日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2010.08.21 Sat
旅に出ます~日光→新潟→野沢温泉→高崎
本日から10日間ほど、自転車(ロードバイク)で旅に出ます。

もう少し早い時期に出発したかったのだが、いろいろあって、出発が遅くなってしまった。

前半は、イザベラ・バードが辿ったルートを走り、その後は、職務上の合宿に参加するため信州の野沢温泉に向かう予定。

イザベラの道については、日光まではあらかた走ってしまったので、今回は、日光が起点となる。
彼女の『日本奥地紀行』などをを手がかりに、日光から新潟までのルートを再構成してみた。
不明の点もあるが、ほぼこんな感じであろう。


(イザベラ・バードが1878年の夏に歩いた日光から新潟までの予想ルート。ただし、新潟に至る最後の部分は、彼女は阿賀野川を舟で下っているが、自転車では真似ができないので、陸路を走ることになる)

会津高原を越えなければならないので、ちょっと大変かもしれないなあ・・・。

これから6時20分浅草発の東武線で日光まで輪行して、日光から走る。
最初の一泊だけは予約してあるが、その後は、昨夏と同様、行き当たりばったり。

新潟まで走った後は、イザベラの道から離れて、北信州に向かう。
新潟からのルートは、まだ決めてないが、たぶん、新潟から信濃川を遡るように、野沢温泉へ(合宿2泊)。
合宿終了後は、千曲川沿いに上田、小諸、軽井沢を経て高崎辺りに出る予定。
途中には、碓氷峠という難所もある。

そうそう、その最初の一泊をする予定の宿が一風変わっている。
湯野上温泉(南会津・日光からちょうど100キロぐらい)にあるその民宿は、通称「パワフル・レイ子の宿」(「赤ひげ」)という所で、最初の1泊は、2食付で、何と2500円なのである。
昨日、電話したら、威勢のよい福島弁のオバサンが電話口に出て、まるで親戚みたいにフレンドリーに対応してくれた。

装備と自転車については、ほぼ去年と同じだが、本格的な合羽は持たないことにした(予備的に100円ショップの合羽を用意)のと、駆動系のパーツや工具類を若干軽量化したので、1キロ弱ぐらい軽くなったのではないか。

そうそう、山岳仕様に、スプロケをやや改造した。
14-25t(65アルテ9速)の25tを外して、マウンテンのスプロケ(スラム製8速)の26tに付け替えた(8速と9速のスプロケの厚さは、それぞれ、1.8ミリ、1.78ミリでほとんど同じなので、ギア板は互換性あり。変速はまったく問題ない)。

IMG_2854_20100821022051.jpg
(昨夏の装備。鳴子温泉峡にて)

今回は、去年よりも山奥を走ることが多いので、宿がなくて、野宿をしなければならないかもしれないが、防風衣を着て輪行用の自転車カバーにくるまって寝てしまおう。

去年と同様、旅先からは、「断腸亭画像投稿掲示板」に、一日一回は(呑ちゃんを通じて)書き込みますので、ご覧になって下さい。

では、行って参ります。
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2010.08.16 Mon
鮮魚(なま)街道と戦没者の慰霊
今年もやって来た8月15日。

参考までに、去年の日記を見てみると、「千鳥ケ淵戦没者墓苑」や「東京都慰霊堂」に行ったと書いてある。

そうであったか!
ならば、今年も、敗戦記念日には、やはり、自分なりの、戦没者の「追悼」に行かなければと早朝から心がざわついたが、如何せん、ものすごい猛暑で、なかなか出かける決心がつかない。

朝食を食べてしばらくごろごろしているうちに、良い考えが浮かんだ。
いっそのこと、「東京大空襲・戦災資料センター」・「千鳥ケ淵戦没者墓苑」・「東京都慰霊堂」の三箇所全部に行ってやろうというもの。

そうそう、ついでではあるが、明治期に江戸城趾濠端の競馬場跡に建設された「靖国神社」(千代田区)もすこぶる有名な追悼スポットではあるが、あそこには、私の尊敬する西郷隆盛や江藤新平が祀られていないどころか、実に不思議なことに、大日本帝国を滅亡に導いた連中が神のように崇め奉られているので、日本民族の端くれとして、私は、とても慰霊するという気分にはなれない。

但し、「靖国神社」の名誉(?)のために言っておくが、神社内にある「外苑休憩所」(飲み屋兼土産物屋)は、独特のうらぶれた雰囲気があって、大変にお薦めである。
枯れ葉舞う冬の夕暮れ時など、この店で、おでんを箸でグジグジとと崩しながらコップ酒を呷っていると、何と言うか、「赤色エレジー」や「昭和枯れすすき」のメロディーが聞こえてくるようで、なかなかの趣がある。

さて、去年の場合、通勤経路を使って、都心を抜け千鳥ヶ淵まで走ったわけだが、今回は、江戸期以降、銚子から日本橋河岸まで魚介類を運んだという、いわゆる「鮮魚(なま)街道」の経路を走ってみることにした。

「鮮魚(なま)街道」には、大きく分けると2種類のルートがあった。
1.銚子から舟で利根川を遡って、関宿を経て江戸川を下るコース。
2.銚子から舟で利根川を遡って、木下・布佐あたりで一端荷揚げして、陸路、馬で流山や松戸や行徳まで運んで、その後、舟に乗せるコース。
かなり大量の荷を運ぶわけだから、全行程を舟で移動する1の方が望ましかったわけだが、冬季などの渇水期には上流域の水量が足らない場合、途中、陸路を介する2のコースが使われたという。

鮮魚街道
(下総鮮魚街道関係地図。青木源内氏作)

どのコースを辿るにせよ、日本橋に至る最後の経路は、江戸川→新川→小名木川→日本橋川であったようである。

なので、今回私は、松戸(千葉県)を起点として、江戸川を下って、新川に入り、荒川(放水路)を渡って、小名木川に入り、隅田川を渡って、日本橋川を遡るコースを自転車で走ってみることにした。

ちょうど、小名木川沿いに「東京大空襲・戦災資料センター」があるし、日本橋から内堀を回りこめば、「千鳥ケ淵戦没者墓苑」も目と鼻の先だし、江戸城趾の高台から坂を下れば、すぐに「東京都慰霊堂」降り立つことができる。

まず最初に、今回私が走ったルート地図(松戸→日本橋)を示しておこう。


(「鮮魚街道」松戸→日本橋)

8時過ぎ、ロードバイクで出発。
先ずは、江戸川を渡って、起点の「納屋河岸」(松戸)に向かう。

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(江戸川沿いの「納屋河岸」)

現在は、高い堤防が築かれているので江戸川は見えないが、当時は、陸路運んできた鮮魚を舟に載せた場所である。

ついでだが、この川筋のほんのちょっと下流には、(水戸街道中)松戸宿の入口(高札場跡)がある。

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(「是より御料松戸宿」の記念石碑)

ちょうどこの辺りに、金町~松戸の渡しがあったのだという。

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(江戸川土手から記念石碑を見下ろしたところ)

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(渡し跡付近から対岸の金町をのぞむ)

因みにその対岸付近には、「金町関所跡」がある。

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(「金町関所跡」。5月頃撮影)

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(「金町関所跡」の説明板。5月頃撮影)

さて、私は、葛飾橋を渡って、江戸川サイクリングロードの右岸(西岸)を走る。
休日は、自転車や歩行者が多いので、私はサイクリングロードを避けることにしているのに加えて、夏は、日陰が少ないので、なおさらサイクリングロードは走りたくないが、今回ばかりは、川筋のルートを辿らざるを得ない。

少し南下すると、右側に、「葛西神社」(12世紀創建・旧水戸街道沿いに位置する)のこんもりとした杜が見えてくる。
江戸時代には、ずっと土手が低かったはずなので、江戸川を航行する舟からもこの神社がよく見えたはずである。

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(江戸川サイクリングロード右岸から見た「葛西神社」)

前方(南)には、常磐線と新葛飾橋(国道6号線)が見てくる。

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(土手から見える常磐線と新葛飾橋。対岸は松戸市。橋をくぐるサイクリングロードは自転車が一杯。)

二本の鉄橋をくぐると、寅さんの映画にもよく出てくる「金町浄水場」の取水塔が見えてくる。

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(金町浄水場の取水塔)

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(「寅さん記念館」裏手の柴又公園でトイレ休憩・自販機がなくなってしまい、不便になった)

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(川辺のこんもりと緑が繁っているあたりに「矢切の渡し」がある。前方の鉄橋は北総線)

さらに江戸川を下っていくと、対岸に、江戸期以来の景勝の地「国府台(こうのだい)」が見えてくる。
ここを舟で行き交う人々も、川辺まで迫る国府台の崖を仰ぎ見たはずである。
縄文時代には、このあたりが江戸川の河口部であった。

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(「国府台」千葉県市川市。大和政権期に、この台地の上に国府が置かれていたことに由来する地名)

ここまで書いて、かなり面倒くさくなってきたので、以下、写真を軸に書くことにしよう。

妙見島のやや手前に、新川の口が開いている。

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(江戸川に浮かぶ妙見島)

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(新川が江戸川に注ぎ込む地点)

ここから新川沿いの道をを西へ西へと遡る。

少し走ると、新川沿いには、遊歩道が現れて、なかなか趣が出てきて、自転車で走るのが楽しい。
とりわけ、新しい木造の橋は、どれも美しくて、どうしても、自転車を止めて、写真を撮りたくなる。

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(新川に架かる木橋1)

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(新川に架かる木橋2)

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(新川に架かる木橋3)

そして、新川は、中川とぶつかって見えなくなる。
新川が中川と合流する地点には、復元された火の見櫓がそびえていた。

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(中川の堤防に建つ火の見櫓)

江戸時代には、舟は、中川を渡ってほほ対岸の小名木川に入ったわけだが、今は、中川の隣りに大きな荒川(放水路)があるので、それも渡らなければならない。

しかも、私の自転車は水陸両用ではないので、ちょっとだけ下流に迂回して、中川と荒川を船堀橋(自転車にとってはあまり渡りやすい橋ではない)で渡る。

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(荒川に架かる船堀橋を渡る)

荒川土手の遊歩道を南下する。
遠く対岸に、先ほどその下を通った火の見櫓が見える。

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(対岸の火の見櫓がかすかに見える)

小名木川は、正確に言えば、荒川に直結しているのはなくて、中川に接続している。
中川から小名木川に入る所に、江戸時代には「中川番所」があった。

中川番所
(江戸期に描かれた「中川番所」)

IMG_0088_20100820173321.jpg
(番所があったと思われるあたり・小名木川の方から見る。突き当たりの川が中川)

(この項、続く)

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2010.08.12 Thu
銚子~炎天紀行
所用があって、銚子まで走る。

朝まだき、アートサイクル(ACと略す)のクロスバイク(フラットバーハンドルのロードコンポ9速仕様・鉄製)で出発。

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(ACクロスバイク・神田にて雨宿り中)

ロードバイクでなくて通勤用のACクロスバイクを選んだのは、以下の2つの理由からである。

1.しばらくこの自転車に乗っていなかったから。
2.つい最近、駆動系などを少し改変したため、その乗り味の変化を試したかったから。
  ・右クランク及びギア板を交換(ソラ→ティアグラ)
  ・左クランクを交換(ソラ→新105)
  ・BBを交換(ティアグラ→旧105)
  ・後変速機を交換(ソラ→ティアグラ)
  ・後輪のタイヤを交換(ルビノプロ23C→IRCレッドストーム・ストリート23C)
  ・前輪を交換(シマノWH-R500→WH-R500A[幻のエアロスポーク版])

結論(使用実感);
変速性能はまったく変化なし。結局、私の実感では、ソラからアルテまでは、変速性能は全部同じだと思う(デュラは使ったことがないが、たぶん同じであろう)。コンポグレードの差は、若干の重量。一番違うのは、価格である。
IRCレッドストーム・ストリートは、エンゾ早川氏ご推奨のタイヤ。
氏の、実に自意識過剰かつ情緒不安定な文章には辟易とさせられるが、所々に鋭利な直感力あり。
耐パンク性能には不安(66TPI)があるものの、しっとりとした吸い付きが心地よいタイヤだと思った。
WH-R500Aは、前後輪セット新品を破格の6千円で落札。しかし、横風のためか、エアロ効果は実感できず。

水元公園→江戸川サイクリングロード右岸→流山橋→手賀沼サイクリングロード(手賀川)→木下→利根川サイクリングロード。

今年の夏は、近年、記憶にないぐらいに暑い。
手賀沼に着いた7時半頃には、既に大分気温も上がってきて、暑くて苦しくなってくる。
まるで身体の中で、石炭が燃えさかっているようだ。

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(僅かな日陰を見つけて休憩・印旛水門にて・地図

いつものように、長豊橋をトラックに追い立てられながら脱兎の如く走り抜けて利根川左岸に出る。

今回は、いつも気になっていた神崎明神に寄ってみたいと思っていたが、暑さと横風のためあまりにも疲労が激しいので対岸から写真を撮るだけで先を急ぐ。

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(神崎明神のある台地を対岸より撮影・北から見た風景)

ついでに、赤松宗旦著『利根川図志』(岩波文庫)に掲載されている神崎明神の挿絵も引用しておこう。

神崎明神
(赤松宗旦著『利根川図志』に掲載された神崎明神の図・東から見た風景・岩波文庫版306-7頁参照)

空腹を覚えたので、水郷大橋を渡って右岸(南岸)に出て、最近できたという「道の駅 水の郷 さわら」に寄ってみることにする。

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(「道の駅 水の郷 さわら」。トイレ・ゴミ箱・喫煙所もあり)

ここ佐原の利根川沿いに道の駅ができたのは大変にありがたい。
水元(葛飾区)を早朝に立つと、佐原に着くのはまだ街中の食堂が開く前なので、仕方なく国道356号沿いの、不味くて高いのが相場のファミリーレストランなるものに入らざるを得なかったが、ここ道の駅の食堂は10時開店なので、早めの昼食をとるのにちょうど良い。
また、サイクリングロードに接しているので、自転車乗りにとっては願ったり叶ったりでもある。
さらに、この道の駅の珍しい特徴は、遊覧船の発着基地でもあることで、自転車・クルマ・舟という三態の交通手段にとっての「駅」であることだ。

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(利根川沿いに遊覧船の船着き場もある)

食堂および地域産物直売所が収まっている棟が中心施設で、地域産物直売所では、野菜果実や穀物類のほかに、すぐに食べられる弁当やパンの類も売られているので、自転車乗りにとっては、大変にありがたい。

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(かなり広い地域産物直売所。スイカや葡萄等の試食コーナーも充実)

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(食堂)

また、レンタサイクル(300円)やカヌー体験(無料)などの施設もあるようで、多彩な楽しみ方も可能である。
さらに、クルマの駐車場も無料なので、たとえば自転車を車載して、佐原の街や香取神宮などをゆっくりとサイクリングすることだってできる。

空腹な私は、さそっく食堂にて、鰻丼セットを注文。

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(鰻丼セット。1200円ぐらいだったかな。味はまあまあ)

こうして、道の駅で1時間ぐらい休憩した私は、蜃気楼が立つかのような、炎天のサイクリングロードを走り出す。
休憩している内に、風が東寄りに変化して、しっかりと真向かいから逆風が吹いており、ここから銚子までの道程が実に辛かった。

13時半頃、やっと銚子市街地に到着。

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(利根川と、架け替え中の銚子大橋)

折しも、銚子は「みなとまつり」の開催日で、あちこちから祭囃子が聞こえてくる。
市街地は交通規制が敷かれて、場所取りのブルーシートや露店の準備に忙しい。

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(祭りの準備・旧渡船場付近)

祭りの準備の賑々しい雰囲気に接すると、まるで疲れが吹き飛ぶような心持ちがして、このまままっすぐに実家に行かずに、やはり灯台の方まで走ってみたくなる。

駅前の交差点で信号待ちをしていると、後から誰かが声をかけてきた。
「これは、何かのお祭りなんですか?」。
振り向くと、白いロードバイクに乗った若者で、ニコニコと笑っている。
「はい、花火大会ですよ。銚子の花火大会は伝統があって、なかなか見物なんですよ」と私。

駅前のトイレでその若者と話をする。
20歳ぐらいに見えたのだが、聞けば、柏の高校生で、今朝、私と同じく利根川サイクリングロードを走って、銚子まで来たのだという。
彼の愛車は、インターマックスのアルミ製ロード(2×8速)。
大きなリュックを背負っていたので、何が入っているかと思ったらテントで、今夜は、どこかで野宿するつもりだという。
銚子はこれが初めてで、道がよく分からないというので、私が案内役を買って出る。

利根川河口や魚市場などに寄りながら、銚子半島を海沿いに犬吠埼の灯台へ。

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(犬吠埼灯台。赤い服を着ているのが柏の高校生ライダー)

今夜の野営地が気になるというので、食堂の女将などに聞き込みをする。
昔は、君ヶ浜キャンプ場というのがあったはずだが、現在はないという。
結局、君ヶ浜の浜辺の一角にテントを張ることに決めて、彼も一安心。

その柏の高校生、かなり「飢餓」状態のように見えたので、岬の食堂で、ちらし寿司をご馳走することにした。
自転車のこと、部活(吹奏楽部)のこと、受験のことなどを話しながら、一緒に食事をする。
昨夏、彼は仙台までツーリングしたという。
私も、去年、ほぼ同じ経路(陸前浜街道)を走ったのだが、聞いてみれば、ちょうど同じ頃、二人とも「勿来(なこそ)の関」あたりでうろうろしていたことが分かって感動する。
私は、感動の余り、これから一緒に酒でも飲みに行こうと思ったが、生憎、相手は高校生なのでやめておいた。

食事の後、彼と握手をして別れる。
その時、銚子の私の実家に泊まらないかという言葉が口元まで出てきそうになったが、せっかくの「天然の旅情」を汚(けが)すことになるかもしれないので、こちらも、やめておいた。

夜は、お袋と銚子テレビで花火を観賞しながら、鰹の刺身と鰯の塩焼きで一杯。
昔は、家の二階から花火が見えたものだが、家が建て込んでしまって見えなくなってしまったとお袋が述懐していた。

2日目

昨日は、かなり疲れていたのか、8時過ぎには床に入って、朝は7時近くまで寝ていた。

新盆の親戚の家にお線香をあげに行く。
廻り灯籠を配した煌びやかな祭壇に驚く。

お袋と親爺の墓参りをするために自転車で出かける。
お袋は、24インチママチャリの電動車。
私は、24インチママチャリの非電動車。
電動車を買って一年。
お袋は、自転車に乗るのがすごくうまくなって、私は付いて行くだけで大変である。
長らくバイクに乗っていたせいで、きちんと車道の左側をすいすいと走っていく。
寺に上がる急坂も、お袋はぐいぐいと上がっていってしまう。
私は、汗だくになって、立ち漕ぎをする。

墓の掃除をして、線香をあげる。
ヤブ蚊の猛襲で、合わせる手も落ち着かない。

昼飯時になったので、また、お袋と自転車で出かける。
さっきは苦労したので、私はクロスバイクで出かける。
しかし、クロスバイクだと、今度は速すぎてしまって、気がついてみると、お袋はかなり後方で喘いでいた。
利根川沿いの「かつ膳」でトンカツ定食を食べる(かなりウマイが、やはり、銚子でトンカツと言えば、ココでしょう)。
最近、昼食時にビールを飲まない私をお袋は心配する。
どこか身体が悪いんじゃないかしらと。
そうそう、自転車に乗るようになってから、昼間にビールを飲まなくなったのだ。
以前は、朝から焼酎のストレート(起きがけの一杯)を飲んでいたのだが・・・。

午後、お袋はお昼寝タイムなので、私は、着替えて自転車で銚子半島を探訪するために出かける。

今回は、特に目的がないので、取りあえず、外川方面へ。
以前から気になっていた高神(たかがみ)地区を探索することに。

外海に面する高神地区は、ほとんど米軍の空爆を受けていないので、古い銚子の家屋が数多く残っている。
江戸初期までの銚子は、後年、利根川沿いの飯沼地区が栄えることになるものの、ほぼ間違いなく銚子の中心だったはずである。

ここの地区には、紀州伝来の海洋文化の香りを強く感じる。
今回気になったのは、至る所にある立派な石塀(ないしは石垣)である。

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(高神の石塀)

この石塀の石は、銚子半島の突端部で産出する砂岩で、比較的切り出しやすいのが特徴である。
たぶん、高神の集落には、以前は、こういう立派な石垣がたくさんあったが、後年、取り壊されて新式のブロック塀に置き換えられたものと思われる。

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(古い石塀の後に、新しいブロック塀が継ぎ足されている例)

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(相当に古い石塀の上に大木が繁ってしまった例)

また、古い時代の銚子半島には、ここ高神地区と小畑(こばたけ)地区に古道が存在した遺物を数多く発見することができる。

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(古道)

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(古道。渡海神社の脇)

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(古い四辻跡)

その後、懐かしい「龍の滝」に行ってみる。

「龍の滝」というのは、銚子の人しか知らない小さな滝で、洪積台地から滲みだした地下水が流れ落ちている所。

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(「龍の滝」入口)

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(「龍の滝」)

中学生の頃は、ここを自転車で通りかかったりすると、必ず立ち寄って、滝の水をがぶがぶ飲んだものだ。
それかどうか、私の胃袋には、ピロリ菌が一杯いる。
冷たくて気持ちよい水だが、お腹を壊すとまずいので、今回は飲まずにおいた。
私も歳をとったものである。

この「龍の滝」の激坂は、高校のマラソン大会のコースであると同時に、地元の野球部やラグビー部の部員にとっては、恐ろしいしごきの場でもあった。
「龍滝(りゅうたき)に行くぞー」と言われたら、それは、地獄に行くことを意味した。

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(「龍の滝」の激坂)

最初から34×25tに入れて、この坂を登ってみる。
暑くて辛い!
やはり、「龍滝」は地獄である。

台地の上を回り込んで、国道126号への坂を下る。

その坂の途中に、我が母校「市立銚子高等学校」の入口がある。

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(「市立銚子高等学校」の入口)

高校時代は、毎日、この激坂を自転車(ブリジストンのロードバイク)で漕いで登ったものである。
まるで、渡り鳥シリーズの小林旭よろしく、ギターを背中に背負って登ったこともあった。
坂を登るのが大儀で、自転車を麓の寺の境内に止めておいたら盗まれたことがあった。
大焦りで、家に帰ってみると、何故か、家の前に私の自転車が放置されていた。
後で、友人のいたずらであることが分かった(番号式の鍵のナンバーを、その友人は知っていたのである)。

坂を下った勢いで、国道126号を滑走して、再度、市街地に出る。

駅前の目抜き通りには、御輿が出ていた。

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(銚子市街地を練り歩く御輿)

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(銚子電鉄の軌道とヤマサの醤油工場)

ヤマサの工場の裏手には、引き込み線の「旧国鉄貨物船駅跡」があって、現在は公園となっている。

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(現在は公園となっている「旧国鉄貨物船駅跡」)

銚子に占領軍が進駐した際に、関東中の旧日本軍の武器弾薬がこの貨物船で銚子まで運ばれて、海洋投棄されたのである。

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(「旧陣屋跡」。この石碑の「旧陣屋跡」の文字は、何と、当時内閣総理大臣の岸信介の筆による。A級戦犯に銚子市民の税金が支出されたと思うと、何とも恥辱的である)

銚子を擁するいわゆる東総地域(千葉県北東部)は、江戸期には、ほとんどが幕府直轄の天領であったが、銚子半島の一部だけが、何故か、高崎藩の飛び地であった。
上掲の「旧陣屋跡」とは、その高崎藩の経営する陣屋があった所である。

戦争中、米軍の空爆で焼け野原になってしまい、現在は跡形もないが、戦前には、江戸期の風情がまだ残っていたという。

現在は、児童公園となっている。

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(児童公園となっている陣屋跡)

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(旧陣屋跡の説明板)

大して走っていなかったが、暑くて疲れてきたので、家に帰って、お袋と讃岐うどんを食べて寝る。

3日目

降ったりやんだりの一日で、お陰で涼しかった。

夕方、東京で用事があるので、どこにも立ち寄らずに、ひたすら利根川筋を走る。

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(国道356号バイパス)

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(利根川サイクリングロード東端)

水郷大橋のあたりから本格的な雨降りになるが、濡れたしりから乾くので、涼しくてかえって気持ちがよい。
旧木下街道沿いの蕎麦屋で昼食。

手賀沼に着いた頃には完全に雨が上がって、蒸し暑くなってくる。

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(手賀川にて)

やっとのことで水元の自宅にたどり着いたときには、もうくたくただったが、シャワーを浴びてしばらく休憩。
八丁堀方面に用事があるので、すぐに出かけたのであった。

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(明治期の銚子地図)

追記;フラットバーハンドルは、やはり、長距離を乗ると応える。手が痺れてくる。80キロぐらいまでならよいが、それ以上は、ドロップハンドルのがずっと楽である。

走行距離;
1日目:140キロ(水元→銚子+銚子半島一周)
2日目:40キロ(銚子周遊)
3日目:128キロ+2キロ(銚子→水元)

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