日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2009.12.29 Tue
年末の銚子行3~香取神宮・木下貝層
往きは内陸ルートだったので、帰りは是非とも、利根川ルートを走りたかった。
幸いにも、北風の微風という予報だったので、利根川筋を走ることにする。

しっかりとした朝食を食べて、7時半頃、出発。
お袋が玄関先まで、見送ってくれた。

利根川に出てみると、気味悪いぐらいに風がない。
実に、珍しいことである。
川面(かわも)が、油を流したように凪いでいる。

IMG_3624.jpg
(利根川の下流方向を眺める・前方に見えるのが銚子大橋)

IMG_3626.jpg
(利根川・対岸に見えるのは茨城県波崎町)

銚子市街地から15キロ走ると、「大利根自転車道」東端にたどり着く。
(なお、利根川ルートについての詳しい道案内については、「断腸亭流・利根川図志」をご参照のこと)。

IMG_3628.jpg
(利根川サイクリングロード東端)

曇っているので、やや寒さが応える。
しかし、大気は澄み切っているようで、はるか北の地平線には、筑波山の山容を望むことができる。

IMG_3629.jpg
(地平線には筑波山)

今日は、途中、「香取神宮」に寄っていくつもりだったので、小見川大橋を渡らずに、そのまま右岸(南岸)の自転車道を走る。
小見川大橋の手前から北風(実質的には向かい風)が強くなってきて、スピードが落ち始める。

やがて、川に向かって大きな鳥居が立っている場所に辿り着く。

IMG_3631.jpg
(川に向かって立つ大鳥居)

土手の反対側に降りて、この鳥居を見上げると・・・、

IMG_3632.jpg
(「津宮鳥居河岸」)

ここが有名な「津宮鳥居河岸」で、利根川から香取神宮を詣でる者にとっては、一の鳥居ということになる。

じゃあ、ここから入れば香取神宮に簡単にたどり着けるはずだと思って、土手を降りるが、まっすぐ南に下る道がないので、しばらく土手下の道を北上して、信号のある交差点に出る。

せっかく一の鳥居があるのに、どうして参道に当たるまっすぐな道が付いていないのか、不思議である。
手元の14万分の1の地図(『ツーリングマップル』のコピー)では、埒があかないので、とにかく方位磁石で南に進路を取ると、やがて香取神宮の標識が見えてくる。
標識の示すとおり進むが、この先に下総でも、否、東国でも最大級の神社がありそうもないような田舎道に入ってしまって、道に自信がなくなったので、ジョギング中の、私と同年配ぐらいのオジサンに、道をたずねると、目の前の細い道を上がって行けば、神社の側面に出られますよということだった。

礼を述べて、フロントをインナーギアに入れて、私はその急坂を登りはじめる。
ところが、これがものすごい心臓破りの坂で、登り切った時には、息も絶え絶えになる始末・・・。

IMG_3633.jpg
(神社に上がるものすごい坂)

登ってみて分かったのだが、神社の参道入口の方から接近すれば、何も坂を登る必要がなかったのだ。
ただ、その場合、佐原市街地の方から入らなければならないのだが。

とにかく自転車を止めて、香取神宮で、「前倒し」の初詣をすることにする。

IMG_3634.jpg
(香取神宮の「総門」)

香取神宮に来るのは、今回で、たぶん、10回目ぐらいで、自転車で来たのは、2回目。
実は、最初に自転車でここに来たのは、今から35年以上昔の中学生の頃。銚子から、友だち数名と共に、自転車で来たのだ(私が当時乗っていた自転車は、セミドロップハンドルの5段変速)。
銚子からここまでの距離は、約45キロ。つまり、往復90キロぐらいになる。
よく走ったものだ。
その時は、銚子大橋を渡って、国道124号を走ったのを覚えている。
どうしてそんなルートを取ったのか、今もって、不思議である。
すれすれに爆走する大型トラックが怖くて、帰り道が非常に辛かった記憶がある・・・。

だから、香取神宮は、私にとって、そう珍しいものではないが、腐っても「神宮」。
江戸期までは、「三神宮」と言えば、伊勢・鹿島・香取の神宮を意味したわけで、大変に由緒ある神社なのだ。

IMG_3636.jpg
(香取神宮の「桜門」)

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(香取神宮の拝殿・輪くぐりがこの時季にあるのは変なのではないかと思うが、どうなのか?)

その創建は、驚くべきことに、紀元前643年というが、これは『日本書紀』の神武18年から換算された年代で、これでは明らかに古すぎる。
この地域における紀元前7世紀と言えば、ほとんど、縄文時代みたいなもので、まだろくすっぽ弥生文化も根付いていない時期である。
普通に考えれば、どんなに古く見積もっても、(紀元後)6世紀後半以降というのが順当ではなかろうか(これでも古すぎるかも)。
つまり、ここには、千年ほどの「鯖読み」があると見てよい。

拝殿に参拝した私は、自転車に乗って神社の「麓」まで降りて、参道の入口に立つ。

IMG_3638.jpg
(香取神宮の参道入口・ここから入れば急坂を登る必要なし)

参道沿いの店は、初詣を数日後に控えて、その準備に忙しそうである。
まだ午前10時代ながら、食堂も開店していたので、何か食べたい気もしたが、観光地の食堂には入りたくなかったので、香取神宮を後にして、佐原市街地を目指す(結局、国道356号沿いのファミレスで早めの昼食)。

IMG_3639.jpg
(佐原市街地・古い街並みが保持されている)

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(佐原の市街地・煉瓦造りの旧金融機関のビル)

佐原の街を抜けて、再び、利根川サイクリングロードに出て、水郷大橋を渡って、左岸(北岸)に出る(小見川大橋から水郷大橋までの利根川サイクリングロードは、茨城県側(左岸・北岸)の方が舗装状態、景色、トイレの有無等において良好であることをここに書き留めておこう)。

IMG_3642.jpg
(利根川サイクリングロード北岸の、水郷大橋よりやや上流付近・北岸には、長閑な田園風景が広がる)

こうして、いつものルートで利根川サイクリングロードを木下で降りる。
木下の街に入ってから、疲労を感じて、どこかで一休みしようと、木下の街を徘徊していたら、「木下貝層・国指定天然記念物」の標識柱に出くわす(地図)。
一帯がちょっと公園風になっているので、ここを見学しがてら、休憩を取ることにした。

標識の傍らにある階段を登ってみると、立派な貝層が見えてきた。

IMG_3645.jpg
(「木下貝層・国指定天然記念物」)

2~3メートルの貝殻の地層が剥き出しになっている。
立派な説明板が立っていたが、それによると、12~3万年前の地層だという。
貝層の上の赤い層は、いわゆる、「関東ローム層」であろう。

IMG_3644.jpg
(「木下貝層・国指定天然記念物」の説明板)

これによると、12~3万年前の千葉県は、下総も上総もあらかた海中にあって、安房しか存在しない。
このあたりに人類が進入してきていたかどうかも怪しいぐらいの太古の時代のことである(既に日本列島に人類がいたことは確かではあるが)。

この後は、いつもの手賀沼→大津川ルートで帰宅した。

途中、「道の駅・しょうなん」で、おにぎり2個を食べて休憩した。
道の駅は、暮れ仕様になって、広場では、みかんや花が売られていた。

IMG_3646.jpg
(年末の道の駅・しょうなん)

今年も恒例の年末銚子行を実行することができた。
これで、つつがなく、新しい年を迎えられそうである。

走行距離:136キロ(ロードバイク)
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2009.12.28 Mon
年末の銚子行2~銚子半島廻り・粟島台遺跡・円福寺五重塔・犬吠埼怒濤巡り
夕べは、疲れてしまって、「坂の上の雲」も見ずに寝てしまったので、夜明け前に目が覚める。
銚子名物の強風に、雨が混ざっているようで、鎧戸を打ちつける雨音が何とも寒々しい。

昼近くになって雨が小降りになったので、(お袋の)24インチママチャリで買い物に出かける。
自転車で家から10分ほどのところにある大型スーパーに行って、餃子の具材(お袋が食べたいというので私が作ることにした)やトイレットペーパーなどを買い込む。

この大型スーパーがあるあたりは、私が銚子にいた頃(30年以上前)は、あたり一面が湿地帯(谷津)だったところである。
最近になって、そこを埋め立てて、この大型スーパーが建てられたわけである。

IMG_3586.jpg
(湿地帯を埋め立てて出来たスーパー)

この湿地帯を包み込むように、微高台地が取り巻いているのだが、その台地のことを「粟島台」と呼んでいて、昔から、この台地一帯には、縄文時代の遺跡があることが知られている。

IMG_3587.jpg
(「粟島台遺跡」・現在は、銚子名物のキャベツ畑になっている)

「粟島台遺跡」については先達による、次のサイトで、私の書きたいことは、ほぼ言い尽くされているので、そちらをご覧いただきたい。

http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/isekivisit/awashimadai.html

この遺跡からの出土品で注目に値するのは、琥珀と漆塗土器であろう。
漆塗土器は、東北の縄文遺跡からよく出土するもので、意外にも、縄文期の銚子は、東北とのつながりが深かったことが想像される。
また、知る人は少ないが、古代の銚子は、琥珀の産出地だったのである。

実は、高校生の頃、この遺跡の発掘を見学しに行ったことがある。
私の高校の考古学部が、かなり大がかりなその発掘にかり出されたので、まあ、陣中見舞いに行ったという程度ではあったが。
このあたりは、何と地中から3メートルぐらい掘り下げられて、考古学部の私の友人は、穴の下で、泥だらけになりながら作業をしていたのを、考古学少年だった私は、興奮しながら観察していたのをよく覚えている・・・。

ここに縄文人が暮らしていた頃の銚子の姿(地形)は、現在とはかなり違う。

縄文関東
(約6千年前の関東地方・霞ヶ浦河川事務所作成)

以前にも書いたように、当時は、利根川・霞ヶ浦・印旛沼・手賀沼は一続きになって、東京湾に匹敵するほどの、広大な内海(「香取海」)を形成していた。
現在、自転車乗りが、サイクリングロードだなんだと嬉しがって走っている低地のほとんどは、当時は、「海中」にあったことになる。

たとえば、現在の利根川河口付近の川幅は、約1キロであるが、当時は、10キロ弱ほどもあって、これはもはや「川」ではなく、「湾」というに相応しいものである(当然、海水もしくは汽水であったにちがいない)。

利根川河口域は、江戸時代以降こそ「難所」であったものの、上代ぐらいまでは、船が航行するのにきわめて適していたと思われる。
そう考えないと、畿内の勢力が、かくもやすやすと利根川筋から関東に流入してきたこと(たとえば「龍角寺古墳群」・鹿島神宮・香取神宮など)の説明にはならないかもしれない。

今夜は、近くに住んでいる叔母たちも招いて、餃子大会をやらかすことにする。
私は、葱やキャベツを刻んで、餃子の下拵えをする。

昼時になったので、お袋がお薦めのイタリアン・レストラン「ワイズキッチン」(Y’sキッチン)に行くことにする。
その店は、家からだと、ヤマサ醤油工場裏手の公園の側(そば)にある。
歩いても、20分ぐらいだが、お袋と自転車で行くことにする。
図らずも、これが、生まれて初めてのお袋とのポタリング(のんびりサイクリング)になった。

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(お袋の電動自転車と24インチママチャリ)

この秋に購入したお袋の電動自転車(24インチ)だが、私が物置から出そうと持ち上げると、信じられないぐらい重い!
25キロぐらいはありそうである。

お袋に「重いなあ、この自転車」と言うと、お袋は「え~、全然重くないよ」と言う。
どうして重くないとお袋が言うかと言えば、この春までずっと原付バイクに乗っていたお袋からすれば、「軽くて驚いた」そうなのである(なるほど)。

二台連なって、出かけるが、お袋の電動自転車、早いのなんのって・・・。
坂でも、びゅ~っと上がってしまうし、バイクに乗り慣れているせいか、お袋は、車道の左側を軽快に走り抜けてゆく。
私は、ぜいぜいしながら、漕いでも漕いでも進まない24インチママチャリで、懸命に追跡した。
いや~、電動自転車というのはすごいものである。

レストランでは、1500円ぐらいのランチセットを食べる。
かなりうまい(特に魚介系)。

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(ペスカトーレ・スパゲッティ)

自転車で銚子にツーリングに来る人にも、ここは、お薦めである。
分かりやすい所にあるし、自転車も止めやすいし、大人数でも大丈夫。

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(広々とした店内)

美味しいお昼ご飯をいただいて、家に戻る。
お袋は、昼寝をするというので、私は、ロードバイクで出かけることにする。
夜は、私が餃子を拵えなければならないので、あまり時間がない。

利根川から、銚子半島を時計回りに一周することにする。
さっきまで24インチママチャリ乗っていたので、ロードバイクで走ると、まるで、自転車に羽が生えたのではないかと思われるほどに軽快である。

まず、最近出来たという「円福寺」(8世紀創建)の五重塔を見に行ってみることに。
「円福寺」は、銚子の人からは「観音様」と呼ばれて親しまれている場所で、現在こそ寂れてしまったが、私が子どもの頃は、お祭りや縁日の時は、露店や見世物小屋が並び建って、大変な賑わいをみせたものだ。
そもそも銚子港を本格的に開いたのは、江戸期の紀州の人々だったが、その際の中心地が、この円福寺周辺である。
中世以来の寺院の建築物は、米軍の空爆によりほぼ全焼したので、古いものは残っていない。

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(銚子・円福寺山門)

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(大仏と鐘楼)

さて、その五重塔だが、予想していたよりも素晴らしい物だった。
ちゃんと(鉄製ながら)心柱を再現した柔構造の塔である。

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(本堂から五重塔を眺める・利根川方向・地平線に見える街並みは茨城県の波崎町)

再び、利根川筋に戻って、ペダルを漕ぐ。

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(利根川河口付近)

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(「安い店」・ここ本当に安くてウマイです)

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(堤防には、無数のウミネコが)

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(君ヶ浜から灯台を見上げる)

そして、犬吠埼灯台に到着。

IMG_3611.jpg
(犬吠埼灯台)

今日は、犬吠埼の下を巡ってついている遊歩道に降りてみることにする。
この遊歩道は、かつて「怒濤めぐり」という名が付いていて、灯台の下を一周できたのだが、現在は、波の力でその一部が壊れてしまい通行不能になっている。

普通は階段で降りるのだが、私は、中学生の頃から、ある土産物屋の駐車場から自転車で入れることを知っていたので、そこから、こっそり自転車に乗ったまま降りてみる。

IMG_3609.jpg
(自転車で「怒濤めぐり」をする・本当は自転車は入ってはいけません)

月並みな言い方だが、ここに来ると、いつも本当に感動する。

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(「怒濤めぐり」から南の海を眺める)

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(「怒濤めぐり」から東の海を眺める)

犬吠埼からさらに海岸沿いを回って、外川港から飯沼港をめぐって帰宅。

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(外川港)

私は、約50個の餃子を拵える。
二人の叔母もやってきて、賑やかな「餃子大会」となった。
叔母さんたちは、私の餃子にえらく感心して、こんなウマイ餃子を食べたのは久しぶりだと褒めてくれた(餃子作りに忙しくて写真無し)。
こんなもので良かったら、何回でも作りまっせ・・・。

走行距離:37キロ(24インチママチャリ+ロードバイク)

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2009.12.27 Sun
年末の銚子行1~内陸ルートの試み
自転車で銚子に行くのは、これで何回目になるだろうか。
10回目ぐらいまでは数えていたのだが、ブログに書かなかったこともあって、今回が何度目にあたるのか分からなくなってしまった。
最初に自転車(ママチャリ)で銚子に行ったのは、2007年の暮れなので、平均、2~3ヶ月に一度は、銚子を往復したことになる。
その後、自転車の種類も、ママチャリ→クロスバイク→ロードバイクと変遷進化して、道の知識も幾分増えたので、以前に較べれば、旅にも大分余裕がでてきたが、下総(北総)の地理を掌握するには、あと10回ぐらい往復する必要がありそうである・・・。

夜明け前に起きて、旅の準備をする。
今回は、輪行の予定はないが、何かのトラブルに備えて、一応、「百円ショップ自転車カバー利用簡便輪行法」の装備だけは携帯することにする。
天気予報によると、強い北東の風が吹くということで、利根川ルートではなく、内陸ルートで行くことにする。

ここで言う「内陸ルート」とは、クルマで言えば、国道464号→国道296号→国道126号のことであるが、自転車の場合は、このルートを走ると、九十九里沿いの126号線を除けば、その交通量の多さと激しい坂道で死にそうになるであろうから、その抜け道ルートのことを意味すると思えばよい。

夜明けと同時に出発。
すごく寒い。
東松戸駅近くの「山田うどん」で腹ごしらえ。

「串崎新田」から「県道57号回避ルート」で印旛沼まで出る。

IMG_3569.jpg
(桑納川沿いのハケの道[私の用語では「山辺の道」]を行く)

IMG_3570.jpg
(新川に流れ込む桑納川の河口付近)

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(「佐倉ふるさと広場」。ここに来ると、誰しもがこの風車の前で写真を撮りたくなる)

「道の駅・八千代」で休憩後、新川を北上して、印旛沼サイクリングロードを走る。
印旛沼の「佐倉ふるさと広場」から印旛沼に別れを告げて、「鹿島川」(印旛沼から佐倉市街地に流れ込む川)と平行して走る道を追いかけながら、佐倉城趾の濠沿いの道を反時計回りに回り込む(参照地図)。

IMG_3574.jpg
(朝日を浴びる佐倉城趾の濠が素晴らしい)

さて、ここからが私にとっての難所である。
普通なら、最短距離なので、佐倉から国道296号を走って、国道126号(八日市場付近)まで出てしまいたいところだが、如何せん、北総の物流の中心地である成田周辺は、ダンプカーの往来も激しく、しかも、不要に坂を上り下りさせられるので、自転車にとっては、あまり楽しくない経路である(それでも、最初のうちは馬鹿の一つ覚えのようにこの道を走っていた私)。

ただ、国道296号の抜け道ルートとして、県道77号(富里酒々井線)→県道45号(八日市場八街線・牧歌的な北総の風景)というお気に入りの経路は確立しているので、国道296号を使わずに、いかにして佐倉から県道77号に出るかにかかっている。

とは言っても、佐倉から県道77号までは、たった4~5キロぐらいしかないので、我慢して走ってしまってもよいのだが、それでは「成長」がないので、今回は、挑戦してみることにした。

着目すべきは、このあたりを東西に流れている高崎川という小さな川で、この川が形成する沢沿いの道を辿ってみることにする。

ところが、これが結構わかりにくくて苦労する。

国道296号から細い枝道に入ってみる。
あたりを集団で散歩していた軍鶏(シャモ)たちが、闖入者の私を威嚇してきたのには驚いた。

IMG_3575.jpg
(威嚇してきた軍鶏たち・佐倉)

私は、逃げるようにして、ハケの道風なところを辿ることにする。

IMG_3576.jpg
(こんな田舎道が続く・ほぼ成田線と平行して通る道)

進んでは途切れ、途切れてはまた新しい道を捜しながら、やっと県道77号と思しき大きな道に出る。
その道を南下するのだが、私が記憶する県道77号とどうも雰囲気が違う。
しばらく走っていると、総武本線が見えてきて、おかしいなと思ってあたりを確認すると、総武線「榎戸駅」の近くであることが分かった。
私が県道77号だと思って走っていた道は、実は、平行して走る県道76号だったのである。

この間違いを修正するのに、えらく苦労する。
方位磁石だけをたよりに、77号に戻ろうとするが、行く道行く道が途切れたり、せっかくすごい坂を登っても、急に未舗装路になってしまったり。

やっと県道77号線に戻れたときにはホッとした。
この夏、東北を旅したときも経験したことだが、地元の人は、案外、道の「名称」を知らないものだ。
名称と言っても、羽州街道とか、国道などは知っていても、県道クラスになると、その道が何号であるかまでは、ほとんどの人が知らない。
まあ、それも当たり前の話で、たとえば、「環七」は知っていても、それが「都道318号線」であることを知っている人は少ないものだ。
だから、「これは、県道77号線ですか」と聞いてみたところで、土地の人は、「えっ、77ですか、いやぁ~、どうかなあ・・・?」という感じの答えしか返ってこないことが多い。

県道77号線から45号線に出る。

県道45号線は、幹線道路ながら景色もよいし、大変に走りやすい。
途中には、古墳で有名な芝山町もある。

IMG_3578.jpg
(古墳の町、芝山)

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(県道45号は変化に富んだ道飽きない・こんなまっすぐな所もある)

さて、こうして国道126号に出た。
八日市場あたりの国道126号線は結構走りやすいが、ここも裏道を走ることにする。
このあたり(九十九里)は、道がほぼ碁盤状についているので、とにかくどの道であれ、方位磁石で北東に向かってひたすら走ればよい(ただし、今回は、北東からの向かい風に苦しめられた)。
最終的には、飯岡周辺に到着するので、あとは「飯岡刑部岬」を目視で確認してその方角を目指して、「八木」交差点(地図)に出ればよい。

また、自転車乗りなら一度は走ってみたいと思う「九十九里自転車道」まで出て、その道を北進してもよいが、休日は、サーファーたちに道を塞がれたり、海砂でスプロケがジャリジャリになることがあるので、私はあまり好まない(特に海水浴客の多い夏場は最悪)。

IMG_3580.jpg
(九十九里の裏道・こんな感じの道が多い)

IMG_3582.jpg
(飯岡の浜辺には、たぶん、何千羽というカモメが旋回していて、その光景に驚いた)

さて、成田越えに続いて、第二の難所が、この銚子の台地越えである。
八木交差点から銚子市内に至る126号線は、自転車にとっては地獄街道である。
路肩も狭く、坂は急峻で、魚を積んだ生臭いトラックが轟々と爆走する。

そこで、この秋、私が探索した抜け道ルートを試してみることにする(地図)。

しかし、今回、逆方向から走ってみて、このルートは不合格だと思った。
どんなに気持ちの良い道でも、自転車を押さなければ上がれないような道や、実際に走ってみると案外複雑な道は、結果として、良いルートとは言えないのではないかと思った。
これならば、県道71号線で、利根川沿いに抜けてしまったほうがマシである。
今後とも、道の探索を続けたい。

IMG_3583.jpg
(126号回避ルート上の、のんびりした田舎道)

IMG_3585.jpg
(126号回避ルート上の一つの指標である西安寺・地図

今日は、道を間違えたり、裏道を探索しながらの旅だったので、いつもより疲労を感じた。

お袋は、私のために立派なタラバガニを用意しておいてくれた。

走行距離:123キロ(ロードバイク)

テーマ:自転車(スポーツ用) - ジャンル:スポーツ
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2009.12.26 Sat
水元探訪~遍照院・閘門橋
数日前から無性に鰻が食べたくて、昼ご飯は、金町の「うなよし」で鰻を食べる(満足!)。
その足で買い物などをして、呑ちゃんと水元公園を散歩。
今日の公園は、何故か、空いている。
きっと街に買い物に出ている人が多いのだろう。

いったん帰宅して、昼下がりに、ロードバイクで出かける。
と言っても、日没まで1時間ぐらいしかないので、水元や三郷界隈を走ることに。

以前から気になっていた「遍照院」(水元)に行ってみることにした。
この寺、今は何の変哲もない小さな寺なのだが、驚くべきことに、その創建は古く和銅元年(708年)である。
もちろん、葛飾区内では最古の寺である。
ところが、度重なる戦禍・洪水・火災によって、往時の姿はかなり小さくなってしまったようである。

IMG_3561.jpg
(「遍照院」・葛飾区水元)

因みに、明治初期に陸軍調査部が作成した地図には、この寺は存在しない。
実は、明治15年の火災によって、おそらく、ほとんど廃寺同然になっていて、地図には載っていないものと思われる。

この寺が最も盛んだったのは、中世の頃と想像されるが、その隆盛を打ち砕いたのは、戦国期は16世紀前半の「国府台の合戦」で、小田原北条氏の軍勢によって、灰燼と化したのである。

IMG_3557.jpg
(本堂と大師堂)

この寺のある場所は、大きな意味では、中川と江戸川を結ぶルート上にある。
もしかしたら、古東海道から古奥州街道を結ぶ道筋に当たったのかもしれないが、それを証明することは、今の私にはできない。

遍照院を後にして、葛飾水元では、「水元公園」に次ぐ「観光」名所であるにちがいない「閘門橋」に行ってみた。
大場川に架かる、水門橋で、明治末期の1909年に造られた。
どっしりとした煉瓦橋で、知名度は低いが、たぶん、東京の橋としては、屈指の美しさであろう。

IMG_3564.jpg
(煉瓦造りの閘門橋・水元)

IMG_3563.jpg
(閘門橋から大場川の流れを眺める)

そろそろ日没が近づいてきたので、大場川沿いに時計回りに進んで、三郷公園を走る。

IMG_3565.jpg
(三郷公園より夕陽を見る)

水面(みなも)には、最近、シベリヤから渡ってきた(美味しそうな)鴨たちが、夕暮れの時間を楽しんでいた。

IMG_3567.jpg
(水面に遊ぶ鴨たち・対岸は水元公園)

追記:明日から2泊3日で、銚子に遠乗りに行ってきます。
往日;水元→銚子
中日;銚子半島探訪
復日:銚子→水元
天気予報によると、往復とも向かい風になりそうな気配。
しかも、中日は、雨が降るかもしれない。
旅中の報告は、夜間に、呑ちゃん経由で、「断腸亭画像掲示板」に書き込みます。

走行距離:16キロ(ロードバイク+6速ママチャリ)

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2009.12.25 Fri
国府台探訪~手児奈霊神堂と弘法寺
午前中は、入浴と洗濯。
昼頃、市川方面に所用ありて、クロスバイクで出かける。

江戸川サイクリングロード右岸から新葛飾橋(国道6号線)を渡って左岸(東岸)を走って、国府台(こうのだい)に出る。
国府台からいつもの道(真間川と平行して東西に通る道・地図)を走る。
時間がたっぷりあったので、道筋の「手児奈霊神堂」に寄ってみることにする。

IMG_3542.jpg
(手児奈霊神堂・千葉県市川市)

ここが、万葉集にも何首も詠われた、名にしおう「真間の手児奈」伝説の発祥地である。
伝説の内容は、このサイトあたりをご参照。
諸説あるものの、この国造(くにのみやつこ)の娘に起こった悲劇、つまりは、この伝説の元となる「事件」があったのは、どうやら、大和政権期の「大化の改新」の直前ぐらい(7世紀前半)のようである。

当時、このあたりは、江戸川の河口付近にあたっていて、広大な湿地帯を形成しており、手児奈が入水自殺できるぐらいの「真間の入り江」が存在していたわけである。

この手児奈霊神堂のすぐ北には、押し寄せるように、下総台地が迫っている。
その台地の上に、大和政権は、下総国の国庁・国分寺・国分尼寺を築くことになる。
つまり、この一帯は、私が普段、通勤やサイクリングで走っている地域(「勝鹿(かつしか)」)の中では、当時の人からすれば、ぶったまげるような「都」が存在していたわけである。

当時、この台地の麓が湿地帯であった名残を唯一とどめているのは、手児奈霊神堂内にある池である。

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(手児奈霊神堂内の池)

自然堆積や埋め立てによって、今や、湿地帯の痕跡が皆無である中で、この池だけが、当時の風景を想起する縁(よすが)となっているが、どうも、その名残は、江戸時代までは存在していたようである。

そのことが分かるのは、広重の「江戸名所百景」の「「真間の紅葉手古那の社継はし」という絵である。

真間の紅葉手古那の社継はし

まだ、沼のようなものが広がっていることが分かる。
遠くに見える山並みは、方角からして、房総の山々だと思われる(向かって右の山の山容が筑波山に似ているが、筑波山は独立峰だし、第一、方角が違う)。

この絵は、手児奈霊神堂のすぐ上の台地にある古刹「弘法寺(ぐほうじ)」(8世紀創建)から眺めたものだと言われている。

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(真間山・弘法寺の正面)

私もまだ時間があったので、弘法寺に登ってみることにした。
弘法寺には、石段が築かれているが、自転車を持って上がるわけにはいかない。
正面向かって左側に、側道がついているので、その坂道を上がる。
と言っても、斜度15%以上の超激坂で、34t×25tのロードのギアではとても上がれないので、途中から自転車を降りて押して上がる(マウンテンの22t×34tぐらいなら上がれるかも)。

弘法寺の本堂は、ずいぶん以前に燃えてしまって、現在は、鉄筋コンクリート製の醜い本堂が建っているが、これは、まったく見るに値しない。
しかし、境内の一帯は、その仁王門(正門)を含めて、依然、古風を留めていて、古(いにしえ)の風雅を保持している。

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(弘法寺の鐘楼)

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(弘法寺の仁王門)

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(弘法寺の石段を上から見下ろす)

試しに、広重が絵の構図と同じような場所に立って、写真を撮ってみた。

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(弘法寺から南の低地を眺める)

木が繁りすぎているので、遠景がよく見えないが、まあ、こんなアングルで描いたものだという雰囲気だけは分かるかもしれない。

こうして私は、真間の住宅街を抜けて、本八幡方面に向かったのであった。

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(荷風も愛した市川真間の黒松)

走行距離:37キロ(クロスバイク)

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2009.12.24 Thu
人間と自転車を「ドック」する~バーテープ交換
今日は、待ちに待った(まさか?)「人間ドック」の日である。
「人間ドック」という言葉も、ハローワークやオドイーター(消臭剤)と同じように嫌な言葉である。
どうして、たとえば、「精密健康診断」などという言い方にしなかったのだろうか。
そもそもが日本語でも言える言葉を無理矢理に英語を使った場合、常に嘘っぽさと嫌らしさがつきまとう・・・。

今年は、職場の健康診断期間に自転車事故に遭ってしまい、受診できなかったので、こうして人間ドックに入る運びとなった。

夕べは、酒を断って、今朝は、水さえも飲んではならない。
空腹と渇きを我慢しながら、早朝、クロスバイクで出かける。

ドックを受ける病院は、職場と同じ駿河台にあるので、いつもの経路を走る。

今日は、久々に桜橋を渡ってみる。
隅田川のこのあたりは、右岸(西岸)よりも左岸(東岸)の方が走りやすいので、桜橋を渡ることは少ない。

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(桜橋から下流を見る・向こうに見える橋が言問橋)

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(桜橋から上流を見る・向こうに見える橋が白髭橋)

私が受診する病院は、駿河台の明大通り沿いにある、元は「大久保彦左衛門 屋敷跡」に建っている病院である。

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(「大久保彦左衛門 屋敷跡」)

私は、喉の渇きを感じながら、一連の診断を受診した。
まるで、宇宙飛行士の訓練のような胃袋の検査では、あまりに喉が渇いていたものだから、出されたバリウムを飲み干すや、「う~ん、マズイ!、もう一杯!」というような心境だった。
そして、検診も、午前中で何とか終了。

さっそく水をがぶがぶ飲んで、近くの立ち食い蕎麦屋(「小諸蕎麦」)でたぬき蕎麦を食べる。
まだ早い時間だったが、今日ばかりは、早く帰りたい一心で、帰途に着く。

家に着いて、朝飲めなかったコーヒーを飲んで、一息つく。

約1週間後に迫った新年を迎えるに、人間も「ドック」したのだから、自転車も「ドック」した方がいい(「ドックする」というサ行変格活用はたぶん、日本語の正しい用法ではないので、真似はしないで下さい)のではないかと思いついた。

そうだ、ロードバイクの汚くなったバーテープを換えてやろうではないか。
大分、ばばっちくなって、換えてやらないと、自転車に文句を言われそうである。

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(汚くなったバーテープ・1年ぐらい使用)

ただ、バーテープの交換の仕方そのものは、私などがうんぬんするよりも、以下のようなページを参考にするのがよい。

http://www.cb-asahi.co.jp/html/size/bartape/index.html

私が普通とやや違っているのは、緩衝材を巻き込むことぐらいである。
緩衝材をわざわざ巻き込むのは、私はクッション付の自転車専用の手袋を使用せずに、100ショップダイソーの手袋を使用するからで、その理由は、自転車専用の手袋は馬鹿みたいに高いからである。
バーテープに巻き込む緩衝シートは、専用の物も売っていたり、東急ハンズのソルボセインシートなるものを巻き込むのが定番であるが、これまた馬鹿みたいに高いので、ダイソーの「EVAボード」(厚さ2ミリ)を利用している(もちろん、100円)。

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(ダイソーの「EVAボード」とこれから巻くDIXNAのロードバーテープ茶色)



(ゴルフのグリップ素材を使用したDIXNAのロードバーテープ・吸い付くようなフィット感が気に入っている)

まず、古いバーテープをすっかり剥がす。

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(バーテープが剥がされた状態)

この状態で、STIの位置などを確認して補整する。
今回の場合、何回も転倒したり、ぶつけたりしたものだから、左のSTIが右に較べて1センチぐらい下がっていたのには驚いた(鈍感な私)。

それから、振動を受け止めそうな箇所に、上記緩衝材「EVAボード」をハサミで適当なサイズに切り分けて、ビニールテープで留める。

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(緩衝材「EVAボード」を巻く)

その上から、新しいバーテープを巻けば、出来上がり。
緩衝材が内側にあるので、バーテープはやや巻きにくいだろう。

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(新しいバーテープは、色違いの同製品)

新しいバーテープは、薄茶色を選んでみたが、結果としては、あまりマッチしてない感じかなあ。
次は、やはり、赤か黒にしよう。

走行距離:37キロ(クロスバイク+6速ママチャリ)

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2009.12.23 Wed
南流山の「香取神社」は古墳だったのではないか?
ここ数日の寒さが、今日はちょっと緩やかになったようである。
洗濯をして、朝食としてスパゲッティ(ナポリタン)を食べて、ロードバイクで出かける。

先ずは、水元公園を周回して、三郷(埼玉県)に出る。

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(水元公園)

大場川沿いの道(地図)をまっすぐ北上する。
この道は、休日で江戸川サイクリングロードが混んでいるときや、風が強いときに吹きっさらしの江戸川サイクリングロードを走るのが辛いときなどに重宝する。

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(大場川沿いの道)

大場川から流山橋を渡って、江戸川サイクリングロード左岸(東岸)に乗って下流方向に走り出したところで、いつも気になっている土手下の神社が現れた。
今日は、一つ、この神社(南流山)を探訪してやろうと思う。

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(いつも気になっていた神社・土手の上から見下ろした写真)

実は、前から気になっていたのは、この神社のある一帯が楕円状に高くなっているので、そもそも古墳だったのではないかと睨んでいたからだ。
今日は、そのあたりのことを検証してみようと思ったのである。

筑波エクスプレスの鉄橋のところで、土手の下の降りて、神社の近くに行ってみる。
正面は、桜並木があって、参道風になっていた。

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(神社の正面・南南東を向いていた)

この神社の名前を示すのは、以下の流山市が作った説明板のみである。

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ついでに、周辺の地図も示しておこう。

香取神社
(周辺地図・クリックで拡大)

「香取神社」というのは、その親玉が利根川沿いの千葉県香取市にあることからも想像できるように、利根川ならびに江戸川沿いに多い。
神社のすぐ隣には、江戸初期に創建された「観音寺」という寺がある。
神社の創建時は不明とあるが、神社内に置かれている石碑のいくつかは江戸時代のものなので、江戸以前には既に存在したことは間違いなさそうである。

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(神社正面の、江戸時代の庚申塔)

庚申塔が多いので、おそらく、この場所は街道筋にあったことが推測される。
たぶん、神社の南から土手と平行に走る道は、「流山街道」以前からある古道だった可能性が強い(時代は新しいが、明治初期に陸軍調査部が作成した地図にはこの道が存在している)。
もしかしたら、最初は、こちらの道が流山街道で、現在のそれは、その後、新道として発展したのではないか。
というのも、やはりこの道筋にある寺にも、多くの庚申塔が見られるからである。

この香取神社が祀られている塚は、既に書いたように、南北に細長い。
一番高いところで3~4メートル盛り上がっていて、南に下るにしたがってなだらかに低くなっている。
また、北側は広く、南に行くにしたがって、狭くなっている。

IMG_3525.jpg
(一番盛り上がっているあたり)

もし、私が推測するように、これが古墳だとすれば、分類としては前方後円墳で、南側が「前方」、北側が「後円」に当たるであろう。

とは言ったものの、私には何の証拠があるわけではない。
たぶん、ここに発掘調査が入ったことはないだろうが、元古墳だった所に神社が築かれた例は多い。
そういう神社は、改修時に地面を掘ってみて初めて分かるものだが、この香取神社に大改修が施される気配は、現在のところ、皆無である。

昼過ぎに帰宅して、呑ちゃんと水元公園を散歩する。
昼食は、近所のパン屋「アトリエ・ダーシャ」で。

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(「アトリエ・ダーシャ」は、コーヒーサービスあり。テラスで食べることが出来る)

走行距離:33キロ(ロード+6速ママチャリ)

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2009.12.22 Tue
仕事納めの日~「立ち呑み・ピン」(駿河台)
クロスバイクで出かけるも、寒くて、温かい汁物が食べたくなる。
立石の立ち食い蕎麦屋「譽家(ほまれや)」に行ってみたら、他の店(食べ物屋ではない)になっていた。
気に入っていた店なので、がっかり。
仕方がないので、四つ木のラーメン屋(店名失念)でラーメンを食べる。

いつものように、隅田川土手で休憩。
目の前には、言問(こととい)橋(1928年架橋)。

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(隅田川に架かる言問橋)

在原業平が9世紀に、隅田川の渡しにこと寄せて、「名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」と詠ったことから、「言問」の名が付けられたというが、実際には、現在の白髭橋付近のことを詠んだらしい。
当時の官道(古東海道)は、白髭付近を通っていたので、まあ、その方が辻褄も合うであろう。

土手のベンチで休憩していると、何艘もの船が上流に向かって走っていった。

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(隅田川の船)

花見の頃になると、人で賑わうこの土手の桜並木も、今はすっかり葉を落として、冬のつくろいを見せている。

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(隅田川土手の桜並木)

駿河台の職場に到着。
今日が、実質的には仕事納めなので、残務を片づける。

今夜は、仕事納めの忘年会が予定されているが、まだ時間がたっぷりあるので、所在なくぶらぶらしていた同僚二人と御茶ノ水の街に繰り出す。
同僚に先導されるままに、駅前の(昔から御茶ノ水に縁のある人なら誰しもが懐かしがる喫茶「ミロ」のある)裏路地に最近できたという店に入る。

ほぉ~、なかなか良い感じではないか。
しかも、立ち飲み屋である。
その名ぞ、「立ち呑み・ピン」。

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(御茶ノ水の裏路地にできた「立ち呑み・ピン」・向かって右手)

さっそく入店してみると、漆喰壁をうまく使った店内のデザインもなかなか乙である。
一階は立ち呑みカウンターがあって、二階にはテーブル席もある。
われわれは、二階のテーブル席に陣取る。

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(テーブル席のある二階)

面白いのは、階段室にぶら下がっている巨大なシャンデリア。
よく見ると、この店の看板ドリンクであるサントリーウイスキーの「角瓶」で出来ている。

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(角瓶の空瓶で作ったシャンデリア)

しかも、テーブルの上にある照明も、酒瓶で出来ている。

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(空瓶で作った照明)

つまみのメニューは串焼きが中心(100円程度)で、ドリンク類はウイスキーのハイボール類(350円程度)が中心。
値段も、まあ、さすがに葛飾には敵わないが、神田駿河台界隈では、破格の安さと言ってよいだろう。

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(当店の特別ドリンク・「御茶ノ水ハイ」)

われわれは、仕事納めの解放感も手伝って、明るいうちから、串焼きをアテに、ウイスキーサワーやら焼酎やらをぐいぐいと飲み干した。

こうして、暗くなってきたので、忘年会の会場のある笹塚(渋谷区)に向かったのであった。
私は、駿河台に自転車を置いておいて、鉄道で忘年会場に赴き、帰りに、御茶ノ水で降りて、自転車で帰宅した。

走行距離:35キロ(クロスバイク)

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2009.12.21 Mon
暮れだなあ・・・
家でカレーうどんを食べて、出発(クロスバイク)。
強い北西の風である。
私は、南西に向かっての通勤なので、半分向かい風で、半分追い風。
両方が相殺しあって、無風となる(なんてことないか・・・)。

いつもの隅田川土手で休憩。
お腹は空いてないので、弁当はなし。
隅田川の青い流れを眺めながら、缶コーヒーを飲む。

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(隅田川土手で休憩)

この場所については、ほとんど「定点観測」をしているようなものだ。
年間の写真を順番にずらっと並べれば、季節の移り変わりが分かろうというもの。
冬の隅田川も、きりっとした感じで良い。

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(隅田川上流方向を眺める・前の橋は、桜橋)

暮れの月曜のためか、クルマの交通量が多い。

終業後、外に出ると、やはり冷たい西風が吹いている。
かなり、寒い。

食事をするために、いつもの店に行ってみるが、宴会が入っていて何と満席。
その後、2軒廻ってみるも、これも満席。
いつもなら、まだがらがらの時間なのに、年末の給料日後のせいか、居酒屋は大盛況のようである。
4軒目でやっとカウンターを見つけて、温かい食物にありつくことができた。

帰り道も、いつになくあちこちで渋滞。
しかも、心なしか、クルマの走り方が殺気だっているようである。

思えば、今年もあと10日しかないのだ・・・。

走行距離:35キロ(クロスバイク)

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2009.12.20 Sun
龍角寺古墳群~久々の100キロ走行
夕べは、またしても、すき焼き大会をやってしまって、やや食べ過ぎの傾向にあったので、今日はたくさん走ろうと決めていた。
とにかく、100キロ以上走ろうではないかというのが目標だった。
最後に100キロ以上を走ったのは、9月。
ところが、10月に事故に遭って、通勤で60数キロ走ったことは何回かあるものの、それでも、左足の腿の裏あたりに何とはなしの違和感があって、恐くて長距離を走れなかった。
年末12月には、必ず一度は銚子まで自転車で行くことにしているので、その予行練習も兼ねて、是非とも長距離を走ってみたかった。

目的地を特に定めずに、ロードで出発。
水元公園から江戸川に出る。
西風である。
上流に向かうことにする。
葛飾橋を渡りながら、朝日を受けて光る江戸川を見ているうちに、急に、我が母なる利根川を見たくなった。
そうと決まったら、先ずは、腹ごしらえ。
紙敷(松戸)を抜けて、「山田うどん・松戸八柱店」で、たぬきうどん(300円)を啜る。

その後、定番ルート(大津川経由)で、手賀沼へ。

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(手賀沼に向かう大津川近くの公園にて)

道の駅・しょうなん」で休憩。
今日は、自転車乗りがたくさんいる。
誰か知っている人はいないものかと見渡してみたが、顔馴染みの人はいなかった。
売店で、おにぎり2個(220円)を買って食べる。

広場で、「千葉県サイクリング協会」の人たちが、何かを配布している。

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(千葉県サイクリング協会の方々が自転車の安全走行を呼びかけていた)

何を配っているのだろうかと見に行くと、車輪用のリフレクター(反射板)であった。
私も、下さいと申し出て、一つもらった。
なかなか物がよいので、もう一つくれと言ったら、ダメだと言われた。

いただいたリフレクターは、「高輝度サイクルリフレクター」というもの。

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(いただいた「高輝度サイクルリフレクター」・実測14グラム)

帰ってから、ロードの前輪に取り付けてみたが、ワンタッチで装着できた。

私がロードで使っているのは、WH-RS20というホイール(シマノの2番目に安いロード用完組)で、スポークがエアロタイプ(きし麺形状)なので、100円ショップダイソーの2個100円のリフレクターがうまく装着できずに困っていたのだが、これで一安心(因みに、現在の法律では、自転車の前後車輪にリフレクターを装着するのが義務)。
(ついでに話は逸れるが、新しくシマノから出た、アルテグラグレードのWH-6700、いいですねえ。8・9・10速対応・チューブレスとクリンチャー両用かつそこそこ軽量で値段も手頃)。

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(手賀沼)

さて、お腹も満たされので、利根川を目指して、手賀沼・手賀川を東進して、木下から利根川サイクリングロード右岸(南岸)に上がる(経路地図)。

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(雄大な利根の流れ・木下付近)

やっぱり利根川はいいなあ。
私の故郷(銚子)へと通じる大河・・・。

ここまで42キロ。
このまま帰ったのでは、100キロにならない。
どうしようか?

ふと、思いついたのが、以前、(鉄道で)行ったことのある「龍角寺古墳群」(成田市及び印旛郡栄町)。

しかし、今日は生憎、地図を持ちあわせていないので、どう行ったらいいのかよく分からない。
取りあえず、利根川に注ぐ長門川あたりでサイクリングロードを降りて、県道(?)を南進。
すると、栄町の公園が見えたので、そこで自転車を止めると、周辺地図の看板があったのでそれを手がかりに走ることにする。

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(栄町観光案内板)

すぐ近くだといういうことが分かったので、さっそく当てずっぽうに進んだ。
激坂が二つほどあったが、無事、「龍角寺古墳群」を擁する「房総風土記の丘」に到着。

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(「房総のむら」案内図・背後の塚も古墳である)

龍角寺古墳群」というのは、6世紀初頭から7世紀にかけて作られたと言われている古墳が114基も群がる一帯で、同地域にある、有名な龍角寺という7世紀の寺(跡)の名をとって命名された古墳群である。

この下総台地の上に築かれた古墳群は、当時は利根川・印旛沼・手賀沼・霞ヶ浦などが繋(つな)がっていて、いわば、大きな「内海」をなしていた頃に形成されたもので、当時の畿内の人々は、風景も地勢も、故郷の瀬戸内海域に類似するこのあたりに、関東以北開拓(侵略)の拠点を築くことにしたのだと推測できる。

一帯は、あまりに古墳だらけで、古墳の「有り難さ」が失せるほどである。
その古墳群を貫くようにして、気持ちの良い道が幾筋も通っていて、サイクリングやウォーキングにも打って付けである。

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(古墳群の中を通る気持ちの良い舗装路・右崖下からは印旛沼が見える)

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(掘り出された石棺・背後に写っている塚も古墳)

とにかく、犬も歩けば古墳にあたるというか、「佃煮にするほど」古墳がたくさんあるわけで、考古学好きの人は、丸一日楽しめると思う。

しかし、私は、暗くなる前に帰りたかったので、古墳群の遊歩道をざあっと走らせて、龍角寺に向かう。

そもそも、大和政権時代に建造された龍角寺は、もちろん、既になくて、金堂が建っていた場所には、礎石があるだけである。

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(龍角寺金堂の建っていた場所)

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(今は、礎石だけが残っているのみ)

帰りは、同じ手賀沼経由で戻るのは芸がないので、知らない道を方位磁石だけを手がかりに走ったが、かなり心細い迷走を強いられた。

帰宅して、メーターを見ると、走行距離119キロだった。
心配していた腿裏の筋肉の違和感もない。
これで、事故の「後遺症」からも完全に解放されて、年末の銚子行きもできそうな自信も取り戻せたというものである。

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(田圃の中の「追分」)

走行距離:119キロ(ロードバイク)

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2009.12.18 Fri
「山勝 角ふじ・新松戸店」のラーメン~福神漬けの価値観
洗濯して、朝食。
夕べ食べ損ねたカレーを食べる。
我ながら、美味くできたと思う。
やはり、骨付きの肉を使ったのが良かったのか・・・。

今日も、ロードバイクで出かける。
目的地は、たすけさんに教えてもらった「山勝 角ふじ」の新松戸店である。
こう寒いと、やはり、ラーメンが食べたくなる。

葛飾橋(江戸川)を渡って、新坂川を北進(強い西風)。
少し探し回ることになったが、まもなく発見。

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(「山勝 角ふじ」新松戸店)

結構個性的な店構えで、黒地に金文字の看板だけを見ると何かの老舗和菓子屋のようにも見えるが、左の「腹がへったらうちに来い」という水色の看板の両方を一遍に見ると、途端に何屋さんか分からなくなる。
また、「腹がへったらうちに来い」という力強い言葉は、客を呼び込む文句としてはなかなかの傑作だと思うが、もしかして、お腹を極端に減らして困っている人はタダで食わせてくれるんじゃないかと勘違いしてしまうかもしれない(♪金のない奴は俺んとこに来い・・・)。

店の奥にある自販機で、先ず、食券を買う。
いろいろあって、よく分からないので、「ラーメン」(700円)を買って、カウンターに座る。
厨房を見ていると、何だか、すごく丁寧に作っているような気がした。

出てきたラーメンは、モヤシが富士山のように盛り上がっている豪快な風貌であった。

ラーメン
(その写真:店のHPより無断引用)

しかも、大粒の背脂がびっしりと浮いていて、まことに心強い気がする(「ガツンとくるぜ!」)。
背脂がたくさん入れてあるにしては、あまりしつこい感じはしない。
山頂の、醤油漬けにしたタマネギのみじん切りと極太麺が、味のバランスを適切に維持しているような気がする。
やや辛めの醤油味も、必要以上の脂っこさを減殺させているのかもしれない。
う~ん、かなりウマイ(73点)。
でも、夏場はちょっと暑苦しいラーメンかもしれないな・・・。

その後、買い物などをしながら、家に戻る。

そう言えば、今日、二つほど、不思議な光景に出くわした。

一つは、戦前のドイツ軍のヘルメットを被ってロードバイクに乗っている人。
江戸川サイクリングロードですれ違ったのだが、私よりも年配の人とお見受けした。
私は、かなりびっくりしたが、まあ、ノーヘルよりはましかなぁ。
もしかして、ミリタリー・ファン(軍事オタク)だった人が、ロードバイクが好きになって乗り始めたものの、自転車用のヘルメットをわざわざ買うのも馬鹿らしいと思って、所蔵のドイツ軍ヘルメットを被っているのかもしれない。
ただ、彼の乗っていた自転車は、キャノンデール(米国製)なので、どうも思想的な統一がとれていないような気がしないでもない。
せめて、ピナレロ(伊)やブリジストン(日)といった枢軸国側の自転車に乗ってほしいと思う・・・。

もう一つは、買い物に行った近所の激安スーパーでの光景。

ある老婦人が、何種類かある福神漬けの袋を指さしながら、若い男性店員に質問した。
「これとこれ、どう違うの?」。
店員は、少しどぎまぎしながら、こう言った。
「あの~、価値観が違います」。
「えっ!価値観っ・・・ですか?」と言って、老婦人は天井を見上げていた。

傍らで聞いていた私も、福神漬けに「価値観」があるとはどういうことなのかと、そのあまりにも哲学的な答えに天井を見上げざるを得なかった・・・。

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(水元公園のメタセコイヤの森)

走行距離:29キロ(ロードバイク)

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2009.12.17 Thu
嬉しい誤算~江戸川沿いを走る
今日も、きりっと寒い冬晴れである。
こういう日は、先ず、洗濯。
ベランダで冷たい洗濯物を干していると、手がかじかんでくる。

次に、冷蔵庫の残り物の整理(正月の準備)を兼ねて、カレーを拵えることにする。
冷蔵庫の中からは、水炊き用の鶏モモぶつ切り、ニンジン、タマネギ(+ニンニクと生姜)などが発見(発掘)された。
それだけでは寂しいので、野菜室で腐りはじめている白菜も入れてしまおう。
カレーに白菜を入れたという話は聞いたことがないので、もしかしたら、葛飾初の試みかもしれない。
そうだ、ベランダで終末期を迎えつつあるバジルと、ローズマリー(こちらは一年中、青々としている)も入れて、味を複雑にしてやろうじゃないか。
最後に、自家製ヨーグルトと野菜ジュースを混ぜて、ついでに、バナナも入れちゃえ~!
どうだ、マイッタか・・・!?

こうして、早々と夕食の準備は完了。
一応、味見と早めの昼食を兼ねて、カレーを試食。
出来たてなのでやや味が「若い」が、う~ん、なかなかよいかもしれないぞ!
白菜が入っているなどとは誰も思わないぐらいに馴染んで全体と融合している・・・。

今日は、ロードバイクに乗ろうと、朝起きた瞬間から決めていた。
最近、ロードに乗ろうと思っても、しばらく乗っていないものだから、その前に空気を入れたり油を差したりするのが面倒で、つい、毎日使っている通勤用のクロスバイクの方に跨ってしまう日々が続いていた。

今日は、ちゃんとチェーンに油を差して、空気も充填して、簡単に変速の調整もした。
バーテープが大分汚くなってきたなあ。
年内に新しいのに交換しようと思う(思っただけ)。

水元公園桜土手から江戸川に出る。
珍しいことに、ほとんど風がない。
上流に行こうか、下流に行こうか迷ったが、取りあえず、上流(北)へ。
葛飾橋を渡って、左岸(東岸)のサイクリングロードを遡る。
古ヶ崎・川の一里塚」でトイレ。
夏は、身体の水分は汗になって放出してしまうのでほとんどトイレに行かなくてよいが、冬は、トイレをするために走っているような場合もある。

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(「古ヶ崎・川の一里塚」より松戸の街を眺める)

そこから少し上流に走った所(「まこも池緑地」のあたり)で、工事中につき迂回せよ(500メートルぐらいかな)との看板。
この先の松戸水門に架かる橋が工事中だという。
仕方がないので土手を下る。
主水橋」という小さな橋を渡る。

IMG_3470.jpg
(「主水橋」より、工事中の、いつも通る水門橋を眺める)

迂回路の曲がり角に、土手に登る看板が出ていたが、下の道もなかなか面白そうなので、サイクリングロードに戻らずにそのまま走る。

IMG_3471.jpg
(大きな農家と耕作地が続く下の道を走る・私の好きなタイプの道)

この道は、すぐに途切れてしまったが、江戸川と平行して通る道を見つけながら、ず~っと走っていく。

すると、以前にも来たことのある、美しい川(今上落川?)に架かる小さな橋の所に出る。

IMG_3472.jpg
(美しい川に架かる小さな橋・流山市)

そこからさらに北への道を辿って、ハケの道風な素晴らしい道を走る(地図・以前にも来たことがある)。

IMG_3473.jpg
(なかなか良い感じの道・流山市)

この道をとにかく道なりに行けば、利根運河に辿り着く。
利根運河まで来て、時計を見ると、そろそろ帰らなければならない時間なので、引き返すことにする。

帰りは、水田地帯のこんな道を抜けて・・・、

IMG_3474.jpg
(田圃の中の道を走る)

流山橋の手前で江戸川サイクリングロードに上がった。

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(江戸川サイクリングロード・流山市)

江戸川サイクリングロードを南下していると、急に魚屋「角上魚類」のことを思い出して、寄っていくことにする。

角上魚類」はいつ来ても素晴らしい。
近所にあったら、毎日でも来たいぐらいだ。

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(新鮮な冬の魚たちが並ぶ「角上魚類」)

アンコウを初めとして、真鱈や鮭といった冬の魚が並んでる。
今夜は、カレーなので、あまり買うことはできないし、簡易折りたたみ式リュック(ダイソー製)しか持っていないので、少ししか買うことはできない。
結局、あんきも蒸し、しめ鯖、鮭切り身だけを購入。

生ものを買ってしまったので、最短距離(流山橋→大場川→水元公園)を走って帰宅。

夕飯の準備をして、焼酎で一杯やっていると、呑ちゃんからメールで、秋田のハタハタ(鰰)を10尾いただいたという。
これはすごい!と思ったものの、今夜は、カレーの出番がなくなってしまったなあと、嬉しい誤算。

いただいたハタハタは、秋田から直送された素晴らしいもので、それをば、塩焼き(3尾)にして食べることに。
こうして、図らずも、今夜の食卓は、魚三昧となってしまった。

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(ハタハタ・あんきも・しめ鯖)

ハタハタだが、2尾はブリコ(卵)を持ったメス、もう1尾はたっぷりと白子を持ったオスだった。

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(ハタハタの雌・ブリコたっぷり・ねっとりプチプチ)

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(ハタハタの雄・白子たっぷり)

案の定、せっかく作ったカレーは食べることなく、明日以降いただくことにした。

走行距離:44キロ(ロード)

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2009.12.16 Wed
代官町通りのことなど
まだ暗い内に出発(クロスバイク)。

北からの微風だが、かなり寒い。
隅田川まできたところで、堪えきれなくなって、熱い缶コーヒーを買って、サンドイッチを食べるも、歯ががたがたして、口がまるで電動咀嚼装置になったようである。

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(朝ぼらけの隅田川土手)

リュックから予備のシャツを出して着込む。

隅田川土手を南に下って、枕橋(北十間川)のところでふと東に目をやると、奇っ怪な建築物がそそり立っている。
何だこれは?と思って、すぐに分かった。
押上の新電波塔(スカイツリー)である。
春に、あの建設現場近くに行ったとき、もう二度とこの姿を見たくないので、このあたりには来ないことにしようと思ったものだが、こんなに背が高くては、遠くからでも見えてしまう。
困ったものである。
こういう、目障りで醜い建築物は、全部、六本木や青山あたりにまとめて作って欲しかった・・・。

いつものように、竹橋から内堀通りを登る。
今日、実は新たな発見があった。
「発見」と言っても、その実、寡聞にして私が知らなかっただけだが、この城内を貫く竹橋ジャンクションから千鳥ヶ淵交差点までの内堀通り(内周路)のことを、別名「代官町通り」というのだ。
走っている途中に、「代官町通り」という看板をちらっと目にしたことで、初めてそれを知った。

江戸時代の地図で確認すると、確かにここに道は存在しなかった。
当たり前である。
防衛上、濠の外まで貫く道を城内に建設するはずはない。

そもそもは、千鳥ヶ淵と半蔵堀は一つの濠であったが、明治以降、これを隔てる土橋を築いて(明治30年頃)、その上に建設されたのが、この「代官町通り」なのである。
江戸時代、城内のこのあたりに、代官屋敷あったことからそういう命名がなされたらしい。

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(千鳥ヶ淵・信号待ちの間に撮影したので、ややいびつなアングル)

因みに、内堀通りだが、じつは、これが東京の「環状1号線」なのである。
環七や環八は、よく耳にするが、1~6まではどうしたんだ!と、私も常々不思議に思っていたのだが、調べてみて分かった。

環状1号線 内堀通り
環状2号線 外堀通り
環状3号線 外苑東通り
環状4号線 外苑西通り
環状5号線 明治通り
環状6号線 山手通り

なるほど、いずれも、信号を渡るのに苦労する幹線道路が名を連ねている。
そしてまた、これは、東京という都市の拡大を物語るものでもあるだろう。

代官町通りから千鳥ヶ淵交差点を直進して、新宿通り(現・甲州街道)の裏道として私が利用している道を西進する。
この道は、五味坂の一本南を通る道で、江戸時代の地図にも載っている。
このあたりは、いわゆる「番町皿屋敷」の番町で、江戸時代には高級武家の住宅地だった所である。

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(番町の通り・新宿通りの裏道として便利)

こうして私は、新宿通りを走り、新宿御苑で休憩して、杉並の職場に向かったのであった。


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(新宿御苑付近)

走行距離:61キロ(クロス)

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2009.12.13 Sun
ブルジョワジーの秘かな愉しみ~葛飾水元編
夕べは、お酒で五臓六腑を「浄化」したので、今日は、追い打ちをかけるように、温泉で、さらなる浄化を図ることにした。
内外から浄化して、一段と高次元な人間になるためである???。

天気がよいので先ず洗濯をして、即席ラーメン(50円)を食べて出発。

飯塚橋(中川)を渡って、「大谷田温泉・明神の湯」へ(片道2.5キロ・6速ママチャリ)。
入湯料は、午前割引で600円。

着いたとたんに、また、空腹を覚えて、温泉内の食堂でカツ丼(680円)を食べる。
その後、食べてすぐに温泉に浸かったので、ちょっとお腹が苦しい・・・。
源泉の内湯や露天風呂を楽しんで、大汗をかいて、風呂から出て、カルピスをぐびぐびと飲む。
う~ん、風呂上がりのカルピスはウマイ!

実は、案外知らない人が多いのだが、「明神の湯」には、ソフトドリンク無料クーポン券があるのだ。
本来なら、ソフトドリンクは200円なのだが、この券を印刷して持って行けば5人までタダなのである。

一息ついたところで、足裏マッサージを20分(2000円)をやってもらう。
私は、寅さんと同じで、くすぐったがりやなので、身体のマッサージはちょっと苦手。
だから、いつも、足裏をやってもらう。
かかと付近のツボがえらく効くので、聞いてみると、腰のツボだという。
自覚はないが、やはり、腰が痛んでいるのだろうか・・・。

昼下がりに、「明神の湯」を出る。
飯塚橋を渡って、途中、定番の「シャトレーゼ・水元店」で、大量のアイスキャンディとケーキを買う慣わしである。
ここの洋菓子は、美味しくて安いので、通りかかるたびに、買い溜めをするのだ。
帰宅して、呑ちゃんは、日曜恒例の午睡に勤しむ。
私は、日没までの短い時間を追いかけるように、自転車(クロス)で出かける。

水元公園を抜けて、大場川から中川に出て、中川公園付近をちょっと探索。
中川橋を渡って、帰路に着くが、途中で、激安揚物総菜屋の「かねふじ水元店」に寄って、大きな海老フライ3本を購入(450円)。
この「かねふじ」、数年前までは、金町駅前(地区センターの近く)にあったが、南水元に引っ越してしまったのだ。
おそろしく安くて、以前はよく利用したものだが、我が家からは不便なところに移転してしまったために、最近は、とんと行ってなかった(巨大なチキンカツと唐揚げが特にお薦め・串焼きもあります)。

帰宅して、温野菜サラダと味噌汁などを拵えて、第三のビール(近所の激安スーパーで一缶105円)で乾杯して、海老フライを堪能したのだった。
いや~、今日はたくさんお金を使って、「リッチ」な一日を送れたので、実に気持ちがよい!

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(初冬の水元公園)

走行距離:26キロ(6速ママチャリ+クロスバイク)

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2009.12.12 Sat
すき焼き大会~葛飾デルタ同盟忘年会
今日は、待ちに待った「葛飾デルタ同盟」の忘年会。
そう言えば、昨年も12月の第2土曜日だった。

去年までは、忘年会は「おでん」と決まっていたが、今年は、「すき焼き」にすることにした。
別に豪勢にしようということではなく、おでんは事前の下拵えが必要なので、より簡単なすき焼きにしようということになったのである。

私は、買い出し隊だったので、カゴの付いている6速ママチャリで出かける。
今日の会場は、今年の春、3階の一戸建てに越したびんなん邸(足立区本木)である。

すき焼き用の鉄鍋を前カゴに積んで、出発。
飯塚橋を渡って、大谷田陸橋経由で、荒川へ。
ルートは、走っていてあまり楽しい道ではないが、最短距離のこれ(地図)
たった9キロ弱なので、30分で着いてしまった。

そうそう、この3月に買った6速ママチャリは、先日廃車になったフジクロスのハンドルとブレーキレバーに換装して、ややグレードアップしたことを書き留めておこう(約50グラムの軽量化)。

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(ややグレードアップした6速ママチャリ・荒川土手にて)

もう少し、タイヤが摩耗してきたら、ホイールごと交換して8速化かつ28Cタイヤにするつもり。
たぶん、それだけで、さらに1キロ以上のの軽量化になるだろう・・・。

びんなん邸に着いたので、さっそく自転車で買い出しに出かける。
スーパーで野菜類を買った後、学校の先輩が経営している西新井大師の「ミートショップセキヤ」に牛肉を買いに行く。
事前に何も知らせていないのに、私が店の前に自転車を止めているときから、先輩は気づいたようで、店に入ると、笑顔で迎えてくれた。
ついでに、年末にローストビーフを1キロほど、お願いしておく。
ここのローストビーフは、これまで私が食べたなかでも一番美味しいからである。

メンバーたちが集まって、いよいよ饗宴の始まりである。
最近は、それぞれの親が高齢化して(もちろん、本人たちも)、忙しくてなかなか会う機会がなかった人(やまびこさんなど)もいて、積もる話に花が咲く・・・。

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(饗宴の始まりだ!)

参加できなかったメンバーからも、極上の日本酒などが届いて、私は、例によって、錯乱気味であったかもしれない。

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(すき焼きとセキヤのコロッケ)

Sさんのカヤグム(伽椰琴)の演奏などもあって、荒川畔「びんなん邸」の夜は更けていくのであった。

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(カヤグムの演奏あり)

私は、酔いをさますために一寝入りして(というか、知らないうちに眠りこけていた)、自転車で夜道を帰途に着く。
途中、例によって、「スケベ根性」を出して、近道をしようとしたが道に迷い、かなり大回りして、帰宅することになった。

思えば、今年も、残すところあと2週間ばかりである・・・。

走行距離:26キロ(6速ママチャリ)

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2009.12.09 Wed
最後の一葉
ちょっと寝坊。
そそくさと準備をして、6時過ぎにクロスバイクで出発。

途中、江戸城趾で一休みして、おにぎりを食べる。
堀端の桜の樹を見上げると、葉はほとんど散ってしまって、最後の一葉が残っているだけだった。

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(最後の一葉)

そう言えば、オー・ヘンリーの同名の短編「最後の一葉」は、傑作だったなあと、今更ながらに思いながら、缶コーヒーを飲んで内堀通りを登る。

永福の職場に着いて、一休み。
さて、今日の準備をしようかとリュックの中身を探ると、必要な「道具(書籍)」一式をごっそりと家に忘れてきたことに気づく。
急遽、来週やる予定だった別の教材(イギリスの短編小説、S・モームの「ランチョン」のプリント)を作って、どうにか乗り切る。
やれやれ・・・。

夜も更けて、8時頃、帰途に着く。
今夜の新宿界隈は、何故か、クルマが少なくて走りやすかった。

隅田川土手で休憩。
夜の桜橋は、案外、趣がある・・・。

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(夜の桜橋・隅田川)

走行距離:60キロ(クロス)

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2009.12.08 Tue
冬の隅田川土手
(日記をためてしまった。
1週間も前のことになると、よく思い出せない今日この頃です。)

クロスバイクに乗って通勤。
気持ちの良い冬晴れで、並木の枝をすかして青空を見上げると、嬉しさがこみ上げてくる。

今日も、250円弁当を買って、隅田川土手で遅めの朝食。

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(隅田川土手・土手居住者は大掃除をしていた)

今日は、土手の首都高下で「アウトドアライフ」を送っている人たちが、協同で大掃除をしていた。
そんじょそこいらの町内会よりも結束があって、みんなで協力しあっている姿に感心。

土手下の遊歩道には、たくさんの散歩者がいて、今朝は何だか一帯に妙な活気がある。

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(散歩者の多い隅田川土手遊歩道~

今日の弁当は、唐揚げあんかけ弁当。

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(激安250円弁当)

私には、あんかけの味付けがちょっと甘めだった。
ご飯が先になくなってしまい、唐揚げをちょっと残してしまったことを反省。

走行距離:35キロ(クロス)

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2009.12.07 Mon
アリアドネーの糸~同伴通勤の試み
自転車の先輩でもあり、学校の先輩でもある横山さんと同伴「通勤」をしようということになった。

正しい(?)四文字熟語ならば、同伴「出勤」ということになろうが、これだと、同一の店(職場)に行かなければならないことを意味する。
横山さんと私は、同じ職場に行くわけではないので、この場合、同伴「通勤」というのが正しい言い方なのである。

目的は、厳(いか)めしく言えば、「通勤路の研究」である。
平たく言えば、葛飾区水元あたりから千代田区神田あたりまでの、自転車で走って楽しい道を探すということ。

もちろん、一番簡単で早いのは、すべて大幹線道路(国道6号線など)を走ってしまうことであるが、これは、遅刻しそうなときの奥の手に取っておいて、多少とも時間と距離を犠牲にしてでも、楽しくて安全な道を走りたい。
しかも、通勤というのは、毎日のことなので、時刻や天候や気分によって、何種類かの経路の選択肢をもっていると重宝である。

そういうわけで、お互いに「開拓」した道を教え合いながら、より楽しい経路を模索するというのが、目指すところである。

ところで、葛飾区から千代田区に自転車で走る場合、難しい(乃至は、鬱陶しい)のは、以下の箇所である。

1.中川・荒川・隅田川・神田川をどこかで渡らなければならないわけだが、どの橋を使うか。
もし、これらの川がなかったら、どんなにか、選択可能な経路が増えることか・・・(橋によって、経路は厳しく制約される)。
なかでも、一番の曲者(くせもの)は荒川で、川幅が広いばかりか、四つ木橋と木根川橋以外は、自転車泣かせである。

2.環七を渡る。
どの経路をとるにしても、どこかで環七を渡らなければならない(ただし、中川沿いに青戸陸橋をくぐってしまえば、渡らずにすむが)。
環七は国道以上に曲者で、いずれの交差点も信号待ちが長く、実にいらいらする。

3.国道4号線(昭和通り・奥州街道・日光街道)を渡る。
どの経路をとるにしても、どこかで国道4号を渡らなければならない。
ある意味で、環七以上に難物。
また、国道4号線のすぐ北には、JRの線路が走っているので、これもくぐり抜けなければならず、この一体は必ず「ごみごみ」する。
交通量は常に多くて、上に首都高が通っているので、大変な喧噪だし、空気も悪い。
しかも、国道4号の交差点は、ことごとく渋滞する(特に秋葉原付近は人も多い)。

4.葛飾区と墨田区の迷路の住宅街を抜ける。
葛飾区と、墨田区の戦災を被らなかった地域は、幹線道路から一歩踏み入れれば、そこは地元の人でさえ迷子になるようなラビリンス(迷宮)。
幹線道路を避けようとすると、必ず、この迷路を走らなければならないが、当然のことながら、スピードも出せないし、距離も長くなる経路を選択せざるを得ない。

5.国道6号線
葛飾区から千代田区に通う場合、まるで運命のようにつきまとう、この国道6号線(現水戸街道)を目にせずにすますことはできない。
ところが、意外にも、国道6号線は、都心に近づくにつれて走りやすくなる傾向がある。
葛飾区内の国道6号線は、環七よりはましにしても、かなり走りにくい。
墨田区内の国道6号線は、葛飾区のそれに較べれば、かなり走りやすくなる。特に、東向島交差点より南は良い。
台東区内の国道6号線は、墨田区内のそれより概して走りやすいが、浅草界隈はクルマが多くて不可。厩橋以南は、かなり走りやすい。
ただ、台東区内の国道6号線は、上りは走りやすいが、下りは枝道の度に左折専用レーンが現れるので、下りは裏道のが走りやすい。

さて、同伴通勤である。

横山さんが、家まで来てくれる。
その経路は、とても文章で書けるものではないが、一応、書き留めておこう。
常磐線の身をかがめなければ抜けられないようなガード下のトンネル(本当は自転車走行不可)を抜けて、中川橋を渡る。
旧水戸街道を少しだけ走って環七を渡ってから、住宅街(亀有1~2丁目付近)を通る水路跡の道を進んで(「亀有さくら通り」など)、「葛飾郷土と天文の博物館」付近で、葛西用水路に出る。
そのまま、国道6号線に入らないのが、横山流のすごいところ。
葛飾区の中でも迷路中の迷路たる四つ木4丁目付近の羊腸の小径をくねくねと走って、四つ木橋へ。
橋を降りてから、いろは通り→大正通りを経て、これまた、猫も恐れる向島の迷路に潜り込む。

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(向島のなかなか良い雰囲気の食堂)

ここまで、書いてきて、ちょっと面倒くさくなったので、後は、概略のみ。
厩橋→迷路→浅草橋ガード沿い→秋葉原駅→外堀通り→御茶ノ水(距離は、通常より2キロオーバー)。

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(浅草橋のガード下)

いやはや、横山さんの迷路への執念は凄まじいもので、ここまで裏道に徹するのは驚異と言えよう。

その昔、古代ギリシャの英雄テーセウスは、クレタ島の迷宮に棲む怪物ミノタウロスを倒したが、その際、アリアドネーが用意した糸を手繰ることによって、迷宮から抜け出すことができたという。
アリアドネーならぬ、横山さんの糸は、どこまでも長かった・・・。

ミノタウロス
(ミノタウロスを退治するテーセウス・紀元前6世紀の壺絵)

走行距離:37キロ(クロス)

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2009.12.05 Sat
「お茶の水」異聞
お袋が術後の検診のため、東京にやって来ることに。
今回は、家に一泊してもらうことになってもいるので、本郷の病院へ迎えに行く。

千代田常磐線で、新御茶ノ水駅へ。
長いエスカレーターを登って、新御茶ノ水ビルのフロアに出ると、巨大な彫刻が目を引いた。

お~、これはもしかして、ブールデルの「弓を引くヘラクレス」ではないか。

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(ブールデル作「弓を引くヘラクレス」・新御茶ノ水ビルの地階フロア)

もちろん、本物である。
ブロンズは、型さえ残っていれば、いくつでも本物が作れるのが良い。
江戸時代の多くの浮世絵が版画であるため、たくさんの本物が存在するのと同じである。
ヘラクレスの身体と弓がしなり、いや、その下の岩までもが一体になって、力動を充填させているようである。

このヘラクレス、気がつけば、ほぼ北東に向かって弓を引いている。
深読みかもしれないが、今でも、徳川幕府にとっての鬼門を意識しているのであろうか・・・。

御茶ノ水橋南詰の交差点の信号を渡って、交番の前に出る。

交番の裏手に、こんな石碑を発見。

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(「お茶の水」の石碑)

御茶ノ水駅を利用しはじめて、早、30年余、この石碑の存在に気がついたのは、今回が初めてだとは、まことに不覚であった。
傍らには、竹樋から水が滴り落ちているではないか。

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(これぞ、「お茶ノ水}?)

なるほど、寅さんの台詞の「チョロチョロ流れるお茶の水」(注)というのは、この「お茶の水」から来ているんだな。
見てみると、イメージがぴったりだなあ・・・。

さらに、傍らに1957(昭和32)年に建てられた石碑があった。
ここに「お茶の水」の来歴のあらましが記されているので、以下、全文を写しとってみよう。

聖堂の西比井名水にてお茶の水にもめしあげられたり
神田川掘割の時ふちになりて水際に形残る
享保十四年 江戸川拡張の後川幅を広げられし時 川の中になりて 今その形もなし
(再校 江戸砂子 より)

 慶長の昔、この邊り神田山の麓に高林寺という禅寺があった。ある時 寺の庭より良い水がわき出るので 将軍秀忠公に差し上げたところ お茶に用いられて 大変良い水だとお褒(ほ)めの言葉を戴いた。それから毎日この水を差し上げる様になり この寺を お茶の水高林寺 と呼ばれ、この辺(あた)りをお茶の水と云うようになった。
 其の後、茗渓又小赤壁と稱して文人墨客が風流を楽しむ景勝の地となった。時代の変遷と共に失われ行くその風景を惜しみ心ある人たちがこの碑を建てた。
 お茶の水保勝会 坂内熊治
  高林寺    田中良彰
 昭和三十二年九月九日


なるほど、「お茶の水」という湧水が湧き出ていたのは、江戸の初期だけのことで、以後、どこにも存在しなくなってしまったんだ(現在流れているのは、単なる水道水)。当時は、このあたりには、高林寺というかなり大きな寺があって、湧き水が出ていたのは、その境内だったということ。
さらに、いろいろ調べてみると、実は、この高林寺という寺があったのは、現在チョロチョロ流れている「お茶の水」のある神田川の南岸(千代田区側)ではなく、北岸(文京区側)であったということが分かった。

だが、その詳しい場所については、よく分からない。
私の手元にある、江戸後期の地図には、高林寺は既に跡形もない。
ヒントになるのは、江戸初期の様子を伝える「江戸図屏風」の次の画像である。

高林寺
(神田川左岸[北岸]の川辺にある「お茶の水」と「高林寺」・上が西)

この絵図に上下に流れているのが神田川。
緑に囲まれている大きな寺が高林寺。
その境内から東に下がった川辺に、大切に柵で囲われているのが「お茶の水」である。

上流に木橋が見えるが、たぶん、水道橋のあたりであろう。
実は、この図のちょっと下(東)には、筋違橋(現在の万世橋と昌平橋の間にあった)が見えることから、現在の順天堂病院から水道橋に至る、神田川の崖っぷちになってしまったあたりに、それはあったのではないかと思われる(詳しくは、「江戸図屏風」を拡大してご覧いただきたい・左端)。

また、この絵図を見るに、現在の神田川より、かなり浅いもので、橋もかなり小さいし、馬で流れを渡っている人がいたりする。

神田川は、江戸城外堀として、開幕時より開削が始まっていたが、この絵図の頃は、現在よりも細くて浅いもので、その後、さらに大規模な工事が行われることによって、「お茶の水」の水脈は枯れて、その後の明暦の大火後、高林寺も現在の文京区白山(文京区向丘2丁目)に移設されたのだという。

それにしても、当時の神田山(そもそも一続きになっていた本郷台と駿河台の旧呼称)を深く開削して、その土砂を現在の東京駅付近まで運んで広大な湿地帯を埋め立てるという大工事は、江戸初期に於ける八ッ場ダム工事のように大がかりなものであったろう。
ただ、あれもこれも、江戸城の外堀を作るという城塞防衛上の要請であり、江戸庶民の福祉のためではなかったことだけは確かなことのようである。

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(神田川・上流をのぞむ・正面のビルが、順天堂病院)

(注)以下、寅さんの啖呵売(たんかばい)の全文。
「四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水くさい、四谷赤坂麹町、チョロチョロ流れるお茶の水、粋なねえちゃん立小便、田へしたもんだよカエルの小便、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし、結構毛だらけ猫はいだらけ」。

走行距離:2キロ(ママチャリ)

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2009.12.04 Fri
綾瀬異聞~韓国料理店とガード下
十日ばかり前に、新大久保で韓国料理を食べたばかりだというのに、また、食べたくなった。
韓国料理は、何というか、「これでもかぁ~」というような、挑戦的な雰囲気があって、元気をつけるには持ってこいである。

目指すは、綾瀬の「ジャングム」という店。
この店は、ネットで探し回っても、何故か、まったく情報が得られない。
実は、この店は、私が8年ほど前に最初に行ったときは、「カムジャバウ」という店名で、実に美味しいカムジャタンを出していたのだが、その後「ジャングム」という店名に変わった
店名が変わったことだけは、つかんでいたが、まだ行ったことがなかったので、今日は是非、訪ねてみようと思ったのだった。

同行者は4名(葛飾デルタ同盟のメンバー)。
綾瀬駅西口改札で待ち合わせて、いざ、出陣。

綾瀬の街については、以前にも何回か書いたことがある。
綾瀬は、私にとって、何よりも先ず、流山に向かう前に新撰組が逗留した場所であった。
http://danchotei.blog75.fc2.com/blog-entry-42.html

しかし、実は、綾瀬駅は、北千住駅と並んで、ガード下が素晴らしい。
ガード下というのは、一種の地下世界で、うらぶれた隠匿性と歪んだ虚飾性とが花開く場所である。
明るい表通りから、このガード下に入ると、人は、曰く言い難い、猥雑な興奮を覚えるであろう。

そのガード下には、たとえば、以前によく通った「ぽんた」という、豪快な鮮魚料理を出す、かなり優良な居酒屋があったりするから面白い。

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(ガード下が素晴らしい綾瀬・「ぽんた」付近)

また、西口に近いガード下には、私の大好きな「立ち呑みコーナー江戸っ子」がある。
その隣の「ラーメン屋・ピリカ」も、その店名が、何となくもの悲しいのがよい。

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(「立ち呑みコーナー江戸っ子」・外の値段表を見るべし・実に安い!)

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(「立ち呑みコーナー江戸っ子」付近のガード下)

さて、韓国料理店に戻ろう。
以前の記憶を辿って、路地を進む。
その店のあったはずの場所に行くと、何と、またしても、店名が変わっていた。
その名ぞ、「大邸家」。
大邸(テグ)というのは、韓国の地名だし、看板にも、「韓国料理」と書いてあったので、依然として、韓国料理店であることには変わりはないようである(店のレイアウトも以前と同じだった)。

われわれは、「黒マッコリ」(珍しい)、「カムジャタン」、「チャプチェ」、「サムギョプサル」などを注文。
しかも、太っ腹なママさんが、「水キムチ」(かなり美味)などをサービスしてくれた。

私が一番ウマイと思ったのは、「サムギョプサル」。
サムギョプサルは、直訳すると、サム=3、ギョプ=層、サル=肉。
つまり、三層肉と言うことで、日本語流に言えば、豚の三枚肉(あばら肉)の意。
そうなのだ、要するに、豚あばら肉の焼肉のこと。

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(「サムギョプサル」)

この「サムギョプサル」だが、以前は、丸いプレートが多かったが、最近は、写真のような四角型が流行っているようで、これが実によくできている。
写真では分かりにくいが、プレートがわずかに傾斜していて、焼いた肉から出てくる脂が流れて、「下流」のキムチなどに染みこんで、味を深くする一方で、最下流には、雨樋のようなものが切ってあって、そこから余分な脂がしたたり落ちるような構造になっているのだ。
これまた、韓国人の合理主義的側面をよく表しているものと、私は思う。

肉の表面がカリカリに色づいてきたら、ハサミでざくざくと切って、ニンニクのスライスと特性味噌とともにエゴマの葉っぱでくるんで食べる。

ちょっと脇に逸れるが、「サムギョプサル」が一番美味しいのは、実は、済州島(チェジュド)である。
なぜなら、済州島は、豚の名産地で、かの島では、「サムギョプサル」ならぬ「オギョプサル」がある。
「オ」とは「5」のことで、三枚肉ならぬ五枚肉というものがあって、さらにウマイとされる。
済州島は、海産物(アワビ粥など)も格別だが、私は、この済州島の「オギョプサル」が、これまで食べた豚肉料理では断トツだと思う。

正直、カムジャタンは、新大久保の「松屋」のが上だが、葛飾区内に、こんな韓国料理店が健在なのを知って、大変嬉しくなった。
次は、豚足やケジャンを食べてみよう。

メモ:「大邸家」(葛飾区小菅4-9-8・Tel:3603-0673)

走行距離:34キロ(クロス)

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2009.12.03 Thu
「低温蒸し煮鍋」でガッテン!
原則、木曜は休みなので、家でゆっくり。
雨なので、今日が出勤だったら、さぞかし憂鬱だったろうなあと思う・・・。

朝食は、洋梨+ヨーグルト(呑ちゃん作)+牛乳と野菜ジュースの半割
昼食は、卵かけご飯+アミの佃煮+ふりかけ+コーンフレーク

午後から買い物に出る。

今夜は、今週のNHK「ためしてガッテン」で紹介されていた「低温蒸し煮鍋」を作ってみることに決めていた。
今週のこの番組、実は、私は見ていないのだが、呑ちゃんの話によると、すこぶる美味しそうだというので、拵えてみることにした。
何でも、野菜やキノコ類は、低温(60~70度ぐらい)で熱した方が美味しくなるらしくて、そのために鍋内の温度が高くならないような工夫の施された調理法だというのだ(材料と作り方は、上記URLのページか、この日記の最後をご参照)。

作り方の通り、まず、具材を鍋の中に積み上げてみた。

IMG_3412.jpg
(まず、具材を積み上げる・ちょっと順番を間違ってしまった。本当は、豆腐はもっと下にすべきだった)

そして、火を入れるのだが、鍋の中が、ある程度以上高温にならないように、鍋縁と蓋の間に箸を挟む(ここがポイント!)

IMG_3413.jpg
(箸を挟んで着火。ここがポイントである)

そして、出来上がり。

IMG_3414.jpg
(完成)

ただ、食べ始めてみると、ちょっと火の通りが浅くて、もう一度、何分か火にかけた。

ポン酢で食べてみたが、確かにキノコ類(椎茸としめじを入れてみた)の香りがぐっと前に出てくるようで、とても美味しい。
モヤシや小松菜も、ぺちゃぺちゃにならなくて、本来の風味が引き出されているように感じた。

この鍋も、いろんなバリエーションを考えられそうで、チンゲンサイや白菜を入れてもよさそうだし、豚肉の替わりに鶏モモ肉でも面白いような気がする。

これからの季節、重宝な鍋を教わった。
ガッテン!ガッテン!ガッテン!・・・

★「低温蒸し煮鍋」の作り方

以下、NHK「ためしてガッテン」のHPから無断で引用しました。

材 料;
* こんにゃく 280g(1枚)
* 緑豆もやし 2袋
* しめじ 50g(半パック)
* 豚バラ肉しゃぶしゃぶ用 200g
* 木綿豆腐 300g(1丁)
* 小松菜 100g
* わけぎ 50g
* 塩 少々

作り方;
1. こんにゃくは下ゆでして薄切り
小松菜、しめじは一口大に
わけぎは斜め切り
豆腐は6等分にする
2. 空の鍋にこんにゃくを敷き詰めて、ひたひたに水100mlを張り、塩少々を加える。
3. 次にもやしを平らに敷き詰めて蒸し台の代わりに。
4. もやしの上に、肉やきのこをそれぞれが重ならないように置く
5. (4)の上に豆腐を均等に置く(柱にするイメージで)
6. 豆腐の上に小松菜やわけぎを置く
7. 土鍋のフタの下にはしですき間を空け、中火で10~12分加熱。
8. フタを手で触り、熱くなってきたら火を止める。
9. はしを抜いてフタを完全に閉めて、10分余熱。
タオルで保温するのが秘けつ!
10. ポン酢などお好みのたれでどうぞ!

走行距離:2キロ(ママチャリ)

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2009.12.02 Wed
冬に慣れねば・・・
朝まだき、暗い内に、家を出る。
上半身は、(ユニクロの)ヒートテックと長袖ジャージとウインドブレーカーという出で立ちで出発するも、寒くて歯ががたがた鳴りだす。
しまった!もう一枚持って来るんだった。
秋冬用のレーパンも、そろそろ、上から何かもう一枚はかないと寒いなあ。

まだ、冬であることに心身が「慣れて」いないので、どうも、どの程度の物を着て出かければいいのか分からない。
今後は、大事をとって、予備の防寒着を備えることにしよう。

浅草あたりで、完全に夜が明ける。
身体も温まってきたので、寒さもあまり感じなくなったが、身体が冷え切っていたので、熱い缶コーヒーを買って、隅田川土手で休憩。

200912020637000.jpg
(早朝の隅田川土手・桜並木の葉もほとんど落ちてしまった)

今日の職場は、杉並区の永福で、片道約30キロ。
浅草で、ちょうど3分の1、四谷あたりで、3分の2ぐらいを走ったことになる。
通勤時は、10キロごとに小休止(or食事orトイレ)を取ることにしているので、隅田川土手と新宿御苑あたりで、休憩することが多い。
2回目の休憩を取った新宿御苑では、陽が差してきて、ちょっと暑いぐらいであった。

夜8時過ぎに、業務終了。

自転車にまたがると、やはり最初は寒いけど、朝ほど気温が低くないので、新宿で、ウインドブレーカーを脱いでリュックにしまう。

夜の国道20号線(甲州街道)は、まるで戦争のようで恐ろしい。
とりわけ、新宿駅のあたりでは、客を拾うために、タクシーが急に路肩に寄ってきたり、バイクが後からすれすれに追い抜いてゆくので、一瞬も気が抜けない。
また、新宿通り(国道20号線)は、左折専用レーンが多いので、交差点の直前で、直進レーンに移動するのが結構大変である。

それでも、竹橋ジャンクションから東に下る坂を降りると、クルマはぐんと少なくなる。
都市の空洞化現象のためであろうか。

この坂を下るのは、大変に気持ちがよい。
武蔵野台地の東端にあるこの坂を下りきると、竹橋交差点に出るわけだが、徳川幕府が江戸に開幕した頃は、竹橋あたりが陸と海との境だったので、このあたりから葛飾までは、ずっと低地である。
江戸初期には、たぶん、この坂のあたりは雑木林に被われていて、その下には葦原が広がって、さらに海に通じていたのであろう。

自転車で走ると、時として、その場所の原風景まで感じることができるのがありがたい。

途中、立ち食い蕎麦屋(「小諸」)で、遅めの夕食をすます。

夜の隅田川が美しかった。

IMG_3397.jpg
(隅田川夜景)

走行距離:60キロ(クロス)

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2009.12.01 Tue
今日から師走~賞味期限間近品50円引に驚愕
いよいよ、今日から師走である。

「師走」というのは、普段は暇な教師さえも走るほど忙しい月だと昔から言われているが、教師を生業(なりわい)にしている私にして、実は、そういう実感はまったくない。
むしろ忙しいのは、年度末や、学期末や、新学期の方で、12月は特に忙しいわけではないので、以前から不思議だなあと思っていた。

ただ、世間には、「師走」なので忙しそうに「しなければならない」と思いこんでいる教師は多くて、連日連夜、自分で忘年会を企画しておいて、忙しい、忙しいとぼやいている教師が多いだけのように思う。

あまつさえ、私は、月を問わず、自転車であちこちを走り回っているので、「師走」という言葉に、ことさらな繁忙感を連想することはないと言ってよい・・・。

今日も、クロスバイクで通勤。

激安250円弁当もちょっと飽きてきたので、早めの昼食を求めて、東向島の100円ローソンに立ち寄る。
で、おにぎり・お稲荷・サンドイッチを買ったのだが、賞味期限間近のこれらの商品が、何と「50円引」になっていたのだ。
これまでは、賞味期限が迫った食品は、20円引と決まっていたのだが、それがさらに30円も値引きになるなんて、どういうことだろうか・・・。

まあ、安いに越したことはないので、購入した食品をハンドルにぶら下げて、いつもの隅田川土手に向かう。
ところが、私の定位置にしているベンチが、数人の散歩者によって、既に占拠されているではないか。
まあ、そのベンチは、私が勝手に「定位置」と思っているだけで、私の所有地ではないので、文句を言うこともできず、仕方なく、桜橋が真ん前に見える木製のベンチに陣取った。

IMG_3410.jpg
(桜橋真ん前のベンチ)

そして、おもむろに、「激安」食品をベンチに広げる。

IMG_3409.jpg
(三品で165円也)

賞味期限が近づいていようが、私は一向に気にならない質の人間である。
これまで、同じ物を食べて、他の人が全員あたっても、私だけは平気であったことが何回もあるからだ。
それに、多少古い方が、かえって「成熟」していて美味しいかもしれないではないか・・・(違うかなあ~)。

私は、隅田川の青い流れを眺めながら、おにぎり・お稲荷・サンドイッチをむしゃむしゃと食べた。

走行距離:35キロ(クロス)

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