日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
映画の日々 | エッセイ | 思い出 | 身辺雑記 | 日録 |  | 自転車 |  | 小さな旅(自転車) | 小さな旅 | 旅(自転車) | 未分類 | 自転車文学 | 
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
断腸亭日録~自転車日記
≪2010.11  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  2011.01≫
プロフィール

higedancho

Author:higedancho
断腸亭髭爺です。
自転車関係の日記が多いです。
よろしく。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
ブロとも申請フォーム
フリーエリア
ブロとも一覧
「 2010年12月 」 の記事一覧
--.--.-- --
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告    Top↑

2010.12.30 Thu
自転車の整備改造・年末編~RDやサドルやハンドルの交換等
昨日に引き続いて、自転車の整備をする。

今日の主たるノルマは、以下の5つ。

1.昨日外してしまったフジクロスのワイヤーリード(ケーブルガイド)をロードで破損した物に交換する。
2.ついでに、かなり汚れているフジクロスの後変速機を交換。
3.摩耗しているフジクロスの前ブレーキシューを交換。
4.6速ママチャリのサドル交換。
5.単速ママチャリのサドルとハンドル交換。

先ずは、今年も、毎日の通勤等で一番世話になったフジクロスから(年間、ざっと1万キロ以上は乗った)。
去年の秋には、事故で大破したものの、不死鳥のように蘇って、毎日せっせと働いてくれているこの自転車には、心から感謝したい。
本当は、御神酒でも振りかけて、労をねぎらってやりたいところだが、部品が錆びると困るのでやめておいた。

IMG_0159 (236)
(苦楽を共にしてきたフジクロス。通勤途上の千鳥ヶ淵にて。11月中旬撮影)

先ずは、自転車を倒立させて、昨日ロードから取り外したワイヤーリードを装着して、ワイヤーを通す。

IMG_0451.jpg
(ワイヤーリード装着。フロントワイヤーを通す部分は脱落していて存在しないが、フジクロスは、後変速機しか使用していないのでこれで事足りる)

そして、以前、ロードバイクから外して掃除済みだった旧105の後変速機を装着して、変速調整をする。
思えば、フジクロスの車体を通り過ぎていったRD(後変速機)は数知れない。
購入時は、マウンテン系のアリビオ(現在は、6速ママチャリに装着されて頑張っている)が着いていた。
その後、ティアグラGS→ティアグラSS→ソラSS、そして、今回の旧105SSである。
アリビオとティアグラGS(トリプル用)は、リーチ(ケージ)が長いので、変速がやや遅かったが、それ以降の変速機の性能は、今回の105を含めて、まったく同じであると言ってよい。

IMG_0452.jpg
(旧105のRDを装着。スプロケは13-25tの9速。ソラRD=実測243グラム。旧105RD=221グラムなので、22グラムの軽量化になった)

そうそう、忘れるところだったが、今回、旧105のRDにBBBの「ローラーボーイ」という、ベアリング式プーリーを装着してみた。


(BBBの「ローラーボーイ」のプーリーセット)

シマノの場合、ガイドプーリーには独特の仕掛けがしてあるので、テンション・プーリー(下の方のプーリー)だけを換装してみた。
しばらく使ってみないと出来栄えは分からないが、明日から楽しみである。

因みに、シフター(変速操作機)は旧ディオーレ(9速)を使用。
フラットバー系のRDのシフターは、ロード系よりマウンテン系のそれのがやや操作しやすいし、おしなべて安価でもある(但し、微妙に重量増になるが)。

IMG_0453.jpg
(フジクロスのシフターは旧ディオーレを使用)

そう言えば、フジクロスは、10月頃、8速から9速仕様に改造した(因みに、ロードバイクも含めて、10速仕様にするつもりはさらさらない)。
9速仕様のロードバイクやACクロスバイクとの互換性(たとえば、スプロケを着けたままのホイールを、変速調整せずにポンポンと交換できる)を持たせるためと、8速仕様の部品は、近く、そっくりと6速ママチャリに移植するつもりなので、このあたりで、8速仕様の部品類を温存しておきたいからである。

続いて、フジクロスの、摩耗しすぎた前ブレーキシューの交換。
一昨日、大掃除をしていたら、新品のVブレーキ用のシュー一組が発見されたので、それに交換。
ノンブランドの、たぶん、近所の自転車屋で400円ぐらいで購入した物と記憶する。

ロード系やママチャリ前輪系のキャリパーブレーキの場合、シューの質が大いに利き目に影響するが、Vブレーキの場合、そもそも仕組みとして恐ろしくよく利くので、かえってシューは何でもよいというのが、私の経験から言える結論である(つまりは、安いほどよいことになる)。

IMG_0454.jpg
(フジクロスの前ブレーキシュー交換。ノンブランドの製品。利き目に遜色なし)

さて、次なるは、公園や多少遠くまで買い物に行くための6速ママチャリ(700c)のサドルの交換である。

IMG_0281.jpg
(主として、呑ちゃんと水元公園を散策したり、買い物のために使っている6速ママチャリ。今月中旬、水元公園にて撮影)

現在のサドルは、購入時に着いてきたもので、特に悪くはないのだが、何だか力道が逃げてしまうようなサドルなので、適当な物に交換したいと以前から思っていた。

今回、掃除をしていたら、押入から発見されたGrungeのサドル(1年半ぐらい前までフジクロスなどに着けて使っていた物)と交換してみることにした。

IMG_0406.jpg
(Grungeのサドル。クロスバイクの完成車に標準で着いてくるぐらいの重量とクッション性。358グラム)

6速ママチャリのサドルを外す。
写真を撮るのを忘れたが、重量は、実測385グラム。
ママチャリのサドルとしては、かなり軽量である(普通は、600~700グラム)。
そして、Grungeのサドルを着けてみた。

IMG_0449.jpg
(サドルを交換した6速ママチャリ。27グラム軽量化)

さっそく近所を試乗してみた。
うん、うん、すごく良い。
力が逃げずに、ちゃんと推進力になっている感じ。
予想以上の効果に喜ぶ。

6速ママチャリから外したサドルが案外軽量だったので、これを単速ママチャリ(7年ぐらい前に購入。大量の買い物に利用)に着けてみることにする。

IMG_0455.jpg
(単速ママチャリのサドル。重量は、何と670グラム!)

IMG_0457.jpg
(単速ママチャリのシートポストとサドル。それにしても、ママチャリのサドルというのはド迫力ですね。スプリングのデザインが古風)

シートポスト(もちろん、鉄製)も大分錆びていたので、押入に保存されていた別の物に交換することにした。

こうして、あまり錆びてないステンレス製のシートポストと6速ママチャリにさっきまで着いていたサドルに交換。

IMG_0463.jpg
(単速ママチャリのシートポストとサドルを交換。何と、サドルだけで、275グラムも軽量化できた!)

この種の26インチ汎用ママチャリは、仮想トップチューブ長が、成人男性には短すぎるので、上掲の写真のように、ヤグラをシートポストの後に来るように取り付け(こうすれば、2.5センチ後にオフセットできる)、さらに、サドルを最大限後方に下げると乗りやすくなる。

次は、ハンドル。
以前、墨田区の自転車屋さんからただでいただいたライザーハンドル(鉄製)が押入に眠っていたので、それに交換することにした。

IMG_0459.jpg
(この度新たに装着するハンドル。398グラム。傍らにあるのは、この時のために購入しておいたダイソーのグリップ。もちろん、セットで100円)

ハンドルを外してみる。
8ミリの六角でステムのネジを緩めるのが、多少さび付いていたため、オイルスプレーをふんだんに吹き付ける。

IMG_0460.jpg
(外したママチャリのハンドル。453グラム)

こうして、新しいハンドルを装着してみた。

IMG_0461.jpg
(新ハンドル装着した単速ママチャリ。ハンドルが低くなったので、ブレーキのアウターが余りがちに。55グラムの軽量化)

そして、完成全体画像。

IMG_0462.jpg
(ハンドルとサドルを交換した26インチ単速ママチャリ)

これまたさっそく近所を試乗。
びっくりした!
たいした違いである。
特に、サドル交換の効果は大きい。
ママチャリをより快適に走れるようにするためには、スポーツ系のサドルに交換するのが一番よいかもしれないと思った。
自転車乗りの人なら、押入に、一つや二つや三つや四つは、気に入らずに使われなくなったサドルがころがっているはずである。
自転車の部品の中で、ペダルとサドルは、完全に互換性があるので、是非、試してみてほしいと思う。
ママチャリに、チタンレールの軽量サドルというのも、面白いではないか。

単速ママチャリのサドルとハンドルを交換することで、330グラムも軽量化できた。
仮にロードバイクで、330グラム軽量化できれば、それは大事件であるが、20キロもあるママチャリでは、ジャガ芋の芽が1個削れたにすぎないかもしれないとは言え・・・。

この項、了。
スポンサーサイト

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
自転車    Comment(6)   TrackBack(0)   Top↑

2010.12.29 Wed
歳末大掃除始末記~自転車掃除など~ワイヤーリード破損で大わらわの巻
子供の頃、暮れの大掃除の時期になると、嫌でたまらなかった。

硝子戸も障子も全部はずされて、屋内は野外と同じ気温になってしまい、寒くて仕方がない。
寒くて仕方がないので、掘り炬燵に首まで潜り込んで、火鉢にあたりながらプラモデルを拵えたりしていると、だらだらしてないで、自分の部屋の掃除をしなさいと叱られる。

しかし、生温い時代に生まれた少年は、掃除の何たるかを知らないので、あちらこちらに散在している物(零戦やキングタイガーや戦艦大和やルガーP08やコルトガバメントなど)を棚に「きちんと陳列」し直してしばし悦に入り、部屋の真ん中を箒でささっと掃いて、はい、お仕舞い!
「全然、片づいてないじゃないの!」と怒鳴られて、仕方なく、逃げるように外に遊びにゆく。
近所の公園にゆくと、同じように家から追放された半ズボン姿の少年たちが、青ハナを垂らしながら集まっていた・・・。

かような私ではあったが、ついにこの度、心を入れ替えて、呑ちゃんの厳しいご指導の下、自分の部屋を掃除するという大挙に出た。
今回は、書類の一枚一枚をファイルに分類したり、自転車の小部品や工具も部位別に整理した。
お陰で、今の家に越した頃のまま放置されていた「区域」にも「仕分け」の手が入り、ここ数年探し続けていた物や本も発見されるなどして、この丸二日の成果は実に大きかったと言えよう。

部屋の掃除があらかた終わったので、次は、自転車の掃除に取り組むことにした。
私は、自転車を水洗いしない。
水で洗うと、部品の隙間や機関部に水が入るような気がして怖いからだ(これが正しい見識かどうか、私は知らない)。
構造部のフレームやフォークは、速乾洗浄スプレーやワックスを使って拭くだけ。
拭いているときに、塗装が剥がれるような傷が発見されたら、クルマ用の同色のタッチアップ(塗料)を塗っておく。
変速機などの駆動部品は、できるだけ分解して、速乾洗浄スプレーとオイルスプレーなどを使ってキレイにする。

ただ、自転車の掃除と言っても、徹底的にやれば、一台につき半日以上はかかってしまう。
だから今回は、ハブ(車輪軸)とBB(足柄軸)のようなベアリング部のグリスアップとブレーキの分解掃除はやらないことにする(この辺りの掃除は、毎年、風薫る5月頃にやることが多い)。

先ずは、最近一番サボっていたホイール(車輪)の掃除。
ホイールは、ブレーキシュー(ゴム)が接するリムの部分が大変に汚れる。
この部分を効果的に掃除をするには、面倒だが、タイヤとチューブを外してしまうとやりやすいし、ついでに、リムフラップ(テープ)の状態も点検できる。

IMG_0401_20101229030323.jpg
(並べられたホイールたち。玄関側のベランダは、自転車だらけに。ご近所の方々、いつもゴメンナサイ)

IMG_0397.jpg
(タイヤを脱がされつつあるホイールたち。寒いだろうけど、勘弁してね)

ホイールの掃除が済んだので、然るべくチューブとタイヤを嵌める(この時に、摩耗したタイヤやチューブはお陀仏とする)。

さて次は、スプロケ(後輪用ギアセット)の掃除。
取りかかる前までは億劫で仕方がないが、始めてみると、不思議や不思議、案外楽しいのがスプロケの分解掃除である(ギアフェチの私には、とりわけこれが楽しい)。

IMG_0399.jpg
(男なら?誰でも楽しいスプロケの分解掃除。掃除を待つ後変速機も傍らにころがっている)

スプロケの掃除が大体済んだので、倒立してあるロードバイクの下の部分を拭いていたら、ここで大事件発生!
BBシェルの下の部分を拭いていたら、何か部品がぽろりと落ちた。
何だぁ~~?と思ってよく見てみると、ワイヤーリード(ケーブルガイド・ロープ案内。シフトワイヤーを通すプラ製の部品)のフロントワイヤーの部分が破損して脱落したのだった。

IMG_0402.jpg
(破損したワイヤーリード・シマノ製)

しかも、ワイヤーリードを外したBBシェルには、フロントディレーラーのワイヤーが擦った傷が深々と刻印されているではないか!

IMG_0405.jpg
(ワイヤーリードを擦り切った上で、BBシェルにも傷が及んでいた)

これは参ったなあ。
確かに、最近、フロント変速について、ワイヤーの緩みが原因としか思えない微妙な狂いが生じているのには気づいていたのだが、こんなちっぽけな部品が犯人だったとは思いもよらなかった。

さてどうしようか。
破損した以上、交換するしかない。

私は、さっそく自転車(フジクロス)に飛び乗って、自転車屋に向かった。
先ず、近場の、金町のセオサイクルに寄ってみた。
置いてないので取り寄せになるという。
ロードバイクは、正月2日に、nicさん主催の「『第4回』なっちゃって箱根駅伝サイクリング」に乗る予定なので、これから年末年始で店が休みになることを考えれば間に合うはずはない。

仕方がないので、その足で、サイクルベース・アサヒ(立石店)に駆け込んだ。
しかし、この店でも、在庫なしで取り寄せになるという。

帰路、自転車を漕ぎながら考えた。
通販でも間に合わないだろうし、道は二つに一つ。

1.正月二日は、ロードバイクで行くことを諦め、クロスバイクで行く。
2.クロスバイクのワイヤーリードを取り外して流用する。

1ならば、特に何もすることはないが、2週間ほどは、ロードバイクに乗れない状態が続いてしまう。
2の場合、部品に互換性があったとして、クロスバイクの部品に交換すれば、ロードバイクは乗れるようになるが、今度は、部品を取り去ってしまったクロスバイクが乗れなくなってしまう。

いずれも一長一短だなあ・・・。

そんなことを思案しながら青戸の商店街を走っているとき、妙案が浮かんだ。

そうだ、フジクロスは、前変速機を取り去って後変速機しか使っていないので、フジクロスのワイヤーリードをロードに取り付けて、その代わりに、破損したロードのワイヤーリード(後変速機のワイヤーの部分は生きているので)をフジクロスに付ければいいんだ!
そうすれば、乗れなくなる自転車は一台も発生しない(しかも、一銭もかからない)。
我ながら、最高の打開策を思いついて膝を打った。
帰宅してみると、やはり、北側のベランダで自転車いじり(小径車のBB交換)を始めていたお隣のダイさんに一連の事情を話すと、それは「良い考え」だと同意してくれた。

そんなわけで、方針が決定したので、さっそく作業を開始した。

先ず、BBシェルについた傷を補修する。
BBシェルの下側は、車体の中でも、最も水気を帯びやすい箇所なので、ここの傷を放置すると、錆が増殖する恐れがある(なにせ、クロモリフレームなので)。

先述のクルマ用のタッチアップで傷の上に塗料を塗って、表面が乾いてから、フジクロスから取り外したワイヤーリードを装着して2本のワイヤーを通す。

IMG_0446.jpg
(フジクロスから外したワイヤーリードをロードに取り付け・・・)

IMG_0447.jpg
(前後の変速機から解放した2本のワイヤーを通す)

ここからが面倒臭い!
外した2本のワイヤーをそれぞれ前後変速機につなぎ直して、再度、変速調整をしなければならないのだが、事のついでなので、秋に購入しておいたアルテグラの後変速機を取り付けてしまうことにした。


(アルテグラの後変速機。RD-6700)

こうして、新しい変速機も取り付けて、変速調整も完了。
変速性能は、過去にこの自転車で使ったティアグラ、旧105、旧アルテグラと特段変わりなし。
もちろん、9速(チェーン&スプロケ)仕様でも、まったく問題なく稼動する。

IMG_0448.jpg
(アルテグラRD-6700を装着。189グラム)

それまで付いてた後変速機は、旧アルテで重量200グラムだったのが、今回、189グラムになったので、11グラムの軽量化(1円玉11枚!分)となった。

まだまだ自転車掃除・整備は終わらないが、もう暗くなってしまったし、疲れてしまったので、あとは明日やることにして、自家製餃子を50個ほど拵えて、お腹がぱんぱんになるまで食べて寝た。

この項、了。

テーマ:自転車 - ジャンル:趣味・実用
自転車    Comment(2)   TrackBack(0)   Top↑

2010.12.24 Fri
野鳥な一日~水元公園散歩~W・モリスと藤村の鶫
今日も素晴らしい冬晴れである。
部屋の掃除をしなければならいのだが、こんなに天気がよいと、室内でごそごそやっているのはもったいない。
水元公園の方からは、われわれを呼んでいるかのように、小鳥たちが盛んに囀(さえず)りを送ってくる。

呑ちゃんと自転車(6速ママチャリ)で水元公園に出かける。
いつものように、「かわせみの里」に向かうわけだが、途中、森の小径で、度々自転車を止めて、樹上の囀りを眼で追いかける。

今日は幸先良く、二羽の鶫(ツグミ)を確認(撮影)することができた。

IMG_0279.jpg
(鶫)

鶫と言えば、私は、二つのことを連想する。

一つは、19世紀英国の大芸術家ウィリアム・モリスによる、素晴らしいテキスタイル・デザイン「苺泥棒(Strawberry Thief)」 (1883年頃製作)である。

Strawberrythief.jpg
(ウィリアム・モリス「苺泥棒(Strawberry Thief)」)

「苺泥棒(Strawberry Thief)」というタイトルがいかにもユーモラスで、かわいらしい暖かみを感じる。
モリスは、ケルムスコット村(オックスフォード県)の自宅庭にやって来ては、苺を「盗んで」いく鶫の姿から、それを図案化したのだという。

庭にやって来る鶫に対して、モリスがどういう接し方をしていたかを、ある評伝では、いみじくも、次のように伝えている。

「・・・モリスは、ケルムスコットの苺園で鶫がせっせとついばんでいるのを、困ったものだという顔をしながらも嬉しそうに眺めていたもので、『あいつらの首をへし折ってやりたい』と文句を言う庭師にたいして、庭の鳥たちにはいっさい触れてはならないと言い付けた。その触書が食堂に掛けられた。『確かに苺の数よりも鳥の数のほうが多かった』と(娘の)メイ・モリスは言っている。」(フィリップ・ヘンダースン『ウィリアム・モリス伝』晶文社刊、392頁)

もう一つは、島崎藤村の『夜明け前』(20世紀日本小説の最高峰だと私は思う)に出てくる鶫に関する記述。
幕末維新の転換期を途轍もないスケールで描破したこの作品には、度々、野鳥のことが出てくるが、モリスとは違って、食料としての野鳥であり、鶫であるのが興味深い。

やや長い引用になるが、19世紀後期の木曽路の暮らしが濃厚に漂っている(以下、『夜明け前』の「一部上巻」より)。

 「ちょうど鳥屋(とや)のさかりのころで、木曾名物の小鳥でも焼こうと言ってくれるのもそこの主人だ。鳥居峠の鶫は名高い。鶫ばかりでなく、裏山には駒鳥、山郭公の声がきかれる。仏法僧も来て鳴く。ここに住むものは、表の部屋に向こうの鳥の声をきき、裏の部屋にこちらの鳥の声をきく。そうしたことを語り聞かせるのもまたそこの主人だ。・・・
 囲炉裏ばたの方で焼く小鳥の香気は、やがて二人のいる座敷の方まで通って来た。夕飯には、下女が来て広い炬燵板の上を取り片づけ、そこを食卓の代わりとしてくれた。一本つけてくれた銚子、串差しにして皿の上に盛られた鶫、すべては客を扱い慣れた家の主人の心づかいからであった。その時、半蔵は次ぎの間に寛いでいる佐吉を呼んで、
『佐吉、お前もここへお膳を持って来ないか。旅だ。今夜は一杯やれ。』
 この半蔵の『一杯」が佐吉をほほえませた。佐吉は年若ながらに、半蔵よりも飲める口であったから。
『おれは囲炉裏ばたでいただかず。その方が勝手だで。』
 と言って佐吉は引きさがった。
『寿平次さん、わたしはこんな旅に出られたことすら、不思議のような気がする。実に一切から離れますね。」
『もうすこし君は楽な気持ちでもよくはありませんか。まあ、その盃でも乾すさ。』
 若いもの二人は旅の疲れを忘れる程度に盃を重ねた。主人が馳走振りの鶫も食った。焼きたての小鳥の骨をかむ音も互いの耳には楽しかった。」(『夜明け前』「第一部上巻」より)

秋になると、野鳥が美味しい季節であること。
中でも、鶫はご馳走だったこと。
囲炉裏で串焼きにして食べたこと。
しかも、私が好きなのは、「焼きたての小鳥の骨をかむ音も互いの耳には楽しかった」という実質ある最後の一文である。

モリスが鶫を図案化した時代も、藤村が『夜明け前』で設定した時代も、共に19世紀後期で、いわば、両者は、同時代に於ける、鶫の対照的な表現だと言えよう。
すなわち、「食料」としての野鳥と「観賞物」としての野鳥。
もちろん、日本において、野鳥が食料としてのみ扱われていたのでも、イギリスにおいて、野鳥が観賞物としてのみ扱われていたわけではない。
上記藤村の引用の最初の方に出てくるように、「主人」は、鳥料理を振る舞う前に、野鳥の囀りなぞを客に楽しませることを忘れないし、イギリスでは、鶫をはじめとする野鳥を昔からバリバリ食べていたはずである。

野鳥は、太古の昔から、人類の身近な食料であったと同時に、観賞に値する美しい存在であったということであろう。
そこが、野鳥の「人類的」な面白さではないだろうか・・・。

閑話休題。

行きつ戻りつしながら、様々な野鳥を観察しながら、やっとのことで「かわせみの里」に到着(観察した野鳥については、呑ちゃんのこの日のブログをご参照)。

IMG_0334.jpg
(「かわせみの里」の表札)

IMG_0304.jpg
(「かわせみの里」)

カワセミを待っているうちに、大分空腹になってきたので、近所の「ぎゅうやの台所」(葛飾区水元)の弁当を買ってきて、外のベンチで昼食をとる。

IMG_0300.jpg
(「ぎゅうやの台所」の弁当を美味しそうに食べる呑ちゃん)

IMG_0299.jpg
(「ぎゅうやの台所」の弁当。焼きしゃぶ弁当とまかない弁当。とちらも、630円)

その後も、野鳥を求めて、園内を散策。
今日は、たくさんの野鳥を目撃できて大満足であった。

IMG_0337.jpg
(私の6速ママチャリと呑ちゃんの単速ママチャリ。水元公園にて)

走行距離:14キロ(6速ママチャリ)

テーマ:関東地域情報(東京 神奈川 埼玉 千葉 茨城 栃木 群馬 山梨) - ジャンル:地域情報
小さな旅    Comment(4)   TrackBack(0)   Top↑

2010.12.23 Thu
この4日間~仕事納めの週の自転車通勤
師走も残すところ、10日ほどになった。
何だか気ぜわしい一週間だったが、職場の行き帰りに自転車が乗れることだけが、私にとって唯一の救いかもしれない。

さて、この4日間(日~水)を簡単に振り返っておこう。

12月19日(日)

昼前に、しゃあさんが自転車で訪ねてくる。
さっそく、昼飯を食べに、水元公園を抜けて、近所の洋風食堂「NAKAMURA」(葛飾区東水元)に出かける。

IMG_0223.jpg
(米沢豚のピカタとフライ。ご飯とサラダとコーヒー付で1300円ぐらい)

ここのランチ定食は、とても上品な味わいで、しかもお手ごろ価格なので、2月に一回ほど食べに来る(お薦めです)。

その後、いつもの「かわせみの里」でカワセミを観察。

IMG_0149.jpg
(水元公園「かわせみの里」)

カワセミの撮影はできなかったが、百舌(もず)の撮影には成功する。

IMG_0224.jpg
(百舌)

百舌を見ると、必ず、秀逸な反戦歌にもなっているこの歌を思い出す。

「もずが枯れ木で」(作詞:サトウ ハチロー、作曲:徳富 繁、1938年作)

もずが枯木で鳴いている
おいらは藁を たたいてる
綿びき車は おばあさん
コットン水車も 廻ってる

みんな去年と 同じだよ
けれども足んねえ ものがある
兄さの薪割る 音がねえ
バッサリ薪割る 音がねえ

兄さは満州に いっただよ
鉄砲が涙で 光っただ
もずよ寒いと 鳴くがよい
兄さはもっと 寒いだろ

「鉄砲が涙で光っただ」というところが特に私は好きだ。
百舌の写真を撮ったあと、このメロディを鼻歌で歌っていたら、傍らにいたオバサンにくすっと笑われた。

IMG_0227.jpg
(フジクロス。水元公園にて)

その後、しゃあさんを送るべく、水元から舎人までの「毛長川ルート」を途中までご案内する。

走行距離:26キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

12月20日(月)

午前中、フジクロスで出かける。
ブレーキが甘くなってきている。
ブレーキシューが大分減ってきているので、そろそろ交換しなければならない。

久しぶりに、東向島の激安250円弁当を買って、定位置の隅田川土手で遅めの朝食を食べる。
隅田川土手の桜の木は、すっかり葉っぱが落ちてしまった。

IMG_0228.jpg
(隅田川土手の定位置にて。隅田川上流方面を見る)

IMG_0229.jpg
(牡蠣フライ弁当・250円。きんぴらが付いていたのに驚く。だんだん健康志向に変遷しつつある)

節約のため、コーヒーとお茶は毎日持参。
コーヒーは、プラ製のワンカップに入れて持ち歩いている。

IMG_0230.jpg
(持参したコーヒーとお茶。すぐ前のクリーム色の橋は、桜橋)

仕事が終わって、夜の東京を走る。
中川から月を眺める。
ほとんど満月である。

IMG_0231.jpg
(中川の満月)

家に帰ったら、呑ちゃんが美味しい夕食を拵えていてくれた。

IMG_0234.jpg
(夕食。銚子の薩摩揚げ。鶏胸肉の葱ポン酢のせ。川海老入り卵焼き)

休肝日なので、オーストラリアの偽ビールを飲んでたらふく食べて寝る。

走行距離:35キロ(フジクロス)

12月21日(火)

冬晴れの気持ちの良い日。
フジクロスで出発。
何だか疲れが溜まってきているようで、途中の四ツ木橋の坂を登っただけで疲れてしまい、コーヒーを飲みながら休憩。

IMG_0235.jpg
(左は新四ツ木橋、右は四ツ木橋。荒川。地図

秋葉原の立ち食い蕎麦屋でたぬき蕎麦(朝食)を啜る。

業務終了。

まだ日が残っていたので、帰りは、不忍通り経由で湯島界隈を見て回る。
入園しなくても旧岩崎邸が見える場所がないか、ぐるぐる廻ってみるが、徒労に終わる。

IMG_0237.jpg
(すっかり蓮の葉が冬枯れている不忍池)

その後、浅草通り沿いに東進。
途中で、浅草東本願寺の前を通りかかったので、少しばかり見学していくことにする。

IMG_0238.jpg
浅草東本願寺

はっきり言って、現在では、面白くも何ともない寺になりはててしまっているが、江戸期には、北斎がこの寺を描いていることでも有名である。

東都浅草本願寺
(「東都浅草本願寺」『富嶽三十六景』より)

江戸の東本願寺は、そもそも神田あたりにあったそうだが、明暦の大火(17世紀中期)に焼失後、現在のこの地に建立される。
幕末維新時には、東本願寺が佐幕派であったことから、一時、彰義隊の拠点と化す。
明治初期には、この寺で、最初の地方官会議が開かれたことでも知られているが、その後、震災と米軍の空爆で二度焼失。
1953年に修復再建され今日に至る・・・。

吾妻橋を渡って、隅田川畔の水戸藩下屋敷跡公園で、しばし、コーヒーブレーク。

IMG_0245.jpg
水戸藩下屋敷跡公園。カモメが飛び交っていた)

IMG_0243.jpg
(園内では、誰かが雀に餌をやっていて、まん丸な寒雀が元気よく遊んでいた)

家に着いた頃には既に真っ暗。

身体が冷え切ってしまったので、カレーうどんを拵えて食べる。

走行距離:37キロ(フジクロス)

12月22日(水)

予報通りの雨と風である。
水曜日は、なぜか、雨が多い。
合羽を着て、ルイガノクロスに乗って出かける。
まだ夜明け前なので、辺りは真っ暗。

四ツ木橋を渡る頃に、夜が白みはじめる。
雨の日通勤ルートを経て、桜橋のところに来た頃には、ほぼ、雨が上がって、空が明るくなっている。
良かった。
合羽を脱ぐ。

IMG_0248.jpg
(隅田川土手。雨あがる)

IMG_0250.jpg
(隅田川土手と首都高)

蔵前橋通り→清洲橋通り→靖国通り→一八通りで内堀通りに出る。
いつもの堀端の公園で一服。

IMG_0251.jpg
(気象庁前の堀端の公園)

その後、だらだらと走っていたため、いつもより30分ぐらい余計にかかって職場に到着。

昼下がりに、仕事が終わって、自転車に跨る。
朝の天気が嘘のように、晴れ渡っていて、しかも暖かい。
口笛(高田渡の「生活の柄」など)を吹きながら、地獄の新宿を抜ける。

今日は、四ッ谷から、外堀通りに下ってみる。
四ッ谷から水道橋あたりまでの外堀通りは、結構走りやすいのだが、交差点で左折専用車線が多いのがちょっと困る。
直進したいのに、あの交通量の中、道路の左端から直進車線に自転車で割り込むのは至難の業である。

水道橋から、あまり楽しくないお茶の水坂を登る。

すると、坂の途中(左側)に、以前から気になっていた「元町公園」(文京区)が現れたので寄ってみることにする。

IMG_0258.jpg
元町公園

この公園は、関東大震災後の、いわゆる復興事業の一環として、1930(昭和5)年にこの地に造営されたまま、その当時の姿を保っている珍しい公園である。

また、この辺りは、江戸初期には、お茶の水の名の起こりになった泉の湧く高林寺という大きな寺(明暦の大火で焼失)の敷地だったのだが、それについては既に書いた

IMG_0254_20101224011402.jpg
元町公園

大分老朽化しているものの、古風な趣(アールデコ風)があって、気持ちの良い場所である。

IMG_0255.jpg
(公園からは、外堀通りと神田川が見下ろせる)

最近、ここを管轄する文京区では、この公園の取り壊しを検討しており、それに対する住民の反対運動も起こっているらしい。
これも、見ておきたいのなら、お早めにどうぞ・・・。

吾妻橋を渡る。

IMG_0261.jpg
(吾妻橋から駒形橋を眺める)

その後、枕橋の「茶や」でしばらく油を売ってから帰宅。

IMG_0262.jpg
(枕橋の「茶や」)

さて、暗くなる前に帰宅した私だが、今夜は、職場がらみの忘年会があるので、しばらく休んでから出かける(フジクロス)。
だが、今日の宴会は、何とも嬉しいことに、自宅から目と鼻の先にある柴又でやるという。
柴又には、やや早めに着いたので、夜の帝釈天散歩。

IMG_0272.jpg
(夜の帝釈天参道)

IMG_0268.jpg
(夜の帝釈天参道。ほとんどの店は、もう閉店していた)

IMG_0267.jpg
(夜の帝釈天山門)

IMG_0270.jpg
(夜の寅さん像)

そして、今夜の会場の「ゑびす家」。

IMG_0271.jpg
(「ゑびす家」)

15人ぐらいの忘年会だった。
ものすごい料理でびっくりしたが、「底ぬけ」という新潟長岡の日本酒が大変に美味しくて、私一人で1升ぐらいは飲んでしまったかもしれない。

IMG_0277.jpg
(「底ぬけ」)

お陰で、翌日は二日酔いで、せっかくの休みだというのに、一日中ごろごろしていた。
要猛省。

走行距離:68キロ(ルイガノクロス+フジクロス)

テーマ:関東地域情報(東京 神奈川 埼玉 千葉 茨城 栃木 群馬 山梨) - ジャンル:地域情報
小さな旅(自転車)    Comment(6)   TrackBack(0)   Top↑

2010.12.18 Sat
印旛沼サイクリング~愚兵衛さんと一緒に
この数ヶ月ほど、一月に一回ぐらいのペースで、印旛沼界隈を走り回っている。
いつも私をを先導してくれるのは、自転車仲間でもあり、モツ焼き仲間(これまた時々、立石や金町のモツ焼き屋でレバ刺しやガツ刺しなどで一杯やる)でもある、愚兵衛さん(千葉県白井市在住)である。

愚兵衛さんは、赤いクロモリのロードバイクに乗っている。
STIのどでかいレバーがお気に召さず、Wレバー仕様に改造してある。
いかにも、愚兵衛さんらしいと思う。

IMG_0176_20101219165725.jpg
(右の赤いロードが愚兵衛さんの自転車。左の銀色のが私の。「北総花の丘公園」のトイレにて)

印旛沼界隈の里山の「道」に関しては、私の知る限り、愚兵衛さんの右に出る者はいないと思う。
谷津を縫うようにしてのたうつ道。
行方も分からぬ、田んぼの畦のような道。
下総台地を縦横に「渡る」複雑な道筋。
神社仏閣を取り巻く不思議な道。
森閑たる林を抜ける小径・・・。

愚兵衛さんは、あたかも、何世代もそこに宿っていた地霊(ゲニウス・ロキ)のように、印旛界隈の道を知り尽くし、それを自家薬籠中のものにしている。

IMG_0182.jpg
(愚兵衛さんが案内してくれる場所には、必ず、こうした美しい里山の風景が広がっている。万葉集に出てきそうな日本の原風景である)

しかも、愚兵衛さんが知悉しているのは、道だけではない。
神社仏閣や郷土の歴史や田畑の作物や美味しい食堂まで、何から何まで、実によく精通しておられる。
ただし、愚兵衛さんの場合、巷でありがちな、ペダンティック(衒学的)な「知識」の匂いがまったくせず、まさしく、ペダル(足)で触知した「地勢への熟練」という手応えを感じる。

愚兵衛さんの「道選び」の特徴は、次の2点に集約されると言えよう。

1.クルマの通行量の多い幹線道を回避する
2.いわゆる「サイクリングロード」を回避する
その代わりに、台地の急坂や未舗装路を走ることは、まあ、お構いなしではある。

自転車乗りなら、誰でも上記1については共感できるかも知れないが、2についてはどうだろう。

実は、私も、未知の土地を旅する場合は別だが、既知のサイクリングロードはできるだけ走りたくない。
もちろん、仕方なく、サイクリングロードを走ることも多いし、そこには独特の楽しさがあるのは分かっているが、とどのつまりは、私の道にたいする習熟がまだまだ不足しているからに過ぎない。
サイクリングロードは、クルマもいないし、信号もないので、走っているだけなら実に快適である。
しかしながら、ある意味で、クルマの高速道路と同じで、多少極端に言えば、道の秘めている「生活」や「近景」がすっぽりと捨象され、当たり障りのない、眼に心地よい「遠景」しか感じられないようなところがある。
たぶん、多くの自転車乗りが、サイクリングロードを長時間走っていると「飽きる」と表現するのは、この感覚に近いのではないか。

北総線「白井駅」に8時半集合ということで、家を7時前に出発する(ロードバイク)。
水元公園土手の水を含んだ落ち葉が凍っているのか、シャリシャリという音がいつもより甲高いような気がする。
手袋も二枚重ねにしたし、厚着をしてきたつもりなのだが、江戸川土手に着く頃には、寒さが痛いように感じはじめる。

IMG_0171.jpg
(江戸川の朝焼け)

松戸市紙敷の谷津を走っていると、あたり一面に煙が漂っているので、野焼きでもしているのかと近寄ってみると違った。
外気温があまりにも低いので、川の水から湯気(水蒸気)が揚がっているのだった。

IMG_0172.jpg
(湯気を揚げる春木川。松戸市紙敷付近)

田畑には、霜が降りて、雪が積もってるかのように真っ白である。

IMG_0174.jpg
(霜で真っ白な畑。松戸市松飛台付近)

この後、鎌ヶ谷あたりに差し掛かったところで、身体が完全に冷え切って、手先や足先が痺れるように痛くなってきたので、コンビニが現れる度に止まって、店内で暖を取りながら走る。
国道464号が北総線と併走するあたりに来ると、もはや我慢ができずに、コンビニでカップラーメンを食べてしまった。
コンビニでカップラーメンというのは、よく高校生がやっていることで、あれだけは真似すまいと決めていたのだが、寒さに負けて、ついに「一線」を越えてしまった私であった。
でも、すご~く美味かったし、身体もすっかり温かくなった。
やはり、寒い時は、汁物に限る。

ちょうど8時半頃、ようやく北総線白井駅(南口)に到着。
既に、愚兵衛さんが待っていてくれた。
一服した後で、さっそく出発。

実は、この後の行程経路を詳しく記すことは、まったく無理なので、大体の所を書くしかない。

先ず、北総線の南を、新川と合流すべく流れる「神崎川」が形成する広大な谷津の道を辿る。

北総花の丘公園」をかすめるように通って東進。

IMG_0175_20101220132540.jpg
(東京基督教大学の鐘楼)

日本の里100選にも入っている「結縁寺」(千葉県印西市・地図・結縁寺は、同名の寺を中心とするこの一帯の地名でもある)あたりの風景を楽しみながら進む。

IMG_0177.jpg
(「結縁寺」の谷津に広がる水田)

IMG_0178.jpg
(同上。自転車を日向ぼっこさせる)

IMG_0181.jpg
(同上。小川には、クレソンが自生していた。クレソンが大好物の私は興奮するも、私有地なので、採集は断念した)

その後は、どんな経路を取ったかは、まったく分からないが、たぶん、深草あたりを抜けつつ北上して、北総線を越えて、本埜方面に向かったのだと思う。

途中、調整池(位置は特定できず)のような所を通る。

IMG_0185_20101220202934.jpg
(調整池)

IMG_0184.jpg
(調整池には氷が張っている)

また、この調整池には蒲が植わっていた。
蒲は「因幡の白兎」の話を絵本で読んで以来、私の憧れの植物だが、残念ながら穂は朽ちかけていた。

IMG_0183_20101220205752.jpg
(蒲。英語では、cattail[猫の尾]というらしい。蓋し、見事な命名である)

まるで、この夏に走った新潟平野を思わせるような広やかな水田地帯に出たと思ったら、そこが、旧本埜村(現在は印西市)だった。
農道をしばらく走ると、一風変わった屋敷が現れた。
かなり豪壮な家で、敷地は欅やソテツの大木に囲まれている。

IMG_0187.jpg
(一風変わった豪壮な屋敷)

愚兵衛さんが、これは「水塚(みづか)」というもので、沼が氾濫することに備えて、土台をあらかじめ高く造成してある屋敷のことだと教えてくれた。
なるほどと思って、立派な長屋門の入口の所に行ってみると、説明板が立っていたので、一応、写真を撮っておいた。

IMG_0188_20101220213525.jpg
(「押付の水塚(みづか)」の説明板)

長屋門の正面からから見ると、前の通りより3メートルほど高くなっているのが分かる。

IMG_0189.jpg
(水塚を正面から見る。ソテツの「参道」が、沖縄を連想させる)

さらに田圃の中の農道を走ってゆくと、まるで赤飯に塩胡麻を散らしたように、点々と白鳥の姿が見えてくる。
これが、本日の目的地の一つ、本埜(印西市)の白鳥飛来地地図)である。

さらに近づいていくと、農道に20台ほどのクルマが止まっている。
やはり、白鳥を見物に来た人たちのものだ。

自転車を止めて、田圃のあぜ道を歩く。

IMG_0193.jpg
本埜(印西市)の白鳥飛来地の説明板)

かなりたくさんの白鳥(と鴨類)が飛来していてびっくりするが、愚兵衛さんに言わせれば、まだまだ少ない方だという。

IMG_0191.jpg
(白鳥と鴨)

この飛来地は、私有地の田圃で、この時季になると、自分の田圃の一部に水を入れて、白鳥を呼び寄せるために餌付けをしているのだという(カンパをすると、甘酒のサービスあり)。

IMG_0198.jpg
(泥田の白鳥たちは、何かを懸命に食べていた)

時折、何かをきっかけに10羽ぐらいが一斉に空に舞い上がっては、きれいな編隊を作ってあたりを旋回する。
その姿は、神々しくもあり、雄大でもあるので、カメラに収めたいと思うのだが、私の低性能デジカメでは非常に難しい。

IMG_0202.jpg
(空を飛ぶ白鳥たち)

飛来地の傍らでは、印旛沼で獲った「雑魚」や「川えび」を販売していた。
すごく安かったので、川えびの塩茹でをワンパック買った。

IMG_0194.jpg
(売られていた雑魚と川えび)

IMG_0196_20101220234443.jpg
(私が買った川えびの塩茹で、300円。美味しかった!)

他にも、野菜の直売所(根生姜を購入)や、なぜか、韓国人ニューカマーのオモニたちによる自家製キムチの販売所(小松菜のキムチ・これも絶品だった!)もあった。

こうして、白鳥の姿を満喫したわれわれは、腹が減ってきたので、昼飯にしようということになった。
「レバ刺し仲間」の愚兵衛さんは、これまでにも、なかなか美味しい店を紹介してくれていたので、この際、すべてお任せである。

東進して印旛沼まで出て、国道464号沿いにしばらく走ると、その店はあった。
自転車乗りの間では有名らしい「うなぎ かどかわ」(成田市)である。

IMG_0208.jpg
(「うなぎ かどかわ」)

今回は、ビールも、日本酒も、そして酎ハイすら我慢して、即、「うな重!」である。
お酒も飲まないでいきなり鰻を注文するのは、何だか、見知らぬ女性と出会い頭に接吻するようなもので、いささか段取りの欠如感というか、藪から棒な感じを覚えたが、自転車なのでしょうがない。

そして出てきたうな重。

IMG_0207.jpg
(うな重・肝吸い付で1400円)

あれぇ~、立派な鰻だなあというのが、一目見た時の感想。
口中に含めば、皮がさくっとしていて、肉厚の身がころがり出てくるようである。
ふにゃふにゃの江戸前より、ちょっと関西風な、こんな蒲焼きが好きだ。
空腹の極致だったので、ガツガツと一心不乱に食す。

さて、お腹も一杯になったところで、今日最後の目的地に向かうことにした。

一端、印旛沼の畔に出て、成田射撃場(地図)の脇を通って、ナウマン象像のある「山田休憩所」(佐倉市)でしばし休憩。
印旛沼の冬景色を見渡す。

IMG_0206.jpg
(印旛沼)

IMG_0209.jpg
(ナウマン象像のある「山田休憩所」)

そこからは、印旛沼に沿って南進し、「佐倉ふるさと広場」を経由して、臼井城趾地図・千葉県佐倉市)を目指す。

中世に築城され、戦国時代まで千葉家の居城になっていた城で、印旛沼を見晴らす台地の上にあるという。

麓からくねくねと曲折する坂道を登って行くと、この城の攻防戦で15世紀に戦死した、大田図書(太田道灌の息子)の墓の前を通りかかる。

IMG_0212_20101221201110.jpg
(、大田図書(太田道灌の息子)の墓。説明板の陰で墓本体が見えないが)

そして、台地を登り詰めた所に臼井城趾は広がっていた。

IMG_0213.jpg
臼井城趾入口の説明板)

台地の上の城跡の付近は、よく整地されて、平地になっているが、この春に訪れた本佐倉城趾とは違って、どの辺にどんな建物が建っていたのかというような説明はない。

IMG_0215.jpg
(城の中心があったと思われる場所。右側の急激に落ち込んでいるのが空堀の跡)

空堀は、思ったより大規模なもので、しかも、よく整備されているのでとても分かりやすい。

IMG_0220.jpg
(空堀)

また、いつの頃のものか、一部の石垣かが今でも残っていた。

IMG_0219.jpg
(昔の石垣)

そして、極め付きは、城跡からの眺望である。
ここからは、印旛沼が一望の下に見渡せる。

IMG_0216.jpg
(城跡からの眺望)

IMG_0217.jpg
(たぶん、当時は、現在の田圃のあたりまで沼が広がっていたものと思われる)

こうしてわれわれは、谷津の道を西進して、桑納川沿いの農道で別れることにした。
年内に、一度、レバ刺しナイトをやりましょう!

私は、いつものルートで江戸川まで引き返した。
江戸川の夕陽が、短い冬の一日を名残惜しんでいるようだった。

IMG_0222.jpg
(江戸川の夕陽)

走行距離:124キロ(ロードバイク)

この項、了

テーマ:関東地域情報(東京 神奈川 埼玉 千葉 茨城 栃木 群馬 山梨) - ジャンル:地域情報
小さな旅(自転車)    Comment(13)   TrackBack(0)   Top↑

2010.12.17 Fri
隅田川の橋を梯子する
所用があって、八丁堀に行かなくてはならない(フジクロス)。

両国橋まで出てから、赤穂浪士討ち入り後の退却ルートを追いかけようとするが、地図を忘れたので諦める。
仕方がないので、隅田川左岸の本所深川あたりを目的もなく走り回るが、これと言って興味を引くものなし。
隅田川左岸の下流域は、震災と戦災によって、ほぼ完全に破壊されてしまったので、古い物で残っているのは、いくつかの橋と神社仏閣の痕跡のみだが、江戸中期以来の道筋自体は、現在でもほとんど踏襲されているようだ(今でも、元禄期の赤穂浪士の退却ルートを追跡できるのも、そのお陰である)。

新大橋(蜜柑色)を渡って、右岸に渡ることにする。

IMG_0158.jpg
(モダンデザインの新大橋。深川方面を見る)

IMG_0155.jpg
(新大橋より上流を眺める。首都高が交差している)

徳川期において、隅田川に最初に架けられた橋は、「千住大橋」(1594年架橋。奥州街道筋)。
それから75年後の1659年に、「両国橋」が架橋される。
さらに、それから34年後の1693年に、日本橋と深川を結ぶ「新大橋」が架橋されることになる。
因みに、新大橋のやや下流の「永代橋」が架けられたのは、5年後の1698年。
上記四つの橋を「隅田川四橋」と言うが、元禄期において、下流域に立て続けに二本の橋が造られた(架橋ラッシュ)のは、新開地深川の人口が急増していたことの証しであろう。

元禄期はまさに、江戸の街が、東郊へ拡大する時期だったわけだが、因みに、その当時深川に住んでいた人で、われわれにも馴染みのある人物が、吉良上野介であり、松尾芭蕉である。

その芭蕉は、自分の家の近くで建設中の「新大橋」のことをこう詠んでいる。

初雪や かけかゝりたる はしのうへ

また、「新大橋」の完成に際しては、

ありがたや いたゞいて踏む はしの霜

という句を残している。

新大橋の橋柱には、巨大なレリーフ(浮き彫り)が嵌め込まれていた。

一枚は、明治末期の新大橋の絵図。

IMG_0156.jpg
(明治末期の新大橋のレリーフ)

そして、もう一枚は、有名な広重の「大橋あたけの夕立」を原画とするレリーフ。

IMG_0157.jpg
(広重の「大橋あたけの夕立」を原画とするレリーフ)

ついでに、このレリーフの元になった広重の画像も貼っておこう。

新大橋広重
(広重「大橋あたけの夕立」。ここで言う「大橋」とは、新大橋のこと。「あたけ(安宅)」というのは、現在の森下あたりを示す古地名。)

新大橋を渡ってから、右岸の川筋を追いかけながら、次の橋「清洲橋」も渡ってみる。
清洲橋は、隅田川に架かる橋の中で、私が一番好きな橋である。

IMG_0159.jpg
(清洲橋)

IMG_0160_20101219070952.jpg
(清洲橋の橋上。ランタンに趣がある)

IMG_0161.jpg
(清洲橋より下流を眺める)

面倒臭くなってきたので、後は、駆け足で。

IMG_0162_20101219071452.jpg
(隅田川テラスの公園で休憩)

IMG_0163.jpg
(永代橋)

IMG_0164.jpg
(いつ見ても幻想的な佃島の摩天楼住宅群)

IMG_0165.jpg
(月島の商店街を抜けて)

IMG_0166.jpg
(月島の水路を眺めて)

IMG_0167.jpg
(月島埠頭まで走る。遠景の橋が、いわゆる「レインボーブリッジ」)

こうして私は、八丁堀に引き返して用事を済ませる。

帰りは、夜の新大橋通り→清澄通りをしゃかりきにぶっ飛ばして金町駅前へ。

呑ちゃんと待ち合わせて、居酒屋で一杯。

IMG_0170.jpg
(つまみのレンコンチップス)

年末の金曜夜とあって、居酒屋は、犇めくような常時満席状態であった。

走行距離:59キロ(フジクロス+ロードバイク)

テーマ:関東地域情報(東京 神奈川 埼玉 千葉 茨城 栃木 群馬 山梨) - ジャンル:地域情報
小さな旅(自転車)    Comment(12)   TrackBack(0)   Top↑

2010.12.15 Wed
雨の日自転車通勤ルート~白髭橋から両国まで濡れずに走る
12月14日(火)の記

未明にはいったん止んだ雨だったが、折悪しく、出かける頃にまた降り始めた。
昨日も雨だったのに、今日も雨とは・・・。
雨足がけっこう強かったので、二日連続で、雨の日専用車のルイガノクロスの出番となった。

IMG_0090_20101214153455.jpg
(今日も、ルイガノクロスの出番。頼むぜ!)

ところで、数日前の日記で、白髭橋から両国までのいわゆる「雨の日通勤ルート」のことを書いたら、複数の方々(未知の方々)から、もっと詳しく書いてくれというご要望をいただいた。

これについては、実は既に過去に書いたことがあるはずなので、そのページを参考にしてほしいというご返事をしようと思ったのだが、探してみてもそういうページは見つからなかった。
確かに、断片的に触れたページはあるのだが、きちんとその全体像を示したことはなかった。

今日は、「折良く」、ちょうど雨が降っているので、ちゃんと走りなおして、その「雨の日通勤ルート~白髭橋から両国まで」を記録しておこう。

さて、出発点は、当然、「白髭橋」である。

そうそう、今日のルートをご紹介する前に、隅田川に架かる橋についてここで簡単に整理しておこう。
東京の比較的大きな川で、一番たくさんの橋が架かっているのは、隅田川であろう。
今日のルートに関係する区間の橋を上流から順番に並べておく。

白髭橋  白    明治通り(環状線)
桜橋   クリーム (人道橋)
言問橋  灰    国道6号・言問通り
吾妻橋  赤    雷門通り
駒形橋  青    浅草通り
厩橋   緑    春日通り
蔵前橋  黄    蔵前橋通り
両国橋  朱    国道14号→靖国通り

ついでに、橋の色と、その橋の通り名もあげておいた。
橋が好きな人は、その構造などから識別することができるかもしれないが、隅田川の橋は、ありがたいことに、色別されているので、橋の色に着目すれば覚えやすい。

実は、都心の東部の幹線道路のほとんどは、隅田川に架かる橋によって決定づけられている。
だから、隅田川よりも東の地域から自転車通勤する人(クルマ通勤の人もそうだけど)にとって、必ずどこかの橋を渡らなければならないし、また、その道によって、都心部の目的地へと進入するわけなので、それぞれの橋が「支配」する通りがどの地域に通じているかを覚えてしまうと大変に便利である(因みに、西部は、江戸城址から延びる幹線道路によって規定されているように思う)。

たとえば、青い橋(駒形橋)の通りを西に走れば上野駅に行けるとか、緑の橋(春日通り)を西に走れば御徒町に出るというように覚えてしまえば、地図を見なくても、大抵の所に行けるようになる。
また、こうした幹線道路を走るのが嫌な人も、台東区あたりは、路地に入ってもほとんど碁盤状に道が通っているので、無尽蔵に応用が利くわけだ。

先ず、いつものように、全体の経路図を示しておこう。


(雨の日通勤ルート~白髭橋から両国まで)

たった4キロほどだし、所々、首都高(6号向島線)の屋根がなくなってしまう所もあるが、冬の雨の日に自転車で走ったことのある人なら、ひょっとしたら、こうした道の有り難さが分かってもらえるかもしれない。

ただ、この地図は、ある意味で、すこぶる不完全である。
というのも、今回私が取り上げたい経路のほとんどが、首都高の下に隠れてしまって、見えなくなってなってしまっている。
仕方ないので、便宜上、首都高上にルートを描かざるを得なかったが、くれぐれも、これをば「真正直(ましょうじき)」に受けて、自転車で首都高に入らないようしていただきたい。

また、この手のネット上の地図も、高速道路なしで表示するモードを備えるようにしてほしい。
どうせ、ほとんどのクルマには、ナビが付いているのだから、この手のネット上の汎用地図を活用する人は、非常に少ないのではないか。
だったら、クルマしか進入できない特殊な道路(高速道路)を「廃除」するモードを設けてほしい。

さて、再度、出発点の「白髭橋(白・明治通り)」(地図)から始めよう。

IMG_0091_20101215195345.jpg
(「白髭橋(白・明治通り)」・地図。写真は、白髭橋東詰の歩道)

上の写真の左に、車止めがある進入路が今回の経路の入口である。
この入口は、多少坂がきついが、せいぜい10メートルぐらいなので、勘弁してほしい。

この小坂を上がりきると、こんな所に出る。

IMG_0093.jpg
(白髭橋東詰から上がった所。殺風景な隅田川冬景色)

風景が一面灰色なのは、雨天にてお許し願うとして、晴天の日でも、かなり殺風景な感じがする場所である。
ただ、ここから右後ろを振り返れば、白髭橋の威容を眺めることができる。

IMG_0094_20101215213420.jpg
(「白髭橋(白・明治通り)」・地図

在原業平が9世紀に、隅田川の渡しにこと寄せて、「名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」と詠ったのは、実は、言問橋ではなく、この白髭橋あたりの「渡し」ではなかったかと言われている。
当時、古東海道が、まさにこの辺りを経由していたことを考えれば、妥当な仮説と言えよう。

しばらく走ると、高い堤防と覆い被さるような首都高に囲まれて、雨をしのぐことができる。
また、真夏の炎天からも、守ってくれるので、夏も涼しく走ることができる。

IMG_0095_20101216061220.jpg
(高い堤防と首都高に守られた道)

こういう場所は、自転車乗り以外の人にも重宝であるらしく、アーバン・アウトドア・ライフを楽しむブルーシートハウスも建ち並んでいるが、走行には、まったく支障なし。

IMG_0096_20101216061623.jpg
(隅田川名物のブルーシートハウスもある)

しかしながら、「桜橋」(クリーム色の人道橋)の手前あたりで、頭上の首都高が左(東)の方に逸れてしまうので、300メートルほどは、屋根なし状態で走らなければならない。

IMG_0097_20101216062315.jpg
(首都高がだんだん逸れてしまう)

しかし、ちょっと我慢して、「桜橋」(クリーム色の人道橋・地図)のところまで走ってほしい。

IMG_0099_20101216062651.jpg
(「桜橋」(クリーム色の人道橋・地図

ちょうどこの橋の近くに堤防の上に上がるスロープが口を開けているので、堤防の反対側に出るべくそこを登ってほしい。
この辺りの路面に敷かれた石畳は、雨の日は大変に滑りやすいので要注意である(特に下るとき)。

IMG_0098_20101216063049.jpg
(左側に、堤防へ上がるスロープが見える)

IMG_0100_20101216063218.jpg
(スロープを上がる)

上がりきると、堤防の反対側に同じようなスロープの降り口が見えるので、そこを下って反対側に降りる。

IMG_0101_20101216064010.jpg
(上がりきると、反対側に降り口がすぐに見える)

IMG_0102_20101216064136.jpg
(反対側のスロープを下る。スリップしやすいので減速すること)

降りきると、反対側に、また屋根付き道が始まる。

IMG_0103_20101216065151.jpg
(東側の屋根付き道。このあたりは大変にスリップしやすい)

そしてまた、しばらく平和な時間が流れる。

IMG_0104.jpg
(平和な、東側の屋根付き道)

やがて、震災と戦災を生き抜いた「言問橋」(灰・国道6号・言問通り・地図)の下をくぐる。

IMG_0105_20101216065435.jpg
(「言問橋」(灰・国道6号・言問通り)の下をくぐるところ)

この道の左側には、水戸藩下屋敷跡公園が広がっている。

IMG_0106_20101216065922.jpg
水戸藩下屋敷跡公園

しかしながら、またしても、屋根替わりの首都高が、今度は西(右)に逸れはじめる。

IMG_0107_20101216071302.jpg
(逸れはじめる首都高)

枕橋(北十間川)の手前の押しボタン式信号の所(地図)に出たら、その信号を渡ってほしい。

IMG_0108_20101216071620.jpg
(押しボタン式信号機を渡る。通りの反対側に見える白い建物は公衆トイレ)

そして北十間川(隅田川に流れ込む用水路)の河口に架かる枕橋(地図)を渡る。

IMG_0110_20101216075324.jpg
(雨の枕橋)

IMG_0111_20101216075413.jpg
(北十間川河口。前方に見えるのが首都高の高架。枕橋から)

IMG_0112_20101216075510.jpg
(橋の反対側には、東武伊勢崎線の鉄橋と建設中の新電波塔も見える)

枕橋を渡ったら、遊歩道を道なりに右折して、小坂を登る。

IMG_0113_20101216080004.jpg
(枕橋を渡ったら、道なりに右折。前方に見えるのが首都高の高架。地図

小坂を登り切って、さらに道なりに進むと、首都高がほぼ頭上に来るようになる。

IMG_0114_20101216082829.jpg
(前方に見える赤い橋が吾妻橋。左手の金色の建物が某ビール会社本社ビル。地図

ここからしばらく進むと、「吾妻橋」(赤・雷門通り)東詰の横断歩道にぶつかるので、そこを渡る(このあたりの敷石もスリップしやすいので要注意。信号待ち長し)。

IMG_0115_20101216083404.jpg
(「吾妻橋」(赤・雷門通り)東詰の横断歩道。地図

横断歩道を渡ると、すぐに車止めがあるので、それをすり抜けて中に入る。

IMG_0116_20101216162921.jpg
(車止めのところを入る)

すると、そこは、何というか、中途半端な児童公園風な空間が延びているので、そこをゆっくりと走る。
200メートルぐらい走ると、今度は、「駒形橋東詰」の横断歩道(地図)に辿り着く。

IMG_0117.jpg
(「駒形橋東詰」の横断歩道地図

ついでに、駒形橋(青・浅草通り)も撮影しておいた。

IMG_0118_20101216190027.jpg
駒形橋・青・浅草通り)

さて、この横断歩道を渡ると、すぐ前に自転車置き場のような場所にぶつかってしまい、それ以上は進めなくなる(行き止まり)。

IMG_0119_20101216190316.jpg
(首都高下は行き止まりになってしまう)

そこで、首都高沿いの一般道をしばらく走らなければならない。

IMG_0120_20101216190520.jpg
(すぐ脇に通っている一般道を行く)

150メートルほど進むと、首都高の入口の道にぶつかるが、当然、そこを直進してはならない。
すぐ左に見える細道へと進む。

IMG_0121_20101216190932.jpg
(一種の二股道のようなところにぶつかる。右は首都高入口。左の細い道へ入ろう。撮影地点地図

IMG_0122_20101216191557.jpg
(その細道を200メートルほど直進)

そして、この細道を200メートルほど直進すると、T字路風の場所に突き当たる(地図)。

IMG_0123.jpg
(T字路になるので、ここは右折。地図

右折すると、また、目の前に首都高高架が見えるので、そちらの方に寄って行く。

IMG_0124.jpg
(目の前に首都高高架が見えてくるので、そちらへ)

すぐに、首都高下の空間に入る場所が見えるだろうから、そこにすべり込む。

IMG_0125_20101216192454.jpg
(お疲れ様。ここに入ってしまえば、また、雨に濡れずにすむ。地図

目の前に、厩橋(緑・春日通り)東詰の横断歩道が現れるので、そこを渡る。

IMG_0126.jpg
厩橋東詰の横断歩道を渡る)

横断歩道を渡ると、例によって、車止めが現れるので、そこから入れば、あとは、両国までずっと雨に濡れずに快適に走ることができる。

IMG_0127.jpg
厩橋からは、雨に濡れずに両国まで走れます)

IMG_0129.jpg
(なかなか趣のある厩橋(緑・春日通り)の眺め)

さて、あとはただひたすら道なりに、進めばよいだけ。

途中に、「蔵前橋」(黄・蔵前橋通り)が目の前に現れるが、ここはちゃんと下をくぐれる(アンダーパス)ので、楽ちんです。

IMG_0130.jpg
(「蔵前橋」は、左のアンダーパスをくぐって通過)

そのまま走って行くと、左側に、国技館も見えてくる。

IMG_0131.jpg
(左側には国技館も見える)

そして、前方に総武線の鉄橋が見えてきたら、このルートも、いよいよお仕舞いである。

IMG_0132.jpg
(総武線の鉄橋にぶつかってこのルートは終了・地図

お疲れ様でした。
このゴール地点から最寄りの大通りに出れば、目の前に両国駅や江戸東京博物館や国技館が見える。
また、さらに首都高沿いにもう少し走れば、両国橋(国道14号)にも出ることができる。

かえって、ややこしく感じられえたかもしれないが、要は、首都高に寄り添って走れば自ずと道は開けるので、雨の日や、暑い日差しの真夏の日などに是非ご利用いただきたい。

本日の走行距離:35キロ(ルイガノクロス)

テーマ:関東地域情報(東京 神奈川 埼玉 千葉 茨城 栃木 群馬 山梨) - ジャンル:地域情報
小さな旅(自転車)    Comment(2)   TrackBack(0)   Top↑

2010.12.13 Mon
水元公園「獣道」紀行
水元公園(葛飾区)は、我が家からほんの200メートルほどなので、毎日のように遊びに行く。

自転車を改造すれば、さっそく公園まで試乗に出かける。
チェーンの交換や変速調整などは、広々としたところでやりたいので、水元公園でやってしまう。
休日の昼ご飯は、必ず、おにぎりやらサンドイッチを持って行って、水元公園のベンチで摂る。
気だるい午後は、水辺で読書をしながらこっくりこっくり。
サイクリングからの帰り道、家に帰る前に、水元公園のベンチでゆっくりとコーヒーを飲みながら、一日のルートを振り返る。
夏の早朝は、森の小径を自転車で走ると気持ちがよい。
桜や菖蒲の季節は、ゴザを敷いて、恒例の花見の宴。
秋には、仲間たちとバーベキュー大会。
とにかく、水元公園は、毎日毎日出かけてもけっして飽きることのない、私にとってなくてはならない存在である。

そんな水元公園の中でも、あまり人が訪れない素晴らしい場所があるので、今日は、それをご紹介しよう。
なかなか野趣に富んだ一角なので、私はそこを、水元公園の「獣道」と呼んでる(正式には「中土手」というらしいが)。

先ずは、その地図を示しておこう。


(水元公園の「獣道」)

お分かりのように、この道は、大場川と小合溜(こあいため)という小さな二つの川に挟まれた長細い土手である。
長さ1.6キロほどで、土手の幅は、広い所でもせいぜい5メートルぐらい。
ところによっては、密林のように草木が生い茂っている。
この土手上に、一筋の「獣道」が通っているのだ。
もちろん、全線未舗装路で、かなり歩きにくいところもあるが、マウンテンバイクならどうにか走破できるかもしれない。
私も、ママチャリでチャレンジしたことがあるが、西側の半分は、ほとんど自転車を押さないと無理なので、徒歩で探訪することをお勧めする。

今回私がこの獣道に入った入口は、園内の「カワセミの里」の近くのこの辺り(地図)。
ここは、「正式」な道ではないので、案内板もなにもない。
ただ、一箇所、笹藪が踏み固められている場所がぽっかり空いているので、そこに分け入ってみよう。

IMG_0046_20101213231452.jpg
(獣道の入口)

子供の頃には、こういう藪に入るのが好きで、ワクワクしたものだが、そんな感覚が蘇ってくる。

IMG_0049_20101213232128.jpg
(しばらく進むと、獣道は、水際ぎりぎりを通るようになる)

IMG_0050_20101213232257.jpg
(左は大場川。一応、所々、木杭で護岸がなされている)

何と言っても、この獣道がスリリングな感覚を呼び起こすのは、両脇に水が迫っている点である。

IMG_0051.jpg
(左が大場川、右が小合溜)

IMG_0052.jpg
(水際まで繁茂する樹木や蔓)

IMG_0060_20101213232842.jpg
(時にのんびりと、亀の子が日向ぼっこ)

また、時には、鬱蒼たる藪を掻き分けるように進む。

IMG_0056.jpg
(鬱蒼たる藪道)

ここはまた、野鳥の楽園で、頭上の梢では、絶えず小鳥たちのさえずりが聞こえる。

IMG_0054_20101213233059.jpg
(最近、バードウォッチングに嵌ってる呑ちゃん

IMG_0058.jpg
(やっとのことで、こんな鳥の写真を撮ったけど、何という鳥かは分からない)

東の方へ出ると、次第に樹木は希薄になって、風景が開けてくる。

IMG_0061_20101213233538.jpg
(樹木が少ない東側。ちょうど、水元公園のバードサンクチュアリの裏手に当たるのかな)

IMG_0064_20101213233723.jpg
(こんな小鳥も撮影したが、名前が分からず)

IMG_0067_20101213233900.jpg
(こうして、約1.6キロを歩いて・・・)

半川橋(埼玉県三郷市)という小さな橋の所で、この獣道はお仕舞い。

IMG_0068_20101213234142.jpg
(大場川に架かる「半川橋」。地図

水元公園にいらした時に、是非、この獣道ルートを探訪なさってみては如何でしょうか。

テーマ:関東地域情報(東京 神奈川 埼玉 千葉 茨城 栃木 群馬 山梨) - ジャンル:地域情報
日録    Comment(4)   TrackBack(0)   Top↑

2010.12.11 Sat
葛飾区内の旧水戸街道を自転車で辿る
私に一番縁がある国道と言えば、国道6号線である。
通勤するにせよ、千葉や茨城方面に週末サイクリングに出かけるせよ、結局のところ、大きな意味では、国道6号線筋をちょろちょろと走っているに過ぎない。

とは言え、国道6号線(現水戸街道)は、交通量も多い上に、路肩が狭い区間が多くて、結構自転車泣かせの街道である。
私が知る限り、一番走りにくい区間は、新葛飾橋~四ツ木橋区間で、荒川を越えるとやや走りやすくなり、隅田川を越えるとさらに走りやすくなるというように、不思議なことに、6号線は、都心に近づくほど走りやすくなる傾向があって、これは、国道4号線(現奥州街道)が、荒川よりも都心側に入ると途端に走りにくくなるのとまったく逆である

さて、上で指摘した、国道6号線の最も走りにくい区間というは、まるごと我が葛飾区内の経路にほかならないので、この区間の旧水戸街道を辿れば、それが即ちある種の抜け道ルートになるかもしれない・・・。
そんなことをずいぶん前から考えていたのだが、まあ中川までは辿るのが比較的容易なことながら、中川以西の旧水戸街道については、これまで何回も辿ろうとして失敗してきた。
途中で、どの道が旧水戸街道なのか、現場に行くと分からなくなってしまう。

そこで、今回は、葛飾区で全戸無料配布されている葛飾区の地図に、ルートをきちんと書き込んで、辿ってみることにした(それでも何箇所かで間違っては引き返したが)。

まず、そのルートを地図で示しておこう。


(葛飾区内の旧水戸街道)

こうして、現在の国道6号線と江戸時代までの水戸街道の経路を較べると、中川までは、せいぜい数十メートルしか違わないが、中川を越えてからは、両者の経路は著しく異なることが分かるだろう。
もう一つ気づくことは、旧街道の方が、国道6号線よりも曲折していること。
これは、後でも触れるかもしれないが、江戸期の葛飾区は、湿地帯が多かったので、直線的な道を通すことができなかったものと思われる。

さて、葛飾区内の旧水戸街道という以上、出発点は、かつて金町~松戸の渡しのあった「金町関所」あたりということになろう。

IMG_5324.jpg
(「金町関所跡」。背後に見えるのが江戸川土手。以前に撮影。地図

この石碑があるのは、江戸川堤防の外側だが、江戸期(正確には明治2年)まで運営していた「金町関所」が実際にあった場所は、現在の江戸川堤防の下か河川敷であった(明治末期の江戸川改修のために跡地は消滅)。

江戸川
(江戸川。前方に見える街が旧松戸宿。この写真の、江戸川が左に曲がるあたりに「渡し」が通っていた。葛飾橋より撮影。撮影地点地図

つまり、現在では、河川敷には旧水戸街道に相当する道が存在しないので、私は、江戸川堤防の上の自転車道をしばらく走る。

すると、葛西神社手前の堤防下に次の写真のようなY字路が現れる。
この向かって右へ入る道路が、旧水戸街道の痕跡である。

IMG_0005_20101212085623.jpg
(堤防したのY字路・撮影地点地図

上の写真を撮影した地点の逆方向を見ると、そこは河川敷と江戸川の流れが広がっている。

IMG_0007.jpg
(江戸川河川敷。前方に見える街は松戸)

旧水戸街道は、ちょうどこの写真のアングル上に展開していたはずだが、今は跡形もない。

さて、自転車を担いで、土手の階段を降りて、この道を道なりに少し進むと、左側に葛西神社がすぐに見えてくる。
もちろん、この神社は、当時からここに鎮座していた。

IMG_0008_20101212091226.jpg
(「葛西神社」。12世紀末創建。撮影地点地図

その後、この道を道なりに進むと大通りに合流(地図)。
そのまま走ると、(「金町広小路」交差点あたりで)自然と国道6号線と合流する。
この先しばらく(約400メートル)は、旧水戸街道と現在の国道6号線は同一の経路をとる。

そして、「金町三丁目」交差点のちょっと先を斜め右に入る細い道が現れるが、ここが旧水戸街道との分岐点である(地図・交通量が多くてこの地点の撮影ができなかった)。

この通りに入ると、国道の戦争のような交通量が嘘のように少なくなるので、ほっとするであろう。
この道を道なりに800メートルほど西進すると、かわいらしい踏切が現れる。
これが、金町駅~小岩駅間を結ぶ「新金貨物線」である。

葛飾区内で踏切に出会ったら、そのほとんどが京成線のそれであるが、それが単線の踏切だったら、京成金町線か、この「新金貨物線」である。
しかも両線は、約1キロ強の間隔をもって、平行に走っているので、土地勘のない人には間違いやすいかもしれない。

この踏切名が、ここがかつての旧水戸街道であることを如実に証している。

IMG_0009_20101212155522.jpg
(「新金貨物線」の「浜街道踏切」・撮影地点地図

「浜街道」というのは、明治初期に「陸前浜街道」と命名された街道の略号で、現在の国道6号線の元となった路線。
江戸時代までの水戸街道と岩城街道を合わせて、日本橋~仙台間の街道を総称して「陸前浜街道」と呼ぶようになったようである。

さて、この踏切から100メートルほど進むと、大きな松の木と石碑がたくさん建っている場所が道の右側に現れる。
これまた、ここが旧街道だったことを示す縁(よすが)ではある。

IMG_2074.jpg
道路が拡幅整理された際に、あちこちで居所を失った旧水戸街道筋の石碑類が集められた場所・正面が北。地図

さて、旧水戸街道の道筋は、ここから劇的に屈曲している。
石碑類のある場所から一つ目の信号(三つ角・地図)を直進するのではなく、左折するのだ(ここを直進すれば、すぐに中川橋に出られるが、かつてはこの道は存在しなかった)。
左折して直進すると、国道6号線にぶつかるので、その歩道を右折する(地図)。
するとすぐに信号(「中川大橋東詰」)があるので、そこをまた右折(地図)。
すると、変形二股の道がすぐに眼前に現れるのだが、今度は左折(地図)。

IMG_2637.jpg
(その変形二股道の場所の写真。正面の大通りが国道6号線。撮影地点地図

200メートルぐらい進む(西進)と、道は右折するしかなくなるので、右折(地図)。
そして、さらに300メートルほど進む(北進)すると、信号機(地図)にぶつかるので、ここを左折すれば、中川橋(中川大橋ではない)の東詰に出る。

こんな風に、この場所で街道がコの字型に屈曲しているのは、かつてここに、たぶん中川が形成した三日月湖に由来する沼沢地があったからで、その沼を回避迂回するために道がこのような経路を取らざるを得なかったようである。

さて、中川橋は、かつての「新宿(にいじゅく)の渡し」のあった場所に架かっている橋である。

IMG_2505.jpg
中川橋・正面右の大建築物は亀有アリオ。地図

この橋を渡ると右側に「亀有アリオ」の巨大なビルがある。
200メートルほどで、環七とぶつかるが、そこは直進(地図)。

IMG_0010_20101213015247.jpg
(環七と交わる交差点。ここは直進。地図

ここからしばらく(約400メートル)の旧水戸街道は、商店街や亀有駅の近くとあって、交通量も多くて、多少自転車では走りにくいかもしれないが、葛西用水路との交差点(地図)を過ぎてしまえば、やや走りやすくなる。

IMG_3315.jpg
(葛西用水路と交わる交差点の歩道上にある「旧水戸街道 亀有上宿」の石碑・以前に撮影した写真。撮影地点地図

さて、ここからがやや難しい。
環七との交差点から約1キロほど直進すると、「西亀有3丁目」の交差点が現れる。

IMG_0012_20101213020053.jpg
(「西亀有3丁目」の交差点。地図

この交差点を左折するのではなく、ここは渡って直進する。
10メートルほど直進するとすぐ左側に斜めに入る細い道が現れる(地図)。
この道こそが、旧水戸街道なのである。

IMG_0015_20101213020505.jpg
(旧水戸街道。「西亀有3丁目」の交差点を10メートルほど直進すると左側に斜めに口を開いている。地図

これまで私がいつも間違っていたのは、「西亀有3丁目」の十字路をそのまま「正直に」左折してしまっていたからである。
こここそが、これまで旧水戸街道の追跡を失敗させた、私にとっての最大の「難所」であったのである。

ここをクリアーできれば、あとはそう難しくはない。

この細道を200メートルほど走ると、二股に道が分かれる所にぶつかる(地図)。
ここは右側の道を進むのが正しい。

IMG_0016_20101213022050.jpg
(二股に分かれる道は右側の道を行くべし。地図

この後、道は常磐線をかすめるようにして左回りに湾曲しているが、断固として道なりに進めばよい(地図)。
どうしてこのあたりの旧水戸街道が湾曲していたかと言えば、ここに葛西用水から分流した「西井堀」という水路が通っていたからであろう(現在もその跡が確認できる場所もあるが、暗渠化されてしまい分かりにくい)。
旧街道は、この西井堀の湾曲するのをほぼなぞるように付いている。
明治初期に陸軍調査部の作成した地図を見ると以上のことが分かるのである。

さて、この湾曲した道を走ると、次のような交差点(というか、現場にぶつかった感覚では、むしろT字路)に出る(地図)。
ここは迷わず、右折してほしい。

IMG_0018_20101213023700.jpg
(湾曲した道を進むとこの場所に出る。ここは右折すべし。地図

この後は、至って簡単で、荒川土手にぶつかるまで、断固として、直進すればよい。

直進すると、すぐに都道314号との交差点(「小菅3丁目」・地図)に出るが、迷わず直進。

IMG_0024_20101213024337.jpg
(「小菅3丁目」の交差点。直進すべし。地図。因みにここを左折すると、京成線「堀切菖蒲園駅」や堀切橋に出る)

やがて、前方に高速道路の高架群(小菅ジャンクション)が見えてくる。
そして、回りの大がかりな道路に比して、信じられないほど小さな橋が現れる。
これが、旧水戸街道中唯一の橋である「水戸橋」(地図)である。

IMG_0026.jpg
(綾瀬川に架かる「水戸橋」。西詰から撮影。地図

IMG_0030_20101213030231.jpg
(「水戸橋」。前方に見える巨大建築物は、小菅の東京拘置所)

IMG_0029_20101213030102.jpg
(かなり老朽化した橋。昭和30年完成。東詰)

IMG_0028.jpg
(水戸橋から南側を見ると、小菅ジャンクション)

さて、この水戸橋を渡って、さらに直進すると、前方に荒川の土手が見えてくる。

IMG_0031_20101213030925.jpg
(水戸橋から進行方向を見る)

そして、ついに、葛飾区内の旧水戸街道としては終点の荒川土手にぶつかることになる。

IMG_0032_20101213031006.jpg
(終点の荒川土手。地図

江戸時代には、もちろん、この大正時代に完成した荒川(放水路)は存在しなかったので、この土手を越えて、次の宿場町「千住」まで道が付いていたのだが、現在は水没して跡形もない。

IMG_0033_20101213031506.jpg
(たぶん、この土手の階段の下を旧街道は通っていたはずである)

私は、自転車を担いで、土手の階段を登ってみることにした。

IMG_0034_20101213031638.jpg
(土手の階段を上り詰めた所)

土手の上に上がると、広やかな荒川の流れと河川敷が眩しいばかりに視界に飛び込んでくる。
西方を仰げば、北千住の街が見える。

IMG_0035.jpg
(対岸に見えるのが北千住の街。おそらく、旧水戸街道は、このカメラアングルの方向に付いていたはずである)

南方を仰げば、南千住の街や、その向こうには、墨田の新電波塔も見える。

IMG_0036_20101213032639.jpg
(南千住の街と墨田の新電波塔)

こうして、葛飾区内の旧水戸街道を辿ってみて、亀有のあたりなどは多少自転車では走りにくいものの、少なくとも、国道6号線よりもはるかに走りやすいのは確かである。
これは即ち、江戸川サイクリングロードと荒川サイクリングロードをつなぐ、もう一つの抜け道になりうるような気がした。
また、9キロ弱の道筋だが、国道6号線と旧街道が同一の経路を取るのは、わずか400メートル余りしかなかったのは、意外でもあった。

メモ;
・「水戸橋」は、西側からの一通なので、東側から渡るときは、歩道を走るのがよい。私は、東側から車道に突っ込んで、クルマとぶつかりそうになった。
また、老朽化のため、現在架け替え工事が進行中であった。現在の橋をご覧になりたい方は、早めに訪ねてみることをお勧めする。

(この項、了)

テーマ:関東地域情報(東京 神奈川 埼玉 千葉 茨城 栃木 群馬 山梨) - ジャンル:地域情報
小さな旅(自転車)    Comment(2)   TrackBack(0)   Top↑

2010.12.10 Fri
母の肖像
今日は、通院のため、お袋が田舎から上京してくる日。
私は朝から楽しみでならなかった。
楽しみなのは、お袋と会えるからというだけではなかった。

実は、夏頃だったか、自転車仲間でもある画家の樽さんの作品に惚れ込んだ私は、ひとつ、お袋の肖像画を描いていただけないだろうかとお願いしていたのだが、本日、いよいよその完成品をお袋に見せることができる。
それが楽しみでならない。

先日の師走初めのある酒席で、樽さんと同席した際に、製作間近の作品の写真を私は見せてもらっていたのだが、まだ完成品の実物は見ていなかったので、なおさら楽しみだったのである。

母の肖像画を製作していただくにあたって、10月中旬に、樽さんに銚子までわざわざ足を運んでもらった。
お袋の人となりを知っていただくためである。
樽さんには、お袋と一緒に食事をしてもらったり、死んだ親爺の墓参りまで付き合わせてしまった(ついでに、この私とは、津波が起こりそうなほどの夥しい酒を一緒に喰らったり、レンタサイクルを借りて、銚子半島の、反吐が出そうなほどの激坂を登ってもらったりした)。

私は、かなり早めに、文京区の病院に向かうべく出発した(フジクロス)。
ちょっと速すぎたので、葛飾区内の旧水戸街道の全線を「探索」(これについては、別項を立てて、後日書くつもり)しながら、やや大回りして目的地の病院に到着。

段ボールで梱包された大きな荷物を持った樽さんが現れる。
その段ボールの中に封印されているのが、言うまでもなく、お袋の肖像画である。
樽さんとは、混み合った病院の待合室の、色気のないソファーに腰掛けて、ドイツ料理の話などをしながら、お袋が診察が終わるのを待つ。

お袋が出てきたので、三人で、神田川沿いの坂を下って、聖橋の袂(たもと)の階段を登る。
湯島聖堂を背景に、黄色い銀杏並木が映える本郷通りを曲がって、私の好きな神田明神前の蕎麦屋に入る。

神田明神は、ほぼ、私の通勤路にあるので、昨夏、お袋が手術のため文京区本郷の病院に入院していた際には、私は頻々と参っては、お袋の平癒を祈願したもので、これまで神に唾するような生活をしてきた私にしては、非常に珍しいことに、この神田大明神様には今でも深く感謝している。

蕎麦屋の小上がりに上がり込んで、ビールや鴨南蕎麦などを注文。
かくして、待ちに待った作品のご開帳である。

IMG_0038.jpg
(作品を開く樽さん)

いやいや素晴らしい!
やはり、実作品は、奥行きと迫力が違う。

肖像
(額に収められた、お袋の肖像画。もっと大きな画像をご覧になりたい方は、樽さんのブログのこのページをどうぞ)

犬吠埼の崖も、海面に立つ白波も、そして、お袋の立ち姿や表情も、描き込まれた夥しい微細な「肌理(きめ)」が、交響曲のように束になって、しかも、波状的に訴えかけてくるかのようである。
力というか、そこにその作品が確かに存在するという重力/引力というか・・・。

この作品を気に入ったのは、お袋や私だけではなかった。
絵を見ながら、ああだこうだ言っているわれわれに、お店のお姉さんや女将さんも気づいて、われわれの席にやって来た。
「すごいわねえ~、私も描いてもらおうかしら・・・」。

神田明神にお礼参りをする。

IMG_0142 (219)
(神田明神)

お袋と樽さんとは、聖橋口で別れる。

よかった!

私は、自転車に跨りながら、誰にともなく、声を出して言った。

走行距離:49キロ(フジクロス)

テーマ:関東地域情報(東京 神奈川 埼玉 千葉 茨城 栃木 群馬 山梨) - ジャンル:地域情報
日録    Comment(10)   TrackBack(0)   Top↑

2010.12.08 Wed
雨の日の通勤~ルーティーンな一日
朝起きてみると、案の定、雨だった。
天気予報どおりなのだが、やはり、冬の雨の日は気が重い。
今日の職場は、遠い方の杉並区永福だし・・・。

この悪天に対するせめてもの「面当て」に、いかにも「面倒臭そうに」(誰も見てないのだが)出かける準備を始める。
リュックには、ずぶぬれになった時のために、予備の手袋と靴下を入れる。
自転車用のウェアの上に、雨合羽を着込む。

約2週間振りにご登場願う、雨の日用通勤車のルイガノクロスのタイヤに空気を入れる(6.5気圧)。
このルイガノクロスは、メンテナンス不要の内装8段で、泥よけ付。
なるべくスリップしないように、タイヤも太めの25C(ルビノプロ)を履かせてある。
実は、ちょっとぐらいの雨ならば、普段通り、フジクロスで走ってしまうが、今朝の雨は本降りに近いので、ルイガノクロスに乗っていくことにしたのである。
平均して月に1~3回ぐらい、このルイガノ君のお世話になっている。
車体が重い(多分、13キロ以上)ので、気分まで重くなる・・・。

まだ、真っ暗な中、出発。
途中、東向島の100円ローソンで、いなり寿司とパンを購入。
しばらく走っていると、さっそく手袋(100円ショップのフェルト製)と靴に水がしみこみ始めるが、風がほとんどないのがせめてもの救いである。

「雨の日通勤ルート」(隅田川沿いの高速の下を通る経路のことを私はこう呼ぶ)をとるべく、白髭橋まで来て、ちょっとだけほっとする。
高速道路(首都高)が屋根の役割を果たしてくれるので、白髭橋から両国までは、ほぼ濡れずに走れるからだ。

水戸藩下屋敷跡のあたりで、雨宿りしながら、先ほど購入したパンを囓る。

IMG_0031.jpg
(隅田川沿いの首都高下で朝食を)

幸いなことに、両国まで来てみると、ほとんど雨がやんでいて、はるか西方には青空も見える。
両国から国道14号線→靖国通り→一八通りで内堀通りに出る。

平川門近くの濠端の公園で小休止。
ここで、雨合羽を脱いで、ウィンドブレーカーに着替える。

IMG_0032.jpg
(江戸城趾濠端の公園で休憩。正面に見えるのが平川門。雨の日は、リュックにレインカバーを被せる)

その後は、内堀通り→代官町通り→麹町→新宿通り(甲州街道)→旧玉川水道道路(都道431号角筈和泉町線)で職場に到着。
寒さ対策で下着を重ね着しすぎて、汗だくになってしまった。

どたんばたん、どうもうるさいと思ったら、職場の一部ビルが建て替えのため、クレーンで破壊されている最中であった。

IMG_0033_20101209002227.jpg
(破壊中の職場の建物)

そして夜8時、業務終了。
やっと帰れる!

腹が減ったので、大原交差点(環七×甲州街道)の牛丼屋で夕食をかきこむ。

新宿を抜けるのは、本当に嫌気がさす。
いつも渋滞しているし、必要以上に殺気立っているので、走っていて疲れてしまう。

IMG_0034_20101209002445.jpg
(夜の新宿中央公園付近)

工事中のため、四ツ木橋(国道6号線)が片側通行になっていた。
思えば、四ツ木橋の工事も、もうずいぶん長くやっている。
毎日お世話になっている橋なので、走りやすいように改修してほしいものである。

走行距離:60キロ(フジクロス)

テーマ:関東地域情報(東京 神奈川 埼玉 千葉 茨城 栃木 群馬 山梨) - ジャンル:地域情報
小さな旅(自転車)    Comment(4)   TrackBack(0)   Top↑

2010.12.05 Sun
この4日間~季節の移ろい
11月から12月にかけては、秋から冬への移行期である。

暦の上では、11月7日が立冬なのだが、関東では、まだ冬という気配は感じない。

しかし、東北では、暦通りの冬が始まっていた。
11月初旬、私は雨の中、山形県内の羽州街道筋を懸命に自転車で南下していた。

IMG_0081 (160)
(雨の山形県金山町)

東北の豪雪地帯では、本格的に雪が降り出す前のこの時期、雪囲いをするのが慣わしのようで、あちらこちらで、軒下に積んであった雪囲いのための部材を運んでは組み立てていた。
天候に恵まれずに、霙(みぞれ)まじりの雨にさんざん痛めつけられはしたが、関東に戻ってみると、嘘のように暖かくて、まだ指ぬき手袋でも自転車に乗ることができた。

IMG_0120 (199)
(最上川サイクリングロードの米沢付近にて・11月5日撮影)

しかし、11月の中旬ぐらいから、早朝の出勤時には、もう指ぬき手袋では辛くなったので、この時点で、私は、関東にも冬が到来しつつあることをはっきりと悟った。

指ぬき手袋が辛くなった頃からが、里でも紅葉が真っ盛りになる。

画像 006
(水元公園の紅葉・11月27日撮影)

上の写真を撮影した日に、水元公園でばったりお会いしたジャズさん(流山在住)のアンカーのフルカーボンロードの写真も載せておこう。

画像 009
(ジャズさんのロード)

そして今年も師走を迎えた。

書き損ねると、また億劫になってしまうので、この4日間(12月2日~5日)の記録を付けておこう。

12月2日(木)

白米がなくなりそうだったので、「かしわで」に買い出しに。
往きは、水元公園→二郷半領用水→大場川→流山橋→大堀川→「かしわで」(柏市)。
復路は、大津川から松戸を抜け、葛飾橋を渡って帰宅。

IMG_0002 (2)
(手賀沼で白鳥を見る)

午後からは、曇り空の水元公園を散歩。
紅葉も大分散り始めている。

画像 022
(水元公園の落ち葉・背景画像に使えそう・・・)

走行距離:59キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

12月3日(金)

明け方まで暴風雨が吹き荒れる。
9時ぐらいから急速に晴れ出すも、10メートル以上の南風が台風のような唸りを上げている。

昼下がり、出勤。
南西の強風の中、南西の方角にある職場(杉並区永福)に向かう。
なので、ずっと向かい風のため、いつもより30分ぐらい余計にかかった。
加えて、馬鹿暖かかくて、汗だくになってしまう。

画像 031
(江戸城趾・紀伊国坂付近)

IMG_0004 (4)
(千鳥ヶ淵)

うまいことビルに遮られて、逆風を免れて走っているようなときでも、横道を通過する際には、爆風のようなビル風の急襲を受ける。
舗道を歩いていた年配の女性が、足をふらつかせて転倒するのを目撃。
また、橋を渡るとき、やはり横からの強風で、私の前を走っていた自転車が横倒しに転倒(高校生だったので、よい経験になっただろう)。
新宿通り沿いの四ッ谷付近の交差点では、夕べの暴風雨で路肩に散り積もった落ち葉が、まるで竜巻のように舞い上がって、前を走っていたバイクが、忍法「木の葉隠れの術」を使ったかのように、私の視界から一瞬消え去った。
とにかくすごい風で、場所によっては、一生懸命立ち漕ぎをしても、時速10キロぐらいでしか走れない。

強風の都心を走る際に気をつけなくてはならないのは、このビル風である。
ビル風は、数倍の突風となって、ものすごい横風として襲いかかってくるからだ。
しかも、交差点付近が要注意。
交差点では、風も交差するので、複雑な動きを見せるし、高いビルに囲まれているため、ビル風の場合が多い。
他の自転車乗りの対応の仕方も観察した結果、横から突風を受けた場合、減速すると危ないということが分かった。
急な横風を受けた場合、自転車を風に向かって傾けるということは、誰でも本能的に行うのだが、同時にブレーキをかけて減速しようとしてしまう。
これが危険である。
突然猛烈な横風を受けたら、自転車をやや傾けると同時に、(余裕があれば、ギアを一段落として)思い切りペダルを踏み込む方がよい
風による横へ倒そうとする力が働いているので、ここで減速すると、どうしても横に倒れてしまう可能性が高い。
そこで、一層ペダルを踏み込むことで、前方への推進力を増加して水平を維持するという物理的な理屈になろうか・・・。

夕前とあって、新宿は大渋滞。
街の灯りは、クリスマス仕様になりつつある。

画像 033
(新宿の交差点)

仕事を済ませて、9時頃、帰路に着く。
往きとは逆に、ずっと追い風だったし、もう道が空いていたので、帰りは実に気持ちが良かった。

IMG_0006 (6)
(新宿通り・四ッ谷の交差点)

走行距離:69キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

12月4日(土)

今日は、昼下がりから仲間内の忘年会(すき焼き&おでんパーティ)があるのだが、折悪しく、私は土曜出勤(御茶ノ水)。
業務が終了するや、急いで千住の友人宅に駆けつけた。

御茶ノ水から不忍通りを北上して、谷中を抜けて、西日暮里駅を越え、町屋を通って、西新井橋を渡れば、その友人宅である(御茶ノ水からだと10キロぐらいしかない)。

この忘年会のためだけに、わざわざ九州から来てくれたBさんのウクレレとバイオリン。
Sさんの朝鮮琴の演奏。
ついでに、呑ちゃんも、学生時代に仕込んだバイオリンの演奏のご披露。

画像 039
(Bさんのバイオリンの演奏)

画像 037
(Sさんの朝鮮琴の演奏)

IMG_0747.jpg
(「ツィゴイネルワイゼン」?を演奏する呑ちゃん

私も、ウクレレやバイオリンの伴奏で、「生活の柄」(高田渡)などを歌った。

そして、♪所かまわず 寝たのです~♪

IMG_0755.jpg
(酔いつぶれて寝てしまった男性3人・Bさんはウクレレを抱えたまま眠っています)

とても楽しい忘年会だった。

走行距離:46キロ(フジクロス)

12月5日(日)

冬晴れの快晴。

お隣のだいさんご夫妻としゃあさんたちと、クルマ2台に自転車を積み込んで、葛西臨海公園に行くことに。
葛西のホームセンター駐車場にクルマを止めて、自転車で葛西臨海公園へ。

展望台の前で、nebanebaさんご夫妻とばったりお会いする。
お二人は、越谷から走って来られて、これから築地方面に向かうということ。
展望台をバックに写真を撮る。

画像 041
(葛西臨海公園展望台前にて)

思えば、nebanebaさんとお会いするのは、駅からサイクリングで一緒に銚子に行って以来(3月下旬)。
しばし歓談してお別れする。

IMG_0014 (14)
nebanebaさんご夫妻のコルナゴ)

われわれは、園内の鳥類の観察所や出島風の浜辺を散策した。

IMG_0016 (16)
(だいさんご夫妻の折りたたみ小径車)

画像 045
呑ちゃんの折りたたみ小径車)

IMG_0020 (20)
(海浜を散策)

海浜では、凧競技の練習をしている人たちがいて、その見事な技にしばし見とれる。
上下左右に「操縦」できる凧に驚く。

画像 050
(海浜で凧の練習をする人たち)

長閑な冬晴れの一日を有意義に過ごすことができた。

走行距離:13キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

テーマ:関東地域情報(東京 神奈川 埼玉 千葉 茨城 栃木 群馬 山梨) - ジャンル:地域情報
小さな旅(自転車)    Comment(4)   TrackBack(0)   Top↑

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。