日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2009.09.23 Wed
大谷田温泉~葛西用水~足立区立郷土博物館
秋の大連休も最終日。
身体を休めてゆっくり過ごそうと考える。

こういう時は、「大谷田温泉・明神の湯」(足立区)に限る。
家からだと、中川(飯塚橋)を渡ってすぐのところにある(片道約3キロ)。
しかも、昼までに入れば、朝割で600円。

ゆっくり湯に浸かって、休み処の食堂で、「スープカレー」を食べる。

身体と胃袋が癒されたので、自転車であたりを散歩することにする。

大谷田陸橋あたりから、よく整備された「葛西用水路」沿いの道を走る。

IMG_3197.jpg
(葛西用水親水水路・足立区大谷田付近)

目指すは、「足立区立郷土博物館」。
以前にも行ったことがあるが、最近リニューアルされたと聞いていたので、行ってみたいと思ったのである。

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(「足立区立郷土博物館」)

博物館の前庭には、道路拡張工事などによって行き場を失った石碑などが大集合している。

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(集結した石碑たち)

面白かったのは、前庭に、フラフープと竹馬が置いてあって、自由に遊ぶことができる。

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(フラフープに興じる巨大な少女あり)

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(竹馬に興じる巨大な少女あり)

前庭ですっかり楽しんだわれわれは、館内に入場することにする(入館料200円)。
有名な千住のお化け煙突の解説展示や、昭和30年代の復元家屋などあり。

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(昭和30年代の復元家屋・縁側)

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(昭和30年代の復元家屋・室内)

この博物館の庭園もなかなかなものである。
小規模ながらも、鯉の泳ぐ池を中心に、雅趣ある遊歩道がついている。
この庭園だけを参観するなら無料なので(トイレあり)、サイクリングや散歩の途中に立ち寄ってみるのもよかろう。

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(博物館の庭園・池が素晴らしい)

こうしてわれわれは、連休最後の休日を有意義に過ごすことができたのであった。

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走行距離:13キロ(6速ママチャリ)
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2009.09.22 Tue
青戸散歩~「ステーキ那須 」など
何となく中弛みな連休の一日・・・。

通勤路の途中にあって、いつも気になっていた、青戸(葛飾区)の「ステーキ那須」(葛飾区青戸3-34-2)に昼飯を食べに行ってみることにした。

呑ちゃんと自転車に乗って出かける。
中川大橋(6号)→中川西岸→(環七を渡って)青戸商店街→「ステーキ那須」(片道約5キロ)。

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(小さな店が多い青戸商店街の中では、かなり大きな店舗の「ステーキ那須」)

カウンター10席ほどと、テーブル2卓。
2階もあるらしい。
「那須」という店名から、那須牛かなと思ったが、どうも関係はないらしい。

ステーキ定食(サラダ付)を頼む。
私は、サーロインのレアを注文(確か、千円ぐらい)。
それと、瓶ビール一本。

出てきた、出てきた・・・。

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(千円にしては、堂々たるステーキ)

ナイフを入れると、かなりのレア。
私は、レアが好きなので嬉しいが、ほとんど、表面を炙っただけの「刺身」状態である。
こんなにレアで出せるだけあって、肉が良い。
ちゃんと肉の味がする。
値段を考慮すれば、葛飾のステーキ屋としては、3本の指に入ると見た。
ヒレステーキ定食を食べた呑ちゃんも、大満足のようだ。
(そう言えば、先日、街道筋にあったチェーン店「ステーキのドン」に行ったが、すこぶる不味くてぶったまげたものだ)。

自転車を店先に止めたまま、青戸駅界隈を散策。
普段自転車では発見できなかったような店や路地を発見して喜ぶ私。

駅前に「焼きたてメロンパン ハッピーハッピー」の移動販売車が出ていたので、デザートとして買って食べる。

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(「焼きたてメロンパン ハッピーハッピー」の移動販売車でメロンパンを買う)

この手のものとしては、「ロバのパン屋」しか知らない私は、その、表面がカリカリで、中身がふわっととした食味に感心した。

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(巨匠ヨハン・シュトラウスのヴァイオリンを聞きながらメロンパンを食べる呑ちゃん・因みに、葛飾区は、ウィーンと姉妹都市なのです!)

午後からは、水元公園を散歩。

園内の一角で子どもたちが拵えている田圃の稲はすっかり実って、あとは、刈り入れを待つばかりであった。

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(田圃の案山子)

走行距離:15キロ(6速ママチャリ)

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2009.09.21 Mon
浅草散歩~「うな鐵」のひつまぶし
(ちょっと仕事が忙しくなってので、しばらく、日記は簡潔版にします。しかも、まだ、南奥羽ツーリングも書きかけだし・・・)

浅草に行く。
祭日にて、人出多し。

国際通り沿いの植え込みに自転車を止めて、しばし、六区界隈を散策。

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(花屋敷)

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(スペイン語を話していた観光客)

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(大衆演芸場・木馬館)

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(裏から眺めた浅草寺五重塔)

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(昼間から一杯、いいですねぇ)

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(4人家族を乗せた人力車)

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(ストリップ小屋の看板・今は、「ファッションヌードシアター」と言うらしい)

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(場外馬券売場のモニターを熱心に見ているオジサンたち)

そして、昼食に、最近お気に入りの「うな鐵」へ。

いつも頼むのは、これ。

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(「ひつまぶし」)

あ~、うまかったぁ~~~。

走行距離:28キロ(フジクロス+ママチャリ)

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2009.09.20 Sun
流山の歴史探訪
自転車仲間の横山さん企画の「流山歴史ポタリング」に参加。

もしかして長距離を走るかもしれないと思ったので、南奥羽ツーリングで汚れきっていたロードバイクを引っ張り出して、簡単に掃除する。
と言っても、目立った汚れをボロ切れで申しわけ程度に拭いて、駆動機関部に油を吹き付け、空気を充填しただけ。

最近は、涼しくなったので、お茶も、500ミリペット一本で足りるようになった。
ちょっと前までは、900ミリペットでも足りなかったのに・・・。

集合場所は、江戸川に架かる流山橋東詰だが、北風(向かい風)が強かったので、江戸川の西を流れる大場川沿いに北上する。
三郷駅の立ち食い蕎麦屋で、たぬきうどんを啜って集合地点へ。

たすけさんとサスケハナさん(ご夫妻)が既に待っておられて、しばし自転車談議をしていると、ほどなく、横山さんと東葛人さんも到着。
いずれ劣らずの歴史好きが一堂に会した感がある今回のメンバー陣。
しかも、このところ、ひとりぼっちで走ってばかりいた私は、何だかうきうきしてくる。

流山の「今昔」に関しては、おそらくこの人の右に出る者はいまいと思われる、通称「土地の古老」・たすけさんが、軽やかかつ鮮やかに先導してくれる。
当日の経路と訪問地については、たすけさんのその日のブログを参照下さるのがよい。

先ず、われわれが訪れたのは、流山の台地に鎮座する「赤城神社」。
鳥居に掛かる巨大な注連縄(しめなわ)が、神域に入る者を圧倒する。

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(「赤城神社」の巨大な注連縄)

この鳥居をくぐって、急な石段を登る。

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(迫力のある石段)

神殿の前で、手を合わせるサイクリストを発見。

IMG_3146.jpg
(「赤城神社」神殿)

次に訪れたのは、弘法大師が開山したという「東福寺」。
この寺で印象的だったのは、仁王門である。
格子と金網越しで、肉眼ではよく見えなかったが、カメラで撮影すると、比較的鮮明に写し出されていた。

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(真っ赤になって怒っているかのような仁王様)

木彫としては、私はかなりの傑作だと思うのだが、どうであろうか。

その後、たすけさんが、面白い店を案内するというので、付いていくと、眼前にすごぶる奇抜な光景が現れた。

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(「伊勢屋」)

私は、てっきり、地上げか何かにあって、反対運動のようなことをしている店かと思ったら、単なる餅菓子店の看板「群」だった。
お稲荷さんが大好きな私は、是非食べてみたいと思って、注文するが、店のオバサンはただ素っ気なく、「ないっ!」という・・・。

仕方がないので、次のポイントである「三本松古墳跡」へと退散した。

6世紀頃の前方後円墳だという(たぶん、江戸川筋を支配していた畿内の豪族の古墳であろう)。

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(古墳の峰を通る入口付近・舞を舞うサイクリスト一名を発見)

たすけさんに教えてもらわなければ、外貌からは、そこに古墳があったとは気がつかないかもしれないが、珍しいことに、その「後円」部には、江戸後期の石碑が建てられている。

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(江戸後期に建てられた石碑を解読せんとするサイクリスト数名あり)

説明板には、以下のような説明が・・・。

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(「三本松古墳跡」の説明板)

なるほどぉ~、天明の飢饉で困った土地の百姓たちが、古墳を盗掘しようとしたのか。
今聞くと、何となくコミカルで、人間的だなあ・・・。
まあ、そもそも考古学は、盗掘から始まったようなものなので、世が世なら、「大発見」だと騒がれたかもしれない。

それはともかく、古墳を盗掘をしたのが天明年間で18世紀末だとして、この碑が建てられたのが文政11(1828)年で19世紀前半なので、この石碑は、約一世代以上前の出来事を振り返って記していることになる。
過去の歴史を振り返って、「反省」を強いるような何らかの出来事があったのであろうか。
まさに、歴史と倫理の融合かもしれない。

その後、われわれは、いずれも台地の上に建立された「熊野神社」や「大原(だいばら)神社」(八潮市にも、大原(だいばら)という地名あり・もしかして、「大」は「台」に通じるのではないか)を訪れた。

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(「熊野神社」)

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(「大原神社」からの眺望)

昼時になって、大分腹も減ってきたので、「金太郎鮨・流山店」で、600円のランチ鮨(椀・サラダ付)を食べる(ウマイ)。

腹が満たされたわれわれは、「流山市生涯学習センターホール」の「関東の戦国時代~戦乱と飢餓が常態化していた戦国時代。大名や庶民の実情に迫る」という講演を聴きに行く。

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(講演を聴く)

講師の黒田さんの説の真骨頂は、本土寺(松戸市)に残された戦国期の過去帳の分析から、当時の人々の死因の背景には、常に飢餓が存在したという点に着目したところであろう。
飢餓が常態化していたからこそ、略奪のための戦争を惹起したというわけである。

こうして現出してくるのは、物言わぬ農民が千年一日の如く暮らしていたというような江戸期の牧歌的な農村風景ではなくて、武装した飢餓農民(百姓)が、血眼になって村々を襲い合うという恐ろしい社会である。
まるで、秀吉の朝鮮侵略や、日本軍の中国侵略を連想させるような血も涙もない殺伐とした中世像が浮き彫りになる。
変な比喩かもしれないが、ハリウッド製の西部劇ばかり見ていた人が、いきなりセルジオ・レオーネの辛口マカロニウェスタンを見せられたような驚きを私は感じた。

従来ならば、「階級」と「余剰」という用語で説明していたものを、「飢餓」と「戦争」というキーワードで捉え直すとこうなるぞという、視点の大きな逆転が、ここにはある。

私は、この講演を聴きながら、絶えず頭の中で、深沢七郎の『笛吹川』と弥生時代の環濠集落のことが渦巻いていた。
甲州武田の所領に住む農民一家の視点から描かれた『笛吹川』では、ヒーローは一人も存在せずに、人間はただ、虫けらのように生まれて死んでいく。
弥生時代の環濠集落は、それこそ、武装集団としての村の原型である。

生と死以外何もリアルなものがない時代の人々は、仮想現実を追いかけて止まない近代人とは、まったく異なった「倫理」あるいは「気風」を備えていたに違いない。

それがいかなるものなのかを、もっと知りたいと思った。

実に有意義な一日で、しかも、楽しかった。
こんな企画を実現してくれた横山さんやたすけさんには、本当に感謝である。

おっとっと、忘れるところだった。
解散後、横山さん&ゆるさんに、流山の超優良魚屋を教わった。
角上(かくじょう)魚類」。
流山街道筋にある、安くて新鮮な魚介類を置いてある大きな魚屋さんである。
この種の店に来ると、私は、錯乱状態になって、しこたま買い込んでしまう習性があるのだが、今回は、リュックを持っていなかったのが幸いし、塩鮭としめ鯖だけを買って帰ったが、今度は、本格的に買い出しに来ることにしよう。

走行距離:42キロ(ロード+ママチャリ)

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2009.09.19 Sat
十条・赤羽散歩~飲み歩きの一日
去年の春、南イタリアを旅行した際に知り合ったS夫妻に誘われて、川口のイタリア料理店で一緒に昼食を食べることに。

今日は、「鯨飲馬食にして酒池肉林ならむこと、是れ必定なり」と確信していたので、電車で出かけることにした(呑ちゃんも一緒)。

先ずは、川口のイタリア料理店で赤ワインをたらふく飲んで、「露払い」を済ませたわれわれ四人は、今度は電車で荒川を渡って、十条界隈を散策することにする。
東十条駅で降りて、案内されるままに、商店街や路地を歩き回った。
私は、ちっとも土地勘がないので、どこをどういう風に歩き回ったかは、今もってよく分からない。

歩いていると、目の前に、立派な大衆演芸場が現れた。
これが、かの有名な「十条 篠原演芸場」だという。
有名かもしれないが、私は知らなかった。

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(路地に突然現れた「十条 篠原演芸場」)

十条界隈の路地は、墨田や葛飾の商店街より、ややこざっぱりとしている感じがする。

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(十条の商店街)

先ほどイタリア料理店で、スパゲッティなどを食べたばかりだというに、もう腹が減ったと言い出す者あり(実は、私です)。
商店街の餃子屋で、餃子やシュウマイと、ビールなどを大量に買い込んで、公園で一杯やることにした。

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(美味しかった餃子屋さん)

公園(「赤羽自然観察公園」)で、餃子をつまみに、またまたしこたま飲んだわれわれは、小高い丘の上の住宅街を歩いて、赤羽に向かった。

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(あまり自転車には乗りたくない、赤羽近くの坂の多い住宅街)

丘を下りきった所に、「稲村城跡」の石碑(北区赤羽西)があった。
聞けば、戦国時代に太田道灌が築いた城跡だという。
現在は、寺になっている。

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(「稲村城跡」の石碑)

赤羽駅は、東が「表」で、西が「裏」に当たるようだ。
西口の駅前付近には、今でも、古い建築物が残っていて感心する。

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(赤羽駅西口の古民家)

赤羽では、ちょうど仕事が休みで家にいた友人のSさんも無理矢理呼び出して、赤羽駅東の飲屋街に繰り出す。

いやぁ~、赤羽は、実に飲屋街が充実している。
と言っても、新宿や渋谷のような肥大症的な歓楽街ではなく、きちんと下町風情を保持しているのが、何と言ってもありがたい。
歩いているだけで、そこはかとなく元気が漲(みなぎ)ってくる。
いつの日か、もし葛飾区が「滅亡」したら、赤羽か東十条あたりに引っ越すことにしようかな・・・。

赤羽在住のSさん(看護婦さん)の勧めで、「赤羽 トロ函」という活気のある飲み屋に入ることにした。

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(活気のある店内)

各テーブルには、金属製の四角い七輪が備え付けてあって、鮪のカマやら海老やら蟹やら栄螺などを焼いて食べる。
海浜の番屋のように開放的な店内には、海産物を焼く煙がもうもうとたちこめて、どうしようもなく、威勢のよい飲みっぷりを促す。

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(炭火で焼かれるサザエとホタテ)

ここでも、浴びるように飲んだわれわれは、炭火の炎に火照った身体を冷ますべく、赤羽の街をあてどもなく歩き回ったのであった。

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(充実した赤羽の飲屋街を散策)

私はその後、どのように帰ってきたのか、よく覚えていない。
もし自転車で行っていたら、帰りに荒川に転落していたかもしれない。

走行距離:3キロ(ママチャリ)

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2009.09.18 Fri
ディズニーランド異聞
昨日は内陸部(印旛沼)に行ったので、今日は、海が見たくなった。
四ツ木にちょっと用事があったので、木根川橋から、久しぶりに荒川サイクリングロード(西岸)を走る(フジクロス)。
曇天にて、たまに霧雨が降るが、強めの北風(追風)に押されて、快走する。

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(江東区新砂あたりの荒川河岸・正面の観覧車の見える所が葛西臨海公園)

清砂大橋(橋上からの景色は抜群)を渡って、葛西臨海公園(あまり好きじゃない)で小休止。

さて、ここから、旧江戸川沿いに北上するんじゃ、いつものパターン通りなので、舞浜大橋を渡って、浦安のディズニーランドの方へ行ってみることにする。

舞浜駅前を経由してディズニーランドあたりに出て、私は、名状しがたい、この世ならぬ風景に、心底、ぶったまげる。

最後にディズニーランドに来たのは、約10年ほど前のこと。
その時は、誰かにタダ券2枚をもらったので、当時小学生だった次女を連れて、年末のディズニーランドを訪れたのだった。
その時のことは、某掲示板に書いたものが残ってたので、このブログの過去の日記として、再録しておいたので、ご関心の向きは、ご参照のこと(「ディズニーランド訪問記」2000年12月)。

あれから10年。
自分とは、微塵も縁のない場所と思っていたディズニーランドは、自転車で来てみると、とにかくびっくりするような場所だった。

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(ディズニーリゾートの滝と私のフジクロス)

ディズニーランドを取り囲むようにして、自転車で走っても実に気持ちの良い車道と遊歩道が付いている。

ディズニー地図
(ディズニーランド周辺地図)

私は、これらの道を爽快に走り回ることができたのだが、まるで異空間に迷い込んだようで、不思議な興奮を覚えた。

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(まるで、フロリダにやってきたかのような棕櫚の街路樹・但し、私はフロリダに行ったことはありません)

たとえば、このホテル。
ルネサンス様式あり、ロココ調あり、ビザンチン式あり、イスラム式ありで、様々な様式が不思議な形に混在している。
良く言えば、「万国(国際)」的、悪く言えば、高速道路のインター付近によくあるような、ラブホテルの巨大バージョンである。

IMG_3116.jpg
(ラブホテルの殿堂のようなディズニーランドのホテル)

前述の如く、このあたりは、自転車で走るには持ってこいの場所で、実に気持ちよく走れる場所であるが、腹が減ってきた私が困ってしまったのは、沿線に、ラーメン屋などの食堂が一軒もないことである。
「消毒」され尽くしたが如くに、そういう一般的な食堂は、あらかじめ「消去」されていて、米国風の取り澄ました棕櫚の並木道があるだけなのである。

帰り道、旧江戸川沿いに、やっと、一軒の食堂を見つけた(店名失念)。
昼間から、「一人宴会」をやっているオジサンたち(港湾労働者)のたまり場のような食堂で、ディズニーランドからもほど近い。
私は、その店のテーブルで、オジサンたちの世間話を聞きながら、一杯のラーメン(疑似トンコツ風)を啜った。

それは、あの、巨大なラブホテルが建っている場所から、ほんの150メートルのところにある食堂だったのだが・・・。

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(旧江戸川沿いの舟だまり)

走行距離:75キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

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2009.09.17 Thu
印旛沼へ~県道57号線の回避ルートなど
銚子・養老渓谷から帰ってきて、自転車に乗りたくてうずうずしている。
呑ちゃんは、筋肉痛で、休養日にしたいということなので、昼食に茶蕎麦を食べた後、自転車で出かける(フジクロス)。

とりあえず、江戸川サイクリングロードに出る。
快晴で、北よりの微風。
何となく、広々とした所に行ってみたいなあ。
そうだ、久々に印旛沼に行ってみよう!

和名ケ谷と紙敷(松戸市)の田園地帯を抜けて、「串崎新田」に出る。
「串崎新田」から初富に至る国道464号線は、変に湾曲している上に、踏切や信号も多くて始終渋滞しているだけでなく、路肩も狭くて、実に危険で走りにくいので、私は、ほぼ北総線沿いに初富の手前まで抜ける裏道を行くことにしている。
言葉では説明しにくいので、地図を示しておこう。
串崎新田→華や与兵衛北初富店の地図(クリック・吹き出し表示をオフにすると見やすい)。

初富の交差点で直進。
短い付き合いだった国道464号線と別れを告げて、県道57号線(千葉鎌ヶ谷松戸線)を走る(南東進)。
ところがこの県道57号線、内陸ルート(利根川ルートに対してこう呼ぶ)で銚子方面に向かう場合、成田街道(国道296号線)付近に出るのに大変に便利なのだが、如何せん、全線にわたって、きわめて走りにくい道路なのである。
だからといって、住宅街の中に入ってみても、余りにも無計画な宅地開発が行われた結果、道がぶつぶつと途切れていて、相当な迂回をしないことには走りやすい道はない。
したがって、ここでは、目をつぶって、距離にして4キロ強ほどを猛スピードで走り抜けるしかない(本当に「目をつぶって」はいけません)。

交差点名が分からないが、船橋市三咲付近の、県道57号線が筋違いに折れているところまで頑張って走り抜ければ、あとはもう安心である。

桑納川(かんのうがわ)沿いに開けた谷沿いの台地と山辺を抜ける、実に身持ちの良い道が八千代橋まで続いているからである。
これも、地図で示しておこう。
美咲付近→八千代道の駅の地図(クリック・吹き出し表示をオフにすると見やすい)。

この道は、手賀沼支流の大津川流域と同じような地形の中に形成された道で、前半は台地の上を通り、後半は山辺を通っている(途中から、桑納川沿いにも舗装路がついているが、ちょっと単調)。

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(台地の上を通る道)

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(谷沿いに通る道1)

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(谷沿いに通る道2・立派な長屋門の農家が点在する)

さて、こうして私は、八千代橋の「博多ラーメン」(64点)で腹を満たしてから、新川をたぐり寄せるようにして、印旛沼に到着した。

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(印旛沼の佐倉ふるさと広場)

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(印旛沼の飯野竜神橋)

そうそう、出かける前に、ず~っとめんどくさがってやらずにいたチェーン(9速用・7000キロ使用)の交換をして、ついでに、摩耗していた後輪のタイヤも交換(23Cルビノプロ)。
お陰で、ギア付近の音が静かになって、身持ち良く走れた。

日暮れが迫ってきたので、引っ返す。
帰宅したときには、あたりは真っ暗だった。
夕食は、呑ちゃんと「餃子大会」。
二人で、50個を完食。

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(佐倉ふるさと広場にあった便利そうな周辺地図)

走行距離:86キロ(フジクロス)

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2009.09.16 Wed
養老渓谷紀行2
【雨の養老渓谷下流域を歩き回る】

雨である。
朝のうちは、かなり本降りであったが、昼前には、雨が上がったので、今日は、下流域の「観音橋」から歩いてみることにした。

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(出発点の「観音橋」)

今日の経路は、行き当たりばったりで、道にも迷いながら、結局、養老川を中心に左回りに約15キロほどを歩いた。
観音橋→白鳥橋→宝衛橋→養老渓谷駅(昼食:ラーメン)→渓谷橋→梅が瀬渓谷付近→バンガロー村→塚越→(中瀬遊歩道)弘文洞跡→中瀬キャンプ場→観音橋→宿(「喜代元」)。
途中、雨が降ったりやんだりで、雨宿りをしながらの行程だったが、雨の養老渓谷の風景は、しっとりと静まりかえっているような趣があって、なかなか心地よかった。

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(至る所に彼岸花が咲いていた)

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(大きな栗の実)

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(花梨の樹も、大きな実をつけていた)

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(山道をずんずんと登る)

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(昼なお暗き林道を進むと・・・)

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(宝衛橋に出る・向こうの青い橋が渓谷橋)

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(下を覗き込むと、碧の流れ)

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(先ほど宝衛橋から見上げた渓谷橋)

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(その渓谷橋から、今度は、宝衛橋を見る)

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(路傍の延命地蔵)

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(検地を逃れるための隠田は、さぞかし、こんな感じだったのではないかと思わせる所)

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(途中で、まったく道に迷って、方位磁石だけを手がかりに羊腸の小径を下る)

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(すると、小さな川にぶつかって行き止まり)

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(やっとのことで、バンガロー村にたどり着く)

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(雨も上がって、一安心)

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(・・・と思いきや、また降り出した。雨に煙る中瀬遊歩道)

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(そして、下流域の一番の見所、弘文洞跡)

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(無事、今日の宿に到着)

翌日。
快晴。
徒歩で、宿から養老渓谷駅に向かう。

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(養老渓谷駅舎)

駅舎では、4匹の猫が暮らしていた。
列車が来るまで、呑ちゃん、猫と戯れる。

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(この子猫がかわいかった)

われわれは、小湊鉄道で五井駅まで出て、内房線・総武線・京成線を乗り継いで、葛飾は水元に帰還したのであった。

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走行距離:4キロ(ママチャリ)

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2009.09.15 Tue
養老渓谷紀行1
【去年9月のツーリングでぎっくり腰】

去年の9月、二泊三日の下総と上総を一周するツーリングに行った。
自宅→(利根川経由)銚子泊→(九十九里自転車道経由)大原泊→(養老渓谷経由)自宅。
走行距離:計約340キロの旅だった。
帰路の房総半島横断は、山越えがあったし、とても暑い日だったので、かなり厳しかった。
やっと山越えが終わって、市原の平地に出て、「上総国分寺跡&国分尼寺跡」(国分尼寺の中門と金堂は、当時の建築手法を再現して完全復元されていて、大変にお薦め)を見学したまではよかったが、その後、千葉市内の国道14号の交差点で、発進しようとしたそのとき、腰のあたりに稲妻が走ったかと思うや、ものすごい激痛を感じて、路肩に自転車を止めた。
何と、生まれて初めてのぎっくり腰であった。
ぎっくり腰になると、自転車の乗り降りもままならない。
輪行で帰ることも考えたが、ぎっくり腰の身体で10キロ以上もある自転車を担ぐのは不可能。
おそるおそる自転車に跨って、冷や汗をかきながら、自宅までの30キロをどうにか漕いで帰ってきた。
その後の約1週間は、ほぼ寝たきりの生活が続いたので、この時のツーリングのことは、ブログに書くどころの話ではなかったのであった・・・。

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(復元された「上総国分尼寺」)

【いすみ鉄道に乗る】

そんな思い出のある「養老渓谷」だが、今回は、鉄道で行ってみることにした(夏期休暇中の呑ちゃんと一緒)。

銚子から養老渓谷に行くのは、多少面倒くさい。
銚子(総武本線)→成東(東金線)→東金(外房線)→大原(いすみ線)→上総中野駅。
4つの路線を乗り継いで行かなければならないわけだ。

さて、何回か乗り換えをして、やっと「いすみ(夷隅)線」の外房の始点に辿り着く。
いすみ鉄道も、牧歌的な風景の中を走る路線であることや、赤字線のためその存続が危ぶまれているという点では、銚子電鉄と同様である。
違うのは、銚子電鉄が「電」車であるのに対して、こちらはディーゼルエンジン車輌(バイオディーゼル燃料使用)であるということ。

さっそくいすみ鉄道に乗り込む。

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(いすみ鉄道の大原駅)

一両列車で、車内はがらんとした感じ。

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(がらんとした車輌内)

乗客も少なくて、一番多いときで7人ぐらい。
終点の上総中野駅で下車するときは、われわれを含めて3名だけだった。

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(さっそく昼寝モードに入る呑ちゃん・いっそのこと座席に横になっちゃった方がよかったかも・・・)

いすみ鉄道は、田園地帯や町や村や渓谷や山裾を抜けて走る。
どこもここも、緑があふれかえっている。

IMG_3015.jpg
(牧歌的な車窓)

そして、終点の上総中野駅に到着した。
上総中野駅は、いすみ鉄道の終点であると同時に、ここから内房方面に向かう「小湊鉄道」の始点でもある。

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(いすみ鉄道の「上総中野駅」)

【養老渓谷を歩き回る】

予約してあった宿「滝見苑」の送迎車で、まず宿へ向かう。

ちょうど昼時だったので、宿のレストランで昼食(養老牛の鉄板焼きなど)を食べて、さっそくウォーキングに出かける。
今回の養老渓谷の旅では、一泊目は養老渓谷の上流域泊。
二泊目は、下流域泊(養老渓谷マップ参照)。

渓谷地図
(養老渓谷地図・クリック拡大)

上流域の見所は、何と言っても、「栗又の滝」らしい。
その「栗又の滝」を基点にして、「滝めぐりコース(約6キロ)」というハイキングコースが示されていたので、まず、そこを歩いてみることにする。

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(なだらかな岩肌をなめるように落ちる「栗又の滝」)

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(「滝めぐり遊歩道」を歩く)

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(ゆったりと流れる養老川)

川辺の遊歩道が終わったので、激坂を登って県道178号に出る。
雪国ではないので、道の傾斜がやや険しいが、ここを自転車で走ってもさぞかし気持ちがいいだろうなあと思う。

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(県道178号の展望台から、始点の「栗又の滝」を臨む)

【「滝見苑」はよかった】


一泊目に泊まった宿は、「滝見苑」。
上流域では、この宿しかないと言ってよい。
多少値は張るが、居心地の良い旅館だった。

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(「滝見苑」正面)

われわれの泊まった部屋は、ベランダに小さいながらも露天の湯舟があった。

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(ベランダの露天風呂)

そのベランダからの見晴らしも良好である。

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(ベランダからの眺望)

外の県道から、われわれの泊まった部屋を見上げると、こんな感じ。

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(外から見上げる)

食事も良かった。

子持ち鮎の塩焼き・外房の刺身・鹿肉焼き・しし鍋・松茸の釜飯など。

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(夕飯の品書き)

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(いただきま~す)

たくさん歩いて、たくさん食べた一日。
夜も更けて、秋の虫の鳴き声とせせらぎの水音を聞きながら、眠りについたのであった。

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走行距離:0キロ

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2009.09.14 Mon
屏風ヶ浦の思い出
今日も、夜明けを待って、馬鹿の一つ覚えの如く、屏風ヶ浦まで走る。

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(朝焼けの屏風ヶ浦)

まだ、県道286号線(愛宕山公園線・旧有料道路)が敷設される以前、屏風ヶ浦上の台地一帯のことを、土地の言葉で「赤ハゲ」と呼んでいた。
多分、剥き出しになった関東ローム層の地表が、潮風で酸化して赤銅色に見えたからではないかと想像する。

地表が剥き出しになっていない所は、細竹類や松などの鬱蒼たる海浜植物が繁っていて、その中を、獣道のような迷路が錯通していた。
小学生であったわれわれにとって、赤ハゲは冒険心を激しくかき立てられる場所て、友人たちとあちこちを探索したものである。

一時、自衛隊の射撃訓練場があったためか、たくさん薬莢が落ちているという噂(たぶん、嘘)が流れて、それを探しによく出かけたものである。
しかし、代わりに見つけた物は、昔このあたりに住んでいた人たちが使っていたと思われる、粘土のおはじきや陶器のかけらだったりした。

凄まじい波の浸食によって現在も後退し続けている屏風ヶ浦は、江戸時代以前には、今よりも4キロから7キロも、海側に陸地が延びていたのである。
かつては、そこにはいくつかの集落もあったので、私が子どもの頃には、まだ、その村はずれに当たるあたりには、家屋が遺跡化して地表に顕れていたのだと思う。

こんなことがあった。
その日、小学生であった私たちは、いつものように、見つかるはずのない自衛隊の薬莢探しに「赤ハゲ」に出かけた。
すると、崖の地層の中から、赤銅色の円筒状(太さ10ミリ、長さ50ミリぐらい)の物体を何本も発見して、かなり興奮した。
薬莢のような金属質ではなくて、固い土のようなものだったので、想像力が「豊か」過ぎるわれわれは、こう考えた。
これは、戦争中、グラマン戦闘機が機銃掃射した弾丸が、地面に着弾して、その後、腐食したものに違いない!
われわれは、それを大切に家に持ち帰って、さっそく翌日に、学校に持って行った。
「理科」に詳しそうな先生に、得意げにそれを見せた。
われわれの推理が正しいことを認めてもらうためである。
プラモデルの空き箱に入れて、大事そうに先生に見せると、先生は、ニコニコしながら、「これは、なんかの植物の根っこだっぺぇ。わっりゃあ(お前たち)、赤ハゲは危ねえがら、行ぐんじゃねえぞ」と言われたのであった・・・。

話は脱線するが、当時のわれわれ銚子の少年たちは、一人残らず、銚子商業高校野球部のファンで、しかも、軍事オタクだった。
少年軍事オタクの憧れの的は、第二次大戦中の戦車(ドイツ軍のキングタイガー[ケーニッヒティーゲル]が一番人気)・戦闘機(何と言っても、零戦)・戦艦(何と言っても、大和)・大小火器[サンダース軍曹が使用していたトンプソンサブマシンガンなど]など。
特に零戦は、われわれの憧れ以上の、それこそ雲の上の存在で、プラモデルで何機作ったか分からない。

たとえば、こんなことがあった。
図画工作の時間に魚市場に写生に出かける。
ところが、われわれが描いた絵はどうかというと、魚市場で働くオジサンたちの上空には、必ず、零戦とグラマンとの空中戦の模様が描いてあった。
犬吠埼を写生に行っても、利根川を写生に行っても、上空には、必ず、零戦が飛んでいるのである。
先生も困り果てたらしく、写生に行く前に、こう釘を刺した。
「零戦を描いた人は、零点にします!」と・・・。

屏風ヶ浦の思い出は尽きないが、あの一帯ががらっと変わったのは、何と言っても、現・県道286号線(愛宕山公園線・旧有料道路)の工事が始まってからである。
愛すべき赤ハゲは、単なる「有料道路」になりはてて、もはや、想像力を刺激する場所では、ほとんどなくなった。
今思えば、東京オリンピックの波紋が、銚子まで押し寄せたということかもしれない。

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(刑部岬方面を臨む)

走行距離:たぶん7キロぐらい(24インチママチャリ)

思い出    Comment(4)   TrackBack(0)   Top↑

2009.09.13 Sun
銚子ママチャリ紀行2~国道126号線の回避ルート・銚子電鉄・銚子の温泉
夜明けを待って、ママチャリで出かける。
いつも気になっていた国道126号線の回避ルートを調査してみようと思った。

飯岡から銚子市街に至る国道126号線は、路肩も狭く、交通量も多く、しかも、坂が多いので、走っていて楽しい道とは言えない。
また、三崎町で国道126号線から分岐する県道286号線(愛宕山公園線・旧有料道路)も、自転車で走るには、最低最悪の道である。
まあ、何かのトレーニング(忍耐力を養うとか)をしようと言うのなら、このド単純に繰り返す面白みのない坂は、それなりに意義があるかもしれないが、常人ならば、決して楽しいとは言えまい。

飯岡から、銚子に入るのに、坂をまったく回避するのは不可能ながら、分かりやすい道としては、県道71号を選択するのが一番よいのではないかと思う。
比較的なだらかな里山の中を貫通する県道71号(銚子旭線・旧国道)は、景色もよいし、椎柴で国道356号と合流してしまえば、あとはずっと平坦な道が続くからだ。

ただ、県道71号も、交通量が少ないとは言えない。
利根川に「利根かもめ大橋」が開通して以降、東金や旭からその橋を渡って茨城方面に抜けるのには、県道71号が一番早くて便利だからだ。

とすれば、あとは、国道126号線の南側の台地の沢を縫うように通る道を探すしかないことになる。

そして、今回、そのルートをほぼつかむことができた。
しかし、複雑すぎて、とても文章では説明できないので、詳しくはまた後日と言うことにして、今日は、道の雰囲気だけを書き記しておこう。
一応、地図だけは示しておく(すべて舗装路)。
経路地図(クリック・ふきだし表示をオフにすると見やすい)。

基本的には、台地の沢伝いに通る農道や旧道を辿る道なので、里山の風景を満喫することができるし、国道126号線よりも、かなり登り坂を回避できる。
そして何よりも、ダンプカーに追い立てられずにすむのがありがたい。

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(こんな感じの農道を走る)

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(あたりには、堆肥の香りが漂っている)

今回はママチャリだったために走るだけで疲れてしまって、分岐点にさしかかったときに、選択しうるすべての道を探査することはできなかったので、まだまだ改良の余地はあると思う。
また、なにしろ、指標になるようなものがほとんどまったくないので、何箇所か間違えやすい所がある。
迷ったときのことを想定して、方位磁石は必携である・・・。

さて、午後からは、昨日銚子にやって来た呑ちゃんと銚子の温泉に行くことにした(お袋は昼寝)。
今回は、銚子駅から銚子電鉄に乗る。
駅では、ボランティアのオバサンが、制帽とプレートを持って、写真撮影のサービスをしていたので、さっそくお願いして、写真を撮ってもらう。

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(帽子を被って敬礼!・乃木希典に似ていると言う人あり。しかし、私は軍旗を無くしたぐらいではクヨクヨしません!)

背後に写っている車輌は、銚子電鉄の中でも一番古いものらしくて、確か、60年ほど前のものだったと思う。
発車までの時間、ボランティアのオバサンが、銚子電鉄の沿革と現状などを説明してくれた。

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(ボランティアの女性。もんぺ姿だったのが良かった!民主党政権になって銚子電鉄がどう変わるかについては言及なし)

銚子電鉄の面白いところは、道で言えば、まるで路地や農道のような所を通っていることである。

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(小さな塚の切り通しを抜けんとする銚子電鉄)

われわれは、犬吠埼駅で降りて、私のお気に入りの「犬吠埼観光ホテル」(私が子どもの頃は、ここに50メートルの海水プールがあった)の温泉に浸かる。

温泉の後は、海の見えるソファで地ビールを飲む。

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(地ビール・ちょっとやり過ぎかなあ・・・)

こうして、われわれは、また海岸伝いの道を歩いて、銚子電鉄に乗った。

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(犬吠埼を臨む)

走行距離:たぶん25キロぐらい(24インチママチャリ)

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2009.09.12 Sat
銚子ママチャリ紀行1~屏風ヶ浦・千騎ケ岩など(お袋電動自転車を欲しがる)
9月12日(土)

24インチママチャリに乗って、家の南に広がる台地を登って、親父の墓参りに行く。
その後、台地を走り抜けて、屏風ヶ浦へ。

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(屏風ヶ浦下の怒濤の遊歩道)

屏風ヶ浦下には、ずいぶんと以前から「怒濤」を被らんばかりの遊歩道が付いている。
昔は、この遊歩道伝いに飯岡の手前まで行けたものだが、今は、西側の道は、波の浸食によって破壊されてしまって、通行禁止になっている。

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(波の浸食によって壊れてしまった遊歩道・屏風ヶ浦)

この遊歩道をずっと辿っていくと、海岸の縁を通って、長崎鼻まで行けるのだ。

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(途中は、こんな綺麗な遊歩道になるが・・・)

ただし、名洗町を越えるあたりでは、こんな道も走らなければならない(50メートルぐらい)。

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(名洗港で一端遊歩道が切れるので、こんな野中の道を行く)

ついでに、名洗町の写真。

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(名洗港)

遊歩道をさらに走って行くと、犬若町の入口で遊歩道は終わる。
と同時に、飯岡から10キロに渡って伸びている屏風ヶ浦も消滅する。

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(屏風ヶ浦の最東北端)

犬若海岸は、私の子どもの頃は、広大な渚が広がっていて、絶好の海水浴場だったが、その後埋め立てられてしまい、「銚子マリーナ」という何とも詰まらない場所になってしまった。
ここだけではないが、銚子市は、わざわざ巨費を投じて、未来の観光資源を破壊し続けてきたので、かつての銚子半島の天然の美しさは既にない。

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(娯楽船を所有する一部の金持ちと、暴走族ぐらいしか喜ばない「銚子マリーナ」)

犬若港のこの先には、昔から有名な奇岩が今でも存在する。

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(犬岩)

犬岩は、犬の姿に似ているので、この名が付いている。
昔は、銚子の名所だったが、今では、驚くべきことに、「工事関係者以外立入禁止」になっている。
しかも、何の工事も行われていない。
銚子市よ、お前は何をやっているんだ。
さらに、その岬の反対側には、これまた江戸時代から既に有名な「千騎ケ岩」がある。

こちらは、県の天然記念物に指定されているので、かろうじて、それらしい姿を間近から見ることができる。

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(「千騎ケ岩」)

この岩礁は、『利根川図志』の赤松宗旦も訪れているし(岩波文庫版381~386頁を参照)、幕末には、広重もここを訪れて絵を残している。

下総 銚子の濱 外浦
(「下総 銚子の濱 外浦」・遠近がデフォルメされているが、遠方に富士が見えるので、南西方向を臨んだものであることが分かる。右遠方の岬は、飯岡の刑部岬だと思われる)

外川漁港まで来たところで、空腹を覚える。
バイクツーリングの人たちにも人気のあるという「犬若食堂」が、朝だというのに開店しており、誘惑に駆られるが、私が朝食を作ることになっているので、引き返すことにする。

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(「優雅」な佇まいの「犬若食堂」)

帰宅して、朝食を拵えて、お袋と一緒に食べる(納豆・味噌汁・お新香など)。

昼まで、またしても、買い物をしたり、『利根川図志』を読んで過ごす。

午後、昼寝から目覚めたお袋と相談して、原付バイクを処分することに。
去年まで働いていたお袋が、通勤や買い物で使っていたバイクだが、退院を機に、もう危険なので、免許証も返納して、バイクも廃車にすることにした。

さっそく、私が子どもの頃から世話になっている自転車屋「塚本」に電話してバイクを取りに来てもらう。
塚本自転車のオジサンに会うのは、たぶん、30年以上ぶりである。
随分と歳をとったのはお互い様だが、非常に懐かしい。
何しろ、幼年時代の固定ギア補助輪付自転車から始まって、24インチの子ども用自転車(小学生)→5速のセミドロップハンドル車(中学生)→懐かしいオーバルギアのロードマン(高校生)に至るまで、銚子時代の私の自転車生活全てに関わってくれたオジサンなのだから・・・。
笑うと、作家の立松和平に似ている塚本のオジサンは、今では自転車が趣味で、東京から銚子まで自転車で走ってますと言うと、何も言わずにニコニコと笑っているばかりだった。

バイクを廃車にした代わりに、お袋は新しい自転車が欲しいと言う。
私は、今ある24インチのママチャリで十分だと思うのだが、どうしても新しいのが欲しいという。
そこで、私は、26インチのママチャリながら、重量11キロを切るミヤタ自転車の「クォーツエクセル」を勧めるが、お袋はこれまたどうしても、電動自転車が欲しいと言う。
電動自転車は重いからやめておけと言っても、お袋は聞かないので、仕方なく、24インチの電動自転車(内装3段)を注文することにした(10月初旬に納車とのこと)。

夕方前に、24インチママチャリに乗って、買いだしがてら、架け替え工事が行われている銚子大橋の進捗状況を見に行く。

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(工事中の銚子大橋)

大分できてきたようだ。
渡るのが今から楽しみ・・・。

走行距離:たぶん15キロぐらい(24インチママチャリ)

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2009.09.11 Fri
お袋の退院~銚子へ
9月11日(金)

快晴。
電車で本郷の病院へ。
御茶ノ水橋を渡る。

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(御茶ノ水橋から上流を臨む)

お袋は、退院に伴う緊張からか、前夜は腹痛で苦しんだという。
支払いを済ませ、医師や看護婦さんたちにお礼の挨拶をして、病院を出る。
タクシーで東京駅へ。
天盛り蕎麦を食べる。

東京駅から特急列車銚子行きに乗る。
北総(下総)の田園風景にうっとりする。
特急で銚子に行くのは、20年ぶりぐらいであろうか、あっという間に着いてしまう。

実家には、まったく食料がなかったので、お袋のママチャリ(24インチ・無変速)を借りて、あちこちに買い出しに出かける。
24インチ車なのに、チェーンリングもスプロケも26インチ車と同じなので、常にローギアで走っているようなもの。
スピードが出ないので疲れる。

IMG_2971.jpg
(24インチのママチャリ・銚子マリーナにて)

夕飯は、鰹の刺身など。

走行距離:たぶん8キロぐらい(24インチママチャリ)

身辺雑記    Comment(2)   TrackBack(0)   Top↑

2009.09.10 Thu
買い出しに出かけて、「矢河原の渡し跡」を見つける
(今日11日から数日間留守にします。退院するお袋を銚子まで送り届けた後、養老渓谷に行く予定。但し、今回は、全部鉄道の移動になりますが・・・)

夜が明けると、まるで秋のような青空が広がった。
大気も涼やかで、活動することを激しく促すかのようである。

米と味噌が底をついたので、久々に、農産物直売所「かしわで」まで買い出しに行くことにした。
6速ママチャリに空気を入れて、出発。
江戸川サイクリングロード→新坂川→富士川→豊四季→大堀川→「かしわで」。
久しぶりに東葛の道を走ったので、懐かしい気分。

画像 103
(「かしわで」前の、子どもたちが育てる小さな田んぼと案山子)

新米が出ていたので、こしひかりの新米5キロを買う。
他に、味噌1キロとニンジンとキュウリを購入。

帰路は、のんびりした田舎道を通って、江戸川経由の経路で。
自転車を押して江戸川土手を上がったところに、何だか文字の書かれた標識柱があったので、見てみると、「矢河原の渡し跡」だと書いてある。
何だ、こんなところにあったのか。

画像 104
(近藤勇が西軍に投降した「矢河原の渡し跡」)

1868年4月、綾瀬の屯所から北上してきた新撰組一行は、ここ流山の地に陣屋を築くが、西軍(官軍)到来の折に、近藤勇は何故か、この「矢河原の渡し」で敵軍に投降したのだという(なぜ投降したかは依然なぞであるが・・・)。
これまで何回も、流山の陣屋跡付近を歩き回ったのだが、この渡し跡だけはうまく見つけることができずにいたので、何だか嬉しい。

近藤は、この渡しから対岸に渡って、西軍に連行されて、板橋で処刑されることになる。

画像 105
(「矢河原の渡し跡」の対岸風景)

午後は、フジクロスに乗って、本郷の病院へ。
いよいよお袋は、明日、退院である。
明日には、銚子に帰れるので、お袋は興奮状態で、すぐにでも出かけんばかりの勢いである。
でも、よかった。
よく頑張ったね。

走行距離:60キロ(6速ママチャリ+フジクロス)

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2009.09.01 Tue
大震災の記憶~防災の日に寄せて
北風ふきぬけ 垣根も凍るよ
やがて芽をふく 春まで耐えよと
鳳仙花おまえの 命を祈るよ
(キム・ヒョンジュン作「鳳仙花」より)

「防災の日」に当たる今日は、途中、関東大震災の記憶を留める場所に寄ってみた。

まず、私の通勤路の近くにある、(荒川に架かる)木根川橋の袂(現墨田区)。

画像 077
(荒川サイクリングロード[葛飾区側]から見た木根川橋[一番手前の橋])

1923年9月初め、震災時の流言蜚語に惑わされた自警団(一般の日本人)によって、多数の朝鮮人(女性子どもを含む)が、このあたりの墨田区側の荒川河川敷に追いつめられ、刺殺撲殺された。
そこへ、軍関係の車輌がやって来て、機銃(連発式火器)によって、さらに生き残った朝鮮人を射殺して埋めたという(その後、2度に渡って軍の車輌が遺骨を掘り起こして持ち去った)。

この種の虐殺は、なにもここだけ起こったことではなく、千葉・埼玉・神奈川でも広く行われた

木根川橋の袂の河川敷には、ささやかな慰霊所が設けられている。

画像 078
(木根川橋下の慰霊所)

そこには、朝鮮半島の民族花であるムクゲの樹を取り囲むようにして、鳳仙花の花が植えられている。
私は、9月1日とは限らないが、毎年9月の初めには一度はここにやって来て、一人で手を合わせることにしている(因みに、毎年9月の第一土曜日には、地元の有志の方々によって追悼式が行われている)。

ただ、この話題に触れようとすると、私は、どうしても平静な心が保てない。
気持ちが激しく動揺してしまって、キーボードを打つ手も震えてしまう。
だから、ここでは、あまり感想らしきものを書くことができない。

荒川サイクリングロード右岸を走って、平井大橋のところで土手にあがり、蔵前橋通りに出る。
そのまま蔵前橋通りを西進して、旧中川を越えると、亀戸の町に入る。
その亀戸の街中に、「浄心寺」という小さな寺がある。

画像 091
(亀戸の「浄心寺」)

この寺には、いわゆる「亀戸事件」の犠牲者の慰霊碑が建てられている。

画像 087
(「亀戸事件犠牲者之碑」)

大杉栄・伊藤野枝とその甥(6才)の3名が、震災後のどさくさの中で、憲兵に連行されて虐殺された、いわゆる「甘粕事件」は有名であるが、「亀戸事件」もそれに類する事件である。
大地震の翌々日、労働運動家10名が、警察によって連行されて亀戸警察署内で虐殺された事件である。

画像 089
(「亀戸事件」の碑の説明)

私は、この碑の前でも手を合わせた。

さて、再び蔵前橋通りに戻って、そのままさらに西進すると、やがて、以前の日記にも書いたことのある「東京都慰霊堂」(墨田区横綱町)が見えてくる。

ここは、大震災と東京大空襲の犠牲者を祀ってあるところなので、今日こそ、詣でなければならないような気がした。

震災記念日の今日は、「秋季慰霊大法要」が行われていた。

画像 086
(「秋季慰霊大法要」が行われていた東京都慰霊堂

場外の沿道には、出店まで出ていて、結構賑やかな雰囲気である。

画像 085
(露店も出ている)

さて、この慰霊堂の北の一角に、「関東大震災朝鮮人犠牲者」の追悼碑があって、献花にまじって、マッコリのボトルなどが捧げられていた。

画像 083
(「関東大震災朝鮮人犠牲者」の追悼碑)

この碑の左側には、説明板もあった。

画像 082
(碑の説明)

その冒頭には、こうあった。

「1923年9月発生した関東大震災の混乱のなかで、あやまった策動と流言蜚語のため6千余名にのぼる朝鮮人が尊い命を奪われました・・・」。

この碑の前にも、たくさんの人々が訪れて、かなりの長い間、その前で立ち尽くしていた。

画像 092

私も、この碑の前では、ことさらに深々と頭を垂れて、犠牲者の冥福を祈った。

確かに自然災害は、大変に恐ろしいものではあるが、地震や台風そのものを止めることはできない。
しかし、戦争や、この種の殺人行為は、止めることができるはずだと考えながら、ふと慰霊堂の方に目をやると、地元の子どもたちがおもちゃの鉄砲をたくさんぶら下げて遊んでいた。

画像 084
(慰霊堂の前で戦争ごっこをやっている子どもたち)


注;(『江東区史』中巻より)
「 ・・・余震の続くなか辛うじて業火を逃れた人々は、飢渇にあえぎながら極度の疲労と不安に陥っていた。交通、通信が一切途絶し的確な情報も伝わらない混乱のなかで、さまざまな流言が飛び交い、社会不安はいやが上にも高まった。流言は警視庁の記録によれば「富士山爆発」「大津波襲来」など地震関連のものから、間もなく「社会主義者及び朝鮮人の放火多し」とか「不逞朝鮮人来襲」などその内容は一変した。「朝鮮人数十人門前仲町方面に来襲」「朝鮮人などが爆弾で放火、毒物散布」とか「清澄庭園に毒物投入、魚類多量死」さらに「朝鮮人数百人侵入、強盗、強姦、殺りく」など事実無根の流言に惑わされ、人びとはこれを真に受けて恐れおののいた。
 こうした流言の発生源については、官憲当局が特定の予断に基づいて流したものとする一方、朝鮮人に対する差別意識と偏見による自然発生であるとするなど諸説があって、真相は明らかではないが、新たな恐怖が恐怖を呼んで、人びとは異常な興奮状態に導かれていった。軍隊や警察ばかりでなく、在郷軍人・青年団などを中心に各地区で結成された自警団の民衆までが凶器を携えて「朝鮮人狩り」に奔走する事態となった。この結果、多数の朝鮮人が殺害された。その数は正確には知りえないが、ニ七〇〇余名とも推定六四〇〇余人に上がるとの調査もある。当局は、事件に関する報道を一〇月ニ〇日まで禁止した。 ・・・ 」(『江東区史』中巻)


走行距離:43キロ(フジクロス)

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