穴八幡宮」(新宿区)に初詣に行く慣わしである。
例年は、列車で皆さんと一緒に行くのだが、今年は、自転車で行ってみることにした(ロードバイク)。
クルマが空いてる元旦の都心を走ってみたかったからである。

経路は、先ずいつもの通勤路を走って、お茶の水橋から外堀通り→大久保通り(神楽坂)→早稲田通りで「穴八幡宮」。

いくら元旦だと言っても、国道6号線は結構込んでいた(普通の日曜日よりやや空いているぐらいかな)。
隅田川土手で小休止。

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(1週間ぶりぐらいの隅田川。ちょっと懐かしい感じがした)

浅草業平橋界隈は、普段の10倍ぐらい人が出ていて、吾妻橋などは人混みで渡りきるのが大変なぐらいだったが、隅田川より西の道路はがらがらで、時が止まったかのように静かだった(東京も、年中こうだと走りやすいんだけどなあ)。

穴八幡宮」に到着。

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(穴八幡の流鏑馬像)

電車で来た他の皆さんと合流して、一緒にお参りをする。

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(お参りを済ませて、参道脇で休憩)

夜は、美味しい日本酒と数々のご馳走を囲んで新年会。

新年会ご馳走
(新年会のご馳走。寿司、蟹、ローストビーフなど)

明日が早いので、私は、帰宅してすぐに床に入ってぐっすり寝てしまった。

走行距離:44キロ(ロードバイク)

1月2日(日)

箱根駅伝


今日はいよいよ「なんちゃって箱根駅伝サイクリング」の日である。

箱根駅伝の出走前の、交通規制が敷かれる前に、自転車で同じコースを走ってしまおうという企画で、去年は、午後から用事があったので、他のメンバーを大手町で見送ることしかできなかったが、今年は全行程(と言っても平塚まで)を走ることができた。

朝まだき、真っ暗な中、家を出る(ロードバイク)。
いつもの通勤経路を走って、本郷通りで大手町に出る。
寒いのは当然だが、去年よりは温い感じがした。

神田橋の立ち食い蕎麦屋で蕎麦を食べるつもりだったが、正月とあって、閉まっていた。
仕方がないので、日本橋川畔で、途中のコンビニで買っておいたおにぎりを食べる。

大手町の集合場所に到着すると、横山さん・ゆるさんがツーリング装備の自転車を並べて既に待っていた。
しばし歓談していると、Spiritさん(+お見送りの奥様)が地下鉄の駅から上がって来た。
Spiritさんと、樽さんの絵についての話などをしていると、今度は、xiaoxiongさんが現れる。
その後、次第に明るくなるに連れて、我が身の周辺にて、今回のメンバーの姿が続々と発見せられる。
この度の主催者nicさんヤマグチさんE-ponさんまっちさんBoostさん、emoさん。
それに、この私を含めて総勢11名(男10、女1。ロードバイク10、クロスバイク1)。

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(大手町の集合場所)

さて、箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)について、私はほとんど知識がなかったので、今回、少しだけ勉強してみた。
今年で87回目を迎えるという。
第1回大会が行われたのは、1920(大正9)年というのだから、関東大震災(1923年)よりも前のことである。
第1回大会の参加校は、たった4校(明治大学、早稲田大学、慶應義塾大学、東京高等師範学校)。
しかも、現在の箱根駅伝は、新暦正月の2日と3日両日に行われるが、1955年の第31回大会までは、旧暦の正月(2月の中下旬)に行われていたというのだから、今よりも悪天と厳寒に悩まされたことだろう(入試はどうしたのだろうと私などは要らぬ心配をしたりする・・・)。

箱根駅伝のコースは、現在の東海道(国道15号・国道1号)をほぼなぞるものだと言ってもよいが、たとえば、藤沢から国道1号線を離れて海岸道路(国道134号線)を通るところなどは大きく異なる(因みに、東京~箱根区間の、江戸時代以降の旧東海道と現東海道が同一経路を辿る距離は約3分の2ぐらいだろうか)。


(箱根駅伝のコース)

しかしながら、過去の駅伝コースがどうであったか、その後、どんな変遷があったのかということは、あまりにややこしくて、私には、ここでつまびらかにする力はない。

さて、この現東海道(国道15~1号)だが、比較的長距離に限って言えば、小田原、鎌倉、横浜までそれぞれ1回ずつ走った(往復した)ことがある(+小田原~箱根間の旧道なら走ったことあり)。
お世辞にも、自転車で走って楽しい道ではない。
大型車の交通量も多いし、大きな街の付近では頻繁に渋滞する。
できれば、走りたくない道である。

ところが、今日だけは違う!
まさに、これから箱根駅伝が繰り広げられる「戦場」としての道だというただ1点において、われわれにとって、今日だけは、走ってみたい輝かしい街道なのである・・・。

われわれの出発時間(7時)まで、各大学の応援本部を見て回るが、去年より、準備時間が遅めのような気がした。

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(リハーサル中の明治大学応援団・大手町)

そして、いよいよ出発の時間。
気を引き締めるために、全員で記念撮影。

出発
(さ~て、頑張って走るぜ!)

われわれは、朝日に照り映えるビル群や東京タワーを見ながら、東海道を西進した。
正月の早朝とあって、道は空いているのだが、信号機は普段通り生きているので、どんなに飛ばしても信号の停車で帳尻が合ってしまう。

交通規制がかかってしまうと、それ以上先へは進めなくなってしまうので、今日は時間との競争である。
そのため、絶えず全速力に近いスピードで走り続けなければならないので、普段のように、途中で名所旧跡に寄ったり、腹が減ったから肉まんでも食べていこうというわけにはいかないのである。
途中、六郷橋を渡ったところで、一回だけ、トイレ休憩をとるのみ。
従って、その間の写真もなし。

横浜までは、大体において、道は平坦だが、横浜を過ぎて、三浦半島の付け根のあたりに差し掛かると、結構応えるアップダウンが始まる。
権太坂、標高56メートル。
不動坂、標高69メートル。
5区(箱根)の870メートルからすれば大した標高ではないのだが、大手町から一気に走ってきた足には厳しい。
因みに、われわれが普段走っている松戸市や市川市の最高標高はせいぜい30メートルあまりである。

藤沢で国道1号線から離れて、湘南新道(県道30号線)に分岐して、小和田浜で国道134号線(海岸道路)に入ると、眼前に(普段は江戸川から見ている私には)信じられないぐらい大きな冠雪富士の山容が望める。

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(富士山。茅ヶ崎付近より)

新相模大橋(相模川)を渡り切って、「高浜台」(平塚市)の交差点まで来たところで、警察の交通規制がかかっており、ここでわれわれの「なんちゃって」駅伝は終了となった。

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(「高浜台」で先頭ランナーの到来を待つ人たち)

われわれは、134号線沿いの湘南海岸公園あたりから、今度は「本物」の駅伝の観戦をすることにした。

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(沿道で先頭ランナーの到来を待つわれわれ)

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(サドルの後に小旗を着けた私の自転車)

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(旗坊、発見)

ラジオの実況放送を聴きながら待っていると、沿道の観客からどよめきがおこった。
先頭のランナー(早大)がついに現れたのである。

相当なスピード(時速23キロぐらい)で走っているので、カメラに収めるのに難儀する。

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(激走する明治大学のランナー)

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(白バイや中継車輌が随走)

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(この中継車輌は、バイクを改造した物。ドイツ軍のバイクを連想。乗ってみたいと思う)

こうしてわれわれは観戦も済ませて、国道134号線を東に戻って、街道筋のファミレスで昼食(私はジャンボステーキセットをぺろり)。

その後、せっかくだからということで、のんびりと走って、茅ヶ崎海岸に寄ってみた。

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(茅ヶ崎海岸)

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(遙か東方には、江ノ島と三浦半島も見える)

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(青々とうねる相模湾。占領時代、米軍の射撃訓練の標的となった烏帽子岩が見える)

そして、C形のオブジェの前で記念写真。

茅ヶ崎
(はい、よく頑張りました!)

その後、茅ヶ崎駅まで走って、輪行。
電車が思っていたよりも混んでいて、多少難儀する。

私は、旧品川宿沿いの旧街道を走ってみたくて、品川駅で皆さんとお別れした。

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(旧品川宿入口。「従是南 品川宿 地内」の標柱が見える)

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(旧品川宿説明板・後日、ゆっくりと再訪しよう)

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(旧東海道中品川宿)

品川界隈の旧街道については、ここで書くと、また長くなってしまうので、他日に期することにする。

私は、ある種の達成感を感じながら、国道15号→国道6号を走って帰宅した。

nicさんをはじめとするメンバーの皆さん、どうもありがとうございました。

走行距離:111キロ(ロードバイク)

1月3日(月)

冬晴れの長閑な正月。

この日のことは、既に、あらまし、呑ちゃんがブログに書いているので、簡単に。

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(「南蔵院(しばられ地蔵)」で鐘を撞く私)

その後、柴又帝釈天に向かう(フジクロス)

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(初詣客で賑わう帝釈天本堂)

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(参道の飴屋さんでは、軽快な音を立てて飴を切っていた)

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(柴又の洒落た蕎麦屋で食事)

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(山本亭では、獅子舞の一団と記念撮影)

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(江戸川で、矢切の渡し舟を見送る)

その後、江戸川サイクリングロードを走っていると、変わった自転車とすれちがったので、声を掛けて、しばし歓談。

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(自転車草創期の、いわゆる「オーディナリー」型自転車。もちろん、固定ギア)

40年ほど前に、ブリジストンで販売されていた物を改造整備しなおして乗っているのだという。
前輪ホイール(28インチ)も交換して、最初は付いていなかったキャリパーブレーキを装着。

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(後付のブレーキ)

綺麗に再塗装されて、実に美しい自転車だあった。

多少、長くなってしまったが、これにて、年末年始の記録をお仕舞いとする。

走行距離:18キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

この項、了。

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2011.01.01 Sat
謹賀新年
謹賀新年

うさぎと自転車


2011年とは、これまた驚きである。
つい最近までは、『2001年宇宙の旅』(S・キューブリク監督・1968年製作)の2001年でさえ、遠い未来のように思えていたのに、いつの間にやら、21世紀もあっという間に10分の1も過ぎてしまった。
まさに、光陰矢の如しである。

旧年を振り返ってみるに、やはりこの一年も、結局、自転車のことばかり考えながら過ごしてきたような気がする。

5月の箱根越えと、チーム東葛の皆さんと走った日光・宇都宮。
8月の会津越後信州路の旅。
11月の羽州街道。
そして、自転車仲間の皆さんとは何十回も一緒にサイクリングを楽しんだ。
その他、毎日の自転車通勤・・・。

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(銚子にて。3月)

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(箱根峠にて。5月)

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(日光にて。5月)

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(宇都宮にて。5月)

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(会津にて。8月)

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(信州上田城にて。8月)

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(信州野沢温泉にて。8月)

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(旧羽州街道中、山形県金山町にて。11月)

そして、年末になって、野鳥の観察の面白さに気づくことができた。
この関心がいつまで続くか分からないが、野鳥を通して、自然や宇宙のことが見えてくるような予感がしている。

今年も、よろしくお願いします。

2011年元旦
断腸亭

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