日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2009.08.31 Mon
脆弱なる近代人の私
(東北[南奥羽]ツーリングの報告は、当該日の日記[8月21日~30日]に書き継ぐことにします)。

朝、蒲団の上で目覚めるも、しばらくここがどこなのか迷う。
そうか、家に帰って来たんだ。

東北の旅から帰ってきて、初めての朝。
外に出てみると、台風の影響で、強い北西風が吹いている。
台風が来る前に帰って来られて本当によかった!

テレビをつけると、昨日の衆院選の結果を報じている。
自民の歴史的大敗だという。
当たり前である。

無策な農政で荒野と化した東北の田野をずう~っと見てきた私にとっては、「遅すぎた」としか思えない。
アメリカのマリオネットたちが演じた張りぼてインチキ政権が、ここで、良くも悪しくも終焉を迎えたというのは、自然(じねん)の結末(ピエロは哀し)。
この半世紀ほど、「儲け」を捻り出すために荒れに荒れ果てた山河は快復できるのか?
日本列島の住民の我慢強さの方に、私は改めて驚いた。

テレビを見ているうちに、いつの間にやら、眠り込んでいた。
やはり、疲れているのか。
身体的にはその自覚はないが、緊張が解けた弛緩から、すぐに眠くなってしまう。

顔を洗って、本郷の病院に出かける。
外に出てみると、ぶったまげるような風と雨。

あ~、良かった。
台風の到来前に帰ってこられて。

上下合羽に身を包み、6速ママチャリで出かける(ルイガノクロスは後輪振れのため、尚、お蔵入り中)。
車道路肩は水溜まりを形成しているので、走るほどに靴内に水が押し寄せる。
足が濡れると、気概を殺がれるものだ。

とは言っても、雨の中の旅人にとっては、これ当然のことで、草履で旅をしていた人々にとっては当たり前のこと。
私は近代人なので、足が濡れることに、これほどの「事件」を感じてしまうだけのこと。

幸いに涼しいので、合羽の中は蒸れないですむ。
でも、指ぬき手袋をしている指先は、ずっと雨に曝されているので、ふやけてくる。
私は近代人なので、手の皮が脆弱で、短時間でもダメージをうけてしまう。

昌平坂をぜいぜい言いながら登る。
しかし、これとて、数キロも続く東北の坂道に較べれば、コップの中の嵐に過ぎない。
何だ坂こんな坂・・・。
疲れてるのだから、仕方がない。
近代人の私は、すぐに言い訳をする。

病院到着。
靴はグシュグシュで、合羽の中にまで水が侵入。

しかし、お袋の前だけでは、気丈に振る舞いたい。
合羽をトイレに置いて、何喰わぬ顔で病室へ。

久しぶりに会うので、何だかこっぱずかしい。
「自転車で来たのかい?」。

東北旅行の話しを簡単にする。
明日は、写真を見せるからね。

内部まで濡れた合羽を着ての帰路。
強情な向かい風に、合羽がはためく。

立石まで来たところで、ついに我慢しきれずに、8月19日に開店した「100円ローソン」で、納豆巻きを食べる。

家に到着すると、呑ちゃんがすでに帰宅していた。

私は、途中で買ってきた鶏肉・シメジなどを俎板の上にのせて、炊き込みご飯(+茄子の味噌汁)を拵える。

家の食卓で食べる夕餉は久しぶりであるという感慨を覚える間もなく、私は蒲団の上の人となっていた。

歌川 広重 「庄野 白雨」
(歌川 広重 「庄野 白雨」・風雨の中を旅する江戸時代の旅人)

走行距離:34キロ(6速ママチャリ)
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2009.08.23 Sun
南奥羽ツーリング3~米沢から新庄まで・天童で転倒
5時起床。
快晴で、暑くなりそうな気配である。

洗濯物は、案の定、乾いていない。
洗濯物を乾かす一番確実な方法は、濡れたまま着てしまうことであるが、それが嫌なら、私の場合、リュックの両側にあるメッシュの部分に突っ込んでおくと、走っている間に風を受けるので、多少は乾くのが早い。
今日は暑くなりそうだったので、まだ濡れてはいたが、思い切って身につけてしまった。
かえって冷たくて気持ちがよいが、冬の東北でこの方法をとれば、命を落とす危険もあるので注意・・・。

夕べの調査によって、駅前の立ち食い蕎麦屋は6時半開店だということをつかんでいたので、6時20分にチェックアウト。
ホテルのオバサンにお礼を述べて、駅前に向かう。
たぬき蕎麦を食べる(結構美味しい)。

駅前のコンビニで、最低限の食料(おにぎりなど)とお茶を買って、まずは、上杉神社(米沢城趾)に向かう。

そう言えば、昨日、福島から米沢に入って、「街路の小道具」が一つ変化した。
ここで言う「街路の小道具」というのは、信号機のこと。
私が走った山形県を貫通する国道13号沿いの全ての地域で、信号機は次の写真のようなものである。

IMG_2766.jpg
(米沢市内の「縦型」信号機)

そうなのである。
雪国の信号機は、関東の横の信号機とは違って、縦に並んでいる。
上から、赤・黄・青。
縦型なのは、雪が積もりにくくするためなのだという。
なるほど、帰りに、鳴子峡を越えて、宮城県の平地に入ると、ちゃんと横型の信号機に戻っていた。

さて、上杉神社(米沢城趾)である。
早朝なので人もまばらで、空気が澄み切っている。

IMG_2767.jpg
(上杉神社・内堀に架かる橋の上から)

私は、この神社そのものにはまったく関心がなかったので、あくまでも、米沢城趾として、濠の内を歩いたり、濠の外を自転車で走ったりしてみた。
しかし、結局のところ、米沢城は平城(ひらじろ)だったので、建築物が失われた今となっては、濠を除けば、城跡であることをさして楽しむことはできなかった。
せっかくこの城は一度も戦禍に遭うことなく、無事、明治維新を迎えられたというのに、明治6年、「廃城令」という、実にくだらない法律によって取り壊されたのだ(モッタイナイ話である)。

IMG_2771.jpg
(素晴らしい内堀)

城趾内を散策していると、面白い石碑を発見した。

IMG_2772.jpg
(「米沢牛の恩人 チャールズ・ヘンリー・ダラス」の石碑)

チャールズ・ヘンリー・ダラスは、幕末維新時に日本にやってきた多くのお雇い外国人教師の一人(英国人)で、米沢の学校に赴任した際、牛肉が食べたくて仕方なくて、地元の農耕牛を潰して食べたところ、これが大変美味しくて、横浜まで一頭連れ帰ったという。
原種としての「米沢牛」が既に食用に適していたというのが、私には驚きだった。

またそれよりも、米沢から横浜まで、牛をどんな交通手段で運んだのかも、興味があるが、どこにも書かれていなかった。
牛に引かれて善光寺でもあるまいし、はるばる米沢から横浜までの約350キロ(奥羽山脈越えをともなう)を歩かせたら、やせ細ってスジ肉ばかりになってしまうだろう。
当時、牛を乗せられるような車輌(巨大な大八車)はあったのだろうか。
あるいは、新潟か福島の港まで歩かせて、そこから船で運んだのであろうか・・・。

上杉神社よりも、私は、内堀の外にあった、明治以降の上杉家旧家の方が面白かった。
維新の内戦(戊辰戦争)時、最初は西軍に協力しながらも、途中から奥羽越列藩同盟に加盟した米沢藩は、戦争終盤になって、再度、西軍に付いたという複雑微妙な立場で終戦を迎える。
維新後、結局は減封になったものの、上杉家はうまうまと「華族」となりおおせて、旧城内に豪壮な邸宅を築くことになる(白河藩や会津藩の連中が聞いたら怒るだろうな・・・)。
とは言え、その邸宅は、洋風をまったく衒(てら)うことのない、堂々たる和式建築だった。

IMG_2770.jpg
(旧上杉邸の裏門にて・松の巨木が往時を偲ぶ)

あまりゆっくりとしているわけにはいかないので、上杉邸の(公衆)便所で用を済ませて、街中の旧道の「筋違い」を通って国道13号線に出る。

最上川沿いに自転車道(数キロだが)があること(「置賜自転車道」)はつかんでいたが、舗装状況などがよく分からなかったので、泣く泣く、交通量の多い国道13号線(通称・米沢街道)を北上することにする(地元の人は(特に雪国の場合)、「自転車道」という認識があまりないようで、この言葉を使って聞いても、大抵は首をかしげるだけ。「川沿いの遊歩道」という言葉を使うとよい)。

米沢からの国道13号線(米沢街道)は、赤湯温泉の手前ぐらいまでは比較的平坦でぐんぐんと進むことができるが、その先は、山形市の手前まで10数キロの険しい登り道となる(ほぼ、奥羽本線と平行に走る)。

IMG_2774.jpg
(赤湯から上山に上がる長い峠の始まりである)

今回の旅で覚えたことだが、こういう長い登り坂の場合は、最初からフロントをインナーに入れてしまって、あとはずっとリアのギアを、微妙に変化する傾斜に合わせるようにこまめに変速しながら登っていくほうがよい。
最初はアウターで踏ん張って、堪えきれなくなったらインナーに入れるというのは、良い考えのようだが、実は、数百メートルの坂ならいざ知らず、数キロ以上続く長い坂の場合、かえって疲れてしまうようのだ。
要は、筋力の使い方をなるべく分散させた方がよいのである。

こうして、国道13号の長い坂を登っていると、異様に白い山肌が現れてぎょっとする。
疲れている眼には、一瞬、雪のように見えたが、無論、そんなはずはなくて、よく見ると葡萄畑だった。

IMG_2775.jpg
(山肌を被う葡萄畑)

帰ってきてから調べてみると、ここ山形県南陽市赤湯は、ワイン用葡萄の名産地で、当然、ワイナリーもあるという。
事前に知っていれば、試飲ぐらいしてみたかったものだ。

山形市に入るまでの国道13号線は、たぶん、標高250~300メートルの峠が続くが、上山あたりからの車道は、舗装も良好で路肩も広く、また、場所によっては、幅4メートルぐらいの堂々たる歩道もあって、かなり走りやすくなる。

山形市に入ると、今まで登ってきた300メートルを一気に降りることになり、路面状況が良好なことに加え、ほぼ直線道路なので、20分間ほど、ペダルを漕がずに時速50キロの世界を満喫することができる。

山形市に入ったところで、かなりの空腹を覚えた。
すると、国道13号線沿いに「ラーメン 山岡家」のどでかい、赤地に白抜きの看板が見えた。
関東でも、特に茨城県あたりではよく見かける「ラーメン 山岡家」だが、山形で出会うとは思わなかったので、一瞬目を疑った。
昼前だったが、既に「営業中」だったので、喜んで入店する(私が「口開け」だった)。
「ラーメン 山岡家」(山形青田店)

10時半過ぎぐらいから気温がかなり上昇してきていたので、カウンターに座るなり、店の冷たい水を立て続けに何杯も飲み干す。
こういう時の水は、千金に値する美酒ほどにウマイ!
醤油ラーメン(麺硬め・脂普通)を食べて、地図を見ながら、ゆっくり休憩。

ラーメン屋を後にして、引き続き、国道13号線を走り始める。
山形市内で坂を降りきってしまったので、しばらく北上すると、また緩やかな登り坂が始まる。
結局その登り坂は、その後、20キロ以上続くことになる。

また、日本海側特有のフェーン現象かどうか分からないが、今日はすごく暑い。
コンビニが現れる度に、お茶を買い足さなければならないほどだ。
おまけに、路肩は次第に狭くなり、トラックの交通量も増してきたので、場合によっては歩道走行を強いられるので、さらに疲れる。

山形県総合運動公園」の標識が見えた。
国道13号を走るのが心底嫌になってきたし、昼飯あとの眠気も襲ってきたので、この「運動公園」で大休止することに。

国道を右に折れて、しばらく並木道を走ると、想像していたよりはるかに広大な「山形県総合運動公園」が現れた。
陸上競技場や体育館のほかに、野球・サッカー・ラグビー用の各競技場もあって、しかも、各所に池が配置された遊歩道もある巨大な公園であった。

総合運動公園
(「山形県総合運動公園」の園内地図)

私は、自販機で冷たい飲み物を購入し(体育館内の自販機は10円引き)、木陰のベンチに陣取った(園内自転車乗り入れ可)。
(夕べの飲み残しの焼酎なども収納されている)重いリュックを降ろして、ヒップバッグも外して、ヘルメットと靴を脱いで、ベンチに横たわる。
身体を拘束するものが外れると、涼しくて気持ちがよい。
そのまま30分ほど、すやすやと寝入ってしまった・・・。
風で木の枝がこすれ合う音で目を覚ます。
爽快な気分である。
こうして私は、水道で顔を洗って、再度、国道13号線に戻った。

そして、この直後、私にまったく予期せぬ事態が待っていようとは知らずに、元気を取り戻した私は、国道13号線を快走していた。

国道13号線の「原町」交差点の直前でそれは起こった。
信号が赤になったので、減速しはじめていた。
右方向「山寺」の標識を見ながら、停止しようとしたその時、突然、前輪が縦溝に取られて大きくバランスを失い、頭から前のめりにアスファルト上に転倒した。

私としては、何が起こったのか分からず、すぐに後を振り向いて、クルマがいないことを確認して、とにかく自転車を引きずるようにして、歩道に上がった。
歩道上に座り込んで、痛む場所を一つ一つ確認した。
まず、右足の膝頭に大きな傷が開き、血が流れている。
同じく右ふくらはぎに大根おろしでこすったような擦過傷。
黄色いシャツをきた右肩に血がにじんでる(シャツを脱いでみないと状態が分からない)。
左手の全指に突き指をしたような痛み。
右前頭部に激しい痛み。
ヘルメットを脱ぐと、内部の緩衝材が4センチほど割れていた。
これは大変だと、立ち上がろうとするものの、ふらついてしまってうまく立てない。
軽い脳震盪を起こしているようである。
幸い、後のボトルケージに200CCほどの水が残っていたので、ラグビーの「魔法の水」の要領で、頭にぶっかける。
しばらくすると、ふらつきも治まったので、今度は自転車のダメージを調べる。
右のSTI(ブレーキレバー兼変速レバー)が、内側に大きく折れ曲がっている。
力ずくで元の位置に戻す。

何らかの応急処置をしなければならないと思い、とにかく自転車に乗って、歩道をゆっくり走り出す。
変速やブレーキには異常なし。
幸いなことに、数百メートルで、「道の駅・天童温泉」が現れ、コンビニも隣接している。
私はまず、コンビニで、消毒剤と水(1リットル)を購入し、道の駅に行く。

道の駅・天童温泉」には、大きな足湯施設があって、たくさんの人々が湯に足を漬けて楽しんでいたが、こうして楽しかるべき足湯も、足に怪我をしている今の私にとっては、何の意味もない。

私は、まず、トイレに入って、足の傷口に水をかけた。
冷たい水なので、非常にしみる。
その後、買ってきた消毒剤を大量にぶっかけた(痛さに顔が歪む)。
右肩の傷も、同じようにした。
水道で顔を洗うと、額の右に痛みを感じた。
鏡で見てみると、軽い擦過傷ができていた。
肩の傷はまあいいとして、膝頭の傷には参った。
なにせ、ペダルを漕ぐたびに、伸びたり縮んだりする箇所なので、うまく血が止まるかどうかである。

とにかく、この道の駅で善後策を考えることも含めて、十分休憩することにした。
道の駅の食堂や売店を見て回る。
揚げたての天ぷら蕎麦が美味しそうであるが、行列ができている。
売店では、近隣の農家で採れた野菜などを売っている。
私は、山形名物の「玉コンニャク」(100円)を露店で買って、日陰のベンチに座って休むことに。
地図を開くと、この先、目的地の新庄までは50キロぐらい、途中の尾花沢までは35キロぐらい。
しかも、登り坂基調である。
その時の私の気分では、とてもその日の内に新庄まで走り切る自信はなかった。

東京の呑ちゃんに電話をして、尾花沢の宿をピックアップしておいて欲しいと頼む(但し、無用な心配をかけてしまうので、怪我のことは伝えず)。

膝の血が止まってきたようなので、出発してみることにする。
自転車に跨って漕ぎ出すと、肌が乾いて塞がっていた傷口が開いて、また、血が出てくる。
傷口が紫外線に曝されるとチリチリと痛い感じがするが、消毒になるような気もする・・・。

しばらく走っていると、国道13号線と分岐するように、県道120号が北へ延びていたので、地図で調べてみると、どうも、この県道の方が旧道(羽州街道)らしいことが分かったので、県道の方を進むが、この選択は、間違っていたかもしれない。
路肩も狭いし、クルマも多い。
しかも、一直線の登り坂で、スピードも出ない。
さらに、村上の手前で、渋滞が始まる始末。
旧道を登って行くと、渋滞の原因が判明した。

むらやま徳内まつり」のため、交通規制が敷かれていたのだった。
この祭りは、山形県村山市のをあげての夏祭りであるが、江戸時代の探検家・最上徳内がここの出身であることにあやかって、「徳内」祭りと命名されているらしい。

祭囃子にちょっと励まされながら、私は、旧道から再び、国道13号線に戻った。
ただ、右足と右肩と左手の痛みは引くことがなく、特に右膝の痛みは、ペダルを漕ぐ上での大きな障害になった。
また、左手が痛むので、ブレーキがまともに引けない。
フロントギアも、インナーに落とすことはできても、痛くてアウターに上げることができないので、変速時は、左手でハンドルをしっかりと押さえて、右手でシフトアップした。

尾花沢はもうすぐだが、宿があるだろうかと心配になってきて、携帯メールを見ると、呑ちゃんから調査結果が届いていた。
尾花沢には宿は少ない。新庄ならたくさんあるとのこと。
まあ、そうであろう。

仕方がないので、ここは頑張って、新庄まで走ろうと決意した。
再度走り始めた国道13号線は、これまたすごい坂道であるだけでなく、路面がボコボコでかなり走りにくい。
雪国では、スノータイヤを履くものだから修復がなされてから時間が経った車道は、痛々しいぐらいに荒れている。
それでも、ちゃんとした路肩があるところは、路肩だけは、とてもきれいなアスファルトだったりもする。

IMG_2782.jpg
(国道13号線の路面)

上の写真は、ちゃんとした路肩のある例である。
第一、路肩がなければ、危険で写真なぞ撮ってられないが。
アスファルト部分の路肩は非常にきれいだが、小石の混ぜ込んである車道部分はボソボソ。
路肩がない区間では、自転車も、このボソボソの路上を走らざるを得ず、大変に疲れる。

また、雪国では、路肩部分に小石(砂利)がかなりたくさん落ちている(というより、「積もって」いると言った方がいいかもしれない)。
長い冬の間、雪の中に温存されていた小石が、雪解けの後も、そこに残存し続けるからではないかと思う。
特に、高速時のカーブの際は、要注意で、この小石のために自転車の前輪が横滑りして転倒する危険があるからだ。

それこそ、歯を食いしばりながら、尾花沢の国道13号線を登っていると、農家のスイカ直売所が見えてきた。
軒先では、焼きトウモロコシも売っているようだったので、ちょっと休憩していくことにした。
自転車を乗り付けると、直売所のオバサンが抜けるような明るい声で、出迎えてくれた。
まだ、こちらは何も言っていないのに、とにかく中のテーブルで休んでいけという。
冷たい麦茶を出してくれたので、一気に飲み干す。
焼きトウモロコシ(200円)を注文する。
すぐに出てきた。
ところが、スイカまで出てきた。

IMG_2778.jpg
(焼きトウモロコシとスイカ)

このスイカは?と聞くと、勢いのある山形弁で、「ウチでは、トウキビを頼んでくれた人には、スイカが付くんだぁ」という。
しかも、スイカは「食べ放題」だから、いくらでも「食ってけろ」。
私は、可笑しくて、思わず笑い出してしまった。
オバサンも、一緒に嬉しそうに笑っていた。

スイカに食らいつきながら、「おカアさんの笑顔は最高だね」と私。
すると、自分がいかに農作業が好きか、朝起きて、毎日、畑に出て仕事をすることがどんなに楽しいかを面白おかしく説明してくれた。
彼女のおしゃべりのおもしろさは、山形弁を忠実に再現できないと、うまく伝えることはとてもできないが、私にはその力はない。

自転車で東京から来たと言うと、特にびっくりすることもなく、自分はスイカを「コシャエル(拵える)」ことはできても、自転車には乗れないという。
その対比がまた面白くて、私は大笑い・・・。

ここのスイカ、お世辞ではなくて、私がこれまでの人生の中で食べたスイカで一番美味かった。
あんまり美味かったので、東京の呑ちゃんに送ることにした。
因みに、ここ尾花沢は、スイカの名産地である。

奥山農園
山形県尾花沢市大字五十沢

スイカは、怪我にも健康にも良いから、もっと食べろ、もっと食べろという、熱心な勧めを振り払うように、私は、自転車に跨って出発した。
元気をくれた、スイカ売りのおカアさん、ありがとう!
あんたのことは、一生忘れまい。

IMG_2779.jpg
(元気に手を振ってくれた、尾花沢のスイカ売りのおカアさん)

国道13号線をまた走り始める。
舟形トンネルを抜けると、どうも、分水嶺を越えたらしく、あとは新庄の街まで下り坂基調になった。
そろそろ日没が近くなったようで、風も、ぐっと涼しくなってくる。
その風に、ここ出羽の国では、もう、ススキが揺れていた。

IMG_2780.jpg
(ススキ野)

やっと新庄の街に着いた頃には、あたりは薄暗くなりはじめていた。
小さな城下町新庄では、明日からの「新庄祭り」のため、あちこちで祭りの準備が賑々しく繰り広げられていた。

呑ちゃんから選択してもらった宿泊所リスト(駅の観光案内所は既に閉まっていた)から、一番トップにあった「アーバンホテル新庄」に電話をかけると、幸運にも空き室ありと言うことだったので、喜びいさんでホテルに向かう。
4000円で朝食付(パンとコーヒー)だという(何と安い!)。
フロントに出てきた従業員のお兄さんも大変に親切な人で、自転車も、そのまま、ホテルの会議室に置いておいてよいという。

くたくたで腹ぺこの私は、とにかくチェックインして、部屋で洗濯をしてから、駅前の居酒屋で食事をした。

IMG_2783.jpg
(新庄の居酒屋にて)

シャワーを浴びてベッドに潜り込むと、今日一日のことが走馬燈のように思い出された。
たった一日の出来事とは思えないほど、長い一日だった。

(この項、了)

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2009.08.22 Sat
南奥羽ツーリング2~郡山から米沢まで・爽快なる旧街道の旅
2日目。

8時起床。
いつもは夜明け前に起き出してしまう私だが、今日は、日が高くなってからの目覚めとなった。
7時には出発したいと思っていたのに・・・。

そそくさとシャワーを浴びて身繕いをする。
チェックアウトして、ホテルの前で自転車を組み立てる。
さて、立ち食い蕎麦でも食べてと、自転車に跨ると、ホテルの目の前に立ち食い蕎麦屋「かんだ蕎麦」があるではないか。
郡山まで来て、「かんだ」蕎麦もどうかと思ったが、さっそく入って、「掻き揚げ蕎麦」を啜る。

さて、とにかく国道4号線に出ようと、駅前の道を北に向けて走り始めると、古い道標に出くわした。

IMG_2756.jpg
(左・會津街道 右・奥州街道の道標)

ということは、今いるこの道が旧道ということになる。
何と幸運な!

地図を調べて見ると、この道は県道355号(須賀川二本松線)で、国道4号線の東数キロのところをほぼ平行に走っていることが分かった。
実は、この道は、昨日夕から、気になっていたのだが、もっと早く気づいていれば、こちらの道を走ったのにと後悔した。
また、これも後で気づいたことだが、須賀川から郡山あたりまで、阿武隈川沿いに「サイクリングロード」(「自転車道みちのく」)が存在することも分かった。
疲れていると、道に対する感覚が鈍感になるものだ。
今回の旅は、私にとっては広域に過ぎて、事前の経路調査が不十分だったことを、この後も、幾度も思い知らされる羽目になった。

この県道355号(須賀川二本松線)と、二本松が始点となってさらに北へ向かう県道114号(福島安達線)は、まるごと旧奥州街道に当たり、今回の旅の中でも走っていて最も楽しい道の一つだった。
いつか是非、もう一度走ってみたいものである。

さて、この道は、その名の通り、二本松まで連れて行ってくれるので、安心して走り出した。

IMG_2760.jpg
(左に安達太良山を見ながら旧街道を走る)

私は、そもそもが、サイクリングロードのような自転車専用道よりも、一般の街道を走るのが好きなのだが、県道355号(須賀川二本松線)は、風景が多様なのに加えて、クルマの交通量も信号機も少なくて、しかも古い道らしい道中の風情に加えて、適度な高低と曲がりくねりがあって、走っていてすこぶる爽快である。

IMG_2757.jpg
(小さな川畔で)

郡山から福島までの間に、たぶん、2,30の峠があったと思うが、傾斜はさほど激しくなくて、登り詰めた後には、非常に気持ちの良い下り坂が現れる。
ギアで言えば、アウタートップからインナーローまでをフルに使用することができる、というか、フルに使用するのが楽しい道で、ロードバイクで走るのにはこれほどうってつけの道はないと思う。

IMG_2761.jpg
(街道筋の峠から臨む重層的に連なる阿武隈山系の山並み・中景に見える高架が東北新幹線)

次回、たとえば、「北」奥羽のツーリングをするときには、この道を再度走りたいので、須賀川を起点にしたいと思う。

郡山から福島までは、距離にして65キロぐらいであろうか。
正午頃、福島に到着したときには、もっとこの道を走りたくて、着いてしまったことを残念に思ったほどである。

さて、福島の町は、阿武隈川とともに、われわれを迎えてくれる。
阿武隈川は、いかにも国境の河という風情がして、思わず「イムジン河」のメロディーが思い出される(「♪イムジン河 水清く とうとうと流る・・・」)。
その阿武隈川が貫流する福島の町は、非常に美しい。
また、鄙びた旧街道の山野を走り抜けてきた者にとっては、実に大きな都市であることに驚く。

IMG_2762.jpg
(福島着・阿武隈川・背後の大きな橋は国道4号線)

IMG_2763.jpg
(阿武隈川沿いより福島市街地を臨む)

福島市街地の詳細地図は持っていなかったので、美しい阿武隈川沿いの道を、方位磁石だけを手がかりに、駅前を目指す。
福島駅界隈には、なぜか、ラーメン屋と餃子屋が多い。
腹ぺこだったので、駅の周辺をうろうろと走り回って、なかなかいい雰囲気を醸し出している大衆食堂に入る。

私は、昼間から「一人宴会」をしている客がいるような店が好みなのだが(金町で言えば、「ときわ食堂」のような)、入ってみると、まさしくその手の店だったので、嬉しくなってくる。
その名ぞ、「大政食堂」(福島市栄町12-24・国道13号線沿い)。
ケレンミがなくて、まことに麗しい店名である。

先客はオジサン二人。
いずれもカウンターに座って、ビールやコップ酒を傾けている。
一人は、黙々と新聞を読み、もう一人は、店のオバサンとカウンター越しに世間話をしている。
こういう光景を見ているだけでワクワクしてくるのものだ。
私も、カウンターに座って、「餃子定食」(600円)を注文して、水を飲みながら、福島弁の尻上がり調子の鼻音韻を楽しむ(「大政食堂」の雰囲気をよく伝えているブログあり)。

店のオバサンも、カウンターでビールを飲んでいるオジサンも、私が店に入ってきたときから、それとなくこちらの様子を伺っているような気配がしていたのだが、食べ終わって、「ごちそうさま!」と言って私が立ち上がるや、今の内に聞いておかねばというかののように、「どこから来たんですか?」とオバサンが急き込むようにして聞いてきた。
ビールのオジサンも、「大したもんだ」などと、話に加わってきて、しばし、話をする。

これから米沢に向かいますと言うと、オジサンが言うには、国道13号線の山越え(栗子峠)は危険なのでやめた方がいいという。
実は、迷っていたのだが、国道13号線は、14万分の1の地図でも、最低7箇所のトンネルがあって、全部合わせると10キロ弱ほどもある。
危険なのは、山道だからではなく、長いトンネルがあるからだ。
しかも、歩道が所々しかないらしい。

自転車乗りにとって、トンネルほど嫌な場所はない(まあ、クルマの人にととってもそうだろうが)。
景色は見えないし、空気は悪いし、クルマの轟音はうるさいし、そして何よりも、後から追突される危険が常にあるからだ。
栗子トンネルができる前まで使われていた旧国道は、現在は荒れ放題で、未舗装部分が多く、しかも、非常に迷いやすいようだ・・・。
この話を聞いて、私は、ここから米沢までは、輪行にすること決めた。

そうと決まれば、さっそく駅に出向いて、時刻表を確認しなければならない。
駅頭に自転車を止めて、「山形線」(奥羽本線の福島~米沢間の在来線の通称)の時刻表を見ると、何と、次の列車まで2時間以上あるではないか(午後は3時間に1本しかない)。
山形新幹線なら、もう少し早いのがあるが、在来線でもたった40分ぐらいの距離なのに、新幹線を利用するなぞ、私の経済観念が許さない。
昼飯を食べずに福島駅に直行していれば、午後一番の列車に乗れたのだが、のんびり餃子を食べているうちに、その列車を逃してしまったわけだ。

仕方がないので、福島駅前の芭蕉・曾良像の前に座って、観光案内所でもらった福島市内観光案内図を眺めた。
いくつか行ってみたい所はあるものの、時間が中途半端なので行くことはできない。
いっそ、国道13号線のトンネル越えを敢行しようかとも思ったが、命あっての物種なので、それも諦めた。

取りあえず、再度阿武隈川まで戻ってみることにした。
阿武隈川は、実に気持ちの良い川である。
市内の川沿いには、サイクリングロード(遊歩道)がついていたので、そこを走ってみる。

IMG_2764.jpg
(阿武隈川の船着き場跡)

上流に向かって走ると、だんだん江戸川サイクリングロードの流山付近と似たような感じの道になる。
昼を食べた後なので、眠くなってくる。
河川敷で昼寝でもしようかと思うが、日陰がないので、暑くて休めない。
どんどん走っていくが、また戻らなければならないので、適当なところで駅まで引き返す。

駅頭で、ゆっくりと自転車をバラして、輪行態勢を整える。
切符を買って、トイレを済ませて、ホームへ。
やっと列車が入線したので、何かの試合帰りの女子高生の一団(バレー部かな?)と一緒に列車に乗り込む(山形線はホームの端の方に着くので要注意)。
先頭車輌(と言っても、たった2両編成だが)のドア付近に自転車を置いて、座席に座る。
出発したときには、ほぼ満車で、立ち客もいたが、駅に着く度に、降車する乗客ばかりで、数駅も経ないうちに、車内はがらがらになってしまった。

隣の座席に座っていた、私と同年配ぐらいとおぼしき女性が話しかけてきた。
「自転車で来たんですか?」と言って驚いていた。
何でも、彼女の息子は、埼玉県で働いているのだが、一度、原付バイクで帰ってきたことがあって、「トラックが恐くて、もう二度と嫌だ」と言っていたそうな。
福島からちょっと山寄りに来ると、言葉も気候も違うのだと、美しい東北弁で教えてくれた。

山形線は、まさに、山岳列車である。
「万丈の山」や 「千仭の谷」を越えて、いくつもの絶景が次々と展開する。
奥羽山脈の山襞(ひだ)や渓谷を縫うように走り抜けていくのだ。

実は、山形線は、国道13号線より数キロ南を横断しているのだが、たぶん、この山形線沿いには、自転車で走れる山道があるかもしれないと思う。
たった40分足らずだが、終点米沢までの、なかなか楽しい列車の旅は終わる。

米沢駅を降りると、そこは、直江兼続と米沢牛のオンパレードだった。

IMG_2765.jpg
(米沢駅の直江兼続像)

時間は、まだ17時前。
もう少し走りたい気分ではあったが、まだ宿が決まっていないので、今日は、米沢泊とすることに決めた。

まず、駅前の観光案内所で地図と宿泊施設一覧をもらって、米沢の町を走ってみる。
何と言うか、10分の1ぐらいに縮小した長野という感じの街である。
走るほどに、あちこちの幟や看板の「米沢牛」という文字が、サブリミナル効果を発揮し始めて、にわかに空腹を覚えたので、本格的に、宿探しにかかることに。

東京の呑ちゃんに電話して、米沢市内の宿をネットで調べて、安いものをピックアップしてもらう。
そして私は、観光案内所でもらった宿泊施設一覧の中の、その安い宿に電話して、空いている部屋があるかどうか確認するという「作戦」(?)である。

今日は土曜日だし、直江兼続流行りなので、宿探しは難航することを予想していたが、幸いにも、一軒目に電話した「ホテルつたや」に空室があった。
電話に出たオジサンが言うには、素泊まりで5200円だという。
そのオジサン、電話の先で、くしゃみばかりしているのに加えて、言葉が聞き取りにくくて、多少難渋するが、値引き交渉をして、5000円ぽっきりにしてもらった。

ホテルつたや」は、上杉神社(米沢城址)にもほど近くて、駅からだと、自転車で8分ぐらい。
さっそく自転車でホテルに乗り付けた。

時代遅れのビジネスホテルという感じで、電話で応対してくれたオジサンが出迎えてくれた。
年の頃、70歳ぐらい。
「ちゃきちゃき」の米沢っ子らしく、山形弁が地に着いている。

われわれ関東の者にとっては、太平洋側の東北弁は聞き取ることが比較的たやすいが、日本海側の東北弁はいささか分かりにくいのではないかと思う(独特の母音が多いような気がする)。
それから、もしかしたら、単なる気のせいかもしれないが、奥羽山脈を越えて山形に入ると、福島の人々より、体格が大柄なような気がする。
これは、帰りにも感じたが、逆に、山形から宮城に入ると、宮城の人の方が小柄であるような気がした。

さて、さっそくチェックインをするわけだが、「自転車はバラして部屋に持ち込みますから」と私。
大体、この文句を言うと、向こうが何らかの反応を示してくる。
米沢のこの宿の場合は、それは大変だろうから、隣の母屋(経営者の自宅)の玄関に入れておいていいよと言ってくれた。
因みに、翌日の新庄の宿では、ホテル内の会議室にバラさずに置かせてくれた。
コツとしては、「自転車はバラして部屋に持ち込みますから」というフレーズを、実に当たり前のことであるかのようにサラッと言ってしまうことである(最初から力んで言ってはいけない)。
自転車は、「バラせば手荷物」であるという鉄道での原則論を根拠にすればよいのだ。
仙台のカプセルホテルの場合はかなり苦労したが、それは、また、後日の日記に書くことにしよう。

自転車を経営者の自宅の玄関に置かせてもらって、ホテルの部屋に入る。
エアコンも何も、一時代前の代物である。
まず、洗濯。
着替えは2~3日分しかないので、洗濯をサボるとたちまち着る物がなくなる。
流しに栓をして、ボディソープを少量垂らして、熱めのお湯を張って、そこに洗濯物をどばどば入れる。
これでしばらく漬け置きをするわけだ。

こうしておいて、私は食事に出かける。
玄関から自転車を出して、駅前方面に走る。
メインストリートだというのに、東京の街路に較べるとかなり暗い。

店の名前は失念したが、私は、米沢牛の刺身やセンマイ刺しなどを食べた。

部屋に戻って、洗濯物を洗って、部屋付属のエモンカケに干す。

コンビニで買ってきた芋焼酎を飲みながら、明日の天気予報を見ているうちに、いつの間にやら眠ってしまった。

(この項、了)

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2009.08.21 Fri
南奥羽ツーリング1~郡山まで・装備など
今回の私の旅は、「東北ツーリング」というのは正確ではないので、「南奥羽」の旅としたい。
私が走った「東北」は、東北6県のうちの南の三県(山形・福島・宮城)だけだからだ。

この三県に加えて、起点の宇都宮(栃木県)から終点の水戸(茨城県)まで、南奥羽を時計回りに一周したことになる。

先ず、一日ごとの経路を大まかに示しておこう。

1.自宅(自走)→上野駅(輪行)→宇都宮駅→郡山泊(走行距離:140キロ)
2.郡山→福島駅(輪行)→米沢泊(走行距離:75キロ)
3.米沢→新庄泊(走行距離:125キロ)
4.(終日合宿・新庄祭り見学)(走行距離:0キロ)
5.(終日合宿・金山町訪問)(走行距離:0キロ)
6.(昼まで合宿)新庄→鳴子温泉泊(走行距離:70キロ)
7.鳴子温泉→多賀城趾→塩釜→仙台泊(走行距離:110キロ)
8.仙台→双葉町(福島県北東部)泊(走行距離:120キロ)
9.双葉町→勿来(福島県いわき市)泊(走行距離:90キロ)
10.勿来→水戸駅(輪行)→松戸駅(自走)→自宅(走行距離:70キロ)

10日間の旅で、走った日は8日(まったく走らなかった日は2日)。
計800キロなので、ちょうど一日平均100キロ走ったことになる。
前半は山の中を走り、後半は海沿いを走ったので、風景も変化に富んでいて楽しい経路だったと思う。

夏場のツーリングなので、総じて南風が基調。
1~3の北上時は、追い風(幹線道路なら時速30キロを維持できた)。
6~9の南下時は、向かい風(とりわけ、海沿いの経路は終始南東の、強い向かい風に悩まされた)。

装備や自転車仕様についても、後で繰り返しにならないように、ここでまとめておこう。

フロントバック(小)サドルバッグ(大)トップチューブバッグとリュック(ドイタースーパーバイク:容量:18+4リットル)に、以下のような装備品を収めた(あくまでも夏場仕様・その他ヒップバッグを使用)。

地図(当該ページをコピーしたもの)30枚
3色ペン
メモ帳
合宿資料
チューブ2
携帯工具セット
チェーン切り
チェーン1リンク
自転車カバー(輪行用)
ビニールテープ1
針金(10センチ)1
バンドエイド1
オロナイン軟膏
方位磁石(キーホルダー式)
方位磁石(ベルと一体式)
カロリーメイト1
携帯空気入れ
単三電池2
合羽(上下)
雨帽子
帽子
メガネ
ヘルメット
指切り手袋
軍手1
レーパン3
半ズボン1
靴下(軍足)3
パンツ2
運動用シャツ3(半袖2・長袖1)
ウィンドブレーカー
900ミリペットボトル1
デジカメ
携帯電話及び充電器
芭蕉『奥のほそみち』(文庫版)

今回は、全泊既存の宿泊施設を利用するつもりだったので、これでも軽装のつもりだが、全部で6キロほどになった。
野宿の場合は、ウインドブレーカーと合羽を着込んで、自転車カバーにくるまって寝るつもりだったが、幸いにその機会はなかった。

次に、自転車仕様。

ロードバイク(フレームとフォークはともにクロモリ)
ギア:フロント50-34t、リア14-25t(9速)
タイヤ:23C(ルビノプロ・出発時9気圧)
ペダル:トゥークリップ
前照灯2・後照灯1(夜走らないつもりでもトンネルを抜ける際は必須)

これまでのツーリングの経験から、これで十分だと考えた。
ただ、体重+車重+装備重量が約100キロを超える場合は、23Cのタイヤは厳しいかもしれない(25Cか28Cが望ましいかも。それ以上太いタイヤはむしろ不要)。
また、連日の山越えを主とするような経路の場合は、やはり、フロントは3枚が望ましいかもしれないが、私の今回の経路では、上記仕様で必要にして十分だった。
空気圧は、まったく乗らない状態で、一月に3気圧ほど下がること(あくまでも私の場合)が分かっていたので、出発時に9気圧入れておけば、何とか10日間ぐらいは大丈夫だと踏んだ。
因みに、今回、パンクは一回だけ(帰路の東海村付近で後輪がパンク)。
私の携帯空気入れでは、せいぜい6気圧までしか入らないが、それでも、長距離のダウンヒルがなければどうにかなりそうである(町に入ったときに、どこかの自転車屋で追加補充すればよい)。

IMG_2776.jpg
(今回の自転車と装備・山形県天童の廃墟化した工場跡にて)

さて、やっと第一目の記録を書くことができる。

第一日目

主発前の数日間は、10日間ほど家を留守にするための準備に明け暮れた。
職場に提出しなければならない書類やら、期間前投票やら。
お陰で、旅そのものの準備が後まわしになってしまい、結局、前夜は深夜1時過ぎまで床につくことができなかった。

3時半起床。
睡眠時間2時間にて、さすがに眠い。
そそくさと身繕いをして、タイヤに空気を充填する(9気圧)。

出発。
言問橋東詰の100円ローソンで、900ミリペットのお茶やサンドイッチやおにぎりを買い込む。
国道6号から浅草通りを経て上野駅へ。
上野駅正面で自転車をバラして、自転車を担いで宇都宮線ホームへ(自転車、重い)。
5:10発(始発)の宇都宮行き普通列車に乗り込む。
宇都宮からの経路を地図で確認しながら、車内で、おにぎりとサンドイッチを食べた後、仮眠。
眠いのだが、興奮していて、うまく寝付けない。

6時51分、宇都宮駅着。
大抵の駅には、そもそも最初に発展する「表」側とその反対側の「裏」側があるものだが、宇都宮駅の場合は、西口が「表」で、東口は「裏」。
裏(東口)の駅前には、バスターミナルしかなくて、立ち食い蕎麦でも食べようかと思っていた期待は裏切られる。
通勤する人々の目を感じながら、自転車を組み立てて、ともかく、国道4号線(現奥州街道・陸羽街道)を目指して走り始める。

このあたりの国道4号線は、鬼怒川の扇状地を這い登るようについている。
その鬼怒川沿いには、部分的にサイクリングロードもあるようだが、今日は距離を稼ぎたいので、国道4号線を北上する。

夏の連泊ツーリングの場合、とにかく、午前中の、まだ涼しくて、交通量も少ない朝のうちに距離を稼ぐのがよいようである。

20キロぐらい北上した矢板あたりから坂道が多くなり始める。

IMG_2723.jpg
(国道4号線・矢板付近)

箒川(那珂川の支流)を渡ったあたり(野崎橋)で、さすがに国道を走るのが嫌になってきた。
走っているというより、クルマに追い立てられて、「走らされて」いるような気分になってきたからだ。

地図を見ると、「野崎」から、道が二つに分岐していることが分かった。
左は国道4号線(奥州陸羽街道)、右は国道461号線(日光北街道)である(「陸羽」街道というのは、日本橋から白河までの奥州街道のことを意味する)。
この国道461号線(日光北街道)をしばらく北東進すれば、旧陸羽街道(県72号)に接続していることが分かったので、飛びつくように、右の道を選択した。

国道461号線を走っていると、左側の小高い丘にこんもりとした森があって、まるで、古墳跡のように見えた。
鳥居もあって、丘上には神社らしき社が築かれていたので、これは古墳に違いないと思って、立ち寄って見ることにした。

IMG_2727.jpg
(古墳跡に築かれたように見える社)

この社の写真は、実はかなりたくさん撮ったのだが、後でメモリーカードが一杯になってしまって、削除してしまったので、写真は上掲一枚しかない。

自転車を止めて、近づいてみると、「西郷神社」とあった。
石碑に記された、決して読みやすくない文字を読んで、びっくりした。
この「西郷」神社の西郷とは、西郷隆盛の弟の西郷従道(じゅうよう)のことで、明治時代に、従道がこのあたりに、「西郷農場」なるものを拓いたというのだ。
何で、薩摩の人間がこんな那須野に農場を所有しているのかと不思議に思いながら、そのまま走り去った。

家に帰ってから調べてみて、やっと事情が分かった
この那須野の地は、明治中期以降、明治維新の権力奪取の功労者たち(旧薩長藩士など)に、優先的に土地が分け与えられて、開拓すれば所有することができたらしい。
現在、この西郷神社のある北側には、かつて、「大山農場」があったそうであるが、その大山とは、大山巌(元帥)のことであり、西郷従道とは同郷の出身であった。
現在でも、このあたりは、その二人の薩摩の出身地名「鍛冶屋」の名を帯びている。
まさしく、西軍(官軍)の将たちに、明治政府から領地が「安堵」されたようなもので、江戸時代の伝統を堂々と受け継いでいたわけである。

さて、国道461号線を分岐点から7キロほど走ると、大田原市(栃木県)の市街地に入る。
所々に、旧宿場町の風情が残る市街地を抜けて、旧陸羽街道(県72号・大田原芦野線)に入ろうとするが、どこを走っているのか分からなくなってしばらく迷走する。

やっとのことで見つけた旧陸羽街道(県72号)は、国道以上に広くて立派な道路でびっくりしたが、数キロも走ると、だんだん狭くなって、いかにも旧道風情の街道になってゆく。

IMG_2732.jpg
(旧陸羽街道・数十キロに渡って、ずっと登り基調)

しばらく走っていると、道の左側に、土饅頭のような小山が見えた。
それは、ちょうどコンビニの隣に位置していたので、飲み物を買いがてら、寄ってみることにしたのだが、わざわざ自転車を降りるまでもなく、すぐに「一里塚」であることが分かった。

IMG_2728.jpg
(旧陸羽街道沿い大田原市中田原付近の一里塚)

こんな完全な形で残っている一里塚を初めて見た。
道の反対側も見てみるが、反対側の一里塚は、影も形もなかった。

北上するにつれ、どんどん旧街道の趣を増してきて、走っていて楽しくなってきたが、同時に、登り坂が険しくなっていく。

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(旧陸羽街道・次第に坂が険しくなる)

竹林の坂道を登ったかと思えば、小さな集落が現れる。
田園地帯が続いたかと思えば、坂の下に、小さな川の流れが光っていたりする。

IMG_2733.jpg
(旧陸羽街道・サルスベリの花が美しい)

今回の旅では、あちこちに、素晴らしいサルスベリの花を見た。
関東のサルスベリよりも、花の色が濃厚で、しかも、花の付き方が密であるように感じた。

さらに旧街道を進んでいくと、坂の途中に突然、「鍋掛の一里塚」の看板が現れた。
もう鍋掛宿は近いのだ。

IMG_2734.jpg
(旧陸羽街道の鍋掛の一里塚跡)

こうしてやがて、鍋掛の宿場町に入った。
鍋掛宿(現・栃木県黒磯市鍋掛)は、那珂川と合流する地点に位置したこともあり、奥州街道筋では、かなり栄えた宿場町だったようである。

鍋掛の道筋に、「芭蕉の句碑」の看板が見えたので、自転車を止めた。

IMG_2737.jpg
(鍋掛の芭蕉句碑の看板)

そこには、確かに時代を感じさせる、古さびた芭蕉の句碑が立っていた。

IMG_2735.jpg
(芭蕉の句碑)

私には、「馬」という文字が判読できるだけで、何が書いてあるのやらさっぱり分からなかったが、隣に説明板があったので、その写真を撮っておいた。

IMG_2736.jpg
(芭蕉句碑の説明板)

なるほど、この句碑には、

「野を横に 馬牽きむけよ ほとゝぎす ばせを」

と彫ってあるそうで、この句碑は、後年(19世紀初頭)、当地の弟子たちのてによって建立されたということだ。

うん、待てよと思って、リュックから『奥のほそみち』の文庫版を取り出して見ると、確かに、「殺生石・遊行柳」の項にこの句は載っていた(岩波文庫版・20~21頁)。
読んだはずなのに、ちっとも覚えていない。
しばし、自分の不甲斐なさを嘆く(バカバカバカ・・・)。

そう言えば、この句の意味も分からない。
反省の意味をこめて、ここに、岩波文庫版の現代語訳を写しておこう。

「広野を進んで行くと、横の方で時鳥が鋭く鳴いた。馬をその方に引き向けてくれ。風流を愛するお前と共に聞こう」。

文脈上、「広野」というのは那須野だと解釈してよいだろう。
「お前」というのは、芭蕉が乗る馬を牽いている「此口付のおのこ=馬方」のこと。
「風流を愛する」云々という解釈は、句の承前にある「やさしき事」云々という記述から導き出されるものと思われる(「・・・館代より馬にて送らる。此口付のおのこ、短冊得させよと乞。やさしき事を望侍るものかなと、
 野を横に・・・
」)。

かなり腹が減っていたので、是非とも、この鍋掛の街で昼飯を食べたかった。
ところが、「鮎」とか「山女魚」という看板は散見できるも、どういうわけか、店は閉まっていて、結局、一軒も食堂らしきものを見つけることができなかった。

仕方がないので、鍋掛の街を抜けると、すぐに大きな橋が現れる。
那須岳をその源流として、茨城の大洗付近で太平洋に注ぐことになる那珂川に架かる「昭明橋」である。

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(那珂川に架かる「昭明橋」・陸羽道中)

記録によると、江戸初期には、ここに橋はなくて、江戸中期以降、木橋が架かったそうだが、それまで旅人は、徒歩で那珂川を渡ったという。

橋の真ん中まで行って、川を覗き込んでみた。

IMG_2739.jpg
(昭明橋から那珂川を見下ろす)

ぞくっとするほど素晴らしい光景であった。
これぞ、川である。
まさに、川の原型的な風景である。
流れるほどに、水が大地を清める。
おそらく、このあたりの風景は、江戸時代とさして変わっていないのではないだろうか。
空腹で鳴る腹を押さえながら、私はしばし、那珂川の流れを見つめ続けた・・・。

那珂川を渡ると、道は森林の中を通り抜け、一層険しい坂道が多くなる。
所々に、神秘的な遊水池(沼)が姿を現す。

途中、「夫婦石の一里塚」の看板があった。
写真では分かりにくいかもしれないが、背後の一本樹が植わっている塚が一里塚跡である(「夫婦石」というのは、このあたりの地名)。

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(「夫婦石の一里塚」)

さらに進んで行くと、急に視界が開ける。
やっと芦野(奥州街道の宿場)の街に入ったのである。
ずっと空腹を我慢していた嗅覚に、醤油の焦げる香ばしい薫りが漂ってきた。
やっと昼食にありつけそうである。

匂いをたぐり寄せるように道を辿っていくと、ありました。
鰻屋が。
この道中、食堂はおろか、コンビニすらなかったので、空腹は極に達していたのだ。

IMG_2742.jpg
(芦野の旧道沿いにある、鰻屋「丁子屋」)

このお店、帰ってから調べてみると、かなり有名な店らしく、創業は江戸時代というのだから、奥州街道のこの場所で、長らく旅人にうなぎを提供してきたわけだ。

丁子屋」(栃木県那須郡那須町芦野)。
かなり大きな店で、旅籠もやっているようだ。

二階に立派なお座敷があったが、私は敢えて、一階土間の食堂のテーブルに着いた。
隣のテーブルには、二人連れの老人が座って、うな重(1,785円)が出てくるのを待っていた。
リュックをおろして、ヘルメットを脱いで、おしぼりで汗を拭く私の姿を、この二人はじっと見ていたふうであった。

「自転車でいらしたんですか?」と若い方の老人から聞かれた。
この二人連れの老人は、実は親子(父と息子)で、那須町から車でうなぎを食べに来ていたのだった。
お父さんは御歳90歳、息子さんは70歳とのこと。
私は、今朝東京を発って、宇都宮から自転車で来たという説明をした。

やせ細ってはいるが矍鑠(かくしゃく)とした90歳のお父さんの方(俳優の宮口精二に似ている)は、よっぽど耳が遠いらしく、こちらの言うことは分からなかったようだが、お銚子を傾けながら、大きな声で私にいろいろと話しかけてきた。
5年間も軍務に服したこと。
宇都宮連隊に属していたこと。
戦中は、ずっと内地勤務だったことなど。
そして、スキーのクロスカントリーの選手だったこと。

宇都宮から水戸まで何回も行軍訓練をした話。
冬場は、雪上訓練の指揮をとったことなどを得意げに話した後、若い頃に「肺」を鍛えたお陰で、現在も丈夫であると、胸を叩きながら何回も力説する。

私は、「はぁー、なるほど」とただ頭を下げて、聞き入るしかなかった。

そうこうしているうちに、やっとうな重ができあがって、その親子のテーブルにも、私のテーブルにも運ばれてきた。
私と、その息子さんの方は、さっそく食べ始めるが、お父さんは、酒ばかり呑んでいて、一向に食べ始める気配がない。

しばらくすると、また、そのお父さんが口を開いた。
ところが、さっきとまったく同じ話をしはじめるのだ。
5年間も軍務に服したこと・・・。
息子さんの方は、「すみませんねえ~」と謝りながら、そろそろお酒はお仕舞いにして、うなぎを食べるように促すが、お父さんは、「便所に行ってくる」と言って席を立つ。
すると、店員が、お銚子2本を親子のテーブルに持ってくる。
お父さんは、便所に行ったふりをして、酒の追加注文をしたようだ。

私は、とにかくうな重をがつがつ食べて、お茶を飲み始めると、そのお父さん・・・。
「ところで、貴様っ!・・・」。
(何と「貴様」ときたもんだ)。
「兵隊には行ったかっ?」。
これには、さすがの私も、椅子から落ちそうになった。

息子さんも、「父さん、ボクだって兵隊に行ってないんだから、この方が行ってるはずはないでしょ」と諫める。

「いや、兵隊には行っておりません」と、すまなそうに私。

お父さんは、何だかがっかりしたような顔をして杯を呷ったが、すっくと立ち上がって、また便所に行ったかと思いきや、新たにお銚子が運ばれてきた。
テーブルには、飲み終わってないお銚子が林立して、とどまるところを知らない。

「父さん、そろそろ帰るよ」と言って息子さんが、勘定をしに行くために座を外す。
すると、お父さん、私に対してまた同じ話を一から繰り返しはじめだした。
宇都宮連隊に属していたこと・・・。
そして、極めつきは、「貴様、兵隊には行ったか?」。

戻ってきた息子さんは、大変申しわけなさそうな顔をして、お詫びのしるしでもなかろうが、白河周辺の地図をくれた。

店先で、別れの挨拶をしている最中も、お父さんは、便所にいくふりをして、またしても酒を注文しようとしていたので、息子さんが肩を掴んで連れ戻す・・・。

いやはや、お陰で、うなぎの味がまったく分からなかったが、お腹だけは一杯になった。

こうして、私は、芦野の街を後にした。
その後、陸羽街道は、その斜度を増しながら、国道294号へと受け継がれる。
進むほどに坂は険しくなって、峠越えという雰囲気になってくる。

そして、峠を登り詰めた所に、「境の明神」が現れた。
ここが、関東と東北を隔てる「境」であると同時に、峠の分水嶺でもある。
標高470メートル。

IMG_2743.jpg
(「境の明神」)

このあたりに白河の関があったという説もある。
意外なことに、実は、白河の関の所在は、諸説あってその場所は不明である。
17世紀に芭蕉が訪れた白河の関は、白河の街のはずれにあったとされるが、その時すでに、関の痕跡は跡形も残っていなかったという。
自転車でここまでやって来た私にしてみれば、行政施設としての関は、確かに白河の街にあったのかもしれないと思うが、地勢的かつ地理的には、この「境の明神」あたりにあったのではないかとというのが実感である。

この分水嶺が、現在でも、栃木と福島(関東と東北)の国境である。

IMG_2744.jpg
(ここから福島県白河市になる)

峠の反対側からこの分水嶺を見ると、なお一層、ここが国境であるような雰囲気が強い。

IMG_2745.jpg
(福島側から国境の峠を見る)

峠を登ってきたので、ここから白河までは、ほぼ下り坂である。

途中、街道筋には、またしても、サルスベリの花がこぼれんばかりに咲き誇っていた。

IMG_2746.jpg
(満開のサルスベリの花)

やっとのことで、白河の街に到着する。
ただ、白河は、一昨年の夏に白河城や南湖公園を初めとするほとんどの見所を既に見てしまっていたので、今回は通過して、郡山へ急ぐことにする。

ただ、白河は、維新の内戦(戊辰戦争)の最大の激戦地だっただけに、街を通り抜ける際に、一種の「筋違い」と思われる曲がり角のところに、戦没者の供養所があったので、そこだけは立ち寄って写真を撮っておいた。

IMG_2747.jpg
(白河の戦死墓)

さて、白河を抜けてからの郡山までの道のりは遠かった。
睡眠不足でもあったし、後半は坂ばかりで体力も大分消耗していた。
疲労困憊で、風景などを楽しむ余裕もなく、ただひたすら、国道4号を走り続けた。
最初の一泊だけは、郡山に宿を予約してあったので、何が何でも郡山まで行かなければならなかったが、でなければ、白河か須賀川に泊まったことだろう。

やっとのことで、郡山に辿り着いた時には、精も根も尽き果てたという感じで、予約してあった「チサンホテル」(楽天ポイント使用にて2800円)に倒れ込むようにチェックイン。

IMG_2753.jpg
(郡山のチサンホテル)

シャワーを浴びたら、やや快復したので、ラーメン居酒屋「平八郎」(なかなか美味かった)で、鰹の刺身やラムのニンニク焼きを食べて、空腹を補った。

IMG_2751.jpg
(郡山のラーメン居酒屋「平八郎」)

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(ラーメン屋なのに、鰹の刺身がうまかった)

こうして、私は、ホテルに戻って、自転車と並んで、丸太のように眠ったのだった。

IMG_2754.jpg
(相棒の自転車と一緒に寝る)

(この項了)

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2009.08.20 Thu
明日から東北ツーリング
いよいよ明日から、東北ツーリングに行って参ります。
お袋の快復が予想より遅れたため、以前に考えていた計画を大幅に縮小化することに。

国道4号(奥州街道)と国道13号(羽州街道)を走って山形県の新庄まで(新庄にて2泊3日の合宿)。
帰路は、新庄から、何となく、芭蕉のルート(国道47号・北羽前街道)を逆に戻って、仙台あたりへ。
仙台以南のルートは、まったく未定(陸前浜街道で水戸まで出るかも)。
宿は、最初の一泊のみ予約。
あとは、行き当たりばったり・・・。
どうなることやら。

途中経過は、呑ちゃん経由で、以下の掲示板に書き込むことにします。

断腸亭画像投稿掲示板

帰宅は、月末ころかな(一応、期間前投票済)。

では、行って参ります。

走行距離:37キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

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2009.08.15 Sat
8月15日だから
敗戦記念日が(新暦の)盆と重なっているのは、単なる偶然に過ぎないのだけど、実際は重なっているものだから、この8月15日は毎年、先祖の霊魂を送迎するという伝統的な習俗に加えて、戦没者の霊魂を「全国」的に慰霊する日にもなっている。

歴史に「もし」を挟み込むことはできないが、もっと早い段階で、仮にミッドウェイの敗北やサイパン陥落や沖縄戦敗北といった太平洋戦争のそれぞれのターニングポイントで降伏していれば、敗戦記念日は別の日になっただろうし、さらなる数百万人の無駄死には避けられたであろう。

またもし、8月15日に降伏せずに、本土決戦をしていれば、さらに数百万人の犠牲者も出ることになったのは必至だが、敗戦記念日はクリスマスぐらいになったかもしれない(米軍の九十九里上陸作戦が実行されれば、銚子に住んでいた当時女学生であった私のお袋あたりは婦女子決死挺身隊か何かに組み入れられて、飯岡の浜辺で万歳突撃をやらされて、今のこの私も存在しなかったかもしれない)。

だが、少なくとも、あの戦争で、より幸せになった人は、アジアでは、かの統帥権の保持者も含めて、一人もいなかったことだけは確かである。

そんな8月15日は、反省すべき事が多すぎて、慰霊すべき霊が多すぎて、毎年、複雑な心境になる。

本郷の病院へ(フジクロス)。
大気は清涼だが、日差しは強い(東北東風)。
昨日から点滴がはずれて、お袋は元気で闊達になった。
まだ、お腹から二本の管が出ているが、食事(ご飯はおかゆだけど)を食べても戻すことがなくなった。
餃子が食べたい、合羽橋に行ってみたい、土いじりがしたい・・・。

暗い病院から外に出ると、突き刺さるような紫外線が降り注いでいる。
8月15日なので、「千鳥ケ淵戦没者墓苑」に行くことにする。

本郷から駿河台下へ降(くだ)って(この坂を降るのは爽快至極)、内堀通りまで出ると、警察官がうようよしている。

警察官がたくさんいるお陰で、クルマも法定速度を遵守して、信号の見切り発車もないので、実に安全に走れるのはいいのだが、警官たちもぴりぴりしていているようだ。

平河門のあたりから、紀伊国坂をえっちらおっちら登っていると、路傍の若い警官が、「自転車は道の真ん中を走らないで下さい!」と大声で注意してきやがった。
上り坂の途中で自転車を止めると、エネルギーの莫大な損失にもなるし危険でもあるので、そのまま走りながら、「オレは、この車線を走ってんのっ!」と路面の(「内堀通り」という)表示を指さしながら走り去る。

紀伊国坂は、登り詰めたところで首都高の入口と分岐するので、左車線を走っていると、首都高の入口に出てしまうため、どうしても、途中で右車線に入らなければならないのであって、私は決して「真ん中」を走っているのではない・・・。

千鳥ヶ淵に出る。
私の大好きな江戸城趾の濠端は、濃厚な緑に被われている。

IMG_2677.jpg
(千鳥ヶ淵)

千鳥ケ淵戦没者墓苑」は、千鳥ヶ淵を見下ろす高台にある。
普段は閑散としている墓苑だが、さすがに、8月15日とあって、慰霊に訪れる人の数は多い(私服警官の数も多いが)。

IMG_2674.jpg
(入口の石碑)

宗教施設ではないので、鳥居もなけれな山門もない。
そういう意味では味気ない。
ましてや、参道のようなものもなければ、露店もないし、参拝後にご苦労様の一杯を飲ませるような出店もない。

入口から道なりに進んでいくと、大きな東屋が見えてくる。

IMG_2669.jpg
(墓苑の中心施設)

近づいて行くと、祭壇に当たる「納骨室」が安置されていて、たくさんの献花がなされている。

IMG_2670.jpg
(献花・各政党の花束もある)

わたしも、ヘルメットを脱いで、祭壇の前で手を合わせる。

「こんな馬鹿馬鹿しい戦争のために、命を落とさざるを得なかったこと、さぞかし無念でありましょう。心底ご同情申し上げます。今後、こういうことを二度と引き起こさないように、私も非力ながら、自分なりに頑張ってみます。また、私や、私の知人たちや、私の娘たちが、将来慰霊される側にならないことを願ってやみません・・・」。

慰霊を済ませた私は、苑内を歩いてみる。
緑豊かな墓苑である。

IMG_2673.jpg
(立派な藤棚があった)

また、「戦没者一覧図」なるプレートもあって、ご高齢の方々が熱心に見ていた。

IMG_2672.jpg
(「戦没者一覧図」)

こうして、私は「千鳥ケ淵戦没者墓苑」を後にして、紀伊国坂を降下滑走(爽快至極)し、靖国通りから京葉道路を経て、両国橋を渡る。

今日のもう一つの目的地は、「東京都慰霊堂」(墨田区横綱町)である。

ここの存在は、あまり知られていないようだが、簡単に言えば、関東大震災(1923年)と東京大空襲(1945年)の被災者を慰霊するための施設である。
関東大震災時に夥しい犠牲者を出した陸軍被服廠跡に創建された。

以前から、トイレ休憩のために何回も訪れたことがあるが、今日は、8月15日なので、施設の内部も見学することにする。

仏閣であれば、本堂に相当する慰霊堂が目に飛び込んでくる。

IMG_2678.jpg
(中心的な慰霊施設)

まるで巨大な銭湯のようで、私には、趣味がよいとは思えない建築物である。
過分な重厚さだけを誇示しようとしたかの、「威圧」ばかりが前に出っ張っている巨大文鎮のようである。
いったい誰が設計したのか、家に帰って調べてみたら、私の大嫌いな築地本願寺本堂のそれと同じ人(建築界ではじめて文化勲章を受章)であったので、さもあらんと思った。

建物の皮相性はさておいて、内部には、震災戦災の写真や献花台がある。

IMG_2682.jpg
(写真が展示されている)

その写真の一枚は、壮絶な米軍空爆の被災シーンを記録している。

IMG_2681.jpg
(東京大空襲の災禍)

慰霊堂のある、横綱町公園の一角には、「復興記念館」もある。

IMG_2683.jpg
(「復興記念館」)

内部には、主として、震災時の遺物が多く展示されている。
撮影禁止なのだが、こっそりと撮った写真を一枚。

IMG_2684.jpg
(大震災により「被災」した自転車)

この自転車は、火災による猛風で吹き飛ばされ、樹に引っかかっていたそうである。

関東大震災による被害は実に甚大なもので、『ウィキペディア百科事典』には、次のように記載されている。

「190万人が被災、14万人余が死亡あるいは行方不明になったとされる(・・・近年の学界の定説では、死者・行方不明者は10万5000人余と見積もられるようになった)。建物被害においては全壊が10万9千余棟、全焼が21万2千余棟である。地震の揺れによる建物倒壊などの圧死があるものの、強風を伴なった火災による死傷者が多くを占めた。津波の発生による被害は太平洋沿岸の相模湾沿岸部と房総半島沿岸部で発生し、高さ10m以上の津波が記録された。山崩れや崖崩れ、それに伴なう土石流による家屋の流失・埋没の被害は神奈川県の山間部から西部下流域にかけて発生した」。

死者・行方不明者の数こそ、東京大空襲のそれとほぼ同じだが、津波や崖崩れといった広域な被害をもたらしたという点では、東京大空襲の被害をはるかに上回るかもしれない。

加えて、関東大震災では、どさくさに紛れるようにして、各地で朝鮮人虐殺が行われ、また、社会主義者(大杉栄など)の不当連行・死刑などの、近代国家の首都で起こったとは思えないような事件も数々存在していて、それらを看過することはできないが、これについては、9月1日の日記に書くことにしよう。

夜は、呑ちゃんと最近評判の、中国人のおばちゃんがやっている「金町餃子」を食べにいく。

IMG_2685.jpg
(「金町餃子」の水餃子と焼餃子)

安くて美味しい餃子に舌鼓を打つ。
餃子が食べたいと言っていたお袋も、いつか連れてこようと思う。
また、私の中の名店が一つ加わったようである。

走行距離:48キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

(この項了)

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2009.08.12 Wed
お袋の誕生日
我ながら、最近は、ちょっと弛(たる)んでいる。
自宅と御茶ノ水界隈を往復するだけで、それ以外の経路はほとんど走っていない。
同じ道ばかり走っていると「成長」せんぞ!、とは思うのだが、なかなか実行に移せない。
せっかくの夏休みなんだから、時間の使い方を工夫して、もっといろんな場所を走ってみよう(でも、明日からね・・・)。

お袋が入院する本郷の病院へ。
呑ちゃんと病院で合流。
今日は、お袋の誕生日なので、風景写真集(呑ちゃんより)とラッキョウ(私より)をプレゼントする。
お袋の年齢は、何回聞いてもなかなか覚えられないのだが、正確には、今日で78才(1931年生まれ)だった。
お袋は、看護婦さんたちからもプレゼントをもらって、ひときわご機嫌である。
退院したら、看護婦さんたちに、銚子の「ぬれ煎」を贈りたいと、しきりに言っていた。

病院を後にして、御茶ノ水駅前の沖縄料理店で夕食。
美味しいけど、何となく中途半端な店だったかなあ。

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走行距離:35キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

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2009.08.11 Tue
「川のない橋」
山谷堀を訪れて以来、やたらに「川のない橋」が目につくようになった。

私の通勤路の途上にも、次のような、一見不思議な「川のない橋」がある。

IMG_2634.jpg
(「金阿弥橋」跡・葛飾区新宿2丁目)

「金阿弥橋」。
何と読むのかさえ分からない。
「かなあみはし」か?

ご多分に漏れず、この川(たぶん、江戸時代に開削された用水路で、当時の地図にも描かれている)も暗渠化され、その上は、遊歩道化されている。

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(遊歩道化されたかつての用水路)

ただ、この橋は、畏れ多くも(?)、旧水戸街道に架かっていた橋なのである。

IMG_2637.jpg
(右へ大きく曲がった道が旧水戸街道で、これとぶつかる大きな道が現水戸街道[国道6号線])

この遊歩道は、国道6号線にぶつかっていったんは途絶するが、国道を横断した向こう側にもちゃんと延びている。

IMG_2636.jpg
(手前の道は国道6号で、その向こうにも暗渠化された川筋が延びている)

この先、この川は、旧佐倉道と寄り添うようにして併走して姿を消す。

もう一つの例。
これは、奥戸街道(の古代東海道に相当する路線)に架かっていた「川のない橋」。

IMG_2631.jpg
(奥戸街道に架かっていた「大道橋」・葛飾区立石1丁目)

この「大道橋」の読み方も分からないが、そこに架かる道が上古以来の幹線道であることを考えれば、納得のいく命名かもしれない。

そこを流れていた川も、現在は暗渠化されて、街道の向こう側にもずっと延びていて、荒川放水路とぶつかって消滅する。
しかし、今や、その暗渠化された川は、「かわばたコミュニティ通り」というハイカラ(かつ下町的)な名前を冠されて、葛飾区の桜の名所となっているのである。

IMG_2632.jpg
(奥戸街道を横断して延びる暗渠化された川)

最後にもう一つ。
私が毎日のように通っている道で、路肩も広く自転車も大変走りやすい。

IMG_2651.jpg
(葛飾区東金町2丁目付近)

まあ、何の変哲もない立派な舗装路であるが、この道そのものが、実はかつては川だったのだ(交番で聞いてみたけど道路名はなし)。
今は水元公園と呼ばれている「小合溜井(内溜)」をその「源流」として、新旧水戸街道を横切って、小岩用水となる大きな用水路である。
道筋にある焼鳥屋のおばちゃんの話によると、この川が道路になったのは、30年ぐらい前で、それまでは、水が汚くて、夏になると臭ったそうだ(暗渠化のねらいの一つは、この「臭い物に蓋」というこtでもあったろう)。

この道を辿っていくと、こんな箇所もある。

IMG_2652.jpg

この場所に来れば、ここが以前は川であったことが想像できるだろう。

暗渠化されて道になってしまった川というのは、見方を変えて言えば、差詰め、「橋だらけになってしまった川」でもあるのだ。

「橋のない川」は、かつて、部落差別の象徴であったが、「川のない橋」は、近代以降の都市開発の象徴だと言えそうである。

IMG_2639.jpg
(旧水路沿いにあった馬頭観音・葛飾区新宿)

走行距離:38キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

お知らせ:新携帯電話の番号とアドレス


先日紛失した携帯電話、結局出てきそうもないので、新規で新しい電話を購入しました。

電話番号:080-4050-****(****の下4桁は以前の電話番号と同一です)
アドレス:***********@softbank.ne.jp(***********の部分は以前のアドレスと同一です)

尚、電話機自体を失ったので、データは全て喪失しました。

断腸亭髭爺拝

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2009.08.09 Sun
夕立の怪
環七沿いに、以前から気になっていたラーメン屋(?)があったので、呑ちゃんと自転車で行ってみることにした。
呑ちゃんは無変速のママチャリ、私は6速のママチャリに乗って、中川筋の気持ちのよい道を走って青戸へ(ちょうど片道5キロ)。

IMG_2620.jpg
(中川・前方に見えるは高砂橋)

そのお店の名前は、「雁家(がんや)」。
木造の大きな店で、ラーメン屋にはとても見えない。

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(「雁家(がんや)」の入口)

この店の前を何回も通りかかったことのある私は、「しゃぶしゃぶ」を食べさせる店だろうなと思っていたが、「ラーメン」の文字も見えるし、(写真にはないが)「そば・うどん」の文字も見える。
はて、何の店だろうとずーっと気になっていた私は、ついに、ネットで調べてみることにした。

すぐに見つかった。
雁家(がんや)」(葛飾区青戸6丁目)。

なるほど、メインは夜で、しゃぶしゃぶやすき焼きの店で、昼は、ラーメンや蕎麦うどんを出す店。
但し、夜も、麺類を食べることはできる。

早速入店してみる。
店内はすごく広い。
大きな焼き肉屋さんといった感じで、こあがりもある。

鴨ねぎラーメン(私)と鴨ねぎつけめん(呑ちゃん)を注文(いずれも880円)。
15分ほど待っていると、出てきた、出てきた!

IMG_2649.jpg
(「鴨ねぎラーメン」セット・昼は自動的に「ライス(小)」+高菜漬が付く)

一口スープをすくって飲んでみると、これがウマイ!
まさしく、鴨鍋の濃厚な汁の味である。
ネギが大量にのっているのもよいし、極太の縮れ麺なのもよい。
量は、かなり多めで、普通の1.5倍ぐらい(しかもライス付)。
店内は、冷房がよく効いていたものの、汗だくになって鴨ねぎラーメンと「格闘」する。
これはよいぞ。
79点である。
今度は、夜に、しゃぶしゃぶや鴨鍋を食べに来よう(但し、秋以降ね)。

さて、このまま帰ってもつまらないので、中川沿いの土手を遡行して、亀有のアリオへ。

IMG_2504.jpg
(中川・入道雲に夏空が顔を出す)

アリオ亀有(旧水戸街道沿い)には、半年に一度ぐらいやって来る。
食品部門(生鮮・酒・総菜)がなかなかよい。
それ以外は、私にはまったく分からないが(そうそう、ペットショップが面白いかな)。

今日は、ものすごい人出。
不景気なので遠出するのをケチって、冷房の効いた「小さな街」で夏の一日を遊び尽くそうと見えるかの家族連れで沸(わ)きかえっている。

われわれも、商店街を散歩するような気分で、広大な店内を歩き回る。
衣料品や書籍などを買って、フードコートでタコ焼きやケーキを食べて帰路に着く。

いったん帰宅して、私は病院へ出かける(フジクロス)。
走っているうちに、小雨が落ちてきたので隅田川の首都高下の道を。
しかし、浅草に出る頃には、雨は止んでいた。
それでも、北西の空には、今にも大魔神が現れそうな真っ黒な雲が覆っていた。

病院に到着。
お袋は、大変元気そうで、明日は煎餅を持ってきてくれという。
今日は、点滴スタンドを押しながら、廊下を600メートルも歩いたそうな。
梅酒も飲みたいというが、さすがに酒類はダメだよね。
梅干しで我慢しとき・・・。

病院(文京区本郷)から出ると、ものすごい雨が降っている。
視界が朦朧とするほどである。
間に合わなかったか・・・。
歩道橋の下で、しばらく雨宿りするが、なかなかやみそうもないので、自販機で缶コーヒーを買ってきて、気長に待つことにする。

20分ほど雨宿りしたところで、南(千代田区側)の空がやや明るくなってきたので、自転車に跨ると、またもやザァーっと雨が落ちてきたので、もう少し雨宿りを続ける。
すると、5分ほどで完全に雨が上がったので、出発。
雨水が流れる昌平坂を下って、万世橋北詰の中央通りまでくると、あーら不思議!
ほとんど路面が濡れていないではないか。
さらに、中央通りから蔵前橋通りに右折して、鳥越(台東区)あたりに行くと、路面はまったく濡れていない。
ということは、さきほど通り雨をもたらした雲は、秋葉原あたりを東限として、真北に(北区方面に)北上したことになる。
不思議なもんだ。
夏の夕立に遭ったら、雨宿りが正解だな。

夜は、呑ちゃん特製のカレーとラッキョを食べる。
やっぱり、夏のカレーはいいなあ・・・。

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(呑ちゃん特製のカレーとラッキョ)

走行距離:45キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

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2009.08.08 Sat
ある蒸し暑い日の出来事
むしむしするだけの潔くない暑さに閉口。
暑くてもいいから、かぁーっと晴れ渡ってくれよ・・・。

午前中、フジクロスに乗って、病院に向かうも、「中川大橋東」の信号待ちで、携帯電話を確認しようとしたところ、見つからない。
あれ、ウチに忘れたかな・・・。
携帯電話は、自転車走行中は使えない(違法です!)ので、普段は、ヒップポーチの携帯ホルダーに収めてあるのだが、どういうわけか、ない!
念のため、リュックの中も探してみるが、やはり見当たらない。
仕方がないので、家に引き返す。
ところが、家にもない。
ということは、途中で落としたかなあ・・・。
呑ちゃんに電話をかけてもらったけど、家の中のどこからも着信音は聞こえてこないので、ついに、どこかで落としたことが判明。
こりゃ、まいった!
腹が減ったので、とりあえず、呑ちゃん特製の「わさびスパゲッティ」(写真撮り忘れる)を食べてから、再度出かける。

先ずは、近くの交番に「遺失物届け」を提出する。
「携帯は、大概出てきますよ」と年配のお巡りさん。
そうだといいのだが・・・。

今日は、途中で、前の日記に書いた「洪水標識板」の4~5メートル浸水の例を探すために、東立石付近に寄ってみる。

そういう眼で探しながら走っていると、すぐに何個も見つかった。

IMG_2628.jpg
(東立石1丁目の平和橋通り沿い・「標識板」のずっと上の方に赤いテープが巻かれている)

上は、大通り沿いの例であるが、4メートルというと、さすがに少し後に下がって見上げなければならないほどで、ここまで浸水したら大変なことになるだろうと思う。

しかし、もっと細い道沿いの住宅街の例を見ると、4メートル浸水の恐ろしさがより伝わってくる。

IMG_2630.jpg
(東立石付近の住宅街の「洪水標識板」・道沿いに見える3階建ての住宅と比較するとその恐ろしさが分かる)

5メートルの例がないものかと、あたりを走り回ってみたが、見つからなかった。

余談だが、電信柱の撮影をしていると、道行く人が、この男、いったい何を撮っているのだろうとカメラの先を見ては、不思議そうな顔をして立ち去っていった・・・。

病院に到着。
病室の冷蔵庫にお茶などを補充。
お袋は快調で元気にて、多弁。

携帯は紛失するは、蒸し暑いはで、むしゃくしゃするので、夜は、景気づけに焼き肉屋に繰り出すことに。

今日は、呑ちゃんお薦めの「にくまる」(東金町)へ。

IMG_2646.jpg
(「にくまる」・小さなお店です)

金町は、焼肉のメッカであるが、焼肉と言っても、二つのジャンルに大別できる。
1.豚のモツを中心とした、いわゆる「モツ焼き屋」。
2.牛肉の焼肉を出す、朝鮮系の「焼き肉屋」。
金町は、いずれにおいても、優良店が犇めいている。
今日は、上記2のジャンルの店で、1よりも値がはるので、普段はあまり行かない。

この店は、まず、肉質がよい(米沢牛)。
それは、ユッケを食べてみれば、すぐに分かる。
コクがあって、肉の深い滋味がある。

IMG_2643.jpg
(ユッケ)

ネギ舌(タン)塩もお薦めである。

IMG_2645.jpg

また、品によっては、ワサビが付いてきて、お店の人の指示通りにワサビをちょっと乗せて食べると、これがまた新鮮な味わいなのである。

この後も、カルビやロースやシロや冷麺やコムタンスープを、ビールとマッコリで食べたわけだが、一つもハズレはなくて、どれも、撮影するのを忘れさせるほど美味しかった。

私の評するところ、金町の焼き肉屋では、ここ「にくまる」が最高峰であると思う。

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走行距離:52キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

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2009.08.06 Thu
北北東に進路をとれ!
午前中は家で仕事。
むしむしする暑さ。
これは、とても仕事ができる環境にあらず・・・。

ということで、逃げ出すように、洗濯物をリュックに詰めて、フジクロスで病院に向かう・・・。

ところで、以前から気になっていたのだが、葛飾区内を走っていると、所々の電信柱に、次の写真のようなプレート(洪水標識板)が見られる。

IMG_2366.jpg
(葛飾区および国交省による「洪水標識板」・葛飾区青戸6丁目付近・前方に見える橋は青戸橋[環七])

この「標識板」には、「ここは荒川の氾濫により1.5m以上浸水する恐れがあります」と書かれている。
1.5m以上と言えば、私の首あたりに達する水深であり、浸水時にこの場所にいれば、いくら銚子育ちで泳ぎが得意な私とはいえ、まず命は保証できない状況になるであろう。
ただ、この種の標識は、「落石注意」の看板と同様、知らされても、実際にどう対応してよいのか分からないというのが多くの人の感想ではないだろうか。
現実問題として、危険地域だからと言って、夜逃げ同然に引越をしたり、そこを通らないようにしたりするわけにはいかないからだ。

それはそうと、今、私の手元に、葛飾区民に全戸配布されている「葛飾区荒川洪水ハザードマップ」なるものがある。
荒川(放水路)が決壊した際に、葛飾区内のどの地域が浸水し、どれぐらいの深水になるかを色別表示した地図である。
葛飾区のHPからもPDFファイルで閲覧できるので、ご関心の向きはご覧いただきたい。
http://www.city.katsushika.lg.jp/previews/000/000/106/10655-1.pdf

この地図の、赤が濃いところほど、浸水深が高いことを表している。
私が普段この地図を参照にするのは、実は、災害のことが心配だからではなくて、不謹慎なことに、土地の高低を確かめて、古代の地形がどのようになっていたかとか、自転車で走る場合、坂が少ないのはどの経路かといったことを想像したり調べたりするためであった。
しかしながら、最も赤が濃い地域(たとえば、東立石2~4丁目付近)では、何と水深が4~5メートル(3階建て家屋でも危険)にもなることを知って、水害という観点からも見直さなければならないと考えるに至った。

そこで疑問に思ったのだが、例の「標識板」は、水深4~5メートルの地域では、やはり、電信柱の4~5メートル上のあたりに掲示されているのだろうかということ。
まあ、それでもよいのだが、そんなに高いところに表示されたのでは、誰も気がつかないのではないかという、ちょっと子どもっぽい疑問である。

しかし、葛飾区のHP内の写真で、その疑問は部分的に解けた。

洪水標識
(葛飾区のHPより引用・浸水2メートルの例)

写真のように、標識板の上の部分に、赤いテープが巻かれて浸水深線を示しているわけである。
4~5メートルの箇所ではどんな感じなのかを示す実写写真がないが、今後、探してきて、このブログでご紹介したいと思っている。
とは言っても、4~5メートルとなれば、見上げるような感じになってしまい、実際には気づかないのではないかとも想像する。

東京北東部で危ぶまれる水害に関しては、非常に参考になる前例がある。
有名なキャサリーン台風(1947年)である。
キャサリーン台風については、以前にも、簡単にも日記に書いたことがある。

このときの被災者は、ご存命の方も多いのではないかと思う。
災害時の対処法は、体験者の語り伝え(記憶)が、実に重要な大変な参考になるはずである。

しかし、葛飾区民として、私が例の「葛飾区荒川洪水ハザードマップ」をためつすがめつ「研究」したところによると、一番簡潔で分かりやすい指針は、とにもかくにも、「北北東に進路をとれ!」ということである。

葛飾区のほとんどの地域に言えることは、とにかく、自分のいる地域から「北北東」に向かえば、全体としてより地高が高くなる傾向にあるので、逃げまどったら、とりあえず、北東方向に逃げるのがよいということである(そのためには、北北東がどっちの方向であるか、普段から要確認のこと・ただ、例外もあり、たとえば、東四つ木3~4丁目に在住の方は南方の中川中学校を目指すべし)。

差詰め、私のイエ(水元)の場合は、水元公園の桜堤に向かえばよいようである。

走行距離:35キロ(フジクロス)

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2009.08.05 Wed
注文の多い理容店
今日は、病院の見舞いは呑ちゃんにお願いして、ゆっくりと家で過ごすことにする。
朝から入浴・洗濯をして、「懸案」だった床屋に行く。

どうして懸案なのかというと、子どもの頃から床屋が苦手で(理由は不明)、もうそろそろ切らなければならないぞというぐらいに髪が伸びてくるとだんだん憂鬱になってくる。
呑ちゃんから何回も注意されて、やっと重い腰を上げて、意を決して床屋に行くことにする。

ところで、金町という街は、モツ焼き屋(&焼き肉屋)のメッカだが、床屋のメッカでもある。
いわゆるパーマ屋を含め、とにかく床屋が多い。

たとえば、私が今日世話になった床屋の隣も、また床屋である。

IMG_2621.jpg
(向かって右の店[800円]に私は行ったが、その隣も床屋[1000円])

因みに、この写真に映っている二軒の床屋の斜向かいも床屋(パーマ屋)である。
ついでだが、ウチの近所のコンビニが最近廃業になって、その跡に何ができるのかなあと思ってみていたら、できたのは床屋であった(ガッカリ)。
人間には一人に一つずつしか頭がないのに、果たしてこんなに床屋ばかりあって許されるものなのだろうか・・・。

今日は、お店のお兄さんにそのあたりの疑問を正直にぶつけてみた。

どうして、金町には床屋が多いのか。

お兄さんの説明によれば、金町駅は、JR東日本の駅としては、乗降客数ランキングで100位以内に入っている駅なので、このぐらい床屋があっても不思議ではないという。
なるほど。
家に帰って、さっそくその「乗降客数ランキング」を調べてみると、確かに金町は98位で、一日平均4万2千人余の人が乗降すると出ている。
しかし、隣の松戸駅などは、36位で乗降客数10万人以上なのだが、床屋が多くて困った(まあ、「困る」人はいないとは思うが)という話しは聞いたことはない。
結局、疑問は解けなかった。

ただしかし、お兄さんから現在の床屋業界のことをいろいろと教えてもらった。
従来型の床屋(殿様商売)は、どんどん経営が難しくなっていること。
代わりに隆盛してきたいわゆる1000円カット床屋は、非常に儲かっていること(理容学校とドッキングして、客の頭を「使って」実習させてしまうという)。
理容師と美容師の免許は別であるが、今はその境がなくなって、両方をこなせる床屋じゃないと生き残れないということなど・・・。

たった800円で、髪の毛もさっぱりして、「現代理容業界講座」まで受講することができたのだから安いものである。
今後は、億劫がらずに、床屋に行くことにしよう!

走行距離:4キロ(6速ママチャリ)

日録    Comment(6)   TrackBack(0)   Top↑

2009.08.04 Tue
「味の横綱」(東向島)と「東京都水道歴史館」(本郷)
通勤の主力機であるフジのクロスバイク、4月に大々的にメンテをしてから、丸4ヶ月間、時たまチェーンに油を吹き付ける以外はまったくメンテも掃除もしていないので、変速に滑らかさがなくなったうえに、後輪のタイヤがすり減って、交換の時期にきている(そうそうチェーンはとっくに要交換)。
明日こそやろうと思いながら、なかなか腰が上がらない・・・。

そう言いながらも、今日もまた、フジクロスで出かける(ゴメンね)。

今日の昼食は、国道6号沿いになかなかよさそうなラーメン屋を見かけたので、行ってみることに。
その名ぞ、「味の横綱」(東向島)というラーメン屋である。
四ツ木方面から行くと、東向島の交差点をやや過ぎたあたりの左側にある、店名に似合わず、小さな店舗である。

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 (「味の横綱

自転車を止めて、さっそく入店する。
くの字のカウンター10席ほど(テーブルはなし)。
評判が良いのは、湯麺と餃子らしいが、そんなに空腹でもないので、湯麺のみ(580円)を注文。
そして出てきて、びっくり!

味の横綱

モヤシが、まるで富士山のように盛り上がっているではないか。
最初は、モヤシを食べるしかない。
でもシャキシャキしていて美味しいので、どんどんモヤシの山を食べると、やっと麺に到達する。
麺は、太麺 or 細麺が選択できるが、私は太麺にした(正解)。
腰のある麺と、適度にコクのあるスープのバランスが絶妙で、飽きることがない。
一心不乱に食べ続けて、スープまで全部飲み干してしまった。
ウマイ!!!
83点!

久しぶりにうまいラーメン屋を開拓できた喜びに打ち震えながら、ラーメン屋を後にして、本郷に向かった。

お袋は、昨日から腹痛がややひどくて沈痛な面持ちである。
病状は、常に一進一退。
でも、確実に快方に向かってはいる。
にもかかわらず、日々それを「体験」する本人にとっては辛いだろうな。
希望と絶望の繰り返し・・・。
お袋の保険証の期限が切れていて、更新しなければならにことが判明。
もしかしたら、銚子まで行かなくてはならないかもしれない・・・。

さて、今日は、病院の裏手に「東京都水道歴史館」(文京区本郷)なるものがあって、以前から気になっていたので、覗いてみることにした。

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(都税を投入して建設された立派な「東京都水道歴史館」・入館料は無料・館内撮影自由)

展示室は、1階と2階。
1階は、現在の上水道システムの解説展示。
2階は、近現代の上水道の歴史的な展示。

1階は、単にテクノロジーを自慢しているだけのような感じがして、私は、す~っと通過。
2階は、すこぶる面白い。

キャサリーン台風時の、私の見たこととのない写真があった。

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(キャサリーン台風時の災害写真・いつも通勤で走っている東四つ木付近の写真もあって、食い入るように見る)

部分的に江戸の長屋を再現して、井戸を復元した一角も面白かった。

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(江戸期の井戸)

また、八重洲の地中から発掘された武家屋敷の木製水道管の展示も圧巻である。

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(発掘展示されている武家屋敷の木製水道管)

私が一番惹かれたのは、水道橋の復元模型。
これが実に良くできている。

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(水道橋の復元模型)

この模型と、江戸期に描かれた水道橋の絵をためつすがめつ見比べる。

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(模型とは逆方向から描かれている)

今度、実際の水道橋にも行って、よく観察してみよう。

また、玉川上水の成立過程を、パノラマを用いつつ描いたビデオも良くできていて、二回も見てしまった。

東京都水道歴史館」は、夏の暑い最中に訪れるにはうってつけである。
絶えず水の流れる音がして涼しげであるし、実際、冷房がよく効いていて、つかの間の涼をとるには絶好の場所かもしれない。

受付の女性も実に親切で、ロッカーに入らないリュックやヘルメットも、こちらから頼むまでもなく、預かってくれた。

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(神田川筋にあった界隈地図板)

走行距離:36キロ(フジクロス)

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2009.08.03 Mon
東京名所図会~山谷堀寸見
昨日、蚊の猛襲で逃げ帰った「山谷堀」だが、病院に行く途中に(と言ってもちょっと遠回り)寄ってみようと思う。

今日は、暑い。
暑いのに、立石の立ち食い蕎麦屋「譽家(ほまれや)」で、熱いたぬきうどん(320円)を食べたものだから、よけいに暑くなるのは道理で、案の定、少し走っただけで喉の渇きを覚えて、四ツ木橋に上がったところでお茶を飲む。

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(四ツ木橋にて・右下を流れるのは綾瀬川。前を横切るのは新四ツ木橋。頭上の高架は首都高)

やめときゃいいのに、うどんの汁を全部飲んだ上に、さらに喉が渇いてお茶を飲んだものだから、トイレに行きたくなって、向島百花園隣の公園のトイレに寄る。

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(向島百花園隣の児童公園・納涼盆踊り大会の準備は万端)

昨日と同様、桜橋で隅田川を渡って、先ずは、山谷堀が隅田川に流れ込んでいた地点にある水門跡に行ってみる。

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(山谷堀水門跡)

現在は、水門の内側は全面的に埋め立てられて、運動公園風になっているが、埋め立てられる直前の写真が見つかったので、ここに引用しておこう。

山谷堀水門
(水門として機能していた頃の山谷堀水門)

ここからはしばらく、昨日訪れた今戸橋から山谷堀を「遡行」することになる。
とは言っても、今となっては、ただ細長い緑道(園内の遊歩道は未舗装)が延びているだけで、走っていて特に面白いわけではない。

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(緑道としての「山谷堀公園」)

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(ほぼ、このような道が続く)

普通の緑道と違うところと言えば、道端に仰向けになって寝ているホームレスの人が多いのと、昔はここが川であったことを思い出させる「橋」の存在である。

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(橋の機能を失った橋)

この公園緑道も、やがて姿を消して、跡形もなくなる。
何とつまらない。
荷風の描いた夢幻的な山谷堀は、もうそこにはない・・・。

私は、土手通り(日本堤)に出て、三ノ輪の交差点を目指す。

途中、老舗の天麩羅屋と桜鍋屋があったので撮影。

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(天麩羅屋)

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(桜鍋屋)

山谷堀は、またいずれ再訪してみよう!

頭の痛くなるような三ノ輪の交差点から金杉通りを走って上野へ。
上野からは、不忍通りで昌平坂に出た。

因みに、千住大橋から都心方面の国道4号(別名昭和通り)は、自転車にとっては、環七並に地獄である。
三ノ輪の交差点から「金杉通り」を走ることをおすすめする。
金杉通りにはまた、古い家屋が残っていて、所々立ち寄ってみるのも楽しいであろう。

走行距離:37キロ(フジクロス)

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2009.08.02 Sun
東京名所図会~曳舟川・今戸橋
早朝、目が覚める。
恐る恐る起き出してみる。
快調である。
元気が漲(みなぎ)るようである。
良かった!

夕べも、「アド街っく天国」が始まる前に、私が唯一飲んでいる薬「梅丹」を飲んで、寝てしまう。


(梅丹・粒状)

洗濯物と桃缶をリュックに入れて、フジクロスに乗って病院に向かう。
今日は、久しぶりに、中川橋を渡って亀有に出て、葛西用水路沿いの道を走ってみることに。

葛西用水というのは、江戸期の17~8世紀に開削された灌漑用水路のことで、利根川から取水した水が、明治の行政区分で言えば、北葛飾郡と南葛飾郡を南北に貫くようにして運ばれていた(約100キロ)。
今でも、川としてそのまま流れている箇所も多いが、都市部に入ると、その大部分は暗渠化され、上に道路が走っていたり、いわゆる「親水公園」化されていたりする。
現葛飾区あたりでは、この葛西用水のことを特に「曳舟川」(墨田の京成「曳舟駅」にその名を留める)と呼んでいたが、近年になって、「曳舟川親水公園」として整備された。

亀有から、この葛西用水路沿いの道を南下すれば、国道6号線の「本田(ほんでん)広小路」の交差点付近に出るので、そこから四ツ木橋を渡ることになる。

葛西用水路は、葛飾区内では、全区域が暗渠化されて、親水公園化されている。

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(「曳舟川親水公園」・上に流れている水は機械的に汲み上げて流れているだけで、本流は地下の暗渠を流れている)

そうそう、どうして「曳舟」川というかと言えば、その名の通り、明治初期までは、江戸に米を運び、江戸から生活物資や肥(こえ)を運ぶ「舟」が岸から綱で「曳(ひ)」かれて航行していたからで、広重が幕末の頃に、このあたりの絵を描いている。

広重「四ツ木通用水引ふね」名所江戸百景
(広重・名所江戸百景「四ツ木通用水引ふね」・遠景の山は筑波山なので、上流を見たもの)

中景の小集落が四ツ木村だとすれば、現在の荒川(放水路)あたりから描いたもののようにも思われるが、今となってはまったく分からない。

この用水路沿いの道は、多少信号過多だが、自転車もそこそこ走りやすいので、冬季にはよく利用する。
どうして冬季かと言えば、トイレが非常に多いからで、「石を投げれば便所に当たる」ぐらいトイレが頻繁に現れるので、身体が冷えて、用足しの間隔が短い冬季にはありがたいのである。

四ツ木橋(国道6号線)を渡って、いつもの経路で隅田川筋に出る。
久しぶりに、桜橋(人道橋)を渡って、昔の山谷堀の河口付近から今戸橋のところに出て、朝飯を食べることにする(100円ローソンのおにぎりとメンチカツパン)。

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(今戸橋の噴水跡で朝食)

今戸橋は、隅田川から吉原遊里に至る山谷堀に架かる最初の橋であったが、今は、ご多分に漏れず、暗渠化され、「公園」となっている。

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(現在は、「橋」の役割を失った今戸橋)

ここでも、昔の風情を申しわけ程度に味わっておこう。

今戸橋
(明治期の今戸橋)

山谷堀
(今戸橋から山谷堀を撮影・明治元年の雪の日)

そして、現在の山谷堀はどうなっているかと言えば・・・、

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(上の雪景色の山谷堀とほぼ同じアングルで撮影した現在の山谷堀)

日本に於ける「近代」とは何であったかを、沈鬱な気持ちで考えざるを得ないこの対比に、今更ながらに鼻白む思いである。

さて、今戸橋で朝食を食べ始めるが、蚊の来襲に悩む。
おにぎりを食べている最中にも、膝から下に何匹もの蚊が食らいついている。
栄養補給をしているシリから、血気を吸い取られてはたまったものではないので、足踏みをしたり、歩き回りながらどうにか食べ終わるや、逃げるようにして今戸橋を後にする。

病院に到着。
お袋が所望した桃の缶詰を届ける。
さっそく開けてあげると、美味そうに食べる。
切除した部位には、悪性の腫瘍が発見されなかったという医師の報告を受けたためか、お袋はやや安心したようである。
よかった。

帰り(小雨降る)に秋葉の「肉のハナマサ」(肉類は「笑ってしまう」ほど安い)に寄って、トウモロコシとワインを購入。

帰宅後、遅めの(二度目の)朝食として、さっそくこのトウモロコシを蒸かす。

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昨日の体調不良に鑑みて、午後は家でおとなしくしていることにする。

遅めの昼飯は、久々の「タコ焼き大会やでぇ~」ということで、卓上にタコ焼き機を据えて、達人の呑ちゃんにタコ焼きを焼いてもらう。

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(タネを流して・・・)

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(丸くまとめて・・・)

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(完成!)

汗を流しながら、ハフハフ言いながら食べる。
夏のタコ焼きもいいもんだ。
そして、昼寝・・・。

夕前に起き出したら、またもや空腹を覚えたので、最近お気に入りの洋食レストラン「ラグー」(東金町)に繰り出して、さらにパワーアップすることにする。

最近できたばかりのこのレストラン、価格は安いし、何というか、非常に正直で良心的な味わいがあって、金町駅界隈では、ひとつの事件だと言ってもよい。

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(落ち着いた店構えの「ラグー」)

今日は、詳しい料理名は忘れたが、「モンゴウイカ」や「サーモン」や「ビーフシチュー」や「日向鶏」などを注文したが、いずれも丁寧な仕事の結晶で、実に美味しかった。

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今日は何だか、一日中、喰ってばかりいたような気がする。
明日は、粗食を志そう!

走行距離:38キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

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2009.08.01 Sat
体調不良
午前中に、本郷の病院に向けて出発(フジクロス)。
途中、東向島の100円ローソンで、カレーパンとおにぎり(210円)を買って、隅田川土手で食す。

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(隅田川土手の朝食・この日陰のベンチはホームレスに人気があるが、今日は涼しいので空いていた)

いつものように、昌平坂を登ろうとするが、いつになく息が切れる。
今日は、何だかえらく体調がよくない。
そう言えば、夕べは、呑ちゃんと金町のモツ焼き「ブウちゃん」で一杯やったものの、特に大量に飲んだわけでもないんだけど・・・。

病院に到着して、自転車から降りると、軽い立ち眩みを覚える。
変だなあ~。
お袋に洗濯物を届けて、帰路に着く。

涼しいので、寄り道をしていきたかったが、どうも身体がだるいので、まっすぐ帰ることにする。
浅草まで辿り着いたところで、また、息が切れる。
どうしたんだろう。
足に力が入らず、満身の力をこめないと、ペダルが思うように回らない感じ。
途中、何回も休憩しながら、やっとのことで帰宅(症状としては、軽いハンガーノック[低血糖])。

帰宅するや、ぶっ倒れるように蒲団に横になって、4時間ほど眠り続ける。
目が覚めて少しは快復したようだが、まだ本調子ではない。

それにしても、原因がとんと分からない。
睡眠不足でもないし、いつもより長距離を走ったわけでもないし、暑いどころか、むしろ涼しいし、食料も水分もまあ十分に摂っていたし・・・。
不思議だなあ~。

呑ちゃんのご両親と近くの中華料理店で食事をした後、水元公園から川向こうの松戸の花火を見る。
夏とは思えない涼しさである。

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(松戸の花火遠望)

走行距離:36キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

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