日々の身辺雑記や考えたことなどを徒然なるままに書き連ねる「断腸亭日録」です。
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断腸亭日録~自転車日記
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断腸亭髭爺です。
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2009.06.28 Sun
銀色好み
6月28日(日)

朝は、インスタントのラーメン(つけ麺)を食べる。
生麺タイプのインスタントラーメンの近年の発展は著しく、下手なラーメン屋で食べるよりずっとウマイ。

午後から雨という予報だったので、ルイガノクロス(内装8段・泥よけ付)で病院へ。
案の定、浅草あたりまで来たところで、パラパラと落ち始めるが、何とかカッパを着なくてもすんだ。

IMG_2321.jpg
(隅田川土手道)

集中治療室のお袋は、昨日から較べると、見違えるように元気になっていた。
冗談を言うと、傷口が痛むから笑わせないでくれと言う。
嬉しくて、涙が出る。

明日月曜から、一般病棟に戻れるという。
手を握って、「明日また来るよ~」。

病院を出ると、案の定、雨。
歩道橋の下でカッパを着込んで帰路を走る。

夕飯は、豚肉の炊き込みご飯を拵える。
このところ、買い出しに行く暇がなかったので、白米が一合しかなかった。
なので、玄米を一合足して炊くが、「潤(うる)かし」が足りずに、玄米が固くて、大分顎の運動を強いられることになった。

そうそう、最近、新しいヘルメット(自転車用)を購入した。
OGK社の「エントラ」という製品である。
多くの商品の中からこれを選んだ理由はただ一つ。
安いから。

実は、既に、同型のホワイトを持っているが、今度のは、色違いの「マットシルバー(艶消し銀)」。
何せ、ほぼ365日使う物だし、もし事故などに遭って壊れたら、翌日から困るし(というか、ヘルメットを被らないと恐くて乗れない)、それより何より、最近は雨が多くて、翌朝までに前日に雨で濡れた止め紐(ストラップ)が乾かなくて、装着したときに気持ちが悪いから、替えがあると大変に助かると思ったからだ。

このマットシルバー色のヘルメットは、以前、近所(金町)の自転車用品店で目撃して以来、ずっと欲しかったのだが、ついに決心がついて、購入する運びになった。


(OGK社の「エントラ」・マットシルバー)

銀色が好きな私なのだ。
と言っても、銀色の服は一着も持っていないが、自転車などのメカニカルな装置(PCなど)や道具に関しては、子どもの頃から銀色好みなのである。

走行距離:34キロ(ルイガノクロス)
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2009.06.27 Sat
手術後のお袋と落語
6月27日(土)

老年性早起き症である私にしては、久々に7時半まで眠った。
よっぽど疲れていたものと思われる。

むしむしするものの、好天。
溜まった洗濯をして、近所の野菜直売所に、トマトと枝豆を買いに行く。
ママチャリ(無変速)で行こうとしたら、前輪がパンクしていたので、6速のママチャリを使用。
さらに、近所のスーパーでトウモロコシを買って、朝食として、赤・緑・黄の「夏野菜大会」(with ノンアルコールビア)をやった。

今日の予定は、まず、午後にお袋の見舞い(集中治療室の面会時間は14時から16時まで)。
その足で、芝の大門まで行って、呑ちゃんの元同僚の落語を聴きに行くというもの。

呑ちゃんは電車で、私は自転車(フジクロス)で出かける。
病院で待ち合わせて、緊張感みなぎる集中治療室へ。

お袋は、まだ顔色が悪くて、表情も凍り付いている。
ただ、息苦しさはなくなったようで、話していることもよく分かる。
患部の痛みはかなり残っているらしく、時々痛みに顔を歪める。
話している途中にも、眠ってしまったのではないかと思うほど、意識も完全に覚醒していないようである。
長居をすると疲れさせてしまうので、「また明日来るからね」と手を握ったら、急に眼を開けて、ありがとう、ありがとうと繰り返していた・・・。

爺1 09-06-27_15-491
(神田川沿いの外堀通りにて・呑ちゃん撮影)

さて、落語を聴きに行くべく、またしても、呑ちゃんは電車で、私は自転車。
外堀通りから本郷通りを走って、増上寺の所で左折。
しばらくして、呑ちゃんと合流。

会場は、芝大神宮の祈祷殿である。
神社でお参りをしてから、祈祷殿に入る。

今回の落語は、「すまいるあかでみぃ」という、古今亭駿菊師匠の主宰する落語教室の発表会で、前にも書いたとおり、呑ちゃんの元同僚の女性が、生徒さん一人として出演しているのだ。

生で落語を聴くのは、たぶん、7,8年ぶりなので、何だかわくわくする。

発表会のあらましは以下。

「 第6回すまいるあかでみぃ発表会」
応援料:500円
日時:6月27日(日)午後5時開演(午後4時30分開場)
一、遊漢さん「元犬」
一、ちゃりんこさん「ざる屋」
一、あんじ「壺算」
一、なっぱさん「転宅」
    (仲入り)
一、七夕さん「やかん」
一、女海さん「紙入れ」
一、古今亭駿菊「お楽しみ」

いやはや、どれもこれも面白くて、笑い上戸の気味の私は、終始、大声で笑いっぱなしであった。
私には、落語の巧い下手について語る資格はないが、一番気に入った話しは、「壺算」。
要約する力はないので、梗概は、ここをご参照。

いやぁ~、落語という言語芸術は大したものだ。
私も、自転車に飽きたら、是非、習いたいものだ思う。
もちろん、「断腸亭髭爺」という名前で発表会には出る予定・・・。

IMG_2357.jpg
(蔵前橋より隅田川上流を見る)

走行距離:47キロ(フジクロス+6速ママチャリ)

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2009.06.26 Fri
この2日間~お袋の手術など
6月25日(木)

雨に降られるかもしれないと思ったので、ルイガノクロスで出かける(結局、降られなかったが)。

夕方、本郷の病院で、青森から出てきた妹、会社帰りの呑ちゃんと合流。
いよいよ明日は手術。

いつもはがらっぱちのお袋だが、やはり、不安なのか弱音が出る。
夕べの医師の説明によると、かなりの大手術にて、私の心にも緊張の痛みがうずく。
妹も、あまりの大手術の予定に驚いている。
お袋は、今夜から絶食。

同室の大島から入院している患者さんのご家族と話しをする。
大島の人は数人知っているけど、みんな、気持ちが大きくて暖かい人なんだなあと得心する。

御茶ノ水駅前の沖縄料理店で、遅めの夕食。

IMG_2361.jpg
(沖縄豆腐の奴とゴーヤの唐揚げ)

走行距離:35キロ(ルイガノクロス)

6月26日(金)

いよいよ今日は、お袋の手術。

フジクロスに乗って、朝7時に病院へ。
全点滴状態で、手術着に着替えたお袋が小さくなってベッドに横たわっていた。

8時半、ストレッチャーに乗せられたお袋を、妹と二人で、手術室入口まで見送る。
お袋の顔、不安で歪んで、涙が出る。

お袋の手術が始まってから、妹と交替で、待合室でひたすら待ち続ける。

妹は、息子が来春高校受験だというので、病院から近い湯島天神でお札を買って戻ってきた。
私は私で、腹が減ったので、近所のラーメン屋に行ったりした。
ただ、お陰様で、久しぶりに妹とゆっくり話しができた。

待合室に、植村直己の『北極圏一万二千キロ』が置いてあった。
凍結したグリーンランドから沿岸の氷海を犬橇でアラスカまで走破した記録で、手持ち無沙汰に読み始めたら、面白くて全部読んでしまった。
猟銃で獲物を捕らえながら、やっとのことで食いつないで冒険を続ける植村の姿に胸を打たれる。
犬との駆け引きが特に面白かった。

それでも、手術は終わらないようなので、やはり待合室の書棚に置いてあった志賀直哉の『暗夜行路』(新潮文庫)を読み始める。
志賀直哉は、それはそれはすごい作家だと思うけど、どうも私とは波長が合わなくて、若い頃から「悩みの種」の作家である。
真面目も真面目、大真面目に書いている志賀直哉だが、彼の有名な「和解」のテーマなどは、私には何だか滑稽にしか感じられない。
20年ぶりぐらいに読み返す『暗夜行路』は、案の定、私にはピンと来ない。
どうしてなんだろうか・・・。

それで、巻末の阿川弘之の解説を読んだ。
私には意外にも、なかなか勘所を押さえた秀文のように思われて感心する。
同じく巻末に収められていた荒正人の解説の方も読んでみる。
若い頃はあんなに親近感を覚えていた荒正人の鋭利な文章は、今の私には理屈っぽくてまったく面白くない・・・。
どうしてなんだろうか・・・。

終了予定の16時半になっても、終わる気配は一向にない。
妹と二人、もじもじしながら部屋の時計を見つめる。

17時半になって、やっとお呼びがかかる。
手術室に行って下さい。医師から、手術の結果の説明があります、と看護婦さん。

手術室の入口で待っていると、白衣を着た長身の医師が空豆形の銀色の皿に茶色い物体をのせて飄々と現れた。
その皿にのっていたのが、今回の手術で切除した部分。

今回のお袋の手術では、実に複雑な消化器の付け替えが行われた。
膵臓の半分を切断、十二指腸の上の部分を切断、胃の下の部分を切断、肝臓から延びている胆管を切断。
そんなふうに、ぶつぶつ切っておいて、それを付け替えるという手術である。
前々日に、ホワイトボードで詳しい説明を受けたのだが、付け替えと言っても、元のままに修復するのではなく、何だか複雑な繋ぎ方をするのである。
私は、その説明を聞きながら、まるで、江戸時代の利根川の付け替え工事のようだと思った。
と同時に、人間の身体をこんな風に切ったり貼ったりするのは、何だか殺生なことだなあという感想を禁じ得なかった。

皿に載っていたのは、膵臓と十二指腸の上の部分と胃の下の部分が一体になった部位で、茶色にてらてらと輝いていた。
医師は、指でその切り取られた臓器をひっくり返したり、持ち上げたりしながら、手術の概要を淡々と説明してくれた。
あたかも、これから調理する食材を説明するコックのように・・・。
これには、妹はちょっと参ったようで、ハンカチで口元を押さえていた。
私は、先ほどまで読んでいた植村直己の本の中の、ライフルで仕留めたばかりのカリブーの肝臓を生で食べるくだりを思い出していた。

それから、待つことさらに3時間。
やっと集中治療室で面会できる運びになった。

お袋は、かわいそうに、何本もの管(くだ)に繋がれて、苦しそうに呼吸をしていた。
大変だったねえ、よく頑張ったねえ。
手を握って、声をかけると、気がついたようで、何かを話しているのだが、よく聞き取れない。
その様子を見ていると、こちらまで息苦しくなってくるような気分である。

沈痛な気分で病院を出た妹と私は、御茶ノ水橋からしばらく神田川の川面を見つめていた。
駅の明るい光が川面に反射して、その中にお袋の横顔を見つけたような気がした。

IMG_2315.jpg
(聖橋横から神田川を覗き込む)

走行距離:35キロ(フジクロス)

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2009.06.24 Wed
雨のち曇、東奔西走~杉並区永福までの経路
今日は忙しい一日だった。
同じ日にいろんな用事が重なってしまって、あちこちを走り回る羽目になった。

その概要。
自宅(葛飾区水元)→職場(杉並区永福)→本八幡(千葉県市川市)→病院(文京区本郷)→自宅(葛飾区水元)。
夜、帰宅して、集合住宅の二階まで自転車を担いで階段を登る際に、軽い立ち眩みを覚える。
メーターを確認すると、99キロも走っていた。
自分でも驚いた。
仕事のある日にこんなに走ったのは初めてかもしれない。
道理で疲れるわけだ。

それはさておき、(今年度の)私の職場は2箇所あって、一つは、前の日記でご紹介したように、駿河台(千代田区神田)、もう一つは、永福(杉並区)である。
大概は駿河台の方に通うわけだが、週に1度か2度ぐらいは、杉並の職場にも行かなくてはならない。

駿河台は、比較的近い(片道約17キロ)のでもう完全に慣れてきたが、杉並の職場は片道約30キロあるので、今でも、やや緊張する。
緊張する理由はその距離の長さだけではなく、都心のど真ん中をを貫く経路を通らなければならないため、その交通量の多い幹線道路をば、事故をおこさないように細心の注意を払いながら走らなければならいからだ。

とは言っても、幹線道路ばかり走っていると疲れるので、途中、裏道を「塩梅」(この言葉、好きです)しながら、経路を選ぶことになる。

今日は、その自宅(葛飾区水元)→職場(杉並区永福)までの経路をご紹介したい。

距離が長くなればなるほど経路のバリエーションは多くなるのは当然で、順列組み合わせ流に勘定すれば、100種類ぐらいあるだろうが、現時点で最も「気に入っている」経路である。

この経路は、葛飾からだと、浅草や秋葉原や四ッ谷や新宿あたりに用事が生じたときにも重宝する。

先ずは、地図を。
「大きな画面で見る」をクリックすると、地図が現れる。
「ふきだし表示」をオフにすると見やすい。



前回の雨の日用の経路とは違って、葛飾区の青戸あたりも街中を抜ける距離が短く、首都高高架下の隅田川土手にもそう拘っていない。

靖国通りの「岩本町」から白山通りの共立女子大までの抜け道は、これと平行して走る靖国通りがこのあたりは蛇行しているので、やや距離が短くなるので有効だが、全線一通なので、帰りは、「一ツ橋」交差点から一本南を走る道を走って、「東神田」付近で靖国通りと接続する経路を取る。

確かに、自転車は、クルマが一通の道でも、そのほとんどは適応外(合法)なのだが、やはり恐いので、なるべく一通路の逆走は避けるようにしている(なるべくね)。

「千鳥ヶ淵」交差点から一番町を抜けるルートも、「半蔵門」経由で新宿通りを辿るよりも、多少近道になるから。

「西新宿」から旧玉川水道道路(都道431号角筈和泉町線)を西進する経路は、途中、車道の路肩にブルーの自転車走行帯もあって、比較的走りやすいので、お薦めである(但し、時間帯によっては交通量多し)。

IMG_2141.jpg
(旧玉川水道道路の自転車通行帯)

今日は、朝はかなり本格的な雨で、職場に到着したときは、靴の中からちゃぷんちゃぷん音がするほど水が溜まった。

IMG_2351.jpg
(雨の日本橋川)

靴より上は、カッパを着ているから良いものの、靴への水の侵入はどうしたらよいものやら・・・。

走行距離:99キロ(ルイガノクロス)

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2009.06.22 Mon
駿河台への経路(雨天用)
梅雨を絵に描いたような一日だった。
カッパを着て、ルイガノクロスに乗って出かける。

通勤というのは、お決まりの移動だし、できるだけ短時間で職場に着きたいと思うのが人情で、とりわけ、急いでいるときには、幹線道路(たとえば、国道6号線→靖国通り)をぶっ飛ばすのが一番早い。
「官道」というのは、古来まっすぐについているものだし、信号だって優先なので、ほとんどが青だし、並んで走る車の車列が常に追い風を作ってくれるので、サイクリングロードなどよりはるかにスピードも出る。
一番早いのはそうだけど、これでは「走らされて」いるようで楽しくないし、交通量の多い通りは気分的にも疲れるので、あまり大きく迂回しない程度に走っていて楽しい裏道を選ぶことになる。
そういう「塩梅」から、複数の通勤経路がだんだんと生まれてきて、その日の気分や天候に合わせて、経路を選ぶことになる。

今の時期は、雨の日が多いので、細い街中の道と、できるだけ風雨の影響を回避しやすい道を選ぶことにしている。

私の住んでいる葛飾区の水元から駿河台(千代田区神田)あたりまでの通勤経路をご紹介したい。

まず、国道6号線の中川大橋東詰に出る。
橋を渡って、中川沿いの(とても気持ちの良い)道を走る。
土手道の途中から右折して、立石駅の踏切まで一直線に通っている道を行く(途中、環七を渡り、青戸の商店街を抜け、葛飾シンフォニーヒルズの前を通る道である)。
京成電鉄の線路にぶつかったら、踏切を渡らずに、線路沿いの道を西進(走りやすい)。
平和橋通りを渡って、四ツ木の商店街を走り、居酒屋「ゑびす」の二股を右に進んで国道6号線に至る。

IMG_1771_20090623052235.jpg
(中川沿い道・この横に立派な舗装路がある)

そうそう、この平和橋通りを横切ってから国道6号線までの道は、古東海道に当たる。
墨田区に入ると、古東海道の痕跡は消滅してしまうが、青戸から立石を経て四ツ木までの区間は、奇跡的にその痕跡が残っているのだ。
とりわけ、居酒屋「ゑびす」(この飲み屋は葛飾で3本指に入る名店です)の裏から国道6号線までの細道は、たぶん、道幅も当時のままかもしれない。

四ツ木橋を渡って、しばらく6号線を直進して、東向島の消防署の所を右折して、明治通りを渡り、向島百花園の前を通って、墨堤通りに出る(もう少し手前[四ツ木橋南交差点]を右折して、白髭橋あたりに抜ける道[旧玉ノ井界隈]もあるが、大回りになるし、人と自転車が多いので、あまりおすすめできない)。

さて、雨の日は、そのまま墨堤通りを渡って隅田川を目指す。
路地をSの字に曲がると、児童公園のような公園があって、公園沿いの細道を辿ると、首都高の下に出る。
ここからしばらくは、隅田川に沿って、首都高が通っているので、ずっと屋根付きの道が続くことになる。

IMG_2350.jpg
(隅田川沿いの首都高高架下の「屋根付き」の道)

桜橋あたりで首都高高架が左に逸れてしまうので、土手を越えて反対側に出ると、そこにも遊歩道があるので、そこを走れば、吾妻橋の手前までの数キロは雨に濡れずに走れるというわけである。

IMG_1737_20090623052040.jpg
(首都高高架下の道から吾妻橋を眺む)

と、ここまで書いて、これ以上文章で説明するのに困難を感じてきたので、地図で示すことにしたい。
「大きな画面で見る」をクリックすると、地図が現れる。
「ふきだし表示」をオフにすると見やすい。



その後は、6号線とほぼ平行して通る裏道を走り継いで、蔵前橋まで出ることになる(この先は文章の説明は省略、地図を参照のこと)。

なお、もっともっと雨に濡れることを避けたいという人は、浅草橋駅まで行って、総武線の高架下を秋葉原駅まで走る手もあるが、人と横道が多くてあまり走りやすいとは言えないであろう。

まあ、暇に任せて、こんなことを考えるのも、自転車通勤の楽しみでもある。

走行距離:35キロ(ルイガノクロス)

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2009.06.21 Sun
雨の日はしょうがない
銚子行ツーリングは、雨のため中止になってしまった。
残念だけど、しょうがない。

そうなのだ、雨の日はしょうがないのだ。

♪雨が空から降れば
♪オモイデは地面にしみこむ
♪雨がシトシト降れば
♪オモイデはシトシトにじむ
「雨が空から降れば」・詞/別役実・唄/小室等)
http://www.youtube.com/watch?v=bF0R6SBG174

呑ちゃんと傘をさしてとぼとぼ歩く。
近くの中華料理店「四季彩」(安くてうまい)へ。
ラーメンとチャーハンのセット(680円)を食べる。

その足で水元図書館へ。
伊能忠敬関係の本などを読みあさる。

♪黒いコーモリ傘をさして
♪街を歩けば
♪あの街は雨の中
♪この街も雨の中
♪電信柱もポストも
♪フルサトも雨の中
♪しょうがない
♪雨の日はしょうがない
(「雨が空から降れば」・詞/別役実・唄/小室等)

道すがらの児童公園に寄ってみる。
雨なので、誰もいない。
雨の日はしょうがないのである。

IMG_2347.jpg
(公園のベンチと水溜まり)

♪公園のベンチでひとり
♪おさかなをつれば
♪おさかなもまた
♪雨の中
(「雨が空から降れば」・詞/別役実・唄/小室等)

夕飯は、蕎麦を茹でて食べる。
動いてないので、あまり食欲がない。
雨の日はしょうがない・・・。

走行距離:2キロ(ママチャリ)

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2009.06.20 Sat
葛飾デルタ同盟結成5周年記念・花菖蒲花見大会
今日は、待ちに待った、「葛飾デルタ同盟」結成5周年記念・花菖蒲花見大会である。

朝から起き出して、掃除洗濯をしたり、料理を拵えたり・・・。
同盟の九州「総督」Bさんは、このためにわざわざ福岡からいらっしゃるとのこと、いつも、頭が下がります。

われわれは、水元公園グリーンプラザ裏の花菖蒲畑の木陰にシートを敷いて陣取る。

IMG_2334.jpg
(葛飾菖蒲祭りの本会場とはずっとはずれた場所で開宴)

今日のメインイベントは、もちろん、同盟の五周年を祝賀することであるが、BさんとSさんのヴァイオリンとギターの共演である。

IMG_2330.jpg

お二人による、「朝露」、「オー・ダニーボーイ」、「アメイジング・グレイス」、「芭蕉布」などに聴き惚れる。

調子に乗って、ほかのメンバーもヴァイオリンを弾き出す。

IMG_2343.jpg
(呑ちゃんも昔取った杵柄で、ヴァイオリンを奏する)

結局、薄暗くなるまで水元公園で歌いまくったわれわれは、まだ飲み足りなくて、断腸亭へ。

IMG_2345.jpg
(公園をそぞろ歩く一行)

皆さん、本当に楽しい梅雨の一日でした。
ありがとう!

私は、寝る前に、明日の銚子ツーリングに備えて、自転車の整備をする。

走行距離:8キロ(ママチャリ)

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2009.06.19 Fri
断腸亭流・利根川図志3~経路指南
武蔵国(江戸)に住む人が銚子まで辿る経路は、その昔は3つほどあったと思われる。

1.千住から新宿(にいじゅく)を経て、佐倉(成田)道経由で陸路銚子に至る道(いわゆる「脇往還」)。
2.行徳から木下街道を陸路を北上して利根川に至り、船で銚子まで至る。
3.上記1の経路で新宿まで来て、そのまま水戸街道を進んで松戸宿。陸路、松戸から金ヶ作あたりを抜けて、布佐から利根川の舟運によって銚子に至る。

たぶん、1が一番古く、もしかしたら上古以来(千葉街道から成田道に至る経路も含む)。
2と3は、銚子から鮮魚を運ぶ経路が確立する江戸以降の経路であると思われる。

ただ、もっと古くは、霞ヶ浦も利根川も手賀沼も印旛沼も、現在よりも遙かに水域が広大(たぶん、当時の人には、一続きの巨大な内海のように思われたであろう)だったので、現在のわれわれには想像もつかないような舟運によるルートが存在したかもしれない(縄文時代の一時期まで、銚子半島は、ほぼ島だった)。

さて、話は急に小規模になるが、江戸川筋の水元(葛飾区)に住む私が、自転車で利根川経由で銚子に行く場合の、

1.手賀川から木下に抜けるルート
2.利根川サイクリングロード東端から銚子市街地に入るルート

を以下、ご紹介したい。

ただ、道にはその人の好みがあるので、万人が気に入るとは限らないということを付記しておく。

1.手賀川浅間橋から木下(利根川サイクリングロード)へのルート。

先ず、ココをクリックすると、地図が現れるので、それをご覧なりながら以下お読み下さい(「ふきだし表示」をオフにすると見やすい)。

手賀沼の東端の曙橋から手賀川の南岸を走って、(水色の)浅間橋に至る。
浅間橋で北岸に渡る(南岸をそのまま行くと道がなくなるので)。

IMG_0916.jpg
(手賀川南岸の道)

北岸には、途中から土手上に出来たてのきれいなサイクリングロードが付いているが、上がり口がないし、土手下の一般道の方が、車はほとんど来ないし、広々としていて走りやすいので、私は一般道を走る方が好きだ(左の森の向こうに「手賀沼終末処理場」あり)。
この川沿いの一般道は左に逸れるように曲がっているので、道なりに進む感じで迂回して、すぐ先にある「関枠橋」で南岸に、川沿いの道をそのまま走る(東進)。
2,3百メーター走ると、手賀川が分流して、六軒川(北流)と弁天川(南流)に名を変えるが、われわれは弁天川南岸の道をそのまま進む。
道なりに進むと川沿いの道が切れるような雰囲気になり、大きな通りにぶつかるのでそこを左折する。
この大きな通りが、実は、江戸時代には、銚子から江戸まで鮮魚を運んだ旧木下街道である(現在の木下街道(県道59号)は、この地点を右折した先にある「中の口」交差点を起点とする)。
その後は、この旧木下街道を東進すれば、昔の木下街道の起点である「銚子屋」の裏手にたどり着く。

IMG_0913.jpg
(利根川土手から見た「銚子屋」)

そこまで来れば、目の前に土手への上がり口が付いているので、それを上がれば、利根川サイクリングロードの「木下」に達する。
ここから、80キロほど下流の利根川河口までの遙かな旅路が始まるわけである。

IMG_0912.jpg
(利根川土手にある木下の説明板)

2.利根川サイクリングロード南岸の終点から銚子駅までの抜け道ルート。

先ず、ココをクリックすると、地図が現れるので、それをご覧なりながら以下お読み下さい(「ふきだし表示」をオフにすると見やすい)。

利根川サイクリングロード南岸の終点に達してから銚子の市街地に入るのに一番簡単な経路は、国道356号を東進することであるが、市街地近くになるまでは、路肩も狭く、交通量も激しいので、自転車ではなかなか走りにくい。

歩道に逃げようにも、まともな歩道はほとんどなく、あったとしても、急に途切れたり、どぶ板一枚の歩道だったりするので、基本的には、国道と平行して通る旧道を走るのが良い。

と言っても、途中で国道に合流してしまう区間があるので、その迂回路を含めて図示したのが、上記URLの地図である(途中、ややこしいところがあるが、お示ししたルートはもっともシンプルなもの)。

国道と合流する「野尻町」の交差点までは、立派な長屋門の農家などが並ぶ農村的な風景が続き、「野尻町」の交差点以降の川筋の旧道は、海辺の古い町の雰囲気が続く。

この道を東へ走ると、銚子大橋の橋桁に達する。
橋桁をくぐって、大通りを右折すると、銚子駅が見えてくる。
駅前の「観光案内所」で資料などを入手することができる。

是非とも、利根川ルートで銚子に旅する際の参考にされたい。

本日の走行距離:34キロ(フジクロス・本郷の病院往復)

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2009.06.18 Thu
この5日間
何だか急に仕事が忙しくなってきて、日記が滞ってしまった。
この5日間の記録を手短に記しておこう。

6月14日(日)

昨日までの銚子行の疲れがやや残る。
呑ちゃんと花菖蒲の咲き乱れる水元公園を散歩。
シートを敷いて、パンの昼食。

IMG_2234.jpg

走行距離:8キロ(ママチャリ)

6月15日(月)

フジクロスで出勤。
帰路、青戸あたりで大雨が降り出す。
カッパを持っていなかったので、ずぶぬれ。
やはり、この季節は、常にカッパを携帯しなくてはならないかも。

IMG_2314.jpg
(墨田公園での昼食)

走行距離:35キロ(フジクロス)

6月16日(火)

お袋が本郷の病院に入院。
いよいよ来週には手術ということに。
御茶ノ水駅近くの中華料理屋で一緒に昼食。

業務終了後、再び病院へ。
帰りは、かなり本格的な雨。

カッパを着て走る。

IMG_2317.jpg
(御茶ノ水橋より聖橋を眺む)

走行距離:35キロ(ルイガノクロス)

6月17日(水)

5時半にルイガノクロスで出勤。
幸いにも、雨が降っていなかった。

夜、業務終了後、築地へ(新宿通り→内堀通り→晴海通り)。
呑ちゃんの友人の中国人(四川省出身で上海在住)と三人で鮮魚店で食事。
上海でも、違法電動自転車が横行して問題になっているとのこと。
とても楽しかった。

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(早朝の堀端)

走行距離:63キロ(ルイガノクロス)

6月18日(木)

予報より天候良し。
ルイガノクロスで病院へ。
ちょうど検査中にて、結局、お袋に会うことができず。
頼まれた品々と書き置きを残す。

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(よく走る青戸銀座通り・手前は環七)

走行距離:35キロ(ルイガノクロス)

日録    Comment(6)   TrackBack(0)   Top↑

2009.06.13 Sat
断腸亭流・利根川図志2~拾遺編
夕べは、お袋の姉妹(つまり私のおばさんたち)もやって来て、賑やかな夕餉の後、9時には睡魔が襲ってきて爆睡。
お陰で、朝まだき、4時起床。
昨日、どこかで段差を越える際にサドルに尻をぶつけたので、そこにやや痛みを感じる。

お袋が起きるのを待って、朝食。
キュウリ・ワカメ・白魚の酢の物やお新香や塩鮭をおかずに、ご飯をもりもりと喰う。
何杯でもご飯をお代わりできそうだったが、腹が重くなるので2杯で我慢。

お袋は、また火曜に、再び東京の病院に入院することになっているので、「じゃあ、また」という簡単な別れの挨拶をして、7時過ぎに出発した。

今日は、昨日把握できなかった利根川道上のポイントを確認するために、来た道を戻ることにする。
そのままなぞると、昨日の日記と同じになってしまうので、重ならないことだけを書くに留める。

旧道を辿って、大利根サイクリングロードの東端に到着。

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(大利根サイクリングロードの始点)

いつもこの場所に立つと、心が引き締まる思いがする。
どこまでも長く延びる道。
そこにいるのは、自転車と私きり。
この孤独感が何とも言えない。

小見川橋を渡ったところで、昨日ぶつけた尻が痛くなってきたので、異例の場所で休憩。
緑の中に埋没していまいそうな快感を覚える。

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(東ほど草刈りが遅れている)

昨日も訪れた「横利根閘門ふれあい公園」に立ち寄る。
古錆びた水門の歯車が懐古的で味がある。

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(古錆びた横利根閘門の歯車)

水郷大橋(日陰&雨宿りポイントにもなることを付記)の近くに、次のような散策道の看板あり。

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(散策道の看板)

なるほど、水郷大橋の茨城県側にも面白そうな場所がたくさんありそうだ。
いつか、必ず走ってみよう。

こうして、神崎大橋を左に見て、常総大橋をやり過ごして、長豊橋を南岸に渡って木下で、サイクリングロードを降りる。

サイクリングロードから木下に降りる指標は、何と言っても「銚子屋」である(このあたりのことについては、過去の日記をご参照)。

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(利根川サイクリングロード南岸から見た「銚子屋」)

木下まで来て、折から昼時でもあり、かなり腹が減っていたので、どこかで何かを喰ってやろうという欲望がむらむらと湧いてくる。
実は、ここから手賀川に抜ける木下の街には、これまでの経験からして、合点な食堂が多かったので、今日もどこか知らない店を物色してやろうという魂胆である。

通りをゆっくり流していると、私のアンテナに強力に反応する店が眼前に現れた。

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(木下の街を抜ける旧道と蕎麦の「柏屋」)

う~ん、これはいいかもしれない。
格子風の窓と、どっしりとした瓦屋根。
しかも、ケレンミがないのがよい。

自転車を止めて、さっそく入ってみる。
入店した瞬間、ここは良い店に違いないと確信した。

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(木下の蕎麦屋「柏屋」店内)

逆光になってしまって写真ではよく分からないかもしれないが、店奥の向こうは風流な裏庭になっており、表の格子から涼しい風が渡って行く。

腹ぺこである。
私が注文したのは、「ミニ焼肉丼セット」(ビールは我慢)。
店の本棚にあった木下の歴史の本を読みながら待つ。
そして、ついに出てきた。

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(「ミニ焼肉丼セット」1000円)

まあ、満点とは言えないが、蕎麦も、焼肉丼も、ある種の甘い懐かしさを感じさせるものだった(68点)。

こうして私は、手賀沼を抜けて、3時頃葛飾水元の自宅に帰り着いた(駅の道・しょうなんで、枝豆や谷中生姜を買う)。

夜は、呑ちゃんと一緒に、金町のフランス料理店で、仔羊のスペアリブなどを赤ワインで堪能し、私の「利根川図志」の〆とした。

走行距離:128キロ(ロード)

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2009.06.12 Fri
断腸亭流・利根川図志1~木下から銚子まで
夕べ寝る前に、銚子へ行こう!と思い立った。
いくつかの理由が結びついて、突如として像をむすぶように、銚子行を思いついたのである。

理由は三つ。

・墓参りをしたい(お袋が東京に通院したり入院したりしていたので、お彼岸に墓参りに行く機会を失ってしまった)。
・銚子市役所に書類をもらいに行く(別に、郵送でも取り寄せることができるのだが、直に行けば郵送代が節約できる)
・道すがらの佐原に寄って、伊能忠敬の記念館などを見たい(以前は、幕府にいいように使われた馬鹿な奴と思っていたが、最近は一転して、偉い人だと思うようになった)。

こう思い立ったものの、我ながら、あまりの「名案」に圧倒されてしまい、何も準備せずに寝てしまった。

早めに起床して、そそくさと出かける準備を始める。
5月に八ヶ岳に行って以来、乗っていなかったロードバイクのタイヤに空気を充填(空気が抜けて5気圧まで下がっていたので、8気圧にする)。
チェーンや機関部に油を吹き付ける(私が愛用しているのは、タイホーコーザイ社製のシリコーンスプレーで、ホームセンターで200円ぐらいで売っている格安品。サラサラ系なのが気に入っている)。
着替えや、100円ショップの自転車カバー(輪行用)などをリュックに詰める。
500ミリペットにお茶(どくだみ茶)を詰める。
道路地図からコピーした当該頁を収める。

何だかんだでごそごそやっているうちに、出発は6時になってしまった。

今日の経路は、簡単に記せば、葛飾橋で松戸に渡る→大津川ルート→手賀沼→手賀川→木下(きおろし)で利根川サイクリングロード→佐原→利根川サイクリングロード→銚子。

トゥーストラップの調整をしながら、水元公園桜土手を走ってみる。
いやぁ~、やはり、ロードバイクは気持ちがよい!
この一月あまり、クロスバイクやママチャリばかり乗っていたので、その軽やかな走りに改めて感動する。

松戸の100円ローソンで、おにぎりやサンドイッチを買い込む。
紙敷(松戸市)を抜けて、「山田うどん」(松戸八柱店)で朝食。
たぬきうどんと餃子を注文(計450円)。
変な取り合わせだが、餃子がサービス期間中にて150円ということで、あまり食べたくなかったのだが、つい、安さに釣られて頼んでしまったのだ。

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(「山田うどん」の朝食)

「山田うどん」の汁は、私には塩辛すぎてやや苦手なのだが、粉物はすぐにエネルギーになるのでありがたいのである。
また、大声では言えないが、存外に餃子がうまかった。
うどんよりも、餃子の方が、私には気に入った。

大津川ルート
を辿って、手賀沼に出る。
曇り空のせいか、風景もぼんやりと微睡(まどろ)んでいる感じがする。

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(手賀沼)

道の駅・しょうなん」で小休止した後、手賀川に沿って東進。

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(四季折々の素晴らしい風景を楽しませてくれる手賀川・前方の水色の橋は浅間橋)

手賀川沿いを下って、流れが大きく布佐方面に曲がる地点で、木下方面(右)に分流する流れ(弁天川)を追いかけるようにして、木下の街に入る
古い建物が残る木下(きおろし)の街を抜けて(旧木下街道)、利根川サイクリングロードに乗る。

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(利根川サイクリングロードの木下)

上の写真にもあるように、このあたりの利根川サイクリングロードは、歴とした「県道409号線」なのである。
この点、千葉県は偉い(森田さん、高速道路を割引して環境破壊を助長するような馬鹿なマネはやめて、県内の自転車道の一層の充実を目指しなさい!それが「青春」の道に相応しいものです)。

以前は、手賀沼から布佐経由に利根川サイクリングロードに出ていたのだが、それでは大回りになるし、布佐の栄橋付近がいつも渋滞して面倒なので、最近の私は、もっぱら、木下経由で利根川に接近することにしている。

この、明治初期までは、銚子から江戸まで鮮魚を運ぶための拠点となった木下と布佐については、後でゆっくりと触れることにしたい。

さて、長くて単調な利根川サイクリングロードの始まりである。

木下からは、先ず、利根川サイクリングロードの右岸を走る(以下、右岸=南岸、左岸=北岸とする)。

(実は、利根川サイクリングロードに関しては、先達による素晴らしいサイトがあって、両岸の自転車道についての地図や舗装状況も詳述されており、すこぶる有益である。
否、それどころか、私のこれから書くことなど、この先達の偉業を前にしては、単なる「つまみ食い」にすぎないもので、詳しくは、是非とも、当該ページをご参照のこと)。

木下からロードの終点銚子まで走る際に、未舗装路を完全に回避するためには、次のルートを辿るのがベストだと、私は確信する。

☆木下から南岸を走り→長豊橋を渡って北岸へ→小見川大橋を渡って南岸へ→銚子。

さて、木下からしばらく(8キロほど)走ると、長門川河口を渡ることになる(長門川公園)。
この長門川から、広大な印旛沼の水が利根川に流れ込んでいるわけである。

南岸サイクリングロードのすぐ右には、国道356号が平行するように付かず離れずして、ず~っと銚子まで通っているので、理論的には、この国道を終点まで走ってもよいわけだが、概して交通量も多くて路肩も狭く、自転車で走っても楽しくないので、まったくおすすめできない。

これは、北岸のロードにも同じことが言えて、すぐ左に県道11号が平行して走っているが、自転車にとっては実に過酷な道なので、度胸試し以外の目的では走るべきではない。

長門川から2キロほど走ると、右側に、「水と緑の運動公園」が見えてくる。
ここでは、疲れていなくても、必ず立ち寄ることをおすすめしたい。

というのは、利根川サイクリングロードは、補給ポイントが非常に少ないのだが、特に困るのはトイレであるからだ。
まあ、人煙がまばらな広大な利根川河川敷にあっては、男性にしてみれば、自転車の上以外は、すべて公衆トイレのようなものだが、「正式」なトイレは、ここを最後に、何と20キロ先の「大利根東公園」(北岸・茨城県稲敷)まで行かないとないからだ。

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(立ち寄るべき関所「水と緑の運動公園」)

利根川サイクリングロードの旅では、「トイレを見たら必ず休憩」を鉄則としたい(特に冬場は)。

また、この「水と緑の運動公園」には、自販機もあって、ドリンク類を補給することができる。
実は、この1キロほど先にコンビニがあるが、最近のコンビニは突然店じまいすることも多いので、あまり当てにしないほうが無難である。

また、特に夏期の利根川サイクリングロードの旅で一番困るのは、日陰がないことである。
日陰がないということは、雨宿りができる場所もないことを意味する。

「水と緑の運動公園」は、この点でもありがたくて、公園広場の東側に、気持ちの良い東屋がある。

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(「水と緑の運動公園」の東屋・日陰と雨宿りの場所を提供してくれる)

さて、私は、「水と緑の運動公園」で持ってきたおにぎりとサンドイッチを食べて十分休憩をとって、また走り出した。
先にも書いた通り、すぐ右下には国道356号が走っている。
その向こうの右側には青々とした水田が広がり、左には雄大な坂東太郎が流れる。

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(利根川サイクリングロード・土手下の一般道が国道356号)

3キロほど走ると、赤い長豊橋が見えてくる。
この橋は、そんなに長くない(約500メートル)が、利根川に架かっている橋の中では自転車泣かせの橋で、交通量が多いわりには歩道が設けられていないし路肩も狭くて走りにくい。
ここは、橋を渡る信号が青から赤に変わって、車列が切れるのを見計らうや、えいやとばかりに走りきるのがよい。
とにかくこの橋を渡ってしまえば、未舗装路を回避できるのだから、頑張るしかない。

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(長豊橋)

こうして、茨城県側(北岸)に渡って、再び自転車道を走り始めると、風景は一層のんびりとしたものになる。
しばらく走ると、右下の広々とした河川敷にたくさんの牛が放牧されている光景が続く。
文字通り、「牧歌的」な風景である。

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(放牧される牛・利根川北岸河川敷)

ここから先、実に単調かつ牧歌的な風景が長いこと続くことになるが、最近都心ばかり走っていた私には、心が癒されるようであった。
しかし、この単調な行程で、いくらか励みになるのは、途中の「海まで○キロ」という標識と、橋である。

長豊橋から下流の橋の間隔をここで簡単にまとめておこう。

長豊橋→(約5キロ)→常総大橋→(約5キロ)→神崎大橋→(約8キロ)→水郷大橋→(約6キロ)→利根川橋(東関道)→(約6キロ)→小見川大橋。以下略。

まあ、大体、平均6~7キロ走ると新に橋が一つ現れる勘定になるが、6~7キロという間隔だと、前の橋から次の橋の姿は見えないぐらいの距離なので、何だか不安になるが、しばらく我慢して走っていると、遠くにぼんやりと橋の姿が浮かんできて、これを励みに走り続けることになるわけだ。

常総大橋の橋の袂の近くに、久々の補給ポイントがあるので、ご紹介しておこう。
その名ぞ、「江口百貨店」で、サイクリングロードからよく見える。

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(江口百貨店)

百貨店というほどには品数が多いわけではないが、この先もしばらくは補給ポイントが絶無なので、暑い夏や寒い冬には、非常にありがたい存在である。

この「江口百貨店」からさらに5キロほど下ると、神崎(こうざき)大橋が現れる。
この神崎大橋には、立派な「側道橋」が車道橋と並んで架かっていて、利根川に架かる橋の中で、自転車で渡るには一番適していると思われる。

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(神崎大橋の側道橋)

さて、ここからさらに8キロほど走ると、いよいよ水郷大橋の袂に到着する。
この橋を対岸(南岸)に渡ると、そこが本日の目的地の一つ、水郷の街、佐原である。

水郷大橋は、両側に歩道階段のような上がり口が付いている。
佐原の観光中心地に行くには、下流側の歩道階段の方を上がるのがよい。
橋を渡ると、向こう岸(南岸)にも同様の歩道階段があるのでそれを降りると、そのまま利根川サイクリングロードに接続している。
サイクリングロードを下流に向かってしばらく走っていくと小野川の河口にぶつかるので、あとは、小野川を遡って行けば、自然と忠敬橋を中心とする佐原の観光名所地区にたどり着く。

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(水郷大橋へ上がる歩道階段)

こうして私は、11時過ぎにやっと佐原に到着した。
かなり腹が減っていたので、すぐに昼食を食べようと思う。
今日は、「鰻」を食べることに決めていた。
というのも、以前、どの店だったか忘れたが、佐原で食べた鰻がすごく美味しかったという記憶があるからだ。

まず、駅前まで行って、旅行案内所で地図などを入手。

佐原地図
(佐原の地図・拡大可)

その地図に、一番老舗だと思われる鰻屋Hの紹介が載っていたので、さっそくその店の前まで行って、自転車を止める。
ところが、ふと財布の所持金が心配になって、中身を確かめると、800円ぐらいしかない。
これでは、肝焼きぐらいしか食べられないので、また地図を見て郵便局を捜す。
すぐ近くに郵便局が所在するように地図に描いてあったので、そこに行くと、なんと更地になっていて何もない。
たぶん、最近移転したのだろう。
新郵便局を捜すのも億劫なので、近くに見えた千葉銀行で金をおろして、鰻屋Hに舞い戻る。
かなり古い建物で、「天保○年創業」などという説明板もある。
う~ん、何だか威張っているような気がして嫌になって、急に別の店にしたくなり、佐原の旧市街や裏通りを鰻屋を求めて走り回ることになる。

佐原の街は、その下流の街銚子とは違って、戦災を被っていないことや古い街並みを意識的に残そうとする町の政策のため、裏通りに入っても、実によく昔の建物が残っている。

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(佐原の裏通り)

忠敬橋を渡って、表通りを東に行ったところになかなかいい感じの鰻屋を発見。
新しい建物ながら、店構えも乙だが、「麻生屋」という店名が、どこかの国の無能無策な宰相の名前とそっくり(同じだったっけ)だったのでやや躊躇したものの、思い切って入ってみることにした。

まだ昼前なので、客はちらほらだったが、後から混んできた。
うな重上を注文(特上は無し)。
周りの先客の様子から、かなり出来上がるのに時間がかかると見て、瓶ビール(中)も追加注文した。
鰻屋で、出来上がりに時間がかかるのはありがたい兆候で、ちゃんと手間をかけて一から拵えている証拠である。
待つこと30分、やっとうな重が運ばれてきた。

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(うな重・上)

う~ん、かなりウマイ!
ふっくらと仕上がっているが、きちんと肉の実質を保っていて、タレもさらっとしていて香ばしい。
当たりである(1600円)。

気をよくした私は、佐原の川筋の旧市街地を見て回る。
いくら観光資源とはいえ、この街並みを維持するのは大変なことだったと思う。

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(小野川に架かる樋橋)

さて、今日わざわざ佐原まで来たその目的である、「伊能忠敬記念館」に赴いてみた。

17世紀の芭蕉が、列島古来の歌枕を「測量」した旅人だったとすれば、この18世紀の伊能忠敬は、列島の地形を「測量」した旅人だと言える。

ただ、伊能忠敬のことは長くなりそうなので、後日別項を立てて書きたいと思うので、ここでは、何枚かの写真を掲載するにとどめる(但し、記念館内は撮影できなかった)。

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(伊能忠敬旧宅の各種測量器)

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(伊能忠敬旧宅)

記念館をゆっくりと見て回るうちに、何だか疲れてきて、展示室の中央にあるソファに腰掛けて休んでいたら、いつの間にか眠ってしまったようで、ふと気がつくと、既に2時近くになっていた。
結局、3時間近くも、佐原に遊んだことになる。

慌てて、自転車に跨って出発。
小野川を下って河口に出て、利根川土手に上がってサイクリングロードを上流へ。
再び、水郷大橋を渡って、北岸へ。
そうそう、南岸をそのまま行ってもいいじゃないかという意見もあるかもしれないが、この先のどこかがたぶん未舗装路になっているので、多少大回りにはなるが北岸のサイクリングロードを走った方がよいのである。

水郷大橋にから北岸のサイクリングロードに出てみると、東南東の強い向かい風になっていた。
利根川サイクリングロードは、特に風が強いのが特徴で、地上5メートルぐらいのところを通っているものだから、遮蔽物は皆無で、風を避ける手だてはない。
幸いにも、追い風の際には、時速35キロをキープし続けることも簡単だが、今日のように強い向かい風だと、時速20キロを維持するのも大変である。
ただ、困ってしまうのは、天気予報の風向きを見ても、予想しにくいということで、茨城県南部・千葉県北西部・千葉県東部の三つの地域の風向き予報のいずれとも違う、利根川流域ならでは風の特徴があるようである。
また、私の経験からすると、常総大橋あたりを境に風向きが変わることが多いようである。

強風のため、川面には白波が立っている。
こう言うときは、下ハンドルを握って、ひたすら我慢して進むしかない。
ルートの変更を考える人もいるだろうが、どっちみち、だだっ広い水田の中の道を進むほかはなく、これでは向かい風を避けられないし、悪くすれば道に迷うのが関の山なのでおすすめできない(私も何回か失敗した)。
南岸ならまだしも、北岸を行く場合は、ルートの変更は禁物である。

水郷大橋から北岸サイクリングロードを数百メートル走ると、いったん、ロードが切れて、2百メートルほど一般道を迂回しなくてはならない。
横利根川が北から利根川に合流する地点である。
ここに、「横利根閘門ふれあい公園」がある。

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(横利根閘門ふれあい公園・東屋もある)

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(横利根閘門ふれあい公園・煉瓦造りの水門)

そもそもが、大正時代に船が航行できるように水面の高さを調整するための水門だが、一帯が広々とした公園になっていて、日陰も多いし、貴重なトイレもある。

向かい風の中苦労しながら、ここからさらに5キロ下流に下ると、利根川橋が見えてくる(実はそのちょっと手前に鹿島鉄道の鉄橋があるが、自転車には関係ないので省略)。
この利根川橋というのは、東関東自動車道のことで、高速道路の鉄橋なのだが、人と自転車も渡ることができるのだ。

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(利根川橋=東関道の袖に付いた人道路)

これが面白い構造になっていて、人と自転車が通る橋路は、道路の袖の下に通っているのだ。
景色はよくないだろうが、風の強い日や雨の日は助かるだろう。
なお、この利根川橋と水郷大橋の橋の下は、貴重な日陰&雨宿りポイントになることも、書き加えておこう。

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(利根川橋を側面から見た写真)

ここからさらに5キロほど走ると、やっと小見川大橋に至る。

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(小見川大橋・かなり長大な橋である)

小見川大橋には、両側に細いながらもちゃんと歩道が付いているが、路面状態が悪く、しかも、ガラス片が散乱していることが多いので、路面をよく見ながらゆっくり走るのがよい。

向かい風で思ったより距離が稼げないので、私は多少焦りはじめる。
5時までに銚子市役所に着かないと、今回の目的の一つである書類を入手することができないからだ。
しかし、急ごうにも、それを阻止する風の前に疲れるばかりである。

小見川大橋を渡って、さらに北岸を7キロほで走ると、利根川大橋が見えてくる。
ここが、常陸利根川が利根川に合流する地点である。
この橋の南岸に、貴重な休憩ポイントがあるので、ご紹介したい。

利根川河口堰の展示ホール」(地図)である。

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(利根川河口堰管理事務所・トイレあり)

利根川が太平洋に流れ出る「河口」は、ここからさらに16キロほどあるが、「河口堰」という名が付いている。
たぶん、利根川最下流にある大規模な水門施設ということだと思う。
ここの存在は、私もつい最近気づいたのだが、エアコンの効いた展示室(無料)には、ベンチもあるし、自販機もある。もちろん、外には清潔なトイレもある。

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(展示室内)

開設時間がよく分からないが、翌朝8時頃また訪れてみたが、既に開いていた。
季節の厳しい夏や冬には、特にありがたい休憩基地になるであろう。

利根川河口堰管理事務所から、向かい風に抗いながらさらに3キロほど走ったところで、ついに、利根川サイクリングロードの東端(終点)達することになる。

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(利根川サイクリングロードの東端・舗装路の先には数十メートル砂利道が続くがそれもすぐに途絶する)

遙か北西の群馬県渋川から続く大利根サイクリングロードは、ついに、ここで終点をむかえることになる。
ここは、銚子市宮原町というところで、銚子市街地までは、まだ14キロ以上ある。

ここからは一般道を走るしかないのだが、国道356号は環七なみに走りにくいので、いかに国道を回避して走るかがポイントとなるが、これはこれで、文章で説明するのは大変なので、後日、別項を立てたいと思う。

国道の南を通る旧道と利根川沿い旧道を走って、私が銚子市役所に到着したのは、何と、5時ジャスト。
玄関ロビーに入ると、「蛍の光」が流れているではないか。
私は、窓口の(元)お姉さんに、要件を告げると、快く了解してくれた。
申請書類を書いて、窓口に持って行くと、印鑑を押して下さいという。
リュックの中をまさぐってみたが、印鑑がない!
印鑑、ないんですけどと言うと、「ああ、いいですよ」という。
名前を呼ばれて、書類を受け取り、450円を支払う。
窓口のお姉さんから、もしかして、葛飾から来たんですかと聞かれた。
「はい、そうです。ぎりぎりで間に合いました」と言ったら、気の毒そうな顔をして「郵送でも大丈夫なんですよ」と教えてくれた(もちろん知っていたが・・・)。

こうしていったん、実家に戻って、次は墓参り(お袋は突然やって来た私にびっくりしていた)。
宝満寺の父の墓参を済ませて、やっと今日の目的を全部果たしたことになる。

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(森の中にある宝満寺の本堂)

実家に戻って、シャワーを浴びて、鰹の刺身をつまみにしてビールを呷った。
素晴らしい一日だった。

(この項了)

走行距離:140キロ(ロード)

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2009.06.11 Thu
久々の買いだし
最近は、通勤で都心ばかり走っていたので、久しぶりにのんびりと田舎道を走りたい。
しかも、最近は、弁当やらコンビニのおにぎりやサンドイッチばかり食べることが多かったので、夏野菜をバリバリと食べたい。
そういう二つの理由が重なって、手賀沼方面に買い出しに出かけることにした。

昼頃雨が上がったのを幸いに、6速のママチャリで出発。

新坂川→豊四季→大堀川のルート(ほぼ東葛人さんの豊四季ルート)で、農産物直売所「かしわで」(柏市高田)へ(途中、松戸で九条ラーメンを食べる)。
今日は、平日だし昼下がりなので、空いていた。

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(「かしわで」・案山子が立っているところは、ミニ水田である)

米と味噌はまだ買わなくてもよかったので、今回は、夏野菜を中心に購入。
枝豆・トウモロコシ・トマト・キュウリ・ドジョウインゲン、それと「牛の乳アイスクリーム」。
「牛の乳アイスクリーム」は、すぐに食べるためのもの(う~ん、濃厚でウマイ!、呑ちゃんゴメン)。

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(「かしわで」店内・肉や酒やお総菜も売っている。店の外には、トイレ・ゴミ箱・ベンチもある)

帰路は、なるべく知らない道を選んで、江戸川を目指した。
くねくねと走る細い農道をとにかく西へ。

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(こんな細い農道を走る)

途中、まったく道が分からなくなったが、そこが楽しいところ。

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(栗の大木を発見)

発掘中の遺跡に出会う。
弥生時代の遺跡にしては掘り方が浅い。
中世以降のものだろうか?

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(発掘中の遺跡)

とにかく、西へ西へと走っていると、江戸川にぶつかったので、流山からは、江戸川サイクリングロードで帰還。
久しぶりに、のんびりと流れる江戸川を見て、心が和んだ。

こうして、今日の収穫物を夕飯に仕立てた。
ご飯のおかずになるものがなかったので、焼きそばを拵えた。
とりわけ、枝豆とトウモロコシがうまかった。

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(夏野菜オンパレードの夕飯)

走行距離:43キロ(6速ママチャリ)

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2009.06.10 Wed
食べる場所
5時半にフジクロスで出発。

墨田の激安弁当屋は、何と、こんな早朝にも開店していることを先日知ったので、「ハンバーグ弁当」(250円)を購入して、隅田川土手のベンチで朝食。

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(250円のハンバーグ弁当・インゲンが乗っている)

朝の隅田川土手東岸は、背後に首都高の高架があって日陰になっているので涼しい。

屋外で食事をすることの多い私にとって、その快適な場所を確保することはきわめて重要なことなのである。
近くにトイレと水道とゴミ箱があって、しかもそこそこ眺めのよいベンチということになると、冬から春にかけてはまだしも、夏季は、大抵は、既に占領されているものだ(花見の時季は絶望的)。
真夏になると、日陰のベンチはまず空いていないと思った方がよい。

でも、一番困るのは雨の日で、公園の東屋は、隅田川流域に集住するホームレスのオジサンたちに占拠されてしまうので、仕方なく、隅田川沿いの首都高高架下の地べたで食べることになる。

だから、墨田で弁当を買いながらも、食べる場所がなくて、ハンドルに弁当をぶら下げたまま、上野公園や日比谷公園まで彷徨ってしまったこともある(弁当は、横になってしまうとまずいのでリュックには入れることができない)。
ただ、そこまで行ってみたところで、上野公園はホームレスとの競合が、日比谷公園は(昼食時には)サラリーマンとの競合があって、これまた難しいのである。

まあ、そういう意味では、今朝は、早朝なだけに落ち着ける場所を確保できてよかった。

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(ベンチから風景・桜橋と隅田川)

公園の水道で顔を洗って再出発。
甲州街道を爆走して、杉並区永福の職場に到着。

今日は、明るい内に帰宅。
この時季は、日が長いのがありがたい。

昨日、岐阜の友人(いっちゃん)から送ってもらった竹の子で、竹の子の刺身、竹の子ご飯を拵える。

寒いところで育った竹の子は、冬を耐えるだけ耐えた後に、やっとのことで地中から芽を出したからなのか、味も香りも濃厚である。
春の滋養が凝縮しているようである。

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(竹の子と大根の刺身盛り合わせ)

走行距離:63キロ(フジクロス)

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2009.06.08 Mon
道の考古学~峠道・山辺の道・川筋の道
5月に笹子峠を自転車で越えて以来、一体全体、「峠」とは何なのかということが頭から離れない。
どうも、峠というものは、古来、人を夢中にさせるような魅力をもっているらしい。
車社会の現代でも、自転車や徒歩で峠を越えることに、無上の生き甲斐を感じている人も多いようである。

峠が、それほどまでに私に取り憑いて離れないきっかけを作ったのは、柳田国男の「峠に関する二、三の考察」という文章(「秋風帖」・全集第二巻所収・筑摩書房)である。
その中で、かなりの健脚だった柳田国男は、ある時、まさに峠越えをしている最中に、「峠の裏と表」理論なるものを発見した(気づいた)と書いている。

その理論というは、峠道のつきかたに関する「法則」のようなもので、文章で説明するのはちょっと難しいのだが、一番簡単に言うと、こんなふうなる。

峠道は、どちらかは必ず、沢(渓流)づたいについていて、その反対側は尾根づたいについている。
前者を「表」、後者を「裏」と呼ぶ。
古来、表側が文化経済的に後進の集落があり、裏側に先進の集落であることが多い、というもの。

いくつもの峠を踏破した柳田自身、この「発見」に興奮したと書いているが、私も、それを読んで興奮した。

日本列島には、一万ほどの峠があるという。
たとえば、岩手県などは、そう高い山はないが、山また山が連なる土地柄で、峠を一つ越えると、言葉や風習が違うという。
山がちな日本列島では、「峠を越える」こと自体が、集落の経済と文化を保持するするための生命線だったはずである。

ただ、ここで注意しておかなくてはならないのは、峠というのは、「山」のような自然地理的な概念ではなく、あくまでも、人間が切り開いた「道」のことである、ということだ。
だから、峠の表裏理論は、道のつきかた(できかた)の法則だと言うことができる。

私が勝手に空想しているところによると、道は三つの型に大別できる。
「峠道」と、「川筋の道と」、いわゆる「山辺の道」である。
峠道が山越えの道だとすれば、川筋の道と山辺の道は、いわば、里の道である。
私の想像では、古道は、このいずれかに当たるものだと思う。

川筋の道は、説明を要しないと思う。
山辺の道は、奈良県にその有名なモデルとなる古道が存在するが、私がいつも自転車で走り回っている東葛地区などにも、このタイプを道はたくさんある。
たとえば、自転車仲間の東葛人さんが「発見」した、手賀沼に至る「大津川ルート」などがその典型であると思う。

その地図をここでは無断で引用させていただく(東葛人さん、御免)。

ootsu1.gif
(赤線が大津川ルート・東葛人さん作)

だいたいが、真ん中に川が流れていて、両脇には山というか丘陵というか森林というか、小高い土地が控えているようななだらかな谷(盆地)になっていて、その山沿いに、必ずと言ってよいほど、川筋と平行に「山辺の道」がついている。
この種の道は、当然のことながらなだらかで、片側に森林があって、しかももう片方は低地なので視界が開けており、自転車や徒歩で通行すると非常に気持ちがよい道であることが多い。

さて、柳田の「峠の裏と表」に戻ろう。

最初に山越えをしようとした人たちは、とにかく、道に迷わないように、渓流つたいに山を上がってゆく。
だから、表の道は絶えず沢に沿うようにして出来上がってゆくことになるので、最初はなだらかな道であることが多い。
しかし、最終的にはどこかの峰を越えなければならないので、谷から外れる最後の所がどうしても急峻な道になる。

さて、峰を越えた後、今度は、下りになるわけだが、旅人は、麓(ふもと)の目的地を見失わないように、登りとは逆に、尾根沿いに降りて行きたくなる。
だから、裏の道は、尾根や山の鞍部に出来上がることになるが、最終的に麓に下る道が急峻であることが多い。

私が五月に越えた笹子峠の道は、もちろん、近代になって作られた舗装路であるが、その道と寄り添うようにして、古道(山道)が付いているので、ほぼ昔の峠道を「踏襲」したものであることが分かる。

それによると、ほぼ沢沿いに登る大月側が表、甲府側が裏ということになる。
つまりは、この道の基礎ができた頃は、甲府側が文化的な先進地だったことの証明でもあるのだ。

柳田によれば、峠の語源は、記紀万葉の「タワ」のことで、撓(たわ)むと同根語で、「タワ越え」から「トウゲ」に変音したのだという。

昔の旅人は、川筋の道を歩き、山辺の道を経て峠道の入口に至り、沢沿いに山を登って、尾根沿いに山を下って、はるか畿内ならもたらされた珍重なる文物を持ち帰ったにちがいない。

走行距離:36キロ(ルイガノクロス)

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2009.06.06 Sat
ヘルメットを被ろう!
雨である。
休日出勤である。

カッパを着て、ルイガノクロスに乗って出発。
土曜日なのに、今日は車が混んでいる。
結構な本降りで、ヘルメットの前から雨だれが落ちる。

ヘルメットと言えば、最近(春頃からか)、ヘルメットを被らずにスポーツバイクで車道や歩道を疾走する勤め人や学生をよく目にするようになった。
ヘルメットを被っていた人が被るのを止めたとは考えにくいので、きっと最近になって自転車通勤(通学)を始めた人たちだと思う。
自転車に乗る際にヘルメットを被るのは、法的な義務ではないが、何回か危ない目に合うと、ヘルメットなしでは恐くて乗れないものである。
つまり、未だに自転車の本当の恐ろしさを知らない人たちなのだろう(ママチャリで近所までお買い物というような場合はこの限りではない)。

自転車は、刃物と同じで、その使い方によっては実に危険な乗り物であるし、事故は、本人の意志と関わりのないきっかけで起こることもある。
勝手に一人で電信柱に激突するようなケースならいざ知らず、大抵の事故は、他人を巻き込むものなので、ヘルメットを被らずに事故にあえば、怪我が重篤化して、相手に迷惑をかけることにもなる。
時として、信じがたいことだが、夜間、片手に携帯を持って、ノーヘル無灯火で、しかも、逆走(右側通行)している自転車を見かけることがある。
私には、自殺志願者にしか見えない。

参考URL;
「ヘルメットを被ろう」
「ヘルメットを被っていて助かった経験」

平川門近くの堀端で休憩。
雨の江戸城趾も、なかなか趣があるものだ。

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(雨の平川門)

幸いにも、四ッ谷(新宿通り沿い)あたりで雨が上がったのでカッパを脱ぐ。
カッパの中で蒸れた空気が解放されて爽やかな気分になって、杉並区永福の職場まで楽しく走ることができた。

仕事を終えての帰り道、台東区や墨田区の住宅街のあちこちから、祭囃子が聞こえてきた。
御輿を担ぐ威勢の良いかけ声や焼き鳥の香ばしい薫りも漂ってくる。

私は、急に空腹を覚えたので、一生懸命に走る。
帰宅して、初物の枝豆と夏野菜で乾杯だ!

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(枝豆・キュウリ・トマト・赤魚の一夜干し・銚子風おでんの缶詰)

走行距離:60キロ(ルイガノクロス)

自転車    Comment(6)   TrackBack(0)   Top↑

2009.06.05 Fri
死の街
お袋を砂町(江東区)の病院に連れて行くべく、早朝に出かける。

お袋と一緒だし、ラッシュアワーの鉄道に乗らなくてはならないので、折りたたみ自転車の輪行も諦める。
朝7時頃、家を出て、千代田線金町駅→(大手町駅乗換)東西線南砂町駅。
ぎゅうぎゅう詰めの車輌に乗るのが初めてのお袋は、とにかくびっくりしている。
「日本のお父さんはエライねえ」というのがお袋の感想。

砂町は、奇しくも、お袋自身が戦争中に暮らしていた街(その後、銚子に移住)で、多少は、思い出の断片でも残っているかと期待していたようが、いざ駅に降り立つや、何とも未来都市風な光景にお袋は言葉も出ない。
幾何学的な公園と高層マンション群と工場。

まるで、「歴史」を排除し尽くしたたような光景に、私も殺伐とした気分になって、ムンクの「叫び」に描かれているような孤独な焦燥感を覚える。

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(ムンク「叫び」)

こんな街に3ヶ月も暮らそうものなら、私は気がおかしくなってしまうかもしれない。
もし、次次回のオリンピックが東京で開催されることになったら、あの愛すべき築地も、こんな「死の街」になってしまうのだろうか(何としても阻止したいものである)。
青山の表参道も下劣きわまりない街だが、ここもまた、いわば、規格化された虚栄の街の象徴で、インチキ社会主義国の悲愴(かつ、皮相)感に似たようなものを背負わされているようである(すみません、あくまでも「個人の感想」です)。

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(南砂町の公園と工場)

お袋の話では、当時(戦争中)は、よく水が出て家が浸水したもので、地面を掘るとすぐに水が湧き出してきた。
父(私の祖父)は、このあたりの工場で働いていたのだが、当時の面影はまったくない・・・。
銚子の醤油工場から誘いがあって引っ越すことになったが、米軍の空襲も激しくなってきていたこともあって、一家喜んで銚子に移り住んだと・・・(しかし、銚子でも米軍の空襲に悩まされることになる)。

病院に到着。
PET検査というのは、投影剤を注射してから、体内のアミノ酸の吸収量を捕捉する検査のことで、癌細胞の有無などを明らかにするためのものらしい。
2時間半ほどかかるというので、私は病院の周りを傘をさして散歩することにする。

よくもこんなつまらない公園を造ったものだと、歩くほどに呆れるほかないようなものだが、そこに植えられている梅の木には、ちゃんと実がついている。

梅の実4個を収穫。
帰ったら、私の愛飲している焼酎瓶に入れよう。

IMG_2227.jpg
(収穫した梅の実4個)

梅の実を収穫したことでやや晴れやかになって、病院に戻る。

ちょうど、検査が済んで、お袋と再会。
近くのデパート(?)内の回転寿司で昼食をとった後、逃げるように地下鉄東西線に乗った。

船橋駅でお袋を見送る。

帰り道、京成電鉄から葛飾の下町の風景を見て、やっとほっとした気分になれた。

走行距離:1キロ(ママチャリ)

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2009.06.04 Thu
久々に折りたたみ小径車で輪行
お袋がPETという特殊検査を受けるために急遽上京するというので、船橋駅まで迎えに行くことになった。

ただ、鉄道で来る人を迎えに行く場合、いつも困ってしまうのは、往きは自転車で行っても一向に構わないのだが、帰りは自転車が邪魔になってしまうことである。
それを解決するためには、帰りは輪行するしか手はない。
でも、昼間の都会の鉄道は乗客で混み合っていて、輪行するのは少しく困難である。

そこで、このところまったく出番のなかった折りたたみ小径車を引っ張り出すことになった。

この折りたたみ小径車(16インチ・内装3段変速)は、一昨年の秋に自転車通勤を始めた頃に購入したものだが、その後、700Cの自転車を立て続けに買ったことで、すっかり出番がなくなって、私の部屋の机の下で折りたたまれたままになっていたのだ。

この折りたたみ自転車に乗らなくなってしまったのは、700Cのロードやクロスほどスピードが出ないいし(スピードが出ない→長時間漕ぐ→疲れる)、かといって、ママチャリほどの荷物積載能力もなくて、いったい、どういう時に使ってよいものやら分からなくなってしまったからである。

(この自転車を購入した経緯や理由については、過去の日記、「折りたたみ自転車到着」をご参照)

しかし、ともかくも、混雑時の輪行には向いているかもしれないと思って、机の下に長らくしまいっぱなしになっていた小径車を引っ張り出してみることにする。

大分、空気が抜けていたので、空気を入れる。
チェーンに油を吹きかける。
ブレーキをチェックする。

そうして、玄関先にそのシルバーの車体を置いてみると、自転車を始めた頃の初々しい感覚が蘇ってきた。
思えば、生まれて初めて「輪行」なるものを経験したのも、この自転車でだった。
しかも、その際の状況は、今回と同じく、お袋を船橋まで迎えに行くというものだった。
そのときのことについては、日記「船橋紀行~心の旅路」をご参照。

さっそくその折りたたみ自転車に跨って、水元公園桜土手から江戸川サイクリングロードに出てみる。
う~ん、スピードがでないなあ・・・。
しかも、ハンドルが近すぎて、狭っ苦しい感じ。
途中で、サドルを一杯に後に下げて、ハンドルをやや低めに調整してみるも、あまり変わらず。

IMG_2220.jpg
(16インチ折りたたみ自転車・江戸川土手にて)

しかし、しばらく走って、市川の手児奈霊神堂の前を通り過ぎる頃には大分慣れてきた。
こうして、案外あっさりと、船橋駅に到着。

まだ時間があったので、私の大好きな船橋の路地と、これまた私の大好きな「ダイソー・ギガ船橋店」を散策。
船橋の、この猥雑で、どこまでも中途半端な開発ぶりは、列島の中堅都市の雛形を見るようだ。
いや、私は、このどうしようもない雑然性(森で言えば、雑木林)がやはり好きだ。

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(賑やかなるも侘びしい船橋の路地・安くてうまい「うなぎ・鶴長」と、可もなく不可もないが、大衆酒場を絵に描いたような、愛すべきモツ焼き屋「加賀屋」の看板が見える)

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(安さ爆発!1階から6階まですべて100円ショップダイソー)

一昨年の時とは違って、もうお袋は、自転車で来たことにも、その自転車を列車で運ぶことにも驚かなくなった。
最初にママチャリで銚子に行ったときの呆れはてたようなお袋の顔を思い出しておかしくなる)。

家に着いてもまだ明るかった。
お袋に、水元公園の花菖蒲を見せることができてよかった。

走行距離:20キロ(折りたたみ車+ママチャリ)

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2009.06.02 Tue
自転車の起源~曲芸の実用化
毎日自転車に乗っていると、この不思議で魅力的な乗り物はどのようにして「発明」されたかということに興味を抱かずにはおれない。

一番不思議なのは、二つの車輪(車輪それ自体、火の利用に次ぐ人類の大発明だと思う)を並列に配置した荷車や人力車と違って、車輪を直列に配置したことである。
物理学をかじったことのない人でも容易に想像できることだが、車輪の付いた乗り物で、もっとも安定しているのは4輪車だが、最低3輪あればその乗り物は重力に対して「安定」する(鼎の原理)。

ところが、自転車のような直列2輪となれば、普通に考えるに、安定を確保するのに相当の難があるということは明らかに見える。
ところが、そういう常識を乗り越えて、見事に発明されたのが自転車なのである。

自転車と呼びうるものが最初に登場したのは、1818年頃のドイツとされている。
その発明者の名前(ドライス男爵)まで分かっていて、当時の画像もちゃんと残っている。

Draisine1817.jpg
(1818年頃にドライス男爵によって製作された木製の「自転車」ドライジーネ)

1818年と言えば、ヨーロッパ中で大騒動となったナポレオン戦争が終結して3年後に当たり、ようやく社会の安定期に入った頃であり、しかも、イギリスでは産業革命が進行中で、シェフィールドあたりでは、製鉄工場の黒煙が空をおおいはじめていた時期に当たる。

さて、この初期型自転車であるが、一見して現在の自転車と大きく異なるのは、ペダルがないことである。
ペダルがないので、足で地面を蹴ってその推進力とする。

Drais.jpeg
(ドライス男爵が自転車に乗っている肖像)

ただ、注目すべきは、上の画像からは分かりにくいかもしれないが、ハンドルがちゃんと左右に切れるようになっていた点である。
自転車に乗ったことがある人なら誰でも何となく分かることだが、もしハンドルが動かないように固定されていたら、非常にバランスがとりにくいものになるにちがいない。
自転車に乗っていてバランスを崩しそうになったとき、われわれはハンドルを左右に動かすことで、平行を維持しようとする。

もしかしたら、自転車のハンドルが切れるようにしたのは、そもそもが、左右に曲がる(舵を切る)ためというより、いや、そういう目的もあったにはちがいないが、むしろ、平行を維持しやすくするためだったのかもしれない。

現代のわれわれが、当時の自転車の乗り具合を体験するのは、案外簡単である。
ペダルを外してしまえばよいのだ(100円ショップの15ミリレンチで簡単にはずせます)。
両方のペダルを外して自転車に跨ってみよう。
もちろん、サドルは足がすれすれに着くぐらい低くしなくてはならない。
そうすると、両足ないしは片足で交互に地面を蹴って、平行を維持しながら進むことになる(名古屋あたりでは、自転車のことを「ケッタ」というそうであるが・・・)。

実はこの、ペダルを取り外してしまう乗り方は、自転車を乗ることを覚える際には、最良のやり方だとされているのだ。
補助輪を着けて練習するより、ペダルを取り外してしまってバランスの取り方を体得するのが一番早く自転車に乗れるようにする方法なのである。

直列二輪の構造を持つ自転車に乗る者にとって、この「平行」を保つことが最も大切なことなのであるが、発明者のドライス男爵を除けば、たぶん、当時の人々は、こんな物に乗れるなどとは思わなかったであろう。

たとえば、一輪車というものがある。
私は一輪車には今でも乗れないが、最初に一輪車を見たときに、こんなものに乗れっこないと思ったし、実際に挑戦してみて、さらにその思いを強くした。
しかも、それを上手に乗りこなす子どもたちを見て、まるでサーカスの曲芸のようだと思ったものだ。

この曲芸的な要素こそが、実は、自転車という乗り物の本質ではないかと私は睨んでいる。
荷車などとは違って、自転車は、ある用途を狙って合目的的に考案された物ではなくて、たとえば、竹馬やサーフィンのように、曲芸的な遊技から発想された乗り物ではなかったかということである。

しかも、面白いことに、自転車は、竹馬やサーフィンなどとは違って、今やわれわれにとってなくてはならない移動手段となり得ている(竹馬やサーフィンは楽しい遊技であり続けるだろうが、移動手段として普及するとは思えない)。

自転車は、その軽便性、その遊技性ゆえに発展して、今日広く普及しているのだが、もう一つ、忘れてはならないことがある。

それは、物理学的な優越性である。
物理学のイロハも分からない私だが、敢えて、そう言ってみたい。
自転車は、曲芸的な遊技から発想されたがゆえに、物理学的な優越性を図らずも獲得することができたのではないだろうか。

よく引き合いに出される次のデータをご覧いただきたい。

gr_enagy.gif
(1キロ移動するために要するエネルギー・「自転車博物館」のHPより引用)

1キロメートルを移動するために要するカロリー(エネルギー)の一覧図である。
ネズミやジェット機が同列に置かれているのが面白いところだが、たとえば、自転車は、ヒト(徒歩)よりも、5倍もエネルギー効率がよいし、走る動物の代表格たるウマよりも優れている。
また、このことは、自転車がエコロジカルな(環境に優しい)移動手段の王者であることの証しでもある。

まさしく自転車は、ホモ・ルーデンスたるわれわれ人類が造り出した一大傑作なのである。

走行距離:34キロ(フジクロス)

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2009.06.01 Mon
旧街道の地蔵様
最近は、梅雨も間近になって、天候が不順になってきた。
久々に太陽が顔を出したので、朝から洗濯。

フジクロスに乗って、出発。

いつも通る道すがら、国道6号に出る直前に、旧水戸街道を思い出す縁(よすが)となる場所がある(地図は、ここをクリック)。
そこには、松の大木があって、何となく一里塚風ではある(実際は違うが)。

IMG_2074.jpg
(旧水戸街道・正面が北)

この写真の左下から右上に走る道路が、北へのびる旧水戸街道である。
現在の国道6号とほぼ平行に走るこの道は、金町駅の手前で国道6号といったんは合流して、新葛飾橋の手前でまた国道から分かれて江戸川の土手沿いに向かい、「松戸の渡し」に至ることになる。

旧街道筋で昔を忍ばせる物はあまり多くないが、当時からあった葛西神社とこの場所が、まあ、旧街道が存在したことを今でも主張している。

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(葛西神社・12世紀末創建)

ご覧の通り、石碑や地蔵像がずらっと横並びになっているが、黒大理石のひときわ新しい石碑があって、この場所に関する説明が彫られている。

IMG_2073.jpg

なるほど、10年ほど前、このあたりの道路の拡幅工事が行われた際に、旧街道沿いにあった石碑石像類をひとまとめにここに移設したということなのである。

何と不憫なことか。
地蔵様は、場所と結びついている物なので、本当は、動かしてしまっては意味がないのだが。
ただ、博物館行きよりはマシかな。
私が地蔵様だったら、せめて野外に立っていたいものである。

IMG_2076.jpg
(享保年間の地蔵様たち)

これら三体の地蔵が彫られたのは、いずれも、享保三年の十月で、西暦で言えば、1718年の暮れ近く(陽暦)である(吉宗の時代)。
この三体の地蔵は、よく見ると、夫婦と子どものようにも見える。

1718年の暮れ。
その日は、雪の降る寒い日だったのかもしれない。
子ども連れの若い夫婦が、葛飾は新宿(にいじゅく)までやって来て行き倒れになったのか・・・。
想像は尽きない。

せめてもの救いは、今でも、近隣の「良民」が花を手向けていることである。

私もお地蔵様の前で手を合わせると、自転車に跨って、トラックの車列が轟音をたてている国道6号線の方に向かった。

走行距離:36キロ(フジクロス)

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