日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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2009.07.31 Fri
東京名所図会~仙台堀川公園・築地
夏なのに、夕べから北風が吹き出した。
急に涼しくなって、昨日の真昼の暑さが嘘のようである。
やはり、アマテラスはご立腹なのにちがいない・・・。

今日も、お袋を見舞うべく、本郷の病院へ。

ただ、涼しいので、やや遠回りになるが、東京の至宝たる「築地」に寄って、私の大好きな立ち食いラーメン屋「井上」でラーメンを食べたいと思った。
もう一つの目的は、以前から気になっていた仙台堀川親水公園を是非とも走ってみたいということ。

フジクロスに乗って、いつもの定番経路を走って、四ツ木橋から荒川サイクリングロードに出る。
荒川サイクリングロードは実に久しぶりである。

そもそも、荒川は、近代になって人工的に開削された「放水路」だけあって、全体として殺風景なのがよい。
冬はその寂寥たる雰囲気がいささか辛く感じられることがあるが、夏は風景が淡泊な分だけ涼しげに感じられなくもない。
北東の風に押されて快走。

IMG_2548.jpg
(殺風景な荒川)

葛西橋から一般道・葛西橋通りに出る。
そのまま西進して、「南砂6丁目」の交差点を右折すると、仙台堀川親水公園の入口が見えてくる。
この公園は、葛西橋通りと平行して走る長細い公園で、江戸初期に掘られた水路を一部暗渠化して作られたもの。
以前に日記で取り上げた「大横川親水公園」と同じ趣向と設計思想で作られた公園のようである。
しかもこの公園、途中で「横十間川親水公園」と十字に交差して、江東の地に独特の空間を現出せしめている(以上、三本の「川」は、いずれも江戸時代に開削された用水路。江戸時代の人が、なぜ南北の線を「横」と表現したかについては調査中)。

IMG_2549.jpg
(仙台堀川親水公園と横十間川親水公園の地図)

この仙台堀川親水公園は、走っていて何より楽しい。
森あり、橋あり、池ありで、しかも、わざとくねくねとした道を付けてあるので、大横川親水公園の場合と同様、まるでジャングルクルーズの徒歩自転車版のようである(あるいは、エドガー・ポーの『ランダーの別荘』の江東区版というか・・・)。

IMG_2554.jpg
(多様な風景を演出する人工庭園)

公園化されるまでは、「川」だったので、当時の橋をいくつもくぐりながら進むことになる。
これがまた楽しい。

IMG_2553.jpg
(以前の橋は、今でも陸橋として機能)

IMG_2555.jpg
(仙台堀川は全面的に暗渠化されているのではなく、このように地上に現れている部分も多い)

走っていると、面白い場所に出くわした。
確かに橋なのだが、異常に水位が高くて、今にも橋が冠水してしまいそうなのである。

IMG_2552.jpg
(冠水しそうな橋に見えるが・・・)

しかも、上には鉄橋(貨物線)が通っていて、橋とこの鉄橋もかなり接近していて、自転車で通過するときは思わず頭を下げてしまうほどである。

自転車を止めて、よく観察してみることにした。

IMG_2550.jpg
(しかもこの橋、くの字になっている)

橋の下の水は結構透明度があるので、水中に目をこらすと、何やら大きな魚がうようよ泳いでいる。
一尺もあろうかというボラの群だった。

橋の傍らには、案の定、橋の「説明板」があった。

IMG_2551.jpg
(この説明板を読んで納得)

面白いことに、この橋は、いわゆる浮橋であり、水位とともに上がったり下がったりするというわけだ。
なるほど、実に的を射た設計思想で、ここに道を通すためには、部分的に埋め立てなければならず、それには資金と環境破壊をともなうので、この場所に関しては、「浮橋」という発想を採用しているわけだ。
この公園を設計したのは誰だろう。
なかなかの人物であるように思う。
いずれ、調べてみよう。

そうして変わりゆく景色を楽しみながらゆったりと走っていると、目の前に重厚な瓦屋根の建築物が現れた。
何かと思って見ると、便所だった。

IMG_2556.jpg
(便所たる「すっきり館」・この公園には、この種の遊び心も各所にある)

せっかくだから、用を足して、すっきり。

この公園はただし、高速で走行したい人には向かない。
曲がりくねった道には、散歩者も多い(特に週末は)。
早く走りたい人は、公園と平行して通る葛西橋通りを走ればよい。
歩行者に警鈴を鳴らすなどという破廉恥な行為をする人は、この公園の素晴らしさを愛でる資格はない。

仙台堀川公園は、やがてその西端で、「木場公園」に接続するような形で終わる。

私は、葛西橋通りに戻り、永代橋を渡る。
この橋の上からは、どうしても、このアングルで写真を撮りたくなる。

IMG_2557.jpg
(永代橋より佃島を見る)

しかも、どうしても、19世紀中期に同じ場所を描いた広重の「永代橋佃沖漁舟」も引用したくなる。

永代橋佃沖漁舟
(広重「永代橋佃沖漁舟」・手前の橋が永代橋、遠景の陸地が佃島)

茅場町の交差点で左折して、新大橋通りを西進して、ようやく築地に到着。
いそいそと自転車を止めて、ラーメン屋「井上」に向かうも、既に店じまいの支度をしていた(築地の名店は大概、昼過ぎで閉店)。
がっかりである。
仙台堀川公園でゆっくりしすぎたなあ・・・。

仕方がないので、築地場内外を散策する。

IMG_2559.jpg
(買い物客で賑わっている築地場外市場)

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(商店の裏手・積み重なった歴史)

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(場内の食堂も店じまい・まだ開いている店には行列)

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(幾星霜を経た冷凍倉庫)

どこかで海鮮丼でも食おうかとも思ったが、そもそもがラーメン路線で思考していたので、ラーメンの線が捨てがたく、以前にもよく通った、晴海通りの「博多ラーメン・ふくちゃん」に行くことに。

IMG_2567.jpg
(「博多ラーメン・ふくちゃん」)

ラーメンと餃子のセット(780円)を食べる(トッピング類充実)。
70点。

IMG_2568.jpg
(ラーメン屋の前の晴海通りから勝鬨橋をながめる)

こうして私の腹はやっと満足して、銀座の街を抜けて、内堀通りから駿河台を登って、御茶ノ水橋を渡って、本郷の病院にたどり着いたのであった。

IMG_2571.jpg
(江戸城趾「大手門」)

メモ:「仙台堀川の由来

走行距離:52キロ(フジクロス+6速ママチャリ)
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2009.07.30 Thu
東京名所図会~御茶ノ水橋
いつもコメントを寄せて下さる相子さんから、御茶ノ水橋に関する、実に啓発的な情報(是非、ご一読下さい)を教えていただいた。

ほぼ毎日のように通り過ぎる「御茶ノ水橋」だが、これまでと違った橋のように感じられて、今日は、いつもよりつぶさに観察してみようと思う。

IMG_2087.jpg
(御茶ノ水橋)

灼熱の陽光がふりそそぐなか、フジクロスに乗って出発。
あぢぃ~~。
走っているときは風が発生するからよいが、信号などで停車すると、まるで身体の中で石炭が燃えているように暑い。
身体中から汗がほとばしり出るのが分かる。

暑くて仕方がないので、国道6号から「いろは通り」に逃げ込む。
広い道は日陰が少ないが、細い道は日陰が多いし、こんな日は、早めに隅田川に取り付いて、首都高下の屋根付きの道(普段は雨除けルートだが)を走るに限ると考えたからだ。

大正通りから墨堤通りに出る。
いつも気になっていた「レストラン・カタヤマ」(この界隈では有名なステーキ屋)の前を通ると、珍しいことに、入店待ちの行列ができていない。
たぶん、南向きの店舗は、陽光がぎらぎらと照りつけるので、さすがに行列を作る気にはなれないのだろう。

今日は、隅田公園の木陰で250円激安弁当を食べるという計画だったが、これはチャンスかもしれないと思って、さっそく店先に自転車を止めて入店してみる。
すぐにお姉さんが、店の奥のテーブルに案内してくれる。
幸運なことに、一席だけ空いていたのである。

この店のメニューはまるで書籍のように分厚いが、半分以上は、肉に関する説明などのいわゆる「能書き」が占める。
メニュー構成も複雑で、何を頼んでよいものやら分からなかったので、周りの人が食べていた「ステーキ定食」(1100円)を注文してみた。
ビールかワインを飲みたかったけど、後でだるくなるので、ここはぐっと我慢。
店内に立ちこめる肉を焼く香ばしい薫りに包まれて、冷たい水(この店の水はウマイです)で喉を潤しながら20分ほど待っていると、熱々の鉄板に盛られたステーキが届けられた。

ステーキ定食
(ステーキ定食・写真を撮り忘れたので、店のHPから無断借用)

この店は、肉のカットの仕方がよい。
面積は小さいが、分厚く切ってあるのがよい。
レアを注文したので、ナイフを入れると、まるで牛のタタキのように、中は真っ赤である(私好み)。
これほどのレアで出せるということは、よっぽど肉質に自信がないとできないことである。
ぼわっとしたソースの味が多少私の好みではなかったが、かなり美味しくいただいた(というか、一心不乱に喰った)。
76点。

大満足して、冷房で涼しかった店内から外に出ると、まるで、熱いおしぼりを全身に投げつけられたかのように暑い!

白髭橋に出て、首都高下の日陰を走る。
う~ん、日陰は快適である。

IMG_2523.jpg
(日陰が嬉しい首都高下の道)

昌平坂を登り詰めたところに、御茶ノ水橋はある。
これは、明治以来同じである。

IMG_2530.jpg
(御茶ノ水橋のプレート)

IMG_2526.jpg
(「昭和6年5月完成」)

この御影石?に刻まれた風雨の痕跡に、私は胸を打たれた。
何百回もこの橋を渡りながら、こうしてしげしげとこの橋のディテール(細部)を注視するのは初めてのことである。

「昭和6年5月完成」ということは、この橋は、戦前・戦中・戦後の、この界隈の生き証人であり、世紀が変わった今も、ここにその重厚な姿を保持しているわけである。

昭和6(1931)年と言えば、大震災による大混乱も何とかおさまったかわりに、いわゆる一連の満州事変(柳条湖事件)が勃発した年でもある。

軍部による「統帥権」の拡大解釈、というか、「悪用」が恥も外聞もなく行われ始めた記念すべき年で、いささか横道に逸れるかもしれないが、この統帥権の悪用こそが、結局は、1945年に「日本帝国」をば滅亡せしめた大きな(自滅)要因となったわけである(この統帥権の悪用さえなかったら、日本帝国はあと10年ぐらいは持ちこたえたかもしれない)。

因みに、神田川のこの場所に最初に橋が架けられたのは、明治23(1890)年のことである(薩摩の内戦も今や遠く、自由民権運動も弾圧されて、富国強兵が本格化した頃)。
当時の写真も残っている。

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(1890年に架橋された初代「御茶ノ水橋」・たぶん下流方向をのぞんだもの)

もう一枚、見つかった。
これはたぶん大正年間の震災直前ぐらいの写真ではないだろうか。

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(初代「御茶ノ水橋」・現在の文京区側から撮影されたものと思われる)

二枚目の写真に写っている街並みは、1923年の大震災によってほとんど壊滅したわけだが、時を同じくして、初代「御茶ノ水橋」も大破することになった。

震災によって壊れてしまった橋に替わって架けられたのが現在の御茶ノ水橋で、そういう意味では、震災からの復興の象徴的な存在だったのであろう(因みに、やや下流に架かっている優美な聖橋は昭和2[1927]年に完成し現在に至る)。

さて、相子さんに教えていただいたことに、やっと触れることができる。

東京の下町を標的にした米軍による大規模な空爆(たぶん、人類史上最も残虐な作戦の一つ)によって焼け出された人々の数は夥しいものであったろう。
御茶ノ水橋の北詰の土手沿い(現在の文京区側)には、そんな人々がバラックを建てて暮らしていたという。
そういう状況を舞台にして書かれたのが、獅子文六の『自由学校』という作品だった・・・。

獅子文六の『自由学校』はまだ読んでいないが、私が不思議に思ったのは、神田川の土手はかなり急峻だと思っていたので、あんな所にあばら屋を建てて生活できるものだろうかという点だった。

今日は、自転車を止めて、橋桁の下のあたりがどうなっているのかをよく観察してみた。
それで、驚いた。
文京区側の御茶ノ水橋の下は、遠くから見ると崖にへばり付くように鬱蒼と樹木が繁っているのでかなり急峻には見えるが、実際はそうでもないという事が分かったのである。

IMG_2529.jpg
(下流側の橋桁を覗き込む)

IMG_2531.jpg
(上流側の橋桁を覗き込む)

さらに驚いたことに、かなり平らな部分があるということ。
しかも、かなり広い。
これならば、特に橋の真下なら雨もしのげるし、北斜面にて日当たりも良いので、居を構えるのには適しているかもしれない(おまけに、景色も良い)。
私は、60年ほど前、ここに掘っ立て小屋を建てて生活している人々が見えるような気がした。

さらに上流沿いに100メートルほど歩いたところに、公衆便所と喫煙所があるのだが、そこにフェンスの扉があって、崖の下に出られるようになっているではないか。
ただし、フェンスには鍵がかけられて、常時「立入禁止」になっているのだが。

IMG_2536.jpg
(河岸に降りるための入口)

というのとは、崖つたいに道がついているはずだと雑木林をすかしつつ覗き込みながら、戻って見ると、予想通り、ちゃんと道が付いてた。
しかも、立派な「遊歩道」である。

IMG_2535.jpg
(神田川土手の「遊歩道」)

たぶん、この遊歩道は、開放されてはおらず、土手や森林の管理をする人たちが使用するためのものであろうが、是非とも、開放してほしいものである。
東京の新名所になることは間違いないと思う。

こうして私がちょっとばかり御茶ノ水橋のことを調べたところで、何が分かったわけではない。
ただ、いつも見慣れた物をわれわれは軽んずる傾向があるが、やや違った観点から見直してみると、まったく想像もしていなかった側面が見えてくるということである。
このことは、毎日同じ道を走っていても、ある日突然、意外な発見があるのと似ていて、自転車を乗り始めて尚更、私がつくづく感じることでもある。

御茶ノ水橋については、これからも調査を続けたい。
まずは、獅子文六の『自由学校』を読むことから始めよう。

IMG_2534.jpg
(御茶ノ水橋)

(この項了)

走行距離:36キロ(フジクロス)

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2009.07.29 Wed
旅の夢、膨らみて・・・
学期末特有の「断末魔」の中でもがいている。
会議と試験と提出物と宴会に追いまくられて、心の安まる暇もない・・・。

とは言いながら、ちゃっかり、夏の遠乗り旅行(逆回り・奥の細道)のことは考えている。

アマゾンに注文していた『ツーリングマップル 東北』が届いた。
これまでは、関東甲信越版(『ツーリングマップル 関東甲信越』)で済んでいたが、今回の旅は、東北地方も回るので必要になる。

この昭文社の「ツーリングマップル」シリーズは、オートバイ用の道路地図だが、自転車道の記載もあるし、軽量コンパクトで安価だというのが魅力である。
オートバイ乗りと自転車乗りは、興味の有り様がやや共通するので、地図上のコメントも役に立つことも多い(恐ろしく興味が異なる部分もあるが)。
ただ、この手の地図で、自転車版が出てくれれば本当に有り難いのだが・・・。

軽量と言っても、一冊丸ごとを持ち歩くのは難儀なので、普段は、当該ページを拡大コピー(見開きA4→B4)して利用している。
ただ、今回の旅は、かなり広範囲にわたるので、空き時間を見つけては、職場のコピー室で、こつこつと拡大コピー作業に勤しんだ。
すると、「東北」だけで、30枚近くになってしまった。
関東甲信越版と合わせると、40枚ぐらいになってしまい、一冊持ち歩くのと同じぐらい嵩張ってしまうかもしれない。

でも、当該ページを拡大コピーして持っていると、折りたたんでポケットなどにしまっておいて、こまめに参照することができるし、走り終わった地域の地図は、それこそ、「鼻をかんで捨てて」しまえばよいので、やはり、今回もコピー版を持って行くことにする。

この夏の旅で、多分一番しんどいのは、二度の列島横断(山越え)であろう。
山梨から長野を抜けて新潟に出る山越えと、山形から仙台方面に抜ける山越えである。
地図を眺めているだけで、溜息がでそうな箇所もある。
どうなることやら・・・。

だだし、入院中のお袋の病状によっては、旅の規模を大幅に縮小しなければならないかもしれない。
いや、その前に、仕事を片付けなさい!!!

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(隅田川夜景・屋形船)

火曜日の走行距離:35キロ(フジクロス)
水曜日の走行距離:60キロ(フジクロス)

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2009.07.27 Mon
東京名所図会~中川橋(新宿の渡し)
銚子からお袋の二人の姉妹(つまり私の叔母さんたち)が見舞いに来るというので、フジクロスに乗って、御茶ノ水駅まで迎えに行く。

途中、いつもとはちょっとだけ違う道を走ってみたくなって、中川橋を渡ってみた。

IMG_2505.jpg
(中川橋・正面右の大建築物は亀有アリオ)

紛らわしいが、いつも渡るのは中川「大橋」で国道6号線(現水戸街道)に当たるが、この中川橋は、旧水戸街道筋に相当する(中川大橋の方が、中川橋よりも、600メートルほど下流[南]に位置する)。
とは言っても、江戸時代まではここに橋は架かっていなくて、ちょうどこのあたりに「新宿(にいじゅく)の渡し」があっただけで、旅人は皆、小船で中川を渡るしかなかった。
黄門様も慶喜も、江戸に出るにはこの渡しのお世話になったはずである。
そういう意味では、この中川橋の名称は、「新宿(にいじゅく)橋」とすべきだったと思う。

今でも、ここを渡るには、政府の要人でも警察官でも、この橋のお世話になるしかない。

IMG_2506.jpg
(中川橋を自転車で渡る警察官2名)

幸いにも、広重が、江戸期の「新宿の渡し」を描いてくれているので、お陰で、当時のこのあたりの様子を知ることができる。

名所江戸百景にい宿のわたし
(「名所江戸百景 にい宿のわたし」)

この絵の遠景に描かれている山が筑波山(北東)だとすれば、中川の下流から上流方向を眺めていることになる。
とすれば、こちら側が亀有で、向こう岸が新宿(にいじゅく)ということになる。
二階建ての木造家屋が建っているあたりが、現在のアリオの南東の端ぐらいになるだろうか(現在の地図を参照)。
いずれにせよ、川沿いの松並木といい、対岸の田園風景といい、何とも牧歌的で、見ているとうっとりとしてくる。

橋の上から川を見ると、現在の中川橋の袂近くにも、舟だまりがあった。

IMG_2503.jpg

中川橋を亀有側に渡って、西岸(右岸)の川筋の道を走ってみることにした。

IMG_2507.jpg
(中川西岸川筋の道)

曲がり具合がちょうどよくて、走っていて気持ちがよいが、中川大橋(国道6号線)にぶつかると途切れてしまう。
途切れてしまうが、国道6号線を渡った向こうには、ちゃんとこの道は(荒川まで)続いていているのだが、そこを渡ることができないので、結局橋を降りきった中川大橋西詰の「青戸8丁目」交差点を回り込まなくてはならない。
国交省は、無駄な道路ばかり造らないで、こういう所に予算を割いてほしいものである。

仕方がないので、「青戸8丁目」交差点まで降りる。
この交差点こそ、そこにいるだけで頭痛がしてくるような場所で、車の轟音と排気ガスで満たされたこの世の地獄のような場所である。

IMG_2509.jpg
(「青戸8丁目」交差点・国道6号線と環七が交差する)

しかし、この交差点から南方向に広がる一帯は、中世以来この地を支配していた葛西氏の拠点(城)があった場所であり、また、江戸初期には、将軍が下総で鷹狩りをする際の休憩所(葛西御殿)のあった場所でもあるのだ。

さて、こうしていつものルートに戻って、御茶ノ水駅で叔母さんたちを迎えることができた。

病室に集いし三姉妹は、さっそく昔話に花を咲かせて、賑やかになった。
兄弟が多いというのは羨ましいことだなあと思う。
二人の叔母さんは、とんぼ返りなので、また御茶ノ水駅まで見送る。

ちょっと時間は早かったが、杉並の職場に向かう。
職場に到着してしばらくすると、ものすごい雨が降ってきた。
すんでのところで助かった!

今日は、外国人講師の研修(会議)に参加した。
私は、数合わせで参加したようなもの(あくまでも主観的には)だが、突然、司会者から閉会の辞(英語で)を命ぜられて四苦八苦する(おいおい、英語でやるなら、事前に言ってくれよ~)。

なにせ、会議中はあくびばかりしていたので、内容をまとめることもできなくて、しどろもどろ。
仕方がないので、会議に出た弁当の不味さ(しかも冷たい!)を詳細に、しかも、品目別に批判したところ、大いに受けたのが面白かった。

打ち上げは、明大前駅前の「華の舞」。
帰り支度の出で立ち(レーパンとジャージ)で参加したので、自転車好きなアメリカ人が寄ってきて意気投合する(米国人は、「700C」というホイールを26インチ半と表現するのを知った)。
帰り際に、これから葛飾まで自転車で帰ると言うと、「お前は、クレイジーだ」と言って笑われた・・・。

夜の国道(20号&6号)は空いていて、しかも、南西の追い風だったので、非常に気持ちよく走る。

四ツ木橋西詰付近を走っていたとき、背後で車のぶつかるものすごい音がしたので振り返って見ると、派手な追突事故だった。
フロントガラスより前の部分が、波打つように半分ぐらいに縮んでいた(停車中の車に追突した模様)。

クワバラ、クワバラ・・・。

IMG_2510.jpg
(日陰で休むフジクロス)

走行距離:63キロ(フジクロス)

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2009.07.26 Sun
行雲流水
午前中、ブログによくコメントを寄せてくれるしゃあさんが来訪。
「内職」の依頼であるとのこと。
依頼主のしゃあさんと呑ちゃんと私の三人で、一時間ほど、扇風機にあたりながら、その内職に専念する。

生まれて初めての内職であったが、ほんの一時間ほどだったので、楽しむことができた。
内職の内容は、ボイラーのタッチパネル(のようなもの)を箱から出して、裏面から延びている配線を切断して、ビニール袋に詰め直すという作業である(写真を撮り忘れた)。

昼前に終了して、三人でアルコール分ゼロのビールで「お疲れ様!」の乾杯をして、呑ちゃん特製の冷やし中華を食べる。
しゃあさん、また、内職を回して下さい。
モツ焼き屋の軍資金を作りましょう!

午後から、フジクロスに乗って病院へ。
今日は、もしかしたら、梅雨明け宣言が出てから初めての夏らしい夏日じゃないだろうか。
かなり暑い。

いくらも走っていないのに、喉の渇きを覚えて、中川畔で休憩。
先日の謎の杭に続いて、謎の柵(?)のような物を目撃したので、写真におさめる。

IMG_2485.jpg
(川面から出現した中川の謎の物体・因みに青いパイプ橋は、たぶん、水道橋)

いつものように、昌平坂を登る。
この坂を登ると、その日の体調が分かる。
今日はちょっと重い感じ。
夕べ、飲みすぎたかな・・・。

IMG_2488.jpg
(昌平坂から対岸の御茶ノ水駅をすかし見る)

病院。
休診日にて閑散としている。
洗濯物を届ける。
数日前から、窓際の病床に移動したお袋は、横になると矩形の空が見えるらしい。
雲が流れて行くのをこうやって日がな一日眺めるなんてのは、生まれて初めてだよ、と慨嘆調。
智恵子抄じゃあるまいし、悪いことばかりじゃないよ、行雲流水もいいじゃないか、お天道様からもらった休暇だと思えばいいのさ・・・。

自転車に乗っての帰り道、お袋の言葉に触発されたのか、吉田拓郎の唄を口ずさんでいた。

♪流れる雲を追いかけながら
♪本当のことを話してみたい
♪いつか失った怒りを胸に
♪別れを祝おう
吉田拓郎「明日に向って走れ」より)

そう言えば、吉田拓郎も、病気で大変なんだなあ・・・。

帰宅。
呑ちゃんが、姪っ子のピアノ発表会に出かけたので、私は、日の残る水元公園を散歩。
ベンチに腰掛けて、お袋が眺めている「雲」のことを想う。

IMG_2501.jpg
(水元公園)

走行距離:37キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

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2009.07.25 Sat
ある夏の一日~向嶋・弘福寺再訪など
晴れやかで暑い一日だった。

フジクロスに乗って病院へ。

シャンプーやリンス、それに洗濯物を届ける。
お袋は大分調子が良いようで、声も弾んでいる。
昨日届けた「江戸むらさき」は大層うまかったそうで、食事の度に楽しみができたとのこと。
今夜は、隅田川の花火だよ。
あらそう、見えるかしら。
いや、ここからじゃ、ビルの陰で見えないかなあ。
音だけなら、近いから盛大に聞こえるよ。
銚子の「みなと祭り」(8月8日)までには帰れると思ってたんだけど、無理かなあ。
う~ん、ちょっと無理かもね。でも、来年もあるさ・・・。

帰路は、昌平橋から不忍通りを走ってみる。
不忍池で休憩。
池は、大蓮の海であった。

IMG_2499.jpg
(不忍池)

上野駅前を通って、浅草通りへ。
浅草通りは、結構走りやすい道だが、どういうわけか、蔵前橋通りと較べて信号に掛かりやすい。
合羽橋界隈を抜けて駒形橋を渡る。
今夜の花火大会のための資材の搬入をするトラックや気の早い浴衣の見物客などで道路は混み合っている。
言問橋東詰から、昨日の「復習」も兼ねて、再度、「見番通り」を走ってみる。

IMG_2491.jpg
(「見番通り」の奥ゆかしい民家)

気に入った「弘福寺」。
再度、見学。
う~ん、この門は、やはり素晴らしい。

IMG_2494.jpg
(弘福寺の門を境内側から撮影)

見ていると、なんだか、これまでのわだかまりがさっぱりと洗い流されて、励まされるような、元気になってくるような感じがする。
なぜなんだろう?

IMG_2496.jpg
(正面左より撮影)

帰り道、四ツ木の商店街を走っていると、後方から、「断腸さ~ん!」といううら若き女性の呼び声が。
振り返ってみると、車に乗ったやまびこさんだった。
ちょうど、暑さのため萎えそうになっていたので、予期せぬ若い女性の「声援」に元気が出る。
やまびこさん、ありがとうございました。

帰宅して、呑ちゃんが拵えてくれたチャーハンを食べて、しばし、昼寝。
夏の午睡は、気持ちがよい。

昼下がり、水元公園を散歩。

IMG_2500.jpg
(本日の水元公園)

晩飯を食べていると、南西の方向から花火の音が聞こえてくる。
それを聞きながら焼酎を飲んでいると、「川開き」(隅田川花火大会)が急遽中止になった明治45年の夏に、夏目漱石が書いた日記のことを思い出した。

「晩天子[明治帝]重患の号外を手にす。尿毒症の由にて昏睡状感の旨報ぜらる。川開きの催し差留られたり。天子未だ崩ぜず。川開きを禁ずる必要なし。細民[貧しい庶民]是が為に困るもの多からん。当局の没常識[非常識]驚くべし。演劇其他の興行もの、停止とか停止せぬとかに騒ぐ有様なり」 (夏目漱石・明治45年7月20日付『日記』より・[ ]内は引用者注)

走行距離:39キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

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2009.07.24 Fri
向島~「見番通り」と国道6号線回避ルート
梅雨明けしたはずなのに、ここ連日、梅雨のような天候である。

もしかしたら、皆既日蝕でもあったし、ヘソを曲げたアマテラスが天岩戸(あまのいわと)に籠もったまま、出てこないのかもしれない。

アマテラスの逆鱗に触れたのは、弟スサノオの乱暴狼藉だったが、もしかしたら、コイズミ・アベ・フクダという、民草の暮らしを無視し続けた「無能宰相3バカトリオ」が現代のスサノオ君であり、その滅茶苦茶な失政に怒っているとも考えられる。

古事記によれば、アマテラスを再び引っ張り出して光明ををもたらしたものは、アメノウズメの裸踊りと、神々の笑いと、タヂカラオの怪力であった。

今、われわれに必要なのは、「踊り」と「笑い」と「力」なのかもしれない・・・。

閑話休題。

今日も、曇り時々雨の予報だったので、6速のママチャリで出発。
時間がたっぷりあったので、いつも気になっている「見番通り」(墨田区向島)をゆっくり見てみることにする。

それはそうと、葛飾側から四ツ木橋を渡った後、私の場合は、そのまま東向島交差点の手前まで国道6号線を走ってしまうことが多いのだが、のんびり走りたいときは、次のルート(国道6号を回避する抜け道ルートでもある)を辿ってみるのもよい。

四ツ木橋を降りきったところの大きな交差点(「四ツ木橋南」)を右折する。
一つ目の信号を左折。
この左折した道が「玉の井・いろは通り」で、あとはこの通りを道なりにずぅ~っと進む。
途中で、東武伊勢崎線をくぐると「大正通り」になる。
「大正通り」は、墨堤通りとぶつかって終わる(「白髭橋東詰」付近)。

この「いろは通り」~「大正通り」、走っていて楽しい商店街なのだが、携帯メールを打ちながら自転車を走らせる高校生や、前カゴに大根やネギを満載したママチャリが右側並列走行しているのは当たり前の世界なので、週日の朝夕は避けたい。
だが、週末なら、ほぼ全日走りやすい。
クルマが嫌いな人は「いろは通り」を。
自転車が嫌いな人は国道6号線を(最近、私はクルマより自転車のが恐いのでこっち)。

なお、雨の日などは、いろは通りの終点からそのまま白髭橋をめざして、隅田川東岸(左岸)の首都高下の道を進めば、吾妻橋まで、ほぼ「屋根付き」の道を走ることができる。

さて、墨堤通りにぶつかったら左折して、途中、左側に白髭神社などを見ながら道なりに走ると、やがて「墨田区屋内プール体育館」のちょっと先で道が大きく二股に別れる。

右に行けばそのまま墨堤通りで、左に行けば「見番通り」である。

この墨堤通りと見番通りの分かれ目のところに、日本野球史上、忘れてはならない場所があるので、それにも触れておこう。

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 (「隅田公園少年野球場」)

隅田公園少年野球場」である。
ここは、日本初の「少年野球場」で、かの王貞治少年も、ここで野球を練習した場所なのである。
作られたのは、まだ占領軍統治時代の1949年だという。
今からすれば小さい「球場」だし、しかも、なぜか長方形のグラウンドで、使いにくかろうが、日曜日の早朝などここを通りかかると、未来の王選手たちが元気の良い声を出しながら白球を追っている。

ついでだが、有名な「言問団子」が店を構えているのは、この少年野球場の隣りである。

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(美味いけど高い「言問団子」)

さて、「見番通り」である。

「見番」というのは、まあ一言で言えば、芸者斡旋所のことで、向嶋遊里では、この通りに見番があった(現「向島墨堤組合」)ので、その名を冠した通りなのだという。

この通りを南に向かって走ると、まず右側に、変わった山門が見えてくる。
弘福寺である。

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弘福寺

17世紀後半創建の禅寺らしい。
堂宇はケレンミがなくて堂々たる風格がある。
とりわけその門は、天に舞い上がらんばかりの飛翔性が感じられて、意表をつく美しさである。

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(弘福寺本堂)

本堂も素晴らしい。
江戸時代に創建ないしは修復された寺社は、何というか、どことなく、家康の計算高い俗っぽさが匂い立つようで好きになれないが(たとえば、日光東照宮)、この寺の堂宇には、いささかも「権力」を感じさせるところがない。
私が思うに、寺社というものは、権力を内包させた所から腐敗が始まる。
その最たる例が、近年、国策的に拵えられた明治神宮と靖国神社である。

弘福寺のやや南には、こんなかわいらしい駄菓子屋あった。

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まるでどこかのお婆ちゃんが縁側座って微笑んでいるかのようである。

さらに見番通りを南進すると、右側に、これまた有名な「三囲(みめぐり)神社」なども見えてくるが、今回は割愛。

実は、今日一番訪れてみたかったのは、この見番通り沿いにある「すみだ郷土文化資料館」である。
見番通りが、言問橋東詰で国道6号線にぶつかって終わるちょっと手前にそれはある(大きな看板が出ているので分かりやすい)。

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(「すみだ郷土文化資料館」)

入館料は100円。
展示室は、1Fから3Fまでで、「すみだ」の歴史や文化を語る展示物を見ることができる(ただし、全館撮影禁止)。

まず、私が面白かったのは、古代と中世の地図。
たとえば、大和政権時代の海岸線は、葛飾区ではちょうど現在の京成四ツ木駅あたり、墨田区では現在の国道6号線がほぼ当時の渚だったことが分かる。
私は、どうしてなのか、子どもの頃から、昔の海岸線が示してある地図が大好きで、何時間見つめていても飽きない。

墨田区は、20世紀中に、世界的にも大規模と言ってよいほどの、二度の災禍に見舞われた。
大震災(23年)と大空襲(45年)である。
これは、考えてみれば大変なことで、たとえば20才で震災に罹災した人が、また43才になって戦災にあうという勘定になり、20世紀前半の墨田区住民の生存率は、世界的に見ても、かなり低いものであっただろう。

現在、「すみだ郷土文化資料館」の3Fは、「東京大空襲」の特集展示を行っている。
1945年3月10日の夜、人類史上最もおぞましい「虐殺(大量殺戮テロ)」の一つが、ここで実行された。
たった一晩で10万人以上の民間人が焼き殺されたのである。
展示では、消滅した街並みを地図上で復元したり、生存者の聞き書きや絵によって、その様子を伝えている。
展示物を見ていると、胸が押し潰されそうになって、息苦しくなってしまう。
決して多くはない展示物だが、何度か訪れて、少しずつ閲覧しなければ、とても堪えられない・・・。

いたたまれない気持ちで館から出ると、明るい夏の空が口を開いていた。
界隈では、明日の川開き(隅田川花火大会)の準備に余念がなかった。

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(「見番通り」の西の終点にある老舗割烹「上総屋」・言問橋東詰)

メモ:「東京大空襲・戦災資料センター」(江東区)

走行距離:38キロ(6速ママチャリ)

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2009.07.23 Thu
6速ママチャリで通勤
雨の日通勤用のルイガノクロスの後輪の歪みはかなり深刻で、もしかしたら、自分では直せないかもしれない。
こういうとき、インター8(バブ内装型8段変速機)は弱い。
外装式なら、スプロケを予備のホイールに付け替えればそれで事は済むが、内装式はそうはいかない。
振れ取り台も持ってないし、持っていたとしても、自分でできるかどうか。
まあ、しばらくは、6速ママチャリに頑張ってもらって、考えることにしよう。

曇り時々雨というような天気予報だったし、今日の職場は駿河台で、比較的近いので、6速ママチャリ(この自転車の仕様については、過去の日記を参照のこと)で行くことにした。
この自転車、昨日は、一日中、児童公園で雨ざらしになったので、チェーンに油を吹きかけて、カゴに鞄を放り込んで出発(カゴは、はっきり言って、便利です)。
う~ん、さすがに車体が重いので、スピードは出ないけど(でも、筋トレにはなる!)、この自転車だって、ホイールとタイヤをまともなものに交換すれば、結構よく走るような気がする。

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(謎の杭が現れている中川)

自転車を職場前の歩道に止めていると、誰かから声をかけられた。
振り向くと、顔見知りの自転車部の学生であった。
歩きながら、しばらく話をする。
さっそく、夕べの事故の話をして、どうすればよいか意見を聞いてみた。
彼の話に寄れば、乗っているうちに自然と出る振れならスポークテンションで直せるけど、外部から衝撃を受けた場合、リムの交換が必要とのこと。

ついでに、いろんなことを聞いてみた。
月に何キロぐらい走るの?
種目にもよるけど、ロードレース系の選手(学生)は、学期中は月3000キロ、夏期休暇中などは月4000キロだという(いずれも、自主連込み)。
ということは、年間4万キロ以上(地球一周だ)を走っていることになる。
さすがにすごい!
私の4倍ぐらい走っていることになる(道理で授業には顔を出さないはずである)。
因みに自転車部の今年の夏合宿は山形だという。
「オレも、この夏、山形に行くから、訪ねるかもしれんよ~」と言うと、「マジっすか?」とその学生。

夕方、病院へ。
昨夜は、腹痛をおこして、痛め止めをうってもらったとのこと。
一進一退だなあ。
桃屋の「江戸むらさき」を買ってきてくれとお袋。
分かった、特大のを買ってくるよ。
いやいや、一番小さいのでいいんだよ・・・。

夕食は、玄米ご飯を炊いて、呑ちゃんの買ってきてくれたお総菜でもりもりと食べる。
やっぱり、玄米は美味しいなあ・・・。

走行距離:35キロ(6速ママチャリ)

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2009.07.22 Wed
久々の電車通勤・駿河台下散策
夕べは、午前様で、帰宅。

帰路、雨の降りしきる中、墨田の「いろは通り」で信号待ちをしていて、青になったので発進しようとしたそのとき、ママチャリに乗っていたオジサンの自転車が私の自転車(ルイガノクロス)の後輪に右側面から突っ込んできた。
私はまだ、左足を地面に着けていたので、何とか平行を保ち、倒れることもなく、そのまま発進した。

ごめん、ごめん、と言いながら、傘さし運転(違法)のママチャリのオジサン、路地の暗闇の中に消える。
この野郎ぉぉ~。

しばらく走ると、何だか異常にペダルが重いことに気づく。
止まって調べていると、後のVブレーキが後輪に接触しているではないか。
やっちまったよ。
さっきの衝撃で、後輪のリムが振れて(歪んで)しまったのだ。
仕方がないので、後のブレーキを「解放」にして帰宅。

でも、服を脱ぐのも辛いほど疲れていたので、そのままバタンキュー。

3時半起床。
眠い。
2時間半ぐらいしか寝ていない。
でも、朝までに仕上げなければならない仕事があって、早起きしなければならないのだ。

なんで、こうなる前に、週末に仕事を片づけておかなかったのか。
どうして、オレはいつもこうなんだ。
自己嫌悪。

何とか、5時半過ぎには終わらせて、出かける準備をしてさて出かけようと思って玄関のドアを開けると、外は無情の雨。
雨なんでルイガノクロスだなと思ったその瞬間、夕べのことを思い出した。
そうか、リムが振れていたんだ。

今日の職場は杉並。
往復60キロはあるし、武蔵野台地以西を走るので、坂も多いし、雨の中、前ブレーキだけでは危険過ぎる。
晴れの日通勤用のフジクロスは泥よけがないし、履いているタイヤは雨の日は大層滑る。
6速のママチャリは泥よけが付いているけど疲れるし・・・などとしばし考え込む。

よし、仕方がない。
今日は、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、電車で行こうと決めた。

6速のママチャリで、金町駅近くの児童公園まで走って、そこに(違法)駐輪。
駅で切符を買って、改札を抜ける。

途中、駅前の金町地区センター隣の小公園で、子猫がちょろちょろ走っているのを発見して、尾行してみると、公園の隅っこに、その猫の「母子家庭」(猫の習性なので仕方がないが)の住処があった。

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(猫の「母子家庭」団欒の図)

いやぁ~、実に久しぶりである、電車で通勤するのは。
輪行などで列車に乗ることはあっても、電車で通勤するのは、かれこれ、1年半ぶりくらいだろうか。

思えば、金町駅のホームも変わったものである。
待合室のような構造物もできたし(寒冷地ではないので不要)、喫煙所がなくなっていたし(高いたばこ税を盗っておきながら理不尽)、ベンチが新しくなっていた(これはまあ良い)。

久々に電車で通勤すると、それなりに新鮮である。
車窓から、いつも走っている道が見えたりすると、何故かこれが「嬉しい」。
千代田線の「新御茶ノ水」駅に着いたところで、下車。

下車してみて、「しまったっ!」と思う。
そうだ、杉並の職場に行くには、先ず千代田線で「表参道」まで出て、銀座線で渋谷駅、そこから、井の頭線に乗り換えというのが、電車通勤「時代」の私の定番経路(電車賃が一番安い)だったのだが、間違えて降りてしまったのだ。

降りてしまった以上、後続の列車に乗るのは、何だか「沽券にかかわる」(?)ような気がして、なが~いエスカレーターを登って地上に出て、中央線御茶ノ水駅に至る。
御茶ノ水駅でまた切符を買って入札するも、間違って、反対方向のホームに降りてしまうなんてこともあった。。
てなわけで、久しぶりの電車通勤は、以前のノウハウを忘れてしまったために、結構苦労しながら、職場に到着。

仕事が終わっても、電車移動だと思うと、憂鬱で、なかなか腰が上がらない。
しかし、夕方には、本郷の病院に行かなければならないので、職場を後にする。
京王電鉄は、案の定、混んでいるし、新宿での乗り換えには、忍耐力を必要とした。

本郷の病院で、呑ちゃんと待ち合わせて、お袋の病室へ。
ちょうど食事中だった。
しかも、何と、粒物が出ているではないか。
カボチャやニンジンの煮物や豆腐など。
一昨日の夕食から粒物が出るようになったとのこと。
さっそくお粥にふりかけなどをかけて、お袋は嬉しそうに食べていた。
物が食べられるというのは、本当に有り難いことだ。

呑ちゃんと二人、神田川を渡って、夕暮れ時の御茶ノ水界隈を散策。
帰宅時間とあって、家路を急ぐ人が歩道を忙しそうに歩いている。

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(御茶ノ水橋より神田川上流を見る)

駿河台下(神保町)あたりで、学生時代から歩き慣れた路地に入る。
ほとんどの店が変わってしまったなかで、中華そばの「伊峡」や喫茶店「エリカ」は、今でも健在である。

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(何百回もお世話になっている、中華そば「伊峡」)

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(レトロな雰囲気を漂わす、珈琲「エリカ」)

伊峡」の隣にあった「とんかつ・いもや」と「天ぷら・いもや」は、行列のできる名店であったが、なぜか、昨年に突然閉店(ただし、ありがたいことに、私の愛する「天丼いもや」は健在)。

われわれは、こうして、夏の夕涼みがてら、誰が呼んだか「人生通り」を徘徊した。

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(だれが呼んだか「人生通り」)

そんななか、ひときわ目を引く新しい居酒屋「魚百」が活況を呈していた。
聞けば、4月に店を開いたという。

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(「魚百」)

店の看板を見てみると、何と、「生ビール3杯まで無料!」と書いてあるではないか。
ぬぬぬ・・・、生ビールが3杯無料とは、どういうことなのか。
お店のお姉さんに聞いてみると、何らかのつまみを頼みさえすれば、本当に、ビール3杯がタダだというではないか。

「前髪を引かれる」(?)ようにして入店。
魚類を中心に、メニューも豊富で、しかも安い。
われわれはうきうきしながら、「生ビール!」と高らかに注文。
本物のビールがちゃんと出てきた。
ウマイ!
タダだと思うと、また、格段にウマイ!

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(活気のある店内)

われわれは、砂漠の中でオアシスに出会ったベドウィン族のように、矢継ぎ早におつまみも注文した。

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(岩牡蠣・大洗産)

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(鯵たたきとイカ刺し)

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(焼きトウモロコシ)

他にもいろいろと注文したのだが、写真を撮るのももどかしくて、撮る前に食べてしまった(見る前に飛べ!の精神である)。

こうして、われわれは、魚料理でビールや焼酎をたらふく飲んだ。
新御茶ノ水駅から千代田線に乗り込む。
席が空いたので座った。
いつの間にやら眠ってしまい、呑ちゃんに起こされると、金町駅だった。
眠りながら帰るというのは、自転車ではできない芸当である・・・。

火曜の走行距離:35キロ(ルイガノクロス)
水曜の走行距離:2キロ(6速ママチャリ)

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2009.07.20 Mon
東京名所図会~向嶋白髭神社・幸田露伴旧居跡
朝の涼しいうちにと思って、ロードバイクに乗って病院へ向かう。

金町駅前の「そばっ子」で、冷やしたぬき蕎麦(280円)を食べて、金町浄水場の裏手から江戸川サイクリングロードに上がる。
南東の風にて、向かい風だったので、市川橋で一般道(蔵前橋通り)に降りる。
日曜の幹線道路は、概して気持ちよく走れる(それにしても、本当にノーヘルの自転車乗りが多くなった。見ているこっちが恐くなる)。
ものすごい追い風で、時速35キロぐらいでぶっ飛ばして、あっという間に本郷の病院に到着。
面会時間(8時から)の前に着いてしまったので、入口付近でオロナミンCを飲んで時間を潰す(「メガネが落ちる」ウマサであった)。

お袋は、相も変わらず、すき焼きが食べたいという話ばかりする。
分からないでもない。
私も、腸炎で入院していたときに、鰹の刺身が食べたくて仕方なかった。
病室の冷蔵庫に、お茶と水を補充して、洗濯物を預かって、明日また来るねぇ~。

隅田川土手は、鉄パイプのバリケードが築かれていて、普段より半間ほど狭いので走りにくい。
来週は、下の一般道(墨堤通り)を走った方がいいかもしれない。

白髭橋を渡って、白髭神社に寄ってみた。
過去にも何回か来たことがあったが、高名な社にしては、どうも、ピンと来ないところがあった。

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(白髭橋西詰)

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白髭神社

今回も、あまりピンと来たわけではなかったが、私にとって、新しい発見があった。
この神社は、現在の墨堤通りに面して存在するわけだが、発見というのは、この墨堤通りについてである。

私はこれまで勘違いしていて、首都高下の隅田川土手が、江戸時代に築かれた「堤」だと思っていたが、家に帰って、江戸時代(安政年間)の地図を確認して、それが間違いであることに気づいた。

まず、江戸時代の地図をご覧あれ(クリックで拡大)。

向島絵図
(「隅田川向嶋絵図」)

この地図は、上下(南北)が逆なので、見やすいように天地を逆転させておいた。

左の大きな川が隅田川。
右端の比較的太い川が中川。
これは、一種の絵地図なので、実際の地形がデフォルメされているし、現在なら真ん中あたりに巨大な荒川(放水路)が描かれるべきだが、当時は存在していないので、当然、描かれてはいない。

この地図から現在の土地勘を得るには、左下の「吾妻橋」を確認するといいかもしれない。
南北に流れる隅田川と平行して通る黄色の太い通りが、当時の隅田川の堤防で、ずうっと桜並木に縁取られていることが分かる。
そうなのだ、実は、現在の味気ない「墨堤通り」が、江戸時代に桜の名所として有名だった本来の隅田川土手だったのだ。

つまり、明治以降、墨堤の桜を伐採して一般道路として、その代わりに、川沿いを部分的に埋め立てて、そこに新たに土手堤を築いて、そこに桜を植え直したというわけである。
以前から、明治の初め頃の隅田川土手の古写真を見ては、土手の内側(川側)にも集落が写っていたので、変だなあと思っていたのだが、その謎がこれで解けた。

ついでだが、この地図を見ると、隅田川と中川に挟まれたこの「向嶋」という地域が、どうして「シマ」と名付けられたかよく分かる。
河川に区切られて土地は、実質的にも、やはり、島だったのである。

当時の「シマ」という日本語の語感は、現在と異なる。
現在のわれわれは、大海や大きな湖に隔てられた土地のことをシマというが、古来の日本語では、川や谷によって隔てられた土地のこともシマという言葉で表現した。
だから、どんな山奥に行っても、「シマ」という地名が存在するわけだ。

城や町屋のある隅田川西岸からすれば、隅田川東岸は「向こう島」だったわけであり、その向嶋のなかの、東岸の川筋あたり(「玉の井」を含む地域)を特に「寺島」と呼んだ。
たぶん、神社仏閣が多かったからであろう。

墨堤通りが人工的な土手であったことは、そこに行ってみればすぐに分かる。
道の東側は、1~2メートルほど低くなっている。

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(自転車が並んでいるところより右が土手)

さて、白髭神社を後にして、帰路につこうと神社の裏手に出ると、何というか、ものすごい迫力のアパートが目の前に現れたので、驚いて自転車を止めた。

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(向島のアパート)

廃屋ではなく、現役のアパートである。
まるで、つげ義春の漫画の世界に紛れ込んだようだった。

そうそう、今日は、もう一つ行ってみたい場所があった。
前から気になってはいたのだが、なかなか場所が突き止められなかった「幸田露伴旧居跡」である。

今日は、向島百花園の前の地図できちんと確認してから行ってみた。
やはり、分かりやすいとは言えない曲がりくねった路地を行くと、それは現れた。

現れたと言っても、建物はなく、今は、その敷地が児童公園になっていた。

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(露伴児童公園)

公園の中には、露伴の文学碑が建っている。

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(露伴の文学碑)

「蝸牛庵」として有名だった露伴邸は、現在は、愛知県犬山の「明治村」に移築されているので、今でも見ることは可能である。
明治村には、そのうち行ってみたいものである。

午後は、水元公園を散策。
夕食は、玄米粥を炊いて、納豆汁とともに食す。

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(本日の水元公園)

走行距離:54キロ(ロード+6速ママチャリ)

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2009.07.18 Sat
墨東墨西放浪記
天気予報によると、午後から雨かもしれないということだったので、早めに病院へ向かう。
しかし、早朝、フジクロスに乗って走り出すや、既にポチポチと雨が落ち始める。
それでも、カッパを着るほどの雨にはならなかった。

東京の坂の中でも私が一番好きな「昌平坂」を登って、本郷の病院へ。

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(昌平坂・右に見えるのが湯島聖堂)

お袋は、昨日の夕飯にはアイスクリームが出たという。
あんまり美味しかったものだから、全部食べたら、腹痛をおこしてしまって参ったらしい。
すき焼きと餃子が食べたくて、夢の中では何回も食べた。
早く退院して、すき焼きを食べに行きたい。
よ~し、わかった!
東京で一番美味しいすき焼きを食べに行こうね。
洗濯物を預かって、病院を後にする。

病院からの帰りに、往きで登った昌平坂を下るのは、一つの楽しみである。
東京医科歯科の前のT字路の信号が青になってから、風のように昌平坂を下って、秋葉の街を貫通する中央通り(中仙道)を疾走するのは、何とも気持ちがよい。

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(秋葉原の街を貫いて通る、通称「中央通り」だが、実は国道17号で、現中仙道でもある)

中央通りの電気街を走っていると、何とも面白い看板がでかでかと掲げられていた。

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(ひざまくら みみかき・山本耳かき店の看板)

なるほど、膝枕で耳かきか、男性を刺激する、なかなか壺を押さえた商売かもしれない。
しかし、耳かきが如くで「30分で2700円」もふんだくられるんじゃ、たまったもんじゃないぞ。
私だったら、下町のモツ焼き屋で、豚のレバ刺と耳刺で元祖チューハイを呷る方を選択するだろう。

蔵前橋通りを走って、いつものように、浅草に出る。
東京最大の観光地だけあって、浅草は年中お祭り気分であるが、今日は、まだ朝が早いので、人出もまばらである。
私のような飲み助が、毎日のように通る浅草で「引っかからない」で済んでいるのは、観光地値段で飲み屋の勘定が高いからである。
安かったら、毎晩でも寄り道してしまうかも・・・。

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(朝の伝法院通り)

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(浅草寺境内)

しかし、さすが浅草、ちょっと細い路地に入ると、芸術品のような街並みが現れる。

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(浅草の路地)

下町で幅をきかせている電信柱の不細工な有り様といい、雑然と置かれた自転車といい、目的意識のない植木鉢といい、東京の路地には、奥ゆかしいとも言える、自然成長的雑多性の美学がある。
こういう路地に入るとわれわれは、ここが「正しい」かどうかを問われるのではなく、ただ、「好き」かどうかを問われるのである。

隅田川沿いの土手や橋には、隅田川花火大会をにらんで転落防止のための鉄パイプの柵が組まれている。
また、川筋のあちこちに、花火大会当日の「案内図」の看板が立てかけられている。

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(「隅田川花火大会総合案内図」)

来週の土曜日は、浅草界隈は大混乱になるので、病院に行くときは大回りをしなければならないかもしれないな。

今日は、隅田川東岸沿いに白髭橋まで出て、永井荷風の作品世界の舞台となった「玉の井」界隈を抜けて、四ツ木橋西詰から荒川を渡る。

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(旧玉ノ井・いろは通り・この四つ角の錯綜した電線を見よ。この街区が権力によって支配できないことを象徴しているのである)

いつものように、四ツ木橋を渡って、古代東海道ルートを抜けて、中川筋に出る。
次第に日が高くなって、あまりに暑いので、青戸橋(環七)の下の日陰で一休み。

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(青戸橋下・この橋の上には、表参道と並んで、東京で最低最悪の道路「環七」が通っている)

ペットボトルのお茶をラッパ飲みしている私の脇を、警官が内装3段のママチャリで通過していった。
そうか、警官がヘルメットを被って自転車に乗るようにならないとダメかもなあと思う(最近、ノーヘルの初心者が増えたので)。

こうして私は、中川大橋(国道6号)を渡って、家に帰った。

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(中川大橋より下流を見る・最近水量が少なくて、砂州が現れるように)

午後は、呑ちゃんと三郷方面に出かけて、寿司を食べて、帰りに三郷公園の「ほたる池」に寄ってみたが、ほたるは一匹も目撃できなかった。

走行距離:42キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

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2009.07.17 Fri
大雪山系の遭難事故に想う
数日前、大雪山系で遭難者が出て、痛ましくも、10人の方が亡くなられた。
ここに、ご冥福をお祈りする。

実は、かく言う私も、30年ほど前、大雪山系を縦走したことがある。
まだ、学生の頃の話だ。

それは、昨日の日記にも触れた、友人と二人で24泊25日の北海道キャンプ旅行をしたときのことである。

層雲峡の山深いキャンプ場(寝ている間にカラスの群に食料を奪われた)で一泊したわれわれは、これからどうしようという話になって、せっかくだから、大雪山系の縦走に挑戦してみようではないかということになった。
その「せっかくだから」という安易な姿勢のために、後で大変な目に合うことになったのだが。

何せ30年も前のことなので、詳細は覚えていないが、確かどこかまでロープウェイで登ってから、登山を始めたように記憶する。
筆舌に尽くしがたいような素晴らしい紅葉のパノラマに溜息をつきながら、ひたすら山を登った。
しかし、この登りが実に厳しかったと記憶する。
われわれの背中には、キャンプ道具一式や食料の収められているリュック(たぶん15キロぐらい)が重くのしかかり、道々、こんなはずではなかったという後悔を打ち消しながらの行程であった。

因みに、連れの友人も私も、登山の経験はゼロ。
地元で入手したパンフレットに出ている、われわれが最初に一泊する予定だった黒岳の「石室(いしむろ)」も、私は、「せきしつ」と読んでいて、まるで古墳みたいだなあなどと思っていたようなレベルである。

それでも、連れの友人は野球やラグビーで鍛えていたので、何とか山道を登っていったが、煙草を吸いながら小説ばかり読んでいた軟弱者の私は、繰り返し、もうこのあたりで引き返そうよと提案したものである。

そんなわれわれが、どこかの沢で休憩していると、向こうから、20人ぐらいのパーティが一列になってやって来た。
こんにちはと挨拶を交わすと、そのパーティのリーダー格のサングラスの青年が、われわれに話しかけてきた。

「君たち、これから縦走するの?」。
「はい、そうですが」と答えると、彼は、困ったものだという表情を浮かべながら、「その格好じゃ無理だよ」ときっぱりと言った。

どうしてですかと聞き返すまでもなく、そのパーティの人たちの出で立ちはいかにも本格的で、ちゃんとした登山靴を履いているばかりか、ステッキのような物やその他、われわれには縁のないような様々な装備を帯びていた。
それにひきかえ、われわれはと言えば、ジーパンにTシャツにスニーカーといった格好で,明らかに違和感を振りまいていた。

聞けば、そのパーティは、中央大学の山岳部で、夏の訓練で大雪山系を縦走中とのこと。
われわれ二人は、明治大学の学生であったので、すぐにうち解けた。
中大と明大は、今でこそ、30キロも離れてしまったが、当時は軒を接するような隣組で、お互いに学食や生協なども利用し合っていたので、顔見知りも多かった。

明大の学生だということが分かると、厳しい表情のリーダーも、また、中大山岳部の他のメンバーも急に態度が優しくなって、いろいろとアドバイスをしてくれたばかりではなく、これから数日間は、同行するように言ってくれた(それを決めるために、わざわざミーティングを開いていた)。

彼らに指摘されたこと。
・靴下を2枚はくように(スニーカーだったわれわれが岩などで足首を怪我をしないように)。
・帽子は必ず被るように(高地は紫外線が強いので)。
・水が多すぎるので、半分は捨てるように(この先に補給ポイントがあるので)。
・リュックの中身のパッキングをし直して、重量が左右平衡になるように。

ということで、ありがたいことに、われわれは、にわか中大山岳部員となって、彼らの列に加わることになった。
ところが、歩き出すや、そのペースがすごく早い。
30分も歩かないうちに、息が苦しくなって付いていくのがやっとであった。

「熊に注意」の看板を横目に、いくつかの小さな川を通り過ぎるたびに、リーダーが、「この川の水は飲めない」だの、「この川の水は飲めるので、水筒に水を補充しておくように」などというアドバイスをしてくれた。
なるほど、ルートを知っているというのはこういうことなんだ。
われわれは、何と無謀だったんだろうと思い知らされた。

やっとのことで、石室(いしむろ)に到着した。
それぞれ簡単な食事を拵えて食べた。
少しお酒も飲んだかもしれない(ポリタンにウイスキーを入れて持ち歩いていたが、ポリタンのニオイが移ってしまって、まずいウイスキーになっていた)。

さて、忘れられないのは、その夜の寒さである。
われわれは、夏用の寝袋しか持っていなかったが、でも、昼間は結構気温が高かったし、しっかりした屋根のある石室で寝るわけなので、大丈夫だろうと高をくくっていた。
ところが、夜が更けるにつれてしんしんと冷えてきて、寝袋にくるまっていても、寒くて手足がかじかんで、歯ががくがくしてくる始末。
われわれは、寒くて寝られないので、既に着た洗濯すべき衣服や下着類を全部リュックから出して、それを全部着込んでみた。
靴下などは4枚ぐらい重ね履き、パンツも数枚重ねて履いた。
それでも寒くて、ほとんど熟睡できなかった。

やっと朝になって、外に出てびっくり仰天した。
何と、外気温は、零下2度で、地表には、5センチぐらいの霜柱が立っているではないか。
つまり、夕べは、東京の真冬よりも寒かったというわけだ。
われわれ二人は、自分たちがいかに無謀であったかを再認識させられた。

もしわれわれが、中大山岳部の人に出会わなければ、日が暮れてしまい、石室に到着できなかったかもしれない。
とすれば、われわれは道に迷うか、どこかに夏用のテントを張って野営することになったであろう。
そのまま厳寒の夜をむかえていたら、もしかしたら、命も危なかったかもしれない。

その後、2日間、中大のパーティとともに縦走して、麓のバス停まで同行させてもらった。
彼らと一緒でなければとても行けないような雪渓にも行けた。
麓のバス停で別れたように記憶する。
中大山岳部の人たちには、今でも感謝している。
われわれ二人にとって、命の恩人と言ってもよいくらいなのだから。

私が本格的に登山をしたのは、後にも先にもこれっきりである。
最初の登山で厳しい洗礼を受けた私は、恐くて手が出せなかったというのが本当のところである。

走行距離:35キロ(ルイガノクロス)

思い出    Comment(5)   TrackBack(0)   Top↑

2009.07.16 Thu
水をめぐる話
もう15年ぐらい前になるだろうか。
初めてパリに行ったとき、水のペットボトルを持ち歩いている人々を初めて見た。
街路や地下鉄の車輌内で、ペットボトルの蓋を開けて、ちょっと水飲んではすぐに蓋をしている光景を見て、私は、実に不思議なことをする人たちだなあと思ったものである。

不思議に思った理由は三つ。

1.水は、どこにでもあるものなのに、わざわざ金を出して買っていること。
2.水は、人間が日常的に持ち歩く携行物としては、書籍と並んで重い部類に属するものだというのに、それをわざわざ持ち歩いているということ。
3.砂漠でもあるまいし、そんなにしょっちゅう水を飲まなければならないほど、喉が渇くはずがないのに、頻繁に、しかも、なぜか小分けにして飲んでいること。

1については、すぐに納得がいった。
ヨーロッパでは水道の水が飲めない(というより、飲むに相応しくない)ものであるし、原則、どの店に入っても、水は有料なので、水を買うのが当たり前であるため。
2についても、上記1の理由からすれば、重くても、自分で水を持ち運ぶのが一番便利でもあるし、結局は安上がりであるので、分かるような気がする。
3については、今でも半分ぐらいは、腑に落ちないままではあるが、気がついてみれば、自分も同じようなことをしているではないか・・・。

ただ、1と2については、少なくとも日本の市街地では、公園の水道の水はそのまま飲むことができるので、よくよく考えれば、ペットボトルを持ち歩く必要はほとんどないはずなのだが・・・。

これも昔の話しで恐縮だが、30年ほど前のこと、晩夏の北海道を24泊25日のキャンプ旅行をしたことがある。
最終日の函館でユースホステルに一泊した以外は、全泊キャンプで、朝夕食は自炊の旅であった。

その際に、一番困ったのが、何と水であった。
もちろん、当時は水を「売って」いる所なぞないので、水は「もらう」ものであった。
もらうといっても、大抵は、公園やキャンプ場の水道から汲むか、ガソリンスタンドや民家にお願いして水を分けてもらうということである。

私の記憶では、一日最低3リットルほどの水が必要だった。
テントや寝袋や飯盒や米などの食料などのずっしりと重い携行物以外に、なかでも一番重い水を持ち歩くのは本当に厄介だった。

人が比較的たくさん住んでいる地域では、水の確保は簡単で、公園や学校の水道かガソリンスタンドでもらうのだが、人煙がまばらな地域に行くと、いつも、水の確保に悩まされた。
私が北海道を旅行したのは、もう季節はずれの9月で、山の中の大抵のキャンプ場は、8月一杯で閉鎖していて、水道の栓が取り去られ、使えないようになっていた。

やっとキャンプ場まで辿り着いて、さて飯を炊こうとすると、水が足りない。
仕方がないので、ポリタンクをぶら下げて、先ほど苦労して登ってきた峠を降りて、麓のガソリンスタンドまで水をもらいに行ったこともある。
そんな経験をすると、水がないと不安になって、とにかく水道を見つけると、ポリタンクに満タンにするという習性が芽生えるようになる。
ところが、これが重いのなんのって・・・。

自炊野営旅行では、とにかく水をたくさん使う。
飲み水のほか、米を洗ったり、味噌汁やラーメンを拵えたり、食器類を洗ったり、洗濯をしたり、歯を磨いたり、何をするにも水が必要である。
水を節約するために、米のとぎ汁はとっておいて、食器洗いや歯磨きや洗濯に使ったこともある。

ただ、水の確保で一番悩ましかったは、いつの時点でポリタンクを満タンにするのがよいかという点である。
もちろん、ポリタンは常に水で満たされたいるのがよいに決まっているのだが、何しろ重い。
水を一番使うのは、夕から朝にかけてであるので、野営地に着く直前に満タンにするのが望ましい。
ところが、昼過ぎになると、この先ちゃんと水を確保できる場所があるかどうか不安なので、水道を見つけると一応、満タンにしておくが、夕近くになって、野営することになった場所の近くに、ちゃんと公園の水道などがあった場合は、昼過ぎから重い思いをして水を持ち歩いていたことが悔やまれてならない、ということになる。

さて、やっと最近の話しになる。

真夏の自転車走行には、大量の水分が必要になる。
私の場合、約90分で、500ミリペット1本ぐらいである。
通勤の日は、往復で約2本、仕事中に1本で、計3本ほど。
遠乗りの場合は、大体8時間ぐらいは走るので、6本(3リッター)ぐらいは必要になる。

昔と違って、今は、自販機でもコンビニでも簡単に水分を補給することができるけど、問題なのは、それにかかる費用である。
私は、月平均約1200キロ走るが、平均速度20キロとすれば、60時間走っていることになるので、月平均40本のペットボトルが必要ということになる。
500ミリペットボトルの定価は150円なので、すべて定価で購入したとすれば、6000円にもなる。
もちろん、真夏は、自転車に乗っていなくても、水分を必要とするので、すべてを購入したとすれば、なんだかんだで、1万円ぐらいの出費になりかねない。

話しが逸れることになるかもしれないが、ペット入り水やお茶の価格はちょっと高すぎると思う。
ガソリンだって、リッター100円ぐらいだというのに、水やお茶がリッター300円もするのはどう考えても解せない話しである。

そこで、私は、夏になると、よく100円ショップで売っている900ミリのペットボトル1本と500ミリのペット1本に自家製のお茶を詰めて出かける慣わしである。
しかも、冷たい水が飲みたいときはコンビニなどで補給するが、節約のため、なるべく公園などの水道で補充することにしている。

いや、それにしても、普段はパーツを交換して10グラム軽量化したといっては喜んでいるというのに、1.5キロほどの水分を持ち歩かなければならないというのは、不条理な話しではある。

IMG_0890.jpg
(この写真では、1リッターのペットと220ミリのワンカップ焼酎の容器を利用・九十九里サイクリングロードにて)

旅をする人類にとって、水分の補給は、永遠の課題なのかもしれない。

走行距離:35キロ(フジクロス)

エッセイ    Comment(4)   TrackBack(0)   Top↑

2009.07.15 Wed
梅雨明けには鰻を食べて
疲れが溜まって身体がだるいような気がしたので、夕べは、近所の蕎麦屋でうな重を食べた。
それかあらぬか、今日は快調であった。

6時にロードバイクで出発。
五十日(ごとおび)のせいか、いつもの水曜日より道が混んでいる(南風にて向かい風基調)。

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(麹町の休憩所・10円引きの自販機と屋根がある)

梅雨が明けたので、とにかく暑い!
走っているときは風が生じるのでまだよいのだが、信号で停車すると、滝のように汗がしたたり落ちる。
途中、東向島の100円ローソンで「買い食い」などをしながら、8時に杉並の職場に到着。

学期末のなので、職場には、追い込みへの忙しい不安と、夏期休暇への過大なる期待がせめぎ合っているようである・・・。

昼下がりに自分の業務を終わらせて、所用にて、市川(本八幡)に向かう。
このルートは、もう慣れたもので、甲州街道→内堀通り→(靖国通りを経て)蔵前橋通り→千葉街道で16時前に到着。

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(真夏の都心のアスファルト上は40度を越える・灼熱の国道6号・蔵前橋交差点)

途中、平井大橋で荒川を渡る。
平井大橋には、途中(東寄り)に信号がある。
この橋の歩道は広くて走りやすいのだが、降り方に難点がある。
・西から東に渡る際は、最初から最後まで車道を走るのが正解。
・東から西に渡る際は、最初は快適な歩道を登って、信号機のところで車道に出るのが正解。
でないと、橋を降りる段になって、つづら折りの階段付の歩道を自転車を押さなくてはならないからだ。

市川橋を渡って、市川へ。

IMG_2437.jpg
(江戸川に架かる市川橋から上流を見る)

しばらく市川橋の上で風にあたりながら、川面を見つめる。
風が強いためか、泥が巻き上げられて、水が濁っていた。

市川での所用を済ませての帰り道。
南東の強風に押されて、猛スピードで江戸川サイクリングロードを走って帰る。
実に爽快だった。

夕飯は、今夜もまた、鰻。
安くて美味しい、金町駅前の「うなよし」で。

白焼きと肝焼きで一杯やって、鰻丼で〆。

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(「うなよし」の鰻丼)

走行距離:74キロ(ロード)

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2009.07.14 Tue
夏のツーリング計画・逆回り「奥の細道」
帰宅したら、梅雨が明けていた。
毎年のことながら、梅雨が明けると何だか嬉しい。

夏期休暇中の予定もぼちぼち決まってきた。

この夏は、8月中に合宿が2回。
9月半ばに、呑ちゃんとどこか(未定)に旅行。
また、お袋が退院して帰銚していれば、銚子にも2回ぐらいは行きたいものである。

実は、2回の合宿に引っかけて、ツーリングを計画中である。
合宿の場所は、清里(山梨県)と新庄(山形県)である。
私が現在構想しているのは、逆回り「奥の細道」ツーリング。

大月から甲州街道を走って清里の合宿場へ(2泊3日)・大月まで輪行で、約130キロ走行。

その後、千曲川と信濃川沿いを走って長野県を抜けて新潟に出て、日本海沿岸の道を酒田まで北上した後、最上川沿いに新庄の合宿場へ(2泊3日)・移動に2泊3日・途中何カ所か輪行して、約400キロ走行。

合宿終了後、ほぼ芭蕉の辿った道を逆に進んで、宇都宮まで走る・約400キロ走行(宇都宮から東京までは輪行)・移動に3泊4日。

ほぼ2週間の大旅行になるだろう。

テントや寝袋まで持っていくか、全泊宿泊施設を利用するかなどは、これから詰める必要あり・・・。

走行距離:36キロ(フジクロス)

自転車    Comment(6)   TrackBack(0)   Top↑

2009.07.12 Sun
古代東海道(上小岩地区)をゆく
今日は、都議選の選挙の日。
温泉にも行きたいので、早めに病院へ行こうと思う。

天気がよいので、フジクロスだなと思いつつ、空気圧などを調べていると、急にロードに乗ってみたくなった。
ちょうど一月ほど前に銚子に行って以来、ロードにはまったく乗っていない。

一応、遠乗り用という「使命」をおびている私のロードバイクは、通勤ではあまり出番はなく、かわいそうに、玄関の本棚の脇に立てかけられたままである。

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(玄関でずっと「読書中」のロードバイク・こっそりとノンフラッシュで撮影)

2週間ぐらい前までは、「ごめんね、今日は雨だから、この次ね」とか、「あのぉ~、今日は急いでるんで、既に外に置いてあるクロスバイクで行くからね」などと語りかけることもあったが、最近は、何だかバツが悪くなってしまって、眼をそらしたまま、何事もなかったように、通り過ぎることが多くなった。
でも、人が寝静まった頃、ドア越しにこっそりと様子を伺ってみると、何だか「泣いている」ような気がして、そうなると、かえって、こちらも余計に意識するようになってしまい、避けるような態度をとり続けてきた。

かくの如き辛い仕打ちを続けてきた私は、自分の所業を深く反省し、今日は、陳謝の上、ロードバイクで出かけることにした。

ゴメンね、秋になったら、BBをデュラエースのSM-BB7900に換えてあげるからね(105のそれよりも、安価であることは内緒)。

ということで、ロードバイクで出かけることにした。
空気を入れる。
チェーンに油を吹きかける。

今日は、せっかくだから、ちょっと遠回りになるが、江戸川サイクリングロード経由で行ってみることに。
水元公園桜土手から江戸川土手に出る。
江戸川サイクリングロードを走るのは久しぶりである。

う~ん、やっぱりロードバイクは走りが軽やかでよい。
スピードが出るというのはその通りだが、感覚としては、「楽」であるという一言に尽きる。
同じ力を出しても、無駄なくペダルから車輪にその力が伝動するという感じ。
やや長めに走るときは、通勤でもロードの方がよいかもしれないと考えはじめる。
第一、疲れないのがよい。

柴又公園のあたりにさしかかると、週末はいつもそうなのだが、ジョギング渋滞で走りにくくなる。
これでは歩道を走っているのと同じなので、市川橋の手前でサイクリングロードから降りて、一般道へ。

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(川の向こうの緑なす台地が、古代に下総国府の置かれていた国府台)

適当に、一般道を走っていると、「上小岩遺跡通り」(江戸川区)という道に出くわした。

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(「上小岩遺跡通り」)

お~、これは面白そうだ。
遺跡と居酒屋には目のない私は、さっそくこの道を西進することにしたものの、走れど走れど、遺跡らしきものは見当たらない。
「上小岩遺跡通り」と言うからには、通りの左右に次々と遺跡群が現れるのかと思っていた私は、何だか、タヌキに化かされたような気分になる。

家に帰って調べてみると、この道筋に、上小岩遺跡という、弥生から古墳時代にかけての遺跡群が地中に眠っているらしい。
遺物は、博物館に行ってしまっているらしいが、いずれ見学に行ってみよう。

しかも、この道は、実は、古代の官道(古東海道)の跡を辿るようにして作られた道路だったのである。

この道を西へと道なりに辿ると、京成線「小岩駅」の脇を通り、「三和橋」で新中川(中川放水路)を渡り、「奥戸橋」で中川を渡ることになるが、ここから先は、以前の日記で書いた奥戸から四ツ木までいたる古東海道へ通じていたのである。

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(新中川に架かる「三和橋」から上流を見る・この川は、戦中戦後の昭和になって、開削されたものなので、古代には存在しなかった)

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(奥戸の「総合スポーツセンター」のところで、奥戸橋を渡る)

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(奥戸橋・中川は大きく曲流)

「奥戸(おくど)」という地名は、そのやや西にある「青戸(あおと)」と並んで、同じ中川筋に残る地名であるが、たぶん、海からやや「奥」まったところにある水(み)な「戸」というのが語源であろう。
古代においては、中川が海に注ぐ河口は目と鼻の先であったので、やや奥まった入り江であった奥戸には、「湊(みなと)」が存在していたはずである。
川の流れが大きく湾曲するあたりは、流れも緩く、砂州が形成されやすく、湊を築くにも適していたものと思われる。
この舟運の利便性も買われて、このあたりに官道を通したのかもしれない。
それかあらぬか、現在でも舟だまりが存在する。

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(奥戸橋下の舟だまり)

こうして、古代東海道筋を走って、私は、武蔵野台地の端っこに位置する本郷の、お袋が入院している病院へたどり着いた。

マジックハンドや「黄金糖」を見せると、お袋の顔に笑みが浮かんだ。
立派なマジックハンドだねえ、どんな風に使いましょうか。
あら懐かしい、「黄金糖」なんて久しぶりだねえ、ひとつなめてみましょう。
二人で飴をなめる。
おいしいねえ・・・。

同室の患者さんに挨拶をして、病院を後にする。

呑ちゃんと選挙に行った。
東京オリンピックに反対している候補者に投票。
「オリンピックをやる=(私の大好きな)築地を破壊する=豊洲の化学汚染地域に魚市場ができる」というのが必定なので、私としては、東京オリンピックに賛成しているような、夜郎自大な「人非人」に投票するわけにはいかないのである。

選挙に行ったその足で、足立の「明神の湯」へ。
入浴後、足裏マッサージをしてもらっていい気持ち。

温泉の隣の「焼肉平城苑 一頭や」で、遅めの昼食を食べる。
何年も前から気になっていた焼き肉屋。
「昼セット650円より」の看板につられて入店したわけだが、これがよかった。

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(「焼肉平城苑 一頭や」)

われわれが頼んだのは、「ハラミとカルビの二種盛セット」(1000円)だが、肉の品質もよいし、セットの付け合わせも充実していた。

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(「ハラミとカルビの二種盛セット」)

食後、自転車で飯塚橋の急坂を、呑ちゃんと二人でえっちら登って帰宅。

呑ちゃん、昼寝。
私、水元公園散歩。

梅雨の晴れ間の一日。
大変有意義な休日だった。

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(本日の水元公園)

走行距離:58キロ(ロード+6速ママチャリ)

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2009.07.11 Sat
100円ショップのすごさ
蒸し暑かった昨日とはうってかわって、今朝は清々しい感じである。

フジクロスに跨って、本郷の病院へ。
いつもの土曜日と比較しても、道路が空いていて走りやすい。
7月25日(土)の隅田川花火大会に向けて、土手沿いや橋には柵が取り付けられていた。

IMG_2420.jpg
(吾妻橋の歩道手すりに取り付けられた柵)

お腹から3本出ていた管のうち一本が取り外されたお袋は、術後、初めて元気な様子である。
声に勢いと張りが出てきて、顔色もよい。
外に美味しいものを食べに行きたいと言う。

帰宅して、呑ちゃんが拵えてくれた冷やし中華の昼飯を食べる。
夏なんだなあと実感する。

午後、自転車に乗って、呑ちゃんと二人で三郷のダイソーまで買い物に行く。
病床のお袋のために探していたが、なかなか見つからなかったマジックハンドをついに発見。

マジックハンド
(マジックハンド・100円!)

さらに、お袋が食べたいと言っていた、懐かしき「黄金糖」(奈良県大和郡山産)も発見!
そう、原料が砂糖と水飴のみで「不純物」なしの、あの飴である。

黄金糖
 (「黄金糖」・100円)

100円ショップの面白いところは、マジックハンドのような商品用途の分類からはみ出してしまうような物や、「黄金糖」のような時代遅れの懐かしい製品が置いてあることだ。

何だかすごく得をしたような気分になって、三郷公園と水元公園を通って帰宅。

夜は、豚ロースと豚レバーのステーキをもりもりと食べて、最近欠乏しがちなスタミナを補った。

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(水元公園のメタセコイヤ)

走行距離45キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

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2009.07.10 Fri
笹塚の夜は更けて
何だか疲れが溜まっている今日この頃。
空を見上げては、溜息ばかりついている。

朝起きると、先ず玄関のドアを開けて、北側の通路に置いてある二台の自転車に「挨拶」をする。
空を見上げて、溜息をついて、今日はどっちのクロスバイクで行こうかと、天気を占うのが日課である。

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(二台のクロスバイク・通勤の主力機)

今日の空は、曇ってはいたが、美しかった。
思わず、写真を撮ってしまう。

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(ルドンのパステル画のような朝の空)

PCに向かって、いくらかの仕事をば、いくらかの時間をかけて、いくらか終わらす。
開店と同時に近所のスーパーに行って、鰹の刺身などを買ってきて、ご飯を炊いて簡単な朝食兼昼食を摂る。
気のせいか、今年の鰹はあまりよくないなあ。

午後から雨の予報だったが、空気のニオイからして降りそうな気配がしなかったので、晴れの日用のフジクロスで出かける(杉並区永福の職場)。

業務終了後、前期の納会ということで(まだ3週間も残っているけど)、同僚たちと笹塚の飲み屋に繰り出すことに。
みんなは電車、私は自転車で移動。
距離が近いので、自転車の私はあっという間に到着。
駐輪場に自転車をあずけて、しばし、みんなが到着するまでの間、笹塚駅周辺を散策してみた。

まず、国道20号線(現甲州街道)へ出てみる。
この国では、人間はクルマの片隅でひっそりと生きているんだなあという感慨を覚えざるを得ない、このあたりの国道20号線。

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(「交通戦争」という言葉を思い出す国道20号線)

排気ガスと轟音に耐えきれずに、駅の南側に出てみる。
コンクリートジャングルの中に咲いたあだ花のような緑地を見かけたので近寄ってみると、何と「玉川上水」だった。
一応、川の呈をなしてはいるが、まったく水が流れていなかった。
玉川上水も、こんな風だったら、太宰治も天寿を全うできたことであろう。

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(笹塚駅前の玉川上水)

一番に入店して、ビールの小瓶(私は瓶入りのビールが好きなんです)を傾けていると、同僚たちが途中で「拉致」してきた連中を率いてやって来た。

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(笹塚駅徒歩10秒の居酒屋「はだか電球」)

笹塚駅至近のここ「はだか電球」は、九州(知覧)から取り寄せた鶏の刺し盛がお薦めである。
コクがあって、実にウマイ。

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(エネルギッシュな店員さん・赤シャツの青年がマスター)

老若男女の、賑やかな饗宴が続く。
私は、みんながあまり箸をださない鶏刺しにパクつく。

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夜も更けて、お開き。

途中、四ッ谷あたりだったか、喜多方ラーメンで腹ごしらえをして帰宅。
疲れていたので、バタンキューだった。

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走行距離:60キロ(フジクロス)

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2009.07.09 Thu
サイキルパ・新松戸店
朝から風呂と洗濯。
呑ちゃんがバナナが好きなものだから、このところ、毎朝、バナナとヨーグルト。

立石の電器屋(「コジマ」)に外付ハードディスクを買いにゆく。
容量は320Gだって(安い!7000円ぐらい)。
その昔、清水の舞台から飛び降りるような覚悟で1Gの外付ハードを買ったとき(ギガという言葉が新鮮だった)、これで一生大丈夫と思ったものだが、今は、何百ギガも当たり前。
500ギガぐらいのハードが、ジャガイモのように売られている・・・。

いったん帰宅して、所用ありて新松戸へ。
用事を済ませた後、いざ、昼飯だ。

実は、以前、金町の国道6号線沿いにあったインド料理店「サイキルパ」が、先日行ってみたら、別の店になっていて、どうしたのかと思って、ネット上で調べてみたら、新松戸に新しく店を出していることが分かった。
「サイキルパ」は、インド人夫婦が経営する家庭的なお店で、安くて美味しかったので、金町に開店した当初からずっと通っていた。

ネットで地図を調べて行ってみた。
店主のネギさん(ちょっと恥ずかしがり屋)が、カウンターの奥でナンをこねていた。
私が、挨拶をすると、びっくりしていた。
その後、女将さん(とても外向的)も出てきて、懐かしい昔話に華が咲く。
お話しによると、ネギさんが体調を崩して金町店を閉店後、健康が快復したので、新に新松戸に店を構えたのだという。
よかった!
金町店を開店した頃は小さな子どもだった娘さんも、驚くほど大きくなって、店の手伝いをしていた。
嬉しくて、さっそく、呑ちゃんにも、メールで伝える。

インド料理店「サイキルパ」(新松戸)は、特にランチがお得で、650円で、カレー・ナン・サラダ・ドリンクのセットが出てくる(新松戸駅徒歩約5分)。
とりわけ、ネギさんの焼くナンは他店を圧倒する美味しさである(タンドリーやシシカバブも美味)。
お薦めです!

メニュー
インド料理店「サイキルパ」(新松戸)のランチメニュー)

新松戸からまたいったん帰宅して、洗濯物を取り込んで、本郷の病院へ。
隅田川沿いは、先週あたりから、着々と花火大会の準備が始まっている。

お袋。
せっかく今日からお粥になったのに、やはり、粒物を食べると消化が思わしくないらしく、重湯に逆戻り。
やっぱり、3歩進んで2歩退がるという感じかなあ・・・。
内科の先生と廊下でばったり会う。
心配いりませんよと言ってくれる。

夕飯は、味噌汁だけ家で拵えて、呑ちゃんが駅前で買ったきてくれた「さぼてん」の弁当を食べる。

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(御茶ノ水駅改札前の敷石・ナポリを思い出した)

走行距離:70キロ(フジクロス)

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2009.07.08 Wed
内容のなかった3日間
7月6日(月)

駿河台の職場と本郷の病院へ。
締め切りの仕事を片づけようとするも、まったく捗らず。
夕飯は、久々に玄米を炊く。

走行距離:35キロ(フジクロス)

7月7日(火)

朝から懸命に仕事の予習。
ひやひやもので講義(何とから・・・文化論)をすませて、会議、会議、会議・・・。
そして、「かっぽうぎ 駿河台店」で一杯。

走行距離:35キロ(フジクロス)

7月8日(水)

夕べは午前様だったので、起きるのがやや辛かった。
5時半出発(杉並区永福の職場へ)。
職場に着いてから、必死に、締め切りの仕事をやつける。
昼食は、同僚と久々に「神戸ラーメン」(味卵がうまかった)。

夕方、病院へ。
呑ちゃんと御茶ノ水の「リンガーハット」で長崎チャンポン(バリエーションが増えたなあ)を食べる。

走行距離:60キロ(フジクロス)

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(水曜の朝、雨に降られて首都高下で雨宿り)

日録    Comment(4)   TrackBack(0)   Top↑

2009.07.05 Sun
下町路地散策
午前中、フジクロスに乗って本郷の病院へ。
通勤ではないから急ぐ必要はないので、途中、中川沿いに展開する立石の路地に潜り込んでみる。
このあたりは中川が大きく蛇行しているので、路地も迷路のようについている。
迷宮体験がしたいのなら、葛飾のこのあたり、立石・四ツ木・堀切はうってつけである。

あちこちをうろるろしていると、こんな看板の店を発見。

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(その名ぞ「下町」という飲み屋・立石)

さらにいつもの古東海道筋の道すがらには、こんな古風な店もある。

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(伝統を重んじる「清川用品店」・まいろーど四ツ木)

同じ通りには、もしかしたらライバル店であるかもしれない「宮野呉服店」もあって、こちらも伝統を重んじている。

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(「宮野呉服店」・まいろーど四ツ木

また、四ツ木の路地に入ってみれば、古風を留めるこんなマッサージ屋さんも現れた。

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(「鈴木治療所」・四ツ木)

四ツ木の路地をさらに迷い込めば、伝統を重んじ過ぎた、こんな家も発見。

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(日本共産党を支持しているようである)

葛飾区に別れを告げて、四ツ木橋を渡って、国道6号(永井荷風の時代は、「改正道路」と呼ばれていたらしい)を走って東向島へ。

ここでも、今日は路地を抜けてみる。

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(東向島の路地)

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(同じく、東向島の路地・南イタリアの路地と通じる雰囲気がある)

東向島の路地から抜け出して、墨堤通りに出ると、いつも気になっている古家屋があるので、写真におさめておいた。
この家は、そもそも商店らしいのだが、今は、どうしたことか、他人の宣伝ばかりしている。

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(気になっている、墨堤通りの古家屋)

こうして、下町の路地をめぐりながら、蔵前橋通りから、佃煮にできるほどの多くの人でごった返した秋葉原を抜けて、昌平坂を登って、やっと本郷の病院に到着。

洗濯物と新しいパジャマを届ける。
お袋は、ちょうどトイレに行きたいというので、看護婦さんに口からの管を外してもらって、ついでに廊下で歩行練習をする。
一往復(100メーターぐらい)も歩くと、疲れたから止めるという。
孫の手が欲しいという。
背中がかゆいのかと聞くと、そうではなく、テレビのスイッチを入れるのに使うのだという。
なるほど、明日、持ってくるよ。
担当の先生から病状の説明を受けて帰る。

帰宅して、スパゲッティの昼食。
呑ちゃんは、疲れて昼寝モードに入ったので、私は所在なく、6速ママチャリに乗って、水元公園を散策。
バーベキュー広場の所まで来ると、通行止めになっていて、テレビ局の大きな車が止まっていた。
また、はっぴをきたたくさんの人々が、御輿を担いでスタンバイしている。

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(はっぴを着て御輿を担ぐ人々・水元公園)

何かと思ったら、夏からTBSで始まるドラマ「こち亀」の撮影中であった。
撮影が一段落して、俳優たちが、楽屋がわりのテントに戻ってくるとき、見物人の女性たちから黄色い声が上がった。
私は、アイドルといっても、松田聖子と大田裕美ぐらいしか知らないので、誰がそれなのか、判別がつかなかった。

へぇ~、こいつは面白いとバチバチ写真を撮っていたら、ガードマンから、撮影禁止ですと注意されてしまう。
道理で、誰も写真を撮っていなかったわけだ。

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(撮影用の櫓)

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(撮影の様子)

ひとしきり、撮影の模様を見学して帰る。

夜は、手羽先焼きや豚の串焼きなどで一杯やる。
呑ちゃんがベランダで育てたプチトマトが美味しかった。

走行距離:43キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

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2009.07.04 Sat
葛飾区・立ち食い蕎麦屋異聞
休日出勤である。
予報によると、まず雨の心配はなさそうなので、フジクロスで出かける。
土曜日なので、道が空いていて走りやすい。

腹ぺこだったので、立石駅前の立ち食い蕎麦屋「譽家(ほまれや)」に寄る。
この蕎麦屋、看板にも「立ち食い」と書いてあるのだが、実際には、カウンター6席の「座り」食い蕎麦屋なのだ。
もちろん、立って食べても、誰にも後ろ指を指されることはないであろう。

譽家(ほまれや)は、私が知る限り、葛飾区内の立ち食い蕎麦屋では、金町駅前の「そばっ子」と双璧をなす。

譽家(ほまれや)のすごいところは、立ち食い値段ながら、うどんの汁はちゃんと関西風、蕎麦の汁は正しく関東風であることだ。

葛飾人の中には、ちょっと待て!、関西風うどんで立ち食い系と言えば、金町の「四国大名」もあるじゃないかと指摘する向きもあるかもしれないが、私は、立石の譽家を押す(あくまでも、個人の感想です)。

東京で、関西風のうどんを出す店の約半分は、私に言わせれば中途半端。
単に醤油が薄いだけのインチキ関西風である。
(これは、トンコツラーメンでも同じことが言えて、トンコツと言えば、油でぎとぎとにすることだと勘違いしている店が多い)。

譽家は、オジサン一人で切り盛りしていて、どちらかと言えば、地味な感じで、「そばっ子」の、肝っ玉母さん系の威勢の良さはないが、これはこれで、深い味わいがある。
総じて、手作りの揚げ物が上等。
ラーメンも、カレーも出すが、これまた、実直かつ良心的でよい。
是非、一度お試しあれ。

杉並区永福までのいつもの道を辿って、旧玉川水道道路を西進していると、急に幡ヶ谷あたりで渋滞になり車列がほんのしばらく動かなくなった。
この道で渋滞を経験したことがなかったので、どうしたことかと、のろのろ運転に合わせて進んでいくと、前方に乗馬服を着た人が馬でパカパカ行進していた。
いやぁ~、これにはぶったまげた。

歩道に上がって、馬二頭を正面から眺めるに、これは、警視庁騎馬隊の人らしくて、麻薬撲滅キャンペーン中の幟(のぼり)を従えていた。

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(警視庁騎馬隊の行進)

麻薬撲滅キャンペーンでどうして馬が登場するのかは不明だが、馬に乗っているお兄さんも、お姉さんも、そして二頭の馬も、とても凛々しくて美しかった。

職場に到着。
二つの会議を終わらせて、本郷の病院に向かう。
お袋は、もう飽き飽きしたともらす。
テレビも見られないし、読書もできない。
水も飲めなければ、食事もできない。
退屈するのも当然である。
しかし、お腹の傷の痛みは日に日に軽減しているとのこと・・・。

この2週間ばかり、遠乗りをしていない。
そろそろ禁断症状が出てきたが、なかなかその暇がない。

走行距離:62キロ(フジクロス)

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2009.07.03 Fri
2台のクロスバイク・蔵前橋通り
今日は、市川大野の法務局に寄ってから、その足で本郷の病院へ行かなくてはならない。
ちょっと長距離だったので、本当はロードかフジクロスで行きたかったが、予報によると、雨が降ってもおかしくないとのことだったので、ルイガノクロスに乗って出かける(でも結局は、帰路、少し霧雨に降られただけだった)。

ルイガノクロスは、購入時から較べると、500グラムぐらいは軽量化はしてみた(タイヤ、シートポスト、サドル)ものの、それでも、空気入れやサドルバックなど装備品を付けているので、結局は、14キロ強ぐらいはあるのではないか(第一、ペットボトル一本で既に500グラムである)。

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(ルイガノクロス・向島百花園にて)

フジクロス(3×8速)は、気がついてみれば、フレーム(アルミ)とフォーク(クロモリ)とブレーキ本体以外は、BBやシフターを含めて、ほぼ全部品を交換してしまったので、たぶん、装備品込みでも11キロ強ぐらいだと思う。

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(フジクロス・隅田川土手にて)

その差はわずか3キロぐらい(私の体重の5%にも満たない)だが、30キロ以上走ると、明らかに両者の疲労の度合いが違うことが分かる。
フジクロスのが断然楽なのである。

もちろん、なかでも、タイヤの差は大きくて、フジクロスは23Cで、ルイガノクロスは28Cであることも、走りの軽やかさに影響を及ぼしている(それぞれ、タイヤの太さが23ミリ、28ミリを表す)。
一度、試しに、ルイガノクロスに23Cを履かせてみたら、確かに走りはかなり軽くなったが、フレームもフォークも極太アルミ仕様なものだから、乗り心地が固すぎて、ちょっと長距離を走ろうものなら、私の骨格が崩壊してしまいそうな気がしたので、元の28Cに戻した。
それに、ルイガノはほとんど雨の日に使用するので、重くて頑丈で滑らない太めの28Cタイヤ(パナレーサーのツーキニスト)の方が安心なのである。

だから、多少大儀な気がするが、雨が降りそうな日には、内装8段泥よけ付で、雨の日に走っても、メンテが不要なルイガノを選ぶことになる。

水元公園桜土手から江戸川サイクリングロードに出る。
サイクリングロード自体が久しぶりで、走るのが嬉しい。
都心の幹線道路と違って、信号も、トラックも、排気ガスもなくて、本当に爽快である。
国府台のあたりでサイクリングロードから降りて、真間川などの小河川と下総台地の間を通る道を走って市川の法務局へ。
書類を取得して本郷の病院へ向かう。

市川あたりから都心に向かうのに、一時は、京葉道路(14号)を使っていたが、今は断然、蔵前橋通りである。
京葉道路(14号)の最大の難点は、江戸川大橋を自転車では渡れないことである(高速道路であるため)。
蔵前橋通りも、以前は、新小岩あたりの陸橋付近でいつも工事をしていてイライラさせられたものだが、今はその工事もすっかり終わって、自転車で走るにも大分快適になった。
なお、荒川に架かる平井大橋は、立派で走りやすい歩道が付いているが、降りる際には面倒なので、急ぐときは、車道走行をおすすめする。

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(トイレもある休憩所・新小岩公園・平井大橋の東側)

都心に入ってからの蔵前橋通りも、私は好きだ。
交通量の多さは他の道とさほど変わらないが、何というか、道の仕立てが全体として「すっきり」している(新宿通りも同じ理由で気に入っている)。
時間があるときは、下町の路地をのんびりと縫うように辿るのも楽しいが、急ぐときは蔵前橋通りを利用する方が簡便である。

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(平井大橋より荒川上流を見る)

お袋は、昨日からせっかく水が飲めるようになったのに、胆汁が逆流しているということで、再検査の結果、水が飲めなくなってしまった。
いやぁ~、一進一退とはこのこと。
まあ、のんびり治そうや・・・。

帰宅して、何だか、自分の健康のことが気になって、以前知人からいただいた韓国土産の参鶏湯(サンゲタン)を食べる。
2割方、パワーアップしたような気がした。

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(蔵前橋の橋桁・立派な大理石製)

走行距離:54キロ(ルイガノクロス)

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2009.07.02 Thu
隅田川下流・梅雨慕景
小糠雨の中、ルイガノクロスで出かける。
カッパを着るほどではないが、30分ほど走っていると、眼鏡に集まった水滴がしたたり落ち始める。
こういう中途半端な雨が一番困る。
最近は、常にカッパを携帯しているので、もう少し本格的に降り出せば着るのだが、それほどでもない雨。
でも、今のような夏場なら、この程度の霧雨ならば、走ることによって生じる風で、衣服(半袖+レーパン)は濡れる尻から乾くので、カッパを着なくてもよいようである。

いつもは鬱陶しいばかりの隅田川東岸の首都高だが、こういう日だけは助かる。
ちょっと大回りになるが、今日は、6号から白髭橋まで出て、そこから吾妻橋のあいだの約2.5キロを、首都高下の、いわば、天蓋付の道を走る。

しかし、こういう日は、みんな同じことを考えるもので、その界隈中の散歩者と、この界隈中のホームレスも、この首都高下の道に集中するので、やや渋滞気味になることもある。

高架下で昼間から賑やかに酒盛りをしているホームレスたちの傍らを、できるだけ、羨ましいなあという表情を読み取られないように走り去る・・・。

私の好きな昌平坂を登って、お袋の入院する本郷の病院へ。
数日前に一般病棟の個室に移ったお袋は、今日行ってみると、さらに元に居た複数者用の病室に戻されていた。
ということは、看護士さんの手がかからなくなったということで、快癒が前進したということでもある。

今日から水を飲んでもよいという許可が出ているので、ストローで水を飲む。
うまいか?と聞くと、別にうまくはないという。
明日から、廊下で歩行練習をしたいので手伝ってくれと言われる。
ガッテン!である。

夕方、用事があって、八丁堀まで出る。
やや時間があったので、隅田川沿いまで降りてみる。

下流方向に、佃島の摩天楼群が、あたりを睥睨するように屹立している。

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(霧雨にむせぶ佃島)

川沿いをやや上流に走ると、永代橋がある。
永代橋の真ん中まで出て上流をみれば、そこには、日本橋川の河口が口を開いている。

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(永代橋から見た日本橋川河口)

江戸時代、利根川経由で、遠路はるばる銚子から運ばれてきた鮮魚は、最終的には、隅田川からこの日本橋川に入って、日本橋の河岸(魚市場)に運ばれたわけである。
魚を満載した小舟が、日本橋川河口付近に殺到する光景が見えるようである。
しかし、通り過ぎる遊覧船の水音にふと我にかえれば、今は、微塵の魚臭さもないのである。

江戸日本橋.
(19世紀中頃の日本橋・江戸八景 日本橋の晴嵐(渓斎英泉)・大きな魚を担いでいる人が見える)

八丁堀の用事がすんで、通りに出ると、なんと、私のお気に入りのパキスタンカレー店「デリー」があるではないか。
私は、上野店しか知らなかったので、びっくりした。
写真は撮り忘れたが、ここのカレーは、私としては、東京で一番ウマイと思う(95点)。

帰路に着いた。
町の灯りに照らされた隅田川の川面が幻想的である。
四ツ木あたりでまた、霧雨が降ってくる。
カッパを羽織るまでもなかった。

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(下流に向かう遊覧船)

走行距離:40キロ(ルイガノクロス)

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2009.07.01 Wed
この3日間~葛飾の古東海道をゆく
6月29日(月)

仕事などが忙しくて、各種「宿題」が山積している。
その締め切りがいろいろと重なって、いつもあたふたしているようで、気分が落ち着かない。
こういう日常のノルマをテキパキとこなすことが、オレはなんて下手くそなんだろうといつも思う。

今日は、やや時間に余裕(30分ほど)を持たせて、フジクロスで出発。
以前から気になっていた、葛飾区内の古東海道を再度検証すべく、知っている人には有名だが、知らない人には無名な「立石祠」(現在の立石の名の起源)に寄ってみた。
これこそが、古東海道の道標代わりになっていたという説があるからだ。

その立石祠は、葛飾区内を蛇行して流れる中川近くにある。
かなり分かりにくい所だが、まあ、葛飾税務署の近くで、地図はココなので、詳しい場所は、この地図をご覧になっていただきたい。

このあたりは、通常の通勤路のすぐ近くなので、何回も通っているのだが、立石祠を実際に訪れるのは、これが初めてである。

今は、何ともかわいそうにと言うべきか、微笑ましくもと言うべきか、児童公園の中にある。

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(立石祠の入口・小さな児童公園になっている)

さらに近くに寄ってみると、このように大切に囲われている。

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(立石祠・さらにもう一つ鳥居があって、囲いがめぐらされている)

そして、問題の石だが、地上にちょこっと顔を出すのみである。

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この石が、一体何なのかということについては、分からないことが多いが、大雑把にまとめると、次のような説がある。

1.旧石器時代のメンヒル(巨石記念物)
2.古墳の石棺
3.古東海道の道標
4.上記2と3の両方

旧石器時代の葛飾は、海中に没していたので、1はかなり疑わしい。
2については、近在には、柴又駅前に古墳があったことがなど知られているので、可能性は高い。
その古墳の石棺などの一部が、いつの頃からか、街道の道標として転用されたという、4の説が、私としては、信頼性があるような気がする。

この石、現在は、地上にちょこんと顔を出しているだけだが、19世紀前半の『江戸名所図会』の絵では、かなり地上に突き出ている。

江戸立石
(『江戸名所図会』の「立石村 立石」)

この絵を見ると、中川の岸辺がすぐ近くに迫っているのが分かる。
今では、立石祠から中川の堤防までは、約150メートルあるが、しかし、もし今のような高い堤防がなければ、自然の岸辺はこのあたりまで及んでもおかしくはないであろう(対岸の何やら煙が登っているあたりは現在の奥戸2丁目ということになる)。
また、当時は、まだ荒川(放水路)も新中川も存在しなかったので、時季によって、中川の水量はかなり増減が激しかったと予想される。

しかし、何だかんだ言ってみたところで私には、真相を突き止める手だてがない。
ネット上で、この立石について、一番詳しく論じている次のページを参照にされたい。
http://homepage3.nifty.com/kofun/futoi/tateishi/index.html

さて、古東海道は、下総国の国府があった市川市の国府台(こうのだい)から江戸川を渡って、現在の北小岩や細田を抜けて(このあたりの道も残っている)、奥戸橋あたりで中川を渡る。
立石が道標の役目を果たしていたとすれば、その傍らを抜けて、現在の「本奥戸橋」あたりから奥戸街道を西進することになる。

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(写真の正面が本奥戸橋・古東海道は左から正面下に延びる道)

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(当時は東海道であった、現在の奥戸街道・正面西)

奥戸街道をそのまま進むと平和橋通りと踏切(京成線)にぶつかる。
そこをSの字に渡ると、現在の「まいろーど四ツ木商店街」の東端(C地区)に出る。

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(まいろーど四ツ木商店街の東端・横切って走るのが平和橋通り)

このまいろーど四ツ木商店街の一部が、当時の古東海道である。
この古風を保った楽しくて懐かしい商店街(結構道が広い)を辿っていくと、こんな二股道にさしかかる。

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(二股・右の細道が古東海道)

この二股道の右側の道が、古東海道に相当するのだが、前にも書いたとおり、その分かれ目に存在するのが、私の大好きな居酒屋「ゑびす」である(マックス・ヴェーバーの言葉を使えば、私にとっては、居酒屋の「理念型」である)。

この右側の道をそのまま直進するとさらに道は細くなる。
この道幅は、官道に関する記録からすれば、当時のままのような気がする。

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(さらに細くなる道・画面右手の「杉浦酒店」は日本酒の品揃えが最高)

さらに進むと、国道6号線にぶつかって、道は一度は分断されてしまうが、実は、6号線を渡った向こう(自転車屋があるところ)には、まだ道は続いていて、さらにそのまま直進すると、荒川(放水路)にぶつかって途絶するのである。

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(国道6号線の向こうにも道が繋がっている)

そうそう、地図をお示しするのを忘れていた。
古東海道の、このあたりの地図は、先達の作成した次の地図が卓越している。

http://kaidouarukitabi.com/map/rekisi/kodaitoukaimap.htm

奥戸から四ツ木あたりまでの古東海道の旅は、ひとまず、これにて終わりとしたい。

走行距離:37キロ(フジクロス)

6月30日(火)

予報によると、雨が降ってもおかしくなかったが、晴れの日通勤用のフジクロスで出かける。
途中、久々に、激安250円弁当を買って、隅田川土手にて食す。

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(最近はさすがに飽きてきた250円弁当)

一日中、19世紀の鉄道について考える。
だんだん分かってきたぞ・・・。

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(隅田川土手にて・なぜか、ホームレスの人々が大掃除をしていた)

走行距離:35キロ(フジクロス)

7月1日(水)

仕事が終わらずに、午前2時起床。
やっとのことで終わらせて、5時半にルイガノクロスで出発。
何故か、いつもより道が混んでいる。

霧雨が降るも、カッパを着る要無し。
午後から、多少天気が好転。

午後、本郷の病院へ。
痛め止めを打つのを止めたお袋、傷口が痛むと訴える。
だが、明日から水を飲んでもよいそうな・・・。

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(早朝の江戸城趾堀端)

夕方帰宅するとくたくたで、飯を作る気力おこらず。
近所のトンカツ屋で大盛りご飯をもりもり食う。

走行距離:60キロ(ルイガノクロス)

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